2021年6月27日日曜日

ありがとうレトロ

先日、早稲田にあるひとつのお店が20年の歴史に幕を閉じた。


▼ル・カフェ・レトロ閉店 / 最後のバースデーのお知らせ

https://lecaferetro.jp/wp/?page_id=694


ル・カフェ・レトロ。23区内での自分たちの活動拠点のひとつとして、本当にお世話になってきたお店。

オーナーの松吉さん、(当時)店長の竹中くんには、「こういう企画やりたいです」「いいね!」というこちらからの持込企画も、「お店、こんな風に使ってもらえない?」「いついつのイベントシーズン、なにか仕掛けてよ」なんてお店からのオーダーに応えることもあったり、両手では収まらないくらい一緒にこの場所でイベント企画をさせてもらってきた。立川に活動拠点を移してからはごぶさたしてしまったけれど、個人的には思い出の詰まったお店。そんなお店にもついに終わりがきた。寂しくも、ひとつの時代が終わった感覚。


このお店との最初の出会いはいつだったろう、と遡ると、きっかけは援農企画「畑楽」をした2009年だったなと。この企画は直接お店とは関係はなく、「畑の隣にDJブースを立てて、音楽を楽しみながら農作業を手伝い、取れたての食材をその場で東京のシェフが調理し、現地の地酒と一緒に楽しもう」という企画でした。これはこれで楽しくて、今思うとだからこそ次の展開につながったいいコンテンツとメンバーが揃った企画でした。

▼畑楽 BREAK BEANZ

https://www.youtube.com/watch?v=7SH3fyQaG6g&t=120s


そこから、一緒に行ったメンバーと「同世代の懐メロでも流しながら、隣の仲間たちとその曲当時の思い出を話せるイベントとかあったら、人がつながっていきやすいよね」とそういうことのできるお店を人づてに探しつながったのがレトロでした。コンセプト的にも、古きよき友人とまた出会う場所、をテーマにしているところがばっちりでしたね。^^


そんな形で始まったお店との関係では、PartyTimeと称した貸切交流会イベントを不定期でさせてもらったり(DJセット持込+mixテープのCD配布)、イベント時にはオリジナルのマンガカクテルを「ドラゴンボールのドラゴンハイボール!」とか「ドラえもん」「ワンピース」「北斗の拳」なんて漫画のキャラクターや名台詞をイメージしてつくってもらったり、マンガナイトでは各お店に置く本棚企画をスタートさせてもらえたり、盟友山内くんとフォトトランプの写真展をさせてもらったり、2010年のサッカー南アフリカW杯のときはパブリックビューイングもさせてもらったり(階段にも座るくらい、お店壊れるかもと思った人の入りでした。懐かしい)。奥多摩でのサイクリング「奥トレ」のオフ会なんかも都心の方が集まりやすいメンバーもいたので、何度も使わせてもらってきました。


基本的にはこちらのやりたいは全部受け入れてくれながら、料理は「炭水化物多めで」とか「立食でもつまめるもので」とかざっくりとしたオーダーにも応えてくれて、さらに「俺ならこうするかなー」って+αしてくれるお店からの提案もあり、お店ととてもいい関係が築けていたのが自分の中ではとてもやりやすく、あの頃のレトロで培ったそういうイベント運営側の経験値と「人を集め、集まった人たちの楽しみとできることを増やしていく」方向性は、今はアラウンド立川での飲食を楽しむグループ「立川食べ歩き隊」として活かされているなと感じますね。


20年のお店の歴史からしたら、2010年~2015年あたりの5年くらいの短い期間でしたけど、あの時できた縁を大事に、レトロがなくなってもそこでつながった人たちと別の場所、別の形でまた何か、これからも一緒にやっていけたらと思っています。


長い間、お店の運営おつかれさまでした。

ありがとうレトロ。

大きな感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

2021年6月24日木曜日

生き残るために

 コロナでの入院中から退院後まで、本当に多くの人に励ましの声をかけてもらいました。

自分がこれまでに知り合い、共に過ごした周りの人たちのやさしさに改めて感謝をし、自分は人に恵まれてきたのだなぁと実感をしたし、そういう人たちだからこそ自分のような大変な目にはできればあってほしくない。何か還元できるものはないか、と考えたとき、今回の経験から2つ伝えられることがあったのでまとめて書いておきたいと思います。


