2003年12月30日火曜日

年の瀬

ども、もう12月も終わっちゃうねぇ。
この前クリスマスだなんだと思ったらあっという間にもう年越しかよ。はえーもんだ。

1年の中に月が変わる瞬間てのは12回あっけど、この時期はほんと特別だよね。
新年を気持ちよく迎えるためにいろんなこと片付けて、家掃除して、年賀状書いて・・・あ、みんなもう年賀状書いた?さすがに書いてるよなぁ、この時期書いてなかったらもう間に合わないもんね。
まぁ、俺は1枚も書いてねーんすけど。毎年のことながらメールで済ますつもりっす。もうこれが定着しちゃったな。
なかにはちゃんと書いて送ってる人もいるってのに・・・。
でも、年賀状で送ろうと思っても住所知らないし、ひさびさに携帯の電話帳フル活用って感じで結構俺的には楽しかったりもすんだよね。「おぉ、あいつからもメール来てら」って。ふだん俺はそんなメールする方じゃないからさ、こーいうときにいっつも連絡取んない奴とメールできんのは大事だなぁ。

この一年を振り返ってみると、すっげぇ早かったけどそれなりに得るものもあったかな。
去年の俺から少しくらいは成長できてっかな、と思う。

就活で自分のこと見つめなおして、将来のこととかいろいろ考えられた。
旅行行って、日本の半分以上をまわる中で日本のことをもっと好きになった。
イベントやる度に、行く度に新しいつながりや経験ができた。

自分で言うのもなんだけど、この中大理工に入って4年間過ごせてよかったって思う。
先輩にも後輩にも恵まれて、もちろんタメにも恵まれたおかげですごく楽しい大学生活だった。もちろん入ったサークルでもそうだったし。特に、この代の電電で4年間を送れたっていうことがこの先の俺の人生でもすごく大きなウェイトを占めるんじゃないかって気がする。ほんとここに入ってなかったら出会わなかった人ばっかだし、そーいう人たちから得たもんがすごく大きいよ。
俺らは理系で、みんなが同じような業界に進んでく。そん中で自分の学科がこんな仲いいってのはこれから先きっと活きてくると思う。というか、俺はこれを活かしてなんかやってみたいと思ってる。

まぁ、そのためにはまずしっかり卒業しなきゃだね。中間発表も無事終わったことだし、これから1ヶ月でちゃんとした形にして、1月末にはちゃんと提出できるように勉強頑張りたいと思う。
卒業旅行に気持ちよく行くためにもね。

最近いろんなことぼーっと考えることがすごく多いんだ。
入ってくる情報量が多すぎて処理する能力が追いついてってないっつーかちゃんと一つ一つ考えてくことができなくなってきてる感じがする。
考えすぎがよくないってのはわかってっけど、自分の頭で考えたことがどこかにわざわざ記録しないでもちゃんと取っといておけたらいーのに、てすごく思いますわ。

まぁこれが師走の忙しさって奴なのかもね?
ではではみなさん、今年も俺の自己満サイトに1年間付き合ってくれてありがとう。よいお年を~。

2003年12月18日木曜日

幹事職

はろ、みなさん最近どうよ?
俺の方は、ちっとここんとこ体調崩してたけど、なんとか持ち直してきましたわ。
なんか風邪とかインフルエンザとか流行ってるみたいだからみんなも気をつけてなぁ~。
こたつで寝てっと風邪ひくぜ(俺のこと)。笑

さてさて、この時期は忘年会シーズン真っ盛りって感じだよね。
みんなもいろんなつながりで忘年会やってんじゃねーかって思う。
地元、高校、学科、会社、サークル・・・行く人は週5、6で行ったりしてんじゃん?笑
かくいう俺もなんだかんだでこの時期はいつもよりも飲んでます。好きだし、お酒☆

ただ、バカみたいにそればっかしなくなったり、少人数でまったり飲むコトが多くなったのは年をとったからかね?
自分的には、こーやって飲むとお酒味わえるしおいしく飲めるんで、やっと俺も飲み方わかってきたかなぁ~なんて。
ま、相手に合わせて無理せず楽しく飲めてるならそれでいいと思う。

