2003年3月30日日曜日

飲み会

もう春休み終わっちまうよ、やれやれだぜ。

結局就活を通して今まで知らなかったいろんなとこに行けたことは行けたけど、旅行みたいのはゼロだったな。
残念・・・。

ま、こんなトキもあるさ。

でもって今回書こうと思ったのは、飲み会のことについて。
俺はぶっちゃけこの春休み飲み会取ったらほんとに就活しか残んなかったかな。

んでもっていつもは楽しく飲んでるわけだけど、この前(あくまで俺ん中で)全然楽しめなかった飲み会があったんだよね。
で、それがすっげぇひさびさでちょっと考えてたんだ。
今飲み会(しかも今までやったことないようなでかい規模の奴)企画してる身でもあるからさ、
「どうしたらみんなが楽しめる飲み会になったんだろ?」
「今回の俺みたいに感じる人が出ないようにするにはどうしたらいいんだろ?」
って考えて。
こっからは俺の個人的な意見。
飲み会ってのも5,6人で飲むような内輪のもんじゃなくて20人から多い方は青天井(つまりどこまでも)って場合のことを言ってることをはじめに言っておきます。

んで出た結論が、開催すんなら開催する側として楽しむこと、参加者として楽しんでる普段の飲み会と同じようには楽しめないってことをやる前にわかっておかなくちゃいけないと思った。
楽しんじゃいけないってことじゃなくてさ。

参加者が楽しめることを一番に考えて動く。
自分らがその人たちを呼んでるんだから、呼んで金払ってもらったら終わり、じゃダメだと思った。
呼んで大きなお金を出してもらってるわけだからね。
そんなんじゃ次にもしやろうとしても来てくれるわけない。
その人と一緒に飲んで、ちょっと席空けてでも誰かが一人でいるようならこっちから話しに行くとか、知り合いじゃない人同士の間に入って仲良くなりやすいようにするとかしてかないと。

もちろんそういう人がいないで楽しめるようならそれでいいと思うけど、初対面の人が多いような飲み会とか、いろんな人が来てる規模の大きい飲み会でそんなことってあんまないよね。
仲いい人で飲んでるときと勝手が違って当然。

んでもって楽しみ方ってのも人それぞれ違うよね?
大勢でコールかけあって飲むのが楽しいって人もいれば、2人とか3人とかの小人数で語りながら飲む方が好きだって人もいるし、女の子とじゃないと飲みたくないって人もいる。
2,3杯で酔っちゃう人はそんな飲ませたら危ないし、お酒の量が少なくても楽しむ楽しみ方ってのがあると思う。
ビールはダメだけどサワーならって人も、日本酒か焼酎がいいって人もいる。
お酒が好きならこだわって当然だし、自分にとっておいしいお酒を飲むことは飲み会を楽しむことにもつながっていく。

それを「僕らはこう飲むから、それに合わせて飲んでください」って言われても楽しめないでしょ。
団体としてのまとまりは出るのかもしんないけど、それじゃ偏った人が残っていくだけになっちゃうと思う。
飲める人だけとか、あんまり飲まない人だけとか。

飲み会の中でなんかイベントやるにしてもそう。
それをやって楽しむのは誰?
ここで自分がやりたいから、とかこれ見て欲しいからとかの理由でイベントすんならどーかと思う。
もちろん場が盛り上がってなくて、ここらで一発盛り上げたいとかそーいうときには有効だと思うけど、場が盛り上がってて会話が弾んでるようならあえてやる必要もないんじゃないかなって思う。
別にそれをやることが飲み会の目標なわけじゃないんならね。
そのイベントをすることが目標ならぜひやるべきだけど。

もう一つ、場所と値段について。

まず場所ね。
俺が一番大事だと思うのは、移動のしやすさ。
おしゃれなとこの方がいいに決まってるし、雰囲気のいいとこの方がいいとは思う。

でもそれよりも席が移動しやすい、例えば立食形式や座敷ってのはいろんな人と話す機会が増えるから好き。
まぁ立食で何時間も立ちっぱなしってのは疲れちゃうからちょっとあれだけど。
でも椅子席より確実に会話の機会は増えるし、みんなで固まりたいとこに固まることもできるしいいと思う。
人数のばらつきにも対応できるってのも開催する側からしたら安心できるっしょ。
飲み会はドタキャンの出るものだからね。

