2009年5月28日木曜日

本「おいしさをつくる「熱」の科学」

結構前にY一郎に「kijiみたいな考え方をするなら、この本読んでみるといいよ」って貸してくれてちょこちょこ読んでたこの本、やっと読み終わった。
Y一郎ありがとね。

<本の紹介>
本書は、さまざまな調理現象のうち、特に加熱にかかわる現象に焦点をあて、実際の調理現場から出てきた疑問に答える形をとっています。

この本、めっちゃ勉強になりました。
自分でも買おうかなと思ったくらい。

料理を始めてみて、やっぱフライパン使ってるときが楽しい。
なんか料理してる感じで。

でも、すぐこげたりなかなか思い通りにいかないことが多くて、、、苦戦してたとこにこの本登場。対流熱、伝導熱、輻射熱。
料理についての熱の考え方とか、イメージがめちゃくちゃしやすくなった。

ただレシピ通りに作るだけなら、多分なくても大丈夫。
でも、「なんでこのとき弱火なの?」とか「なんで電子レンジじゃできないの?」とか「こうやったらどうなっちゃうの?」とか、他の料理に応用したりするにはもう少し根っこの知識が必要で、そういった知識欲を満たしてくれる、いや期待以上のことを教えてくれる一冊でした。
この本読んだだけで料理のレベル上がると思う。

肉のうまみを閉じ込める焼き方とか、「なるほど」と思える部分が多かったです。
まだ全然できないけど。苦笑

料理に興味のある人は、もし良かったら読んでみてくださいな~。

本「共依存症」

<本の紹介>
頼まれなくても他人の世話に明け暮れる。相手を喜ばせようといつも自分は後回し。そして、思いどおりにならないといって腹を立てる―この本は、自分の人生を他人に捧げてしまった「共依存症者」への処方箋である。なぜいつも自分が犠牲になるのか。なぜうまくいかない人間関係にしがみつき、相手をコントロールしようとして結局振りまわされるのか。「愛しているだけ」で相手を変えることができるのか。本当に、あなたがいなければ彼は駄目になるのか。こんな疑問に自らも共依存症に苦しんだ著者が明快にアドバイス。自分が変われば「他人に振りまわされない人生」が手に入る。

この「共依存症」って言葉を見たとき、ドキッとした。
周りを振り回す人はわかりやすい。そして、振り回される側に立ってみると、たまったもんじゃない。けど、その振り回す人を自分が変えるのはかなり大変。。。
でも、学校だったり職場だったり何かの団体だったり、そういった人が集まる場所にはそういう「振り回す人」が自分の周りにいることもあるもんで、自分もそうだし、転職相談なんかに乗ってるとそういう類の相談を受けたりして。
そんな時、「どうしたもんかな・・・」と思ってました。

最も賢明な判断は、「近づかないこと」だと思う。
それができれば、他の生活にも支障が出るなんてことはなくすことはできる。
人から逃げてばかりいるようじゃダメなんだけど、どうしても合わない人と一生一緒にいなきゃいけないなんてことはないと思う。それで他の生活にも支障をきたすようなら、失うものは大きいし、守りたいと思うのが普通だと思う。

ただ、それができない人もいる。
夫婦とか、親子とか、社会的な制約とか。

そうなった場合にやっぱり振り回されることになってしまうけど、一概に振り回す側だけが全て悪い、だとちょっと人によってバラつきがありすぎる気がして。それだけの問題なのかなと。

振り回される側の人が、「自分はダメな人間だから、そんな自分につきあってくれる人なんてこの人くらいしかいない」とか諦めちゃってたり、「こんなひどいことをする人だけど、自分じゃ何もできないから私が面倒みてあげなきゃいけない」とか思い込みすぎちゃってたり、なんだかんだで相手に依存して自分が今の生活を望んではいないのに納得してたら、多分結局変われない。

自分は相手に依存するのではなく、自分自身にのみ依存する。相手は関係ない(全く0だとは言わないけど)。
相手を最優先にせずに、自分を優先させることはそんなに恥ずかしいことじゃないと思います。そう思えるようにならなきゃ、自分の望んだ人生なんて運任せでしかない。
運に任せることを自分で選んでおいて、うまくいかないことを嘆いちゃいけない。