そんなこんなでいろんな忘年会をやってくれてる幹事の人たち、おつかれさまです。
今回俺はどのつながりの飲みも幹事やってないんで、俺が飲めるのもみなさんのおかげ。ありがたい限りっす。

でも、幹事の役割について今日ちょっと話したんだけど、幹事やるのってどうなんだろ?
みんなの中にも幹事キャラっつーか、いっつも幹事やる人たちがいると思うけど、そーいう人たちの役割は得なのか?それとも損なのか?やんない人はやんないじゃん、絶対。逆に幹事をやる人は飲み会に幹事として参加することあり、一参加者として参加することありでどっちの立場にもなるよね?幹事じゃなきゃ飲み行かないって人はいないと思う。

俺は、ぶっちゃけた話損だと思う。
何度も幹事やってる俺がこういうのもなんだけど、やっぱ参加者で参加できるならそっちの方が絶対楽だし、楽しくお酒飲めると思うんだよ。
確かに幹事やれば役得もあるよ、自分の名前が参加者より売れたり、女の子の連絡先がどうどうと聞けちゃったり、好きな店&好きな料理&好きな酒が選べたり。あとは店によっちゃ幹事だけ無料にしてくれちゃう、なんてこともあったりするし。

でも、そんなメリットを差し引いても俺はデメリットの方がでかいんじゃないかって思う。
まずは当日までにやることとして、みんなの予定を聞いて日程決めて、店決めて値段交渉して下げてもらって、コロコロ変わる人数の確認を常にして店に連絡。人数が集まんないようならやめるのかそれでも決行すんのか決めて、決行すんなら1人1人地道に誘って、必要なら人間関係まで把握しなくちゃいけなくなる。んで、当日までにみんなのテンションが下がらないように(例え人数集まってなくても)盛り上がってる感を出して、うまく楽しみにしてもらわなくちゃなんない。それができないならドタキャンされる人数は覚悟しないといけないよね。
で、当日は当日で集合場所での人数把握、誘導、店との連携、お金の徴収、挨拶。会が始まればお酒や料理に常に気を配らなくちゃ文句が出てくるし、盛り上がってないテーブルを盛り上げに行くことも必要とされるべ。もちろん自分は幹事だから飲まされるし、それを断って場を盛り下げるわけにはいかないから飲まなきゃ。んっで店に金払って、最後は店から追い出して忘れ物&トイレ確認。死んでる奴とかいんなら介抱しないとだし。んで店の人にお礼言って外に出て外で締め。これでやっと1次会終了。2次会3次会もあるとなると・・・一番キツイのは予約する場合の人数の読みだろね。
まぁこれを全て1人でやる必要はなくて、こんだけある仕事をどううまく振るか、振った場合そいつは一参加者じゃなくなるわけで、その後のそいつのフォローまで考える。あともちろんその飲み会なりが終わったあとに駅まで送ったり、次の日メールしといたりってとこまでやる人はやってっかんね。本当に大変だよ。
そんで、他で幹事やってる奴はまだそーいうことの大変さがわかってっから動いてくれるしお願いもしやすいんだけど、参加者としてしか飲み会に参加したことない奴はマジでタチわりぃ。自分なんも動いてないくせに「酒まだぁ~?」「女の子はぁ~?」「2次会カラオケェ~?」「料理少な」「高い」「せま」「いつまで待たせんだよ」とか好き勝手言ってっかんね。しかも参加者としてのみでいろんなとこに参加して慣れてる奴は分かったようなフリしてさ。「じゃぁお前やれよ」って言うとなんも言えなくなっちゃうくせに。そーいう奴の扱いがほんと疲れるんだよねぇ~。

そんだけやって、みんなが喜んでくれるならそれでいいって幹事やってくれる人もいるんだから、世の中珍しい人もいたもんだ。

でも俺はそーいう人が幹事、てーかもっと大きく言うとみんなをまとめる人になるべきだと思う。役割的にはほんとなんでもありのパシリに近いけど、その大変なのをわかってながら喜んでできる人ってすげぇよ。
そーいう人がまとめる集団ってのは、やっぱまとまってんだろな。それがクラスだったり、サークルだったり、会社だったり・・・国もそうか。

