2011年8月13日土曜日

多摩全域の話

■多摩地域

  • 東京区内の23区に対し、多摩地域の市町村は30市町村。
  • 東京都、多摩に無料テレワーク拠点
    • 東京都は2020年度に多摩地域でテレワーク拠点を設け企業に無料で開放し、気軽にテレワークを試せるようにする。東京五輪・パラリンピック期間中に都心の交通混雑の緩和へ、テレワーク導入を検討する企業は多いが、都内の民間テレワーク拠点は都心に集中し、多摩地域は少ない。都の19年7月の調査では都内企業のテレワーク導入率は25.1%。
    • 20年度予算に関連の事業費として3億円を計上する方針を固めた。登録した企業が社員のテレワークを試せる「おためしサテライト」の拠点を多摩地域の主要駅周辺3カ所に設ける。企業の登録も社員の利用も無料とし、自宅近くでテレワークをしたいという需要を開拓する呼び水となるか。
▼歴史・原風景
  • 武蔵野の秋月―見渡す限りの萱や芒の原。ところどころにある村落と雑木林。秋から冬にかけての風物が、最も武蔵野らしい姿を見せる、とは昔の文人の言葉だが、秋の冴え渡った月光の下の、このあたりの風情は詩歌などにもいろいろと採り上げられている。
▼技術・研究の地として
  • 社団法人首都圏産業活性化協会は、広域多摩をTAMA--Technology Advanced Metroporitan Area:技術先進首都圏地域と名付け、自らも準正式名としてTAMA産業活性化協会と名乗りながら、この地域を世界有数の新規産業創造の地として発展させようとしています。
  • まず、掘ればいろいろ出土してくるように、歴史的に重要な土地柄だった。そして先端的な企業がゴロゴロある。こうした多摩の魅力を大学人も企業人もそろって掘りだして、協力しよう。そして人のネットワークを作ろう。そこから新しいことを生み出していこうというわけです。
  • お互いを知ろうという気運が芽生えてきた。そこに大きな役割を果たしたのが、多摩川流域テクノルネサンス研究会である。「私たちは、多摩の中に大学を建て、学生たちに教え、研究活動をしている。それが、大学という塀の中だけに閉じこもってちゃいかんですね。開かれた大学を目指そうと考えています。多摩というところは、開かれた大学活動をするには、非常に魅力あるところですよ。
▼ライフスタイル
  • 多摩のライフスタイルを左右する3つの軸がある。
    1. 一つは、時間軸であり、どういう生活時間の使い方をするかという点だ。これは基本的に、職場と住居の距離に規定される。多摩地域内で職住近接の条件をどれくらい実現できるかによって、ライフスタイルは大きく変わることは、いうまでもない。
    2. 二つ目は、空間軸だ。車型社会に適応し、しかも自然にアクセスしやすい空間を、どう整備できるかという点である。
    3. 三番目は、価値軸の問題で、これは前の二つの問題をも含む大きな要因である。経済から生活の質へ―という転回点にありそうだが、それがどういうものかは、いまだ獏としている。

