2011年12月25日日曜日

本「さらば国分寺書店のオババ」【11年27冊目】

<本の紹介>
笑撃のパワーの中に天才的なセンスがキラキラしている、著者のデビュー作新装版。初版当時、「スーパーエッセイ」という発作的創作ジャンルをつくり出した伝説的作品が甦る。

<メモ>

  • 津田塾大学というとこれはまぎれもない女子大であり、大学の横にはあの太宰治が投身自殺した玉川上水が流れ、春には武蔵野の野鳥のオナガなども飛んでくるし…
  • いつだったか伊豆急の伊豆高原駅で早朝、電車を待っていたら、三人しかいないのに「まもなくナントカ行きがやってくるから白線の内側までさがれ」などと言っていたのでおかしくなってしまった。1時間に2本しか電車が来ないのだから、みんな列車の到着時間はわかっているし、ときどき時計をみては、あと5分ぐらいかな、などとぼんやり待っている。
  • 昔から警官と教師と坊主というのは、日頃の行動がつねに抑圧されているから、なにかの時にはもっともスケベになる日本の三大チャンピオンである、といわれている。

2011年12月24日土曜日

本「フリーエネルギー、UFO、第3起電力で世界は大激変する」【11年26冊目】

<本の紹介>
永久機関の原理「第3起電力」はすでに見つかっている(入力に対して出力200 0300%)。だから原子力も石油もなくていい!太陽電池、風力発電の落とし穴も詳述。アメリカで認められた研究論文も掲載。新エネルギー・ルネッサンスが生み出すパンドーラの奇跡の全貌。

<メモ>

  • 日本人から集めた多額の税金と視聴料で打ち上げたかぐやの映像を、なぜ日本人である我々が見られないのか。
  • 2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響もあって、最近は少し減りましたが、いわゆる「地球温暖化」をテーマに掲げる報道&情報番組がここ数年で激増しました。温暖化は謀略である、単なるビジネス=錬金術的システムであると、声を上げ始めたジャーナリストや評論家も出始めていますが、やはり、本当の目的は「原発の復活」にあったと思います。米国スリーマイル島と、ロシアのチェルノブイリの原発事故の後、原発を危険視する世界的な風潮が生じました。これを打ち破る手段がCO2による温暖化論であり、最終的には「CO2を出さない原発はクリーンだ」という何とも滑稽な論調が出始めたわけです。この問題の根本は、もちろん化石燃料によるエネルギーにある。しかし省エネは、問題の根本を解決するわけではありません。二酸化炭素を排出する化石燃料を使用し続ける限り、究極的にやってくる破滅を、ほんの少し見たいに先送りするだけ。
  • 最近、メディアでよく取り上げられる電気自動車は、最近になって作られたと思っている方が多いと思いますが、実はガソリン自動車が世に出る以前に製作されています。排気ガスを出さないことからクリーンカーだとも言われますが、これも間違い。確かに走行中は排気ガスを出しませんが、エネルギー源であるバッテリーを充電する際、エネルギー供給における大元である火力発電所で排出されます。バッテリー充電のための電気を作るには、火力発電所で石油を燃やして発電しないといけません。
  • 根本的に新しいものを開発するときに必要なのは、「君主」か「独裁者」です。本当に未来を見通す目を持った独裁者が必要なのです。誤解を恐れずに言えば、アドルフ・ヒトラーという人物は世界中で悪の代名詞にされていますが、科学技術上はそうではありません。このことは、ナチスドイツが第二次大戦中に生み出した数々の新技術をチェックすれば理解できます。ロケット兵器であるV2号がなかったら、アメリカとロシアの宇宙技術は生まれていませんでした。
  • 電気自動車が最も問題なのは、通常のモーターを使用する限りではまったく空気を汚さないわけではないことです。道路上での排気ガスは出なくなりますが、バッテリーを充電する際に、その分余計に発電所で排出されるからです。汚い部分は、どこかにある火力か原子力発電所に隔離されて、目の前からはなくなるだけです。エネルギー源は基本的に化石燃料か原子力ですので、廃棄ガスと放射能を排出して環境を汚染します。ちなみにスイスは国家として、「電気自動車は大気汚染に対して無効である。」というオフィシャルな見解を発表しています。世の中では、このあたりのカラクリを理解していない、いわゆる「電気自動車の信者」も増えています。
  • アインシュタインがユダヤ人であることはあまりにも有名ですが、その他、歴史上の独創的で偉大な科学者にユダヤ人が多いことも事実です。ノーベル賞受賞者の約3分の1はユダヤ人、もしくはユダヤ系です。世界の人口に対するユダヤ人の割合の小ささを考慮すると、この数字がいかに大きいものかがわかります。ちなみにスピルバーグもユダヤ人です。
  • 「スピルバーグの映画には、世界に離散しているユダヤ人に向けられた独特のメッセージがある。それはユダヤ今日からきているもので、他の民族にはなかなかわかりにくい」
  • 「日本人は2,3年先を見て、ものに投資することしかできないが、ユダヤ人は20~30年先の未来を見て、今それに投資する。」
  • 「発明とは99%の努力と1%の霊感である。」byエジソン。(ちなみに原文では99%の「汗」)
  • 「発明とはおしゃれな直感である。」byテスラ。
  • 異常現象というものは、何かを探している人が見ないと、それが起きても気が付かないものです。海面から出てくるUFOを見ても、単細胞の頭脳の科学者なら、大きな鯨が跳ねているくらいにしか見えないでしょう。
  • パソコンには、精神を引き込んで奴隷にする「魔性」があることがわかった。
  • 今の科学は間違っていません。なぜなら、今の科学文明を動かしているのは、今の科学だからです。何かが足らないだけです。だから重要なことは、今の科学も、新しい現象をも、一律に説明できる科学理論を構築しないといけない、ということです。物理学の理論はこのようにして進化するわけですが、現在の科学者のほとんどは、止揚することを知らないように見えてなりません。物理法則は常にファジーなものです。その時々で変わるわけです。それを固定化・権威化していることが、諸悪の根源です。地球上のほとんどの科学者たちは、まるで既存の科学理論に反する現象など、あってはならないと思いこんでいます。短絡的な表現をすると、知識ばかり詰め込んで、科学思想を教えない「受験制度」による教育が原因だと言いたくもなります。それと研究の考え方についても、今の科学界は失敗か成功かという二元論が支配しています。そもそも研究に失敗という概念はありません。すべてが進歩です。成功か失敗かという考え方が存在するのは、そこに利益が絡んでいるからです。結果に利益が絡むかどうかという話であり、サイエンスにとってはどの方向に進もうと進歩です。
  • 米海軍が1943年に行った「フィラデルフィア実験」について、ご存じの方も多いと思います。米軍は駆逐艦を透明化する実験を行ったと言われています。正式名称は「レインボー・プロジェクト」と呼ばれます。これはステルス機のように、レーダーの電波を反射しない方法ではなく、強力な磁場で光を曲げ、本当に透明化させようとする試みでした。このときに使われた駆逐艦がエルドリッジ号です。管内ではテスラコイルらしきものも使われたようです。その結果は、青緑色の霧が発生して、何か制御不能の空間の暴走状態が生じ、エルドリッジ号は不可視状態になったのではなく、本当に消滅してしまったのです。驚くべきことに、エルドリッジ号はフィラデルフィア港からテレポーテーションして、1600マイル(2560km)離れたノーフォーク港にあらわれました。悲劇はそこから始まりました。乗員は全員、とんでもなく悲惨な状態に巻き込まれていました。体の一部が船の壁や床に融合してしまった乗員も少なくありません。通常は、とても想像できません。映画「フィラデルフィア・エクスペリメント」という映画をご欄になった方は、よくおわかりでしょう。
  • 電力会社は、夜間電力を使え、湯を沸かせとやっているだけです。オール電化なんて、全部原発に合わせた戦略です。夜、グーッと電力需要が下がったら、その分はコントロールできないから夜間電気温水器などで使えというわけです。さらに熱効率も悪いので余った熱をどんどん海に逃がします。だから原発は海のそばにあるというわけです。アメリカでもそうですが、内陸の場合は必ず川のそばにあります。川に余った分を流しています。しかしこれは原発だろうと火力発電所だろうと、どんな発電所も60%は川か海に逃がします。
  • 東電の上層部に必要なのは利権、権威、それに競争原理のない市場性。
  • コンピュータの必要以上の進歩によって、人間の心が奴隷化され、本来の思考力、発想力が明らかに落ちています。さらにそれに必要な、感性力もそうでしょう。CGで作った味気ない映画、CDやもっと悪い音のMP3によるデジタル音で音楽を聞いていれば、感性が鈍くなるのは当然のことです。こんなものを作って「ビデオやオーディオの技術は進歩している」なんて言ってるわけです。またそのことに気づかないで、コンピューターを上から操る人間の奴隷となっている人が、なんと多いことでしょう。奴隷は、自分が奴隷であることがわかりません。

本「石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力」【11年25冊目】

<本の紹介>
世の中は過剰なサービスに溢れている。過剰でとらえきれない状態から、選択し、絞り込み、結びつけ、編集し、新しい価値を生み出す。より多くから、よりシンプルへ。多機能高性能から、絞り込まれた“好機能”“賢機能”へ。マルチから、スマートへ。FREE、SHAREに続く新たな時代のキーワード!「キュレーション」こそ成功へのカギとなる!

