2012年1月14日土曜日

本「中央線なヒト 沿線文化人類学」【12年006冊目】

<本の紹介>
何かにつけてウンチク、ビンボーそうなのにヨガやマイブームには大枚をはたく、上昇志向なんて恥、夜は馴染みの飲み屋で一杯……。そんな「中央線人」の変なオーラとディープな生態を観察する、お笑い「沿線文化人類学」。何かにつけてウンチクを垂れ、ビンボーそうなのにヨガやマイブームものには大枚をはたき、上昇志向を持つことを恥とし、夜は馴染みの飲み屋で一杯…。そんな""中央線っぽい""人、あなたの周りにもいませんか?本書は、そんな「中央線人」の変なオーラとディープな生態を鋭く解き明かす、抱腹絶倒の「沿線文化人類学」。中央線沿線の住人はもちろん、東京を知る人なら誰でも笑える!中央線に住んでる女は男に口説かれなくなるって、ホント!?

<メモ>

  • 甲武鉄道は、起点の新宿から終点の立川までの間に、二つしか駅がなかったというから、驚き。その二つとは、中野と、意外なことに武蔵境。
  • 昭和初期には、高円寺から西荻窪にかけての文化人・作家グループが、井伏鱒二を中心に集って「阿佐ヶ谷会」というのを作った。これが、"元祖中央線文化人"の集合体です。そのメンバーとは。彼を慕って集まった太宰治。仏文学者の青柳瑞穂。『チャタレイ夫人の恋人』を訳した伊藤整。文壇のまとめ役、巌谷大四。『安曇野』の作者・臼井吉見。芥川賞受賞の小田嶽夫、社会評論家でもある亀井勝一郎、仏文学者の河盛好蔵、私小説の上林暁、木山捷平、外村繁などなど、近代文学に貢献したそうそうたるメンバーが顔を連ねています。
  • 喫茶店はパリでは、さまざまな人々が集って討論したり、刺激し合う場所なのに対して、中央線のソレは、ひたすら個人が内向し、内省する場所なのです。
  • 環境保護に熱心な中央線人は、車の出す排気ガスを非常に遺憾なことだと考え、ノーカーデーすら画策されていた。
  • 中央線の名曲といえば、南こうせつの同棲生活を歌った『神田川』、『荻窪二丁目』、The Boomの『中央線』。他にも甲斐バンドの『新宿』、そして斉藤哲夫の『吉祥寺』などなど。不思議なことに中央線絡みの歌はアッパーではなくすべてダウン系。聞けば心が落ち着き、頑張らなくっていいんだという気持ちにさせられるものばかり。
  • 風水師・御堂龍治さんによれば、風水の龍脈は、富士山から中央線上を出たり入ったりしながら、江戸城まで到達するというお話。龍脈というのは、簡単に言えばエネルギーの流れるラインのことです。さらに日本最高の預言者の一人、出口王仁三郎は、荻窪の地で「ここから関東の神の仕組みがはじまる」とのたまわったとか。霊界の案内人・丹波哲郎さんは、そのせいかどうか、西荻在住。オウムの基となった団体や幸福の科学、芸能人の信者の多いワールドメイト(かつてのコスモメイト)も、西荻が発祥の地。ヒゲとインド服の人が多い「ほびっと村」では、瞑想講座や夢見講座がひらかれる。インドの覚者ラジネーシのセンターも荻窪にある。高円寺には、立正佼成会。超心理学者・本山博氏の国際宗教・超心理学会は吉祥寺に。エホバの証人の王国会館は三鷹に。女優の沢口靖子さんも信者の真如苑は立川に。国分寺は、聖武天皇が建てた武蔵野国分寺があったところ。当時最大規模だったというから驚きますね。
  • なんでもある吉祥寺に、たったひとつないもの。それはズバリ、吉祥寺というお寺です。
  • 東京経済大学では多摩をより良くする"多摩学"の研究がなされています。
  • 高尾駅北口にある「多摩森林科学公園」は、桜のメッカ。日本全国の二百五十種にもおよぶ桜があり、五月に行ってもひと月遅れの桜を楽しめる場所です。

プレゼンテーションZen【12年005冊目】


プレゼンテーションZen プレゼンのデザインと伝え方に関するシンプルなアイデア

<本の紹介>

本書はアマゾン・ドット・コム「Best Of 2008」ビジネス書部門 Customer Favorites 分野第3位に選ばれた大ベストセラー「Presentation Zen: Simple Ideas on Presentation Design and Delivery」の邦訳版。
聴衆と自分にとって分かり易い、「抑制」・「シンプル」・「自然さ」を心がけた、効果的なプレゼンテーションのための原則や概念、創造的なアイデア、実例などをバランスよく提供。従来のパワーポイント中心のプレゼンテーションに異議を唱え、プレゼンテーションの実施やデザインに発想の転換を促す注目の1冊である。

<メモ>
・一体いつから、聴衆は文字を読むことと話を聞くことを同時にこなせるようになったのか(スクリーンに表示された12ポイントの文字が読めたとしての話だが)?
・目の前にある日本の弁当はすばらしく効率的で、献立は十分に練られており、無駄なものは一切ない。それに比べて、通路越しに見えるPowerPointのスライドは、まとまりがなく、とても分かりやすいとは言えない。
・目標はより多くを知ることではなく、より多くを無視し、忘れ去ることである。そうすれば本質に目が向き、少数の重要な機能だけに集中することができる。
・剣術の第一原則は、小手先の技術に頼らないことである。大抵の剣士は技術を重視しすぎており、場合によっては、それを最大の関心事にしている。
・ビジュアルは言葉より記憶に残りやすい。しかし、ほとんどのスライドにおいて、いまだに箇条書きが主流になっている。それらは通常、何のメリットもない。
・いつの頃からか、「物語」はフィクションや嘘と同義語になってしまった。物語やそれを語ることは、ビジネスや学問の分野では無視され、真面目な人間が関わるものではないと思われてきた。しかし大学生たちの話から判断すると、もっとも有能な教授とは実際にあったエピソードを話してくれる人のようだ。私の教え子は、一番いい教授は、ただ教科書を進めるのではなく、物語を語ることで、自分の個性や人柄、経験を題材に反映させていると言う。その結果、分かりやすく、印象的で、人を引き付ける授業になるらしい。
・コンセプトの時代において、仕事に欠かせないものは、真面目さだけではなく遊び心である。
・自分のアイデアを推進したい人々は、内外の聴衆を説得しなければならない。もしその場にいる全員があなたと同じ意見なら、プレゼンテーションを行う必要などないではないか?その代わりに1ページにまとめたプロジェクト報告書を印刷して全員に配れば、かなりの時間を節約できるはずだ。そう、我々がプレゼンテーションを行う理由は、言い分を主張し、一つの、あるいは複数のアイデアを受け入れさせることである。
 自分のアイデアに自信があるのなら、それを売り込もう。できる限り主張を通し、プレゼンテーションの意義を果たそう。聴衆はあなたに感謝するだろう。なぜなら、心の底では誰もが説得されたがっているからだ。
・スライドはあなたの言葉をそのままなぞったものではなく、それらの言葉を効果的に演出するものでなければならない。
・例えば、ヒューストンの大気汚染について語るとしよう。環境保護庁によるデータの箇条書きを4つ並べるのではなく、データを読み上げながら、大量の死んだ鳥や、スモッグや、公害病患者の肺の写真を見せてはどうだろうか?「ひどいじゃないか!」「あんまりだ!」効果てきめんである。
・初心者の心には可能性が溢れているが、熟練者の心にはそれがない。
・僕にとってコンピュータは、人間が考えついた最も素晴らしい道具なんだ。それは知性にとっての自転車に相当するものだ。
 移動することにかけては、人間は他の動物に比べてあまり効率のいい動物とは思えない。しかし、自転車に乗れば、人間は地球上で最も移動効率のいい動物になる。自転車は我々のインプットをとてつもなく生産的な形で増幅してくれる。これこそ、コンピュータの果たすべき役割ではないか?
・今日の人々は、往々にして、何らユニークな視点や創造性、新しい要素をプレゼンテーションに持ち込むことができていない。その理由は、彼らが賢くないから、あるいは独創的でないからではない。スローダウンし、1人になってじっくり問題を見つめる時間を持たなかったからである。物事の全体像をつかみ、核となるメッセージを見いだすには、「文明の利器に頼らず」に、1人で過ごす時間が欠かせないのかもしれない。
・社会は孤独や一人きりの時間を過小評価し、他者への愛着を過大評価している。
・「何が言いたいのか?」核となるメッセージを見いだし、それを分かりやすい形で表現することだけでも、プレゼンターにとってはかなりの難題だ。では、「なぜそれが重要なのか」は?人々が一番つまづきやすいのはこの部分である。プレゼンターにとって自分の題材はあまりに身近な存在であるため、なぜそれが重要なのかは明白であり、改めてアピールするまでもないような気がしてしまうのだ。しかし、人々(大部分の聴衆を含む)があなたから聞きたがっているのは、まさにこの部分なのである。「それは我々とどんな関わりがあるのか?」こうした問いに答えるためには、筋の通った議論に加えて、相手を説得したり、感情に訴えたり、共感したりする必要がある。ここで言う共感とは、ある事実がプレゼンターにとって明白であっても、みんながそれを分かっているわけではないことを知ることである。
・スピーチを分かりやすく演出するビジュアルを生み出すべきか?それとも、会議後に読む資料のようなスライドを作成すべきか?大抵のプレゼンターは2つの間を取って妥協しようとする。その結果、スピーチを演出する視覚効果に乏しいビジュアルが作り出され、読みづらい(ゆえに、誰も読もうとしない)、文字やデータだらけの文書のようなスライドが生まれる。こうした疑似文書は非常に読みにくい代物である。文字や画像が載った小さなスライドを延々と印刷しても、文書の代わりにはならないからだ。
・物事を突き詰めてみると、最後に行きつくのは、何かをやりたいという欲求と、学ぶ意志、そしてものを見抜く力になる。
・SNR(シグナル/ノイズ比)とはスライド等のディスプレーにおける、無意味な情報に対する意味のある情報の比率を指す。目標はスライドのSNRをできる限り高くすることである。認知上の過度の負担に人は対処できないものである。新しい情報を効果的・効率的に処理する人間の能力には限界があるのだ。高いSNRを目指すことは、人々にとって分かりやすいデザインを作り出そうとすることを意味する。
・人は成功や失敗のことを思い浮かべたとたん、心に好きのできてしまった剣士のようになる。ほんの一瞬、技術や勝敗のことが頭をよぎるのだ。その瞬間、剣士は試合に敗れる。逆説的に思われるが、パフォーマンスの途中で成功や失敗、あるいは成果や技術に関して思いをはせた瞬間に、我々は失敗への道を歩み始めているのである。

街角の煙草屋までの旅【12年004冊目】


街角の煙草屋までの旅

<本の紹介>
吉行さんが書き残したエッセイを読みたどることで「吉行淳之介の魅力」を探るシリーズ『吉行淳之介自身による吉行淳之介』第三巻。本書は一九七九年吉行さん五十五歳の時に書かれた「エア・ポケット」から、亡くなる一年前、一九九三年に書かれた「井伏さんを偲ぶ」まで六十四篇を収める。

<メモ>
・葬式は死んだ当人のためではなく、遺族や親切な友人たちのためにおこなわれる、と考えた方が良いだろう。本当の新設は当人の意志を尊重することだと思うのだが、世の中は厄介なもので、その通りにすることは不可能に近く、小規模で終わらせるのがせいぜいである。正式の遺言状をつくって、葬式を拒否しておいても、それが無視されるのが実情である。
もっとも、死んでしまったら、なにも分からなくなるわけだから、そのあとでどんな形の葬式をされても当人には無関係ということになる。「どんな葬式をされたいか」という考え方は、当人の気質の参考になるだけのことのようだ。
・私たちが飲み屋や角の八百屋まで歩いていくときでさえ、それが二度と戻って来ないことになるかもしれない旅だということに気が付いているだろうか?そのことを鋭く感じ、家から一歩外へ出る度に航海に出たという気になれば、それで人生は少しは変わるのではないだとうか?そこの街角までとか、ディエップなりニューヘイブンなり、どんなところへでも、小さな旅をするあいだに、地球の方も、天文学者さえも知らないところへ小旅行をしているのだ。
・無声映画時代に画面に若い二枚目が登場すると、弁士は「現れましたのはジョンであります」と言い、恋人役の若い女は「メリー」、悪漢は「ロバート」ということになっていた。
・一つの病気の専門医が、その病気を体験していないということには、問題がある。患者の苦痛を頭の中では理解できても、実感として分からないというのが、その問題点である。

〈アイデア〉の教科書 電通式ぐるぐる思考【12年003冊目】


〈アイデア〉の教科書 電通式ぐるぐる思考

<本の紹介>
本来の「アイデア」とは単なる思いつきではない。課題に対する解。電通の社内で先輩から後輩に継承されてきた秘伝を初めて公開する。

<メモ>
・知識とは「意味のある情報」です。たとえばインターネット上で大量に流通しているのは単なる情報ですが、これと人間の思いが一緒になって初めて「知識」になります。ですから知識を準備するためには情報を仕入れなければなりません。
・そもそも「数値データだから正しい」というのも怪しい話です。一度でも自分でアンケートに答えた人なら心当たりがあるかと思いますが、記入し終わった回答票は何とも中途半端な代物です。決して嘘をついたわけではないけれど、自分のある一面しか表現できていないというか。もっと別の聞き方をしてくれたら、もっと別の答え方もある、というか。まぁ、そんなものです。
・「人にもよりますが、だいたい50本くらいは書けちゃうんですね。そんなに努力しなくても。自分の手に負える範囲で。でも、その先はうなりながら、あるのかないのかよくわからないので、恥を捨てて引っ張り出してこないと数がつくれなくなるんです。そんな窮地に追い込まれた状態でないと、他の人が考え付かないようなアイデアは出ない、ということなんだと思います。
・「これからは問題を素早く解決するヒトが偉いんじゃなくて、いかに面白い問題を作ることができるか。そのままではどうにもならない問題を、ドラマチックで興味深い問題に作り変えることができるかがポイント」
・ジンバブエのムガベ大統領が新聞社に重税を課したとき、彼らは「ムガベの悪政を知らしめる」ことを選びました。そして、それを解決するために注目したのが、インフレーションで紙屑同然の価値しかなくなった「1兆ドル紙幣」でした。白いポスター用紙を使うよりもはるかに安価な「1兆ドル紙幣広告」というアイデアは、それだけで力強いメッセージを発信し、世論を喚起し多くの資金集めに成功したといいます。
・すぐれたアイデアは身近で、簡潔で、実感があるのです。それが「手のひらに乗る」ということです。

