2011年8月16日火曜日

多摩の本

ジブリの宮崎さんのロングインタビュー。インタビュアーはROCK IN JAPANの渋谷さん。そんな僕にとっての夢の組み合わせでナウシカ、紅の豚、トトロ、もののけ姫、千と千尋を語り尽くした一冊。数ページで収まる雑誌のインタビューなんかと違って、深くて濃い~ところまでいってます。そして渋谷さんらしくわかりにくい例えとか強引な話の持っていき方をひょうひょうとかわす宮崎さん、字面だけを追えばかみ合ってないなと思うところもあったけど、2人は楽しんでたろうなと思えたインタビューを読ませてもらいました。自分だけで語ってたら表現しきれないことをインタビュー形式であれば表現できる、そういうことってあるなぁっていう点でも参考になった一冊でした。ジブリ作品をもっかい見返したくなりました。

先日青梅にあるバカボンのパパ、赤塚不二夫の記念館に寄った際に買ってきた一冊。バカボンやおそ松くんを地で行く生涯は記念館の中でもいろんな写真で見せてもらってたけど、いろんなエピソードがおもしろおかしく書いてあって、特に母親への尊敬とか関係については、作品の中でも確かにそうかもなぁと思うところがありました。この本もいいけど、記念館も併せて楽しむともっと楽しめると思う一冊です。

紅虎餃子房や万豚記なんかの際コーポレーションは、福生から始まっていた。ということで興味を持って読んでみた一冊。代表の中島さんのビジネス哲学なんてものはほとんど書かれておらず(あるんだろうけど)、行き当たりばったり体でぶつかってなんとかしていくエピソード満載で好感を持ちました。今度福生に行ったときにはぜひ元祖・韮菜万頭に寄ってみたいと思います。

ついに読みだした、世界最長の大河小説。もともとはジブリの鈴木プロデューサーの本に、彼のおもしろかった作品として紹介されていて興味を持ったんですが、最近よく行く青梅近辺が舞台になっていることもあって楽しく読めました。なんか主人公が主人公らしくないというか、変わってますね。これからどんな風に物語が進んでいくのか、楽しみです。そして僕に読み切れるかどうかも。

続いて2巻。っといきなり目が。。剣士の話なのに、それでいいの?っていう展開に俄然興味を注がれました。文章は読みやすくて、登場人物それぞれに特徴がある分覚えやすくて、たくさんの人に読まれてきたのがよくわかりますね。そして青梅から伊勢の方へ、そして東海道へ、次々に話の舞台が変わっていくことでもなんだか日本中を旅行してるような気分にもなったりします。
長いことを活かした書き方というか、こんな小説もあったんだって思いました。

この巻は主人公の話はほとんど出てこなく、草の根の庶民の話、特に女子供の暮らしを中心とした前半と、殿さまの話の後半。庶民の悩みの種はなんだかんだでお金であって、助けられるのは人のつながりであることも多いことなんかは、今と変わらないなぁと感じました。なんとなくですが、著者の中里介山自体にも今後の展開は全てはわかっておらず、日々の生活の中で得たヒントを作品に織り込んでいくのを楽しみながら書いていたんじゃないかな、とか感じて読んでました。

青梅から江戸、伊勢から東海道と舞台を変えてきた物語の登場人物が、はからずも同時に甲府に集まり、新たな交流は意外なところでその登場人物をつなげていく。メンツ争いに執心するダメ支配ってのはこういう平和な時代だから出てきたのかなとか、資産家ってのはいつの時代も悪巧みに巻き込まれるもんかなとか、今に通じるというか、僕はこの物語を通して今を読んでるようにも思えてきました。

舞台は甲府から江戸に戻る。読みながら、「ペンは剣よりも強し」というか、僕はこの著者が本当は声を大にして言いたい(そして庶民はみんな共感してくれるだろう)ことを、物語の場面として描いているなと思いました。それがこの作品が多くの人たちに支持された理由なんだろう、と。偉大な人だ、と思って、中里介山のお墓が羽村にあることを知って、墓参りに行ったのもこの頃でした。

一つの場所から始まった物語は、新たに房総と高尾山にも舞台を広げていく。僕らの人生も一緒ですかね、両親、家族、幼稚園、小学校、、と出会ってく人たちが広がって、旅行なんかもして、それぞれが違うとこに住みだしたりして、同じ日本地図もそれぞれの目からは違って見えていて。同じ場所のことを違う視点で見させてもらえることは、新鮮ですね。そして舞台の変化よりもおもしろいのはやっぱ人の変化だなと思います。

ようやく7巻まで来ました。。^^;これまでに読んだ一番長かったのはきっと三国志とか坂の上の雲あたりだろうけど、それならもう終わりに近づいてる巻だってのにまだまだ新しく舞台は信州にも飛び火していく。読みながら旅行しているような気分にさせてもらえるのはいいですね。なんだろう、会話の調子がいいのかな、こういうとこへ配慮してそれぞれの登場人物が話すであろう言葉を丁寧に齟齬の内容に積み重ねていくって簡単なことじゃないだろうに、それをこの量でできてしまうのは本当にすごい、の一言です。

国立に住んでいた山口瞳さんの旅日記的な一冊。自然、国立や青梅の話も多く、親しみを持ちながら読むことができました。 「鰻は脳溢血で死んだんでしょう。鰻は全身アブラですからね。どうしても血管に悪く作用する。」そんななんでもない酔っぱらったような会話が溢れてて、旅行にお酒は欠かせない、という人は楽しく読めると思います。あぁ、どこかでお会いしてみたかった。

今年の年始に高幡不動に初詣に行った際にご挨拶してきた多摩の喧嘩師、土方さんの生涯を描いた作品ということで、読んでみました。女の人から見たらどう見えるかはわからないけど、男ばっかりでつるんできた自分から見るとすごく共感する部分の多い作品ではありました。セリフもいちいちかっこいいな~と思いました。
偶然にも運命にも出会えた、やりたいことをやれる仲間と、共に時代を生きていく。そんな人生を自分も多摩で、歩いていけたらいいなと思わせてもらえる一冊でした。

あんまりミステリーって読まなかったんですが、国分寺の恋ヶ窪が舞台の作品ということで読んでみました。読み進めながら「なるほどなぁ」と思うコトも多かったんですが、だんだん慣れてくるというか、、型ができてしまっているなぁと感じました。条件設定や人物配置なんかが計算され尽くしていて、逆に裏をかかれないというか、想像の範囲は超えないというか。。
文章のテンポはとても良くて、読みやすいのは間違いなかったです。何度も何度も著者は自分で読み返しながら一冊を作っていったのはよく伝わってきました。

国分寺が舞台の本だったので、読んでみました。おもしろいか、と言われると正直普通の文学作品という感じでしたが、自分の住んでる場所の話はおもしろく読めますね。親近感もあるし、すれ違う人の中に登場人物みたいな人がいると、「もしかして」なんて思ったりして。
土地柄もあるのか、確かにこんな人いそうだなとか思ったりもしました。僕が今見ている景色、歩いている道をかつては作者も歩いたかもしれない。そんなことを考えながら、あえて昔の雰囲気を残す建物に出かけて読んだりすると風情もあってとてもいい時間が過ごせることと思います。^^

企業という組織の中での民主主義と、世間一般で考えられている民主主義は全然別物で、普通に考えたらおかしいと思うことであっても、塀の中に入ればその塀の中の民主主義に従うのが賢い生き方なんだと頭ではわかっていながら、そういう生き方に矛盾を感じている人たちにはぜひ読んで欲しい一冊。
なんだか、大きい組織になればなるほど細胞の一部というか歯車の一部というか、1人ひとりが頭を持つんではなくてトップ(いやもはや人間ではなく大企業という名の恐竜かも)の頭を全員が体の一部となって実現するような企業体質をまざまざと見せつけられる一冊でした。こんな矛盾を抱えながら生きている人は僕も含め多いだろうなと思いましたね。
そして、ソーシャルにシフトしだしてHERO = Highly Empowered and Resourceful Operatives「大きな力を与えられ、臨機応変に行動できる社員」が注目されてきている今、企業はそして僕たちはどう変わっていくべきなのかを考える一冊にもなり得る力を持った本だと思いました。







東京市町村自治調査会
発売日:1989-10

不動産の売買について

売る場合

  • 僕の経験から行くと、U楽、M井、Pリンセスは高く査定して専任媒介契約を取ることを目的にしている気がしました。結局お願いしたものの反響が低く、価格をどんどん下げざるを得なく、売れる時期を先延ばししただけになってしまいました。
  • 結局S友林業にお願いしたところ、スピード感がとても早く対応していただけ、値引きも最小限で売却まで至ることができ、とても好感を持っています。

システムのマネジメント

バックアップについて

  • オンラインバックアップか、オフラインバックアップか。
  • オンラインバックアップの場合、データベースのコミットされたデータだけならできそうだけど、負荷との兼ね合いで考える必要があるかな。。バックアップ領域にどうオンラインで渡すか。変更されていた場合の挙動とリストアのやり方。

2011年8月15日月曜日

本「東京科学散歩」【11年32冊目】

<本の紹介>
巷では、いま散歩がブーム。東京も、改めて見ると新旧名所から名もない路地まで見所はたくさんあります。でも、ぶらぶらと街を歩きながら、ふと疑問を感じることはないでしょうか?最近、桜の花の色が白くなってきたのはなぜか?パワースポットといわれる神社の「パワーの源」は何か?東京スカイツリーは、大きな地震がきても大丈夫なのか?そうした疑問に竹内薫が答えます!身近な風景から入る科学入門。ちょっと知的で面白い、一味違う東京散歩のはじまりです。