■多摩地域の人口

  • 多摩地区の人口は1960年に100万人、71年に200万人、81年には300万人を突破している。ほぼ10年ごとに100万人という恐ろしいほどの人口増加のスピードであった。
  • 東京都の人口の約3分の1にあたる400万人が暮らす多摩地域。
  • 約50万人が都心に通勤しているベッドタウンとしての一面もある。
  • 多摩地域の人口は2015年~2018年をピークに減少傾向となると言われている。この地域でも生産年齢人口は減少し、高齢者の割合が確実に増え、東京都内とはいえ地方と同様の傾向になっていく。
  • そのうち人口が1番多いのは八王子市。21の大学があり、約55万人が暮らす多摩地域の中核都市となっています。
    • 八王子市 約55万人
    • 町田市 約42万人
▼人となり
  • 大学の地域化には熱心だ。講座を開設したり、地域のカルチャーセンターとしての機能を、地元の人々に享受してもらおうという試みを多くしている。特に年に数回、音楽コンサートを大学ホールで開催している。「実は、こういう素晴らしい演奏会をやってくれて…と地元からも感謝されるだけでなく、演奏家の方々からも感謝されるんですよ。切符を申し込むのは子供さんを連れた家族づれが大変多い。そこで最初演奏家の皆さんはびっくりする。こんなに子供が多くてうるさい会場ではとても演奏ができないと怒って帰ろうとする人たちもいる。日本では子供たちがピアノやバイオリンを習っているし、決してうるさい観衆ではない。始まれば静かになると説得して、30分も遅れて始めたこともあります。実際に始まってみると、静かだし、熱心だし、音楽をよくわかっている。信じられないほどいい聴衆だと、最後には感動して帰る。つまり、多摩の観客というのは質が高いんですよ。
  • やり方が紳士的でこちらに恥をかかせない。しかも業者としてやったんじゃない。子供の親としてかかわったまでだ。そこで親として最高のレベルの知識や情報を教えましょうというわけです。これはかなり特殊な例かもしれません。しかし、多摩には大学の先生、企業のトップやエリートなど、相当なレベルの方がいらっしゃる。そういう住民の成熟度みたいな話に、まだ、行政は十分に気が付いていないのじゃないか。いつまでも地域ボスや問題を起こす住民としか接触がないと、どこかズレてきてしまうんじゃないかと思いましたね。
  • このようなビジネスとボランティアの中間領域の仕事を、ビジランティアと呼ぶ場合もある。あるいは、第三の働き方ともいう。パートも含めて企業に雇用されるというのでもなく、完全な自由業というのでもない。集団で、いつも仕事の中身や範囲を探りつつ、比較的自由で自主的なネットワークスタイルの中で、仕事をこなしていく。 このような働き方は、特に多摩らしい働き方だと女性のワークスタイルやネットワークの調査をしている渡辺まゆみさんは言う。
  • 多摩では専業主婦が多くて、比較的高学歴で、知識も情報も持っている。もう少し収入を増やしたいと思っても、フルタイムで企業に拘束されるのは、やりきれない。自分の興味を生かせて、おもしろみがあって、しかも収入があることを、仲間でやってみたい。また、今の世の中は、そうした要求にあてはまるようなスキマの仕事がある。しかも男の人が気がつかないし、まさかそんなことが仕事になるのかと思っているようなことでも、女性のいわば向こうみずと愛嬌で、意外と新領域を切り拓いてしまう。そういう第三の働き方。
  • 「金妻シリーズ」は、ホームドラマのお定まりのパターンを打ち破った。登場するのは、30代から40代の核家族である。中には子供のいないDINKSもいる。これらの数組の夫婦は、単なる隣近所のつき合いというわけではなく、妻や夫の友達という関係でつながっている。地縁というよりも、知縁社会の人間関係だ。
  • なんらかの地域活動に関わっている妻の率が高い。先ほどの多摩ニュータウンの調査でも、無職の妻の平日の社会的文化的時間は、平均5時間13分あるという結果が出ている。この地域活動の代表的なものが、生協活動である。それまで培ってきた人生観や価値観を発散する場として、生協を見出したといったケースが多い。
  • 生活時間調査でいえば、通勤時間の短い職住近接の夫は、家族と一緒に過ごす時間や、地域活動に割く時間が平均より長い。もっともこれは当たり前のことだが。だから、長時間通勤というスタイルが変えられれば、夫たちも"会社の仕事"とは別の時間を持つことができるのだといえる。これは別の言い方をすれば、会社を第一義に考えていない夫たちが、職住近接を選んでいるということを意味するのかもしれない。
  • "子供のため"は、多摩の家族の金科玉条である。長い通勤時間も、子供のために我慢を強いられているのである。しかしこれが先の生活時間にも触れたように、父親が家族と接触できる時間が縮められ、母子で過ごす時間が長くなり、母親の子供への関心をますます肥大化させるという結果にもつながるのである。
▼方言
  • 五日市の山の奥まで行ってきたんです。なんじゃもんじゃというのは黒文字のことです。爪楊枝をつくる木です。いい匂いがします。日かげでも成長します。このへんでは黒文字のことを、なんじゃもんじゃというのです。