地宝論 地球を救う地域の知恵【12年002冊目】


地宝論 地球を救う地域の知恵

<本の紹介>
・チェルノブイリ原発事故の後、キログラムあたり370ベクレルという輸入食品の放射能汚染基準に、シイタケがよく引っ掛かっていたことを思い出しました。調べてみると、放射能をよく集めてくれる作物がありました。「NPOチェルノブイリ救援・中部」がチェルノブイリ現地でナタネを育てていたのです。ナタネやヒマワリは効率よく土地の放射能を集めてくれるのです。種から油を絞ってバイオディーゼル燃料に使い、バイオガスにして煮炊きに使い、その後の搾りかすだけを放射能物質として管理保管していました。
この仕組みを進めれば、土壌はいずれ回復していくことができます。僕はこれを進めるべきだと思うのです。
・問題のあることはわかっています。でも汚染された土壌に自ら残って、命がけで浄化しようとする人を禁止すべきでしょうか。立証データがなければしてはいけないでしょうか。問題があるからあきらめるべきでしょうか。違いますよね、解決しながら進めるべきなのです。社会を変えるのは学者や評論家ではありません。小さな市民のたった一歩の活動だと思うのです。
・「農薬なしに農業はできない」とよく言われますが、日本で本格的に農薬が使われ出したのは戦後10年ほど経ってからでした。それまでは農薬がないのに作物は今よりずっと多く作られていました。
「日本は国土が狭くて自給できない」とも言われますが、1960年時点ではカロリーベースで8割、穀物や主食用穀物は9割自給されていました。
「国産だったらスギ・ヒノキで家を建てるのが当たり前」と人々は思っていますが、戦後の拡大造林までは、一部の地域を除いてスギ・ヒノキは植えられていませんでした。しかも育つのに50年、100年かかりますから、建築材として使えるようになったのはごく最近のことなのです。
・国境線を越える燃料には税金がかからないんです。燃料はコストの中で大きな比重を占めますから、日本国内で作ったものを燃料代と税金を払って運ぶより、人件費の安い中国で作らせて、税金のかからない燃料で東京に運んだ方が安くなってしまうんです。その結果、中国で作られたものを輸入した方が儲かる仕組みになってしまいました。
もし飛行機の国際航路に国内と同じように税金をかけてしまったら、その日のうちに経済のグローバリゼーションはなくなってしまいます。今の経済学者は経済のグローバリゼーションは合理的だと言いますが、これは税金が作ったトリックなんです。
・私たちが地球温暖化の防止をしようと思ったときに一番簡単で効果的な方法は、普段、車に乗らないこと。往復8キロの道のりであれば、1800グラムの二酸化炭素が削減できます。しかし、もっと減るものがあります。たとえばブルーベリーです。ブルーベリーは国内でも収穫できますが、現在、そのほとんどがアメリカからの輸入です。しかも空輸されてきます。たった200グラムのブルーベリーを国内産に替えるだけで、2800グラムの二酸化炭素が減るんです。
たくさんの飛行機が国境線を越えて二酸化炭素を出す。この分は京都議定書の規制を受けていないんです。あくまでも京都議定書のCO2の排出規制は、それぞれの国ごとの約束です。国と国の間を飛び回るCO2はどこの国にも貴族しないので、規制されないのです。そのために現在もどんどん増えています。でも、これを止めないと何の解決にもなりません。そのための「国際炭素税」が考えられていますが、それが実現するまでは野放しなんです。
・小麦やトウモロコシといった同じ種類の作物を大量に作っている大規模農家と、いろんな種類の作物を作っている日本の小規模農家を比べた数字にはおかしなところがあります。いろんな作物のトータル収穫量と、大規模農家の単一作物の収穫量を比べると、小規模農家の方が作物全体の年間収穫量では5倍大きいんです。よく言われている話とは逆です。だから大規模化するのは収穫の効率性、つまり、売りやすさの問題でしかなくて、単位面積当たりの生産性では小規模農家を増やすべきなんです。貧しい国の食糧問題の解決策はよく言われる大規模化ではありません。逆に大規模プランテーションをなくして、小規模農家を増やしたほうが、食べられる人の数は5倍も拡大するんですよ。
・そもそも、アメリカの大量の穀物はどこからやってくるのでしょうか。サハラ砂漠をセンターピボットという巨大な水撒き機で、半径2キロにぐるっと水を捲いて生産をしているから、畑の形が丸いです。アメリカの中部、西部に広がる農地も同じです。こうした場所で、トウモロコシや小麦などを育てています。この捲かれている水は、オガララ帯水層という地下に数千年かけて溜まった化石状の水たまり=化石水です。ここからどんどん吸い上げて使っているので、2020年には枯れると言われています。そんなところに食品の生産を任せておいて、日本は自動車を輸出していればいいなんて、まったく冗談じゃないです。
・現在、農家の平均的な取り分は、スーパーな店舗で売っている価格のわずか12.5%です。スーパーで200円で売っている作物(農家の取り分は25円)を、私に100円で売ったとしても、農家の収入は4倍増えることになります。
こんなこともできます。例えばお米であれば、私は円が暴落してインフレになって食べ物が手に入らなくて飢えるような状況になったとしても食べていけるように、今後20年分確保したい。1年間に1人当たり1俵(60kg)のお米を食べると言われていますが、1俵のお米を作っても、今の買取価格はわずか1万3000円です。これでは農家はやっていけない。農家から3倍の値段で売ってもらうとしましょう。そうすると1年分で3万9000円、10年で39万円、20年で78万円になります。玄米ならほぼ完全栄養の食品ですから、あとリジンを含む豆類と少しのビタミンCを補えば、飢え死にする心配はなくなります。私は78万円出すことで、20年間生きていける保障が得られるわけです。
・ネオニコチノイド(農薬)はフランスやドイツですでに禁止されています。しかし日本ではまだたっぷり使われています。それどころか、単位面積当たりで最も大量に使っているのが日本なのです。しかも食品に認められる残留基準も極めて甘い。ものによってはヨーロッパの500倍の甘さです。1年は365日ですから、日本の基準では、1日でヨーロッパの人たちの1年半分の農薬を摂取することができてしまうのです。
・アセタミプリドは「キャベツに薬液散布後、200ppmで散布21日後まで、100ppmでも散布14日後まで90%の殺虫効果を示し、キャベツ苗の根部を希釈液に浸しただけでも低濃度で殺虫活性を示した」と書かれています。低濃度のアセタミプリドでも、2,3週間残っていたということです。しかもキャベツへの使用時期は、出荷7日前までとなっています。家にあるキャベツも、まだ殺虫効果を持ったままだということになります。私たちの脳が虫と同じアセチルコリン受容体を持っているのに、殺虫効果を持ったままのキャベツを摂取することになるのです。しかもまずいことにこのアセタミプリドはネオニコチノイドの中でも例外的に、脳に蓄積するのです。
・「農薬を使うなというのは人権侵害に等しい」と言われました。たとえば除草など、大変な手間になるので人々を苦しめるだけだというのです。しかし、現実にドイツでもフランスでも実現しています。農の技術・知恵・歴史ともに格段に優れているはずの日本に、なぜできないのでしょうか。吉田さんは自分の「お腹の畑を耕そう」と、野菜の芯や根菜類の皮などの”成長点”を食べようと提案しています。そして現実に、吉田さんのアドバイスを聞き入れた子供たちの多くが低体温を改善させ、病気にかかりにくくなっています。「農」は医療より重要で、「食」は薬より効果があります。
・ベニヤ板、接着剤、集成材がぷーんとにおう『毒物の館』が普通の家。反対に、スギを生かした住宅に住めば病気を寄せ付けず、抗酸化物質ですから、病気や老化を防ぐ効果もあるでしょう。私たちは本来生き物が持っていた優れた効果を、単なる機械のように扱うことによってダメにしてきたように思うのです。ちなみに、スギにもヒノキにも殺菌効果がありますから、家ダニ駆除の効果があります。ですがヒノキのフィトンチッドには興奮作用がありますから風呂場に使うと元気になりますが、寝室に使うと眠れなくなるかもしれませんね。一方、スギには鎮静作用があり、気持ちを落ち着かせてくれますから寝室にはうってつけです。
・「いのちの林檎」というドキュメンタリー映画があります。無農薬で除草せずに作る「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんが出てきますが、彼が主人公ではありません。中心はCS(化学物質過敏症)患者の母娘です。
・「この世界に無駄な命などない」と考えるアミタ株式会社が、森で育てる酪農を鮮烈な形で復活させました。丹後半島の森の中で牛の放牧を始めたのです。しかも山地酪農では徐々に丘状にしていくのに対して、アミタの考える「森林酪農」では森のまま維持します。アミタで放牧されているのは種牛を除いて乳牛で、乳牛は一日一度、乳が張ってそれを絞ってほしくて牛舎に並びます。それ以外の時間すべて、牛たちは山の中を散策しています。雪が降る真冬でも牛たちは外にいます。出産するときも牛だけで自力でします。
森の中で牛に出会うと驚きますね。森の中で大きな動物に出会うことはないですから。ここで作られた牛乳は、成分の調整などせずに大手の百貨店で販売しています。週一回の販売、しかも市販の牛乳価格の7倍だというのに、これまで3年間、一度も売れ残ったことがありません。
アミタはその牛を、林業にも役立てているのです。牛は下草を食べてくれるので、夏場、人が立ち入ることができないほど密生する下草が、すかすかになります。そして牛は大きな図体で自然に枝落としをしてくれます。まるで下草刈りしたみたいな森になるのです。牛糞は一頭当たり一ヘクタールあれば、そのまま山の栄養になります。逆に草の成長量から言うと、一頭あたり二ヘクタールの面積があれば牛と雑草が共存できます。
これを林業に役立てたら、最大の費用がかかっている草刈りがいらなくなります。林業から考えると、コストをかけて乳牛を管理しなくても、雄牛を中心に飼うことで除草を任せることができます。
・ブタが耕運機代わりになるのです。放棄されて大分経って竹林になってしまった土地でも、根っこから掘り返します。生えている木も、根っこから掘り返します。ブタは土を食べますが、特に木の根の周りの土が好きなようです。柵をしておかないと、ブタは倒れるまで木の根を掘ってしまうのです。たいがいの耕作放棄地ならブタに開墾させるのが、一番早道な気がします。
このブタたちは健康です。健康だからおいしいのです。このブタ肉はあるシェフに認められて、北海道で洞爺湖サミットが行われたときの食材にも使われました。
・竹の中には乳酸菌が含まれています。そのおかげで竹を粉にしてビニール袋に入れておくと、発酵して「ぬか」そっくりなものになります。そこに生ごみを入れれば、臭いも出さずに二週間で分解され、それが堆肥になります。それどころか、その竹粉そのものが飼料になるのです。特に牛やブタは大好物で、竹粉を混ぜた飼料を与えると、その後は竹粉がないと食べなくなるほどです。堆肥としても有効で、竹粉を捲いたところだけ、草の成長が飛びぬけていました。
こうして使えたら、竹害が国産飼料になります。カロリーベースで日本の食糧自給率が40%と低いのは、配合飼料の輸入が多いためです。もし竹粉でまかなうことができたなら、日本の食糧自給率は52%まで向上することになります。
・もっと複合的な、自然に近い生産方法に戻すことが解決策になると思います。森は林業のためだけのものではない。農家は農業生産だけするものではない。畜産は畜舎で動物に配合飼料を与えるだけのものではない。それらが複合した形で生産されるとき、自然は元の形に戻り始め、私たちの生活はお金に頼らなくても生きていけるようになっていくでしょう。どこか生命の機能の一部分だけを取り出して、それだけを極大化・大量生産化させてきました。それが巨大農場だったり、巨大な畜産向上だったり、その他の向上だったり会社だったりしたのです。会社は私たちの能力のほんの一部分だけ取り出して、それだけで評価するところですね。そうではなくて、どんな人にも役立つ部分を見出すこと、役割を探していくことが大事だと思います。役立たずと思う前に、役立てられるものを見つけられていない自分を恥じた方がいいのではないかと。
・青森県の六ヶ所村で再処理工場の建設が始まった。これは、原子力発電所で使い終わった燃料を切って溶かして、廃液の中からプルトニウムを取り出す施設です。これまでトータルで3兆円かけて作った仕組みですが、ものすごい量の放射性物質を流すんです。1年間に流すことが許される最大の放射性物質の放射線量を「致死量」で割ると、なんと5万人を超えます。5万人分の致死量の放射性物質を、排水管と煙突から流していいことになっているのです。海に流していいと設定されている量は、最大4万7千人分に相当します。太平洋全体に希釈されて濃度が薄くなるから大丈夫だ、というのが理由です。
この建物はアクティブ試験中にセシウムで比較して広島に落ちた原爆の2.5発分の放射能がたまってしまい、もう建物を開けることができなくなっています。この中の一番寿命が短い装置はあと1年半しかもちません。でももう放射能漬けになってどうしようもない。この施設に投じた数千億円は、アクティブ試験をしただけで捨ててしまうことになりました。もう一つの系統を使って再開しようとしていますが、実用品にはならないでしょう。施設はこのままコンクリート詰めにしないといずれこぼれてきて、重茂漁協にも放射能が流れてしまいます。
・私たちが六ヶ所村再処理工場に反対しているとします。一方でお金を郵便貯金に預けていたとする。そうすると、預けたお金は意志とは関係なく工場に投じられてしまうんです。反対をしているのに、貯金という形で資金を与えることになるわけです。資金が止まらなければ、もし六ヶ所村の工場を止めさせることができたとしても、別の場所に新たな工場が建ってしまいかねない。そこにお金がある限り、永遠のむぐらたたきゲームをやらされることになります。再処理工場を本当に止めさせるためには、郵便貯金を止めるしかありません。
歴史をたどると、もっとすごいことがわかってきます。日本がアジアへの侵略戦争をしたときの戦争資金のうち、8分の1は税金から、残りの8分の7はなんと郵便貯金を使いました。
・イスラエルという国に最も援助をしているのはアメリカです。ODA(Official Development Assistance=政府開発援助)の対象国といえば、援助する必要がある貧しい国をイメージしますね。ところがアメリカが一番援助をしている相手国はイスラエルなのです。しかも軍事援助です。アメリカ自体は貿易赤字で財政赤字。カネがないんです。国債をほかの国に売って、資金を集めて援助資金を出しています。その国債を日本が買っているのですから、「私たちのお金が使われている」ということです。