<メモ>

  • 東京の桜が白くなってきている大きな要因がある。それは、「寿命」。人間や動物は、歳を取ってくると、白髪が増えてくることが多い。これは、色素のメラニンの生成が、歳をとるごとに減ってくるからである。ということは、桜にも同じことが考えられるのではないだろうか?ソメイヨシノの寿命は、60年とも70年ともいわれている。中には、100年を超える物もあり一概には言えないが、明治以降に植えられたソメイヨシノは、すでにその寿命に達している。ということは、加齢によって樹の勢いが弱くなっているのではないだろうか?
  • 日本全土を覆っているソメイヨシノだが、大変な問題を抱えている。それは、この桜が一本のソメイヨシノから始まった「クローン」だということ。みんな同じDNAを持っているのだ。言い換えると、日本全土のソメイヨシノは、自然に増えることがない。完全に人間がコントロールしている状態なのだ。ソメイヨシノがクローンであるため、なんらかの病気が流行ると、一気に全滅する恐れがある。また、自然に増えないから、ちゃんと新しい桜を植え続けないと、一気に寿命がきて、日本の桜のほとんどが消滅する恐れもある。ソメイヨシノは、よくもわるくも鑑賞用の桜なのです。
  • 「築地」という地名は、そもそも、「埋め立て地」という意味なんですが、その名のとおり、この場所は、江戸時代に造られた、人口の埋め立て地なんです。なぜ、この場所が埋め立てられたのかといいますと、1657年の明暦の大火の時に浅草の本願寺が燃えてしまったため、その移転先として選ばれ、今の築地が創られたのです。新しい場所で再興した本願寺。しかし、関東大震災が、またも、本願寺を襲います。これによって崩壊してしまった本願寺は、昭和9年、現在のようなインド様式の石造りの寺院として生まれ変わりました。
  • お台場海浜公園の砂浜だが、お台場そのものが埋め立て地だから、もちろんこの海岸も人工的に造られたものだ。この白い砂、実は、伊豆七島のひとつである、神津島の多幸湾から運ばれてきているものなのである。
  • 由緒ある街、国分寺の駅前で、その歴史の一部を体感することができます。それは、駅の南口にある、東京都立殿ヶ谷戸庭園。庭園の名前は、昔この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来します。「回遊式林泉庭園」と呼ばれるこの庭園は、崖と谷が多い、武蔵野の自然の地形をうまく利用して作られています。崖の上に明るい芝生の庭園と、崖下の池を中心とした壮麗な庭園というように、まったく異なった雰囲気を楽しめる、独特の作りになっています。
  • お鷹の道を、上流に向かって歩いていくと、朱塗りの鳥居が見えてきます。ここを入っていくと現れるのが「真姿の池」。真姿の池の名の由来は、その昔、不治の病に苦しんだ玉造小町という女性が、国分寺を21回お参りしたところ、1人の童子が現れ、玉造小町をこの池に案内し、池の水で身を清めるようにと言って姿を消したのでそのとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った、という伝説から来ているそうです。
  • 目黒不動、目白不動に続き、「目赤不動」。これは、文京区本駒込にある、「南谷寺」というお寺。元々は、その成り立ちから「赤目不動」と呼ばれていたんですが、ここで、目白の名付け親、徳川家光がまたまた登場。鷹狩りの時に立ち寄ったついでに、「目黒不動、目白不動にちなんで、目赤不動と呼ぶように!」との命が下り、改名することになったそうです。次の色は青、「目青不動」です。こちらは、若者に人気の街、世田谷区の三軒茶屋にある、「最勝寺(教学院)」という天台宗のお寺です。三茶のランドマーク、キャロットタワーのすぐ裏手にひっそりと佇む経学院には、元々、現在の六本木にあったお不動様が安置されています。次は「目黄不動」なんですが、これが1ヶ所ではないんです。まず江戸川区平井、荒川のすぐ近くにある住宅街の中にある、「最勝寺」。もうひとつは台東区三ノ輪にある、「永久寺」この2つの寺が、現在、「目黄不動」として有名です。
  • 現在サファリパークなどで当たり前となった、ライオンバスを、世界で初めて導入したのが、ここ、多摩動物公園なんです。
  • 高幡不動の正式な名前は、高幡山明王院金剛寺です。千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の雨降山大山寺とともに「関東三大不動」として親しまれています。
  • いろんな色があるあじさいだが、これは、土の成分が原因となっていることが多い。一般的には酸性の時は青系の色に、そして中性からアルカリ性の時はピンク系になることがわかっている。ただ土壌だけが要因なのではなく、あじさい自体に含まれる助色素と呼ばれる遺伝的な要素も色に影響している。ちなみに毒があるので、お腹がすいたからって食べちゃダメだぞ。
  • 気象特異日というものがある。気象特異日とは、一年のうち、ある特定の日に、その前後と比べて、偶然とは思えないほど多く、ある特定の気象現象が現れる傾向が強い日のことをいう。例えば、1/16や3/14、6/1などは晴れの特異日、反対に、3/30、6/28は雨の特異日。
  • スギ林の面積は、全国の森林の20%弱。日本の国土でいうと、なんと12%がスギ林なのだ。なんでこんなにスギ林が多いのか?その理由は、第二次大戦中にまで遡る。戦時中の日本では、武器や道具を作るため、たくさんの樹木が伐採され、いたる所、禿げ山だらけになってしまった。そのせいで、大雨や台風が来るたびに、山崩れや洪水などの被害が起こるようになったため、対応策として、成長の早いスギの木が大量に植林されることになったのだ。スギは、樹齢30年ぐらいから花粉の量が増えてくるとされていて、70年代に入ると、花粉がどんどん飛ぶようになった。
  • 月の大きさを確かめるとき、よく例に出されるのが、五円玉。五円玉を両手で持って、いっぱいに腕を伸ばしたとき、満月がその五円玉の真ん中の穴にすっぽり入ってしまうぐらいの大きさなんだ。これは、地平線近くにあるときも、空高くに上った時でも同じ。ということは、地平線近くで月が大きく見えるのは、目の錯覚なんだな。この月の大きさが、場所によって違って見える現象は「月の錯視」といって、なんと、2000年以上も昔から、議論が続いている現象なんだ。
  • 東京メトロ銀座線新橋駅の虎ノ門寄りの改札口近く。8番出口に向かう通路に、その謎の駅への入り口はある。「関係者以外立ち入り禁止」という扉を開くと、そこには、とても狭いが、ちゃんとホームと線路がある。壁には、横書きで、右から「新橋」の文字が。実はここは、1939年に、たった8ヶ月だけ使われた、東京高速鉄道の新橋駅なのだ。
  • 都営地下鉄三田線の春日駅近くにある、「春日自転車駐車場」では、ルイガノやビアンキといった、オシャレなヨーロッパの自転車をはじめ、なんと、電動アシスト付きの自転車まで借りられます。しかも、1日で500円という安さ。

本「大東京ぐるぐる自転車」【11年28冊目】

著者 : 伊藤礼
東海教育研究所
発売日 : 2011-04-01
<本の紹介>
喜寿でもハシル自転車。マウンテンバイク、折りたたみ自転車、買い物自転車、7台の自転車総動員。「銀輪の翁」伊藤礼老の大東京巡察記。世相、民情、歴史に目を光らせて今日もハシル痛快・極上のユーモア自転車エッセイ。

<メモ>

  • 自転車は自由気ままに細い道、一方通行路、階段、山道、砂浜、どこへでも進み、止まることができる。家の中に持ち込むことさえできる。そこが図体の大きい自転車と違う。二本の足で歩いている人より速く移動できるし、荷物も運んでくれる。
  • 映画「大脱走」でスティーブン・マックイーンはオートバイで逃げる。ジェイムズ・コバーンは自転車で逃げる。逃げおおせたのはコバーンである。そんなことも自転車の優位性を思わせる。
  • 後楽園の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という精神。
  • 植物園は広大だった。小石川後楽園の場合もそうだったが、こういう広大な施設では中心部に向かって歩を進める最初に、一瞬であるが、右に行くべきか左に行くべきか心に迷いが生じる。そのときわれわれは気づくのである。その迷いに対応するかのごとくたいてい「順路」と書いた札が立っているのである。だが、わたくしは順路という札を好まない。いんちき宗教のように、こちらの心の迷いにつけこんでくるからである。親切顔をしているからである。親切顔をしながら指図しているからである。信用せよと言わんばかりの顔つきをしているからである。皆さんはたいていこの指示に従っていますよ、と言わんばかりの顔をしているからである。相手が考えるべきことにまで踏み込んでいるからである。
  • つじつまを合わせるというのが人生の目的ではないのである。サイクリングにだって、なにか人間の精神を高揚させるような要素があってもいい。ここが問題なのだ。
  • 町田市を含む昔の南多摩郡という地域は、明治政府の初期、強烈な自由民権運動があった場所だった。ここを訪れることはそのまま明治時代のこの地の青年たちの精神性に触れることになる。その青年たちの中には「楚囚之詩」の北村透谷もふくまれる。北村透谷は強烈な精神性の持ち主で、ついに耐えきれず25歳で命を絶ったぐらいだ。なんということだ。
  • 当地は、鶴見川の最源流部・町田市上小山田田中谷戸に位置し、一日約1300トンの地下水を湧出する「鶴見川源流の泉」です。この安定した清流は、源流の生き物たちの賑わいを支え、水田の用水としても大切に利用されつつ、中、下流の街にむけて、多摩丘陵をかけおります。
  • 二百、三百と数えながらこいでいるうちに、ぼーっとなって、いくつまで数えたか分からなくなり、また一から数え始める。それを繰り返しているうちに頭が完全に空っぽになる。これをかれは「馬鹿になることによる神化」と言っている。このあたりの理屈は精密である。

本「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」【11年31冊目】

<本の紹介>
多摩に鉄道が誕生して既に110年。高尾駅の国産最古のレールや、幻の国鉄スワローズ球場専用の武蔵野競技場線等、多摩には鉄道遺跡が多い。廃線跡、橋梁や煉瓦構造物、古レール、ユニークな駅舎等を紹介。

