2009年5月20日水曜日

blogを書くということ

ここ最近、「blogを書くということ」について考えたことをまとめておこうと思います。

blogを書くことのデメリット

  • めんどくさい
  • いろんな人が見てるし下手なこと書けない(誹謗中傷の的になるかも)
  • 自己満で終わる可能性あり
  • PCの前に座っている時間が長くなる(=他のことができない)
  • 効果がわかりづらい(so whatの部分)
  • 他者からの反応ありきで書いてると、反応がないと寂しく感じる

多分、デメリットはこんな感じだと思います。

で、メリットは、、、

  • 書くことで頭が整理される
  • 自分の考えてることをみんなに知ってもらえる
  • 将来自分が振り返るときに懐かしく思える
  • 成長のあとが見える(文章力や、やってきたこととか)
  • 新しい交流が生まれる可能性がある
  • 他の人のblogに興味を示すようになる

そんなとこかなと思います。

多分、身内のコメントを求めるのであればmixiとかで書いた方がいいんだろうと思う。
でも、自分が読んで欲しい人はmixiだけに閉じているわけじゃないし、身内にしか読ませたくないような内容にはしてないから、世界中の人たちに一番開かれていて、みんながアクセスしやすい形を取るべきだと思う。その分、身内からもらえるようなダイレクトな反応は少なくなるかもしれないけど。

で、これとは別に考えていたテーマがあったんだけど、それが最近結論としてblogにつながった。

「自分が学んできたことをどうすれば無駄にしないでいられるか。」

例えば1年間に本を100冊読んだとして、その本1冊1冊から得た知識は自分の頭の中にはキャパシティって器の制限がある以上、全てを入れておくことは物理的に不可能になる。そうすると、頭の中だけで処理をしようとすればFIFOじゃないけど何かが入って何かが出て行くってことになる。でもそれじゃ1冊だけ読んだ人と100冊読んだ人と、結果頭の中に入っている知識の量は変わらない。だから、知識をインデックスをつけた形に加工して頭の中から外に出す必要がある。そのインデックスをどこに貼るのか、知識をどう加工するのか、どれだけの量をどう保管しておくのか。それが、個人の裁量や能力、資質になっていて、それが出来ない人が本を読むのと、できてる人が本を読むのでは、1冊の本からその人への知識の吸収のされ方が違ってくると思う。

だから、読書量を増やすことも大事だけど、それ以上にその仕組みを確立することが大事だと考えてた。で、出した結論が、PCへの保管とblogを書くことだった。
自分のPCには、誰にも見せられない「人生設計」ってファイルがある。その中に、自分が大事にしてる考え方とか、こうやって生きていきたいだとか、今後やってみたいこと、これまでに検討してきた諸所の企画やイベントの種や結果がまとめられてる。そのファイルはいいフレーズを見つけたり意見交換を重ねたりしたときに日々更新されてってる。そうやってくことで自分の考え方を強化してってる、つもりです。
あと、それに加えたblogによるアウトプット。インプットよりもアウトプットの方が記憶に残るって実験データもあるし、文章としてまとめている際に大事だと思うことは何度も本を読み返す。それは振り返り、記憶の刷り込みっていう作業にもなっていて、そこだけでもただ読むことよりも、1冊の本を読んだ効果をより増大させるはずって考えてます。

まだまだ、「だからこれで間違いないんだ!」とは言えないけど、俺の学習スタイルとしてはだんだん確立されてきた感じ。日々トライ&エラーだけど、何年か後に自分がどうなってるか、楽しみです。その成長日記としてこのblogを読んでもらえたら、ありがたいなぁと思います。

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