<メモ>

  • 過剰な世界から絞り込みの世界へ。より多くからよりシンプルへ。
  • 日本でもキュレーション関連のサービスを始めている会社がある。韓国の検索サービス最大手の日本法人ネバージャパンが始めたユーザー参加型の情報集約・共有サービスの「NEVERまとめ」です。ユーザー自身がネット上で自分の関心のあるテーマに関連する情報へのリンクを選別収集し、編集して、それ自体にコンテンツとしての価値を持たせ、共有することを目的とする。こうして情報がキュレーションされたサイトは「まとめサイト」と呼ばれ、そのまとめページをつくったユーザーに広告収入が還元されるという仕組み。
  • キュレーションで最も問われるのは、新しい関係性の中でどれだけ新しい意味が編集され、いかに新しい文脈が生まれるかだね。
  • ジョブズが天才的なキュレーターであるのは、単にテクノロジーだけでなく、新しい価値を生み出すため、人間を中心に置くリベラルアーツの軸を忘れないから。
  • テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立つアップルに対し、ソニーはテクノロジーで対抗しようとした。アップルがコトのイノベーションを起こしたのに対し、ソニーはモノの性能の次元でしか考えず、何と何を結び付ければソニーらしいコトづくりができるかという発想を持てなかった。モノとコトはどう違うのか。それは、そこに人間がかかわっているかどうかです。つまり、コトとはモノとユーザーの関係性の中で生まれる文脈であり、物語であると言えます。体験と言ってもいいでしょう。その物語や体験に共感するとき、ユーザーは手を伸ばす。だから、テクノロジーの軸だけでなく、人間を中心に置くリベラルアーツの軸が必要なのです。
  • ゲームに熱狂するファンがいる一方で、実は声を出さずに静かに立ち去った人たちも多くいたのではないか。かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、ギャラリーも一緒に楽しんだのに、コントローラーはどんどん複雑化して、差し出すと後ずさりするようになった。ギャラリーも消え、1人暗い部屋にこもって遊ぶようなイメージになってしまった。
  • 「任天堂は重厚長大なものばかりつくっていてはダメだ。軽薄短小でお客を満足させることを考えろ。」「任天堂は力のケンカなどするな。よそと違うから価値がある。」
  • キュレーションの大きな特徴は、iPadがユーザーによって多様な使われ方をしているように、新しい意味が提供されると、今度は受け手が自分でその意味を再編集し始めることにあります。
  • 自分たちを取り巻く知の貯水池から、今取り組もうとしているプラットフォーム上に何を選び、何と何を結び付ければ、価値のある「知のリンク」を生み出せるか。固定観念にとらわれず、リンクを縦横に張る柔軟な編集力が求められている。
  • なんでもできる多機能高機能の製品は、ややもすると「コンバーチブルのバンでオフロード仕様」のようなもの。「一台で荒野を疾走し、ハイウェイを彼女とドライブし、荷物の運搬もできる”万能”なクルマ」ですべてのユーザーのニーズを満たそうとして、”八方美人の総花的商品”をつくり、結局、誰も満足しない製品を生み出してしまうこと。
  • 過剰を究極まで排した余白は、詰め込まれた情報よりはるかに多くを語ります。「少ないほうが時には多さに勝る」。それをジョブズは禅の精神から学んだとすれば、わたしたち日本人のDNAにはもともと、「より多く」「より高度に」を志向する以上に、選択し絞り込むキュレーションの感性が根づいているのかもしれません。
  • 東京にしがわ大学
  • 「黒川温泉一旅館」という、顧客の視点からの再定義を何より大切にする。定義が明確であるほど、何をキュレートすべきかがわかる。そして、売り上げよりも優先すべきことがはっきりしている組織は真の強さを発揮することを黒川温泉は物語っています。
  • 「僕らは、まず、自分が欲しいものは何かを把握する。そして、同じものを多くの人も欲しがるかどうか、きちんと考えることがアップルは得意なのだと僕は思う。僕らはそのプロなんだ。だから、次にブレークするのは何だと思う?って社外の人に訪ねたりしない。」
  • イノベーションの偉人は常に自分の井戸を掘る。掘り当てた地下水脈は、常に普遍的な意味を持つ。
  • 教養のある人間とは自分の生き方を常に問いかけている人である。
  • 自分もいつ死ぬかわからない。そう思い起こすことが人生で重大な決断をするときに、後押ししてくれる最も重要な手助けになる。なぜなら、まわりからの期待、プライド、失敗や困難への恐れ…すべてが消え去り、本当に大切なことだけが残るからです。

本「ダントツ経営」【11年24冊目】

<本の紹介>
経営改革を断行し、「右肩上がりを前提にしない経営」を確立。グローバル化を進め、売上高の7割を新興国市場で稼ぎ出す体制に―「世界で勝てる製造業」への取り組みをコマツ会長が語る。一足早く“世界経済の大転換”にさらされた建設機械業界。世界で勝つための答えが、ここにある。

<メモ>

  • リーダーの役割は、政治でも企業経営でも、あるいはその他の組織でも同じです。明確なゴールを示して、構成員を同じ方向に向かわせ、全員の汗と知恵のベクトルを結集して新しいうねりをつくりあげていくことです。
  • 建設機械というのは技術の粋を集めて開発・生産しているにも関わらず、単価が非常に安いです。最も普及しているモデルの建設機械では、車体重量1トンあたりの価格が約50万~70万円です。ということは、1kgあたり500~700円。これは、牛肉やマグロとは比べ物にならないぐらいに安いのです。
  • 私は、代理店は「ハンター」だと思っていた。とにかく腕を磨いて、「獲物(お客)」のいそうなところへ出向いて、それを仕留める。そんな感覚で仕事をやってきた。しかし、しばらくして「これは違うな」と思うようになった。その頃から、代理店は「ファーマー」だと考えるようになった。過去のお客さんにも情報を提供したり、よいサービスを提供したりすることで、定期的に「収穫(買い替え需要)」が得られる。地道な取り組みでコマツや代理店の評判が上がれば、新たな顧客も自然に獲得できるようになる。それがわかって、いまの商売でずっとやっていけるという自信が生まれた。
  • 中国の人は「発展空間」という言葉をよく使います。いまの仕事を続けて、自分がさらに発展できる空間があるかどうか、企業はそうした発展空間を提供できるかどうか。それが、中国で優秀な人材を確保できるかどうかの分かれ目になるでしょう。
  • 企業あるいは国の財政再建もそうですが、ひとつの組織の収益体質を改善しようとするとき、最も陥りやすい誤りは、手っ取り早い「変動費の削減」ばかりを追いかけて、現場や外部に負担を押し付けることです。自分の都合ばかりを押し付ける傲慢な企業に、部品メーカーはついてきてくれるでしょうか。それよりも組織にどっかりと覆いかぶさり、活力を損ねる「固定費」にこそメスを入れるべきです。
  • 「バッドニュース」(不祥事)をフラッシュレポートの一番上に書かせることにし、その次に市場で発生した主な品質問題などについて報告させ、最後に業績についてレポートさせます。「トップが何を重視しているか」をこういうかたちで「見える化」することで、コンプライアンスの精神が徐々に組織全体に根付いていくのだろうと思います。
  • 東京一極集中が、高学歴化・晩婚化を促します。生活コストや教育コストが高まり、世代が別々に生活するパターンを生み出し、少子化を加速させました。ちなみに、コマツの既婚女性の子どもの数は、東京本社が0.5人、大阪・北関東地区が1.3~1.4人、北陸地区は2.0人です。北陸地区の子どもの数が多いのは、親子3世代が近くに住んでいるため育児も容易で、生活・教育コストにも余裕があるからでしょう。
  • 日本の行政コストも固定費と変動費とに分けずに議論されているため、予算がカットされたとき、その大変が変動コストにしわ寄せされます。変動コストのほうがカットしやすいからです。しかし、変動費が削られると困るのは現場です。少ない経費で、これまで通りの(あるいは、これまで以上の)パフォーマンスが求められるからです。最近、注目されている事業仕分けも、固定費と変動費を分けずに進められています。固定費である間接部門の人件費、すなわち雇用をどうするかという一番肝心な問題点を避けて予算削減を指示するので、それに関わっている人たちが新たに別の仕事をつくりだしてしまうのは当然です。固定費にメスを入れないと、予算削減とともに、どんどん現場の余裕がなくなっていく。国民は、この悲惨な状況に気づくべきです。
  • 「会社がこういう状況になったのは、経営陣の責任が一番重い。しかし、皆さんも悪かった。それぞれが「何かできるはずだ」と考えるように意識を変えて欲しい。」

本「多摩のまち自転車探検」【11年23冊目】

<本の紹介>
広範囲の移動が可能な自転車ならではの特性を生かし、多摩地域をじっくりと巡ってみませんか。それぞれの土地への思いがぎっしりと詰まった一冊に仕上がったと自負しておりますがいかがでしょうか。
《ジブリの風景》聖蹟桜ヶ丘では、映画「耳をすませば」で描いたそのままの風景をたどり、現実と物語の交差を楽しみます。《自然と歴史》玉川上水では、約350年前に掘りぬかれ今なお現役で活躍する「生きた史蹟」を源流めざして走ります。また、《基地と戦跡》稲城・南山では米軍の多摩サービス補助施設(旧・弾薬庫)が皮肉にも開発から森を守った様子を語っていきます。
著者の斉藤円華(東京都小金井市在住)は地域や環境をテーマに執筆活動を行っており、スローライフ研究家として持続可能なライフスタイルを探求しています。あとがきでは「宝物のような思いがけない情景に出会うこともあれば、開発によって自然が切り刻まれる痛々しい光景を見せつけられもした。良くも悪くも多摩の現在を、私なりの視点で活写した」と語っています。移りゆく多摩の景色を、本書とともにご堪能いただければ幸いです。