<メモ>

  • 水道局砂利運搬「軽便鉄道」跡。狭山湖堤にある"何か"を利用した不思議な滑り台。
  • 武蔵野市北部の武蔵野市役所の近くに「グリーンパーク」という名の商店街がある。住居表示にも緑町があり、このあたりを歩くと「グリーン」や「みどり」といった文字が氾濫しているのに気がつく。しかし、現在、どこを探しても「グリーンパーク」という名の公園や施設を見つけることはできない。実は、戦後の一時期、この地にプロ野球の公式戦を行う本格的な野球場があった。その名を「グリーンパーク球場」といった。そして、その観客輸送のための鉄道まで存在し、武蔵野競技場前という駅があったのである。この鉄道の始発駅、三鷹駅から武蔵野競技場前駅に至る線路敷後は、大半が遊歩道として整備されて残っており、現在でもその後をほぼ完全にたどることができる。
  • グリーンパーク緑道の畑と緑道との境に立てられているコンクリート製の境界標柱には、国鉄を示す「工」のマークが刻まれていて、この道が鉄道の跡であることを物語っている。
  • 米軍住宅の跡地が現在の都立武蔵野中央公園である。
  • 下河原線の廃線跡がはっきり残っているのは、国道20号(甲州街道)以南である。下河原緑道という名の遊歩道として美しく整備され、線路跡を完全にたどることができる。スポットパーク下河原線。番場片町北裏通りとの交差部にはレールが埋め込まれている。
  • 五日市鉄道が武蔵岩井まで開通すると、勝峯山の石灰石は同鉄道により搬出され、浅野セメントの川崎工場へと送られた。拝島から先は、青梅鉄道(現・JR青梅線)、国鉄中央本線、山手線、東海道線を経由するというルートであった。しかし、1929(昭和4)年12月11日の南部鉄道(現・南部線)全通により、立川から同鉄道経由で直接川崎へ輸送することが可能となった。南部鉄道は、砂利輸送を目的としてスタートした鉄道であったが、後には五日市鉄道同様、浅野セメントの傘下に入った。
  • 御陵線の南浅川に架かっていた鉄橋の橋台や橋脚は、すべて撤去されてしまい、何も残っていないが、がっかりするのは早い。横山橋を渡り、北岸を上流方向へ川沿いにすすむと、右側に遠藤工務店という看板を掲げた家がある。ちょうどその前が御陵線の渡河地点にあたるところだが、その遠藤工務店の裏の、普通の庭先に1本、隣家との境にもう1本、高さ5mほどのコンクリート製橋脚が立っているのだ。これほど完全な姿で残っているものは他にはなく、御陵線最大の遺構といってよいだろう。
  • 奥多摩駅から、日原鍾乳洞や本仁田山、川苔山などへハイキングに向かう人々が不思議に思うのが、日原川に架かる巨大なコンクリートアーチ橋である。道路とは無関係なところにあり、鉄道橋のように見えるが、橋の上には雑草が生い茂り、使われている様子はない。その正体は、JRの奥多摩駅と小河内ダム直下の水根積卸場を結ぶ、全長6.7kmの奥多摩工業専用鉄道の橋梁なのである。
  • 小金井公園にある「江戸東京たてもの園」のビジターセンター(旧武蔵野郷土館)は、紀元2600年記念式典の会場として皇居前広場につくられた建物を移築したものである。
  • メルヘンの世界だった終点の「ユネスコ村」はすでに無く、駅跡地には、UFOのような遊技施設が鎮座していて、駅であったことをしのばせるものは何も残っていない。幸いなことに、台湾からきた527号機関車と井笠鉄道からきたダブルルーフ客車4両だけは、西武遊園地内で、「レストランぽっぽ」として再利用されており、現在もみることができる。
  • 高尾駅下り線の煉瓦アーチ橋。南浅川から取水した用水路に架かる。
  • 高尾駅の駅舎は社寺風建築で、駅舎正面の屋根の張り出した部分は車寄せであった。
  • 国立は、ドイツの学園都市ゲッチンゲンをモデルにした。国立とは、国分寺と立川の中間であることから、双方の1字ずつをとったものと考えられているが、単にそれだけではなく、自称名付け親の堤康次郎によれば、「新しい日本という国が、ここから生まれるという意気込みで名をつけた」ということである。

本「道の先まで行ってやれ!―自転車で、飲んで笑って、涙する旅」【11年30冊目】

<本の紹介>
踏み出せば、空気が変わる。世界が広がる。
世界87ヵ国を走った『行かずに死ねるか!』の著者が、3年半ぶりに、今度は日本各地のチャリンコ旅へ。クマに怯え、いい感じのお姉さんと踊り、行き当たりばったりで入った店で店主と飲みあかす──。出会いに満ちたロードムービーがてんこもり!

<メモ>

  • いちめんに黒い海が広がり、そのすぐ上に、赤い月が浮かんでいる。黒い幕にナイフをすっと走らせたような、細い、赤い月だ。窓をあけた瞬間にそれが目に飛び込んできたので、なんだかひどく劇的な感じがした。静かな波音が、ずっと下のほうから聞こえてきた。
  • どうも、あらかじめ決めて行った店をまわるような旅だと、人との出会いが極端に減るような気がする。たまたまだったのかもしれないが、結果として、そうなった。
  • 照葉樹林が広がる地域は世界でも限られ、その地域には共通した生活習慣―焼畑、絹、漆、味噌や納豆の発酵食品、餅食などが見られるという。それを「照葉樹林文化」と呼ぶのだそうだ。
  • 唐突に話しかけてきた。まるで以前から互いによく知っているような間柄みたいだ。ああ、沖縄だな、と思う。人同士の距離の近さは北海道でもよく感じるが、こっちはまた違う。人と人とのあいだには最初から壁なんか存在しないのだ、とでも思いたくなるような自然な雰囲気があった。
  • ぼくは自転車旅行に、修行の要素をあまり求めてはいない。だから坂を好んで攻めることもしないし、雨の日などはまったく走る気がしない。ぼくにとって自転車旅行は、自由という点、自然により近付ける点、エンジン音がない点、そして走った後のメシとビールがうまい点などがいいわけで、求めているのは、ただひたすら悦楽。晴天のなかを気持ちよく走りたい、それである。雨の日は本を読んでいるほうがいい。
  • 「たぶん、人間の幸福な生活とは、こういう単調にさえも見える、隔絶されている世界にあるのかもしれない」ほかの人、ほかの人生を見ればきりがない。欲にもきりがない。自分のいる場所、身のまわりのこと、自分の立場、それらを愛することができるかどうか。それが人の人生を左右するんじゃないだろうか。番台のおばあさんの話を聞きながら、そんなことをぼんやり考えていた。

本「多摩のものづくり22社」【11年29冊目】

著者 : 山本明文
ダイヤモンド社
発売日 : 2011-04-08
<本の紹介>
大田区ばかりが中小企業の街ではない。ハイテク地帯の多摩地区で独自の技術を培いつつ、着実に成長を続けている技術先行型優良中小企業を発掘。初めて公開される、オリジナリティあふれる技術と経営者の人となり。10年後の大企業はここから生まれる。

<メモ>

  • 東西に広がる東京都の中で23区を除く西側の多摩地域には、古くは航空機産業が発展して、多くの「もの作り企業」が生まれてきました。
  • 現在はIT、エレクトロニクス、バイオをはじめ、航空機産業は宇宙産業へと発展し、計測機器、光学機器、食品、印刷にいたる実に多様な製造業が存在します。また、多摩には、大学や企業の研究機関が多く立地しているのも大きな特徴で、その利点を生かして盛んに産学連携が行われてきました。
  • 多摩地域が生み出す工業製品出荷額は、東京都全体の8兆236億円のうちの半分以上、53%になり(工業統計、2009年調査)、埼玉県の南部と神奈川県の北部東部を加えた、いわゆる広域多摩まで範囲を広げると、11兆1465億円(2008年度)に及びます。
  • 社団法人首都圏産業活性化協会は、広域多摩をTAMA--Technology Advanced Metroporitan Area:技術先進首都圏地域と名付け、自らも準正式名としてTAMA産業活性化協会と名乗りながら、この地域を世界有数の新規産業創造の地として発展させようとしています。
  • 2世紀に創建されたという大国魂神社。明治神宮や靖国神社と並んで特に格式の高い「東京五社」のひとつだが、1900年のひときわ長い歴史から、別格な存在といえる。毎年4月末から5月にかけて行われるのが「くらやみ祭」だ。1週間にわたって行事が続くが、なかでも24台の山車の巡礼と8基の神輿による神輿渡御は最大の見所で、毎年70万人の観光客が訪れる。「くらやみ祭」とは何やら想像をかきたてる名前だが、実際、かつては若い男女が集まり歌の掛け合いをする歌垣が行われていたという。
  • もの作りではスピードよりコストが優先され、工場もどんどん海外へ行ってしまいます。しかし、サービスビジネスはコストよりもスピードが優先される。
  • 東京商工会議所の「勇気ある経営大賞」、「東京ベンチャー技術大賞」、サービス産業生産性協議会の「ハイ・サービス日本300選」、多摩ブルー・グリーン賞、まちだ経営革新大賞、元気なモノ作り中小企業300社、東京トライアル発注認定制度・認定、優秀経営者顕彰
  • [交通システム電機]立川市の東、多摩モノレールの泉体育館駅近くの住宅地に踏切警報灯を備えた会社がある。交通システム電機の立川事務所だ。といってもそこに鉄道が走っているわけではない。24時間365日、信号を点灯し続けて耐久性を試験しているのだ。「夏休み親子工場見学会」もやっており、道路交通信号や待ち時間表示付きの歩行者用信号など、会社の主要製品の製造現場に親子を案内し、会社の環境への取り組みもていねいに説明した。「学校の先生や親から聞くのと、普段は会わない会社の社長さんから話を聞くのとでは、子どもたちにとっても違った体験だったようです。その後は会えば挨拶してくれますし、地域の方と知り合うことはつくづく大事だなと感じました」。
  • [田倉繃帯工業]こだわったのが自社による一貫生産だ。撚った特殊な糸を作るところから始めて、生地として織り、その後も、裁断して縫製、パッケージに入れるところまで自社工場で行った。他のメーカーは、糸、生地、その後の縫製で分業化が進む中で、製造の主導権を失い、海外とのコスト競争に敗れていった。高い技術を持ちながらも、分断された製造体制の中では、それを製品の付加価値として形作ることができなかったのだ。
  • [千代田第一工業]狛江市の本社前には、色とりどりの花々で囲まれた小さなスペースがある。真ん中には木製のテーブルとベンチも置かれ、ドリンクの自動販売機も据えられている。ミニ公園だ。「この街にはお年寄りが多く、狛江駅まで歩いていくには途中で休める場所が欲しいんじゃないか。そう思って作りました。ここの自動販売機の収益金は全額狛江市に寄付しています。」「みんなが近所の商店で買い物をするようになればいい。そうしなければ街全体が寂れてしまいます。便利さだけを追求する傾向には反省が必要なのでは。」
  • 高い技術が求められるのにも関わらず、急な依頼にも応じ特別に料金を上乗せすることはない。得意先満足を第一にしているからだ。「納期を守る。急な依頼でも特急料金を取らない。いずれも、以前からずっと取り組んできたことですが、このようなことを実現しようとすれば、会社全体の仕組みを変えなければならない。これはある種のイノベーションです。たとえばウチには、営業の社員が外出している時でも、会社に電話がかかってくれば、自動的に転送して取り次ぐ仕組みがあります。営業マンは外出先でも時間を無駄にせずにスケジュールを進めることができます。情報はオープンにされるので、その時、お客様と納期の約束をすれば、翌日には社員全員が知るところとなります。営業マンの約束は、会社の約束。そうなれば全員で守ろうということになります。誰かに命令されたから仕事をするのではなく、自分が約束を守るために働く。そんな自覚が社員に生まれ、それが得意先満足を高める一番の理由になっています。」会長が地域活動としてもうひとつ取り組んだのが、「狛江古代カップ多摩川いかだレース」だ。多摩川を舞台に手作りのいかだで約1.3kmのコースを競う。2010年の第20回大会で実行委員長を務めた。狛江市のほか、多摩川流域の調布市、稲城市、世田谷区、川崎市など多くの地域から、毎年90前後のチームが集結する。
  • [東洋システム]マラソン計測システムでは、タイムは瞬時に出て、テレビ放映されました。開発には1年半がかかり、もちろん相当なお金も使いました。大会当日も社員が20人ほど出て対応はしましたが、こちらも赤字です。ボランティアみたいなものでしたが、一度作れば、あとは仕事ができるたびに回収することができます。日本では3000人以上が出場する市民マラソンが年間3000大会あると言われています。年間100大会でもこのシステムが使われるようになれば、大きなビジネスになります。「研修で何を学んできたのか。教えようとすれば自分でも整理しなければなりません。みんなの前でしゃべれば、自分の耳にも入って、再度、勉強することになります。私もセミナーでお話する機会をいただいていますが、相手の人のためというよりは、自分のためですね。」社長自身、過去にはたくさんの試行錯誤を繰り返してきたという。「失敗も山ほどありました。しかし、苦労しただけ安全地帯は広がります。」とあくまで前向きだ。
  • [野村産業]「損得も大事だけれど、損得じゃないものが世の中には必要ですよね。」
  • 日本古来の終身雇用制もいいね。昔から、十できる人と七しかできない人では当然給料の差がありました。差がついても、お互いわかっているから文句は出ない。数字がよい人は、悪い人を引っ張り上げて、お互い協力するのが日本古来のよいところで、それが"むら社会"なんです。それを、成果主義導入なんていって収益だけで人間を評価しようとするから、世の中全体がギスギスしちゃう。このごろは、リストラといって従業員の首を切っている。おかしい。立ちいかなくなったらまず社長の首を切るべきでしょう。
  • [前田金属工業]前田金属工業のすぐ横を走るのは多摩モノレールである。柴崎体育館駅と甲州街道駅、どちらの駅から向かっても目に止まるのが同社の屋根だ。ちょうどモノレールの高架から見下ろすことができる位置に、黒地に白い格子模様の太陽光発電のソーラーパネルがびっしりと並んでいる。ちょとした近未来の風景に、何をしている企業なのか、興味を惹かれる人も多いに違いない。夜になると工場の壁面に12星座が浮かび上がる。紫外線で発行するルミナイトで描かれており、暗闇に幻想的に光る。