①「基礎体力は大切だ」という話

1つ目は、基礎体力の話。僕は普段「ぶらつくジャック」という毎日の歩数をはかって勝負するゲームを歩くの好きな仲間内50人くらいでしているのですが、結果的にこれをしていたことが今回の生還できたキーポイントだったように感じました。

40℃近くの発熱が数日続いたら、普通ならフラフラ状態ですよね。でもいざ入院となった先で医師の問診に答えていて言われたのは、「思ったより体力消耗していないですね」「体がお強いのですね」ということでした。「基礎体力はあるほうなので」と答えてはいましたが、このコロナ禍の半分テレワークのような状態でぶらつくジャックがあることで、1日1万歩近くは「他の人たちに負けないために」歩く必要があり、実際に歩くことが習慣になってました。最初自転車通勤していたのに、歩数が稼げないからと徒歩通勤に切り替えたりするくらい。笑。

結果、毎日2時間弱は歩いていてちょっとやそっとじゃバテない体力はついていたし、それを持ちだしながら過ごせたことで、味覚と嗅覚をロストして食欲が一気になくなってしまっても発熱期間中に体力をあまり落とさずに済んだ、という面もあったなと思います。

そういう意味では、ぶらつくジャックの対戦相手になってくれているメンバーにはいつも歩くモチベーションをありがとう、と感謝ですね。

歩くだけなら誰でもできるので、ぜひ1日の中で歩けるタイミングを見つけてみなさんも基礎体力づくりに励んでおくと生還できる確率が歩いた分だけ上がると思います。1人では続かないという人、僕も同じだったので仲間とぶらつくジャックを始めました。興味ある人は、招待しますので声かけてください。いろいろ作り込んだスプレッドシートをお見せしましょう。^^


②療養先を選べるなら「迷わず入院」すべし

もう1点は、療養先の選択が命の選択になり得る、という話。最初陽性となったとき、自分は保健所から①自宅療養、②ホテル療養、③入院の3択からどれかになる、という説明を受け、①の自宅療養を希望しました。これは、仕事にいきなり穴を開けられないけれど、自宅の仕事環境を②③で構築はできないでしょう、という環境面での消去法でした。(ディスプレイいくつもあるし、インターネット回線は計測不能なくらい早いし大きいホワイトボードあるし仕事をするには申し分のない環境)

自分の場合は1人暮らしで、発熱していても同居人にそれをうつす心配はなかったので保健所側も割とスムーズに「①がよければどうぞ」という形でした。保健所側にとっても、病院やホテルの手配の話がなくなるので楽な面もあったのかもしれません。ただ、そのまま症状が回復するくらい軽度のものであればそれでよかったかもしれませんが、病状がよくならない場合、実は選択肢として①はあまりよくなかったなと後から思うと感じました。

その理由は大きく3点あって、まず「医療行為が受けられない」。次いで「食事を自分で用意する必要がある(が買いに行けない)」。そして「素人判断に頼らざるを得ない」。この3点。

入院したからこそ比較ができた、というところですが、やはり他のたくさんの症例を見てきている医師の方の判断に頼ることができるのは、個人のサンプル数1の症例+インターネット上の玉石混交の情報をベースにするよりも余計な疑いを持つ必要がなく、精神的な安心感という意味で大きかったなと思います。また、発熱した際にもナースコール1本で解熱剤や冷えたアイスノンまで無限に処方される。薬の効きが悪いと感じたら、別の薬を試すことも提案してもらえる。ここにさえいれば水際で生き残れる、という物心両面でのサポート体制はありがたかったなと。
レントゲンも、採血も、血糖値の検査ツールも点滴も皮下注射も専門の医療機器とその扱いを心得た人たちにお願いできるという点でも、データを見ながら回復傾向が把握できるというアプローチからも選べるなら入院、と感じました。

そして食事についても、やっぱりあたたかい食事、それも野菜中心で明らかに健康に良さそうなメニューがベッドで待っていれば出てくるという点も非常にありがたい。熱がある中で食事を準備するのはどうしても億劫で、「食べれればなんでもいい」「ゼリーとかでいい」となりがちだったのでこれも回復には大きなポイントだろうと感じました。

最後は1つ目で書いたことの裏返しですね。入院していない状態で、素人判断に頼らざるを得ない対応を自分で決めて、後で後悔しないか。症状が改善しなかったときに、後から「あの時こうしていれば」と思わないか。そういった点でも、自宅療養は患者側に判断とその責任を委ねられる分、プレッシャーもまたあるなと感じました。