<メモ>

  • 多摩にとって、玉川上水は格別の意味がある。今から350年以上前に、羽村から四谷大木戸まで、43kmを標高差わずか100mの勾配で、1年弱(8ヶ月と伝わる)という短期間で掘り抜いたこの水路は、江戸の水不足を解消し、武蔵野台地の新田開発の原動力となった。1965年まで全区間が現役だった玉川上水は、江戸と東京、そして多摩の繁栄を支えたのだ。
  • 石川酒造は幕末頃から続く蔵元。清酒「多満自慢」はもちろん、立派な蔵と自家醸造の地ビール、それに併設された「雑蔵(ぞうくら)」で提供されるおいしい蕎麦でもよく知られている。2本並んでそびえる大きなケヤキの木は夫婦欅(めおとけやき)といって、お米と水の神様をそれぞれ祀っている。
  • 新奥多摩街道が福生駅西口通りと交差する付近からようやく用水沿いを走れるようになる。ここには石川酒造と並ぶ福生の蔵元、田村酒造がある。ここの清酒「嘉泉」も旨いのである。
  • 「投げ渡し堰」で用水に水を横取りされた多摩川の、何と流れの弱々しいことよ。私たちの飲み水のために必要とはいえ、少しばかり心が痛む。水は大事に使わなければ。
  • 多摩川にかかる橋を渡った対岸には羽村市立郷土資料館がある。羽村堰の水門を再現した展示や、河川敷には大雨時に流れの勢いを弱める木組みの枠を見ることができる。
  • 玉川上水駅から下流に向かって左の道路に入ると、小川分水の放流口手前にちょっと面白い場所を見つけた。なんと足湯ができるというではないか。地元の人たちが野外に設けられた足湯場でのんびりとくつろいでいる。その名も「こもれびの足湯」。隣接するごみ焼却施設から出た排熱を利用して、汲み上げた地下水を温めて循環させているのだとか。
  • 貫井神社の境内には湧き水による小さな滝が見られる。
  • 野川と人見街道とが交差する手前には蕎麦屋の「地球屋」がある。漫画家・吉田戦車が自転車エッセイ「吉田自転車」の中で「すげえうまかった」と紹介している、有名な場所だ。
  • JR中央線武蔵境駅を出てまっすぐになんかして人見街道を右に行く。東八道路を交差して坂を下ると野川だ。近藤勇は小さい頃、このあたりで遊んだのだという。程なく進むと龍源寺。ここには近藤の墓がある。寺の門の前には胸像が。さらにすぐ先には生家跡の古井戸も残る。人見街道から新小金井街道を左に入って旧甲州街道を右へ。その先にある大国魂神社は、近藤の天然理心流四代目襲名披露の野試合が行われた場所。
  • 橋を渡って左の路地に入ると、土方歳三の墓がある石田寺が現れる。次に高幡不動尊。ここには土方歳三の巨大な銅像があるのだが、表情とかポーズが立派過ぎ、見ていて何だか気恥ずかしい。新撰組関連で見るべきはむしろその隣にある、近藤と土方を讃えた「殉節両雄之碑」だろう。篆額(てんがく)が会津藩主・松平容保(かたもり)、碑文の筆者が幕府典医で新撰組とも縁の深い松本順という、由緒ある碑だ。ここの山門には高いところに千社札がびっしりと貼りつけられていて、どうやってあの高さに貼るのかと感心する。
  • 小田急線北口から1kmほどの場所に、白洲次郎と正子が暮らした武相荘がある。GHQをして「唯一の従順ならざる日本人」といわしめた白洲次郎の茅葺き住居、一度見ておくのも悪くない。
  • 文豪の森鴎外、太宰治が眠る禅林寺。
  • 米軍ハウス近く、16号沿いのラーメン屋「福実」がうまい。ここは山田詠美や忌野清志郎が通ったことでも有名だ。
  • 延命寺には、空襲の犠牲者を悼む平和観音菩薩像があり、その側にはB29が落とした250kg爆弾の破片が置いてある。
  • 数千年の時間の厚みと、その中で積み重ねられた智慧と美を感じられる中近東文化センター。彩色された陶器のあたたかみや、素焼きの鹿や水牛ののびやかな造形、古代イランの凛々しいグリフォンの飾板、そしてイスラーム世界の息を呑むような幾何学文様、知を受け継ぐ文字の営々たる積み重ねと変遷…。どれひとつ取っても想像以上であり、時間が経つのを忘れて見入ってしまう。
  • 岡本太郎は、父岡本一平、母かの子と共に多磨霊園の一角(16区1種17側)に葬られている。太郎の墓碑は、作品「午後の日」(1967年)がそのまま使われている。一平の墓碑も太郎の作だ。ちなみにかの子の墓碑だけ観音菩薩。面白い取り合わせである。東郷平八郎ら海軍提督の巌のような墓石もある中で、ここだけはほのぼのとした空気が漂っている。
  • 都立東大和南公園一帯はかつての日立航空機立川工場で、航空機用エンジン生産の拠点だった。集中的な爆撃の標的となり、計3回の空襲で工場の半分が壊滅し、110人が死亡したという。その当時の変電所跡がそのまま残っている。これはいつ見ても言葉を失う。
  • 府中基地をぐるっと一周するように走る。フェンスの向こうに戦闘機が2機鎮座しているが、むろん府中基地に滑走路はない。退役したものからエンジンの主要部品を外して展示しているのである。
  • 旧多摩聖蹟記念館。「聖跡桜ケ丘」の聖跡だが、この言葉には「天皇が訪問した場所」という意味がある。明治天皇がこの一帯で兎狩りなどを楽しんだことに因んでいるが、ここを訪れるまでは意味も由来も知らなかった。なるほど。
  • IHI瑞穂工場を迂回するように進むと、野山北公園自転車道の起点がある。多摩湖(村山貯水池)への導水管の上を走っている。1921年からの導水管建設時、その後の狭山湖の堤防工事のときには、資材運搬のための軽便鉄道が走った場所だ。本当ならば、羽村からまっすぐ自転車道が伸びていてもおかしくないのだが、ご覧の通り、工場と横田基地が間にでんと居座っている。ちなみに、基地の向こうの羽村側は神明緑道として整備されており、基地がなければ羽村堰から1本で自転車道が続いていたかもしれない。

2011年11月29日火曜日

本「「通貨」を知れば世界が読める」

ニーベルングの指環の話になぞらえて、これまでの基軸通貨の移り変わりとその中での日本の「円」の立場や果たしてきた役割をまとめてくれてて、非常にわかりやすく、著者の明晰な感じがとっても伝わってきました。そして、歴史が繰り返すわけについても、深い洞察で「確かにな」と思いながら読み進めることができました。
そして、これから起こるであろう基軸通貨の変化に対しての提案もとても根拠のあるもので、地域通貨と基軸通貨それぞれの求められる役割と難しさをうまく解消できるモデルで、「これがあるべき姿なんじゃないか?」って今回のユーロ危機を見ていて感じるところが多々ありました。
ちょっと、財布に複数種の通貨があるのははじめはこんがらがりそうだけど、慣れれば今も旅行に行ったときとかそうしてるし問題なさそう。
TPPの話についても、集団鎖国って表現は正しい気もする。そこに入らなった国との通商ってどうなるんだろう。もう少し注意して経過を見てった方がいいかもしれないですね。

2011年11月13日日曜日

本「アルゼンチンサッカーの思考力」

難しい本ばっかり読んでたので、息抜きに好きな分野の本も読んでみました。
アルゼンチン―最初に好きになったきっかけは「俺たちのフィールド」だったか、ウイイレでのやりとりだったか忘れてしまったけど、98年のフランス大会のときからワールドカップでの応援国は僕はずっとアルゼンチンです。
シュートの止まない波状攻撃、ドリブルで仕掛ける心意気、アルゼンチンのスタイルがバティやオルテガ、シメオネの頃から、クレスポとベロン、サビオラ、リケルメ、アイマールの頃、そしてテベスやメッシの今の代表に至るまで変わらずにずっと好きですね。きっともう10年早く生まれていたら、マラドーナの頃もずっと好きだったろうと思います。^^

そんなアルゼンチンのサッカーにあるスタイルについて新しい発見もあった読んでて楽しい本でした。俺フィーでもサッカーは手でするってのが出てきてたけど、それが「自分しか知らないチョコレートの盗み方」なんですよね。
これは生活のいろんな場面であるある。教えるわけないこと、ってのがいくつあるかってのも、比較はできないけどいい選手ほど持ってる気もする。
それと、リケルメ。ボカにいた著者の話なんでやっぱりボカの話がメインになる。そうすると、時期的にリケルメの話もたくさん出てくる。リケルメ履き、リケルメ食い、リケルメ飲み、、なんでも伝説にしちゃうリケルメのオーラもすごいと思うけど、上にも書いた「俺はなぁ、嫁と娘に愛されたら十分に幸せなんだよ。あんたに愛されたくはない。」
っていうスタンスもリケルメらしいなぁ、とか思いました。でも、本質そこでいい気はする。

そして読んでて考えてたことは、日本にはまだそこまでの国民みんなが共有してる好きなスタイルがあるわけではないんだなぁってことでした。そりゃ、各チームレベルではあるけれど、アルゼンチンだけじゃなくイングランドやスペイン、イタリアが持ってるその国のサッカースタイルっていうのがまだ、日本スタイルって形では認識できないなと。これからどういう形で形成されていくのか、ちょっと楽しみにも思いました。^^

2011年10月29日土曜日

本「官僚の責任」

最初の数ページを読んだ感想は「この人レベル低…」でした。その時点で読むのやめようとも思ったけど、読んでいくとなんとなくその感覚がレベルの違いじゃなく底にある考え方の違いにあるような気がしてきました。
確かに、官僚の人たちの考え方がよくわかる1冊でした。
税金を使って利権を増やすだけ。本来必要なことかどうかは問わない。国益よりも省益を優先するような考え方、是非も問われるところかもしれない。でもどんな企業にもこういう面はあるなぁと感じて、人の組織の難しさや限界面を考えさせられました。人のことばっか言ってられないなと。
自分がこの国の国民であり税金を払っている以上、その税金を有意義に使ってほしいという思いもある。そのお金でポストを作って、そのポストではほっとんど仕事らしい仕事をしない人が給料として税金をもらう。その人たちの裏には、どれだけの人たちのどれだけの我慢があるんだろう。決して本音では話してはくれないかもしれないけれど、官僚の人たちがどういう意識で仕事してるのか、聞いてみたいと思いました。
ただ、これだけ自分でこきおろしてる経産省に残って、閑職で著者は何やってんだろうとも思いました。
仕事が与えられないなら、辞めればいいじゃん。うまくいくかはわからないけど、ゼロにリセットして新しいこと始めればいいじゃん。と。それができないのに、こういう本を書いているっていう立ち位置の中途半端さがなんとなく気持ち悪い感じがしました。
そのまま閑職でもそこにいればいい給料もらって食べていける。その地位を捨てることができないのかな。
あえて捨ててまでやりたいことは特にないのかな。