具体的には、私たちの郵便貯金や銀行などから政府の発行する短期国債が買われ、その資金で政府は米国債を買っている。アメリカはそれで得た資金で、軍事援助をしている。つまり、パレスチナへの爆撃も私たちのお金のおかげで実行できたという構造になっているのです。これが、私たちのお金が引き起こしている現実です。
・基地を撤去した後の日本の安全は?と心配する人もいるかもしれません。しかし、アメリカの基地を全部追い出した国があります。南米エクアドルです。当然アメリカは怒りました。「なんで俺の基地を置かせないのだ!」と。そこでエクアドルの大統領は言いました。「じゃあ分かった。全部置かせる代わりに条件をつけよう。わが国に置いているアメリカ基地と同じだけ、アメリカ国内にエクアドル政府の基地を置かせてくれ」と。
これが対等な国同士の当たり前の論理です。明治期の不平等条約でない限り、普通はそういうものです。しかし、アメリカ国内には、他国の軍隊をおかせていないですね。こうしてエクアドルは、アメリカの基地を撤収させました。
・日本は、日本人が食べる分の作付けのために、国内に存在する農地の約3倍の農地を海外に確保しています。その国では、自分たちの生産する土地が奪われてしまって、自分たちの食べるものを作ることができない。これを「飢餓輸出」と呼んでいます。
・世界の貧しい国で3秒に1人の子どもが死んでいくのは、他国からの借金(債務)が問題なのです。子どもたちを救いたいのだったら、まずは債務を免除してやることが重要なんです。実は、途上国に世界で一番カネを貸し付けているのが、私たちの日本です。
・2005年に「ほっとけない世界の貧しさ」と呼びかけ、「ホワイトバンド運動」が広がりましたが、そもそも貧しい国を日本が放っておいてくれていたら、それらの国は貧しくならなかった。元凶の日本が、「放っておけない」なんて言っていたわけです。
・ヨーロッパには、「クラスター爆弾を作っている企業に融資してはいけない」と国会で決議した国もあります。儲かる話ですが、融資ができない形になっています。イスラム教は、そもそも兵器に融資できません。そんな中、全く制限がないのが日本。その結果、日本の三大メガバンクが、クラスター爆弾を作っている企業に世界で一番融資していました。「将来の暮らしを守る」つもりで預けたお金が、知らぬ間に世界中の子どもを攻撃することにつながっていたのです。
・市民の力は小さなものです。ですが無力ではなく「微力」なのです。
・世界銀行は何をしているところかというと、「世界の農業の自由化を進めている」ところなのです。これでは「農業自由化に反対して農協に貯金をすると、もれなく農業の自由化がプレゼントされる」という構造になってしまうのです。
・私たちが口で言ったり、祈ったりしたことは現実にはなりません。未来は、お金をどこに預けたか、どう使ったか、どう稼いだかによって決まるものなのです。
・私たちは、ナナメの方向として「未来バンク」というものを作りました。市民が自分たちで出資し、自分たちが望む方向にだけ融資する非営利のバンクです。未来バンクが融資の対象にしているのは、環境にいいことか、福祉か、市民が社会を作ろうとするような市民事業にだけです。
・皆さんが郵便貯金に貯金しても、農協に預けても、銀行に預けても、それらのお金の使い道を決めるのは必ず東京になります。みなさんがそのお金を使うことができるのは、公共事業を引っ張ってきたときだけ。しかもこれまでの公共事業では環境を破壊し、経済をダメにし、赤字を残してつぶれて消えていってしまいます。みなさんがそのお金の使い道の決定権を放棄し、東京に決定権を委ねてしまったことに問題があります。
お金がもし自分たちの手元にあって、そこで融資なり、投資なりされると、そこには必ず雇用が生まれます。雇用された人は何か食べる必要があるので、必ず生産を必要とします。つまり、経済循環を生み出す最初の一撃は、「地域がカネを持っていたかどうか」で決まるのです。だから地域の中にお金を残す。自分たちの地域に資金を残すことは、どうしても必要なことだと思っています。だから、未来バンクは大きくなるのではなくて、各地域にバンクを作ろうとする人がいるならそこに協力するのです。
・私たちがお金に関わるのは3つの場面です。「どう稼ぐか」「どこに貯金するか」「どこで何を買うか」ですね。「働く」「貯金する」「買う」、この3つです。
・地域の中でお金がまわる仕組みを考えることはとても大切です。なぜなら地域経済が活性化しているときは、必ずモノやサービスが回転しています。そのときには必ず逆方向にお金が回るのです。地域経済の活性化の程度は、「地域の資金量×回転数」で決まるのです。しかも「円」と「共通商品券」があったら、人々はまず先に「共通商品券」から使いますね。他の地域では使えませんから。そうすると回転数が高まります。不安定な通貨は回転数を高めるのです。
・ミスチルの櫻井さんは「僕は人並みには努力したと思うし、人並みには苦労したと思う。でも、人並み外れたお金を稼ぐようになってしまった。こんなことを続けていたら、いずれ罰が当たる」と。その矢先に脳の病気になったので、「そら見たことか、やっぱり罰が当たったんだ」と感じたそうです。音楽が大好きでミュージシャンになったのに、彼はお金が儲かり過ぎることに罪悪感を感じて、音楽をやることが嫌になりかけていたのです。彼は「ギフト」という言葉に特別な思い入れを持っています。世間では、よく「ギブアンドテイク」と言います。日本語に訳すと「やるからよこせ」ですね。でも同じことなのに、逆の方法もあるんです。「あなたに差し上げたい、どうか受け取ってほしい」と、「ありがとう、あなたの思いを受けとめます」という関係です。いうならば「ギフト・アンド・レシーブ」です。その循環に入れば、きっと彼のように良循環の中で生きていくこともできるのだと思うのです。
・NPOふうどが進めたバイオガスのプラントがあります。まず、地域の団地から生ごみを集め、それを空気に触れない形で微生物に分解させます。空気に触れないところで微生物が分解すると、メタンガス発酵します。メタンガスは別名「都市ガス」、燃えるガスが取れます。これをバイオガスと呼んでいます。残った生ごみ由来の液体は、すっかり臭くなくなって液体状の堆肥、つまり「液肥」になります。これを地域の有機農家に販売しています。そこから作られたコメや大豆を「液肥米」「液肥豆腐」として、ブランドづけして販売しています。ここがバイオガスプラントを作ろうとしたときに、ap bankが融資したのです。福岡県大木町は、以前は海に捨てていたし尿や生ごみを回収しバイオガスに入れたところ、ごみの量が実に44%も減ったのです。
・一面を緑にしたいと考えたとき、例えば法律で上から強制するみたいに一気に緑のペンキで塗ってしまえと考える人もいます。しかし、小さな緑の点をたくさん増やすことでも、一面を緑にすることができるのです。
・金利を2桁も取るような銀行から借りていてはダメです。現時点で経済成長率はたった1%ですから、その事業が2桁も成長するんだなんてあり得ません。そんな無理をしなくても社会を成り立たせられる仕組みを、自分たちで作ればいいのです。地域は今、国から公共事業をもらうことばかりに躍起になっている。そうやって国に頼ってばかりではなく、自分たちの経済を自分たちでつくる地域のモデルが、どんどんできればいいと思っています。
・お金は、「時間差」を作り出すことができるんです。その時間差が、すべての問題を引き起こしているのではないでしょうか。現在、ヤシから取れる油を使ってバイオディーゼルを作っている企業は、優良企業と呼ばれています。ヤシを取るためには、山の熱帯林を全て丸裸にし、ガソリンをつけてあたり一面燃やし尽くしています。トウモロコシや大豆からバイオ燃料が作られ、人々の食べる分を失わせてまでクルマを走らせる。しかしそれらの作物は、過去数百万年かけて貯まった水を使って作られ、間もなく砂漠に戻ることになる。そうやって将来世代をだめにしながら金儲けをしている企業が、「優良」とされているのが今の世界なんです。
・そうでない生き方もありました。ヒノキは成長が遅くて、育つまでにスギの倍、つまり約100年かかります。それでも人々は土まで背負って山にヒノキを植えました。しかし彼らは、自分の植えたヒノキで得することがないのです。なぜなら100年以上生きられることはまずないからです。では何のために植えたのか。子孫のためです。そんな彼らはなぜ生きていられたのか。祖先が植えてくれたヒノキがあったからです。だから彼らは祖先を大切にしますよね。それは当然です。今生きていられるのは祖先がヒノキという財産を残してくれたからなのですから。
・家庭内の光熱水費で最大なのは電気料金です。しかもその電気は、四天王だけで3分の2を消費しています。その四天王は、「エアコン、冷蔵庫、照明器具、テレビ」です。この4つだけで家庭の3分の2の電気を消費します。
・「リバース・モーゲージ」というのですが、その人が死ぬまではその住宅に住んでいたいが、死んでからは手放してもいいと考えていたなら、その人の住宅と土地の価値分を、年金として死ぬまで先払いする仕組みも可能です。亡くなったときには天然住宅がその土地と家を取得します。
・世界の紛争は、ほぼ5つの地域で起きています。「石油が取れるか、天然ガスが取れるか、パイプラインが通っているか、鉱物資源が豊かか、水が豊かか」の5つです。「宗教紛争」や「民族紛争」というのは、後から取ってつけた理由ですね。実際には、エネルギー資源をめぐる金儲けのために戦争が起こっているのです。だから戦争を避けたいのであれば、エネルギーに切り替えていくことが最も大きなカギになります。しかも日本政府が出しているグラフによると、石油は41年分、天然ガスは65年分、ウランは85年分しか残っていません(2006年現在)。石炭は150年分ありますが、天然ガスの2倍近い二酸化炭素を発生させるので、地球温暖化で滅びてしまいます。
ヨーロッパやアメリカが自然エネルギーに切り替えようとしているのは簡単な理由です。100年後の未来には、自然エネルギーしか頼れるものがないからです。
・家電製品すべてを省エネ製品に入れ替えた後、今の生活の電気すべてを太陽光発電でまかなうとなると、どれほどの発電装置が必要になるでしょうか。なんと8畳間1つ分強の広さ、2キロワットで足りるんです。8畳間1つ分強の広さがあれば自給可能になります。それがイラク人を100万人以上殺して奪ってくる石油と同じ価値です。命がけでやる原子力発電と同じです。馬鹿げてないですか?
・家庭の水の消費は、炊事、洗濯、風呂、トイレの4つでほぼ全部です。風呂の残り湯で洗濯すると20%ダウン。雨水でトイレを流すと24%ダウン。節水コマを入れて節水トイレにして、手洗いより食器洗浄機の方が水の消費が少ないから洗い物から解放されて、それでも水の消費量は減っていきます。
・家賃を部屋の広さで割ってみると、家具のためにたくさんの家賃を払っていることに気づきます。
・今、多くの人たちは会社にぶら下がって生きています。これは極めてセキュリティが低い生き方です。なぜなら会社をクビになると生きられなくなってしまうわけですから。会社に尽くし、会社に依存している状態、これではセキュリティが低すぎです。
・百姓というのは、百の生業を持っているから、たとえどれかひとつが不作であっても他の作物で暮らせます。多少のことにはびくともしません。とてもセキュリティが高い生き方です。様々な方法で、様々な収入源を得るような生き方をしてほしいのです。そうすることで、私たちはもっと自由になれる。仮に会社をクビになっても、自殺なんて考えることもない。
・地産地消を実現することは、つながりを実感する一番の近道です。しかも同時に、温暖化防止の意味でも、私たちにできる最大の効果を持つものです。経済はグローバル化すべきものではなかったんです。知恵や交流はグローバル化すべきですが、相手の顔が見えないグローバル経済化は同時に無責任化させるからです。
・緑の革命により生産量は40倍に増えたかもしれませんが、その土地は10年とたたずに固くなってしまって何も取れなくなりました。十分な排水設備もないまま進めた灌漑は、蒸発と共に土壌中にあった塩分を吸い上げ、塩害によって何もそだたない荒れ地にしてしまいました。もともと1しか生産がなかった土地だったかもしれないけれど、過去1万年もの間、農地として受け継がれていました。40倍になったと言ってもわずか10年ももちませんでした。1万と400、どっちが大きいですか?
・電気というのは、発電・送電・配電、その3つに分けることができる。発電と配電はどんな事業者がやってもいいんだけども、このまん中に入る送電線というものは、これは本当に公共財です。車にとっての道路のようなもの、すなわち、道路のあちこちに関所を設けられてしまったとしたら車はもう走ることができない、現状の電気はそういう状況です。いろんな人たちが、例えば、北海道ではたくさんの風車を建てたがっている、ところが送電線を握っている北海道電力はそれを買おうとしない、そのおかげで日本では自然エネルギーが伸びない、という構造になっている。この送電線というものは、本来公がもって自由利用にすべきものです。
・日本の場合には、メディアが、テレビ・ラジオ・新聞が同じ系列で動くという形になっている。これは諸外国では情報を制限してしまうことになるので禁止されていたりするんですが、日本では、テレビ・ラジオ・新聞が同じ資本でやっていて、そこの最大の広告宣伝費のオーナーになっているのが電力会社、そのおかげでまともな情報が流れない。日本の中でメディアを握ってしまっているのは、はっきり言ってエネルギー産業、しかも電力会社という構図になってしまっている。
・電気消費のピークは実は毎日は出ません。1年8760時間ありますが、その中で10時間以下しか出ません。しかも日本最大の東京電力のピークは、これは定式があります。ピークが出ているのは、夏場・平日・日中、午後2時から3時にかけて気温が31度を超えたとき。そしてこのピークに家庭は最も消費しない時間帯に当たっています。なんとピーク時の91%の消費が家庭以外の事業者によってのものです。
・事業者の電気料金は使えば使うほど単価が安くなるようにできている。一方で家庭の電気料金は途中まで安くなるんですけれど、途中からは使えば使うほど高くなるように作られているんです。
・私たちの不幸は、会社などに所属して努力することが、将来の滅亡や遠くに住む人たちの不幸につながってしまっていることだとぼくは思います。


