2021年12月19日日曜日

あなたを ここに 表彰します

 


先日のこと。

Dear Mother の水城さんからついにこちらの「子育て応援絵本」をいただきました!

自分の友人たちでもすっかりママとなり、子育て真っ最中の方もたくさんいますが、こういう絵本が当時あったらぜひプレゼントしたかったなと思う1冊。

これから出産を迎える友人にはぜひ送ってあげたい、優しい気持ちの詰め込まれた絵本。

自分は結婚とは縁遠く、ママさんに向けてつくられたこの絵本、申し込んでいいのだろうかと思いもしたけれど、水城さんたちがとてもワクワクしながら絵本づくりを進めていたのを見させてもらっていたので、どんな形になったか知りたくて1冊いただいてみました。

赤ちゃんをこれから育てていく、新しくママになったときのその不安な気持ちをやわらげてくれる、自分が読んでもとても時間がゆっくりになるような1冊でした。

Dear Mother結成のきっかけになる友人を紹介させてもらったり、この絵本のイラストレーターとつながるきっかけになっていたり、これまでなんだかんだと水城さんの活動にプラスになるつなぎ役となれているので、これからこの絵本、そしてDear Mother、さらに水城さんがどんな風に進んでいくのか、楽しみに見させてもらおうと思います。^^

2021年12月12日日曜日

69年の時を経て

 


こちらも先日の話だけれど、立飛で一般公開されていた「一式双発高等練習機」の見学に行ってきた。青森県の十和田湖から引き揚げられ、帰ってきた戦時の練習機。

これは、祖父が立飛に勤めていた戦時中に新品を目にしていたであろう練習機だ。是が非でも見てみたいと、足を運んでみた。

入口の看板

すでに長蛇の列

週末だったこともあり、練習機を見る前に長蛇の列に並ばなくては行けなかった。でもそれだけ多くの人の興味をそそられる展示だという意味では、有意義な一般公開だとも言える。
準備してくれた立飛に感謝をしながら、30分くらいの時間を待って過ごした。

入口前の紹介映像

ようやく建物の中に入れた、と思ったら、最初は今回の展示に至るまでの紹介映像をながめて待つ形だった。倉庫は木造で、梁の張り方が一般家屋とは違っていて、そういったつくりの部分でも興味を持った。映像は計2周見て、湖の縁の底の浅い地点に墜落していたから見つけられたこと、引上げを一度は断念せざるを得なかったけれど、その知見を活かして2回目のチャレンジをして無事に引き上げることができたことなどが紹介されていた。

展示室全景

一式双発高等練習機の模型

長蛇の列から予想はついていたものの、中に入ると見学者でごった返していた。自由に動き回ってみてOKではなく、ある程度決まったコースがあってそれに沿ってみていく形。そして、そのコースの一番展示物に近い側はゴツいカメラを持った親父さんたちがシャッターを切りまくっていて、遅々として進まない。それだけ貴重で、思い入れもあるのだろうけど、写真として残すことよりも自分の眼で見ることを優先していた自分はさっさと見ていく。
こういうとき、背が人より高めでよかったなと思う。まずは翼編。

日の丸とともに

69年の時間がここに

尾翼のマーク

翼は割ときれいな形で残っていて、ところどころの大きな腐食がある程度だった。素材的に弱かったのか補助翼だけすっかりなくなって枠だけになっていたけれど、それだけの時間を経てきていることを感じさせる展示でした。
尾翼のマークは、初めて見るマーク。説明には、飛行第38戦隊の部隊標識と書かれていた。三と八を組み合わせたマークになっているとのこと。

続いて、胴体部分も見ていこう。

胴体中央部

燃料タンクについていた銘板

コクピット部

正面から

座席

コクピットからシートを抜き出した形

胴体部は、今の飛行機のつくりと比べることは難しいけど、強度を保ちつつ軽量化のためになるべく軽くつくる必要があったのだろうことは伝わってきた。正面のハナの部分がつぶれているのは、湖面にぶつかった衝撃なのかな。。操縦桿はよくある棒を上げ下げするようなものではなく、8の字のハンドルを回転&押し引きすることでコントロールをしていた様子。
エンジニアとしては、メカニズムが気になりますね。優秀な練習機だったと言われているので、使い勝手はよかったのだろうか。元パイロットの経験のある人がいたら聞いてみたいところ。