本「日本人の誇り」【11年19冊目】

<本の紹介>
危機に立たされた日本は、今こそ「自立」と「誇り」を回復するために何をすべきなのか? 『国家の品格』の著者による渾身の提言。

<メモ>

  • 現在、30歳女性で出産したことのない人が50%を超えています。ここ5年間の出生率は1.34程度で、人口維持に必要なのは2.08ですから、ある時から急激な人口減少が始まることになります。
  • 国立社会保障・人口問題研究所は生涯未婚率を算出しています。現在60歳の人では5%に過ぎませんが、現在30歳の人々だと23%、現在20歳の女性だと40%と予測しているのです。
  • ケータイ病におかされた子供たちは今や、世界でもっとも勉強をしない子供たちとさえ言われています。中学校で数学教師をしている私の教え子が言っていました。昼休みに勉強や読書をしたり校庭で元気よく遊ぶような子はまず見当たらず、おしゃべりをする子も少なく、ほとんどは黙々とケータイを手にしているそうです。
  • 学校にはBMWを乗り回しながら給食費を払わないモンスターペアレンツ、病院には治療結果が思わしくないとすぐに病院や医師を訴えるモンスターペイシャンツと、不満が少しでもあれば大げさに騒ぎ立てる人々が多くなりました。人権をはじめとして自らの権利をやたらに振りかざすような行為は、かつては「さもしい」と言われたものですが。
  • 和をもって尊しとなす。
  • アメリカの原爆投下命令は、ポツダム宣言の発表以前に下されていた。原爆は「ポツダム宣言を拒否したから」投下されたわけではない。
  • 「"正義は力なり"を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」という記事を1945年9月15日に載せた朝日新聞は発刊停止となった。(言論・表現の自由を米国の作った憲法に明記されているけれど。。。)
  • 日本の軍人達は、戦場で涙ながらに老いた父母を思い、自分の死後に残される新妻や赤子の幸せを祈り、恋人からの手紙を胸に秘め、学問への断ち難い情熱を断ち、祖国に平和の訪れることを願いつつ祖国防衛のために雄々しく闘いました。それが今、地獄さながらの戦闘で散華した者は犬死にと嘲られ、かろうじて生き残った者は人殺しのごとく難詰されるという、理解を絶する国となってしまったのです。祖国のために命を捧げた人に対し感謝の念をこめ手を合わせて拝むべきものであるのに、戦争の罪を一身に背負わせているのです。
  • 1945年3月10日の東京大空襲では、下町を中心に一夜で10万人以上が死亡しました。一夜としては史上最大の大虐殺です。あらかじめ関東大震災時における被害状況を調べ、下町に木造住宅が密集していることをつきとめた上で、木と紙でできた日本家屋を最も効果的に焼きつくすために新たに開発されたE46という集束焼夷弾を落としました。だから被害地域が関東大震災の時と似ています。浅草などではまず円で囲うように周囲に焼夷弾を落とし、逃げ出せないようにしてから徐々に内側へ落として行って人々を追いつめました。ビルに逃げ込んだ人も、吹き込む火炎流で焼死あるいは窒息死し、隅田川は川面が溺死体で埋まりました。残忍な皆殺し計画でした。
     東京はその後も何度か爆撃されました。上空の強風を避けるため2000mほどの低空飛行から投下したので、爆撃は極めて精確でした。爆破でもしたら国民の底深い怨恨を買うであろう皇居は目標から外されました。ロシア正教のニコライ堂、ロックフェラー財団の寄付で建てられた東大図書館、米国聖公会の寄付で作られた聖路加国際病院や立教大学、占領後に自分たちが利用とした銀座の服部時計店(米軍PXとなった)、第一生命ビル(GHQ本部となった)なども外されたから無傷でした。
  • 東京裁判では、「広島、長崎への原爆投下という空前の残虐を犯した国の人間に、この法廷の被告を『人道に対する罪』で裁く資格があるのか」は詭弁により斥けられました。触れてはいけない大地雷に触れたこの爆弾発言は、発言とほぼ同時に日本語への同時通訳が中止させられたため、日本人の耳にも届かずマスコミにも流れませんでした。欺瞞に満ちたこの裁判を破砕するものだったからです。
  • 人間というものは、他人を攻撃する際に自分が言われるともっとも痛い言葉を用いる、という心理的傾向があるのです。国も同じです。
  • もし現代の定義を適用して日本を侵略国というのなら、英米仏独伊露など列強はすべて侵略国です。ヨーロッパ近代史とはアジア・アフリカ侵略史となりますし、アメリカ史とは北米大陸太平洋侵略史となります。清国も侵略国です。ただしこれらの侵略国家が倫理的に邪悪な国ということにはなりません。この2世紀を彩った帝国主義とは、弱肉強食を合法化するシステムだったからです。
  • 日中が手を携えるというのは白人にとって悪夢中の悪夢だったのです。これは現在に続いています。この2つは対立させる、というのは今も欧米の基本戦略です。
  • 日本は敗北したとはいえ、白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業を成し遂げたのです。日本人の誰もそんなことを夢想だにしていませんでしたが、結果的には世界史の大きな転機をもたらしたという点で、何百年に一度の世界史的快挙をやってのけたと言えるでしょう。

本「為替占領」【11年18冊目】

<本の紹介>
3.11後に、なぜ円高にふれたのか?誰もが、日本売りで円安になると思ったのに、急激な円高!その後の協調介入はなぜあれほど素早く行われたのか!?全ての疑問がこの本を読むと解明されます。為替を通してみると世界の動きと、日本の位置がはっきりと分かってきます。1971年8.15のニクソン・ショックから始まった苦難の円高、借金棒引きシステムを余す所なく暴きます。なぜ、為替介入が行われ、その米ドルは換金できないのか?しかも、ディーリングで見ていると、必ず先行してプライスアクションが起こるというリアル。全ての経済予測はこの本を抜きにしては語れなくなる。為替は実はゼロ・サムゲームなのです。

<メモ>

  • 90年代のアジア通貨危機、ロシア通貨危機、昨今のアイスランドも広義の意味での通貨危機と捉えれば、為替政策の脆弱性が結局は政権や国家の経済システムを崩壊させることに繋がってしまうということは今も昔も変わらない。歴史の中の類似性は偶然の域ではあるまい。であるからこそ、我々が今後の処方箋として歴史のアナロジーを生かす余地は大いにあろう。
  • 世界の投資資金は、いわゆる平時であればより収益の上がりそうな場所を求めて動いている。スイスも日本円同様に、他国に比べ相対的に低金利であるがゆえに、通常は低金利のスイスを売って、高金利の他通貨を買う、というスイスキャリーが発生しやすい。しかし、一度金融危機などが発生すると、危険な場所を避け安全な場所に戻るという性質が資金にはある。地政学的に経済的にあまり関係のない、あくまでも中立国の立場を取るスイスは緊急避難先なのである。世界の富裕層の資金がスイスに集まり、平時はそこから海外へと投資資金が出ていくのなら、緊急時にはスイスに戻ると考えれば納得がいくのではないだろうか。あるいは、円キャリーやスイスキャリーは危機が発生するという情報が伝わった瞬間に、もともとの資金の出所である円やスイスに戻っていくという方がむしろ説明が付くかもしれない。平時と皆が思っているときに、実は情報をいち早く仕入れている一部の投資家は、一足先に危険な市場から撤収を始めているのである。それが、為替取引においてスイス。フランだけに見られる異常な買いとなって表れる。
  • 為替と株式市場を中心に季節要因のサイクルをまとめると、、、
    • ▼1月:欧米企業の会計年度がスタートするために変動が大きい。日本人がお正月気分でいる間に仕掛けられることも。ボーナス資金が市場に入ってくるため、前年11月終盤から日本が正月休みの3日目まで米国は株高。それにつられてドル高。よって円は独自の理由からというよりも、ドル高のため円安に。
    • ▼2月:以前はシンガポール、香港などアジアの相場参加者が旧正月に入るため閑散。中国も旧正月を祝う文化圏であるので、世界一のプレーヤーとなりつつある中国の存在を考えれば今後も2月は相場の動きは鈍くなるというのが順当だが、敢えてその隙を狙って政策金利の変更を行う等、相場参加者の裏を読む行動を中国通貨当局は取る。
    • ▼3月:日本の会計年度が終了するために、下旬には日本の投資家の外貨資産の処分で一時的に円高に振れる場合がある。特に3月31日と4月1日ではがらりと相場の雰囲気が変わるので要注意の日。
    • ▼4月:前半は欧米がイースター休暇のため欧米からの参加者は少なめ。日本の会計年度スタートで本邦からの海外投資が活発化し、円売り、他通貨が買いとなりやすい。4月末には日本はゴールデン・ウィークに突入することから、以前は海外旅行による需要などで基本的には円安と言われてきたが、日本人が休み気分でいる中を2010年に見られたようにユーロ危機を演出するなど、狙い撃ちされやすい。ゴールデン・ウィーク前に市場が売り・買い一方方向に偏っている場合は、その動きの加速、あるいは逆の動きもあり要注意。2011年は年初来急騰していた銀相場がターゲットとなった。
    • ▼5月:ゴールデン・ウィーク前の雰囲気が変わっていることもあるが、夏に向け米株高となる場合が多いため、ドル高が定石。本邦の年金など新規投資を始める時期でもあるので、円売り。但し2011年は震災直後ということで本邦から海外への資金流出は手控えられるであろう。
    • ▼6月:1年の折り返し地点ということで、相場も一服。
    • ▼7月:6月に続き大きなイベントはなく、ここまでのドル高、株高の流れを継承しやすい。
    • ▼8月:海外は夏休みシーズンに入り、日本もお盆となるが、このお盆の時期にLTCM、サブプライムなどの経済危機が発生することも多く、ドル安のスタート地点となることが多い。
    • ▼9月:8月にスタートしたドル安の流れを引き継ぎやすい。株価もピーク、あるいは高値から下落を始める時期。米国のデフォルトあるいは新通貨制度の発表などがあるとすれば、8月―9月の可能性が高いと個人的には考えている。
    • ▼10月:ヘッジ・ファンドなどの中で、早めに1年のポジション(持ち高)を調整し始めるプレーヤーが出てくる。ドル安・株安継続。
    • ▼11月:米国はサンクス・ギビング・デー(感謝祭)が後半に控えているため、ポジション調整の動きが加速。以後クリスマスまで長期休暇。
    • ▼12月:中期以降は特に閑散。海外は休暇モードでクリスマス前後の取引はほとんどない。基本的には11月にドル売りが加速し、12月には一服。欧米企業の自国向け利益送金もあって、特にドルは底堅い展開に。12月28日より取引は活発化するので、年末年始は要注意。
    • 端的には春に向け円安(ドル高)、秋口から円高(ドル安)というパターンとなりやすい。
  • 日本国で経済活動を営んでいるのは、5つの経済主体となる。それは①政府、②家計、③金融機関、④非金融法人(一般企業)、⑤民間非営利団体(NPO)。日本の場合は政府が借金をしている側で、国民がその貸し手である。それにもかかわらず、国民の借金としている点で報道はおかしい。政府が踏み倒さない限り、国民にとって資金の貸し出しは資産である。
  • 2002年の格付け会社の日本国債の格下げに対して、財務官が送った説明を求めるための書簡。(ま、リーマンショックで格付けが意味をなしていないことはわかっていますが。。)
    • (1)日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
    • (2)格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
      • マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国。
      • その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている。
      • 日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備高も世界最高。
    • (3)各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。
      • 1人当たりのGDPが日本の3分の1でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
      • 1976年のポンド危機とIMF借り入れのわずか2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
      • 日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。