俺は小泉総理に直で会ったことはない。
小泉総理は日本で一番偉い人かもしんないけど、それは俺らがその役割をやらしてるってだけで、俺らが総理として彼を雇ってるようなもんでしょ?
幹事が飲み会で一番下っ端なように、国をまとめなくちゃいけない小泉さんは国で一番下っ端なのかもしんないね。
飲み会の幹事の大変さと比べたら失礼なくらい大変だと思うけど、俺らはその小泉さんのやることにいちいち非難ばっかしてないで、少しはわかってあげて“んじゃ次はこうしなきゃだから俺はこう動いてあげよ”ってぇのもわるかねーんじゃねーの?なんて思った木曜日でした。

2003年12月15日月曜日

重力

どもぉ、最近はマメに書いてるきじっすこんばんちゃ。
てーか、寒くなってきたねぇ・・・雨のあとなんか特に寒さを感じる今日この頃だよ。

こうなってくるとこたつから出れねーし、外に買い出しに行くのも億劫になってきちゃう・・・。
ほんと自分から動くようにしないとな、誘われないと一人で街に出たりってのはめんどくさがる人なもんで。

・・・でも!そんな冬だからこそ味わえるもんっつったらやっぱ風呂っすよね♪
俺んちってば家賃5万のボロ屋のくせに風呂とトイレだけは別んなってっかんね~、まぁそれがここ住む決め手になったわけじゃないけど大きな“ウリ”なわけでして。
夏はさすがにシャワーで済ませちゃうけど、冬になっと浴槽にお湯はってゆっくりしてるわけっすよ。(*^o^*)
この前なんか、風呂入ってたらのぼせちゃって、気がつくと1時間半くらい入ってたし・・・。結構すぐのぼせちゃう方みたいで、普段は30分くらいで上がっちゃうコトが多いんだけどね。

あぁ、もちろん酒飲んだ日は危ないから入んないよ。
なんか気分良くなってっしめんどくせぇ、とかってのも理由の一つだけど、自分が風呂でのぼせやすいってのを知ってて、風呂入っと酒すぐまわるとかって言うし、危ないかなぁ、と。
やっぱねぇ~自分の面倒は自分でみないとだかんねぇ。

風呂上がったあとの夜の散歩とかも気持ちいいしね~、なんとなーくゆっくり歩いちゃったりして。笑
これから本格的に寒くなってくると思うんで、そーいう時期はそーいう時期なりの楽しみ方って奴をしてくつもりっす。

んで、そんな俺から風呂に関するマメ知識、紹介したいと思いまっす。

浴槽でゆっくりお湯につかるのが体にいいのはみんな知ってるよね?
じゃぁ、なんで体にいいのかってとこまで知ってる人っている?あんまいないっしょぉ~。

それって理由があるんだよねぇ~、浴槽に入ってゆったりすんのがなんであんなに気持ちいいのか?
それはねぇ、“重力から解放されっから”なんだ。

地上に比べて、水中の重力は6分の1になるんさ。普段そんなこと考えて生活なんかしないかもしんないけど、地上で生活してる人間には常に重力がかかってる。それを全身で支えてる。180cmの高さに頭を24時間365日維持するコトがどんだけ大変なことか。それに対して、風呂に入ってるときはその締め付けから解放されっから身体がすごくリラックスすんだよね。
んで、全身を流れてる血がつくられるのは背骨なんだけど、その背骨には身体を支えるって役目があっから、普段はその役目に忙しくて血をつくってる暇がない・・・だけど、風呂に入って身体を重力から支えなくてよくなると、血をつくるって役目に徹せるわけ。血行がよくなるって言われてる理由も、その辺からくるんだろうな。
寝るってことが大事にされてる理由も同じで、背骨を横にすることで重力から解放してあげるってのが狙いだったりすんだよねぇ~、じゃなきゃいつまで経っても背骨には負担がかかってることんなっちゃうわけだから。寝る子は育つ、とはよく言ったもんだぜ。