2012年1月5日木曜日

本「中央線の詩〈上〉」【12年001冊目】

<本の紹介>
駅ごとに強烈な個性があり、独特な文化があり、「自己主張」がある都内のJR中央線沿線を紹介。上では、吉祥寺から八王子へと西に向かい、沿線のまちの一世紀を描き出す。『朝日新聞』(むさしの版・多摩版)連載を単行本化。

<メモ>

  • 「中央線文化」とはどんなものですか。
    -「文学や音楽、マンガ、アニメ、サブカルチャー、エスニック―。こうしたものが沿線に広がっていて、作家やミュージシャン、漫画家らがたくさん住んでいる。アバウトな人が息がしやすい環境があるんです。
  • 「中央線人」の気質とは。
    -「反骨があげられますね。ただ、がちがちの反骨ではありません。金持ちもいるし、成功者もいる。でも『とにかく銭や』という人は少ない。うんちくを語り、議論好きで、軽薄を嫌う。インテリですが、早大中退みたいなのが格好いいというような独特の美学の持ち主です。」
  • 山手線とは違いますか。
    -「山手線の内側の人たちは、他人と比べたがります。追いつけ、追い越せ。中央線人にはそれがない。等身大の成功、自分が充実していればいい。」
  • なぜ中央線文化が生まれたのでしょう。
    -「はっきりとは分かりません。ただ、山系の文化であることは間違いありません。理屈、議論好きで長野県人に似ている。一つのルーツが長野にあると思う。それから、学生運動やヒッピー文化、60年代、新宿を拠点にしていた文化が西へ向かった面もあるでしょう。団塊世代が核になっているのは確かですね。」
  • 学校の前は玉川上水だ。水量が多くて流れも速く、当時は「人食い川」とも呼ばれていた。落ちたらまず助からない。身投げする人も少なくなかった。
  • 三鷹に住む作家の太宰治が愛人の山崎富栄さんと上流で身投げして自殺した。太宰の遺体はすぐに運ばれたが、山崎さんはしばらく放置された。「有名人の方だけ大切に扱うのか」とがっかりしたという。
    没後半世紀が過ぎた今も、太宰は世代を超えて熱烈なファンを持つ稀有な作家だ。先日、最年少で芥川賞を取った綿矢りささんも愛読しているという。
  • 「今でこそ太宰は街づくりの目玉です。でも、当時はまだ拒絶反応が残り、煙たがる人も少なくありませんでした。」愛人と心中して、市民の飲み水を汚した男。禅林寺での相次ぐ後追い自殺。桜桃忌にあつまるファンたちが騒々しく、シャッターを閉める店も少なくなかった。「迷惑な存在」。そんな見方が一変するのは98年に、三鷹など各地で没後半世紀ののイベントが開かれるようになってからだ。
  • 市民グループが主催するガイド養成講座が目に留まる。テーマは「太宰治の足跡案内」。今まで見向きもしなかった地元を知るにはいい機会だと思い、参加した。
    集まった50人のうち、男性はみな同じ思いを抱えていた。「このまま散り散りになるのは惜しい。続けていこう」。月に一度、5回の講座を修了した後の飲み会で誰彼となく声があがる。翌年、20人で発足したのが「みたか観光ガイド協会」だ。
    毎月第4日曜日の午前9:50に三鷹駅南口を出発。2時間半かけて太宰ゆかりの場所を案内する。参加費無料で雨天決行、予約なし。根強い太宰人気に支えられ、これまで参加者ゼロという日は一度もない。
  • 三鷹市立高山小学校の校歌発表会の9ヶ月後、交通事故で露風は逝った。葬儀場に参列した児童たちは近衛の指揮で校歌と「赤とんぼ」を歌い、母校の恩人にさよならを告げた。
    その墓前には、長い間花が絶えなかった。誰が供えているのか分からなかった。女子児童たちがひそかに続けていたと知ったとき、露風の妻なかさんは涙を流したという。
  • JR三鷹駅から玉川上水沿いを進むと、おしゃれな洋館が目に留まる。三鷹市山本有三記念館だ。戦前から終戦直後の11年間を過ごした有三の旧邸である。有三はここで代表作『路傍の石』や戯曲『米百俵』を書く。
  • 「『船が難破して絶海の孤島にたどり着いた気持ちで、それぞれ長所を役立て社会をつくろう』と、おやじは彼らによく言っていました。」
    主人公の精神的成長を描く『次郎物語』の執筆を始めたのはその頃だ。その第5部に描かれる青年塾「友愛塾」はこの浴恩館がモデルである。
  • 「地球の未来のために何をすべきかを考える時に、戦争とは何事か。世界に役立たなければ日本は生きていけない。」
  • 91年、小金井の新しい公民館に風変わりな壁画が誕生した。1から16までの数字が書かれたタイル720枚で作られ、どこをとっても魔方陣になる。安野さんの「ハテナのカベ」だ。子供たちが不思議そうに見上げている。
  • 泉は黄金のようにきれいなことからその昔「黄金井」と言われた。小金井の地名の起こりとの説がある。
  • さいとうたかをさんら国分寺に集まった漫画家たちが提唱した大人向け漫画は「劇画」と呼ばれる。政治の季節と言われた60年代、劇画は若者の支持を集める。米ソ対立を背景に、一匹狼のスナイパーを主人公にした『ゴルゴ13』の連載が始まったのは68年だった。
    その後さいとうさんは中野に移転。もう36年になるのだが、国分寺は苦しい思い出が多く、振り返るのも嫌だったという。「とにもかくにも私の青春だった。懐かしい」
  • 青春時代のさいとう・たかをさんが足しげく通った店が今も国分寺駅北口にある。
    名曲喫茶「でんえん」。大正時代の米蔵を使った店は昔のまま。変わったのは50円のコーヒーが450円になったことぐらいだ。
  • ぽつんと裸電球がともる店先。「良き品を安くと日々勉強いたします」と書かれた看板。国分寺駅北口にある「上海リル」には昭和30年代の雰囲気が漂う。
    運動で世の中を変えるのではなく、日々降りかかる身近な問題の一つ一つに自分らしく向き合う。それでいいじゃないか。そう思えるまでに時間がかかった。結婚して国分寺に来て、2人の子供を育て上げ、たどり着いた結論だった。
  • 『無能の人』を父に持つ次男の有さんは昨年、『猛スピードで母は』で芥川賞を取った。
  • 「きっと呼び寄せるからな」。8歳上の長男が挿絵画家としての腕を認められて上京が決まったときの約束。三男の吉田豊治さんの青年時代の記憶だ。
    1年後、弟たちも兄の家に集まり、少年雑誌などに描き始める。静かな環境を求めて国分寺に移り、設立した会社に、兄竜夫さんの名前を取ってこう名付けた。「竜の子プロダクション」。1962年のことだった。
  • 長さ23センチ、直径1.8センチ、重さ200グラムの「ペンシルロケット」。1955年、国分寺の工場跡地で試射された29機の一つだ。
    試射したのは東大生産技術研究所。「ロケット博士」と呼ばれた故・糸川英夫教授らのグループだ。この試射をもって、日本のロケット開発は始まったと言われている。
  • 日本初の試射があった場所は国分寺市本町1丁目の中央線沿いとされる。01年、早稲田実業学校が新宿区から移転してきた。「歴史的な場所に開校したと知り、驚いています」と初等部の阿部泰久教頭は話す。
  • スプートニク、ガガーリン、アポロ11号―。田中さんたちの青春時代は、米ソを軸に繰り広げられた「宇宙開拓」と重なる。そうした中、日本は世界で4番目の人工衛星の自力打ち上げに成功する。そこに至る努力が国分寺から始まることを誇りに思っていた。
  • 山口瞳と関頑亭。二人で街を歩いた。ツリガネニンジンソウの揺れる土手。一橋大の松林に落ちる夕日。行きつけの飲み屋に集う人々。谷保天満宮の由来―。その見聞をもとに小説『わが町』は生まれる。以来、「なんじゃもんじゃ」「迷惑旅行」といった紀行文に「ドスト氏」は欠かせない存在になった。
  • 「文蔵さんのこと、書いてみたいんだけど」。JR谷保駅前で居酒屋「文蔵」を営む八木方敏さんに山口瞳が声をかけたのは79年夏のことだった。
    山口は旅の友だった木彫家関頑亭さんに連れられて来て以来、常連になっていた。当時、ある雑誌に連載小説を頼まれたが、準備期間が1ヶ月しかなかった。家に近いこの店に毎晩飲みに行き、客の言葉を記録して日記風の小説が書けないかと考えたのだ。こうして『居酒屋兆治』は生まれた。高倉健や渡辺謙主演で映画やテレビドラマにもなり、最も名の知れた山口作品である。五時になった。兆治は、そろそろ縄暖簾をおろし、赤提灯をさげ、灯をいれようかと思った(略)一日に、二万円の売り上げがあればいいと思っていた。それ以上、欲をだすと、ロクなことはない。赤提灯で終わりたいと思っていた。兆治のモデルになった八木さんが国立駅前で人気のあった屋台「まっちゃん」で修行して始めたのがこの店だ。居酒屋「文蔵」をモデルにした小説に、山口瞳はなぜ「兆治」と名付けたのだろうか。「当時、まさかり投法で有名だったロッテの村田兆治が念頭にあったようです」と、店主の八木さんはいう。速い速球で真っ向勝負する村田投手に山口は引かれていたらしい。
  • 居酒屋兆治は映画のロケ地は函館だったが、テレビの方は国立で撮影された。小料理屋の2階を借りて行われた宴会シーンの撮影。旅の友だった頑亭さんをはじめ、山口を知る町内の人たちがこぞってエキストラ出演した。八木さんもその中にいた。宴会に集まった客の役でセリフは一言もない。それでも撮影中は緊張のしっぱなしだった。
  • 生きてるうちのこういう時間が幸せなのかも知れないと思う。そして酒の最高のつまみは、人だってことをぼんやりと思う。
  • ロージナ茶房は現在、国立で最も古い喫茶店だ。創業は54(昭和29)年にさかのぼる。「ロージナ」とはロシア語で「祖国」や「大地」を表す言葉で、それに「路地裏」を掛けたらしい。画家であり、旅行家であり、骨董などにも造詣が深かったマスターの接さんは、政治家や学者、芸術家との多彩な交流があった。丈衛さん(接さんの次男)の小学生時代、父親は喫茶店を家族や従業員に任せ、一年の半分は海外に出ていた。世界中の港を訪ねてカメラに収めたり、大学の先生と中近東を調べて回ったり、共産主義者の芸術家の集まりに顔を出してみたり―。だが、そんな生き方が人々を引きつけてやまなかった。
  • 「『邪宗門』の屋号を持つには条件があるんですよ」と名和さんは子供っぽく笑う。一つは、儲からないこと。もう一つが、マスターは手品師である、ということだ。
  • 「文教都市・国立」の顔とも言える存在だった喫茶店。国立駅前の一角に隣り合う「邪宗門」と「ロージナ茶房」はその代表格として市民に愛されてきた。国立市内にはたくさん喫茶店があるけれど、皆仲が良いですよ。お互いに客を引き合い分け合いっこして商売は成り立ってる。自分らしさを出せば共存共栄できるんですね。(私が)いつも店の中の客席に座っているのは、私自身もこの自分らしい空間が好きだからなんです。
  • 1924年の夏。堤康次郎たちは山林100万坪の買収計画を説明。1反(300坪)当たり千円という金額を提示した。当時は1反100円から200円が相場で、破格の高値だった。康次郎には夢があった。広大な山林を切り開き、ドイツのハイデルベルクのような「学園都市」に整備する壮大な計画である。「父にそれを勧めたのは大隈重信だったようです。『欧州には学園都市がたくさんある。君はまだ若いのだから一つ考えてはどうか』と。あちこち土地を探した結果、たどりついたのが国立でした。
  • 湯島、亀戸とともに「関東の三天神」と呼ばれる谷保天満宮には1100年の歴史がある。菅原道真の三男道武は父の大宰府左遷に伴い、武蔵国に流された。そこで父の死を知り、祠を祭ったのが始まりとされる。その道武の子孫が津戸姓を名乗り、天満宮を守ってきた。現宮司の津戸最さんで64代目になる。「きわめて野暮なこと」を意味する「野暮天」の語源にもなった。その昔、喜捨を得て神社の財源にあてようと盛り場だった江戸の目白にご神体を持ち込み、ご開帳をしたことがあった。それが10月(神無月)だったことから、「谷保の天神様は何とヤボな」と皮肉られたのだ。「その逸話が示すように谷保の読みは『やぼ』が正しい。それがいつのまにか駅名も地名も『やほ』になった。『やほてんまんぐう』じゃ力が入りませんよ」と津戸さんは笑う。
  • 建築材料を積んだリヤカーを自転車でひいて得意先を回った。遠く青梅にも得意先はいたが、隣町の国分寺にはいなかった。多摩蘭坂のせいだ。国立と国分寺を分かつ、この坂は傾斜がきつく「たまらん、たまらん」と言っていたのがその名の由来とも言われる。
  • 山口瞳の「子分」を自認する嵐山さんは、国立が好きな理由のひとつに「学校」を挙げる。学生がたくさんいる。安い食べ物屋がある。どこからともなくブラスバンドの音が聞こえてくる。街に青春があふれているという。「青臭いところもあるが、心は穏やかで、清潔感があり、歩いていて安心する。一言でいうと、便ボーだけど、ココロザシがある街なんです」
  • 「国立で一番背の高い木にしたいんだ」。生前、山口が話していた庭のミズキは今、13メートルの高さに育った。「夏になると白い細かな花をつけるんですよ」と治子さんがほほえむ。
  • 敗戦。女三人でリヤカーを引き、廃材のトタンや畳を集めた。12月、復員した夫は粗末な掘っ立て小屋で震えている家族を見てショックを隠せなかったという。やがて「砂川闘争」が起きた時、夫は農民のリーダー格になった。軍靴の響き、燃え落ちる姿―。その信念の根底にあったのが戦争への憎しみだった。
  • 砂川闘争史上で最大の激突があったのは56年10月13日のことだった。午前11時。測量隊を援護する形で2千人の武装警官隊が拡張予定地に迫り、農民や労働者ら5千人と対峙した。断続的に降り続く雨の中、衝突が始まった。スクラムの最前列にいる人たちが一人ずつごぼう抜きされていく。振り上げられる警棒、肉を打つ音、怒号、うめき声。あまりの苦しさに「お母さん」と叫んで倒れる女学生もいたという。負傷者730人、検挙者13人。これまでも衝突は繰り返されてきたが、これほど多くの人が傷ついたのは初めてだった。反対同盟の戦いは「無抵抗の抵抗」だ。殴ったり、物を投げたりはしていない。なのに、どうしてこんなひどい仕打ちをするのか。どうして、どうして、血を流さなければいけないのか。みんな同じ人間じゃないか。悔しさでいっぱいだった。疲れきって夕方を迎えた。誰かが歌うのを栗原さんは聞いた。その輪が次第に広がった。みんな泣いている。警察官は黙って下を向いていた。労働歌ではない。懐かしい歌。それは「赤とんぼ」だった。警官隊の中には涙ぐむ人もいた。機動隊の巡査は8日後、「私の人生観は砂川で変わりました」という遺書を残し自殺した。砂川から帰ると直ちに辞職願を出し、郷里で福祉の仕事についた警官もいたという。
  • 日野町は「衛星都市」を目指していた。戦後復興に伴って東京への人口集中が進み、住宅不足が深刻な問題になっていた。そこで郊外に職住近接の新しい町をいくつか設けて、人口と都市機能を分散させようとしたのが政府の「衛星都市構想」だ。そのための市街地開発地区に日野・八王子地区が指定され、「衛星都市第1号」といわれた。日野がいち早く名乗りを上げたのは、働く場として日野自動車や富士電機など戦前に誘致した大工場があったからだ。
  • 「当時の技術者が優れていたのは、この建物を配置する際に人々の心を潤す領域を大切にしたことでした」自然の地形を生かし、植栽を増やし、コミュニティの場を確保した。欧米の高層住宅の多くが今、老朽化とともに荒廃し、犯罪の温床になっている。手がつけられなくなり、爆破除去された団地もある。高齢化などの問題を抱えながらも日本の団地がこうした事態にならないのは「領域」の豊かさにあるという。春には桜が咲き誇り、夏は盆踊りの輪ができる。秋の運動会、暮れの餅つき大会。井戸端会議があり、回覧板があり、同好会の集いもある。
  • 「日本初のカラーフィルムが日野で生まれたことを知る市民は今では少ないかもしれません。」
  • 八王子市みなみ野にある「日野オートプラザ」は96年にオープンした日野自動車の博物館だ。50年前のボンネット型トラックや、日野ルノー、コンテッサ―。往年の車が並ぶ。その中でひときわ目を引くのが軍用自動貨車「TGE-A型」。前進の東京瓦斯電気工業が戦前に造った国産トラックの草分けである。
  • 「当時の多摩動物公園はまさに山の中にありました」と振り返る。京王動物園線はまだ開通していなかった。動物舎も「アジア園」だけ。それでも5月5日の開園日はものすごい人出だった。約2キロ離れた京王線の高幡不動駅から長い列が続いていたのを覚えている。
  • いずれもオスのコアラ2匹は「タムタム」と「トムトム」と名付けられた。「多摩の夢」「東京都の夢」という意味が込められていた。
  • 童謡「夕焼け小焼け」の作詞者として知られる中村雨紅の戸籍上の誕生日は2月6日だが、実際は1月7日だった。山奥の冬は厳しい。生まれた時、逆さにして振り、蘇生させたという話もあり、無事に育つか分からなかった。1ヶ月ほど様子を見て、届け出たと言われている。