本「この国の権力中枢を握る者は誰か」【11年17冊目】

<本の紹介>
日本はなぜチェルニッポンにさせられたのか。大震災・原発事故の国難につけこむ外国勢力に対応できない日本政府の政治無策を問う

<メモ>

  • 福島原発の事故がいちばん危機的だった3月17日に横須賀に行ってみたら、アメリカの艦隊は一隻もいなくなっていました。ちょうど3月11日に港に入って、1ヶ月の予定で修理にかかるはずだった原子力空母ジョージ・ワシントン以下、機動艦隊が影も形もありません。アメリカは海軍。海兵隊共同で「トモダチ作戦」と称する被災地救援オペレーションを行うといっていたので、東北沖にでも向かったのかと思ったのですが、何のことはない、全部出航してフィリピン沖まで逃げてしまったのです。米韓合同演習のために来ていた空母ロナルド・レーガンが東北沖に姿を見せましたが、これも福島原発から125海里(230キロ)以内の海域には決して入りませんでした。これが日米同盟の実態です。
  • 核爆弾も核弾頭も必要ない。核物質があって、それを普通の爆弾に積んで爆発させれば放射能はそこかしこに飛び散る。それだけで世界は恐慌をきたす。テロの手段としてこれほど有効なものはない。今度の福島原発の事故で改めて、そういうことを世界の誰もが認識したのです。
  • 誰もが放射能の恐怖に怯えているという事態の深刻さを、アメリカ自身が最も強烈に認識したはずです。なぜならアメリカは世界で唯一原爆を投下した国であり、核爆発と放射能の悲惨さをよく知っているからです。9.11を持ち出すまでもなく、自分たちこそがいちばん「報復の女神」のターゲットになりうるということもわかっている。
  • アメリカは日本の役人に対して硬軟両面からいろいろなことを仕掛けてきました。その一例が、研修と称するアメリカ留学です。もちろん研修の費用は全部アメリカ側の負担です。選ばれた各省庁のエリートたちは嬉々としてアメリカに行って、帰ってきたらみんな親米、アメリカのお先棒をかつぐようになっている。最近は、今までアメリカと縁のなかった検察庁の若手検事や裁判官までが研修に行くようになっています。これから指導的人物になるだろうと目される各界の人材を選んでアメリカに留学させ、親米派の知識人を養成するという戦略的な留学制度です。
  • 復興財源として日本がアメリカ国債に手をつけるのをアメリカが恐れている。日本政府が持っているアメリカ国債は8000億ドル前後で推移していると思われます。これは一兆ドルを超える中国に次いで世界2番目の保有高で、もし日本がこれを売りにかかったら、それでなくともデフォルト寸前の状態にあるアメリカ国債は窮地に追い込まれる。だからアメリカは日本の財務省に圧力をかけて、売らせないように画策しているのです。復興税や消費税増税の話の裏側にはこうした事情があることを忘れてはなりません。
  • インドの綿花種子市場はいまやモンサントが独占しています。綿花の場合は種が取れるのですが、モンサントは自社が開発した綿花のバイオ種子の特許権を制定していて、自社のバイオ種子から収穫された綿花の種を翌年使用するのは知的財産権の侵害にあたるとして禁じています。これを侵害すれば巨額の賠償金を請求される。だからインドの綿花業者は毎年モンサントから高額な種を買わされ続けているのです。

本「個人でつくる電子図書館」【11年16冊目】

<本の紹介>
電子図書館運営の先達であった館主・内転儀久が、この10年の経験を集約。ネット万能時代の読書・資料収集・公開について手の内を公開する。

<メモ>

  • 個人で電子図書館をつくる時代が到来した。
  • 郷里を離れて都会や別の地方都市に暮らす人が、郷里の図書情報を提供することもできる。自分が郷里に住んでいなくても郷里の土地勘があるし、幼友達もいるだろう。そうであれば、郷里の図書情報を提供することによって、懐かしい友達に出会えるかもしれない。電子図書館をつくって「ふるさと貢献」するのもよいだろう。
  • ローカルな図書情報であっても、特定地域の図書情報を集積していけば、地理的な地域の隔たりを越えて多くの人から特定地域の図書情報を提供してもらえるという電子図書館の利用法。
  • お気に入りに登録されたサイトが自分のマイ電子図書館であり、マイ情報センターになる。
  • 紹介する情報のうち、政治・宗教・販売の情報、プライベートな記事、また個人情報や誹謗中傷するような情報は取り上げない。ただし、テレビ番組の中で芸能人が、まちの「うまい店」として紹介した店は名前を出している。芸能人に紹介されるような店は「地域の文化」だと思っている。
  • サイト内検索だけでなく時代別・領域別のデータベース化作業を続けようと考えている。何かを考えるヒントは、系統的に整理された情報の集積から生まれる。
  • 満開佐倉文庫情報大賞であるが、一年間、当文庫に寄せられた情報を整理し、その中から佐倉の再発見となるような情報、インパクトのあった情報、その年の情報として記録しておきたい情報を十点近く選び、情報大賞の候補とする。その中から電子司書さんと相談して、情報大賞を選んでいる。
  • 地域の歴史・自然・文化(それを風土といってもよい)に興味を持つことである。家の外に出て地域の風を頬に感じ、地域の史跡を訪ね、地域の食を味わい、地域の文化人と交流することである。そうすることによって、地域の図書は自ずと集まってくる。
  • 本に限らず情報紙、CD、DVD、記念資料、パンフレット、ポスターなどの資料があり、これらを含めて地域資料と捉えている。しかしこれらの資料は特定の人が特定の人に配るために作成したり、有料であったりして集めづらい。集められればいいですねというところである。
  • 読書をしながら自分の住んでいる地域が出てくる本に出会うと、思わず嬉しくなる。その本は、知らず知らずに印象に残るものである。どこかにそれを収納する箱をつくり、みんなで読書をしながら地域本を探していくのである。
  • 地域が小説に描かれたり、映画のロケ地に使われることはその地域に魅力があるからであると考えている。だからその魅力を多くの人に伝えたいと思う。その情報発信の手段が当文庫である。さらに、地域が描かれた作品はそのまま国語教材として、市内にある学校の国語教育にも使えるのではないかと考える。
  • 当文庫では、過去の書物を集めることよりも、地域の「今」を集めている。「今」は自分が生きている時代の図書情報であるから集めやすい。地域の「今」を集め、「今」を整理し、「今」を次の時代に伝えたい。「今」は、やがて歴史の一ページになる。
  • Googleマイマップを使って、全国にある「佐倉」という地名情報、名称、公共施設名などを提供する。
  • ウェブサイトに掲載された図書情報は、私と情報提供者が見るだけでなく、世界中の人が見ているのである。私の読書レベルが白日のもとにさらされる厳しさがあるが、それも勉強である。むしろ、「私はここまでわかりましたが、さらに詳しい本を知っている方がおられたら教えてください」という情報発信であり、受付姿勢の表明である。
  • くにたち図書館では、くにたち地域資料ボランティアの方々が資料の収集、現地の調査、聞き取りなどを行い、そして議論を重ねて、レファレンスシートを作成している。
  • 不採用になった情報も何件かありますが、その際の館主さんの判断とその明解な解説連絡を戴くことの方が採用と同じくらい嬉しいですね。「一喜一憂」としないで「嬉々」とした次第です。

本「武蔵野の民話と伝説〈下巻〉」【11年16冊目】

<メモ>

  • 多摩川溝ノ口築堤(1703年)の際には、水神の怒りを鎮め、洪水を未然に防ぐよすがとして2人の「人柱」が埋められた。
  • 真言宗関東三山:金剛山金乗院平間寺(川崎大師)、高尾山薬王院、成田山新勝寺。

2011年10月23日日曜日

本「武蔵野の民話と伝説〈中巻〉」【11年15冊目】

<メモ>

  • 平将門の遺体は、それぞれゆかりの深い各地に分けて葬られているということだが、わかっているのは、
    • 神田明神の首
    • 湯島鳥越明神の胴
    • それから、恩方力石のまさかさまの男根
      と、この3つである。あとの手や足も、どこかに祀られているものと思われる。
  • 八王子から横浜に通じるシルクロード(絹の道)という繭や生糸を輸送する街道があって、蚕には縁の深い地帯である。
  • 武蔵野の秋月―見渡す限りの萱や芒の原。ところどころにある村落と雑木林。秋から冬にかけての風物が、最も武蔵野らしい姿を見せる、とは昔の文人の言葉だが、秋の冴え渡った月光の下の、このあたりの風情は詩歌などにもいろいろと採り上げられている。
  • 国分寺地内で、最も古くから人が住みついたのは「恋ヶ窪」あたりだといわれている。近くには約一万年前に人類が生活していたことの証左である黒曜石の打製石器などが発掘されている。
  • 「昔話」をしてくれる老人が、いまは極めて珍しい。たとえ話してくれる人があっても、それを聞く側―若い世代(子供も含めて)が、それをしんから耳を傾けて聞いてくれるか、どうかだ。炉端や日向の縁で、爺さまや婆さまから「お話」を聞いた時代の子供たちとは、いまは、その受け取り方も感動のしかたも、まるで違うのである。語り手の方でも、話す興味も熱意も、あらかた喪失してしまっている人が多いようだ。