椅子のメリットは・・・人数が把握しやすいこと?座りやすいこと?
まぁ小人数で飲むときとかはそっちの方がいいよね、多分。
これは好き好きでしょ。

で、値段について。
安い方がいいに決まってる。
そんなん言わなくてもわかるよね。
赤字の出ないように考えて出してもらうわけだけど、相場(学生なら¥3000だべ)を超えるようだとやっぱり引いちゃう人が出てくるのは当たり前。

ならそのお金を出した人にどんだけ楽しんでもらえたか、店にどんだけのもんを用意してもらえたか、でみんなが納得してお金出してもらえるようなら俺はそれでいいと思う。

楽しませるのは俺らだから、まぁおいといて、店側に求めるもんとしてはやっぱ料理の品数、量、あとは酒がおいしいか、飲み放題になってるお酒の数(基本は飲み放題)、みたいなとこが満足いくようにするってのが大事でしょ。
飲めない人には料理で満足してもらわなきゃなわけだし。
そこで不満が出るようだといかんね。

あとは・・・そうだな、開催する側の人が喋ろうとしても参加者ははじめの挨拶くらいしか聞かないと思うんだよね。
だから途中でなんか言おうってときはそれに他の運営側がどんだけ協力できるかでみんなが聞くか聞かないかってのは決まんじゃないかなって思う。
そいつらが「もう言うこと知ってるから」って他の人と話してちゃ話になんないっしょ。
やっぱそいつらが聞く姿勢見せないと。

そんなとこかな。
なんか気になるとことかダメなとこがあったら気軽に教えてね、俺らはこうしてるよみたいなことでもいいから。
こういうのってやっぱ経験積んでかないとわかんないことが多いと思うんで。

ふぃ~、まただらだら書いちまったい。

2003年3月20日木曜日

NO WAR!

ついに今日、開戦だってね。

俺は戦争を経験したことないから、知識としてバーちゃん達に聞いた話とか本で読んだことしか知らない。

だから実感ないねぇ。
「きじ何言ってんだ?バカなこと言ってんじゃねぇぞ!」
って思う人がいたらそれはどんなことでもいいから教えて欲しい。

もちろん俺の立場は【戦争反対】。
何が起きてて、どれがどーなってどーいう経緯で戦争になったんかは俺は詳しく知らない。
メディアだってどこまで信じればいいんだかわかんないしね。
でも、戦争は起こさないで欲しかったな。
もう言っても遅いけど。

てことでこれからは「はやく終わって欲しい」って言うしかないんだろうね。
俺にできることってなんだろ?
結局無力だなぁ、一人の力って。
それなりに自分では成長してきたつもりなんだけど。

一人でできることってので思い出したんだけど、サッカー選手。
試合でゴール決めたあとって決めた選手一番注目されんじゃん、カメラ寄ってって。
それが大きな大会、大きな試合になればなる程注目度は高くなる。

んで、もう5年くらい前(あいまい)になんのかな?
98年W杯でさ、俺ら日本は初めて出場したじゃん。
そんとき当たったクロアチア、確か試合前とか大きく取り上げられてたなぁって。
国の歴史、地域の歴史、選手の境遇なんかがすごく細かく紹介されてたよね。
んでそんときにあっちが紛争みたいになってて、なんか試合で点決めた奴がすげぇ「NO WAR!」ってアピールしてたような気がする。
かーなり曖昧な記憶で、本当にそうだったかちょっと怪しいけど、俺は確かに東欧のどっかの国の奴が(もしかしたらピクシーだったのかも知れない)「これ見ろ!!!これ!!!」みたいにユニフォームの下に着てるアンダーシャツに「NO WAR!」って書いた文字(自分で書いたような文字だったって記憶してるけど)ブンブン見せびらかしてるのがあったなぁって。
そんときは「あっちは大変なのかなぁ」くらいにしか思わなかったけど、その選手の必死に訴えてる姿ってのは俺の心の中にすごく残ったんだよね。
で、今。
俺にはそういう機会を通して多くの人に反戦を訴えることはできないけど、そんな選手の思いを今更ながらに理解できて、こーいうことができるのってスポーツ選手の特権なんだなぁって思った。
自分がスポーツを頑張ることを通して被害者や見てる人に勇気を与えたり、何かを訴えることができるのっていいなぁって。
W杯で日本と対戦するっていうだけで例え点決めてなくても俺みたいな対戦国の国民に自分の国のことを、自分のことを知ってもらうことができるんだなぁって。
これもスポーツの力だとしたら、それってすごくいいなぁって思った。