自分が八方塞がりになって、閉じ込められていると感じていても、外に出る唯一の方法は通り抜けること。これしかない。怖くても、壁にぶつかってみるしかない。

そんな状況に陥っている人がいたら、もしかしたら出口が示されている本になるかもしれないです。

俺は自分の価値観を大事にしているし、やりたいことは自分がどう思うかだけで判断しちゃうことがよくあるんで、それで周りを振り回すことも多々ある気がします。苦笑
ごめんなさい。「B型ぽい」ってよく言われます。
でも、それで誰かを攻撃しようって思いはないし、もし一緒にできるなら俺が一緒にやりたい人だから声をかけさせてもらってる。別にそこで一緒にできなくても、断られるのも慣れてるし相手の価値観で話してもらうようにしてます。

要は、相手のことを考えて、声をかけられるかどうかなのかな~。
この辺の按配って難しいですね。

あ、それと読んでて嬉しい単語が出てきました。

シグニフィカント・アザーズ。
ある人の周囲にいて、その人の人格形成に重要な意味を持つ人。

Limp Bizkitの2ndアルバムのタイトル。
全米で700万枚以上のセールスを出したモンスターアルバムのタイトルの意味がずっとわかんなかったけど、こんなとこでわかるようになりました。
そう言われると確かに、俺の人格形成に意味を持ったアルバムの1枚です。納得。

2009年5月23日土曜日

本「もったいない主義」

<本の紹介>
少しデザインを変えるだけでグンと便利になる日常品。人を喜ばせるチャンスをみすみす逃しているお金の使い道。次に生かされないまま忘れられていく失敗。世の中の至るところで、引き出されないまま眠っているモノやコトの価値。それらに気づき、「惜しい」「自分だったら」と思うことこそ、アイデアを生む最大の原動力だ―オールラウンドのクリエイターとして活躍する著者が、自らの「もったいないセンサー」を開陳。無尽蔵に広がる発想と創作の秘密を明らかにする。

この本を紹介してくれたのは読書家Wたるさん。
「kijiに合いそうだから」って、いつもいろんな本を教えてくれる。
ありがとです。

自分で本を選ぶことも大事だけど、自分で選ばない本を紹介してもらって読んでみると、意外とおもしろい発見があったり、いい刺激になってます。
ってか、この本は自分でもいつか辿りついてたと思います。おもしろいもん。
この本を読まないなんて、「もったいない」。

最近、多分小山さんと俺は似てる感覚なんだろなと思ってきました。
まるで一貫性のないことをしているようで、それが相互につながるように考えてるとことか、「やったことないからやらない」じゃなく「やったことないからこそおもしろい」と思って、「できなくてもいいや」くらいの感じでやってみちゃうところ。
もちろん自分とは比較にならない程大きなことをしてると思うし、プレッシャーもすごくあると思うんだけど、それでも根っこは似てると思います。

いつか、一緒になんかできたらいいなぁ。
こないだメールしたんだけど、相手にされなかった。
でも、また機会のあるごとに連絡してみよっかな。

幸せに思える瞬間って、自分で作り出すこともできたりする。
東京タワーは24時ちょうどに消灯するんだって。
タイミングを合わせて指をならすだけで、俺でも魔法が使えちゃうかもね。

2009年5月22日金曜日

中大教授刺殺事件

ついに、犯人が逮捕されましたね。
夜中の2時頃知り合いからメールが来て、「犯人捕まったみたいよ。でもこれ、kijiの代じゃね?」「眠いから明日明日・・・」

で、朝起きてニュース見て。
犯人は中大理工電電2004年卒・・・って、俺と一緒じゃん!マヂで!?
もしか知り合いなわけ???

名前に心当たりはないものの、一緒に飲んだりはどっかでしてたかもしれない。
で、すぐ卒アル開いて名前を探したり、マスコミ系の就職をした奴から連絡が来たりバタバタしてました。

入学が一つ上ってことで、上の代の先輩らとも連絡取って。
俺は研究室も違ったし、その後でまわしてもらった顔写真見ても全然覚えてなかった。周りに聞いてもみんなびっくりしてて。そりゃそうだよな~、同じ授業受けてたってことでしょ。自分が授業受けてた知ってる教授が殺されたってだけでもびっくりなのに、その犯人は自分と同じ代で授業受けてた側にいたなんて。

犯人が捕まってよかったって思う気持ちよりも、自分のすぐ近くで起きた殺人事件ってとこに怖さや切なさを感じました。世の中をこんだけ騒がせて、これから「あぁ例の殺人事件の」って言われるようになんだろな。。。

