玉川上水駅から北東方向に歩いてすぐ、都立東大和南公園にある「旧日立航空機株式会社変電所」の中に入れるようになったと聞いて、先日早速行ってきました。
長らく、幕が張られて中を見ることができなかったけれど、ようやく見れた。
旧日立航空機株式会社変電所 |
痛ましい銃撃の後を間近に |
最初は建物をぐるっとまわって、外観の銃撃のあとを見てみたり。どうやら、南側から飛行機はやってきて、「タタタタ」と撃って飛んで行ったようですね。銃撃のあとは北側にはなく、変電の設備が北側にあったおかげで生き残ることができた施設なのかなと思いました。
まずは紹介ビデオ鑑賞 |
入ってすぐ右の部屋でビデオで概要を紹介していたので、まずはそれを見てみました。元従業員で、その日たまたま明けで自宅にいたとか、近所に住んでいた人の証言とかを聞いて、やっぱり生々しいし無慈悲な攻撃にさらされた人たちを思うと胸が痛む。その一方で、今のこの戦争のことを考えなくていい時代に暮らせていることをありがたいとも思う。
展示エリアはこんな感じ |
ボランティアの方の説明を聞けたり |
そして、展示を見せてもらう。意外と中は銃撃の後はなく、修繕をしたこともあるのかキレイな印象を受けた。ボランティアの人たちが熱心に見学者に説明をしているのが印象的で、こういう人たちがこの施設を残し、伝えていこうとこれまで頑張ってきたことをうかがい知れた。
この施設は広島の原爆ドームと並んで「西の原爆ドーム、東の変電所」とも言われる戦災建造物だそうだけど、印象としては広島の施設の規模感と比べたらずいぶんと小さいものではある。一般的にはそう見える。でも、自分にとっては意味が異なる。
広島の原爆ドームの近辺で被ばくをした近親者のいる人がきっとそうであるように、自分にとっては当時立川で暮らしていた祖父母と同じ時代に同じエリアでこういう目にあった建物と、それを残すべきだと熱意をもって取り組んできた人たちのその後の話は人ごとではない。
家系図や記録が残っているわけではない、本人しか知り得ない友人関係などたどるべくはないけれど、もしかしたら祖父母の友人知人、またその友人知人くらいにはあたる人たちの物語かもしれないと思うと、やはり知っておきたいと思う気持ちは強くなる。
2Fには大きな配電盤 |
この変電所は2F建てになっていて、2Fに上がると大きな配電盤があった。現在稼働中の変電所に入ったことがないので、大きさの比較は難しいものがあるけれど、普通のビルの配電盤に比べたらまったくスケールの違うものが配備されていて、専門知識を身につけた人たちがここで日夜戦時の飛行機製造を支えるために、「1台でも多くの飛行機を1秒でも早くつくれるように」技術屋として働いていたことだろう。
インフラエンジニアとしては、共感する部分もある。
建物の中はコンクリートの壁に守られていたとはいえ、万全ではなく、窓はもちろん壁だって貫通してくる弾もあった。絶対的に弱い立場で銃撃にさらされたそのとき、犠牲となった人たちは何を思っただろう。
赤とんぼが飾られていた |
銃撃でえぐられたコンクリート |
壁を貫通している箇所も |
建物の中はコンクリートの壁に守られていたとはいえ、万全ではなく、窓はもちろん壁だって貫通してくる弾もあった。絶対的に弱い立場で銃撃にさらされたそのとき、犠牲となった人たちは何を思っただろう。
この星の上ではまだ戦争はなくならず、痛ましいニュースが流れることは続いているけれど、こういう経験をした土地で暮らしている自分たちだからこそ、平和のありがたみだったり、相手への感謝を忘れず、争いやわだかまりを力で解決しない技術を身につけて暮らしていけるといいのかなと改めて思った見学でした。
見学は入館無料で、水曜・日曜の10:30-16:00までとのこと。ぜひみなさんお時間のあるときは訪ねてみてはいかがでしょうか。
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