2009年5月22日金曜日

中大教授刺殺事件

ついに、犯人が逮捕されましたね。
夜中の2時頃知り合いからメールが来て、「犯人捕まったみたいよ。でもこれ、kijiの代じゃね?」「眠いから明日明日・・・」

で、朝起きてニュース見て。
犯人は中大理工電電2004年卒・・・って、俺と一緒じゃん!マヂで!?
もしか知り合いなわけ???

名前に心当たりはないものの、一緒に飲んだりはどっかでしてたかもしれない。
で、すぐ卒アル開いて名前を探したり、マスコミ系の就職をした奴から連絡が来たりバタバタしてました。

入学が一つ上ってことで、上の代の先輩らとも連絡取って。
俺は研究室も違ったし、その後でまわしてもらった顔写真見ても全然覚えてなかった。周りに聞いてもみんなびっくりしてて。そりゃそうだよな~、同じ授業受けてたってことでしょ。自分が授業受けてた知ってる教授が殺されたってだけでもびっくりなのに、その犯人は自分と同じ代で授業受けてた側にいたなんて。

犯人が捕まってよかったって思う気持ちよりも、自分のすぐ近くで起きた殺人事件ってとこに怖さや切なさを感じました。世の中をこんだけ騒がせて、これから「あぁ例の殺人事件の」って言われるようになんだろな。。。

っとそうこうしてるうちに、フ○テレビが間違えて流した犯人の写真が自分の知り合いだったりして、仲間内で「おいあいつが犯人になってんぞ、なにこれ間違ってんじゃん」って仲間経由で連絡取ったりホントに仕事どころじゃなかった。マヂで他人事じゃない。もしかしたら俺だって、犯人画像として写真を流された可能性もあるわけだし。。。そしたらどうなってたんだ。こういうことってするかね、普通。

マスコミの相手の立場や気持ちを考えてない、リスクを考えてない対応がちょっと頭に来ました。なんか普段あんま考えたことなかったけど、報道についてすごく考えさせられた。

他の局よりも詳しい情報を押さえたいってのは、なんでなんでしょうね。こういったリスクがあるのに顔写真にそんなにこだわるのは、それだけの理由があるから?今回本当にいろんな局とかから問い合わせがあったけど、そこまでして全ての人脈フル活用して、どんなにお金をかけてでもコンタクトを取ろうとすることって本当に必要なことなの?世の中の人たちは、顔写真がないと報道にリアリティを持たないんだろうか。その事件について、知ってる人のコメントがなければ、どうなるんだろうか。それを話したところで事件はなかったことにはならない。ありのままの情報を報道したところで、その先にどれだけ活きるんだろうか。何に活かして欲しいから、その情報を一般向けに流すんだろうか。俺たちは報道を見て、何を思うべきなんだろうか。

「こんなことをするのはこんな大学の人だから、あの大学には行かない方がいいわよ」
「この学科にはこんな人がいるのよ」
「だから理系なんて何考えてるかわからないのよ」
「あの年代の人って何しでかすかわからない人が多いのよね」
「そういえば私の周りにもいるわ、殺人鬼と同じ大学の人が。近寄らない方がいいわね」
「ああいう顔の人って、○○なのよね」

そんなことを話してもらう為に、報道をしてるのかな。

もう二度とこういうことを起こさないようにするにはどうしたらいいか、みたいなとこはどこまで考えられているんだろう。何が悪かったんだろう。人間が小さかったのかな。教授が嫌な奴だったのかな。制度におかしい部分があったのかな。それは、国の教育方針?大学?学部?学科?研究室?そうじゃなくて、家庭の問題?金銭的な問題?友人間のトラブル?例えば何か少しだけでも、それまでの経緯が変わっていたらこんな事件は起きなかったのかな。

自分たちに気をつけられるポイントって何だろう。
変えたほうがいい認識とかってあるのかな。

なんか、分析されていない事実や統計なんていくらあったって改善活動につながらないし、そういう活動で満足しちゃってる感じがもしマスコミにあるなら、そしてそれを見た人たちがその報道を鵜呑みにしているとしたら、情報に対して何も感じない、考えられない人が「報道を見た=自分は知ってる」とかって考えているとしたら、非常に危険じゃないかなと思いました。
そんなんじゃ、きっとまた同じような事件は起こるし、それをどう起こさないようにしていくべきか、事件に巻き込まれた経験がある1人として考えていくべきなんだろなと思いました。

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