2011年8月14日日曜日

本「TAMAもうひとつの東京―多摩白書」【11年33冊目】

著者 :
東京市町村自治調査会
発売日 :
<本の紹介>
東京論が盛んだが、東京派もアンチ東京派も、もうひとつの東京=多摩を知らずして、東京を語れるはずがない。いま、あなたには、多摩の熱い息使いが聞こえるか。

<メモ>

  • 多摩は紛れもなく東京である。れっきとした東京都の構成員であり、都全体の面積のおよそ2分の1、人口の3分の1を占める一大圏域をなしている。にも関わらず、かつて神奈川県から東京府へ移管したという歴史的経緯も作用して、いわゆる23区とは異なる位置づけがなされてきた。
  • 「金妻シリーズ」は、ホームドラマのお定まりのパターンを打ち破った。登場するのは、30代から40代の核家族である。中には子供のいないDINKSもいる。これらの数組の夫婦は、単なる隣近所のつき合いというわけではなく、妻や夫の友達という関係でつながっている。地縁というよりも、知縁社会の人間関係だ。
  • なんらかの地域活動に関わっている妻の率が高い。先ほどの多摩ニュータウンの調査でも、無職の妻の平日の社会的文化的時間は、平均5時間13分あるという結果が出ている。この地域活動の代表的なものが、生協活動である。それまで培ってきた人生観や価値観を発散する場として、生協を見出したといったケースが多い。
  • 生活時間調査でいえば、通勤時間の短い職住近接の夫は、家族と一緒に過ごす時間や、地域活動に割く時間が平均より長い。もっともこれは当たり前のことだが。だから、長時間通勤というスタイルが変えられれば、夫たちも"会社の仕事"とは別の時間を持つことができるのだといえる。これは別の言い方をすれば、会社を第一義に考えていない夫たちが、職住近接を選んでいるということを意味するのかもしれない。
  • "子供のため"は、多摩の家族の金科玉条である。長い通勤時間も、子供のために我慢を強いられているのである。しかしこれが先の生活時間にも触れたように、父親が家族と接触できる時間が縮められ、母子で過ごす時間が長くなり、母親の子供への関心をますます肥大化させるという結果にもつながるのである。
  • 自然があっても、使いにくい仕組みになっていれば、ないのと変わりがない。特に国が整備する都市公園は使いにくいという声も多い。施設整備は、量や面積よりも、使い勝手を基準に置く時代になってきているということだ。
  • すかいらーくでは車の保有率が高く、子育て中心の専業主婦が多い。しかも大学の進出が予想される。そういう所では、気軽な値段で食事が楽しめるアメリカンスタイルの郊外型レストランが必要だ。郊外型レストランの成否を問うのは、多摩が一番と昭和45年に国立に第一号店を作り、その試みは成功している。
  • 多摩のライフスタイルを左右する3つの軸がある。
    一つは、時間軸であり、どういう生活時間の使い方をするかという点だ。これは基本的に、職場と住居の距離に規定される。多摩地域内で職住近接の条件をどれくらい実現できるかによって、ライフスタイルは大きく変わることは、いうまでもない。
    二つ目は、空間軸だ。車型社会に適応し、しかも自然にアクセスしやすい空間を、どう整備できるかという点である。
    三番目は、価値軸の問題で、これは前の二つの問題をも含む大きな要因である。経済から生活の質へ―という転回点にありそうだが、それがどういうものかは、いまだ獏としている。
  • 自由民権の運動が隆起した背景には、時代の最先端都市横浜と直結していたという多摩地域の経済的・地理的位置づけが大きい。多摩地域には、それだけ独自の歴史的・文化的基盤があったということだろう。以来、多摩地域にはさまざまな地域活動が展開されている。自由民権の運動が形を変えて花開いたともいわれる大正デモクラシー時代の草の根民衆運動。あるいは幅広い社会活動となった農民運動。そして東京府への行政移管や軍事基地をめぐる運動など時代時代の課題によって特徴ある地域活動が活発に行われている。
  • 住民はハコものを要求し、行政はその建設をもって、地域行政の良し悪しが問われる時代であったといえる。施設建設の中でも多摩で充実していたのは、図書館と公民館である。図書館は、1人当たりの蔵書数という点では日本一のレベルである。数だけでなく、ソフトも充実している。
  • 「川というのは、実におもしろいテーマなんです。一本の川が上流から下流まで流れていて、その流れの速さも周辺の環境も変化する。そこに生息している生物も変化する。また季節によっても変わるし、一日のうちでもどんどん変わる。都市人の身近にあるダイナミックな自然なんですね。これを上流から、途中河原でキャンプしながら下がってくると、いろんな発見をするし、自然とのつき合い方みたいなものがわかってくる。これが一日や二日じゃダメなんですね。子供たちはあまりにも便利な生活にどっぷりとつかっているから、それくらいだとただボーっとしてて、何もできない。でも三日目あたりから、野生みたいな本能が目覚めてきて、四日目あたりになると、自分でどんどん工夫して、イカダをあやつったり、生き生きと活動を始める。子供を自然に返すには、川が一番と思ってます。」
  • このようなビジネスとボランティアの中間領域の仕事を、ビジランティアと呼ぶ場合もある。あるいは、第三の働き方ともいう。パートも含めて企業に雇用されるというのでもなく、完全な自由業というのでもない。集団で、いつも仕事の中身や範囲を探りつつ、比較的自由で自主的なネットワークスタイルの中で、仕事をこなしていく。このような働き方は、特に多摩らしい働き方だと女性のワークスタイルやネットワークの調査をしている渡辺まゆみさんは言う。「多摩では専業主婦が多くて、比較的高学歴で、知識も情報も持っている。もう少し収入を増やしたいと思っても、フルタイムで企業に高速されるのは、やりきれない。自分の興味を生かせて、おもしろみがあって、しかも収入があることを、仲間でやってみたい。また、今の世の中は、そうした要求にあてはまるようなスキマの仕事がある。しかも男の人が気がつかないし、まさかそんなことが仕事になるのかと思っているようなことでも、女性のいわば向こうみずと愛嬌で、意外と新領域を切り拓いてしまう。そういう第三の働き方が、多摩ではいろいろ出てくるチャンスが多いでしょうね。」
  • やり方が紳士的でこちらに恥をかかせない。しかも業者としてやったんじゃない。子供の親としてかかわったまでだ。そこで親として最高のレベルの知識や情報を教えましょうというわけです。これはかなり特殊な例かもしれません。しかし、多摩には大学の先生、企業のトップやエリートなど、相当なレベルの方がいらっしゃる。そういう住民の成熟度みたいな話に、まだ、行政は十分に気が付いていないのじゃないか。いつまでも地域ボスや問題を起こす住民としか接触がないと、どこかズレてきてしまうんじゃないかと思いましたね。
  • 昭和40年代から50年代にかけて、施設建設の時代があっとたお触れたが、こうした施設は一律の基準で設置されやすい。たとえば、人口何万人に、かくかくしかじかの施設が一つ、あるいは半径何百メートルに公園を一つといった目安である。これを機械的に実施していけば、そこに住んでいる人が子供が多かろうと、老人が多かろうと、あるいはどんな職業の人が多いといった人々の特性も考えずに、とにかく施設をワンセット取り揃えるということになる。もちろんそのような馬鹿げたことはないはずだが、そうなりやすい。特に規模や機能に関しては、一律の効率主義、補助金の仕様書どおりで融通がきかない。これは、建設者本位の行政で、ユーザー本位の施設ではないので、当然使い勝手が悪い。東京では土地の所有が難しいということもあるが、使いにくい場所に使いにくい施設ができてしまうケースがままある。使い手の便利さに考慮が払われていない。こうした施設はいくらお金がかかっていても、"貧しい"といわねばならない。
  • 今の時代、地方都市にあっては大学誘致に対する熱烈ラブコールが盛んである。大学が立地することによって、なんといっても若い人たちが街を徘徊することになり、街に活気が得られる。大学は知的産業の雄だから、地域の研究開発の能力が上がる。地域の産業との交流を通して、産学共同の実が挙げられる―といった長所を期待してのことだ。
  • お互いを知ろうという気運が芽生えてきた。そこに大きな役割を果たしたのが、多摩川流域テクノルネサンス研究会である。「私たちは、多摩の中に大学を建て、学生たちに教え、研究活動をしている。それが、大学という塀の中だけに閉じこもってちゃいかんですね。開かれた大学を目指そうと考えています。多摩というところは、開かれた大学活動をするには、非常に魅力あるところですよ。まず、掘ればいろいろ出土してくるように、歴史的に重要な土地柄だった。そして先端的な企業がゴロゴロある。こうした多摩の魅力を大学人も企業人もそろって掘りだして、協力しよう。そして人のネットワークを作ろう。そこから新しいことを生み出していこうというわけです。
  • 大学の地域化には熱心だ。講座を開設したり、地域のカルチャーセンターとしての機能を、地元の人々に享受してもらおうという試みを多くしている。特に年に数回、音楽コンサートを大学ホールで開催している。「実は、こういう素晴らしい演奏会をやってくれて…と地元からも感謝されるだけでなく、演奏家の方々からも感謝されるんですよ。切符を申し込むのは子供さんを連れた家族づれが大変老い。そこで最初演奏家の皆さんはびっくりする。こんなに子供が多くてうるさい会場ではとても演奏ができないと怒って帰ろうとする人たちもいる。日本では子供たちがピアノやバイオリンを習っているし、決してうるさい観衆ではない。始まれば静かになると説得して、30分も遅れて始めたこともあります。実際に始まってみると、静かだし、熱心だし、音楽をよくわかっている。信じられないほどいい聴衆だと、最後には感動して帰る。つまり、多摩の観客というのは質が高いんですよ。
  • 東京西部に工場群が増えたのは、一つは国策だったといえる。戦時中に、戦災を避けるために、京浜地区から大工場が移転してきた。いわゆる日野五社といわれる日野自動車、小西六、オリエント時計、富士電機、神鋼電機である。このうちの神鋼電機以外は現在でも操業している。それ以外に大きな役割を果たしたのが戦前から武蔵野市を中心に立地していた中島飛行機である。これは荻窪に航空部隊があったためにここに工場を建てたのだが、三鷹に技術研究所、立川に分工場があった。航空機の技術レベルは他産業よりも精密で高い。この中島飛行機の技術者が三鷹周辺に居住し、戦後は独立したり、他企業に就職したりするなど、技術者の蓄積がこの周辺に生まれた。そうした技術基盤があったことが、高度成長期になって、工場を引き寄せた要因ともなっている。
  • 「多摩が今の東京を創造した」と言ったら誰もが驚くであろう。しかしかつて多摩には、武蔵の国の国府が置かれ、八王子城が築かれ、新撰組の近藤勇や土方歳三が生まれ、まさに政治、経済、文化の中心が多摩であった。
  • 武蔵野武士団というと有名なのが武蔵七党である。武蔵七党の数え方にも諸説があるが、野与、村山、横山、猪俣、児玉、丹、西の七つが一般的である。特に西党は多摩川、浅川、秋川流域に集中していた。西党の一門は平山、小川、小宮、河口、二宮、由比、由木、長沼、立河、狛江、中野など今でも地名を残している。
  • 多摩川の水を堰入れ、江戸まで堀を通そうという玉川上水の開さくは、江戸の水不足を一挙に解決するための一大事業であった。幕府は上水工事を羽村の富農、加藤庄右衛門、清右衛門兄弟に委託する。その折、支給された普請入用金が金6000両という。羽村から大木戸まで、距離にして43km、比高およそ100mの大工事を、この二人は提灯測量でやってのけた。しかし兄弟は、大きな障害に突き当たった。幕府から支給された工事費が、下高井戸までの工事で尽きてしまったのだ。幕府に増額を求め出ても認められず、やむなく兄弟は自分の田畑や家屋敷を売ってその費用に当てた。兄弟は、この工事の完成によって玉川上水役に取りたてられ、名字帯刀を許された。
  • 社倉政策は農民にとって増税以外の何物でもなかった。門訴を決行した12村の新田とは現在の武蔵野、保谷、小平、小金井、国分寺、東久留米の6市にまたがる地域である。もともと水利が悪く江戸末期でも食うや食わずの生活だった。農民たちが期待をかけた「御一新」も彼らの飢えを満たすことなく、その上の増税政策である。もはや門訴にすがる以外に道はなかった。深夜であった。門内に入っては強訴になってしまう。続々と県庁に到着した農民たちは門外で切々と慈悲を訴えた。と、そのとき堅く閉ざされた門がさっと開かれ、抜刀した兵士が切りかかり、大砲までが持ち出された。多数の農民が傷つき、50人以上が召し捕えられた。この御門訴事件の恨みが、北多摩一部の農民を反政府的な自由民権運動へと駆り立てることになった。
  • 明治20年頃大問題となった甲武鉄道(JR中央線)の計画が持ち上がったときには、地元民は反発した。当時の田無町では鉄道開通によって、煤煙が養蚕に影響を与えるとか、石炭の燃え殻を機関車から投げるため、火事が起きるといった反対の声も多かった。農業を中心に生活している田無町にとっては、都心へ通勤通学することもなく、列車の必要性がなかったのである。また、一度鉄道が敷かれてしまうと、従来の生活は様変わりしていく。武蔵野鉄道が開通した久留米村の場合、村から運び出す物は、農作物が中心であり、一方、鉄道を通じてこの村に入ってくるものは、日用雑貨、農機具、化学肥料などの都市的物資や農業の合理化を図るもので、村の自給自足的な経済のあり方が大きく崩れ、現金で物を売買する商品経済へと変化を余儀なくされた。鉄道が敷かれたことによって、東久留米は東京のベッドタウンへと大きく性格を変えていくことになる。