■多摩地域の情報発信


■多摩地域の地勢

▼面積
  • 多摩地域で一番面積の広い自治体は「奥多摩町」で東京都の10分の1に当たる225.63平方kmです。
    1. 奥多摩町 225.63平方km
    2. 八王子市 186.31平方km
    3. 檜原村 105.42平方km
    4. 青梅市
▼標高
  • 多摩地域の役所標高
    1. 奥多摩町 328m
    2. 檜原村 254m
▼武蔵野台地
  • 関東地方はたくさんの火山に囲まれた地形です。その中でも関東ローム層に覆われる武蔵野台地は、主に富士山と箱根山の火山灰が蓄積しています。
▼日本一の巨樹地帯
  • 2001年に環境省が行った全国巨樹調査で891本の巨樹(地上から130cmの位置で幹周が300cm以上)が確認されています。

■多摩地域の行政

▼市政
  • 最も早くに市になったのは八王子市で1917年。最も新しい市は2001年で西東京市です。
  • ハコもの
    • 住民はハコものを要求し、行政はその建設をもって、地域行政の良し悪しが問われる時代であったといえる。施設建設の中でも多摩で充実していたのは、図書館と公民館である。図書館は、1人当たりの蔵書数という点では日本一のレベルである。数だけでなく、ソフトも充実している。
▼多摩のエネルギー活用