そんなわけで、保健所から選べると言われたら必ず「入院」を希望した方がよいと感じました。別にVIP待遇の個室でなくても相部屋でもなんでもいいです、医療行為を受けられる環境に入れるかどうかが命の選択に直結すると感じました。
特に、症状が悪くなる時は一気に悪くなってしまうので手配とか言っていられなくなる前に。。


以上の2点、多くの人たちはすでに気をつけていることかもしれませんが、改めて命の危険を感じて生還できた大きなポイントだったと思い、書かせてもらいました。

みんなでこのコロナ禍を生き残れるといいですね。
同じような状況になり得る、誰かの参考になれば幸いです。

2021年6月20日日曜日

コロナ戦記

 2020年からのコロナ騒動、これまで巻き込まれつつも感染はせずに済んできたのだが、ついに感染してしまった。ワクチンも少しずつ広がり出して、あと数か月で逃げ切れるかもという段階で。。

ただ、貴重な経験であることは間違いないので、記憶をたどってどんな感じだったか一次情報として書き留めておこうと思う。


▼6/5(土)-6(日) 発症【発症1-2日】

6月最初の土曜、久しぶりに頭痛が、、と熱をはかってみると37.8℃の発熱。その後39.2℃まで上昇。土日は体を休めることにするも、翌週からは念のためのテレワーク確定。かかりつけ医というほどではないけれど、以前診察してもらった内科が日曜は休診日だったので翌月曜に診察に行くことに。この時は、まだ「復帰するためにPCR陰性の証明が必要だから」程度の意識でした。


▼6/7(月)-8(火) PCR検査【発症3-4日】

朝の体温で37.9℃。危険水域というわけではないけれど、PCRは早めに検査をしておきたい。ということで午前中に診察を受けた。PCRは、指定の医療機関でなかったので検査を企業に委託する形にしているとのことで、16,000円の検査料がかかったけれど、まぁ何か所もめぐっていられるほど体力に余裕がない。そのままそこで検査をして、唾液を専用の容器に吐き出して結果を待つことになった。それと症状の緩和という意味で解熱剤(カロナール錠)と咳止めが1週間処方。

結果は3日-5日後と聞いていたので、その間もテレワークで仕事。途中で「味覚、なくね?」とコーヒーを飲んでいても違和感があることに気づく。「これは陽性じゃなかろうか…」とか思っていたら、案の定検査翌日の6/8(火)夕方、PCR陽性の速報の連絡が届く。さて、ここから忙しくなりそうだ。

ひとまず会社に陽性の連絡を入れ、保健所からの電話でいろいろと今後の動き方を説明される。まずは病状や濃厚接触者の心当たり、そして療養が①自宅療養、②ホテル療養、③病院療養のどれかになること。いきなり②③に行かされても、仕事が急に調整できないので①を希望する、と伝えて調整いただくことにした。


▼6/9(水)-11(金) 自宅療養【発症5-7日】

自宅療養となったので、数日かかって援助物資や自宅での検査キットが送付されてきた。正直、スーパーなどの買い出しに行けない中でECでポカリやカップ麺等を購入していただけだったので食糧は助かった。発熱は続いていて、39℃台もちらほら。その度に解熱剤を飲んでいたので、解熱剤の残数が1日のうちにもどんどん減っていく。その残数を保健所やフォローセンターの方と連絡を取りながら、再調達の話などをしていたが、薬にこの先どれだけ頼ることになるかわからない状態であれば入院して治療をした方がよい、という判断となり、保健所の指示で翌日から入院となった。
幸いにして、陽性確定してからここまで数日あり、仕事の方のキャンセルや打合せの延期はほとんど調整がついていたので特に影響はなく。リードタイムをしっかり活かせた形となった。(延期してしまったみなさんには本当に申し訳なく思っています)


▼6/12(土)-16(水) 入院療養:発熱地獄編【発症8-12日】

さて、保健所手配の送迎車に乗ってやってきた入院先。もちろんVIP待遇など望むべくもなく、4人相部屋の3人目でした。その日から毎日毎食ごとに検温・血圧・パルスメータと聴診による体調面のチェックが行われ、初日はそれ以外にもレントゲンを撮ったり、採血検査をしたり長いコト問診を受けたり、日常生活用の着替えレンタルとかローソンのリモート購買手続きとか、手続きだけでだいぶ疲れた感じでした。。でも変わらず発熱はしていて、39.3℃。病院の野菜中心の病院食は出ているけれど、味覚もなく(さらに嗅覚もない!)、さすがに39℃の熱が出ていてまったく食べる気も起らず半分程度で食べ残す。