2011年8月13日土曜日

多摩全域の話

■多摩地域

  • 東京区内の23区に対し、多摩地域の市町村は30市町村。
  • 東京都、多摩に無料テレワーク拠点
    • 東京都は2020年度に多摩地域でテレワーク拠点を設け企業に無料で開放し、気軽にテレワークを試せるようにする。東京五輪・パラリンピック期間中に都心の交通混雑の緩和へ、テレワーク導入を検討する企業は多いが、都内の民間テレワーク拠点は都心に集中し、多摩地域は少ない。都の19年7月の調査では都内企業のテレワーク導入率は25.1%。
    • 20年度予算に関連の事業費として3億円を計上する方針を固めた。登録した企業が社員のテレワークを試せる「おためしサテライト」の拠点を多摩地域の主要駅周辺3カ所に設ける。企業の登録も社員の利用も無料とし、自宅近くでテレワークをしたいという需要を開拓する呼び水となるか。
▼歴史・原風景
  • 武蔵野の秋月―見渡す限りの萱や芒の原。ところどころにある村落と雑木林。秋から冬にかけての風物が、最も武蔵野らしい姿を見せる、とは昔の文人の言葉だが、秋の冴え渡った月光の下の、このあたりの風情は詩歌などにもいろいろと採り上げられている。
▼技術・研究の地として
  • 社団法人首都圏産業活性化協会は、広域多摩をTAMA--Technology Advanced Metroporitan Area:技術先進首都圏地域と名付け、自らも準正式名としてTAMA産業活性化協会と名乗りながら、この地域を世界有数の新規産業創造の地として発展させようとしています。
  • まず、掘ればいろいろ出土してくるように、歴史的に重要な土地柄だった。そして先端的な企業がゴロゴロある。こうした多摩の魅力を大学人も企業人もそろって掘りだして、協力しよう。そして人のネットワークを作ろう。そこから新しいことを生み出していこうというわけです。
  • お互いを知ろうという気運が芽生えてきた。そこに大きな役割を果たしたのが、多摩川流域テクノルネサンス研究会である。「私たちは、多摩の中に大学を建て、学生たちに教え、研究活動をしている。それが、大学という塀の中だけに閉じこもってちゃいかんですね。開かれた大学を目指そうと考えています。多摩というところは、開かれた大学活動をするには、非常に魅力あるところですよ。
▼ライフスタイル
  • 多摩のライフスタイルを左右する3つの軸がある。
    1. 一つは、時間軸であり、どういう生活時間の使い方をするかという点だ。これは基本的に、職場と住居の距離に規定される。多摩地域内で職住近接の条件をどれくらい実現できるかによって、ライフスタイルは大きく変わることは、いうまでもない。
    2. 二つ目は、空間軸だ。車型社会に適応し、しかも自然にアクセスしやすい空間を、どう整備できるかという点である。
    3. 三番目は、価値軸の問題で、これは前の二つの問題をも含む大きな要因である。経済から生活の質へ―という転回点にありそうだが、それがどういうものかは、いまだ獏としている。

■多摩地域の人口

  • 多摩地区の人口は1960年に100万人、71年に200万人、81年には300万人を突破している。ほぼ10年ごとに100万人という恐ろしいほどの人口増加のスピードであった。
  • 東京都の人口の約3分の1にあたる400万人が暮らす多摩地域。
  • 約50万人が都心に通勤しているベッドタウンとしての一面もある。
  • 多摩地域の人口は2015年~2018年をピークに減少傾向となると言われている。この地域でも生産年齢人口は減少し、高齢者の割合が確実に増え、東京都内とはいえ地方と同様の傾向になっていく。
  • そのうち人口が1番多いのは八王子市。21の大学があり、約55万人が暮らす多摩地域の中核都市となっています。
    • 八王子市 約55万人
    • 町田市 約42万人
▼人となり
  • 大学の地域化には熱心だ。講座を開設したり、地域のカルチャーセンターとしての機能を、地元の人々に享受してもらおうという試みを多くしている。特に年に数回、音楽コンサートを大学ホールで開催している。「実は、こういう素晴らしい演奏会をやってくれて…と地元からも感謝されるだけでなく、演奏家の方々からも感謝されるんですよ。切符を申し込むのは子供さんを連れた家族づれが大変多い。そこで最初演奏家の皆さんはびっくりする。こんなに子供が多くてうるさい会場ではとても演奏ができないと怒って帰ろうとする人たちもいる。日本では子供たちがピアノやバイオリンを習っているし、決してうるさい観衆ではない。始まれば静かになると説得して、30分も遅れて始めたこともあります。実際に始まってみると、静かだし、熱心だし、音楽をよくわかっている。信じられないほどいい聴衆だと、最後には感動して帰る。つまり、多摩の観客というのは質が高いんですよ。
  • やり方が紳士的でこちらに恥をかかせない。しかも業者としてやったんじゃない。子供の親としてかかわったまでだ。そこで親として最高のレベルの知識や情報を教えましょうというわけです。これはかなり特殊な例かもしれません。しかし、多摩には大学の先生、企業のトップやエリートなど、相当なレベルの方がいらっしゃる。そういう住民の成熟度みたいな話に、まだ、行政は十分に気が付いていないのじゃないか。いつまでも地域ボスや問題を起こす住民としか接触がないと、どこかズレてきてしまうんじゃないかと思いましたね。
  • このようなビジネスとボランティアの中間領域の仕事を、ビジランティアと呼ぶ場合もある。あるいは、第三の働き方ともいう。パートも含めて企業に雇用されるというのでもなく、完全な自由業というのでもない。集団で、いつも仕事の中身や範囲を探りつつ、比較的自由で自主的なネットワークスタイルの中で、仕事をこなしていく。 このような働き方は、特に多摩らしい働き方だと女性のワークスタイルやネットワークの調査をしている渡辺まゆみさんは言う。
  • 多摩では専業主婦が多くて、比較的高学歴で、知識も情報も持っている。もう少し収入を増やしたいと思っても、フルタイムで企業に拘束されるのは、やりきれない。自分の興味を生かせて、おもしろみがあって、しかも収入があることを、仲間でやってみたい。また、今の世の中は、そうした要求にあてはまるようなスキマの仕事がある。しかも男の人が気がつかないし、まさかそんなことが仕事になるのかと思っているようなことでも、女性のいわば向こうみずと愛嬌で、意外と新領域を切り拓いてしまう。そういう第三の働き方。
  • 「金妻シリーズ」は、ホームドラマのお定まりのパターンを打ち破った。登場するのは、30代から40代の核家族である。中には子供のいないDINKSもいる。これらの数組の夫婦は、単なる隣近所のつき合いというわけではなく、妻や夫の友達という関係でつながっている。地縁というよりも、知縁社会の人間関係だ。
  • なんらかの地域活動に関わっている妻の率が高い。先ほどの多摩ニュータウンの調査でも、無職の妻の平日の社会的文化的時間は、平均5時間13分あるという結果が出ている。この地域活動の代表的なものが、生協活動である。それまで培ってきた人生観や価値観を発散する場として、生協を見出したといったケースが多い。
  • 生活時間調査でいえば、通勤時間の短い職住近接の夫は、家族と一緒に過ごす時間や、地域活動に割く時間が平均より長い。もっともこれは当たり前のことだが。だから、長時間通勤というスタイルが変えられれば、夫たちも"会社の仕事"とは別の時間を持つことができるのだといえる。これは別の言い方をすれば、会社を第一義に考えていない夫たちが、職住近接を選んでいるということを意味するのかもしれない。
  • "子供のため"は、多摩の家族の金科玉条である。長い通勤時間も、子供のために我慢を強いられているのである。しかしこれが先の生活時間にも触れたように、父親が家族と接触できる時間が縮められ、母子で過ごす時間が長くなり、母親の子供への関心をますます肥大化させるという結果にもつながるのである。
▼方言
  • 五日市の山の奥まで行ってきたんです。なんじゃもんじゃというのは黒文字のことです。爪楊枝をつくる木です。いい匂いがします。日かげでも成長します。このへんでは黒文字のことを、なんじゃもんじゃというのです。