エンジン部

最後にエンジン部分。墜落の衝撃で羽はぐにゃりと曲がっているけれど、こちらもきれいな形で残っていた。確か、先日見学した日立航空機の変電所の展示で、日立航空機はエンジンを製作していたと紹介されていたけれど、こういう練習機にも使われていたんだろうか。そうであれば、つくったものをとても近い距離で納品できていたのだろうな、とか地域の中でのつながりも感じられました。

搭乗員の姿

立飛の旗

そんな感じで、もう69年も前の話ではあるけれど、その間にこの地域では立飛が飛行機をつくり、それをこの国の人たちが整備し、操縦し、日本の空を飛びまわっていたことに思いを馳せる時間を過ごさせてもらいました。

できることなら、当時この立飛にいた祖父と一緒に見てみたかった。
そして「これはああで、こんなこともあったりしたんだぞ」とか教えてもらいながら、「それに自分の祖父も関わっていたのだ」ということを誇りに思いたかった思いもあるけれど、いつまでもそういうことができるわけもなく。そういう人たちがいたことを胸に、次の立川の歴史と楽しみをつくっていければと思っています。

ふたごの日


少し前の話だけど、11/23(祝)にこちらのふたごキャラバンのお手伝いをしてきた。

主催しているのは、多胎支援団体の「 SwingRing 」さん。

子ども未来センターの縁で声をかけてもらえたので、どんなイベントなんだろうと当日の朝はテント立てから。

テントを運んで

組み立てる。初めての方式で新鮮

当日集まってみると、やる気十分のママさんたちと、自分のようにお手伝いで来ていた学生さんがいて、初めてのテント立てに「あーじゃない?こーじゃない?」とワイワイコミュニケーション取りながら立てていきます。
イベント前の、この時間は好きですね。出展団体さんたちも、自分たちのことを知ってもらおうと準備に余念がなかったり、ちょっと話してるだけでも元気をもらえる。

僕は今回は出展団体ではなかったので、テントを立てたら片付けまでは自由時間。
イベントが始まるまで少し時間もあったので、はじまってからまた来てみることにして、サンサンロードの隣、グリーンスプリングスで開催していた「秋の収穫祭」にもふらっと散策してみました。

秋の収穫祭

cocokaraさんも出展してました

くっきーかわいい

はじめてみた「きんじょの本棚」

塩やきいも。おいしそう

のーかるはキウイのつかみ取りを

収穫を祝福するバンド演奏

グリーンスプリングスの方も家族連れだったり関係者の友だちだったり、たくさんの人が訪れていて楽しそう。知ってるお店も出展されてたりしたので、少し近況の情報交換ができたり、ようやくこういうところで元気に再会できるようになってきたんだなと思ったり。

そして、ちょっと仕事もたまっていたので、このグリスプに来て1人ワークをするなら、うってつけの場所、スタハTAMAへ。起業はするかわからないけど、そういう人たちの空気に触れていると刺激にもなるし、WiFiと電源使えて無料の快適空間。

入口はこんな感じ

大きなロゴが絵になる

開放的な空間で、作業もはかどりそう!

こういうスペースが立川で無料で使えるのは本当にありがたい。まだ利用者の他の方との接点が少ないので、これから徐々に増やしながら楽しんでいけたらと思いはするけど、話す相手がいないならいないで作業に集中できたひとときでした。
そして、にぎわってきていたサンサンロードに戻ってみると、ちょくちょくと知ってる人をお見かけする。最近のお互いのニュースを話したり、ぶらぶらしているとあっという間に時間はすぎていきますね。

東京すくすくさんのブース

ファミリー写真撮影

歩きやすい気候の中、各ブースもとってもにぎわっていて準備をされてきた SwingRing さんも出展団体さんもよかったなーと思いました。自分自身もこういうイベントが久しぶりだったので、「こんな感じだったな」とリハビリのような感覚。

ふたごの子育て、親の立場は仕事と家庭の両立という意味ではとても大変な面ばかりだと思う。でも、ブースの中には「今だから笑って話せるエピソード」を集めているところとかあって、実感こもって読み応えがありました。こういう取り組みをしている人たちがいることを知っているだけでも、ずいぶん違うと思う。