翌日からも発熱は収まることなく、発熱のたびに解熱剤をもらってどんどん飲んでいく。発熱はついに40.4℃と40℃台に乗った日もありました。この辺りは体力というか、気力が持たなくなりそうなタイミングが何度かありましたね。「誰もが老人になれるわけじゃないんだよな…。俺はここら辺までかな」とか考えてしまったりして。。

ただ、こういうタイミングで毎食、看護師さんたちに様子を見てもらっていると元気が出るのは確か。至れり尽くせりとは言わないけれど、毎日優しく声をかけてもらえるのは1人暮らしだとありがたいですね。体調が崩れても、気持ちが折れそうでも、ナースコールさえすれば誰かが来てくれる安心感はありました。医療の現場の人たち、こんな頑張ってんだっていうリアルな体験ができたのもいいところだと思えました。

そんな中、食べれない状態の解消のために点滴をすることになったのだけど、自分の腕の血管はとても見つかりにくいらしく、肘の内側に針を刺すことに、、角度的に1日8時間腕を曲げてはいけない、と言われた2日間はきつかったですね。寝返りも打てない、PC作業やスマホを見るのも肘を曲げずにはできない。もうここに打つなら点滴いらない、とまで思えた出来事でした。

そして追い打ちをかけるように、肺機能が低下。。パルスメータの数値が下がってきてしまった(通常「97-99」→「92-94」)ので、その強化のためにステロイド剤を投与することに。同時に酸素吸入コードから鼻に直接酸素を取り込む。パルスメータも一時的に検査のときだけつけるものではなく、毎日24時間指につけっぱなしのタイプになり、一時期自分の身体には鼻に酸素吸入コード、肘に点滴、指にパルスメータと3つの管がまとわりついている、という状況になりました。動くに動けずにしんどかった。。

ちなみにこのステロイド剤は、血栓の原因になり得るということもあり毎朝夕には血をさらさらにするための皮下注射がスタート。さらに血糖値を上下に散らしてしまう副作用があるとのことで、その日からは毎食前にはまた1つ検査を追加。血糖値の計測をしながら必要であれば食前に血糖値を抑える注射をさらにもう1本打つ、という形になりました。

一体、この入院生活で何錠の薬を飲み、何本の注射をこの体に打ったことだろう。


▼6/17(木)-20(日) 入院療養:自然治癒編【発症13-16日】

そんな発熱地獄にも突然終わりが来ます。6/17(木)、一気に発熱が収まり何事もなかったかのように発熱期間終了。どうやら体力的に乗り越えることができた模様。解熱剤の力を借りずに(肺のステロイド剤は変わらず飲んでいるけれど)、1日を36℃台の平熱で過ごすことができました。あのどうやっても下がらなかった熱はどこに??
食欲もすっかり回復し、味覚も徐々に戻ってきた段階。嗅覚はまだまったく戻らずで、「クリリンお前には鼻がねえ!」って言われる気分てこんな感じか、とか思いつつ体力は順調に回復している様子です。
気になる血糖値も上がることなく安定している中でステロイド剤での肺機能の回復だけが進み、それも当初の予定期間を経て解放。徐々に体についていた管が取れ、行われる検査が減っていき今に至ります。まだステロイド剤の影響でしゃっくりがここ数日でやすい状態で、地味に体力削られたりしているけれど、熱はないし、食欲も戻ってきたし、日常生活には支障はなさそうなレベルになってきました。

いい経験をしたと言えば聞こえはいいけど、実際問題こんなに厳しい状況になったの社会人になって初めてだったかもしれないくらい、命の危険を感じる時期でした。コロナ、やっぱりなめたらアカンすね。

ぼちぼち退院の話も出てきているので、あとはこのまま静養して、無事に退院を迎えたいと思います。ひとまず発症から今日までの顛末についてはそんな感じ。

周りを見ると、まだまだ感染者も減ってはいないし、後遺症も長く残っている人もいるようで油断はできないけれど、ひとまず生還できそうなのであるコロナ感染患者の記録として残しておこうと思います。