■多摩地域の情報発信


■多摩地域の地勢

▼面積
  • 多摩地域で一番面積の広い自治体は「奥多摩町」で東京都の10分の1に当たる225.63平方kmです。
    1. 奥多摩町 225.63平方km
    2. 八王子市 186.31平方km
    3. 檜原村 105.42平方km
    4. 青梅市
▼標高
  • 多摩地域の役所標高
    1. 奥多摩町 328m
    2. 檜原村 254m
▼武蔵野台地
  • 関東地方はたくさんの火山に囲まれた地形です。その中でも関東ローム層に覆われる武蔵野台地は、主に富士山と箱根山の火山灰が蓄積しています。
▼日本一の巨樹地帯
  • 2001年に環境省が行った全国巨樹調査で891本の巨樹(地上から130cmの位置で幹周が300cm以上)が確認されています。

■多摩地域の行政

▼市政
  • 最も早くに市になったのは八王子市で1917年。最も新しい市は2001年で西東京市です。
  • ハコもの
    • 住民はハコものを要求し、行政はその建設をもって、地域行政の良し悪しが問われる時代であったといえる。施設建設の中でも多摩で充実していたのは、図書館と公民館である。図書館は、1人当たりの蔵書数という点では日本一のレベルである。数だけでなく、ソフトも充実している。
▼多摩のエネルギー活用

■多摩地域の歴史

▼東京は多摩から
  • 「多摩が今の東京を創造した」と言ったら誰もが驚くであろう。しかしかつて多摩には、武蔵の国の国府が置かれ、八王子城が築かれ、新撰組の近藤勇や土方歳三が生まれ、まさに政治、経済、文化の中心が多摩であった。
▼武蔵野武士団
  • 武蔵野武士団というと有名なのが武蔵七党である。武蔵七党の数え方にも諸説があるが、野与、村山、横山、猪俣、児玉、丹、西の七つが一般的である。特に西党は多摩川、浅川、秋川流域に集中していた。西党の一門は平山、小川、小宮、河口、二宮、由比、由木、長沼、立河、狛江、中野など今でも地名を残している。
▼自由民権運動
  • 社倉政策は農民にとって増税以外の何物でもなかった。門訴を決行した12村の新田とは現在の武蔵野、保谷、小平、小金井、国分寺、東久留米の6市にまたがる地域である。もともと水利が悪く江戸末期でも食うや食わずの生活だった。農民たちが期待をかけた「御一新」も彼らの飢えを満たすことなく、その上の増税政策である。もはや門訴にすがる以外に道はなかった。
  • 深夜であった。門内に入っては強訴になってしまう。続々と県庁に到着した農民たちは門外で切々と慈悲を訴えた。と、そのとき堅く閉ざされた門がさっと開かれ、抜刀した兵士が切りかかり、大砲までが持ち出された。多数の農民が傷つき、50人以上が召し捕えられた。この御門訴事件の恨みが、北多摩一部の農民を反政府的な自由民権運動へと駆り立てることになった。
  • 自由民権の運動が隆起した背景には、時代の最先端都市横浜と直結していたという多摩地域の経済的・地理的位置づけが大きい。多摩地域には、それだけ独自の歴史的・文化的基盤があったということだろう。以来、多摩地域にはさまざまな地域活動が展開されている。自由民権の運動が形を変えて花開いたともいわれる大正デモクラシー時代の草の根民衆運動。あるいは幅広い社会活動となった農民運動。そして東京府への行政移管や軍事基地をめぐる運動など時代時代の課題によって特徴ある地域活動が活発に行われている。
▼神奈川から東京へ
  • 多摩は紛れもなく東京である。れっきとした東京都の構成員であり、都全体の面積のおよそ2分の1、人口の3分の1を占める一大圏域をなしている。にも関わらず、かつて神奈川県から東京府へ移管したという歴史的経緯も作用して、いわゆる23区とは異なる位置づけがなされてきた。
▼米軍基地
  • 福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがる横田基地はアメリカの空軍基地となっており、在日米軍司令部が置かれています。
  • なお、立川基地は1977(昭和52)年に日本に全面返還されました。
▼航空産業から製造業へ
  • 東西に広がる東京都の中で23区を除く西側の多摩地域には、古くは航空機産業が発展して、多くの「もの作り企業」が生まれてきました。
  • 東京西部に工場群が増えたのは、一つは国策だったといえる。戦時中に、戦災を避けるために、京浜地区から大工場が移転してきた。いわゆる日野五社といわれる日野自動車、小西六、オリエント時計、富士電機、神鋼電機である。このうちの神鋼電機以外は現在でも操業している。それ以外に大きな役割を果たしたのが戦前から武蔵野市を中心に立地していた中島飛行機である。これは荻窪に航空部隊があったためにここに工場を建てたのだが、三鷹に技術研究所、立川に分工場があった。
  • 航空機の技術レベルは他産業よりも精密で高い。この中島飛行機の技術者が三鷹周辺に居住し、戦後は独立したり、他企業に就職したりするなど、技術者の蓄積がこの周辺に生まれた。そうした技術基盤があったことが、高度成長期になって、工場を引き寄せた要因ともなっている。
  • 現在はIT、エレクトロニクス、バイオをはじめ、航空機産業は宇宙産業へと発展し、計測機器、光学機器、食品、印刷にいたる実に多様な製造業が存在します。また、多摩には、大学や企業の研究機関が多く立地しているのも大きな特徴で、その利点を生かして盛んに産学連携が行われてきました。
  • 多摩地域が生み出す工業製品出荷額は、東京都全体の8兆236億円のうちの半分以上、53%になり(工業統計、2009年調査)、埼玉県の南部と神奈川県の北部東部を加えた、いわゆる広域多摩まで範囲を広げると、11兆1465億円(2008年度)に及びます。
▼遊園地

■多摩地域の文化

▼多摩だるま

  • 多摩の伝統工芸品で青梅市や立川市、瑞穂町で作られている縁起物は江戸だるま、東京だるまとも呼ばれる「多摩だるま」。
  • 高幡不動尊では1月末に、深大寺では3月頭にだるま市が開催されます。特に調布市深大寺のだるま市は日本の三大だるま市として数えられ、だるまの“七転び八起き”と糸を出すときに起き上がる蚕の姿をかけた養蚕農家が、縁起を担いで繁栄を祈願したお祭りが、だるま市のルーツと言われています。
▼天然理心流
  • 幕末、後に新選組の局長となる近藤勇や、副長となる土方歳三が修めた武術の流派で、ペリー来航による沿岸防備や治安の悪化などに備えて多摩地域では天然理心流を習うことが農民の間に広まりました。

■多摩地域の教育

▼多摩地域の大学
▼タマケン -多摩・武蔵野検定-

  • 多摩・武蔵野地域は首都東京のベットタウンという印象が強いですが、大学の立地数は東京圏の20%を占め、世界に冠たる先端企業が多く立地するなど、優秀な人材を有するユニークなエリアです。
  • 多摩・武蔵野検定は、そんな人材の宝庫である多摩、武蔵野の未来を切り開きます。検定を通じて多摩・武蔵野を知り、地域に対する愛情と誇りを醸成していくことで地域活性化につながる「多摩・武蔵野が大好き」といえる人間を一人でも多く育てる『地域づくり・人材づくり』を目標とした検定試験です。
▼多摩地域の学びの場

農業の話


「農」と言える多摩


  • 「高尾」は、東京生まれのぶどうの品種で、種無しでやや細長い形が特徴です。
  • 多摩地域で生産されている梨は「新高」や「二十世紀」「稲城」などがあり、稲城市や日野市などの多摩川周辺で生産されています。

2011年8月12日金曜日

町田市の話

■概要

  • 多摩第二の人口
    • 多摩地域で二番目に人口が多い自治体で約42万人が生活しています。
  • 鶴見川源流
    • 鶴見川の最源流部は町田市上小山田田中谷戸に位置し、一日約1300トンの地下水を湧出する「鶴見川源流の泉」です。この安定した清流は、源流の生き物たちの賑わいを支え、水田の用水としても大切に利用されつつ、中、下流の街にむけて、多摩丘陵をかけおります。
  • 自由民権運動
    • 町田市を含む昔の南多摩郡という地域は、明治政府の初期、強烈な自由民権運動があった場所だった。ここを訪れることはそのまま明治時代のこの地の青年たちの精神性に触れることになる。その青年たちの中には「楚囚之詩」の北村透谷もふくまれる。北村透谷は強烈な精神性の持ち主で、ついに耐えきれず25歳で命を絶ったぐらいだ。なんということだ。
  • 大学のまち
    • 多摩地域には80以上の高等教育機関(大学、高専、短期など)がありますが、町田市には桜美林大学、和光大学、昭和薬科大学、法政大学、玉川大学、国士館大学など、多くの大学が集まっています。
    • 町田市観光ガイド「大学一覧
  • 文学のまち
    • 町田は遠藤周作、森村誠一、白洲正子など多くの作家が住んだ文学のまち。
    • 遠藤周作は療養のため、町田市に移り住んでから「狐狸庵山人」と名乗った芥川賞作家です。遠藤周作が移り住んだ頃の町田は畑が多く長閑な場所だったそうです。「市民文学館ことばらんど」には遠藤周作の遺品などもあります。
  • 特産ワイン
    • 多摩地域の特産ワインとして町田市には「禅寺丸柿(ぜんじまるかき)ワイン」があります。