っとそうこうしてるうちに、フ○テレビが間違えて流した犯人の写真が自分の知り合いだったりして、仲間内で「おいあいつが犯人になってんぞ、なにこれ間違ってんじゃん」って仲間経由で連絡取ったりホントに仕事どころじゃなかった。マヂで他人事じゃない。もしかしたら俺だって、犯人画像として写真を流された可能性もあるわけだし。。。そしたらどうなってたんだ。こういうことってするかね、普通。

マスコミの相手の立場や気持ちを考えてない、リスクを考えてない対応がちょっと頭に来ました。なんか普段あんま考えたことなかったけど、報道についてすごく考えさせられた。

他の局よりも詳しい情報を押さえたいってのは、なんでなんでしょうね。こういったリスクがあるのに顔写真にそんなにこだわるのは、それだけの理由があるから?今回本当にいろんな局とかから問い合わせがあったけど、そこまでして全ての人脈フル活用して、どんなにお金をかけてでもコンタクトを取ろうとすることって本当に必要なことなの?世の中の人たちは、顔写真がないと報道にリアリティを持たないんだろうか。その事件について、知ってる人のコメントがなければ、どうなるんだろうか。それを話したところで事件はなかったことにはならない。ありのままの情報を報道したところで、その先にどれだけ活きるんだろうか。何に活かして欲しいから、その情報を一般向けに流すんだろうか。俺たちは報道を見て、何を思うべきなんだろうか。

「こんなことをするのはこんな大学の人だから、あの大学には行かない方がいいわよ」
「この学科にはこんな人がいるのよ」
「だから理系なんて何考えてるかわからないのよ」
「あの年代の人って何しでかすかわからない人が多いのよね」
「そういえば私の周りにもいるわ、殺人鬼と同じ大学の人が。近寄らない方がいいわね」
「ああいう顔の人って、○○なのよね」

そんなことを話してもらう為に、報道をしてるのかな。

もう二度とこういうことを起こさないようにするにはどうしたらいいか、みたいなとこはどこまで考えられているんだろう。何が悪かったんだろう。人間が小さかったのかな。教授が嫌な奴だったのかな。制度におかしい部分があったのかな。それは、国の教育方針?大学?学部?学科?研究室?そうじゃなくて、家庭の問題?金銭的な問題?友人間のトラブル?例えば何か少しだけでも、それまでの経緯が変わっていたらこんな事件は起きなかったのかな。

自分たちに気をつけられるポイントって何だろう。
変えたほうがいい認識とかってあるのかな。

なんか、分析されていない事実や統計なんていくらあったって改善活動につながらないし、そういう活動で満足しちゃってる感じがもしマスコミにあるなら、そしてそれを見た人たちがその報道を鵜呑みにしているとしたら、情報に対して何も感じない、考えられない人が「報道を見た=自分は知ってる」とかって考えているとしたら、非常に危険じゃないかなと思いました。
そんなんじゃ、きっとまた同じような事件は起こるし、それをどう起こさないようにしていくべきか、事件に巻き込まれた経験がある1人として考えていくべきなんだろなと思いました。

2009年5月21日木曜日

1200日

今日で、この楽天blogを開設して「1200日」だそうです。

長かったような、あっという間だったような。
2006年頃の日記を読んで「浅いな~」とか思って、これでもちょっとずつ成長してきたのかな、とか思いました。

いろんな人に会って、いろんなとこを旅して、いろんな本を読んで、少しずつ見えてきたものがある。考えが深くなってきてるのを感じる。

ただやるだけじゃなく、そこにコンセプトって芯を通して、目指しているものへの距離感を感じながら動いてる自分を感じられる。

これが2000日くらいになったら、自分はどうなってるかな。
願わくば、そのときも周りには仲間がいて、笑いがあって、そんな時間を過ごしていられたらいいなぁと思います。

みんなのおかげで1200日になりました☆
ありがとうございます☆

2009年5月20日水曜日

blogを書くということ

ここ最近、「blogを書くということ」について考えたことをまとめておこうと思います。

blogを書くことのデメリット

  • めんどくさい
  • いろんな人が見てるし下手なこと書けない(誹謗中傷の的になるかも)
  • 自己満で終わる可能性あり
  • PCの前に座っている時間が長くなる(=他のことができない)
  • 効果がわかりづらい(so whatの部分)
  • 他者からの反応ありきで書いてると、反応がないと寂しく感じる