2011年12月25日日曜日

本「さらば国分寺書店のオババ」【11年27冊目】

<本の紹介>
笑撃のパワーの中に天才的なセンスがキラキラしている、著者のデビュー作新装版。初版当時、「スーパーエッセイ」という発作的創作ジャンルをつくり出した伝説的作品が甦る。

<メモ>

  • 津田塾大学というとこれはまぎれもない女子大であり、大学の横にはあの太宰治が投身自殺した玉川上水が流れ、春には武蔵野の野鳥のオナガなども飛んでくるし…
  • いつだったか伊豆急の伊豆高原駅で早朝、電車を待っていたら、三人しかいないのに「まもなくナントカ行きがやってくるから白線の内側までさがれ」などと言っていたのでおかしくなってしまった。1時間に2本しか電車が来ないのだから、みんな列車の到着時間はわかっているし、ときどき時計をみては、あと5分ぐらいかな、などとぼんやり待っている。
  • 昔から警官と教師と坊主というのは、日頃の行動がつねに抑圧されているから、なにかの時にはもっともスケベになる日本の三大チャンピオンである、といわれている。

2011年12月24日土曜日

本「フリーエネルギー、UFO、第3起電力で世界は大激変する」【11年26冊目】

<本の紹介>
永久機関の原理「第3起電力」はすでに見つかっている(入力に対して出力200 0300%)。だから原子力も石油もなくていい!太陽電池、風力発電の落とし穴も詳述。アメリカで認められた研究論文も掲載。新エネルギー・ルネッサンスが生み出すパンドーラの奇跡の全貌。

<メモ>

  • 日本人から集めた多額の税金と視聴料で打ち上げたかぐやの映像を、なぜ日本人である我々が見られないのか。
  • 2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響もあって、最近は少し減りましたが、いわゆる「地球温暖化」をテーマに掲げる報道&情報番組がここ数年で激増しました。温暖化は謀略である、単なるビジネス=錬金術的システムであると、声を上げ始めたジャーナリストや評論家も出始めていますが、やはり、本当の目的は「原発の復活」にあったと思います。米国スリーマイル島と、ロシアのチェルノブイリの原発事故の後、原発を危険視する世界的な風潮が生じました。これを打ち破る手段がCO2による温暖化論であり、最終的には「CO2を出さない原発はクリーンだ」という何とも滑稽な論調が出始めたわけです。この問題の根本は、もちろん化石燃料によるエネルギーにある。しかし省エネは、問題の根本を解決するわけではありません。二酸化炭素を排出する化石燃料を使用し続ける限り、究極的にやってくる破滅を、ほんの少し見たいに先送りするだけ。
  • 最近、メディアでよく取り上げられる電気自動車は、最近になって作られたと思っている方が多いと思いますが、実はガソリン自動車が世に出る以前に製作されています。排気ガスを出さないことからクリーンカーだとも言われますが、これも間違い。確かに走行中は排気ガスを出しませんが、エネルギー源であるバッテリーを充電する際、エネルギー供給における大元である火力発電所で排出されます。バッテリー充電のための電気を作るには、火力発電所で石油を燃やして発電しないといけません。
  • 根本的に新しいものを開発するときに必要なのは、「君主」か「独裁者」です。本当に未来を見通す目を持った独裁者が必要なのです。誤解を恐れずに言えば、アドルフ・ヒトラーという人物は世界中で悪の代名詞にされていますが、科学技術上はそうではありません。このことは、ナチスドイツが第二次大戦中に生み出した数々の新技術をチェックすれば理解できます。ロケット兵器であるV2号がなかったら、アメリカとロシアの宇宙技術は生まれていませんでした。
  • 電気自動車が最も問題なのは、通常のモーターを使用する限りではまったく空気を汚さないわけではないことです。道路上での排気ガスは出なくなりますが、バッテリーを充電する際に、その分余計に発電所で排出されるからです。汚い部分は、どこかにある火力か原子力発電所に隔離されて、目の前からはなくなるだけです。エネルギー源は基本的に化石燃料か原子力ですので、廃棄ガスと放射能を排出して環境を汚染します。ちなみにスイスは国家として、「電気自動車は大気汚染に対して無効である。」というオフィシャルな見解を発表しています。世の中では、このあたりのカラクリを理解していない、いわゆる「電気自動車の信者」も増えています。
  • アインシュタインがユダヤ人であることはあまりにも有名ですが、その他、歴史上の独創的で偉大な科学者にユダヤ人が多いことも事実です。ノーベル賞受賞者の約3分の1はユダヤ人、もしくはユダヤ系です。世界の人口に対するユダヤ人の割合の小ささを考慮すると、この数字がいかに大きいものかがわかります。ちなみにスピルバーグもユダヤ人です。
  • 「スピルバーグの映画には、世界に離散しているユダヤ人に向けられた独特のメッセージがある。それはユダヤ今日からきているもので、他の民族にはなかなかわかりにくい」
  • 「日本人は2,3年先を見て、ものに投資することしかできないが、ユダヤ人は20~30年先の未来を見て、今それに投資する。」
  • 「発明とは99%の努力と1%の霊感である。」byエジソン。(ちなみに原文では99%の「汗」)
  • 「発明とはおしゃれな直感である。」byテスラ。
  • 異常現象というものは、何かを探している人が見ないと、それが起きても気が付かないものです。海面から出てくるUFOを見ても、単細胞の頭脳の科学者なら、大きな鯨が跳ねているくらいにしか見えないでしょう。
  • パソコンには、精神を引き込んで奴隷にする「魔性」があることがわかった。
  • 今の科学は間違っていません。なぜなら、今の科学文明を動かしているのは、今の科学だからです。何かが足らないだけです。だから重要なことは、今の科学も、新しい現象をも、一律に説明できる科学理論を構築しないといけない、ということです。物理学の理論はこのようにして進化するわけですが、現在の科学者のほとんどは、止揚することを知らないように見えてなりません。物理法則は常にファジーなものです。その時々で変わるわけです。それを固定化・権威化していることが、諸悪の根源です。地球上のほとんどの科学者たちは、まるで既存の科学理論に反する現象など、あってはならないと思いこんでいます。短絡的な表現をすると、知識ばかり詰め込んで、科学思想を教えない「受験制度」による教育が原因だと言いたくもなります。それと研究の考え方についても、今の科学界は失敗か成功かという二元論が支配しています。そもそも研究に失敗という概念はありません。すべてが進歩です。成功か失敗かという考え方が存在するのは、そこに利益が絡んでいるからです。結果に利益が絡むかどうかという話であり、サイエンスにとってはどの方向に進もうと進歩です。
  • 米海軍が1943年に行った「フィラデルフィア実験」について、ご存じの方も多いと思います。米軍は駆逐艦を透明化する実験を行ったと言われています。正式名称は「レインボー・プロジェクト」と呼ばれます。これはステルス機のように、レーダーの電波を反射しない方法ではなく、強力な磁場で光を曲げ、本当に透明化させようとする試みでした。このときに使われた駆逐艦がエルドリッジ号です。管内ではテスラコイルらしきものも使われたようです。その結果は、青緑色の霧が発生して、何か制御不能の空間の暴走状態が生じ、エルドリッジ号は不可視状態になったのではなく、本当に消滅してしまったのです。驚くべきことに、エルドリッジ号はフィラデルフィア港からテレポーテーションして、1600マイル(2560km)離れたノーフォーク港にあらわれました。悲劇はそこから始まりました。乗員は全員、とんでもなく悲惨な状態に巻き込まれていました。体の一部が船の壁や床に融合してしまった乗員も少なくありません。通常は、とても想像できません。映画「フィラデルフィア・エクスペリメント」という映画をご欄になった方は、よくおわかりでしょう。
  • 電力会社は、夜間電力を使え、湯を沸かせとやっているだけです。オール電化なんて、全部原発に合わせた戦略です。夜、グーッと電力需要が下がったら、その分はコントロールできないから夜間電気温水器などで使えというわけです。さらに熱効率も悪いので余った熱をどんどん海に逃がします。だから原発は海のそばにあるというわけです。アメリカでもそうですが、内陸の場合は必ず川のそばにあります。川に余った分を流しています。しかしこれは原発だろうと火力発電所だろうと、どんな発電所も60%は川か海に逃がします。
  • 東電の上層部に必要なのは利権、権威、それに競争原理のない市場性。
  • コンピュータの必要以上の進歩によって、人間の心が奴隷化され、本来の思考力、発想力が明らかに落ちています。さらにそれに必要な、感性力もそうでしょう。CGで作った味気ない映画、CDやもっと悪い音のMP3によるデジタル音で音楽を聞いていれば、感性が鈍くなるのは当然のことです。こんなものを作って「ビデオやオーディオの技術は進歩している」なんて言ってるわけです。またそのことに気づかないで、コンピューターを上から操る人間の奴隷となっている人が、なんと多いことでしょう。奴隷は、自分が奴隷であることがわかりません。

本「石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力」【11年25冊目】

<本の紹介>
世の中は過剰なサービスに溢れている。過剰でとらえきれない状態から、選択し、絞り込み、結びつけ、編集し、新しい価値を生み出す。より多くから、よりシンプルへ。多機能高性能から、絞り込まれた“好機能”“賢機能”へ。マルチから、スマートへ。FREE、SHAREに続く新たな時代のキーワード!「キュレーション」こそ成功へのカギとなる!

