2010年5月11日火曜日

中原の虹(第3巻)【10年018冊目】

同じジャンルの本は2連続で読まない。ということで、わき道にそれましたが、続いて中原の虹の第3巻。


中原の虹 第3巻

<本の紹介>
相次ぐ革命勢力の蜂起に、一度は追放した袁世凱を呼び戻す皇族。だが俗物、袁世凱には大いなる野望があった。満洲では張作霖が、まったく独自の勢力を形成していき―。龍玉を握る張作霖は乱世を突き進み、新しい時代が、強き者の手で拓かれる。
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歴史は繰り返す。
同じ時代に、同じ人物たちで、同じタイミングで起こることはないけれども、大きな歴史の流れの中では同じような出来事は何度も起こる。

この物語では、清の時代の幕開けと、幕引きが重ねて同時に語られていきます。

そして1つの時代を築くのに一番必要なものは、僕は英雄ではないのかもしれない、と思いました。
英雄も必要だけど、その英雄が英雄たる理由、英雄の出現が歓迎されるほど民を苦しめ、退廃を極める政府もしくは権力者こそが、新時代を築くのに最も必要な要素なのでは、と感じました。

そういう意味では、現代は非常に新時代を迎えやすいタイミングと言えますね。なんて。

では、民と共に新時代を築き、救国済民を成し遂げた新政府はなぜ退廃に向かってしまうのか。
その答えは、僕は「父を超えられない子」にあるのかなと思いました。

第2巻の書評で、子育てについて「親は子を甘やかし、子は親に甘える」と書きました。
自分も含めた話ですが、親の総合的な能力を100として、子はその100を少なくとも超えなければいけない。間違っても、親の能力の90程度で満足するようじゃいけない。責任ある立場にいる人間がそれを繰り返したら、その人が支える組織は飛躍的に衰え、最後は目も当てられなくなる。
大きな組織でも小さな組織でも、基本的には原理としては同じ。

この国を担おうという総理が、前の総理の能力を超えていないとしたら、それは問題だろう。
そして担える能力のない者同士で、「どうぞどうぞ」とか譲り合ってるようじゃ光は見えてこない。

自分の親父が自慢の親父であれ、ロクデナシであれ、それは子にとっては関係ない。
その子が、親を超えているかが問題。
(ちなみにおもしろいデータがあって、出来る親から出来る子、ダメな親から出来る子ってのと、ダメな親からダメな子ってケースは世の中に多いらしいです。でも、出来る親からダメな子ってケースは他に比べて驚くほど少ない(ほぼない)んだそうな。)

仕事でも、前任者の能力を後任者は超えていることがさらなる強化をしたければ必要になる。それができなければ、風船のなすりつけ合いみたいな様相を呈してくるのを初めから覚悟すべきだと思います。

というわけで、自分は誰を超えるべきか。そして、誰の踏み台となるべきか。
常に自分が一番だとしたら、それは自分としては気持ちいいかもしれないけど、組織としては非常にリスキーな状態だということを、認識しておくべきなんだろなと思います。

そうなると、結局のところはやっぱり教育の問題に行き着くんだけれども。。
自分が育つための努力を惜しまない人はたくさんいる。でも、他人を育てるために努力を惜しまない人は稀。
「勝手に育て」では、育つ資質の活かし方をたまたま見つけることができた人しか育たない。

今まで、人類の長い歴史の中でも、自分の短い歴史の中でも、どれだけの資質を見落としてきたろう。

「自分以上に相手を育てること。」

これについて、自分はもう少しよく考えてみる必要があると思いました。

この話、魚を与えるか、魚の取り方を教えるかってマイクロファイナンスの話と似てきたな。。
どんな階層でも、この考え方をまとめれば活かせるってことで、ちゃんとまとめてみたいなと思いました。

最後に、全然書評になってなくてごめんなさい。苦笑

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