多分、デメリットはこんな感じだと思います。

で、メリットは、、、

  • 書くことで頭が整理される
  • 自分の考えてることをみんなに知ってもらえる
  • 将来自分が振り返るときに懐かしく思える
  • 成長のあとが見える(文章力や、やってきたこととか)
  • 新しい交流が生まれる可能性がある
  • 他の人のblogに興味を示すようになる

そんなとこかなと思います。

多分、身内のコメントを求めるのであればmixiとかで書いた方がいいんだろうと思う。
でも、自分が読んで欲しい人はmixiだけに閉じているわけじゃないし、身内にしか読ませたくないような内容にはしてないから、世界中の人たちに一番開かれていて、みんながアクセスしやすい形を取るべきだと思う。その分、身内からもらえるようなダイレクトな反応は少なくなるかもしれないけど。

で、これとは別に考えていたテーマがあったんだけど、それが最近結論としてblogにつながった。

「自分が学んできたことをどうすれば無駄にしないでいられるか。」

例えば1年間に本を100冊読んだとして、その本1冊1冊から得た知識は自分の頭の中にはキャパシティって器の制限がある以上、全てを入れておくことは物理的に不可能になる。そうすると、頭の中だけで処理をしようとすればFIFOじゃないけど何かが入って何かが出て行くってことになる。でもそれじゃ1冊だけ読んだ人と100冊読んだ人と、結果頭の中に入っている知識の量は変わらない。だから、知識をインデックスをつけた形に加工して頭の中から外に出す必要がある。そのインデックスをどこに貼るのか、知識をどう加工するのか、どれだけの量をどう保管しておくのか。それが、個人の裁量や能力、資質になっていて、それが出来ない人が本を読むのと、できてる人が本を読むのでは、1冊の本からその人への知識の吸収のされ方が違ってくると思う。

だから、読書量を増やすことも大事だけど、それ以上にその仕組みを確立することが大事だと考えてた。で、出した結論が、PCへの保管とblogを書くことだった。
自分のPCには、誰にも見せられない「人生設計」ってファイルがある。その中に、自分が大事にしてる考え方とか、こうやって生きていきたいだとか、今後やってみたいこと、これまでに検討してきた諸所の企画やイベントの種や結果がまとめられてる。そのファイルはいいフレーズを見つけたり意見交換を重ねたりしたときに日々更新されてってる。そうやってくことで自分の考え方を強化してってる、つもりです。
あと、それに加えたblogによるアウトプット。インプットよりもアウトプットの方が記憶に残るって実験データもあるし、文章としてまとめている際に大事だと思うことは何度も本を読み返す。それは振り返り、記憶の刷り込みっていう作業にもなっていて、そこだけでもただ読むことよりも、1冊の本を読んだ効果をより増大させるはずって考えてます。

まだまだ、「だからこれで間違いないんだ!」とは言えないけど、俺の学習スタイルとしてはだんだん確立されてきた感じ。日々トライ&エラーだけど、何年か後に自分がどうなってるか、楽しみです。その成長日記としてこのblogを読んでもらえたら、ありがたいなぁと思います。