<メモ>

  • 過剰な世界から絞り込みの世界へ。より多くからよりシンプルへ。
  • 日本でもキュレーション関連のサービスを始めている会社がある。韓国の検索サービス最大手の日本法人ネバージャパンが始めたユーザー参加型の情報集約・共有サービスの「NEVERまとめ」です。ユーザー自身がネット上で自分の関心のあるテーマに関連する情報へのリンクを選別収集し、編集して、それ自体にコンテンツとしての価値を持たせ、共有することを目的とする。こうして情報がキュレーションされたサイトは「まとめサイト」と呼ばれ、そのまとめページをつくったユーザーに広告収入が還元されるという仕組み。
  • キュレーションで最も問われるのは、新しい関係性の中でどれだけ新しい意味が編集され、いかに新しい文脈が生まれるかだね。
  • ジョブズが天才的なキュレーターであるのは、単にテクノロジーだけでなく、新しい価値を生み出すため、人間を中心に置くリベラルアーツの軸を忘れないから。
  • テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立つアップルに対し、ソニーはテクノロジーで対抗しようとした。アップルがコトのイノベーションを起こしたのに対し、ソニーはモノの性能の次元でしか考えず、何と何を結び付ければソニーらしいコトづくりができるかという発想を持てなかった。モノとコトはどう違うのか。それは、そこに人間がかかわっているかどうかです。つまり、コトとはモノとユーザーの関係性の中で生まれる文脈であり、物語であると言えます。体験と言ってもいいでしょう。その物語や体験に共感するとき、ユーザーは手を伸ばす。だから、テクノロジーの軸だけでなく、人間を中心に置くリベラルアーツの軸が必要なのです。
  • ゲームに熱狂するファンがいる一方で、実は声を出さずに静かに立ち去った人たちも多くいたのではないか。かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、ギャラリーも一緒に楽しんだのに、コントローラーはどんどん複雑化して、差し出すと後ずさりするようになった。ギャラリーも消え、1人暗い部屋にこもって遊ぶようなイメージになってしまった。
  • 「任天堂は重厚長大なものばかりつくっていてはダメだ。軽薄短小でお客を満足させることを考えろ。」「任天堂は力のケンカなどするな。よそと違うから価値がある。」
  • キュレーションの大きな特徴は、iPadがユーザーによって多様な使われ方をしているように、新しい意味が提供されると、今度は受け手が自分でその意味を再編集し始めることにあります。
  • 自分たちを取り巻く知の貯水池から、今取り組もうとしているプラットフォーム上に何を選び、何と何を結び付ければ、価値のある「知のリンク」を生み出せるか。固定観念にとらわれず、リンクを縦横に張る柔軟な編集力が求められている。
  • なんでもできる多機能高機能の製品は、ややもすると「コンバーチブルのバンでオフロード仕様」のようなもの。「一台で荒野を疾走し、ハイウェイを彼女とドライブし、荷物の運搬もできる”万能”なクルマ」ですべてのユーザーのニーズを満たそうとして、”八方美人の総花的商品”をつくり、結局、誰も満足しない製品を生み出してしまうこと。
  • 過剰を究極まで排した余白は、詰め込まれた情報よりはるかに多くを語ります。「少ないほうが時には多さに勝る」。それをジョブズは禅の精神から学んだとすれば、わたしたち日本人のDNAにはもともと、「より多く」「より高度に」を志向する以上に、選択し絞り込むキュレーションの感性が根づいているのかもしれません。
  • 東京にしがわ大学
  • 「黒川温泉一旅館」という、顧客の視点からの再定義を何より大切にする。定義が明確であるほど、何をキュレートすべきかがわかる。そして、売り上げよりも優先すべきことがはっきりしている組織は真の強さを発揮することを黒川温泉は物語っています。
  • 「僕らは、まず、自分が欲しいものは何かを把握する。そして、同じものを多くの人も欲しがるかどうか、きちんと考えることがアップルは得意なのだと僕は思う。僕らはそのプロなんだ。だから、次にブレークするのは何だと思う?って社外の人に訪ねたりしない。」
  • イノベーションの偉人は常に自分の井戸を掘る。掘り当てた地下水脈は、常に普遍的な意味を持つ。
  • 教養のある人間とは自分の生き方を常に問いかけている人である。
  • 自分もいつ死ぬかわからない。そう思い起こすことが人生で重大な決断をするときに、後押ししてくれる最も重要な手助けになる。なぜなら、まわりからの期待、プライド、失敗や困難への恐れ…すべてが消え去り、本当に大切なことだけが残るからです。

本「ダントツ経営」【11年24冊目】

<本の紹介>
経営改革を断行し、「右肩上がりを前提にしない経営」を確立。グローバル化を進め、売上高の7割を新興国市場で稼ぎ出す体制に―「世界で勝てる製造業」への取り組みをコマツ会長が語る。一足早く“世界経済の大転換”にさらされた建設機械業界。世界で勝つための答えが、ここにある。

<メモ>

  • リーダーの役割は、政治でも企業経営でも、あるいはその他の組織でも同じです。明確なゴールを示して、構成員を同じ方向に向かわせ、全員の汗と知恵のベクトルを結集して新しいうねりをつくりあげていくことです。
  • 建設機械というのは技術の粋を集めて開発・生産しているにも関わらず、単価が非常に安いです。最も普及しているモデルの建設機械では、車体重量1トンあたりの価格が約50万~70万円です。ということは、1kgあたり500~700円。これは、牛肉やマグロとは比べ物にならないぐらいに安いのです。
  • 私は、代理店は「ハンター」だと思っていた。とにかく腕を磨いて、「獲物(お客)」のいそうなところへ出向いて、それを仕留める。そんな感覚で仕事をやってきた。しかし、しばらくして「これは違うな」と思うようになった。その頃から、代理店は「ファーマー」だと考えるようになった。過去のお客さんにも情報を提供したり、よいサービスを提供したりすることで、定期的に「収穫(買い替え需要)」が得られる。地道な取り組みでコマツや代理店の評判が上がれば、新たな顧客も自然に獲得できるようになる。それがわかって、いまの商売でずっとやっていけるという自信が生まれた。
  • 中国の人は「発展空間」という言葉をよく使います。いまの仕事を続けて、自分がさらに発展できる空間があるかどうか、企業はそうした発展空間を提供できるかどうか。それが、中国で優秀な人材を確保できるかどうかの分かれ目になるでしょう。
  • 企業あるいは国の財政再建もそうですが、ひとつの組織の収益体質を改善しようとするとき、最も陥りやすい誤りは、手っ取り早い「変動費の削減」ばかりを追いかけて、現場や外部に負担を押し付けることです。自分の都合ばかりを押し付ける傲慢な企業に、部品メーカーはついてきてくれるでしょうか。それよりも組織にどっかりと覆いかぶさり、活力を損ねる「固定費」にこそメスを入れるべきです。
  • 「バッドニュース」(不祥事)をフラッシュレポートの一番上に書かせることにし、その次に市場で発生した主な品質問題などについて報告させ、最後に業績についてレポートさせます。「トップが何を重視しているか」をこういうかたちで「見える化」することで、コンプライアンスの精神が徐々に組織全体に根付いていくのだろうと思います。
  • 東京一極集中が、高学歴化・晩婚化を促します。生活コストや教育コストが高まり、世代が別々に生活するパターンを生み出し、少子化を加速させました。ちなみに、コマツの既婚女性の子どもの数は、東京本社が0.5人、大阪・北関東地区が1.3~1.4人、北陸地区は2.0人です。北陸地区の子どもの数が多いのは、親子3世代が近くに住んでいるため育児も容易で、生活・教育コストにも余裕があるからでしょう。
  • 日本の行政コストも固定費と変動費とに分けずに議論されているため、予算がカットされたとき、その大変が変動コストにしわ寄せされます。変動コストのほうがカットしやすいからです。しかし、変動費が削られると困るのは現場です。少ない経費で、これまで通りの(あるいは、これまで以上の)パフォーマンスが求められるからです。最近、注目されている事業仕分けも、固定費と変動費を分けずに進められています。固定費である間接部門の人件費、すなわち雇用をどうするかという一番肝心な問題点を避けて予算削減を指示するので、それに関わっている人たちが新たに別の仕事をつくりだしてしまうのは当然です。固定費にメスを入れないと、予算削減とともに、どんどん現場の余裕がなくなっていく。国民は、この悲惨な状況に気づくべきです。
  • 「会社がこういう状況になったのは、経営陣の責任が一番重い。しかし、皆さんも悪かった。それぞれが「何かできるはずだ」と考えるように意識を変えて欲しい。」

本「多摩のまち自転車探検」【11年23冊目】

<本の紹介>
広範囲の移動が可能な自転車ならではの特性を生かし、多摩地域をじっくりと巡ってみませんか。それぞれの土地への思いがぎっしりと詰まった一冊に仕上がったと自負しておりますがいかがでしょうか。
《ジブリの風景》聖蹟桜ヶ丘では、映画「耳をすませば」で描いたそのままの風景をたどり、現実と物語の交差を楽しみます。《自然と歴史》玉川上水では、約350年前に掘りぬかれ今なお現役で活躍する「生きた史蹟」を源流めざして走ります。また、《基地と戦跡》稲城・南山では米軍の多摩サービス補助施設(旧・弾薬庫)が皮肉にも開発から森を守った様子を語っていきます。
著者の斉藤円華(東京都小金井市在住)は地域や環境をテーマに執筆活動を行っており、スローライフ研究家として持続可能なライフスタイルを探求しています。あとがきでは「宝物のような思いがけない情景に出会うこともあれば、開発によって自然が切り刻まれる痛々しい光景を見せつけられもした。良くも悪くも多摩の現在を、私なりの視点で活写した」と語っています。移りゆく多摩の景色を、本書とともにご堪能いただければ幸いです。

<メモ>

  • 多摩にとって、玉川上水は格別の意味がある。今から350年以上前に、羽村から四谷大木戸まで、43kmを標高差わずか100mの勾配で、1年弱(8ヶ月と伝わる)という短期間で掘り抜いたこの水路は、江戸の水不足を解消し、武蔵野台地の新田開発の原動力となった。1965年まで全区間が現役だった玉川上水は、江戸と東京、そして多摩の繁栄を支えたのだ。
  • 石川酒造は幕末頃から続く蔵元。清酒「多満自慢」はもちろん、立派な蔵と自家醸造の地ビール、それに併設された「雑蔵(ぞうくら)」で提供されるおいしい蕎麦でもよく知られている。2本並んでそびえる大きなケヤキの木は夫婦欅(めおとけやき)といって、お米と水の神様をそれぞれ祀っている。
  • 新奥多摩街道が福生駅西口通りと交差する付近からようやく用水沿いを走れるようになる。ここには石川酒造と並ぶ福生の蔵元、田村酒造がある。ここの清酒「嘉泉」も旨いのである。
  • 「投げ渡し堰」で用水に水を横取りされた多摩川の、何と流れの弱々しいことよ。私たちの飲み水のために必要とはいえ、少しばかり心が痛む。水は大事に使わなければ。
  • 多摩川にかかる橋を渡った対岸には羽村市立郷土資料館がある。羽村堰の水門を再現した展示や、河川敷には大雨時に流れの勢いを弱める木組みの枠を見ることができる。
  • 玉川上水駅から下流に向かって左の道路に入ると、小川分水の放流口手前にちょっと面白い場所を見つけた。なんと足湯ができるというではないか。地元の人たちが野外に設けられた足湯場でのんびりとくつろいでいる。その名も「こもれびの足湯」。隣接するごみ焼却施設から出た排熱を利用して、汲み上げた地下水を温めて循環させているのだとか。
  • 貫井神社の境内には湧き水による小さな滝が見られる。
  • 野川と人見街道とが交差する手前には蕎麦屋の「地球屋」がある。漫画家・吉田戦車が自転車エッセイ「吉田自転車」の中で「すげえうまかった」と紹介している、有名な場所だ。
  • JR中央線武蔵境駅を出てまっすぐになんかして人見街道を右に行く。東八道路を交差して坂を下ると野川だ。近藤勇は小さい頃、このあたりで遊んだのだという。程なく進むと龍源寺。ここには近藤の墓がある。寺の門の前には胸像が。さらにすぐ先には生家跡の古井戸も残る。人見街道から新小金井街道を左に入って旧甲州街道を右へ。その先にある大国魂神社は、近藤の天然理心流四代目襲名披露の野試合が行われた場所。
  • 橋を渡って左の路地に入ると、土方歳三の墓がある石田寺が現れる。次に高幡不動尊。ここには土方歳三の巨大な銅像があるのだが、表情とかポーズが立派過ぎ、見ていて何だか気恥ずかしい。新撰組関連で見るべきはむしろその隣にある、近藤と土方を讃えた「殉節両雄之碑」だろう。篆額(てんがく)が会津藩主・松平容保(かたもり)、碑文の筆者が幕府典医で新撰組とも縁の深い松本順という、由緒ある碑だ。ここの山門には高いところに千社札がびっしりと貼りつけられていて、どうやってあの高さに貼るのかと感心する。
  • 小田急線北口から1kmほどの場所に、白洲次郎と正子が暮らした武相荘がある。GHQをして「唯一の従順ならざる日本人」といわしめた白洲次郎の茅葺き住居、一度見ておくのも悪くない。
  • 文豪の森鴎外、太宰治が眠る禅林寺。
  • 米軍ハウス近く、16号沿いのラーメン屋「福実」がうまい。ここは山田詠美や忌野清志郎が通ったことでも有名だ。
  • 延命寺には、空襲の犠牲者を悼む平和観音菩薩像があり、その側にはB29が落とした250kg爆弾の破片が置いてある。
  • 数千年の時間の厚みと、その中で積み重ねられた智慧と美を感じられる中近東文化センター。彩色された陶器のあたたかみや、素焼きの鹿や水牛ののびやかな造形、古代イランの凛々しいグリフォンの飾板、そしてイスラーム世界の息を呑むような幾何学文様、知を受け継ぐ文字の営々たる積み重ねと変遷…。どれひとつ取っても想像以上であり、時間が経つのを忘れて見入ってしまう。
  • 岡本太郎は、父岡本一平、母かの子と共に多磨霊園の一角(16区1種17側)に葬られている。太郎の墓碑は、作品「午後の日」(1967年)がそのまま使われている。一平の墓碑も太郎の作だ。ちなみにかの子の墓碑だけ観音菩薩。面白い取り合わせである。東郷平八郎ら海軍提督の巌のような墓石もある中で、ここだけはほのぼのとした空気が漂っている。
  • 都立東大和南公園一帯はかつての日立航空機立川工場で、航空機用エンジン生産の拠点だった。集中的な爆撃の標的となり、計3回の空襲で工場の半分が壊滅し、110人が死亡したという。その当時の変電所跡がそのまま残っている。これはいつ見ても言葉を失う。
  • 府中基地をぐるっと一周するように走る。フェンスの向こうに戦闘機が2機鎮座しているが、むろん府中基地に滑走路はない。退役したものからエンジンの主要部品を外して展示しているのである。
  • 旧多摩聖蹟記念館。「聖跡桜ケ丘」の聖跡だが、この言葉には「天皇が訪問した場所」という意味がある。明治天皇がこの一帯で兎狩りなどを楽しんだことに因んでいるが、ここを訪れるまでは意味も由来も知らなかった。なるほど。
  • IHI瑞穂工場を迂回するように進むと、野山北公園自転車道の起点がある。多摩湖(村山貯水池)への導水管の上を走っている。1921年からの導水管建設時、その後の狭山湖の堤防工事のときには、資材運搬のための軽便鉄道が走った場所だ。本当ならば、羽村からまっすぐ自転車道が伸びていてもおかしくないのだが、ご覧の通り、工場と横田基地が間にでんと居座っている。ちなみに、基地の向こうの羽村側は神明緑道として整備されており、基地がなければ羽村堰から1本で自転車道が続いていたかもしれない。