本「マンガとミュージアムが出会うとき」【11年14冊目】

<本の紹介>
国立メディア芸術総合センター(仮称)構想にみられるように、マンガ・アニメに関する施設の設立が相次いでいる。いっぽうで、どのように展示すればよいか?という方法論は、いまだ模索の段階にある。本書は、マンガをミュージアム空間に置きなおすことで浮き彫りとなるメディアとしてのマンガの性質や、マンガを取り入れることで拓かれるミュージアムの可能性について、現場での取り組みや、ミュゼオロジーの視点をもとに考察する。

<メモ>

  • ルーブル美術館やメトロポリタン美術館が美術の「殿堂」足り得るのは、そこにしかない貴重な美術品が、きちんと系統だてて収蔵され、展示されているからにほかならない。実物がそこでしか見られないということもさることながら、人類が生み出してきた「美」の歴史的系譜の上に個々の作品が位置づけられ、目の前の作品がどんな「美」をふまえて生み出されたのか、また、ここからどんな新たな「美」が生まれたのか、展示された作品の向こう側に壮大な時間・空間を感じさせてくれるのは、そこが古今の「美」を集約した「殿堂」であるからにほかならない。
  • 膨大な量と多彩な内容、町中どこででもマンガにふれることができ、およそマンガに描かれていないテーマやモチーフはないと思えるほど、老若男女ありとあらゆる年代・性別や趣味嗜好に対応したマンガが生み出されているこの圧倒的なボリュームこそが、マンガの特性なのではないだろうか。
  • 銀行へ行けば、キャッシュディスペンサーの画面で女子行員のマンガがおじぎをする。小学校の図工の時間で生徒に絵を描かせると、人物の額に汗を描いたり吹き出しでセリフを書いたり「絵画」でなく「マンガ」を描いてしまう…。
  • 服を体に合わせるのではなく、体を服に合わせていただいた。
  • 現在は美術館に単体で展示され、鑑賞されている美術品が、かつてある建物の一室を飾る装飾品であり、その部屋の内装と合わせてこそ美を発揮していたものであったこと。さらには、その部屋で来客をあまり儀式張らずにもてなしたいと建物の持ち主が望み、その美術品を作家に発注する際にもその意向が反映されたこと。そういった事柄が、作品のそれ自身の純粋な美や、作家の内的な動機のみを追求していると見えなくなっていく。
  • ドラえもんの4つの魅力。
    • ドラえもんのパーソナリティ…ドラえもんの豊かな表情
    • ひみつ道具…ドラえもんの人気を不動のものにした数々のアイデア
    • ひみつ道具が作り出す不思議な空間…ドラえもんのSF的側面
    • 登場人物たちのドラマ…人間ドラマとしての「ドラえもん」
  • ミュージアムとは、作品の「アウラ」を強調し、強化する空間である。そこでは芸術は、その一回性―たったひとつのオリジナルであり、複製不可能であること―によってこそ、価値を与えられている。作品をガラスケースにいれ、触ることを禁じ、そこにだけ証明を当て、そして作品と作者を賞賛する、ミュージアムとはそのような場所だ。当然、訪れる来館者も無意識のうちに、この「アウラ」に対する信奉を持っている。そしてたとえばある絵が唯一無二のオリジナルでなかったり、なんらかの複製だったりすることを知って、がっかりするのである。このように「アウラ」はミュージアムに長らく棲み続けておりおり、この空間に足を踏み入れる人は「アウラ」の幽霊にいつのまにか心を奪われる。
  • 来館者がジブリを知っており、かつ好きであり、自分で物語を想像できることを前提とした展示。
  • 世論は、一方では「日本が誇る」マンガ文化を賞賛しつつ、他方ではマンガの読みすぎであの首相は漢字が読めないだとか、アニメの見すぎが性犯罪を引き起こす、などという。
  • 子供向け原寸サイズにすると、子供たちははしゃいで遊びまわり、それを見ている大人は勉強できる、という二重構造ができあがる。空間を使う展示は展示室で必要なスペースや予算との対費用効果を考慮する必要はあるが、いちばん迫力がある。

本「アマゾン・ドット・コムの光と影」【11年13冊目】

さて、更新していこう。

著者 : 横田増生
情報センター出版局
発売日 : 2005-04-19
<本の紹介>
出版業界のタブーをものともせず、急成長した要因は何か。徹底した秘密主義の裏側では何が行われているのか。元・物流業界紙編集長が覗いたネットビジネス、その裏側に広がるのは…。

<メモ>

  • 「アマゾンは今後、現状の取次在庫に依存するやり方から脱却して、買い取りによる自社在庫を増やしていく。つまり、取次を中抜きすることで利益率を上げることが、書籍販売におけるアマゾンの目指す完成形だ。」本を売るという小売業から出発したアマゾンジャパンは今後、川上である出版社やメーカーへの影響力を強めていこうとしている。
  • 物流を見ればその企業の全景が見えてくる。
  • アマゾンは、顧客が重視しているのは「品揃え」「利便性」「価格」の三つであることを突き止め、それを強化していくことに全力を挙げるようになる。
  • アマゾンドットコムでは、本が擦れ合う音を聞いたり本の匂いを嗅いだりできないし、おいしいカフェラッテを飲むことも柔らかいソファに座ることもできません。ただ、そういうものとはまったく違うサービスを提供することで、訪れる人を感動させ、体験を魅力的で楽しいものにすることは可能です。
  • 直接人を介さないネット書店において、人のぬくもりが感じられるような書店を作る。
  • ピッキング「1分で3冊」検品「1分で4冊」棚入れ「1分で5冊」手梱包「1分で1個」。ノルマとコンピュータによる監視の組み合わせこそが、アルバイトを働きアリへと駆り立てるムチの役割を果たしている。
  • 「今回のスピード ○.○冊/分」が毎回出る仕組み。数字を自身で確認できることが、落としたらマズイという心理を植え付けていく。
  • アルバイトが考えなくていいということは、それだけ単純なミスが減るということ。
  • 一番大切なことは、間違った商品を送ってはいけないということ。ネットユーザーの間では、悪いウワサが信じられないくらいのスピードで広がるもの。
  • 書店が帯なしで本を売ったとしても法的な問題はない。アマゾンが平気で帯を捨てるのはなぜだろう。サイトからは消費者に帯のあるなしがわからないからなのか。帯がないくらいでは返品にならないと踏んでいるからなのか。それとも、アメリカの本には帯がないので、帯などは無用の長物とでも思っているのだろうか。些細なことにも思えるのだが、この帯をないがしろにするところにアマゾンという企業の一端が表れているような気がした。
  • もしかしたらアマゾンに本好きはいないのかもしれない。本好きというより、コンピュータおたくの集団というのが、アマゾンという企業のある一面をあらわしているのではないかと思い始めた。
  • 日通は業界紙を総会屋とほぼ同列にみなし、一定の距離を保ちながらも付かず離れずの関係を続けていた。懇親会は懇親会ではなく、にらみを利かせることが目的だった。
  • これまでの日本は、教育や雇用の機会が平等に与えられ、その結果として個々に差がつくという"機会平等、結果不平等"の社会であった。しかし今、その平等な機会さえも与えられなくなってきており、はじめから優劣の結果がついた"機会不平等"の社会になりつつある。 機会不平等
  • 永遠に続くように思える単純作業に身を沈めていると、緊張感や集中力はすり減って、惰性に取って代わられる。同じ労働であっても、業界紙で働いていたときと比べると全く質が異なる。センターでの作業に自己実現や達成感を見出すことは難しかった。どんなに頑張っても、将来につながるものが見えてこない。
  • 鈍い痛みを持つ右手首。筋張った右手の指。細かい鉄片が突き刺さった掌。疲れの溜まった背の筋肉。胸やけする胃。これが僕に残されたものだ。 自動車絶望工場
  • アマゾンの場合、どれだけ長く働こうとも時給は900円のままである。アマゾンには長く働きたいと思うインセンティブが欠けている。というより、誰でもできる単純作業なので、アルバイトに長く働いてもらう必要はない、とアマゾンが考えていることのあらわれなのだろう。
  • 90年代以前のオールドエコノミーと呼ばれる経済成長期の大量生産・大量消費の時代において、企業には労働力を正社員として囲い込み、一生涯戦力として養っていくだけの体力とその必要性があった。しかし90年代半ばからIT企業を中心としたニューエコノミーが台頭してくると、魅力ある商品を安く提供しなければならないという市場のプレッシャーから、企業が正社員として大切にするのはごくわずかな有能な人材だけとなった。代用可能な労働力は、いつでも切り捨てることができるアルバイト、ないし派遣社員を使う。言い換えれば、単純労働者の処遇を気にかけているようでは、国際競争に勝ち残れない時代となってきたのだった。アマゾンはそんなニューエコノミーの典型的企業といえた。
  • 「自動車絶望工場」を買っているのは、毎年トヨタに絶望して辞めていく労働者たちではないのか。洪水のように出版される"トヨタ礼賛本"では決して取り上げられることのない労働者の悲痛な叫びの詰まったこの本を読んで、つらいのは自分だけではないんだと知る。疲れ果て敗北感にまみれた彼らの心を癒すセラピスト代わりをつとめるのがこの本であり、それが20年もの間売れ続けてきた理由ではないのか。
  • 日本の書籍流通は、約400社の出版社を出発点にして、およそ100社の取次を経由して、20000軒を超す書店に流れていく。
  • 新品よりも安い中古商品を同じサイトに載せることは、自らの商売を邪魔しているようにも見える。しかし実は、自ら商品を仕入れ顧客に届けた後で手元に残るわずかな利益よりも、第三者が顧客のもとに届けてくれて、手にする手数料の方が割がいいという計算。
  • このマーケットプレイスのような手数料ビジネスに力を入れ始めたことで、アマゾンはようやく利益が上がる経営体質になったという。送料無料によってアマゾンの本業である通販の利益率が若干下がることがあっても、サイトの利用者数が増えれば、副業ながら利益率の高い第三者委託が増えるので、全体としてはプラスとなっている、というのだ。
  • 能力給とか成果主義といえば、頑張った人がその分報われ、能力次第で収入も増えるような給与体系のようにも聞こえる。しかし、実は働く人間の競争心を煽るだけ煽って、結局は支払い給与の総額を引き下げるための都合のいい口実にすぎないことを、すでに日本中が気づいている。
  • 通常、書店の取り分は本体価格の22%。直取引であれば35%程度。
  • ニューエコノミーの下では、専門的能力を必要とされる職種と、マニュアル通りに働くだけで能力の向上原則不要の職種に2極化していく。前者に属する人は、若い頃から選別され専門能力をつけるよう働きかけられ、後者に属する人は、仕事能力向上の機会がないまま一生単純労働に従事するように運命づけられることになる。前者は、企業から引き留め圧力が働き、収入は高くなり、転職にも有利な条件が示される。一方、後者は、一生低賃金を強いられ、解雇・失業リスクも高くなる。 希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

