2021年8月1日日曜日

立川食べ歩き隊、立川最大のFBコミュニティへ

 僕らの始めた立川食べ歩き隊(通称食べ隊)、昨日(7/31)で人数が2,970人になり、これまで「立川最大のFBコミュニティ」を謳っていた「立川人のココいいよ(通称 立ココ)」と並びました。と言ってるそばから今日新たな参加リクエストを承認して人数が増え、 8/1 15:20 現在では 2,973人。人数的には僕らが立川最大のFBコミュニティとなりました~!^^


別に人数を増やしたかったわけじゃなく、みんなで楽しむ、せっかくならおいしいものを食べたいってところを大切に続けてきただけだけど、10人くらいで始めた自分たちのグループが立川で最大になるなんて、すごく貴重な経験をさせてもらったなと思います。

こうやってコミュニティが大きくなってこれた理由はいくつか思い当たるけど、ひと言で言えば「人に恵まれたこと」に尽きると思う。一緒に運営してくれているメンバーはもちろんのこと、このコミュニティを楽しく盛り上げようとしてくれるメンバー、違和感のある投稿に自分から軌道修正をかけてってくれるメンバー。立川を離れても気にしてくれて、人をつなげてくれたりニュースを送ってくれたりするメンバー。みんなで楽しんでこれたから、自然とそれが周りの人たちにも伝わって大きくなってきた。そんな感じはする。


この食べ隊があるおかげで、僕にとっての立川での暮らしはずいぶんと楽しいものになり、他の町に住むことをもはや考えなくなった。同じまちに住んでいる人たちの顔がたくさん思い浮かび、コロナ禍でさえなければ「今暇?」レベルで集まれるような感覚が持てる人たち。そんな暮らしをこのまちで続けていくのは、きっとこの先も楽しいだろうと思う。


今では、FBコミュニティなのに名刺を持っていたり、今年に入ってからはクラウドファンディングでみんなで一緒に着れるTシャツをつくったり、一体感を感じられるような企画も実現したりしていて、仕事と家族、学生時代の仲間たち以外のいいつながりが生まれていると思う。