KIJI's HOME PAGE閉鎖します

大学時代からコツコツ作ってきた自分のWebsite、かれこれ半年以上更新が止まってましたが、、、ついに閉鎖することにしました。

理由は大きく3つ。

  1. 自分のことを知ってもらうにはblogで十分かな、と最近思うようになったこと。
  2. プライベートな写真を載せることの是非について考えて。
    1. 最初は仲間と撮ってきた思い出を、みんながいつでも見れる形にしたくて、Websiteに載せてた。さらに、それを見に来た人たちの中でおもしろそうって興味を持ってくれた人を仲間に増やしていきたくて、「誰でも見れる形」を取ってた(もちろん、ひどい写真は載せなかったし良識の範囲内でやろうとは思ってたけど)。
    2. でも、「載せて欲しくない」って人も何人もいたし、クレームみたいなものももらったし、誰でも見れる形は悪用される懸念といつも隣り合わせだったんで、ログイン機能をつけた。
    3. そしたら、使っているtok2の利用規約に引っかかった。「ログイン機能を設けている場合は使用停止」だそうです。なんで、今更新できない状態になってます。ただ、だからと言ってログイン機能を外すわけにもいかないし、写真をみんなに渡すだけならいくらでも他に手段もある。であれば、写真館として使えないならそんなにWebsiteとして存在する意味はないかな、って思ったこと。
  3. 更新の負荷を他の活動にまわしてみようかなと。当初の目的は2つあったけど、どっちも達成してる。どちらも、大学卒業と同時にクリアした目的。今、自分のやりたいことは他にあって、その為の動き方も変わってて、であればWebsiteにしがみつく必要はないかなと。「写真たまに見てるよー」「あれがあると懐かしい写真もいつでも見れていいよね」なんて声をかけてもらえることは嬉しかったから、このまま続けても良かったんだけど、前を向いていこうと思ったら過去の為に使う時間を減らす必要があると思いました。
    1. 目的1:自分がIT業界に就職するに当たって、楽しみながら知識を増やしておくこと。
    2. 目的2:学生という立場で1人暮らしをさせてもらう約束として、4年で絶対に卒業すること+Website上で定期的に近況報告することで親に余計な心配をかけないこと。
そんなわけで、28歳を迎えたタイミングでblogのみに絞ろうと思います。
今までWebsiteに遊びに来てくれてた人たち、コメントをくれた人たち、ありがとうございました。
これからはこのblogのみで更新頑張っていこうと思うので、これからもよろしくお願いします。

2009年5月18日月曜日

本「人を動かす」

<本の紹介>
人間関係の古典として、あらゆる自己啓発本の原点となったD・カーネギーの名著。常に机上において読み返す本として、重厚で華麗な装丁にあらため、四六判・上製(ハードカバー)とし、本文も読みやすく組み直した.
本書は、社会人として持つべき心構えを興味深い実例をもって説得力豊かに説き明かして類書の追随を許さない。深い人間洞察とヒュウマニズムを根底に据えた感動の書。聖書につぐ世界的ロングセラー。

多分、読書を趣味としているビジネスマンは早かれ遅かれこの本を通ることになるんだろう、そう思えた本でした。50年前に出版された本が、50年間支持を受け続けて、今も目の前にある。俺みたいな若造に、為にならないハズがない。

この本は本当にはじめの10ページくらい読んだだけで、思わず「この本、すげぇ」って言っちゃったくらい本質を的確についてる、かつわかりやすい文章になってる本だと思いました。
この本に書いてあることを全部やれたら、多分なんでもできる。どんな人にも好かれる。結局、人生を形作るのは自分と、自分の周りにいてくれる人、これから出会ってく人たち。人なんだ。だから、その「人」との付き合い方をおろそかにしちゃいけない。むしろ、ある程度のレベルまでは必死でできるようにならなきゃいけない。

その為になにより大事なのは、たくさんの人に会ってたくさんの考え方や価値観、みんなが共通して気持ちいいと思うことを知ることだ、と頭で考えるよりも先に行動で知っていくことを重んじてたけど、改めてこういう本で整理してもらえると非常に助かりますね。

やっぱり本との出会いも大事だな、と思いました。
この本で大事だと思ったことは多すぎて伝えられない。
全部、読んでみて欲しいと思います。

「量は質を凌駕する」ことを前提として、「たくさんの本を読もう」と思って年間100冊を目標にやってきた。5月の半ばで折り返し地点。1ヵ月半の前倒しで、いいペースだと思います。

今年のはじめに考えてたことはなんだったろう。

そう思ったときに振り返れるように、一冊一冊について足跡をつけてきた。基本的な軸は間違ってないと思う。そして、この間に出会った本から学べたことは非常に大きくて、今の自分のアイデアの源泉になってる。知識として確かに蓄積されていると思う。人との付き合い方にも色濃く反映されてると思う。そして、これからやっていきたいことにももちろん反映されていくと思うし、得た知識をどうするかってのは、溢れなきゃ考えなかったこと。そういう意味でも、半年前から確実に前進してってるって言える。と個人的には思います。

まぁ、それでも個人の評価はどうでもいいんだ。
他の人から見てどう見えるか、どう変わったかが評価だから。
周りが「全然変わってない」と思ったら、多分変わってないんだろう。

でも、こうやって新しいことを知っていくのは楽しいことだと思います。
相手がやりたいけど知らない部分をフォローしてあげられれば嬉しいし、俺は世界で一番適応力/応用力のある「日本人」の端くれだ。吸収したことを自分の生き方にどう活かすかを一番楽しめる民族である以上、そういった部分は大いに楽しんで、よりおもしろい人生にしていきたいと思います。

