こちらも先日の話だけれど、立飛で一般公開されていた「一式双発高等練習機」の見学に行ってきた。青森県の十和田湖から引き揚げられ、帰ってきた戦時の練習機。
これは、祖父が立飛に勤めていた戦時中に新品を目にしていたであろう練習機だ。是が非でも見てみたいと、足を運んでみた。
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入口の看板 |
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すでに長蛇の列 |
週末だったこともあり、練習機を見る前に長蛇の列に並ばなくては行けなかった。でもそれだけ多くの人の興味をそそられる展示だという意味では、有意義な一般公開だとも言える。
準備してくれた立飛に感謝をしながら、30分くらいの時間を待って過ごした。
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入口前の紹介映像 |
ようやく建物の中に入れた、と思ったら、最初は今回の展示に至るまでの紹介映像をながめて待つ形だった。倉庫は木造で、梁の張り方が一般家屋とは違っていて、そういったつくりの部分でも興味を持った。映像は計2周見て、湖の縁の底の浅い地点に墜落していたから見つけられたこと、引上げを一度は断念せざるを得なかったけれど、その知見を活かして2回目のチャレンジをして無事に引き上げることができたことなどが紹介されていた。
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展示室全景 |
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一式双発高等練習機の模型 |
長蛇の列から予想はついていたものの、中に入ると見学者でごった返していた。自由に動き回ってみてOKではなく、ある程度決まったコースがあってそれに沿ってみていく形。そして、そのコースの一番展示物に近い側はゴツいカメラを持った親父さんたちがシャッターを切りまくっていて、遅々として進まない。それだけ貴重で、思い入れもあるのだろうけど、写真として残すことよりも自分の眼で見ることを優先していた自分はさっさと見ていく。
こういうとき、背が人より高めでよかったなと思う。まずは翼編。
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日の丸とともに |
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69年の時間がここに |
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尾翼のマーク |
翼は割ときれいな形で残っていて、ところどころの大きな腐食がある程度だった。素材的に弱かったのか補助翼だけすっかりなくなって枠だけになっていたけれど、それだけの時間を経てきていることを感じさせる展示でした。
尾翼のマークは、初めて見るマーク。説明には、飛行第38戦隊の部隊標識と書かれていた。三と八を組み合わせたマークになっているとのこと。
続いて、胴体部分も見ていこう。
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胴体中央部 |
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燃料タンクについていた銘板 |
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コクピット部 |
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正面から |
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座席 |
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コクピットからシートを抜き出した形 |
胴体部は、今の飛行機のつくりと比べることは難しいけど、強度を保ちつつ軽量化のためになるべく軽くつくる必要があったのだろうことは伝わってきた。正面のハナの部分がつぶれているのは、湖面にぶつかった衝撃なのかな。。操縦桿はよくある棒を上げ下げするようなものではなく、8の字のハンドルを回転&押し引きすることでコントロールをしていた様子。
エンジニアとしては、メカニズムが気になりますね。優秀な練習機だったと言われているので、使い勝手はよかったのだろうか。元パイロットの経験のある人がいたら聞いてみたいところ。
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エンジン部 |
最後にエンジン部分。墜落の衝撃で羽はぐにゃりと曲がっているけれど、こちらもきれいな形で残っていた。確か、先日見学した日立航空機の変電所の展示で、日立航空機はエンジンを製作していたと紹介されていたけれど、こういう練習機にも使われていたんだろうか。そうであれば、つくったものをとても近い距離で納品できていたのだろうな、とか地域の中でのつながりも感じられました。
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搭乗員の姿 |
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立飛の旗 |
そんな感じで、もう69年も前の話ではあるけれど、その間にこの地域では立飛が飛行機をつくり、それをこの国の人たちが整備し、操縦し、日本の空を飛びまわっていたことに思いを馳せる時間を過ごさせてもらいました。
できることなら、当時この立飛にいた祖父と一緒に見てみたかった。
そして「これはああで、こんなこともあったりしたんだぞ」とか教えてもらいながら、「それに自分の祖父も関わっていたのだ」ということを誇りに思いたかった思いもあるけれど、いつまでもそういうことができるわけもなく。そういう人たちがいたことを胸に、次の立川の歴史と楽しみをつくっていければと思っています。
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