2011年11月29日火曜日

本「「通貨」を知れば世界が読める」

ニーベルングの指環の話になぞらえて、これまでの基軸通貨の移り変わりとその中での日本の「円」の立場や果たしてきた役割をまとめてくれてて、非常にわかりやすく、著者の明晰な感じがとっても伝わってきました。そして、歴史が繰り返すわけについても、深い洞察で「確かにな」と思いながら読み進めることができました。
そして、これから起こるであろう基軸通貨の変化に対しての提案もとても根拠のあるもので、地域通貨と基軸通貨それぞれの求められる役割と難しさをうまく解消できるモデルで、「これがあるべき姿なんじゃないか?」って今回のユーロ危機を見ていて感じるところが多々ありました。
ちょっと、財布に複数種の通貨があるのははじめはこんがらがりそうだけど、慣れれば今も旅行に行ったときとかそうしてるし問題なさそう。
TPPの話についても、集団鎖国って表現は正しい気もする。そこに入らなった国との通商ってどうなるんだろう。もう少し注意して経過を見てった方がいいかもしれないですね。

2011年11月13日日曜日

本「アルゼンチンサッカーの思考力」

難しい本ばっかり読んでたので、息抜きに好きな分野の本も読んでみました。
アルゼンチン―最初に好きになったきっかけは「俺たちのフィールド」だったか、ウイイレでのやりとりだったか忘れてしまったけど、98年のフランス大会のときからワールドカップでの応援国は僕はずっとアルゼンチンです。
シュートの止まない波状攻撃、ドリブルで仕掛ける心意気、アルゼンチンのスタイルがバティやオルテガ、シメオネの頃から、クレスポとベロン、サビオラ、リケルメ、アイマールの頃、そしてテベスやメッシの今の代表に至るまで変わらずにずっと好きですね。きっともう10年早く生まれていたら、マラドーナの頃もずっと好きだったろうと思います。^^

そんなアルゼンチンのサッカーにあるスタイルについて新しい発見もあった読んでて楽しい本でした。俺フィーでもサッカーは手でするってのが出てきてたけど、それが「自分しか知らないチョコレートの盗み方」なんですよね。
これは生活のいろんな場面であるある。教えるわけないこと、ってのがいくつあるかってのも、比較はできないけどいい選手ほど持ってる気もする。
それと、リケルメ。ボカにいた著者の話なんでやっぱりボカの話がメインになる。そうすると、時期的にリケルメの話もたくさん出てくる。リケルメ履き、リケルメ食い、リケルメ飲み、、なんでも伝説にしちゃうリケルメのオーラもすごいと思うけど、上にも書いた「俺はなぁ、嫁と娘に愛されたら十分に幸せなんだよ。あんたに愛されたくはない。」
っていうスタンスもリケルメらしいなぁ、とか思いました。でも、本質そこでいい気はする。

そして読んでて考えてたことは、日本にはまだそこまでの国民みんなが共有してる好きなスタイルがあるわけではないんだなぁってことでした。そりゃ、各チームレベルではあるけれど、アルゼンチンだけじゃなくイングランドやスペイン、イタリアが持ってるその国のサッカースタイルっていうのがまだ、日本スタイルって形では認識できないなと。これからどういう形で形成されていくのか、ちょっと楽しみにも思いました。^^

2011年10月29日土曜日

本「官僚の責任」

最初の数ページを読んだ感想は「この人レベル低…」でした。その時点で読むのやめようとも思ったけど、読んでいくとなんとなくその感覚がレベルの違いじゃなく底にある考え方の違いにあるような気がしてきました。
確かに、官僚の人たちの考え方がよくわかる1冊でした。
税金を使って利権を増やすだけ。本来必要なことかどうかは問わない。国益よりも省益を優先するような考え方、是非も問われるところかもしれない。でもどんな企業にもこういう面はあるなぁと感じて、人の組織の難しさや限界面を考えさせられました。人のことばっか言ってられないなと。
自分がこの国の国民であり税金を払っている以上、その税金を有意義に使ってほしいという思いもある。そのお金でポストを作って、そのポストではほっとんど仕事らしい仕事をしない人が給料として税金をもらう。その人たちの裏には、どれだけの人たちのどれだけの我慢があるんだろう。決して本音では話してはくれないかもしれないけれど、官僚の人たちがどういう意識で仕事してるのか、聞いてみたいと思いました。
ただ、これだけ自分でこきおろしてる経産省に残って、閑職で著者は何やってんだろうとも思いました。
仕事が与えられないなら、辞めればいいじゃん。うまくいくかはわからないけど、ゼロにリセットして新しいこと始めればいいじゃん。と。それができないのに、こういう本を書いているっていう立ち位置の中途半端さがなんとなく気持ち悪い感じがしました。
そのまま閑職でもそこにいればいい給料もらって食べていける。その地位を捨てることができないのかな。
あえて捨ててまでやりたいことは特にないのかな。

本「日本人の誇り」【11年19冊目】

<本の紹介>
危機に立たされた日本は、今こそ「自立」と「誇り」を回復するために何をすべきなのか? 『国家の品格』の著者による渾身の提言。

<メモ>

  • 現在、30歳女性で出産したことのない人が50%を超えています。ここ5年間の出生率は1.34程度で、人口維持に必要なのは2.08ですから、ある時から急激な人口減少が始まることになります。
  • 国立社会保障・人口問題研究所は生涯未婚率を算出しています。現在60歳の人では5%に過ぎませんが、現在30歳の人々だと23%、現在20歳の女性だと40%と予測しているのです。
  • ケータイ病におかされた子供たちは今や、世界でもっとも勉強をしない子供たちとさえ言われています。中学校で数学教師をしている私の教え子が言っていました。昼休みに勉強や読書をしたり校庭で元気よく遊ぶような子はまず見当たらず、おしゃべりをする子も少なく、ほとんどは黙々とケータイを手にしているそうです。
  • 学校にはBMWを乗り回しながら給食費を払わないモンスターペアレンツ、病院には治療結果が思わしくないとすぐに病院や医師を訴えるモンスターペイシャンツと、不満が少しでもあれば大げさに騒ぎ立てる人々が多くなりました。人権をはじめとして自らの権利をやたらに振りかざすような行為は、かつては「さもしい」と言われたものですが。
  • 和をもって尊しとなす。
  • アメリカの原爆投下命令は、ポツダム宣言の発表以前に下されていた。原爆は「ポツダム宣言を拒否したから」投下されたわけではない。
  • 「"正義は力なり"を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」という記事を1945年9月15日に載せた朝日新聞は発刊停止となった。(言論・表現の自由を米国の作った憲法に明記されているけれど。。。)
  • 日本の軍人達は、戦場で涙ながらに老いた父母を思い、自分の死後に残される新妻や赤子の幸せを祈り、恋人からの手紙を胸に秘め、学問への断ち難い情熱を断ち、祖国に平和の訪れることを願いつつ祖国防衛のために雄々しく闘いました。それが今、地獄さながらの戦闘で散華した者は犬死にと嘲られ、かろうじて生き残った者は人殺しのごとく難詰されるという、理解を絶する国となってしまったのです。祖国のために命を捧げた人に対し感謝の念をこめ手を合わせて拝むべきものであるのに、戦争の罪を一身に背負わせているのです。
  • 1945年3月10日の東京大空襲では、下町を中心に一夜で10万人以上が死亡しました。一夜としては史上最大の大虐殺です。あらかじめ関東大震災時における被害状況を調べ、下町に木造住宅が密集していることをつきとめた上で、木と紙でできた日本家屋を最も効果的に焼きつくすために新たに開発されたE46という集束焼夷弾を落としました。だから被害地域が関東大震災の時と似ています。浅草などではまず円で囲うように周囲に焼夷弾を落とし、逃げ出せないようにしてから徐々に内側へ落として行って人々を追いつめました。ビルに逃げ込んだ人も、吹き込む火炎流で焼死あるいは窒息死し、隅田川は川面が溺死体で埋まりました。残忍な皆殺し計画でした。
     東京はその後も何度か爆撃されました。上空の強風を避けるため2000mほどの低空飛行から投下したので、爆撃は極めて精確でした。爆破でもしたら国民の底深い怨恨を買うであろう皇居は目標から外されました。ロシア正教のニコライ堂、ロックフェラー財団の寄付で建てられた東大図書館、米国聖公会の寄付で作られた聖路加国際病院や立教大学、占領後に自分たちが利用とした銀座の服部時計店(米軍PXとなった)、第一生命ビル(GHQ本部となった)なども外されたから無傷でした。
  • 東京裁判では、「広島、長崎への原爆投下という空前の残虐を犯した国の人間に、この法廷の被告を『人道に対する罪』で裁く資格があるのか」は詭弁により斥けられました。触れてはいけない大地雷に触れたこの爆弾発言は、発言とほぼ同時に日本語への同時通訳が中止させられたため、日本人の耳にも届かずマスコミにも流れませんでした。欺瞞に満ちたこの裁判を破砕するものだったからです。
  • 人間というものは、他人を攻撃する際に自分が言われるともっとも痛い言葉を用いる、という心理的傾向があるのです。国も同じです。
  • もし現代の定義を適用して日本を侵略国というのなら、英米仏独伊露など列強はすべて侵略国です。ヨーロッパ近代史とはアジア・アフリカ侵略史となりますし、アメリカ史とは北米大陸太平洋侵略史となります。清国も侵略国です。ただしこれらの侵略国家が倫理的に邪悪な国ということにはなりません。この2世紀を彩った帝国主義とは、弱肉強食を合法化するシステムだったからです。
  • 日中が手を携えるというのは白人にとって悪夢中の悪夢だったのです。これは現在に続いています。この2つは対立させる、というのは今も欧米の基本戦略です。
  • 日本は敗北したとはいえ、白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業を成し遂げたのです。日本人の誰もそんなことを夢想だにしていませんでしたが、結果的には世界史の大きな転機をもたらしたという点で、何百年に一度の世界史的快挙をやってのけたと言えるでしょう。

本「為替占領」【11年18冊目】

<本の紹介>
3.11後に、なぜ円高にふれたのか?誰もが、日本売りで円安になると思ったのに、急激な円高!その後の協調介入はなぜあれほど素早く行われたのか!?全ての疑問がこの本を読むと解明されます。為替を通してみると世界の動きと、日本の位置がはっきりと分かってきます。1971年8.15のニクソン・ショックから始まった苦難の円高、借金棒引きシステムを余す所なく暴きます。なぜ、為替介入が行われ、その米ドルは換金できないのか?しかも、ディーリングで見ていると、必ず先行してプライスアクションが起こるというリアル。全ての経済予測はこの本を抜きにしては語れなくなる。為替は実はゼロ・サムゲームなのです。