それにしても、戦争って昔の戦争のイメージと大分違ってるみたいだね。
戦車が「ゴゴゴゴゴゴゴ・・・」ってどっかの映画にあったみたいなイメージを勝手に持ってたんだけど、今はすっげぇ離れたとこからミサイルで「チュドーン」って感じじゃん。
人が死ぬってのは不変でも、やっぱ時代と共にやり方ってのは変わるんだねってのが理系人間だからかな、俺の正直な感想。
こんなとこでも確実に技術の進歩を見てとれるんだなって。

ステルスでレーダーに映らないように飛んでって、空爆。
ピンポイントでミサイル発射。
迎撃も対空ミサイルであったり、迎撃ミサイルであったりが軌道解析して飛んでいく。

そのうちボタン一つで全自動戦争みたいな時代になっちゃうのかなって思った。
ゲームみたいな感覚でね。
ゲームと違う点は、実際に人が死ぬっていうとこだけ。

なんか間違った方向にどんどん進んでる気がしてならないね。
世の中を便利にしたい、快適な生活が送れるようにしたいって思って技術者達が開発してきた技術が、一気に殺戮兵器に利用される。
やっぱ技術は使う人次第だなってのを改めて考えさせられるよね。
アフォな奴らに技術持たしたらやっぱ危ないし。
権力も、なんでも同じことだと思うけど。
結局それを使うのは人なんだから、人がよくねぇといい方向には活きないんだよね。

俺にできることがあった。
自分にいつか子供が出来たら、そいつをいい奴に育てること。
ま、いつんなっかわかんないけどね、当分先、いやもしかしたらそんなん来ないのかもしんないけど。笑

最後に、1冊本を紹介して今日は終わりにしようと思う。

「残酷史」中内富太郎・著 文芸社

これは俺のサークル友達の爺ちゃんが書いた本なんだけど、実際に戦争に参加した日本人兵がどんな思いで戦争の日々を過ごしていたか、すごくよくわかる本だと思う。もちろん今の戦争とは何もかも違うっていうのはわかってるけど、こんな時期だからこそ時間のある人には歴史を振り返って欲しい。軍隊の中でのしごきとか、今の社会に形を変え組織を変え受け継がれている部分もすごく多くて、50年経って日本人ってどう変わったのか、変わってないのか考えるにはいい1冊だと思う。あと、戦争が起きたってことは最終的にはこの戦争にも決着がつくわけだけど、それで負けた方はどうなるか、どういう扱いを日本の場合受けたのかっていうのはやっぱ知られていないところが多いでしょ。だからその辺は俺的には是非読んでみて欲しいです。

それじゃ、また。

2003年3月15日土曜日

ちゃお、もう春休みも4分の3が終わっちゃったね。
あと半月もすりゃ新学期かぁ、ほんとに月日の経つのは早いもんだわ。

ところでさ、昨日ダチと話してて思ったんだけど・・・
みんなはどんな景色が好きなんだろって。
どーすか?