またひとつ区切りを超えて、この先も楽しんでってみたいと思います。^^

2021年7月4日日曜日

戦線復帰へ

6/23(水)に退院してから10日が過ぎ、今日で10日目。

その間にやっていることを記しておく。

  • 熱は下がって動ける状態になっているけれど、ベッドから動かなかったので足の筋肉がごっそりない。そのリハビリも兼ねて、ほったらかしになっていた部屋をゆっくり掃除、洗濯、、まずは安全な自宅で家事から。
  • とにかく足腰を元に戻したい。初日は2,000歩、2日目は5,000歩、3日目7,500歩、4日目朝5,000歩と夕方5,000歩で1万歩、5日目は一気に10,000歩歩いてみる…という具合に、少しずつ歩数を増やしてみる。最初は足が思ったように動かずふらふらして、前から走ってくる自転車を急によけれないもんだから少し怖さも感じた。そして、毎日筋肉痛。とにかく1日中足が痛い、けれど治すためには必要だし、と運動を継続。5日目くらいから、歩くだけなら筋肉痛はなくなり、動きやすくなってきた印象。
  • ただ、まだ信号が変わる直前に急に走ったりはできず、走ってみてもすぐに息が切れるのと、深呼吸ができないもんだからゼーハー言ってしまう状況。肺活量も歩けるようになってから鍛えていかねばと痛感しつつ、10日経った今も無理はしないでいる。
  • 記録のために書いたコロナ戦記を、退院した事実と合わせて友人・知人に展開。周りにコロナ感染者がいない人もいて、多くの人に読んでもらえたよう。「コロナの認識を改める」「熱が出た友人にシェアしていいか」等々、少しでも参考になっていれば嬉しい。経験した事実をなかったことにせず、できれば誰かのために役立てたい。
  • 退院しても1週間は出社せず自粛していた(熱も下がっているので、テレワークで業務はスタート)。まず体力が1日持たないのと、免疫を戻さないと人からまたウイルスをもらうのも怖いし。それで問題ないスケジュールだったのも幸いした。疲れたら遠慮なく休む、を繰り返して徐々に活動時間が増えていっている。最初は半日くらいだったけど、1週間で6-7時間は活動継続できるようになってきた。8時間業務に戻るにはもう少し時間が必要かなと。(肺が十分に動いていないのと関係ありそう)
  • 退院後1週間経った6/30に初めて(やむを得ない業務もあり)出社。久々に社内のメンバー何人かと顔を合わせ、帰ってきたことを実感。ただ、自宅でテレワークする以上にやっぱり疲れる。。ので、16時頃には上がらせてもらう。だんだんと負荷をかけながら、業務に問題ないところまで体調を戻していきたい。
  • 食生活でいえば、入院前の数日の自宅療養中に手配された自宅療養用の食糧セットの段ボール3箱が家に届いていて、数日で入院となったためにほとんど残っていた。保存の効く食糧が大量にあり、自宅のスペースを取られるのでそれを削りながらしばらく過ごしている。食費的には、入院中の食事もすべて東京都持ちだったので、6月はほとんど食費がかかってないことになる。ここは助かった。
  • 入院中に、毎朝、どんな朝食メニューになっても必ず出てきた牛乳パックは、退院後も継続して飲むことにした。栄養や効果はあまりわかっていないが、意味があるのだろうとしばらく続けてみることにする。
  • それと入院中の検査で、自分の場合は血のさらさら度が低く、血栓ができやすいと言われたのでなるべく常時水分を手元に置いて、補給しながら過ごしている。これは入院していろいろ検査してもらって、よかったことの一つだろう。
  • 元気になってきたので、徐々に、お酒を交えたオンライン飲み会や、この週末(7/3-)から飲食店での出来立ての料理も楽しみだす。実際のコロナ感染&入院体験を聞いてみたいと思ってくれる人は多く、大抵は質問大会の状態。答えられることはなんでも答えるので、お気軽に連絡ください。
  • 料理を楽しむといっても、退院後10日経っても嗅覚は戻っていない。ので、味覚のみで楽しんでいる感じ。いつか戻るのだろうか。この嗅覚のリハビリも必要かもしれない。というわけで、人生で初めてアロマとか買ってみたりしている。が、まだ効果は出ていない。
そんな状況です。人の身体はすごいですね。退院後数日は、足を普通に歩ける状態にすることを念頭に生活していたけど、そこはしっかり回復しました。今は活動時間を少しずつ増やしていて、これが問題なくなれば次は運動強度かな。肺活量を増やすことと、あといつか嗅覚を取り戻すことができればいいと思いつつ、ひとつひとつ取り組んでいます。

2021年6月27日日曜日

ありがとうレトロ

先日、早稲田にあるひとつのお店が20年の歴史に幕を閉じた。


▼ル・カフェ・レトロ閉店 / 最後のバースデーのお知らせ

https://lecaferetro.jp/wp/?page_id=694


ル・カフェ・レトロ。23区内での自分たちの活動拠点のひとつとして、本当にお世話になってきたお店。

オーナーの松吉さん、(当時)店長の竹中くんには、「こういう企画やりたいです」「いいね!」というこちらからの持込企画も、「お店、こんな風に使ってもらえない?」「いついつのイベントシーズン、なにか仕掛けてよ」なんてお店からのオーダーに応えることもあったり、両手では収まらないくらい一緒にこの場所でイベント企画をさせてもらってきた。立川に活動拠点を移してからはごぶさたしてしまったけれど、個人的には思い出の詰まったお店。そんなお店にもついに終わりがきた。寂しくも、ひとつの時代が終わった感覚。


このお店との最初の出会いはいつだったろう、と遡ると、きっかけは援農企画「畑楽」をした2009年だったなと。この企画は直接お店とは関係はなく、「畑の隣にDJブースを立てて、音楽を楽しみながら農作業を手伝い、取れたての食材をその場で東京のシェフが調理し、現地の地酒と一緒に楽しもう」という企画でした。これはこれで楽しくて、今思うとだからこそ次の展開につながったいいコンテンツとメンバーが揃った企画でした。

▼畑楽 BREAK BEANZ

https://www.youtube.com/watch?v=7SH3fyQaG6g&t=120s


そこから、一緒に行ったメンバーと「同世代の懐メロでも流しながら、隣の仲間たちとその曲当時の思い出を話せるイベントとかあったら、人がつながっていきやすいよね」とそういうことのできるお店を人づてに探しつながったのがレトロでした。コンセプト的にも、古きよき友人とまた出会う場所、をテーマにしているところがばっちりでしたね。^^