俺も昔やってたんだけど、短眠法っつって3時間4時間しか寝ない方が逆に頭が冴えて成績も上がるとかって考え方もあるよね。まぁ何やんのも個人の自由だし、そうやって結果出てる人もいるわけでそれを非難するつもりもないんだけど、今の俺から言わせるとそれって頭のことしか考えてないなぁ、なんて思っちゃうな。
頭も身体も60兆個の細胞全てが自分で、一つ一つのパーツはそれぞれ独立して動いてるわけじゃなくていろんなところで関係しながら一つの身体として動いてる。それがわかんないようじゃまだまだだね。

あぁ、こんな話もあったな。
なんで徳川家康は全然病気になんないであんな長生きできたのか?他の武将と何が違ってたのか?
その理由の一つとして考えられてるのが、家康は大の風呂好きだったってこと。他の武将は風呂にはあんま入んなかったらしいけど、家康はしょっちゅう風呂に入ってたらしいからね、それが健康法として成り立つことをもしか家康は知ってたのかもね?
それと、日本が世界に比べて長寿の国だっていうのももしかしたらその辺に関係してるのかもよ?欧米諸国の風呂って言えばシャワーのみ。日本の浴槽につかるって文化は独特のもんらしいかんね。ちなみに、沖縄にも浴槽につかるって文化はないらしいけど。まぁ、あそこは寒くないからねぇ、いらなかったのかもしんないな。日本じゃみんな風呂が大好きで、生まれたときから死ぬまでそうやって浴槽につかる文化を持ってる。日本が世界有数の火山地帯で、温泉がいっぱいあったのがそもそものラッキーだったんかもね?それが長寿の秘密だったりして。

まぁせっかく日本に生まれたんだからさ、風呂くらいゆっくりつかろっぜぃ。
あんま焦って生きんなって。笑

2003年12月14日日曜日

夢のような時間

やべぇぞこいつは。
ついに今日、生でLimp Bizkit見てきちった!

まじですっげぇ盛り上がったわ、My Generationで幕が降りて、そこから新旧織り交ぜてrollin'で締め。
最初から最後までトップギヤで飛ばしてくれた。俺もオール明けだったものの、なんの気兼ねもせず暴れられるライブは久々だったんで、頑張っちゃったもんね。ほんっと、どーやったら今日のこの感情を伝えられるんだかわかんねーけど、最高だったわ。あれ見れたんなら他のイベント我慢したかいあったってもんよ。
てか思い返せば、結構俺ライブ行く時って行く前からケガしてたもんな、海外っつーとTHE OFFSPRING以来なんだけど、そん時はカカトやってたし、この前のロッキンもブラフもその前に行った旅行んときの手首の負傷が完治してなかったし。いやぁ~、今日はなんもなくてよかったわ!まぁ帰ってきたら体中が痛いんすけどね。