■主なスポット

  • 町田市立国際版画美術館
    • 日本で唯一の版画を中心とする美術館。国内外の22,000点を超える収蔵品を有しています。
  • 薬師池公園
    • 「新東京百景」「東京都指定名勝」に指定、「日本の歴史公園100選」に選定された町田市を代表する公園。
  • 武相荘
    • 小田急線北口から1kmほどの場所に、白洲次郎と正子が暮らした武相荘がある。GHQをして「唯一の従順ならざる日本人」といわしめた白洲次郎の茅葺き住居、一度見ておくのも悪くない。
  • 町田リス園
    • 町田リス園は、動物の飼育が禁じられている団地の多い町田市で、小動物とのふれあいの機会を設けるために1988年に開園しました。

■町田市ゆかりの作品

▼まほろ駅前多田便利軒
  • 町田が舞台の映画「まほろ駅前多田便利軒」。
  • 主演は瑛太と松田龍平。便利屋を軸に展開するユーモラスで温かい人間ドラマを描いています。原作者の直木賞作家・三浦しをんは町田に20年以上在住。同作品には“町田らしさ”や“町田の魅力”があふれています。
  • 「市民文学館ことばらんど」では映画公開記念の「THE MAKING OFまほろ駅前多田便利軒」が観覧できます。
  • 芹ケ谷公園から、国際版画美術館を見学。昼食後は映画の舞台になった江戸時代の二六(にろく)の市の流れをくむ町田仲見世商店街などを散策。そんなツアーもいいかも。
    多摩地区が絡む本は全部目を通してみたい、と思って本を探していたら出会った、町田駅を舞台にした直木賞受賞作品。届いたときに結構大きい本で、「げ。」と思ったんですが読み始めてみるとテンポが良くてどんどん先を読みたくなって、あっという間に読み終わっちゃいました。町田で遊んだことのある人は、きっと街並みなんかは僕よりも頭の中に描きながら読めるんじゃないかなと。おもしろかったです。
■町田市のお店について

日野市の話

■新撰組

  • 新撰組のふるさと歴史館は、土方歳三のお墓がある日野市にあります。
  • 土方歳三の墓がある石田寺。
  • ふるさと納税ですごい効果!新選組のアニメ「薄桜鬼」のタペストリーを返礼品としたところ、短い期間で500万円の寄付を集めた。
    http://www.city.hino.lg.jp/press/h284/1001570.html

■日野市の観光スポットについて

▼高幡不動尊
  • 関東三大不動の1つで、新選組副長だった土方歳三の銅像が建っている高幡不動尊(高幡山明王院金剛寺)があり、仁王門や丈六不動三尊は、国の重要文化財に指定されている。
  • ここには土方歳三の巨大な銅像があるが、表情とかポーズが立派過ぎ、見ていて何だか気恥ずかしい。新撰組関連で見るべきはむしろその隣にある、近藤と土方を讃えた「殉節両雄之碑」だろう。篆額(てんがく)が会津藩主・松平容保(かたもり)、碑文の筆者が幕府典医で新撰組とも縁の深い松本順という、由緒ある碑だ。ここの山門には高いところに千社札がびっしりと貼りつけられている。
  • 高幡不動の正式な名前は、高幡山明王院金剛寺です。千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の雨降山大山寺とともに「関東三大不動」として親しまれています。
▼多摩動物公園
  • 日野市にある多摩動物公園では、高い木の上を渡り歩くオランウータンの優れた能力を見てもらおうと、2005年に空中施設を設置。全長約150メートルのロープをオランウータンがゆっくり移動するスカイウォークが見られます。
  • ちなみにオランウータンのモリーちゃんは2010年5月に世界最高齢(推定58歳)になりました。
  • 年間約100万人の来場者。
▼京王百草園
  • 「梅の名所」としても知られる京王百草園。園内には約50種500本の梅が咲き誇る。

■日野市のトピックス

▼衛星都市
  • 日野町は「衛星都市」を目指していた。戦後復興に伴って東京への人口集中が進み、住宅不足が深刻な問題になっていた。そこで郊外に職住近接の新しい町をいくつか設けて、人口と都市機能を分散させようとしたのが政府の「衛星都市構想」だ。そのための市街地開発地区に日野・八王子地区が指定され、「衛星都市第1号」といわれた。
  • 日野がいち早く名乗りを上げたのは、働く場として日野自動車や富士電機など戦前に誘致した大工場があったからだ。「当時の技術者が優れていたのは、この建物を配置する際に人々の心を潤す領域を大切にしたことでした」自然の地形を生かし、植栽を増やし、コミュニティの場を確保した。欧米の高層住宅の多くが今、老朽化とともに荒廃し、犯罪の温床になっている。手がつけられなくなり、爆破除去された団地もある。高齢化などの問題を抱えながらも日本の団地がこうした事態にならないのは「領域」の豊かさにあるという。
  • 春には桜が咲き誇り、夏は盆踊りの輪ができる。秋の運動会、暮れの餅つき大会。井戸端会議があり、回覧板があり、同好会の集いもある。
  • 「日本初のカラーフィルムが日野で生まれたことを知る市民は今では少ないかもしれません。」
▼発車メロディ
  • たきびの作詞者で、晩年を同市で過ごした巽聖歌(たつみせいか)の功績を地域に広めようと、JR豊田駅の発車メロディーが2010年「たきび」になりました。
▼うなぎ
  • 日野市ではうなぎの大群が堤防を守りまちの洪水を防いでくれたという言い伝えから「うなぎ」を食べない地区があります。

■日野市の特産


▼ブルーベリー酒
  • 日野市では、ブルーベリーを発泡酒にして市内で6月下旬に限定販売しています。 新選組のキャラクターをラベルにしてある330ml瓶に入った1本300円の発泡酒。 ご興味ある方はお早めに!
▼日野ファーストトマト
  • 日野市が誇る特産物はトマト。3月頃からハウス栽培のトマトの販売が始まり、4月中旬を過ぎると「日野ファーストトマト」と名付けられた温室トマトが出そろい、5月最盛期を迎えます。市内直売所などで購入できます。
▼トヨダビール
  • 2017年に復刻!

■行政

  • 三鷹市、立川市と住民情報システムを共同利用。

■日野市の著名人について

▼歴史上の人物
▼芸能
▼放送
▼スポーツ
▼諸分野
▼ゆかりの人物
  • 小川 麻衣子 - 漫画家(市内在住)
  • 上崎 洋一 - 編集者、著作家、俳人(俳号:日野百草、市内在住)
  • 平沼 義之 - フリーライター(市内在住)
  • 田中 冬二 - 詩人(晩年、市内在住)
  • 巽 聖歌 - 児童文学者、歌人(晩年、市内在住)
  • 山田 花子 - 漫画家(3歳から21歳まで市内在住)
  • 松尾 久美子 - 歌手、女優(市内で育つ。生まれは東村山市)
  • ほいけんた - ピン芸人(市内で育つ。生まれは中野区)
  • 野口 貴公美 - 法学者(市内で育つ。生まれは北海道)
  • 関口 一郎 - ドイツ語学者(市内で育つ。生まれは長野県)
  • 安田 善衛 - 実業家(市内在住)
  • 上杉 憲秋 - 室町時代の武将(高幡不動で自刃、墓所も同寺)
  • 小谷田 勝五郎 - かつて程久保に住んでいたが6歳で死んだのち、八王子の勝五郎として生まれ変わったと語った人物
▼日野市を舞台にした作品
  • 日本沈没 - 2006年版映画の劇中に一時避難所として登場する。
  • 図書館戦争 - 同市立図書館を導入部の舞台(日野の悪夢)とした近未来小説。
  • 夕闇通り探検隊 - 本ゲームの舞台である陽見(ひるみ)市は同市をモデルとしている。
  • ゆりてつ 私立百合ヶ咲女子高鉄道部 - 私立百合ヶ咲女子高が日野市にあるという設定。
  • もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら - 架空の高校名として「程久保」高校が舞台となっている。
  • もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら - 架空の高校名として私立「浅川学園」高校(立地的には都立日野高校にあたる)が舞台になっている。
  • ポッピンQ - ヒロインのひとりが高幡不動在住。

多摩市の話

▼12番目の誕生

  • 1971年に自治体が誕生し、多摩地域で12番目に広く面積は21.08平方km。

▼多摩ニュータウンと遺跡発掘
  • 八王子市・町田市・多摩市・稲城市にまたがる多摩ニュータウンで知られる多摩市は新しいまちというイメージですが、多摩ニュータウン開発時に見つかった遺跡は約1000ヶ所を数えるなど実は古い歴史を持っています。
  • 1965年から2006年の約40年間に渡り遺跡調査が行われ、発掘された遺跡から3万年前から暮らす人々の生活様式が明らかになりました。発掘された面積は300haで、開発面積の1割にあたります。これまでに1000ヶ所近くの遺跡が確認され、その遺跡は、時代別では縄文時代が一番多かったそうです。
▼旧富沢家住宅
  • 旧富沢家住宅。江戸時代中頃に建てられた連光寺村(現在の多摩市連光寺)の名主の家で、明治天皇が行幸した際には御小休所として利用された由緒ある建物。
パルテノン多摩
  • 多摩センター駅近くには80段の大階段、8本柱のパーゴラなど特徴的な外観の複合文化施設があり正式名称を「多摩市複合文化施設」といい、客席数1,414席がある大ホールや展示室、リハーサル室などがあります。また、美術展・歴史ミュージアムも開催されています。多摩ニュータウンの開発で多摩丘陵がどのように変貌を遂げたかを探ることができます。
  • 年末の時期は大通りの楠木を彩る40万球の電飾やハローキティイルミネーションなど、都内で最大級のストリートイルミネーションが見られます☆
▼よこやまの道
  • 一本杉公園では旧有山家・加藤家住宅を見た後、万葉集にも詠われた「よこやまの道」が約4キロ歩けます。
  • この道は多摩丘陵の尾根部に位置する古道で、眼下に市街地を見ながら歩ける、とっても気持ちの良い道です。防人見返りの峠からは、晴れていれば丹沢や秩父の山並みが眺望できます。
▼キティちゃんが親善大使
  • 例年冬の季節になると、駅周辺のイルミネーションの華やかさが人気を呼んでいる、サンリオピューロランド。昨年はおよそ210万人もの人が訪れた、多摩地域の冬の大人気スポットです。
  • 多摩センターにサンリオピューロランドがあることから、1994年に多摩市はハローキティを多摩センター親善大使に任命しています。
  • 多摩市HPより「ハローキティにあえる街・多摩センター」→ http://www.city.tama.lg.jp/event/2254/009455.html
▼耳をすませば
▼ベネッセコーポレーション
  • ベネッセコーポレーションには、事務所以外にプラネタリウム「ベネッセ・スター・ドーム」が併設されています。オフィスに設置された地上100mの高さにあるドーム空間で一般公開日は土・日曜日、国民の休日、祝日、観覧料は大人400円、子供200円です。
▼旧多摩聖蹟記念館
  • 「聖跡桜ケ丘」の聖跡だが、この言葉には「天皇が訪問した場所」という意味がある。明治天皇がこの一帯で兎狩りなどを楽しんだことに因んでいる。なるほど。
▼エネルギー生産
  • 多摩市で、多摩電力合同会社が始まった。ソーラー設置の支援会社?これは多摩地域で協力できるかもしれない。