そんな形で始まったお店との関係では、PartyTimeと称した貸切交流会イベントを不定期でさせてもらったり(DJセット持込+mixテープのCD配布)、イベント時にはオリジナルのマンガカクテルを「ドラゴンボールのドラゴンハイボール!」とか「ドラえもん」「ワンピース」「北斗の拳」なんて漫画のキャラクターや名台詞をイメージしてつくってもらったり、マンガナイトでは各お店に置く本棚企画をスタートさせてもらえたり、盟友山内くんとフォトトランプの写真展をさせてもらったり、2010年のサッカー南アフリカW杯のときはパブリックビューイングもさせてもらったり(階段にも座るくらい、お店壊れるかもと思った人の入りでした。懐かしい)。奥多摩でのサイクリング「奥トレ」のオフ会なんかも都心の方が集まりやすいメンバーもいたので、何度も使わせてもらってきました。


基本的にはこちらのやりたいは全部受け入れてくれながら、料理は「炭水化物多めで」とか「立食でもつまめるもので」とかざっくりとしたオーダーにも応えてくれて、さらに「俺ならこうするかなー」って+αしてくれるお店からの提案もあり、お店ととてもいい関係が築けていたのが自分の中ではとてもやりやすく、あの頃のレトロで培ったそういうイベント運営側の経験値と「人を集め、集まった人たちの楽しみとできることを増やしていく」方向性は、今はアラウンド立川での飲食を楽しむグループ「立川食べ歩き隊」として活かされているなと感じますね。


20年のお店の歴史からしたら、2010年~2015年あたりの5年くらいの短い期間でしたけど、あの時できた縁を大事に、レトロがなくなってもそこでつながった人たちと別の場所、別の形でまた何か、これからも一緒にやっていけたらと思っています。


長い間、お店の運営おつかれさまでした。

ありがとうレトロ。

大きな感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

2021年6月24日木曜日

生き残るために

 コロナでの入院中から退院後まで、本当に多くの人に励ましの声をかけてもらいました。

自分がこれまでに知り合い、共に過ごした周りの人たちのやさしさに改めて感謝をし、自分は人に恵まれてきたのだなぁと実感をしたし、そういう人たちだからこそ自分のような大変な目にはできればあってほしくない。何か還元できるものはないか、と考えたとき、今回の経験から2つ伝えられることがあったのでまとめて書いておきたいと思います。


①「基礎体力は大切だ」という話

1つ目は、基礎体力の話。僕は普段「ぶらつくジャック」という毎日の歩数をはかって勝負するゲームを歩くの好きな仲間内50人くらいでしているのですが、結果的にこれをしていたことが今回の生還できたキーポイントだったように感じました。

40℃近くの発熱が数日続いたら、普通ならフラフラ状態ですよね。でもいざ入院となった先で医師の問診に答えていて言われたのは、「思ったより体力消耗していないですね」「体がお強いのですね」ということでした。「基礎体力はあるほうなので」と答えてはいましたが、このコロナ禍の半分テレワークのような状態でぶらつくジャックがあることで、1日1万歩近くは「他の人たちに負けないために」歩く必要があり、実際に歩くことが習慣になってました。最初自転車通勤していたのに、歩数が稼げないからと徒歩通勤に切り替えたりするくらい。笑。

結果、毎日2時間弱は歩いていてちょっとやそっとじゃバテない体力はついていたし、それを持ちだしながら過ごせたことで、味覚と嗅覚をロストして食欲が一気になくなってしまっても発熱期間中に体力をあまり落とさずに済んだ、という面もあったなと思います。

そういう意味では、ぶらつくジャックの対戦相手になってくれているメンバーにはいつも歩くモチベーションをありがとう、と感謝ですね。

歩くだけなら誰でもできるので、ぜひ1日の中で歩けるタイミングを見つけてみなさんも基礎体力づくりに励んでおくと生還できる確率が歩いた分だけ上がると思います。1人では続かないという人、僕も同じだったので仲間とぶらつくジャックを始めました。興味ある人は、招待しますので声かけてください。いろいろ作り込んだスプレッドシートをお見せしましょう。^^