例えばそのダチは育った環境が都会だったっていうのもあって
大自然の中で暮らせたら、雄大な自然の中で生きていけたらって思うんだって。
だからジブリ作品でも「となりのトトロ」みたいな大自然の中で起こることを描いてるのが好きだって言ってた。

その気持ちすごくよくわかる。
俺が旅行好きなのもその辺に理由があるのかもな、って思ったんだ。
俺は山派、海派に分かれるとしたら、どっちか選べって言われたら山派なんだ。
海の近くに住んだことがなかったからってのもあるんだけど、

冬はもちろんスノボ大好きだし、山に行くよね。
あの景色ってそんときしか見れないし、その景色を見るために行ってるってのも間違いなくあるんだ。
毎回、そんときそんときの山の景色見て、「今年も来たな」ってワクワクするのがすげぇ好きだったりする。

んで夏も結構キャンプだ合宿だって山に行くことが好きなんだよね。
別にどこの山が好きだってのがあるわけじゃないんだけど、山っていうそのものが好きなのかな。
山道、峠を運転すんのが好きとかそーいうんじゃないんだ、そばに山があるっていうだけで結構満足しちゃう。

霊山って知ってる?
「○○富士」って富士の名前を冠してる山が全国にいっぱいあると思うんだけど、それ以外にもずっとその地域で崇められてきた山ってのがあんじゃん。
そーいう山ってのは、ほんと見ればわかる(俺だけなのかもしんないけど)んだ、「あ、この山・・・」って。
なんか特別なオーラをまとってるんだよね。
んでそーいう山って見てるだけで結構元気になってくる。
いつかこんな山のふもとで暮らしていけたら、てのは俺にもやっぱあるんだよね。
今そこで暮らすかって言われたら今はまだ東京にいたいって答えると思うけどね。
ま、それでも今年の俺みたいに就活とかがない限り毎年場所は違っても見に行こうとは思ってる。

結構旅行が好きだって人とかには賛同してもらえると思うんだけど。

知ってる?
こんだけ発展してる国で森が、というか自然がここまで残されている国っていうのはそう多くないんだよ?
日本はまだ7,8割(言いすぎかもしんないけど)は自然が残ってるべ。
これっていうのは日本人特有の信仰があったからっていう話もあるんだ。
トトロにも出てくるけど、大きな木や岩には神様が住んでたり宿ってたりするってよく聞く話じゃん、日本に住んでたらさ。
森の神様、火の神様、精霊・・・なんにでもそーいうのがあって色んなところでそれ大事にしてきたんじゃん?
だから、日本にはそーいうゆかりの場所も数多くあるし、自然をすごく大事にして生きてきたからこそ、今こんだけの自然が残ってる。
花鳥風月なんてキレイな言葉もあるしね。

それって都会に住んでたらちょっと忘れがちになっちゃうけど、やっぱ俺は大事にしていきたいと思う。
旅行に出れば、そーいうもんに数多く出会えて、充電できんだよね。
これは世界のどこを旅しようが日本じゃなきゃ味わえないんじゃないか、なんて思ってるんだけど。
だから俺は山が好きだし、これからもまだまだ旅行に行き続けたい。

んで、こっからは俺の好きな景色について(これまでも結構自分の意見なんですが(^^; )。

俺は、「天」ってか空を見上げるのが好きだったりする。
空ってさ、いろんな表情があんじゃん。
色にしても、雲の位置や種類、鳥・飛行機なんかの飛び方にしてもさ。
「同じ波は2度と来ない」っていうわけじゃないけど、そんときしか見れないだろっていうようなものすごくいい夕焼けとかもあれば、本当に雲一つない透き通った青空、一瞬しか見れない雷、満点の星空、流れ星とかいろいろ考えればあるよね。
そんな風にころころ変わる表情ん中でキレイだなって思える景色を見上げるとやっぱ元気出てくるんだよなぁ。

んでさ、その空もいいんだけど、みんながそれぞれ色んな空を色んなとこで見てるわけじゃん。
それはそれで全然いいんだけど、夜んなって月が出ると、真っ暗な中に月が一つあるとさ、やっぱみんな月を見るよね。
全国、いや異国で空を見上げてる人たちも同じ景色を見てんだなって考えると、これってすごいことじゃない?
北海道にいようが東京にいようが、どこにいても同じ月を、同じ景色を見てるって俺はなんかすごくうれしいんだよね。
そんなん考えて見てる人なんていないのかもしんないけど。
ご来光とかもそうじゃん、全国の何百万、何千万って人たちが同じ太陽を見てるんだぜ?
すごいことだと思うし、そういうのがあるっていいなぁって思うんだ。