2011年8月16日火曜日

多摩の本

ジブリの宮崎さんのロングインタビュー。インタビュアーはROCK IN JAPANの渋谷さん。そんな僕にとっての夢の組み合わせでナウシカ、紅の豚、トトロ、もののけ姫、千と千尋を語り尽くした一冊。数ページで収まる雑誌のインタビューなんかと違って、深くて濃い~ところまでいってます。そして渋谷さんらしくわかりにくい例えとか強引な話の持っていき方をひょうひょうとかわす宮崎さん、字面だけを追えばかみ合ってないなと思うところもあったけど、2人は楽しんでたろうなと思えたインタビューを読ませてもらいました。自分だけで語ってたら表現しきれないことをインタビュー形式であれば表現できる、そういうことってあるなぁっていう点でも参考になった一冊でした。ジブリ作品をもっかい見返したくなりました。

先日青梅にあるバカボンのパパ、赤塚不二夫の記念館に寄った際に買ってきた一冊。バカボンやおそ松くんを地で行く生涯は記念館の中でもいろんな写真で見せてもらってたけど、いろんなエピソードがおもしろおかしく書いてあって、特に母親への尊敬とか関係については、作品の中でも確かにそうかもなぁと思うところがありました。この本もいいけど、記念館も併せて楽しむともっと楽しめると思う一冊です。

紅虎餃子房や万豚記なんかの際コーポレーションは、福生から始まっていた。ということで興味を持って読んでみた一冊。代表の中島さんのビジネス哲学なんてものはほとんど書かれておらず(あるんだろうけど)、行き当たりばったり体でぶつかってなんとかしていくエピソード満載で好感を持ちました。今度福生に行ったときにはぜひ元祖・韮菜万頭に寄ってみたいと思います。

ついに読みだした、世界最長の大河小説。もともとはジブリの鈴木プロデューサーの本に、彼のおもしろかった作品として紹介されていて興味を持ったんですが、最近よく行く青梅近辺が舞台になっていることもあって楽しく読めました。なんか主人公が主人公らしくないというか、変わってますね。これからどんな風に物語が進んでいくのか、楽しみです。そして僕に読み切れるかどうかも。

続いて2巻。っといきなり目が。。剣士の話なのに、それでいいの?っていう展開に俄然興味を注がれました。文章は読みやすくて、登場人物それぞれに特徴がある分覚えやすくて、たくさんの人に読まれてきたのがよくわかりますね。そして青梅から伊勢の方へ、そして東海道へ、次々に話の舞台が変わっていくことでもなんだか日本中を旅行してるような気分にもなったりします。
長いことを活かした書き方というか、こんな小説もあったんだって思いました。

この巻は主人公の話はほとんど出てこなく、草の根の庶民の話、特に女子供の暮らしを中心とした前半と、殿さまの話の後半。庶民の悩みの種はなんだかんだでお金であって、助けられるのは人のつながりであることも多いことなんかは、今と変わらないなぁと感じました。なんとなくですが、著者の中里介山自体にも今後の展開は全てはわかっておらず、日々の生活の中で得たヒントを作品に織り込んでいくのを楽しみながら書いていたんじゃないかな、とか感じて読んでました。

青梅から江戸、伊勢から東海道と舞台を変えてきた物語の登場人物が、はからずも同時に甲府に集まり、新たな交流は意外なところでその登場人物をつなげていく。メンツ争いに執心するダメ支配ってのはこういう平和な時代だから出てきたのかなとか、資産家ってのはいつの時代も悪巧みに巻き込まれるもんかなとか、今に通じるというか、僕はこの物語を通して今を読んでるようにも思えてきました。

舞台は甲府から江戸に戻る。読みながら、「ペンは剣よりも強し」というか、僕はこの著者が本当は声を大にして言いたい(そして庶民はみんな共感してくれるだろう)ことを、物語の場面として描いているなと思いました。それがこの作品が多くの人たちに支持された理由なんだろう、と。偉大な人だ、と思って、中里介山のお墓が羽村にあることを知って、墓参りに行ったのもこの頃でした。

一つの場所から始まった物語は、新たに房総と高尾山にも舞台を広げていく。僕らの人生も一緒ですかね、両親、家族、幼稚園、小学校、、と出会ってく人たちが広がって、旅行なんかもして、それぞれが違うとこに住みだしたりして、同じ日本地図もそれぞれの目からは違って見えていて。同じ場所のことを違う視点で見させてもらえることは、新鮮ですね。そして舞台の変化よりもおもしろいのはやっぱ人の変化だなと思います。

ようやく7巻まで来ました。。^^;これまでに読んだ一番長かったのはきっと三国志とか坂の上の雲あたりだろうけど、それならもう終わりに近づいてる巻だってのにまだまだ新しく舞台は信州にも飛び火していく。読みながら旅行しているような気分にさせてもらえるのはいいですね。なんだろう、会話の調子がいいのかな、こういうとこへ配慮してそれぞれの登場人物が話すであろう言葉を丁寧に齟齬の内容に積み重ねていくって簡単なことじゃないだろうに、それをこの量でできてしまうのは本当にすごい、の一言です。

国立に住んでいた山口瞳さんの旅日記的な一冊。自然、国立や青梅の話も多く、親しみを持ちながら読むことができました。 「鰻は脳溢血で死んだんでしょう。鰻は全身アブラですからね。どうしても血管に悪く作用する。」そんななんでもない酔っぱらったような会話が溢れてて、旅行にお酒は欠かせない、という人は楽しく読めると思います。あぁ、どこかでお会いしてみたかった。

今年の年始に高幡不動に初詣に行った際にご挨拶してきた多摩の喧嘩師、土方さんの生涯を描いた作品ということで、読んでみました。女の人から見たらどう見えるかはわからないけど、男ばっかりでつるんできた自分から見るとすごく共感する部分の多い作品ではありました。セリフもいちいちかっこいいな~と思いました。
偶然にも運命にも出会えた、やりたいことをやれる仲間と、共に時代を生きていく。そんな人生を自分も多摩で、歩いていけたらいいなと思わせてもらえる一冊でした。

あんまりミステリーって読まなかったんですが、国分寺の恋ヶ窪が舞台の作品ということで読んでみました。読み進めながら「なるほどなぁ」と思うコトも多かったんですが、だんだん慣れてくるというか、、型ができてしまっているなぁと感じました。条件設定や人物配置なんかが計算され尽くしていて、逆に裏をかかれないというか、想像の範囲は超えないというか。。
文章のテンポはとても良くて、読みやすいのは間違いなかったです。何度も何度も著者は自分で読み返しながら一冊を作っていったのはよく伝わってきました。

国分寺が舞台の本だったので、読んでみました。おもしろいか、と言われると正直普通の文学作品という感じでしたが、自分の住んでる場所の話はおもしろく読めますね。親近感もあるし、すれ違う人の中に登場人物みたいな人がいると、「もしかして」なんて思ったりして。
土地柄もあるのか、確かにこんな人いそうだなとか思ったりもしました。僕が今見ている景色、歩いている道をかつては作者も歩いたかもしれない。そんなことを考えながら、あえて昔の雰囲気を残す建物に出かけて読んだりすると風情もあってとてもいい時間が過ごせることと思います。^^

企業という組織の中での民主主義と、世間一般で考えられている民主主義は全然別物で、普通に考えたらおかしいと思うことであっても、塀の中に入ればその塀の中の民主主義に従うのが賢い生き方なんだと頭ではわかっていながら、そういう生き方に矛盾を感じている人たちにはぜひ読んで欲しい一冊。
なんだか、大きい組織になればなるほど細胞の一部というか歯車の一部というか、1人ひとりが頭を持つんではなくてトップ(いやもはや人間ではなく大企業という名の恐竜かも)の頭を全員が体の一部となって実現するような企業体質をまざまざと見せつけられる一冊でした。こんな矛盾を抱えながら生きている人は僕も含め多いだろうなと思いましたね。
そして、ソーシャルにシフトしだしてHERO = Highly Empowered and Resourceful Operatives「大きな力を与えられ、臨機応変に行動できる社員」が注目されてきている今、企業はそして僕たちはどう変わっていくべきなのかを考える一冊にもなり得る力を持った本だと思いました。







東京市町村自治調査会
発売日:1989-10

不動産の売買について

売る場合

  • 僕の経験から行くと、U楽、M井、Pリンセスは高く査定して専任媒介契約を取ることを目的にしている気がしました。結局お願いしたものの反響が低く、価格をどんどん下げざるを得なく、売れる時期を先延ばししただけになってしまいました。
  • 結局S友林業にお願いしたところ、スピード感がとても早く対応していただけ、値引きも最小限で売却まで至ることができ、とても好感を持っています。

システムのマネジメント

バックアップについて

  • オンラインバックアップか、オフラインバックアップか。
  • オンラインバックアップの場合、データベースのコミットされたデータだけならできそうだけど、負荷との兼ね合いで考える必要があるかな。。バックアップ領域にどうオンラインで渡すか。変更されていた場合の挙動とリストアのやり方。