②療養先を選べるなら「迷わず入院」すべし

もう1点は、療養先の選択が命の選択になり得る、という話。最初陽性となったとき、自分は保健所から①自宅療養、②ホテル療養、③入院の3択からどれかになる、という説明を受け、①の自宅療養を希望しました。これは、仕事にいきなり穴を開けられないけれど、自宅の仕事環境を②③で構築はできないでしょう、という環境面での消去法でした。(ディスプレイいくつもあるし、インターネット回線は計測不能なくらい早いし大きいホワイトボードあるし仕事をするには申し分のない環境)

自分の場合は1人暮らしで、発熱していても同居人にそれをうつす心配はなかったので保健所側も割とスムーズに「①がよければどうぞ」という形でした。保健所側にとっても、病院やホテルの手配の話がなくなるので楽な面もあったのかもしれません。ただ、そのまま症状が回復するくらい軽度のものであればそれでよかったかもしれませんが、病状がよくならない場合、実は選択肢として①はあまりよくなかったなと後から思うと感じました。

その理由は大きく3点あって、まず「医療行為が受けられない」。次いで「食事を自分で用意する必要がある(が買いに行けない)」。そして「素人判断に頼らざるを得ない」。この3点。

入院したからこそ比較ができた、というところですが、やはり他のたくさんの症例を見てきている医師の方の判断に頼ることができるのは、個人のサンプル数1の症例+インターネット上の玉石混交の情報をベースにするよりも余計な疑いを持つ必要がなく、精神的な安心感という意味で大きかったなと思います。また、発熱した際にもナースコール1本で解熱剤や冷えたアイスノンまで無限に処方される。薬の効きが悪いと感じたら、別の薬を試すことも提案してもらえる。ここにさえいれば水際で生き残れる、という物心両面でのサポート体制はありがたかったなと。
レントゲンも、採血も、血糖値の検査ツールも点滴も皮下注射も専門の医療機器とその扱いを心得た人たちにお願いできるという点でも、データを見ながら回復傾向が把握できるというアプローチからも選べるなら入院、と感じました。

そして食事についても、やっぱりあたたかい食事、それも野菜中心で明らかに健康に良さそうなメニューがベッドで待っていれば出てくるという点も非常にありがたい。熱がある中で食事を準備するのはどうしても億劫で、「食べれればなんでもいい」「ゼリーとかでいい」となりがちだったのでこれも回復には大きなポイントだろうと感じました。

最後は1つ目で書いたことの裏返しですね。入院していない状態で、素人判断に頼らざるを得ない対応を自分で決めて、後で後悔しないか。症状が改善しなかったときに、後から「あの時こうしていれば」と思わないか。そういった点でも、自宅療養は患者側に判断とその責任を委ねられる分、プレッシャーもまたあるなと感じました。

そんなわけで、保健所から選べると言われたら必ず「入院」を希望した方がよいと感じました。別にVIP待遇の個室でなくても相部屋でもなんでもいいです、医療行為を受けられる環境に入れるかどうかが命の選択に直結すると感じました。
特に、症状が悪くなる時は一気に悪くなってしまうので手配とか言っていられなくなる前に。。


以上の2点、多くの人たちはすでに気をつけていることかもしれませんが、改めて命の危険を感じて生還できた大きなポイントだったと思い、書かせてもらいました。

みんなでこのコロナ禍を生き残れるといいですね。
同じような状況になり得る、誰かの参考になれば幸いです。

2021年6月20日日曜日

コロナ戦記

 2020年からのコロナ騒動、これまで巻き込まれつつも感染はせずに済んできたのだが、ついに感染してしまった。ワクチンも少しずつ広がり出して、あと数か月で逃げ切れるかもという段階で。。

ただ、貴重な経験であることは間違いないので、記憶をたどってどんな感じだったか一次情報として書き留めておこうと思う。


▼6/5(土)-6(日) 発症【発症1-2日】

6月最初の土曜、久しぶりに頭痛が、、と熱をはかってみると37.8℃の発熱。その後39.2℃まで上昇。土日は体を休めることにするも、翌週からは念のためのテレワーク確定。かかりつけ医というほどではないけれど、以前診察してもらった内科が日曜は休診日だったので翌月曜に診察に行くことに。この時は、まだ「復帰するためにPCR陰性の証明が必要だから」程度の意識でした。