んでもって今俺が見てる月は俺だけが見てた月じゃないよね?
結構自信持って言えるんだけど、今まで生きてきて月見たことない人っていないと思うんだ。
んでそれはさ、時代が違っても一緒だと思うんだよね。
時代、国が違っても全ての国の全ての人が見てるものが月であり、太陽であり、天。

歴史上の人物だって、歴史に出てこないような人たちだって遡れば縄文時代のさらに昔から俺達は同じものをずっと見て生きてきたんだなって。

星の輝きもさ、俺は天文学の知識なんかないから詳しくはわかんないけど俺が生まれるずっと前にその星が輝いた光が何百年、何千年ってかけて今見れてんだなって思うとなんか不思議な感じがすろよね。
その星が輝いてるとこにはもうその星はなくなってるかもしんないんだよ、今はまだ光が届かないけど。

そーいうの考えるとさ、時間軸を超えたもんとして空って本当に魅力があるっていうか、惹かれるもんがある。
それで悩みが解決するわけじゃないけど、見てるとなんか元気が出てくんだ。

ま、こんなこと考えるのって俺だけなのかもしんないけど。
でもそう思って空を見ると、違うもんが見えてくると思う。

ちなみにそんなんもあって、俺はジブリん中じゃ空の神秘を描くラピュタが好きです。
奇しくもすごい偶然なんだけど、テレビで今日ラピュタがやってたね。
妙な縁を感じたさ、んでそれを見れなかったのがちょっと悔しかった。

長くなっちゃってゴメン、でも最後まで読んでくれてありがとう。

2003年3月5日水曜日

慰霊の園

なんかもう春一番なんだってね~。
昨日は本当風強くて、コート着ないで外出たの失敗だったかな、なんて思ったよ。
こーいう時期って体調崩しやすいから気をつけないとね。
俺ら風邪引いてる場合じゃねーしさ。

っとまぁ挨拶はこのくらいにしてそろそろ本題に入ろうか。
□\(-o-\) (/-o-)/□

今ね、なんでかわかんないけどすっげぇ気になったことがあってずーっと調べてたんだ。
そんで調べてくうちにすごく考えさせられた。

何調べてたか率直に言っちゃうと”日航機墜落事故”のことなんだけど・・・。
みんなちょっとくらいは聞いたことあるよね?

これが起きたのが1985/8/12だそうだからもう17年も前のことなんだ。
俺が4歳。もちろんそんときの記憶なんか全然ないよ。

なんで気になったんだろ?
最近空港でシステムダウンがあったってNEWSが流れたからかな。
んで一回思い出しちゃうと頭から離れなくなっちゃって・・・逆に思い出すこともあったんだよね。

俺車の免許取った年の夏休みに親父と二人で旅行に行ったんだけど、そんときにこれに関係する慰霊碑みたいなとこに行ったんだ。
場所は全然覚えてなかったんだけど。
そんでそんときに聞かされて初めて知ったことが多かったんだよね。

・・・言っていいのかな?

場所は群馬県上野村、慰霊の園。
これを探し出すのもかなり時間かかったよ。
何県かもわかんないし、慰霊に関するところってことしかわかんなかったからさ。

んでそこで親父に聞かされたことってのはその慰霊碑が合掌の形をかたどったものであること。
その犠牲者の中に俺と遊んでた子ってかその家族がいたこと。
特にそれを聞いたときは軽くショックだったのを覚えてる。
「俺は今までそんなことも知らないで生きてきたのか。」とか「こんな身近な事件だったんだ。」とか。
ショック、というか驚きが多くて、でもそれ聞いて本当にその事故、そして今そこにいることをすごく自分のこととして捉えられた。
今まで対岸の火事だったものが急に現実味を帯びて見えたんだよね。