あと50冊、100冊読破に到達する頃にはどんな風になってるか楽しみです。
あ、楽しみながらやること、ワクワク感を持つことって大事な要素らしいですよ、ご参考までに。笑

2009年5月12日火曜日

本「スラムダンク勝利学」

著者 : 辻秀一
集英社インターナショナル
発売日 : 2000-10-05
25万部売れた、大ベストセラーらしいっす。
全然知らなかったんで読んでみたんだけど、すごいおもしろくて一気に読んじゃいました。

この本、いいっすよ!おすすめです。

<本の紹介>
ただ、がんばるだけでは意味がない!超ヒットバスケ漫画『スラムダンク』のなかに必勝の秘密があった。スポーツで勝つ、人生に勝つ。

俺たちの世代でバスケをやってて、スラムダンクを読んだことがないって人はおそらくいないと思う。そんな国民的漫画であるスラムダンクの数々のシーンに散りばめられた勝利とか人生で重要なエッセンスが、漫画のシーンと一緒に語られてて、すごく記憶がよみがえるし納得しやすくて。

「ヤマオーは俺が倒す!(花道)」→「これで勝つしかなくなったぜ」:有限実行
「今年の目標は全国制覇だ!(ゴリ)」:チームの目標を明確にする
「なんで俺のファウルなんだよ!?ちゃんと見てくれよ審判!(魚住)」→5ファウル退場:怒りのコントロール
「俺は『今』なんだよ!(花道)」:「今」に集中すること
「敗因はこの私!陵南の選手たちは最高のプレイをした!!(田岡)」:コーチとしてあるべき姿(自分に責任を置き、選手を責めない)
「はいあがろう 『負けたことがある』というのが いつか大きな財産になる(堂本)」:結果の捉え方

多分、セリフを読んだだけでどんなシーンかみんな想像できるんじゃないかと思います。
こんな調子な本で、仕事に活かせる部分もたくさんあるし、スラムダンクも読みたくなるし、何より、日本語がうまい。だらだら書くんじゃなく、吉川英治の三国志じゃないけど文章にリズムというか大河のようなゆったり心地よく流れる感じがあって、読んでて疲れないの本当にすごいなと、そりゃ25万部売れるわなと思いました。

こういう文章が書けるようになるといいんだけどなぁ。。。
読んだことない人、ぜひぜひ読んでみて下さいな☆

2009年5月9日土曜日

本「問題解決プロフェッショナル「思考と技術」」

コンサルティングファームではめちゃめちゃ有名な本みたいすね。
配られるとこもあるみたい。

この本は、基本的には大きくゼロベース思考と仮説思考で考えて、MECEとロジックツリーで考えて、それをソリューションとしてまとめていく、基本的な体系がうまくまとめられていて「教科書的な本」として評価されてる。

事例もあるんで仕事で使う場面がうまく想像できるし、俺の今の仕事にはぴったりな感じの本でした。

この時期にいろいろ話したことがあって、やっぱりものを考えるときにはゼロベースもしくは仮説思考でいくべきだなとつくづく思いました。あんまり固定観念にとらわれてもダメだけど、仮説を立てて検証していくって手法を取らないと前に進んでく感じがしない。
まだまだものにできていない部分もあるんで、成長の余地を感じました。

これは読んでみるといいと思います。みんなが読んでる本っていうなら、なおさら共通知識として知っておくべき範囲かもしれないし。

2009年5月4日月曜日

本「勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド」

この人の考え方ってどうなんだろうなー。
やっぱなんか違和感がある。誰にでも歓迎される考え方じゃないんだろうなと。

男は年収1千万。
女は年収600万。

これが独立した生き方をしていく為の基本線、だそうです。これは、平均すると男性も女性も収入の上位10%に入る額だそうです。
その上で、「誰にも依存しない」丈夫な心を持ってスキルを積み重ねて、この基本線を目指していこう、っていう本。

さっくり読めるけど、あんまり参考になることはありませんでした。
内容の軽い本だなと。

世の中に、女性の果たす役割が大きくなってきてるのは感じる。でも、それを後押しするような動きはまだ弱いようにも感じる。今までの考え方を男性も女性も変えていかなきゃいけない時期に来ているってのも理解できる。でも、どう変わるべきなのかな。これをみんなが目指すとしたら、無理があんだけどな。