▼6/7(月)-8(火) PCR検査【発症3-4日】

朝の体温で37.9℃。危険水域というわけではないけれど、PCRは早めに検査をしておきたい。ということで午前中に診察を受けた。PCRは、指定の医療機関でなかったので検査を企業に委託する形にしているとのことで、16,000円の検査料がかかったけれど、まぁ何か所もめぐっていられるほど体力に余裕がない。そのままそこで検査をして、唾液を専用の容器に吐き出して結果を待つことになった。それと症状の緩和という意味で解熱剤(カロナール錠)と咳止めが1週間処方。

結果は3日-5日後と聞いていたので、その間もテレワークで仕事。途中で「味覚、なくね?」とコーヒーを飲んでいても違和感があることに気づく。「これは陽性じゃなかろうか…」とか思っていたら、案の定検査翌日の6/8(火)夕方、PCR陽性の速報の連絡が届く。さて、ここから忙しくなりそうだ。

ひとまず会社に陽性の連絡を入れ、保健所からの電話でいろいろと今後の動き方を説明される。まずは病状や濃厚接触者の心当たり、そして療養が①自宅療養、②ホテル療養、③病院療養のどれかになること。いきなり②③に行かされても、仕事が急に調整できないので①を希望する、と伝えて調整いただくことにした。


▼6/9(水)-11(金) 自宅療養【発症5-7日】

自宅療養となったので、数日かかって援助物資や自宅での検査キットが送付されてきた。正直、スーパーなどの買い出しに行けない中でECでポカリやカップ麺等を購入していただけだったので食糧は助かった。発熱は続いていて、39℃台もちらほら。その度に解熱剤を飲んでいたので、解熱剤の残数が1日のうちにもどんどん減っていく。その残数を保健所やフォローセンターの方と連絡を取りながら、再調達の話などをしていたが、薬にこの先どれだけ頼ることになるかわからない状態であれば入院して治療をした方がよい、という判断となり、保健所の指示で翌日から入院となった。
幸いにして、陽性確定してからここまで数日あり、仕事の方のキャンセルや打合せの延期はほとんど調整がついていたので特に影響はなく。リードタイムをしっかり活かせた形となった。(延期してしまったみなさんには本当に申し訳なく思っています)


▼6/12(土)-16(水) 入院療養:発熱地獄編【発症8-12日】

さて、保健所手配の送迎車に乗ってやってきた入院先。もちろんVIP待遇など望むべくもなく、4人相部屋の3人目でした。その日から毎日毎食ごとに検温・血圧・パルスメータと聴診による体調面のチェックが行われ、初日はそれ以外にもレントゲンを撮ったり、採血検査をしたり長いコト問診を受けたり、日常生活用の着替えレンタルとかローソンのリモート購買手続きとか、手続きだけでだいぶ疲れた感じでした。。でも変わらず発熱はしていて、39.3℃。病院の野菜中心の病院食は出ているけれど、味覚もなく(さらに嗅覚もない!)、さすがに39℃の熱が出ていてまったく食べる気も起らず半分程度で食べ残す。

翌日からも発熱は収まることなく、発熱のたびに解熱剤をもらってどんどん飲んでいく。発熱はついに40.4℃と40℃台に乗った日もありました。この辺りは体力というか、気力が持たなくなりそうなタイミングが何度かありましたね。「誰もが老人になれるわけじゃないんだよな…。俺はここら辺までかな」とか考えてしまったりして。。

ただ、こういうタイミングで毎食、看護師さんたちに様子を見てもらっていると元気が出るのは確か。至れり尽くせりとは言わないけれど、毎日優しく声をかけてもらえるのは1人暮らしだとありがたいですね。体調が崩れても、気持ちが折れそうでも、ナースコールさえすれば誰かが来てくれる安心感はありました。医療の現場の人たち、こんな頑張ってんだっていうリアルな体験ができたのもいいところだと思えました。

そんな中、食べれない状態の解消のために点滴をすることになったのだけど、自分の腕の血管はとても見つかりにくいらしく、肘の内側に針を刺すことに、、角度的に1日8時間腕を曲げてはいけない、と言われた2日間はきつかったですね。寝返りも打てない、PC作業やスマホを見るのも肘を曲げずにはできない。もうここに打つなら点滴いらない、とまで思えた出来事でした。