んで今思うと、それからかもしれない。
犠牲者に対しての思いやりというか、大事にしようって気持ちを持ったのって。
阪神大震災も、ぶっちゃけ俺にとっては他人事っぽいとこがあったんだ。
もちろん無事だといいな、とか義援金いっぱいあげて少しでも力になればってのは思ったよ。
神社行ったり。
でもどっか他人事だった。
自分の知り合いがいなくなったとかってのがなかったからだと思う。
自分の一番好きな人を亡くした人とか家族を亡くした人たちから見たらすごい失礼だよね。
ごめんなさい。

んでそんなことも思い出しながら調べてたんだ。
そしたらさ、結構出てくるんだよね、いろんな人の思いが。
俺ってこんなにも知らなかったんだ、て改めて今日思った。
17年前の出来事なのに、いまだにそれについての掲示板とかもあっていろいろ議論が交わされてる。
実際はこうだったんじゃないか、とかこれには裏があったんじゃないのか、とか。
遺族の人のHPや、そこに慰霊の思いを捧げるような思いを綴った文章とかも出てきて。
慰霊登山の日記も、もちろん事故についての本の紹介のHPも。
その本の種類の多さにも驚いたけど、なによりHPの多さに驚いた。
あの事故一つでこんなにも多くの人にこんだけの思いを持たせることになってるのかって考えると、やっぱり真剣に受け止めないとなって。

遺族の人の思いなんかは、俺ほんとにインターネットで見れるってすごいなって思った。
絶対に会うことのない人の感じた気持ちだとかがすごく伝わってきて、改めて事故の衝撃の大きさってものを感じた。

普段はあんまり耳を傾けないようなことなのかもしんないけど、そればっかじゃダメだよね。
阪神大震災やテロに実際にあった人の思いってのはどんだけのもんなのか俺には想像つかないけど、そういうことがあったってことは忘れないでいたい、というか忘れちゃいけないと思ったよ。

なんでこんなこと書いたかって?
俺がここに書くことによって少しでもそーいうこと考えるっていうか思い出してくれる人がいたらいいなって思って、てのが一番の理由かな。

最近というか、ここ数年で今まで貯めてきた記憶の断片がつながってきてるんだ。
・・・俺が成長してきたから、つながり始めてるんだったらうれしいな。

2003年3月2日日曜日

久々の休みのはずが・・・

ちゃお。
この前春休みんなったと思ったら、あっという間にもう3月だね。
月日の経つのは早いなぁ。

もう春休みも半分終わっちゃったと思うと、なんもしてない自分がちょっと寂しかったり。
もちろんなんもしてないわけじゃないんだけどね、就活してるしてる。

でも普段ならこの時期は・・・「どこどこに行ってきたよ!」とか「だれだれが何やらかしたぞ!」とか「これからまたどっか行って来ます!」とかそんな感じなのに、今回はそーいうのゼロだもんなぁ。

なんか”あいつは就活があるから”とかって遠慮されてるように感じることもあるし。
これって被害妄想なんすかね。

なんか就活って堅苦しい。
いついつまでに何を持ってこいとか何を提出しろとか説明会に行かないと次の選考に進めませんとかって手続きが多すぎるし、それでいて友達同士が微妙に競争相手みたいになってて情報勝負だってわかってんのに情報まわさないで受けるだけの人になりたがったりだし。
もちろん俺も多少そうなっちゃいるんだけど。
このHPにもほんとは俺がどこ受けてそこは雰囲気どうだったとか書いてもいい(てかほんとは書きたい、そんでいろんな人のそこに対する意見とか思い入れとか聞いてみたい)んだけど、このHPを企業の人に見られたときちょっと気まずいかなって思ってさ。
企業の人も俺がそこだけじゃなくていろんなとこ受けてたりすんのここ見てわかったりしたら嫌でしょ、多分。
内定あげたのにまだ就活してる・・・第一希望って言ってたのに・・・とか。
自分のとこがボロクソ言われてたらそれも気分悪いと思うし(ま、そうなった時点で即落ちだろうけどね)。
面接とかでも礼儀正しくして、自分の普段使ってる言葉じゃない使い慣れてない堅い言葉(敬語ともちょっと違うって感じてんだけど)を使わなくちゃいけないし、自分の普段を見てもらうってのじゃ面接でされる質問に対してしっかり答えられないからって面接の前にされる質問に対しての答えを練って行ったり。そんなんでわかんのかね?
普段めっちゃ使えない奴でもそれなりに用意してけばなんとかなっちゃうってか下手すりゃ使える奴よりそーいうときだけはちゃんとできたりしちゃうわけじゃん。
なんか就活ってやってる方もやられる方もおかしいよね。なんかが抜けてる気がする、しっくりこないっていうか。