<メモ>

  • 90年代のアジア通貨危機、ロシア通貨危機、昨今のアイスランドも広義の意味での通貨危機と捉えれば、為替政策の脆弱性が結局は政権や国家の経済システムを崩壊させることに繋がってしまうということは今も昔も変わらない。歴史の中の類似性は偶然の域ではあるまい。であるからこそ、我々が今後の処方箋として歴史のアナロジーを生かす余地は大いにあろう。
  • 世界の投資資金は、いわゆる平時であればより収益の上がりそうな場所を求めて動いている。スイスも日本円同様に、他国に比べ相対的に低金利であるがゆえに、通常は低金利のスイスを売って、高金利の他通貨を買う、というスイスキャリーが発生しやすい。しかし、一度金融危機などが発生すると、危険な場所を避け安全な場所に戻るという性質が資金にはある。地政学的に経済的にあまり関係のない、あくまでも中立国の立場を取るスイスは緊急避難先なのである。世界の富裕層の資金がスイスに集まり、平時はそこから海外へと投資資金が出ていくのなら、緊急時にはスイスに戻ると考えれば納得がいくのではないだろうか。あるいは、円キャリーやスイスキャリーは危機が発生するという情報が伝わった瞬間に、もともとの資金の出所である円やスイスに戻っていくという方がむしろ説明が付くかもしれない。平時と皆が思っているときに、実は情報をいち早く仕入れている一部の投資家は、一足先に危険な市場から撤収を始めているのである。それが、為替取引においてスイス。フランだけに見られる異常な買いとなって表れる。
  • 為替と株式市場を中心に季節要因のサイクルをまとめると、、、
    • ▼1月:欧米企業の会計年度がスタートするために変動が大きい。日本人がお正月気分でいる間に仕掛けられることも。ボーナス資金が市場に入ってくるため、前年11月終盤から日本が正月休みの3日目まで米国は株高。それにつられてドル高。よって円は独自の理由からというよりも、ドル高のため円安に。
    • ▼2月:以前はシンガポール、香港などアジアの相場参加者が旧正月に入るため閑散。中国も旧正月を祝う文化圏であるので、世界一のプレーヤーとなりつつある中国の存在を考えれば今後も2月は相場の動きは鈍くなるというのが順当だが、敢えてその隙を狙って政策金利の変更を行う等、相場参加者の裏を読む行動を中国通貨当局は取る。
    • ▼3月:日本の会計年度が終了するために、下旬には日本の投資家の外貨資産の処分で一時的に円高に振れる場合がある。特に3月31日と4月1日ではがらりと相場の雰囲気が変わるので要注意の日。
    • ▼4月:前半は欧米がイースター休暇のため欧米からの参加者は少なめ。日本の会計年度スタートで本邦からの海外投資が活発化し、円売り、他通貨が買いとなりやすい。4月末には日本はゴールデン・ウィークに突入することから、以前は海外旅行による需要などで基本的には円安と言われてきたが、日本人が休み気分でいる中を2010年に見られたようにユーロ危機を演出するなど、狙い撃ちされやすい。ゴールデン・ウィーク前に市場が売り・買い一方方向に偏っている場合は、その動きの加速、あるいは逆の動きもあり要注意。2011年は年初来急騰していた銀相場がターゲットとなった。
    • ▼5月:ゴールデン・ウィーク前の雰囲気が変わっていることもあるが、夏に向け米株高となる場合が多いため、ドル高が定石。本邦の年金など新規投資を始める時期でもあるので、円売り。但し2011年は震災直後ということで本邦から海外への資金流出は手控えられるであろう。
    • ▼6月:1年の折り返し地点ということで、相場も一服。
    • ▼7月:6月に続き大きなイベントはなく、ここまでのドル高、株高の流れを継承しやすい。
    • ▼8月:海外は夏休みシーズンに入り、日本もお盆となるが、このお盆の時期にLTCM、サブプライムなどの経済危機が発生することも多く、ドル安のスタート地点となることが多い。
    • ▼9月:8月にスタートしたドル安の流れを引き継ぎやすい。株価もピーク、あるいは高値から下落を始める時期。米国のデフォルトあるいは新通貨制度の発表などがあるとすれば、8月―9月の可能性が高いと個人的には考えている。
    • ▼10月:ヘッジ・ファンドなどの中で、早めに1年のポジション(持ち高)を調整し始めるプレーヤーが出てくる。ドル安・株安継続。
    • ▼11月:米国はサンクス・ギビング・デー(感謝祭)が後半に控えているため、ポジション調整の動きが加速。以後クリスマスまで長期休暇。
    • ▼12月:中期以降は特に閑散。海外は休暇モードでクリスマス前後の取引はほとんどない。基本的には11月にドル売りが加速し、12月には一服。欧米企業の自国向け利益送金もあって、特にドルは底堅い展開に。12月28日より取引は活発化するので、年末年始は要注意。
    • 端的には春に向け円安(ドル高)、秋口から円高(ドル安)というパターンとなりやすい。
  • 日本国で経済活動を営んでいるのは、5つの経済主体となる。それは①政府、②家計、③金融機関、④非金融法人(一般企業)、⑤民間非営利団体(NPO)。日本の場合は政府が借金をしている側で、国民がその貸し手である。それにもかかわらず、国民の借金としている点で報道はおかしい。政府が踏み倒さない限り、国民にとって資金の貸し出しは資産である。
  • 2002年の格付け会社の日本国債の格下げに対して、財務官が送った説明を求めるための書簡。(ま、リーマンショックで格付けが意味をなしていないことはわかっていますが。。)
    • (1)日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
    • (2)格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
      • マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国。
      • その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている。
      • 日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備高も世界最高。
    • (3)各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。
      • 1人当たりのGDPが日本の3分の1でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
      • 1976年のポンド危機とIMF借り入れのわずか2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
      • 日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。

本「この国の権力中枢を握る者は誰か」【11年17冊目】

<本の紹介>
日本はなぜチェルニッポンにさせられたのか。大震災・原発事故の国難につけこむ外国勢力に対応できない日本政府の政治無策を問う

<メモ>

  • 福島原発の事故がいちばん危機的だった3月17日に横須賀に行ってみたら、アメリカの艦隊は一隻もいなくなっていました。ちょうど3月11日に港に入って、1ヶ月の予定で修理にかかるはずだった原子力空母ジョージ・ワシントン以下、機動艦隊が影も形もありません。アメリカは海軍。海兵隊共同で「トモダチ作戦」と称する被災地救援オペレーションを行うといっていたので、東北沖にでも向かったのかと思ったのですが、何のことはない、全部出航してフィリピン沖まで逃げてしまったのです。米韓合同演習のために来ていた空母ロナルド・レーガンが東北沖に姿を見せましたが、これも福島原発から125海里(230キロ)以内の海域には決して入りませんでした。これが日米同盟の実態です。
  • 核爆弾も核弾頭も必要ない。核物質があって、それを普通の爆弾に積んで爆発させれば放射能はそこかしこに飛び散る。それだけで世界は恐慌をきたす。テロの手段としてこれほど有効なものはない。今度の福島原発の事故で改めて、そういうことを世界の誰もが認識したのです。
  • 誰もが放射能の恐怖に怯えているという事態の深刻さを、アメリカ自身が最も強烈に認識したはずです。なぜならアメリカは世界で唯一原爆を投下した国であり、核爆発と放射能の悲惨さをよく知っているからです。9.11を持ち出すまでもなく、自分たちこそがいちばん「報復の女神」のターゲットになりうるということもわかっている。
  • アメリカは日本の役人に対して硬軟両面からいろいろなことを仕掛けてきました。その一例が、研修と称するアメリカ留学です。もちろん研修の費用は全部アメリカ側の負担です。選ばれた各省庁のエリートたちは嬉々としてアメリカに行って、帰ってきたらみんな親米、アメリカのお先棒をかつぐようになっている。最近は、今までアメリカと縁のなかった検察庁の若手検事や裁判官までが研修に行くようになっています。これから指導的人物になるだろうと目される各界の人材を選んでアメリカに留学させ、親米派の知識人を養成するという戦略的な留学制度です。
  • 復興財源として日本がアメリカ国債に手をつけるのをアメリカが恐れている。日本政府が持っているアメリカ国債は8000億ドル前後で推移していると思われます。これは一兆ドルを超える中国に次いで世界2番目の保有高で、もし日本がこれを売りにかかったら、それでなくともデフォルト寸前の状態にあるアメリカ国債は窮地に追い込まれる。だからアメリカは日本の財務省に圧力をかけて、売らせないように画策しているのです。復興税や消費税増税の話の裏側にはこうした事情があることを忘れてはなりません。
  • インドの綿花種子市場はいまやモンサントが独占しています。綿花の場合は種が取れるのですが、モンサントは自社が開発した綿花のバイオ種子の特許権を制定していて、自社のバイオ種子から収穫された綿花の種を翌年使用するのは知的財産権の侵害にあたるとして禁じています。これを侵害すれば巨額の賠償金を請求される。だからインドの綿花業者は毎年モンサントから高額な種を買わされ続けているのです。

本「個人でつくる電子図書館」【11年16冊目】

<本の紹介>
電子図書館運営の先達であった館主・内転儀久が、この10年の経験を集約。ネット万能時代の読書・資料収集・公開について手の内を公開する。

<メモ>

  • 個人で電子図書館をつくる時代が到来した。
  • 郷里を離れて都会や別の地方都市に暮らす人が、郷里の図書情報を提供することもできる。自分が郷里に住んでいなくても郷里の土地勘があるし、幼友達もいるだろう。そうであれば、郷里の図書情報を提供することによって、懐かしい友達に出会えるかもしれない。電子図書館をつくって「ふるさと貢献」するのもよいだろう。
  • ローカルな図書情報であっても、特定地域の図書情報を集積していけば、地理的な地域の隔たりを越えて多くの人から特定地域の図書情報を提供してもらえるという電子図書館の利用法。
  • お気に入りに登録されたサイトが自分のマイ電子図書館であり、マイ情報センターになる。
  • 紹介する情報のうち、政治・宗教・販売の情報、プライベートな記事、また個人情報や誹謗中傷するような情報は取り上げない。ただし、テレビ番組の中で芸能人が、まちの「うまい店」として紹介した店は名前を出している。芸能人に紹介されるような店は「地域の文化」だと思っている。
  • サイト内検索だけでなく時代別・領域別のデータベース化作業を続けようと考えている。何かを考えるヒントは、系統的に整理された情報の集積から生まれる。
  • 満開佐倉文庫情報大賞であるが、一年間、当文庫に寄せられた情報を整理し、その中から佐倉の再発見となるような情報、インパクトのあった情報、その年の情報として記録しておきたい情報を十点近く選び、情報大賞の候補とする。その中から電子司書さんと相談して、情報大賞を選んでいる。
  • 地域の歴史・自然・文化(それを風土といってもよい)に興味を持つことである。家の外に出て地域の風を頬に感じ、地域の史跡を訪ね、地域の食を味わい、地域の文化人と交流することである。そうすることによって、地域の図書は自ずと集まってくる。
  • 本に限らず情報紙、CD、DVD、記念資料、パンフレット、ポスターなどの資料があり、これらを含めて地域資料と捉えている。しかしこれらの資料は特定の人が特定の人に配るために作成したり、有料であったりして集めづらい。集められればいいですねというところである。
  • 読書をしながら自分の住んでいる地域が出てくる本に出会うと、思わず嬉しくなる。その本は、知らず知らずに印象に残るものである。どこかにそれを収納する箱をつくり、みんなで読書をしながら地域本を探していくのである。
  • 地域が小説に描かれたり、映画のロケ地に使われることはその地域に魅力があるからであると考えている。だからその魅力を多くの人に伝えたいと思う。その情報発信の手段が当文庫である。さらに、地域が描かれた作品はそのまま国語教材として、市内にある学校の国語教育にも使えるのではないかと考える。
  • 当文庫では、過去の書物を集めることよりも、地域の「今」を集めている。「今」は自分が生きている時代の図書情報であるから集めやすい。地域の「今」を集め、「今」を整理し、「今」を次の時代に伝えたい。「今」は、やがて歴史の一ページになる。
  • Googleマイマップを使って、全国にある「佐倉」という地名情報、名称、公共施設名などを提供する。
  • ウェブサイトに掲載された図書情報は、私と情報提供者が見るだけでなく、世界中の人が見ているのである。私の読書レベルが白日のもとにさらされる厳しさがあるが、それも勉強である。むしろ、「私はここまでわかりましたが、さらに詳しい本を知っている方がおられたら教えてください」という情報発信であり、受付姿勢の表明である。
  • くにたち図書館では、くにたち地域資料ボランティアの方々が資料の収集、現地の調査、聞き取りなどを行い、そして議論を重ねて、レファレンスシートを作成している。
  • 不採用になった情報も何件かありますが、その際の館主さんの判断とその明解な解説連絡を戴くことの方が採用と同じくらい嬉しいですね。「一喜一憂」としないで「嬉々」とした次第です。

本「武蔵野の民話と伝説〈下巻〉」【11年16冊目】

<メモ>

  • 多摩川溝ノ口築堤(1703年)の際には、水神の怒りを鎮め、洪水を未然に防ぐよすがとして2人の「人柱」が埋められた。
  • 真言宗関東三山:金剛山金乗院平間寺(川崎大師)、高尾山薬王院、成田山新勝寺。

2011年10月23日日曜日

本「武蔵野の民話と伝説〈中巻〉」【11年15冊目】

<メモ>

  • 平将門の遺体は、それぞれゆかりの深い各地に分けて葬られているということだが、わかっているのは、
    • 神田明神の首
    • 湯島鳥越明神の胴
    • それから、恩方力石のまさかさまの男根
      と、この3つである。あとの手や足も、どこかに祀られているものと思われる。
  • 八王子から横浜に通じるシルクロード(絹の道)という繭や生糸を輸送する街道があって、蚕には縁の深い地帯である。
  • 武蔵野の秋月―見渡す限りの萱や芒の原。ところどころにある村落と雑木林。秋から冬にかけての風物が、最も武蔵野らしい姿を見せる、とは昔の文人の言葉だが、秋の冴え渡った月光の下の、このあたりの風情は詩歌などにもいろいろと採り上げられている。
  • 国分寺地内で、最も古くから人が住みついたのは「恋ヶ窪」あたりだといわれている。近くには約一万年前に人類が生活していたことの証左である黒曜石の打製石器などが発掘されている。
  • 「昔話」をしてくれる老人が、いまは極めて珍しい。たとえ話してくれる人があっても、それを聞く側―若い世代(子供も含めて)が、それをしんから耳を傾けて聞いてくれるか、どうかだ。炉端や日向の縁で、爺さまや婆さまから「お話」を聞いた時代の子供たちとは、いまは、その受け取り方も感動のしかたも、まるで違うのである。語り手の方でも、話す興味も熱意も、あらかた喪失してしまっている人が多いようだ。