そして追い打ちをかけるように、肺機能が低下。。パルスメータの数値が下がってきてしまった(通常「97-99」→「92-94」)ので、その強化のためにステロイド剤を投与することに。同時に酸素吸入コードから鼻に直接酸素を取り込む。パルスメータも一時的に検査のときだけつけるものではなく、毎日24時間指につけっぱなしのタイプになり、一時期自分の身体には鼻に酸素吸入コード、肘に点滴、指にパルスメータと3つの管がまとわりついている、という状況になりました。動くに動けずにしんどかった。。

ちなみにこのステロイド剤は、血栓の原因になり得るということもあり毎朝夕には血をさらさらにするための皮下注射がスタート。さらに血糖値を上下に散らしてしまう副作用があるとのことで、その日からは毎食前にはまた1つ検査を追加。血糖値の計測をしながら必要であれば食前に血糖値を抑える注射をさらにもう1本打つ、という形になりました。

一体、この入院生活で何錠の薬を飲み、何本の注射をこの体に打ったことだろう。


▼6/17(木)-20(日) 入院療養:自然治癒編【発症13-16日】

そんな発熱地獄にも突然終わりが来ます。6/17(木)、一気に発熱が収まり何事もなかったかのように発熱期間終了。どうやら体力的に乗り越えることができた模様。解熱剤の力を借りずに(肺のステロイド剤は変わらず飲んでいるけれど)、1日を36℃台の平熱で過ごすことができました。あのどうやっても下がらなかった熱はどこに??
食欲もすっかり回復し、味覚も徐々に戻ってきた段階。嗅覚はまだまったく戻らずで、「クリリンお前には鼻がねえ!」って言われる気分てこんな感じか、とか思いつつ体力は順調に回復している様子です。
気になる血糖値も上がることなく安定している中でステロイド剤での肺機能の回復だけが進み、それも当初の予定期間を経て解放。徐々に体についていた管が取れ、行われる検査が減っていき今に至ります。まだステロイド剤の影響でしゃっくりがここ数日でやすい状態で、地味に体力削られたりしているけれど、熱はないし、食欲も戻ってきたし、日常生活には支障はなさそうなレベルになってきました。

いい経験をしたと言えば聞こえはいいけど、実際問題こんなに厳しい状況になったの社会人になって初めてだったかもしれないくらい、命の危険を感じる時期でした。コロナ、やっぱりなめたらアカンすね。

ぼちぼち退院の話も出てきているので、あとはこのまま静養して、無事に退院を迎えたいと思います。ひとまず発症から今日までの顛末についてはそんな感じ。

周りを見ると、まだまだ感染者も減ってはいないし、後遺症も長く残っている人もいるようで油断はできないけれど、ひとまず生還できそうなのであるコロナ感染患者の記録として残しておこうと思います。

2021年5月18日火曜日

40代へ

先日、おかげさまで40歳になりました。

みなさん誕生日のメッセージやコメント、ありがとうございました。これまでのひとつひとつの出会いに感謝をしながら読ませていただきました。


ひとつの区切りなので、30代の記録のためにここまでの総括をしておこうかと。


ここまでずっと意識はしてきたのは「20代を広げる年代、30代を固めていく年代にしよう」ということ。

その20代では社会人になり、ビジネスの現場を知り、多くの友人をつくり、資産をつくり運用することを覚え、「自分の可能性を広げるためにできること」にフォーカスをして動いていた。

そして30代では、その広がった素材から自分の生きていく方向性を決めていくべく動いてきた。「そこに経験したいことがあるかどうか」でときには転職もしながら、自分のやってみたいことはやってみて、その経験を経た結論として、自分の道として「IT」を選んだ。

新卒で選んだ答えも「IT」だったので最終的には同じ答えに戻ってきた形になったけれど、この期間の遠回りは「僕はこれでいく」という確信や覚悟を持つためには必要で、自分の働く姿勢はだいぶ変わったように感じている。時代を支え、変えていくのはやはり「テクノロジー」だ。社会に必要であり力を注ぐべきものだと感じる仕事に取り組めているのは、幸せなことだと思いながら働けるようになった。