そんなことを少し考えた本でした。

2009年5月3日日曜日

本「渡部昇一の昭和史 正」

近代日本史を教科書で教わってきた僕らの世代は、肝心なことになればなるほど日本の言い分を知らず、世界から見てどうだったって事実だけを暗記してきた。
おかげさまで、日本は"敗戦国"として世の中に認知され、僕たちは靖国に参拝するだけで是非を問われるような、とても世界に「日本が好きだ」なんて大声出して言えないような心象を持ってしまっている。

でも、本当にそうなんだろうか。
もしペリー来航時に戦いを挑んでいたら、明治維新が失敗に終わっていたら、日清・日露戦争で世界に無様に負け姿をさらしていたら、、、日本はきっとこんなに(世界的に見たら)平和で安全に生きていける国になってない。
日本には日本の歴史があって、他国の文化を取り込んでいくだけの素養・見識を持った人物がいて、好奇心旺盛で技術力の高い、そして組織としてのまとまりを重んじる民族性があって、はじめてアジアの中でも欧米の植民地と化さなかった。
国内で対立もしたけど、「日本はこれからどうしていくべきだ」ってことを本気で考えてた人たちが確かにいた。
そんな人たちの尽力のかいもあって日本は開国から数年で欧米にすぐさま並んで、世界的な流れの中で欧米との政治的な意味合いもあって占領した国もある。でも、その国のことを日本は考えて、基盤となるインフラをちゃんと整備して、下手な真似を一切せず、いまだに日本に対して親日感情を持ってくれてる国だって多い。欧米が植民地にした国は何も整備されず、搾取されただけだ。どっちが相手の国のことを考えてるって言えるんだ?

日本人は南京大虐殺で20万人の中国人を殺したことになってるけど、当時の資料では南京には5万人しかいなかったそうな。どうやって20万人も殺すんだ?数の問題じゃないと言っても、ほとんどの民間人を日本人は殺していない。世界的に、戦争をする際には民間人を守る為に兵隊は軍服を着ることになっている。それをしなかったのは、ゲリラ戦術を取ったのは中国じゃないか。ゲリラ戦をしかけられれば、戦ってる相手は怪しい民間人は殺さざるを得なくなる。それで「民間人を殺す日本人」というのは、全く間違ってる。だから、この南京大虐殺だって、原爆を落として20万人以上の犠牲者を出した国が、自分たちだけが殺したわけじゃない、日本だって同じようなことをやってるじゃないかって言いたいが為にでっちあげた事実だったんじゃないかってことがここ数年公開されてきた資料から明らかになってきてる。

そして、外務省のボロボロの状況も。外務省に親が勤めている人は、海外赴任が多いので日本以外の場所で幼少を過ごして、その間に仲良くなった人たちがまた海外での経験を活かして外務省に入っていって・・・結局、外務省は血縁関係や昔から知っている人たちが集まって温床化してしまって、自分たちの先人がした過ちを認められる状況じゃない、と。
真珠湾攻撃が日本の意に反して奇襲攻撃になってしまったことは、前日の夜米国赴任していた外務省の人たちが誰かの送別会のために仕事そっちのけで飲み会をしていて、翌日の定刻までに「宣戦布告」って外務省として一番大事な仕事を果たせなかったことが原因になっていて、今でもそれが日本国民全員の泣き所になっているとしても、自分たちを守る為に謝罪一つできない人たちが集まっている、と。

そんなことが書いてある本です。
俺はこれを読んでものすごく為になったし、日本には日本の言い分があって、歴史の中でそうやって振舞ってくれた先人たちに感謝したいと思いました(一部のダメ日本人を除いて)。日本をもっと好きでいていいんだなって思えるようになりました。いい本だと思います。自分たちの先輩って、すごい人たちいたよ。彼らが必死で守りたかった日本の今の現状を見せたら、ガッカリされるかもしれない。でも、その国で笑って生きてる自分たちがいることを、もしどこかで会えるなら見せてあげたいなと思います。
そして、そんな先人たちに負けないように、自分たちもこれからの世代の為にできることをしていけたらいいのかなと思いました。

この本は、今まで生きてきた価値観を変えることになるかもしれない1冊になると思います。
時間がない人でも興味のある人がいたら、予定キャンセルしてでも読んでみて欲しいと思った本でした。