2011年8月15日月曜日

本「東京科学散歩」【11年32冊目】

<本の紹介>
巷では、いま散歩がブーム。東京も、改めて見ると新旧名所から名もない路地まで見所はたくさんあります。でも、ぶらぶらと街を歩きながら、ふと疑問を感じることはないでしょうか?最近、桜の花の色が白くなってきたのはなぜか?パワースポットといわれる神社の「パワーの源」は何か?東京スカイツリーは、大きな地震がきても大丈夫なのか?そうした疑問に竹内薫が答えます!身近な風景から入る科学入門。ちょっと知的で面白い、一味違う東京散歩のはじまりです。

<メモ>

  • 東京の桜が白くなってきている大きな要因がある。それは、「寿命」。人間や動物は、歳を取ってくると、白髪が増えてくることが多い。これは、色素のメラニンの生成が、歳をとるごとに減ってくるからである。ということは、桜にも同じことが考えられるのではないだろうか?ソメイヨシノの寿命は、60年とも70年ともいわれている。中には、100年を超える物もあり一概には言えないが、明治以降に植えられたソメイヨシノは、すでにその寿命に達している。ということは、加齢によって樹の勢いが弱くなっているのではないだろうか?
  • 日本全土を覆っているソメイヨシノだが、大変な問題を抱えている。それは、この桜が一本のソメイヨシノから始まった「クローン」だということ。みんな同じDNAを持っているのだ。言い換えると、日本全土のソメイヨシノは、自然に増えることがない。完全に人間がコントロールしている状態なのだ。ソメイヨシノがクローンであるため、なんらかの病気が流行ると、一気に全滅する恐れがある。また、自然に増えないから、ちゃんと新しい桜を植え続けないと、一気に寿命がきて、日本の桜のほとんどが消滅する恐れもある。ソメイヨシノは、よくもわるくも鑑賞用の桜なのです。
  • 「築地」という地名は、そもそも、「埋め立て地」という意味なんですが、その名のとおり、この場所は、江戸時代に造られた、人口の埋め立て地なんです。なぜ、この場所が埋め立てられたのかといいますと、1657年の明暦の大火の時に浅草の本願寺が燃えてしまったため、その移転先として選ばれ、今の築地が創られたのです。新しい場所で再興した本願寺。しかし、関東大震災が、またも、本願寺を襲います。これによって崩壊してしまった本願寺は、昭和9年、現在のようなインド様式の石造りの寺院として生まれ変わりました。
  • お台場海浜公園の砂浜だが、お台場そのものが埋め立て地だから、もちろんこの海岸も人工的に造られたものだ。この白い砂、実は、伊豆七島のひとつである、神津島の多幸湾から運ばれてきているものなのである。
  • 由緒ある街、国分寺の駅前で、その歴史の一部を体感することができます。それは、駅の南口にある、東京都立殿ヶ谷戸庭園。庭園の名前は、昔この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来します。「回遊式林泉庭園」と呼ばれるこの庭園は、崖と谷が多い、武蔵野の自然の地形をうまく利用して作られています。崖の上に明るい芝生の庭園と、崖下の池を中心とした壮麗な庭園というように、まったく異なった雰囲気を楽しめる、独特の作りになっています。
  • お鷹の道を、上流に向かって歩いていくと、朱塗りの鳥居が見えてきます。ここを入っていくと現れるのが「真姿の池」。真姿の池の名の由来は、その昔、不治の病に苦しんだ玉造小町という女性が、国分寺を21回お参りしたところ、1人の童子が現れ、玉造小町をこの池に案内し、池の水で身を清めるようにと言って姿を消したのでそのとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った、という伝説から来ているそうです。
  • 目黒不動、目白不動に続き、「目赤不動」。これは、文京区本駒込にある、「南谷寺」というお寺。元々は、その成り立ちから「赤目不動」と呼ばれていたんですが、ここで、目白の名付け親、徳川家光がまたまた登場。鷹狩りの時に立ち寄ったついでに、「目黒不動、目白不動にちなんで、目赤不動と呼ぶように!」との命が下り、改名することになったそうです。次の色は青、「目青不動」です。こちらは、若者に人気の街、世田谷区の三軒茶屋にある、「最勝寺(教学院)」という天台宗のお寺です。三茶のランドマーク、キャロットタワーのすぐ裏手にひっそりと佇む経学院には、元々、現在の六本木にあったお不動様が安置されています。次は「目黄不動」なんですが、これが1ヶ所ではないんです。まず江戸川区平井、荒川のすぐ近くにある住宅街の中にある、「最勝寺」。もうひとつは台東区三ノ輪にある、「永久寺」この2つの寺が、現在、「目黄不動」として有名です。
  • 現在サファリパークなどで当たり前となった、ライオンバスを、世界で初めて導入したのが、ここ、多摩動物公園なんです。
  • 高幡不動の正式な名前は、高幡山明王院金剛寺です。千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の雨降山大山寺とともに「関東三大不動」として親しまれています。
  • いろんな色があるあじさいだが、これは、土の成分が原因となっていることが多い。一般的には酸性の時は青系の色に、そして中性からアルカリ性の時はピンク系になることがわかっている。ただ土壌だけが要因なのではなく、あじさい自体に含まれる助色素と呼ばれる遺伝的な要素も色に影響している。ちなみに毒があるので、お腹がすいたからって食べちゃダメだぞ。
  • 気象特異日というものがある。気象特異日とは、一年のうち、ある特定の日に、その前後と比べて、偶然とは思えないほど多く、ある特定の気象現象が現れる傾向が強い日のことをいう。例えば、1/16や3/14、6/1などは晴れの特異日、反対に、3/30、6/28は雨の特異日。
  • スギ林の面積は、全国の森林の20%弱。日本の国土でいうと、なんと12%がスギ林なのだ。なんでこんなにスギ林が多いのか?その理由は、第二次大戦中にまで遡る。戦時中の日本では、武器や道具を作るため、たくさんの樹木が伐採され、いたる所、禿げ山だらけになってしまった。そのせいで、大雨や台風が来るたびに、山崩れや洪水などの被害が起こるようになったため、対応策として、成長の早いスギの木が大量に植林されることになったのだ。スギは、樹齢30年ぐらいから花粉の量が増えてくるとされていて、70年代に入ると、花粉がどんどん飛ぶようになった。
  • 月の大きさを確かめるとき、よく例に出されるのが、五円玉。五円玉を両手で持って、いっぱいに腕を伸ばしたとき、満月がその五円玉の真ん中の穴にすっぽり入ってしまうぐらいの大きさなんだ。これは、地平線近くにあるときも、空高くに上った時でも同じ。ということは、地平線近くで月が大きく見えるのは、目の錯覚なんだな。この月の大きさが、場所によって違って見える現象は「月の錯視」といって、なんと、2000年以上も昔から、議論が続いている現象なんだ。
  • 東京メトロ銀座線新橋駅の虎ノ門寄りの改札口近く。8番出口に向かう通路に、その謎の駅への入り口はある。「関係者以外立ち入り禁止」という扉を開くと、そこには、とても狭いが、ちゃんとホームと線路がある。壁には、横書きで、右から「新橋」の文字が。実はここは、1939年に、たった8ヶ月だけ使われた、東京高速鉄道の新橋駅なのだ。
  • 都営地下鉄三田線の春日駅近くにある、「春日自転車駐車場」では、ルイガノやビアンキといった、オシャレなヨーロッパの自転車をはじめ、なんと、電動アシスト付きの自転車まで借りられます。しかも、1日で500円という安さ。

本「大東京ぐるぐる自転車」【11年28冊目】

著者 : 伊藤礼
東海教育研究所
発売日 : 2011-04-01
<本の紹介>
喜寿でもハシル自転車。マウンテンバイク、折りたたみ自転車、買い物自転車、7台の自転車総動員。「銀輪の翁」伊藤礼老の大東京巡察記。世相、民情、歴史に目を光らせて今日もハシル痛快・極上のユーモア自転車エッセイ。

<メモ>

  • 自転車は自由気ままに細い道、一方通行路、階段、山道、砂浜、どこへでも進み、止まることができる。家の中に持ち込むことさえできる。そこが図体の大きい自転車と違う。二本の足で歩いている人より速く移動できるし、荷物も運んでくれる。
  • 映画「大脱走」でスティーブン・マックイーンはオートバイで逃げる。ジェイムズ・コバーンは自転車で逃げる。逃げおおせたのはコバーンである。そんなことも自転車の優位性を思わせる。
  • 後楽園の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という精神。
  • 植物園は広大だった。小石川後楽園の場合もそうだったが、こういう広大な施設では中心部に向かって歩を進める最初に、一瞬であるが、右に行くべきか左に行くべきか心に迷いが生じる。そのときわれわれは気づくのである。その迷いに対応するかのごとくたいてい「順路」と書いた札が立っているのである。だが、わたくしは順路という札を好まない。いんちき宗教のように、こちらの心の迷いにつけこんでくるからである。親切顔をしているからである。親切顔をしながら指図しているからである。信用せよと言わんばかりの顔つきをしているからである。皆さんはたいていこの指示に従っていますよ、と言わんばかりの顔をしているからである。相手が考えるべきことにまで踏み込んでいるからである。
  • つじつまを合わせるというのが人生の目的ではないのである。サイクリングにだって、なにか人間の精神を高揚させるような要素があってもいい。ここが問題なのだ。
  • 町田市を含む昔の南多摩郡という地域は、明治政府の初期、強烈な自由民権運動があった場所だった。ここを訪れることはそのまま明治時代のこの地の青年たちの精神性に触れることになる。その青年たちの中には「楚囚之詩」の北村透谷もふくまれる。北村透谷は強烈な精神性の持ち主で、ついに耐えきれず25歳で命を絶ったぐらいだ。なんということだ。
  • 当地は、鶴見川の最源流部・町田市上小山田田中谷戸に位置し、一日約1300トンの地下水を湧出する「鶴見川源流の泉」です。この安定した清流は、源流の生き物たちの賑わいを支え、水田の用水としても大切に利用されつつ、中、下流の街にむけて、多摩丘陵をかけおります。
  • 二百、三百と数えながらこいでいるうちに、ぼーっとなって、いくつまで数えたか分からなくなり、また一から数え始める。それを繰り返しているうちに頭が完全に空っぽになる。これをかれは「馬鹿になることによる神化」と言っている。このあたりの理屈は精密である。