そして、自分の暮らしていきたい地域を立川に決め、そこに根を下ろしていくためにまちの人たちとつながる基盤を整えてきた。これも、少ないながらも東阪いくつかのまちに住み、全国のまちづくりの仕事を通して「そのまちに覚悟を決めて暮らしている人たち」に触れて考えたこと。自分もそんな思い入れの持てるまちでそのまちが好きな人たちと暮らせたらと取り組んできたことで、おかげで楽しげなメンバーとたくさん知り合え、いい形になってきたなと思っている。年収がいくらとかひとつでも多くの場所に縁をとか考えているときりがないし、それって実は1つの場所、1つのことを突き詰めていったらあとからつながってできていくもんだと思う。


そんなわけで、運と縁に恵まれた30代を経て、40代をどうしていこうかという話。直近で感じている変化としては、自分の役職が上がったこともそうだけれど、自分に限らず「周りの人たちもみんな、できることが増えてきた」なと。

自分たちが「こういう社会をつくりたい」と思えば、それに対してできることが個人単位だけでなくそれぞれに動かせる組織や経験値があったりして、実務のレベルで実現させることが簡単になってきた。何年もの付き合いの中で信用できる仲間たちがそうなってくれているのは、とても心強く感じている。

また、自分たちに力を貸してくれる先輩方も同様で、一段スケールが上がった「できること」がありながら、話を聞いてくれアドバイスをくれたりする。一気に世界が開ける瞬間が増えてきた。「若いうちから動いていたなら、いつか君にもそういうタイミングが来るよ。それを楽しみに」って言ってくれた人がいたけれど、ぼちぼち今がそういうタイミングなのかもしれない、と感じています。


そういう意味では、これからどんどんギヤが上がってできることが増え、つくりだせる楽しみは大きくなっていきそうでこれからの10年は本当に楽しみ。この先、どんな未来をつくり、どれだけのことができてしまうのだろう。これはもう、行けるところまで行ってみるしかないですね。

これまでにできてきた仲間たちと、これからできていく仲間たちも含めて笑って過ごせる10年間にしていきたいと思います。

40代が終わる頃、「この10年が1番楽しい10年だったな~」と思って終われることを願って、40代スタートの所信表明としたいと思います。それでは、はりきっていってみよう!


2021年5月9日日曜日

方向性を伝えることの重要性

先日、全社のオールスタッフミーティングがあった。

その場で、自社の全体としての状況の共有や、自分の管轄している本部のこの1年の成果や課題、またそれを受けての今年1年の方向性を発表させてもらったりしてきました。

コロナ禍でこれまで続けていたスタイルでの仕事ができなくなったことはありましたが、それに合わせて形を変えた仕事、また形を変えるために生まれた仕事に合わせて対応できた面もあり、業績も前年比でプラスにはならなくとも、それほど落とさずに終われたのはよかったなと思います。

また、それなりにGW前から作り込んだ資料だったので、発表自体もいい形でできたかなと思うし、自分としても節目節目でこういう形で数字面や個々の成果を振り返れることはとてもいいリフレクションにもなっているなと感じます。


で。


その一方で、コロナ関連のニュースを見ていて思うのは、ここができていないなということ。今、国の全体状況と何を目指して取り組んでいるのか、それがどこまで進んでいるのかが不明瞭かつ、共感できるものではないことが1つ。

その方向性の上で、どんな課題があるので誰々にどうしてほしいのか、という形でメッセージを伝えることができていないことがもう1つ。

だから、個々の判断で動くことが求められてしまい、その判断が個々の間で背景や事情の違いから異なるものになっていくことに対して、分断が発生していってしまう。


総じて、リーダーシップが足りていないように感じる。国も、都も、市も。

であれば、自分はどうするのか。せめて自分の理解している進め方を明示して、自分はここを目指してこうしていくよ、という話が空中戦で終わらずに、地上戦になるようにアプローチを変えながら進めていく必要があるんだろうな、と感じました。


なんにせよ、減ってきてしまっているコミュニケーションをどう増やしていくか。そういうところにもっとケアをしていけるといいなと思いますね。あと、もっとわかりやすい資料や見せ方がないのか、お互いの考え方を合わせるためにできることの模索とか。


安心して頼れるならそうするけれど、そうでないなら降りかかる火の粉は自分の手で払っていかないといけないなと思う最近です。