最後の片付けまで手伝って、記念撮影にも参加させてもらって、この日は帰路についたのでした。みなさん楽しい時間をありがとうございました&おつかれさまでした~。^^

2021年12月5日日曜日

西の原爆ドーム、東の変電所

玉川上水駅から北東方向に歩いてすぐ、都立東大和南公園にある「旧日立航空機株式会社変電所」の中に入れるようになったと聞いて、先日早速行ってきました。

長らく、幕が張られて中を見ることができなかったけれど、ようやく見れた。

旧日立航空機株式会社変電所

見ていると、これを目的に訪れたであろうカメラを持ったおじさんがちらほら。やっぱりここは見ておきたいですよね。

入口はこちら

痛ましい銃撃の後を間近に

最初は建物をぐるっとまわって、外観の銃撃のあとを見てみたり。どうやら、南側から飛行機はやってきて、「タタタタ」と撃って飛んで行ったようですね。銃撃のあとは北側にはなく、変電の設備が北側にあったおかげで生き残ることができた施設なのかなと思いました。

まずは紹介ビデオ鑑賞

入ってすぐ右の部屋でビデオで概要を紹介していたので、まずはそれを見てみました。元従業員で、その日たまたま明けで自宅にいたとか、近所に住んでいた人の証言とかを聞いて、やっぱり生々しいし無慈悲な攻撃にさらされた人たちを思うと胸が痛む。その一方で、今のこの戦争のことを考えなくていい時代に暮らせていることをありがたいとも思う。

展示エリアはこんな感じ

ボランティアの方の説明を聞けたり

そして、展示を見せてもらう。意外と中は銃撃の後はなく、修繕をしたこともあるのかキレイな印象を受けた。ボランティアの人たちが熱心に見学者に説明をしているのが印象的で、こういう人たちがこの施設を残し、伝えていこうとこれまで頑張ってきたことをうかがい知れた。

この施設は広島の原爆ドームと並んで「西の原爆ドーム、東の変電所」とも言われる戦災建造物だそうだけど、印象としては広島の施設の規模感と比べたらずいぶんと小さいものではある。一般的にはそう見える。でも、自分にとっては意味が異なる。
広島の原爆ドームの近辺で被ばくをした近親者のいる人がきっとそうであるように、自分にとっては当時立川で暮らしていた祖父母と同じ時代に同じエリアでこういう目にあった建物と、それを残すべきだと熱意をもって取り組んできた人たちのその後の話は人ごとではない。

家系図や記録が残っているわけではない、本人しか知り得ない友人関係などたどるべくはないけれど、もしかしたら祖父母の友人知人、またその友人知人くらいにはあたる人たちの物語かもしれないと思うと、やはり知っておきたいと思う気持ちは強くなる。

2Fには大きな配電盤

この変電所は2F建てになっていて、2Fに上がると大きな配電盤があった。現在稼働中の変電所に入ったことがないので、大きさの比較は難しいものがあるけれど、普通のビルの配電盤に比べたらまったくスケールの違うものが配備されていて、専門知識を身につけた人たちがここで日夜戦時の飛行機製造を支えるために、「1台でも多くの飛行機を1秒でも早くつくれるように」技術屋として働いていたことだろう。
インフラエンジニアとしては、共感する部分もある。

赤とんぼが飾られていた

銃撃でえぐられたコンクリート

壁を貫通している箇所も

建物の中はコンクリートの壁に守られていたとはいえ、万全ではなく、窓はもちろん壁だって貫通してくる弾もあった。絶対的に弱い立場で銃撃にさらされたそのとき、犠牲となった人たちは何を思っただろう。

同じ構図で紹介された写真がありました

この星の上ではまだ戦争はなくならず、痛ましいニュースが流れることは続いているけれど、こういう経験をした土地で暮らしている自分たちだからこそ、平和のありがたみだったり、相手への感謝を忘れず、争いやわだかまりを力で解決しない技術を身につけて暮らしていけるといいのかなと改めて思った見学でした。

見学は入館無料で、水曜・日曜の10:30-16:00までとのこと。ぜひみなさんお時間のあるときは訪ねてみてはいかがでしょうか。