2011年10月29日土曜日

官僚の責任【11年21冊目】


官僚の責任

<本の紹介>
「霞が関は人材の墓場」―著者はそう切り捨てる。最高学府の卒業生、志を抱いて入省したはずの優秀な人間たちが集う日本最高の頭脳集団。しかし彼らの行動規範は、「国のため」ではなく「省のため」。利権拡大と身分保障にうつつを抜かし、天下りもサボタージュも恥と思わない…。いったいなぜ官僚たちは堕落の道をたどるのか?逼迫する日本の財政状況。政策提言能力を失った彼らを放置すると、この国は終わる。政官界から恐れられ、ついに辞職を迫られた経産省の改革派官僚が、閉ざされた伏魔殿の生態を暴く。
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<メモ>
・関東大震災直後に必要だったのは、総理のリーダーシップである。「現場で可能な限り判断して結論を出せ」そう言って現場に権限を委譲し、被災者のためになることなら、復旧に効果があることなら、上の決裁を待たずに実行させることが大切なのである。そうすれば、末端の官僚も思いきって動くことができる。しかし、その大前提として必要不可欠な条件がある。「責任は俺がとる!」そういう総理の強い姿勢である。メッセージが明確にあるからこそ、現場は知恵を出し、よかれと思ったことを躊躇なく実行に移せる。
・経産省が会見でつねに「管総理のご判断です」との態度をとり、いっさい経産省の見解を述べずにいたのは、こういう理由である。「東電はこう言っています、管総理はこう言いました、枝野(幸男)官房長官はこう言いました…だから、われわれ経産省もこう判断します」自分たちが直接の責任を押し付けられないよう、常にそのような予防線を張っておくのである。
・はっきり言って、役人にとってはプロジェクトが成功しようと失敗しようと関係ない。「利益」は出なくても「利権」は生まれるからだ。
・政治家は、日頃から国民の生活に重要なテーマや国の中長期的課題に関心を持ちながら、広い視野をもって政策の方向性を決定する。一方、官僚は、その政策を具体化すべく資料や情報を収集し、研究、議論することで集積した専門知識をベースに、その状況に適した具体的な政策を政治家に提案する。そして政治家がそれらをもとに、官僚とは異なる考えをもつ他の専門家や支持者の声も聞きながら、総合的に判断し、結論を出す。仮にそれが官僚の意見を否定するものであっても、政治家自身が示した方向性を実現するために、最も効果的な政策はどのようなものかを優先的に考え、当然ながら、出てきた政策に対しては政治家が全面的に責任を負う―。これこそが政治家と官僚の本来あるべき関係であり、真の政治主導だ。
・国益を無視して省益確保に奔走する先輩を否定すれば、それは省の論理と相容れず、はみ出し者の烙印を押される。国民の生活向上のために頑張っていても省のために頑張っているように見えなければ、そして結果が省のためにならなければ、決して評価されないのである。
・法律作成という作業のなかには、与野党の複雑な利害関係をうまく調整するといったセンシティブな事案も少なくない。それをまとめた能力は評価されてしかるべきなのだが、役人の世界ではそれでは足りず、必ず副産物をつけなければならないという決まりがある。すなわち、権限と予算と天下りポスト。この3点セットをつけることを自動的に考えるように思考回路が形成されているのだ。
・官僚の仕事を評価する基準の一つが「省のために副産物をつくる」ことともう一つ目に見える基準が「労働時間」。というわけで、官僚たちはせっせと残業に励むことになる。
・ヤマトホールディングスは、役員が例えば10人いれば1位から10位までのランクをつける。そして10位になった役員は、たとえ絶対評価が悪くなくても自動的に翌年は降格され、代わりに下から一人が役員に昇格する。こうしたシステムが役員以下、管理職のすべてに適用されており、1割が毎年、自動的に入れ替わる。むろん、降格されても翌年、上位1割に入ればまた昇格できる。結果を出さなければ身分も給料も下がってしまうのだから、緊張感が生まれ、仕事に真摯に取り組むようになるだけでなく、本人の努力次第で昇格のチャンスが高まり、モチベーションも上がる。何より、強制的にポストに空きが出るので、そこに有能な人材を、外部や若手からの登用も含めて投入できる。ヤマトホールディングスの話でもう一つ参考になったのは、子会社の社長や役員も、役人が言うところの「天下り」ではないことだった。子会社プロパーの社員に任せるか、本社の若手を抜擢するのだという。若手に経営の才能があるかどうかを試すためだが、うまくいけば、本社で大きく昇進することもあるそうだ。
・「ハローワークが紹介した仕事を3回断ったら失業保険給付金が下がります」とか、「4回目は給付期間も短くします」というようにしてみるのはどうか。
・中小企業の支援も、もともと優秀な企業で放っておいても成功したはずの企業に補助金を出して支援をしても意味がない。官僚のアリバイづくりになっている。
・日本を代表するような大企業が莫大な利益をあげられるのは、本来は下請けが得るべき利益まで吸い上げて独り占めしている結果と言ってもいいのだ。「われわれについてくれば、あなたも儲かります」ではない。「中国人のように、お前たちも死ぬほど働け」そう言っているに等しいのである。
・「貴社が潰れてしまったら、ウチは大打撃を被る。わが社が最先端を走れているのは、貴社の優秀な製品があってこそ。正当なものであれば、どんどん儲けてくれ。その利益でもっと優れた製品を開発してくれればいい。」
・「このままいけば日本人はみな、今の中国人と同じレベルまで生活を切り下げるしかありませんね。」いくら高い技術力と勤勉な労働力があろうと、経営者に経営能力が欠けていれば宝の持ち腐れになるということである。
・消費者を人質にとっている電力会社の経営情報を守る必要などない。電力会社の情報は、消費者のそれと同義といってもよい。経営情報、なかんずくコスト情報は領収書まで公開すべきだ。これをやれば、おそらく電力会社の高コスト構造が是正され、大幅な電力料金引き下げにつながるだろう。

<感想>
最初の数ページを読んだ感想は「この人レベル低…」でした。その時点で読むのやめようとも思ったけど、読んでいくとなんとなくその感覚がレベルの違いじゃなく底にある考え方の違いにあるような気がしてきました。確かに、官僚の人たちの考え方がよくわかる1冊でした。
税金を使って利権を増やすだけ。本来必要なことかどうかは問わない。国益よりも省益を優先するような考え方、是非も問われるところかもしれない。でもどんな企業にもこういう面はあるなぁと感じて、人の組織の難しさや限界面を考えさせられました。人のことばっか言ってられないなと。
自分がこの国の国民であり税金を払っている以上、その税金を有意義に使ってほしいという思いもある。そのお金でポストを作って、そのポストではほっとんど仕事らしい仕事をしない人が給料として税金をもらう。その人たちの裏には、どれだけの人たちのどれだけの我慢があるんだろう。
決して本音では話してはくれないかもしれないけれど、官僚の人たちがどういう意識で仕事してるのか、聞いてみたいと思いました。
ただ、これだけ自分でこきおろしてる経産省に残って、閑職で著者は何やってんだろうとも思いました。仕事が与えられないなら、辞めればいいじゃん。うまくいくかはわからないけど、ゼロにリセットして新しいこと始めればいいじゃん。と。
それができないのに、こういう本を書いているっていう立ち位置の中途半端さがなんとなく気持ち悪い感じがしました。そのまま閑職でもそこにいればいい給料もらって食べていける。その地位を捨てることができないのかな。あえて捨ててまでやりたいことは特にないのかな。

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