■多摩地域の歴史

▼東京は多摩から
  • 「多摩が今の東京を創造した」と言ったら誰もが驚くであろう。しかしかつて多摩には、武蔵の国の国府が置かれ、八王子城が築かれ、新撰組の近藤勇や土方歳三が生まれ、まさに政治、経済、文化の中心が多摩であった。
▼武蔵野武士団
  • 武蔵野武士団というと有名なのが武蔵七党である。武蔵七党の数え方にも諸説があるが、野与、村山、横山、猪俣、児玉、丹、西の七つが一般的である。特に西党は多摩川、浅川、秋川流域に集中していた。西党の一門は平山、小川、小宮、河口、二宮、由比、由木、長沼、立河、狛江、中野など今でも地名を残している。
▼自由民権運動
  • 社倉政策は農民にとって増税以外の何物でもなかった。門訴を決行した12村の新田とは現在の武蔵野、保谷、小平、小金井、国分寺、東久留米の6市にまたがる地域である。もともと水利が悪く江戸末期でも食うや食わずの生活だった。農民たちが期待をかけた「御一新」も彼らの飢えを満たすことなく、その上の増税政策である。もはや門訴にすがる以外に道はなかった。
  • 深夜であった。門内に入っては強訴になってしまう。続々と県庁に到着した農民たちは門外で切々と慈悲を訴えた。と、そのとき堅く閉ざされた門がさっと開かれ、抜刀した兵士が切りかかり、大砲までが持ち出された。多数の農民が傷つき、50人以上が召し捕えられた。この御門訴事件の恨みが、北多摩一部の農民を反政府的な自由民権運動へと駆り立てることになった。
  • 自由民権の運動が隆起した背景には、時代の最先端都市横浜と直結していたという多摩地域の経済的・地理的位置づけが大きい。多摩地域には、それだけ独自の歴史的・文化的基盤があったということだろう。以来、多摩地域にはさまざまな地域活動が展開されている。自由民権の運動が形を変えて花開いたともいわれる大正デモクラシー時代の草の根民衆運動。あるいは幅広い社会活動となった農民運動。そして東京府への行政移管や軍事基地をめぐる運動など時代時代の課題によって特徴ある地域活動が活発に行われている。
▼神奈川から東京へ
  • 多摩は紛れもなく東京である。れっきとした東京都の構成員であり、都全体の面積のおよそ2分の1、人口の3分の1を占める一大圏域をなしている。にも関わらず、かつて神奈川県から東京府へ移管したという歴史的経緯も作用して、いわゆる23区とは異なる位置づけがなされてきた。
▼米軍基地
  • 福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがる横田基地はアメリカの空軍基地となっており、在日米軍司令部が置かれています。
  • なお、立川基地は1977(昭和52)年に日本に全面返還されました。
▼航空産業から製造業へ
  • 東西に広がる東京都の中で23区を除く西側の多摩地域には、古くは航空機産業が発展して、多くの「もの作り企業」が生まれてきました。
  • 東京西部に工場群が増えたのは、一つは国策だったといえる。戦時中に、戦災を避けるために、京浜地区から大工場が移転してきた。いわゆる日野五社といわれる日野自動車、小西六、オリエント時計、富士電機、神鋼電機である。このうちの神鋼電機以外は現在でも操業している。それ以外に大きな役割を果たしたのが戦前から武蔵野市を中心に立地していた中島飛行機である。これは荻窪に航空部隊があったためにここに工場を建てたのだが、三鷹に技術研究所、立川に分工場があった。
  • 航空機の技術レベルは他産業よりも精密で高い。この中島飛行機の技術者が三鷹周辺に居住し、戦後は独立したり、他企業に就職したりするなど、技術者の蓄積がこの周辺に生まれた。そうした技術基盤があったことが、高度成長期になって、工場を引き寄せた要因ともなっている。
  • 現在はIT、エレクトロニクス、バイオをはじめ、航空機産業は宇宙産業へと発展し、計測機器、光学機器、食品、印刷にいたる実に多様な製造業が存在します。また、多摩には、大学や企業の研究機関が多く立地しているのも大きな特徴で、その利点を生かして盛んに産学連携が行われてきました。
  • 多摩地域が生み出す工業製品出荷額は、東京都全体の8兆236億円のうちの半分以上、53%になり(工業統計、2009年調査)、埼玉県の南部と神奈川県の北部東部を加えた、いわゆる広域多摩まで範囲を広げると、11兆1465億円(2008年度)に及びます。
▼遊園地

■多摩地域の文化

▼多摩だるま

  • 多摩の伝統工芸品で青梅市や立川市、瑞穂町で作られている縁起物は江戸だるま、東京だるまとも呼ばれる「多摩だるま」。
  • 高幡不動尊では1月末に、深大寺では3月頭にだるま市が開催されます。特に調布市深大寺のだるま市は日本の三大だるま市として数えられ、だるまの“七転び八起き”と糸を出すときに起き上がる蚕の姿をかけた養蚕農家が、縁起を担いで繁栄を祈願したお祭りが、だるま市のルーツと言われています。
▼天然理心流
  • 幕末、後に新選組の局長となる近藤勇や、副長となる土方歳三が修めた武術の流派で、ペリー来航による沿岸防備や治安の悪化などに備えて多摩地域では天然理心流を習うことが農民の間に広まりました。

■多摩地域の教育

▼多摩地域の大学
▼タマケン -多摩・武蔵野検定-

  • 多摩・武蔵野地域は首都東京のベットタウンという印象が強いですが、大学の立地数は東京圏の20%を占め、世界に冠たる先端企業が多く立地するなど、優秀な人材を有するユニークなエリアです。
  • 多摩・武蔵野検定は、そんな人材の宝庫である多摩、武蔵野の未来を切り開きます。検定を通じて多摩・武蔵野を知り、地域に対する愛情と誇りを醸成していくことで地域活性化につながる「多摩・武蔵野が大好き」といえる人間を一人でも多く育てる『地域づくり・人材づくり』を目標とした検定試験です。
▼多摩地域の学びの場

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