2011年12月24日土曜日

多摩のまち 自転車探検【11年23冊目】


<本の紹介>
広範囲の移動が可能な自転車ならではの特性を生かし、多摩地域をじっくりと巡ってみませんか。それぞれの土地への思いがぎっしりと詰まった一冊に仕上がったと自負しておりますがいかがでしょうか。

《ジブリの風景》聖蹟桜ヶ丘では、映画「耳をすませば」で描いたそのままの風景をたどり、現実と物語の交差を楽しみます。《自然と歴史》玉川上水では、約350年前に掘りぬかれ今なお現役で活躍する「生きた史蹟」を源流めざして走ります。また、《基地と戦跡》稲城・南山では米軍の多摩サービス補助施設(旧・弾薬庫)が皮肉にも開発から森を守った様子を語っていきます。

著者の斉藤円華(東京都小金井市在住)は地域や環境をテーマに執筆活動を行っており、スローライフ研究家として持続可能なライフスタイルを探求しています。あとがきでは「宝物のような思いがけない情景に出会うこともあれば、開発によって自然が切り刻まれる痛々しい光景を見せつけられもした。良くも悪くも多摩の現在を、私なりの視点で活写した」と語っています。移りゆく多摩の景色を、本書とともにご堪能いただければ幸いです。

<メモ>
・多摩にとって、玉川上水は格別の意味がある。今から350年以上前に、羽村から四谷大木戸まで、43kmを標高差わずか100mの勾配で、1年弱(8ヶ月と伝わる)という短期間で掘り抜いたこの水路は、江戸の水不足を解消し、武蔵野台地の新田開発の原動力となった。1965年まで全区間が現役だった玉川上水は、江戸と東京、そして多摩の繁栄を支えたのだ。
・石川酒造は幕末頃から続く蔵元。清酒「多満自慢」はもちろん、立派な蔵と自家醸造の地ビール、それに併設された「雑蔵(ぞうくら)」で提供されるおいしい蕎麦でもよく知られている。2本並んでそびえる大きなケヤキの木は夫婦欅(めおとけやき)といって、お米と水の神様をそれぞれ祀っている。
・新奥多摩街道が福生駅西口通りと交差する付近からようやく用水沿いを走れるようになる。ここには石川酒造と並ぶ福生の蔵元、田村酒造がある。ここの清酒「嘉泉」も旨いのである。
・「投げ渡し堰」で用水に水を横取りされた多摩川の、何と流れの弱々しいことよ。私たちの飲み水のために必要とはいえ、少しばかり心が痛む。水は大事に使わなければ。
・多摩川にかかる橋を渡った対岸には羽村市立郷土資料館がある。羽村堰の水門を再現した展示や、河川敷には大雨時に流れの勢いを弱める木組みの枠を見ることができる。
・玉川上水駅から下流に向かって左の道路に入ると、小川分水の放流口手前にちょっと面白い場所を見つけた。なんと足湯ができるというではないか。地元の人たちが野外に設けられた足湯場でのんびりとくつろいでいる。その名も「こもれびの足湯」。隣接するごみ焼却施設から出た排熱を利用して、汲み上げた地下水を温めて循環させているのだとか。
・貫井神社の境内には湧き水による小さな滝が見られる。
・野川と人見街道とが交差する手前には蕎麦屋の「地球屋」がある。漫画家・吉田戦車が自転車エッセイ「吉田自転車」の中で「すげえうまかった」と紹介している、有名な場所だ。
・JR中央線武蔵境駅を出てまっすぐになんかして人見街道を右に行く。東八道路を交差して坂を下ると野川だ。近藤勇は小さい頃、このあたりで遊んだのだという。程なく進むと龍源寺。ここには近藤の墓がある。寺の門の前には胸像が。さらにすぐ先には生家跡の古井戸も残る。人見街道から新小金井街道を左に入って旧甲州街道を右へ。その先にある大国魂神社は、近藤の天然理心流四代目襲名披露の野試合が行われた場所。
・橋を渡って左の路地に入ると、土方歳三の墓がある石田寺が現れる。次に高幡不動尊。ここには土方歳三の巨大な銅像があるのだが、表情とかポーズが立派過ぎ、見ていて何だか気恥ずかしい。新撰組関連で見るべきはむしろその隣にある、近藤と土方を讃えた「殉節両雄之碑」だろう。篆額(てんがく)が会津藩主・松平容保(かたもり)、碑文の筆者が幕府典医で新撰組とも縁の深い松本順という、由緒ある碑だ。ここの山門には高いところに千社札がびっしりと貼りつけられていて、どうやってあの高さに貼るのかと感心する。
・小田急線北口から1kmほどの場所に、白洲次郎と正子が暮らした武相荘がある。GHQをして「唯一の従順ならざる日本人」といわしめた白洲次郎の茅葺き住居、一度見ておくのも悪くない。
・文豪の森鴎外、太宰治が眠る禅林寺。
・米軍ハウス近く、16号沿いのラーメン屋「福実」がうまい。ここは山田詠美や忌野清志郎が通ったことでも有名だ。
・延命寺には、空襲の犠牲者を悼む平和観音菩薩像があり、その側にはB29が落とした250kg爆弾の破片が置いてある。
・数千年の時間の厚みと、その中で積み重ねられた智慧と美を感じられる中近東文化センター。彩色された陶器のあたたかみや、素焼きの鹿や水牛ののびやかな造形、古代イランの凛々しいグリフォンの飾板、そしてイスラーム世界の息を呑むような幾何学文様、知を受け継ぐ文字の営々たる積み重ねと変遷…。どれひとつ取っても想像以上であり、時間が経つのを忘れて見入ってしまう。
・岡本太郎は、父岡本一平、母かの子と共に多磨霊園の一角(16区1種17側)に葬られている。太郎の墓碑は、作品「午後の日」(1967年)がそのまま使われている。一平の墓碑も太郎の作だ。ちなみにかの子の墓碑だけ観音菩薩。面白い取り合わせである。東郷平八郎ら海軍提督の巌のような墓石もある中で、ここだけはほのぼのとした空気が漂っている。
・都立東大和南公園一帯はかつての日立航空機立川工場で、航空機用エンジン生産の拠点だった。集中的な爆撃の標的となり、計3回の空襲で工場の半分が壊滅し、110人が死亡したという。その当時の変電所跡がそのまま残っている。これはいつ見ても言葉を失う。
・府中基地をぐるっと一周するように走る。フェンスの向こうに戦闘機が2機鎮座しているが、むろん府中基地に滑走路はない。退役したものからエンジンの主要部品を外して展示しているのである。
・旧多摩聖蹟記念館。「聖跡桜ケ丘」の聖跡だが、この言葉には「天皇が訪問した場所」という意味がある。明治天皇がこの一帯で兎狩りなどを楽しんだことに因んでいるが、ここを訪れるまでは意味も由来も知らなかった。なるほど。
・IHI瑞穂工場を迂回するように進むと、野山北公園自転車道の起点がある。多摩湖(村山貯水池)への導水管の上を走っている。1921年からの導水管建設時、その後の狭山湖の堤防工事のときには、資材運搬のための軽便鉄道が走った場所だ。本当ならば、羽村からまっすぐ自転車道が伸びていてもおかしくないのだが、ご覧の通り、工場と横田基地が間にでんと居座っている。ちなみに、基地の向こうの羽村側は神明緑道として整備されており、基地がなければ羽村堰から1本で自転車道が続いていたかもしれない。

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