今日も久々のオフのはずだったんだけど・・・結局就活関連のことしてるし。
今までできなかった(いやホントはできたのかもしんないけど)エントリーシート書いたり、説明会でもらった資料読んだり、これまでの就活の進行状況振り返って把握したりで。
あぁ~はやく落ち着きたい。

でも昨日感じて今日もちょっと考えてたんだけどさ、今年は俺たちだけど、社会に出てる人(これから出る人含む)はみんなそれを経験してんだよね。
それのウェイトがどうだってのは別にして。
だからやっぱさ、これから出る社会の人たちはみんなこれをやってきたんだから俺も逃げてちゃ勝負んなんないよな。
逃げ出したい気持ちもあるんだけどさ、正直。

院に行くっていう手もないわけじゃないじゃん、俺ら理系なんだからさ。
院に行った人と行かなかった人の生涯賃金は2億違うって話も聞いたことあるし。
それに追い風になってるのが今年の院志望者の少なさプラス大学側の新しい制度の導入。
もし俺が院志望に切り替えたら多分7,8割方行けると思う。
研究をやりたいかどうかは別にして。

ほんとそっちに切り替えたら今めっちゃ遊べると思うと・・・正直そっちの方が楽だしいいんじゃないの?なんて思っちゃうよ。

・・・

でも!!!
それじゃダメさね。
俺は俺を通す。
院には行かないって決めたんだから、就活して就職するって決めたんだから途中で棄権はしない。
これが終わればもうスノボに行けない年なんてない(おそらく)んだから、先に延ばしてる場合じゃねーもんなぁ。

なんかね、これまでつらかった体験ってなんだろ?って思ったとき、今って相当キツイよなぁって思ったんだ。
今まではそんな人生決まるようなプレッシャー賭けてつらい(精神的にクル)体験ってしたことなかったからさ。
全て自由の名の下に自分で選んでやってきた体験だったから。
どっかに行ったってのもそうだし、しごかれたりすんのもそうだし、受験勉強とかもそうかな。
つらいってのは確かにあったけど、それだけじゃなくて楽しいってのが確かにあったんだよね。
あ、言っておくけどしごかれるのが楽しいって言ってんじゃなくてバスケとかサッカーがって意味だからね。

例えばさ、登山とかしてるときって確かにつらいけど、その先に見える景色を見るのが楽しくて、達成感味わいたくてやるわけじゃん。
バスケでしごかれるのもそれ自体は確かにつらいけど、友達を完ぺきにドリブルで抜けたり気持ち良くシュート入ったりしたら気持ちいいじゃん。
受験勉強も勉強自体は全然興味ないもんだったりすんだけど(人によっちゃ違う人もいるみたいだけど)、他の人と順位競ったりさ、同じ問題一緒に解きだして勝ったりするとそれはそれでうれしいじゃん。

てっか俺って結構こうやって思ってること書いてると前向きになってくるのかもしんないなって思った。
んじゃ就職活動は?って聞かれるとさ・・・何が楽しいかな?

就活って一発勝負の面があるからまだその先にある(であろう)解放感ってのは味わってないからわかんないんだけど、やっててうれしかったのは友だちができたこと、昔の友だちに会ったりできたこと、知らなかったかっこいい建物ん中に入れたこと&見れたこととかかな。
かわいい女の子と喋れたりすんのもそれなりに楽しいよね。

その楽しいことの方を考えてやってきゃいいのかな、なんて思った。
難しいかもだけど。企業のことと全く関係ないし。