■多摩市のコワーキングスペースについて

  • CoCoプレイス
    • キャリア・マムが運営するコワーキングスペース

■多摩市の企業について

■多摩市のまちづくり

  • タウンハウス諏訪
    • 旧日本住宅公団が1979年に手掛けた低層の集合住宅「タウンハウス」の第1号。
    • 高層の集合住宅中心だった団地設計の転換点となった。
    • 2,3階建ての家屋が、長屋のようにつながった構造になっている。
    • 計58戸あり、それぞれ庭付きの3LDK。
    • 住民が顔を合わせやすいよう、玄関が同じ広場などに面しているのが特徴。
    • 完成当時から人気は高く、築40年以上が経過した今も空き家はない。
    • 公団からの依頼で設計に携わった建築士の山田正司さんは「団地は住んでいる人が育てる」と考え、コミュニティーを大切にする観点から構想を練ったという。「私のデビュー作。自分の仕事を見極めたい」と、自身も2015年にタウンハウス諏訪に移り住んだ。隣近所と和やかにあいさつを交わす関係ができ「住みやすい」と話す。
    • 公団初の「タウンハウス」 未来に残したい「多摩の宝物」 市内で企画展

八王子市の話

■概要

▼多摩地域最大
  • 八王子市は、多摩地域で一番人口が多い自治体で、約55万人が暮らす多摩地域の中核都市。
  • 八王子ラーメン
  • 夕やけ小やけふれあいの里、童謡『夕焼小焼』のモデルとして知られる上恩方町にある
  • 懐かしい里山風景に囲まれて、川遊び、釣り、キャンプなど様々な体験ができるレクリエーション施設。
  • 忌野清志郎さんが、高尾霊園(高乗寺)に眠っている。
▼史跡
  • 八王子城跡
  • 平将門の遺体は、それぞれゆかりの深い各地に分けて葬られているということだが、わかっているのは、「神田明神の首」「湯島鳥越明神の胴」それから、「恩方力石のまさかさまの男根」と、この3つである。あとの手や足も、どこかに祀られているものと思われる。
  • 浅川地下壕(見学会あり)
▼養蚕業と絹の道
  • 養蚕が盛んな八王子市では、江戸時代に絹織物業が発展していました。
  • 1859年の横浜開港により、八王子宿に集荷された生糸を輸出品として横浜に運ぶために八王子から横浜を結ぶ浜街道が利用され、のちに絹の道と名付けられました。とくに町田市街地の駅周辺に老舗乾物屋さんが多いのは、この街道が生み出した文化のひとつといわれています。
  • 絹の道資料館もあります。
  • 八王子から横浜に通じるシルクロード(絹の道)という繭や生糸を輸送する街道があって、蚕には縁の深い地帯である。
▼八王子千人同心
  • 1590年江戸入りした徳川家康は、多摩を江戸防衛の地として重要視し、なかでも八王子は甲州口の警備のために体制を整えます。1600年には有力農民などを集め、「八王子千人同心」という甲州の国境警備や治安維持、後に日光火の番に当たった半士半農の武士集団を組織しました。その名の通り総勢1000人で、10組に分かれ各組は1人の千人頭の下に、組頭10人と平同心90人によって構成され、本拠地だった八王子市千人町には千人頭や同心の屋敷が建ち並んでいました。
  • 彼らが篤く信仰した寺院や日光東照宮を戦火から守った千人頭・石坂弥次右衛門の墓などを巡るツアーの備忘録。
    ・モデルコース 西八王子駅→馬場横丁→宗格院・石見土手→興岳寺→千人同心屋敷跡記念碑→追分道標→信松院(武田信玄の四女、松姫が開基。松姫坐像、木製軍船ひな形)→真覚寺→高宰神社→旧甲州街道→西八王子駅
▼オリンパスホール八王子
  • JR八王子駅南口に直結している地上41階建ての複合施設サザンスカイタワー八王子の4階に、多摩地域で最大の座席数2021席を備えた新八王子市民会館「オリンパスホール八王子」がオープン。オリンパス(株)がネーミングライツスポンサーになっています。
▼全関東八王子夢街道駅伝競走大会
▼いちょう祭り
  • いちょうは八王子のシンボルツリーでもあります。市内追分町から高尾駅入口付近までを会場にした市民手作りのお祭りで、毎年様々なイベントが開催されています。
▼高尾駅
  • 高尾駅の駅舎は社寺風建築で、駅舎正面の屋根の張り出した部分は車寄せであった。
  • 高尾駅下り線の煉瓦アーチ橋。南浅川から取水した用水路に架かる。
▼高尾山(599m)
  • 正式名称は高尾山役王院有喜寺。山岳宗教者、いわゆる山伏によって開山されたのが奈良朝の時代。山岳宗教開祖の人と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)が祭られた由緒正しき寺院。
  • 都心から約50km、日本最高の登山者数を誇る高尾山。
  • ミシュランで「大都市近郊にもかかわらず豊かな自然にあふれている」と3つ星の観光地に選ばれた高尾山の薬王院。天平16年(744年)に聖武天皇の勅命により開山されたと伝えられ、毎年、多くの初詣の参拝客でにぎわいます。
  • 天然林が広がっていて、北側斜面には冷温帯の林(イヌブナなど)、南側斜面には暖温帯の林(カシなど)、それぞれの気候帯の境となっているため多彩な花々や動物・昆虫などを見ることができます。
  • 昆虫は5000種いるといわれ、中でも美しいアサギマダラ(渡り蝶、アジア各地に生息)と鳴く虫の帝王といわれるカンタン(アジア各地に生息)は高尾山の代表。1300種を超える植物からも目が離せません。
  • 高尾山薬王院に祀られており、JR高尾駅のホームにも石像に備えられた天狗は除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされています。
  • 高尾山にも多くの天狗伝説が残っているそうです。
  • なにげに東海自然歩道の起点と関東ふれあいの道の起終点。
  • オリエンテーリングは北欧での軍事訓練から発達したといわれ、日本では1966年(昭和41年)6月26日に、東京・高尾山で初めて行われた。
  • 冬至(12/21前後)の数日は、高尾山でダイヤモンド富士が見れる。
  • 裏高尾1月中旬?下旬にかけてシモバシラが見れる。
    ※いきなり一丁平方面に登ること。遠回りの道にはシモバシラはない。
  • 真言宗関東三山:金剛山金乗院平間寺(川崎大師)、高尾山薬王院、成田山新勝寺。
  • 高尾山ハイキング帰りの温泉となると、アクセスは駅直結というわけにはいきませんが「高尾の湯」があります。京王高尾山口駅前から無料バスが出ているので、ぜひご利用くださいな。
▼学園都市
  • 多摩地域の中でも八王子市は、23の大学が集積している学園都市です。 
  • 八王子市と日野市境の多摩モノレールの駅には「明星大学・中央大学駅」と「大塚・帝京大学駅」があります。
  • 首都大学東京は2005年に石原都知事主導の下、東京都立大学、東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学を統合してできました。キャンパスは八王子市の南大沢や日野市にあります。
▼八王子観光大使
  • 八王子の観光大使には北島三郎さん、西川古柳さん、羽生善弘さんが任命されており、今年、八王子出身の3人組「ファンキーモンキーベイビーズ」が任命されました。
▼夕焼け小焼け
  • 童謡「夕焼け小焼け」の作詞者として知られる中村雨紅は今の上恩方町に生まれました。戸籍上の誕生日は1897(明治30)年2月6日だが、実際は1月7日でした。山奥の冬は厳しく生まれた時、逆さにして振り蘇生させたという話もあり、無事に育つか分からなかったので1ヶ月ほど様子を見て、届け出たと言われています。
  • この歌は学生時代、駅から家まで歩いて帰る体験がもとになったといわれています。
  • 八王子市内にも子供の帰宅を促すため、夕方放送されています。
▼日野オートプラザ
  • 八王子市みなみ野にある「日野オートプラザ」は96年にオープンした日野自動車の博物館だ。
  • 50年前のボンネット型トラックや、日野ルノー、コンテッサ―。往年の車が並ぶ。その中でひときわ目を引くのが軍用自動貨車「TGE-A型」。
  • 前進の東京瓦斯電気工業が戦前に造った国産トラックの草分けである。
▼多摩動物公園
  • 「当時の多摩動物公園はまさに山の中にありました」と振り返る。京王動物園線はまだ開通していなかった。動物舎も「アジア園」だけ。それでも5月5日の開園日はものすごい人出だった。約2キロ離れた京王線の高幡不動駅から長い列が続いていたのを覚えている。
  • いずれもオスのコアラ2匹は「タムタム」と「トムトム」と名付けられた。「多摩の夢」「東京都の夢」という意味が込められていた。
▼多摩森林科学園
  • 日本中の桜が集まっているため、2月の下旬から5月頃までずっと桜を見ることができる場所。半日くらいのんびり歩きながら話をしたりって過ごし方がとっても気持ちいい場所です。
  • 多摩の動物や昆虫の標本があったり、木々の話があったり、そういった展示も参考になりますね。
  • 森林講座でも毎回興味深い話がテーマとなって開催されているので、森林に興味のある方はぜひ参加してみてくださいな。

■八王子市の酒蔵について

▼桑の都(クワノミヤコ):小澤酒造場
▼月丸(ツキマル):西岡酒造株式会社
  • 2003年福井県の河村酒造(株)と合併、西岡河村酒造(株)として〝福井の地酒〟となる
▼日出山(ヒノデヤマ):有限会社中島酒造場
  • 2012年6月30日製造、販売終了

■八王子市の企業について

田倉繃帯工業

  • こだわったのが自社による一貫生産だ。撚った特殊な糸を作るところから始めて、生地として織り、その後も、裁断して縫製、パッケージに入れるところまで自社工場で行った。
  • 他のメーカーは、糸、生地、その後の縫製で分業化が進む中で、製造の主導権を失い、海外とのコスト競争に敗れていった。高い技術を持ちながらも、分断された製造体制の中では、それを製品の付加価値として形作ることができなかったのだ。