まぁうまく伝えらんないんで俺のことはいいとして、今日はなんか知らんけどいろんなイベントが集中してたんだよね。

なんつっても今日はトヨタカップ!
結局結果は1-1でPKでボカだったらしいね。ACミランっつったらシェバ(ウクライナ)に始まりピッポ(イタリア)、ルイコスタ(ポルトガル)、カカ(ブラジル)、リバウド(ブラジル)、ピルロ、セードルフ(オランダ)、マルディーニ(イタリア)、ネスタ(イタリア)・・・簡単に思いつくまま名前挙げてもこんだけ出てくるんだもんなぁ、まじ世界選抜って感じだろ?しかもこのチームの会長はイタリアの首相だし、監督のアンチェロッティはもとここの選手。鹿島にいたレオナルドもここでプレーしてて今はアドバイザーだかなんだかやってっし。それに対してボカはアルゼンチンの選手ばっか。ブラジルとか他の国の選手も何人かいるけど基本アルゼンチン。テベスのことがすげぇ騒がれてたけど、ぶっちゃけ俺はテベスのことあんま知らねんだよね。マラドーナがいたとこ、あとは“俺たちのフィールド”ってサッカー漫画で主人公高杉和也がサッカー留学したとこ、とかそんなイメージかな。あぁ高原がいたとかリケルメがいたとかそーいうのは知ってるけど。ダレッサンドロもここ出身だっけ?サビオラも?
俺的にはACミランも好きだからどっちが勝っても良かったけど、ボカが勝って嬉しかったな。俺ウイイレなら使うチーム基本アルゼンチンだもん。あとはカメルーンか。アルゼンチン代表戦も見に行ったし、ずっと前からアルゼンチン応援してたかんねぇ~、これがブラジルのチームだったらACミラン間違いなく応援してたけど、今回はアルゼンチンのチームだったんでどっちも応援してますた。
あ~見に行きたかったなぁ。まぁしゃーないか。でもこれでACミランがトヨタカップ獲ってたらバロンドールは間違いなくマルディーニだったろうけど、また微妙になったかもね?ネドベドも有力候補だって言われてるもんねぇ~。シェバはウクライナで去年のW杯んとき日本にも韓国にも来れなくて、インタビューで家でゆっくりしてるって言ってたから、日本に来るのは初めてだったんかな?シェバが狙える世界一の座はこれしかないから、獲れたら嬉しかったろうけどなぁ~、まぁそんなときもあるさ、また日本に来てくれよ!シェバ!!!待ってんぜ!!!

2003年12月12日金曜日

知らないことは、失うこと

ちゃお、みなさんお元気ですか?
俺は・・・まぁ鼻の調子が悪かったり、足を痛めてたりするけど、なんとか元気に過ごしてます。

ただ、昨日の元気会イベント「中大の虎 弐」で、自分の知識って知財って観点から言ってあまりにも少ないなぁ・・・とちょっとショックでした。
そして、これからの自分はやっぱり残りの大学生活、自由に遊ぶことも大事だけど、時間のある今のうちに知識を得られるだけ得ておくことに重点を置くべきなのかなと思いました。

・・・俺は、去年この講演を聞いて思ったこと、感じたことをこの1年でどれだけ活かせてるんだろう?

ちょっとそんなこと振り返ったりしながら今日の講演で得た知識を俺なりの解釈・経験を踏まえて話したいと思う。
もちろん全部はムリだけど、やっぱ、自分の得たものは他の人と共有していかないと、この先自分一人の知識でなんとかなる時代じゃなくなると思うんでね。見ないフリ、聞こえないフリをしてても前に進めないし。ちょっとした知識、これさえ知ってればもっとちゃんとできたのにぃ~って後から思うのはもったいねぇじゃん。すごく損した気分になるっしょ?
てことで、もしこの文章を読んで付け加えたい点、そーじゃないでしょって思うとこ等あればどんどん掲示板に書いてって欲しいと思います。俺は、これを読んでどう思ったのか、どう感じたのか、いつも聞いてみたいと思ってるから。
そんで、みんながそんな自分が持ってる知識をみんなで共有できるようになれば、そーやって生きていけたら、すごく豊かな人生を送れる気がして。
ウェブ上で誰が見てるかわかんないから書くの恥ずかしいっていう人は別に書かなくてもいいっす。強制しようなんて思ってないし。まぁ、そんな按配で、よろしくっす。

まず、今日の講演は“中国の東大”と言われる清華大学の話から始まった。

清華大学って聞いたことある?中国の北京にあんだけど。俺は全然知らなくて、今年1月に北京に行ったときに聞いたのが最初だったんかな?「北京にはすげぇいろんな大学があって、北京大学、清華大学、師範大学・・・まぁボストンみたいな感じだよな。」とかって一緒に行った健二と言ってた(ちなみにこの健二、ボストンMIT留学んときのダチ。中国語ペラペラ。)。
んでこの清華大学ってのは中大理工学部のある文京区と同じくらいの広さなんだって。すげぇよね、一つの大学で東京23区の一つと同じ大きさって。そこがずーっと塀で囲ってあって、そこと外をつなぐ門ってのは3つか4つかしかないんだってさ。さすが万里の長城の中国、そのぐらいの塀つくるなんざわけないんね。
俺が中国に行って思ったのは、やっぱ下町みたいなとこはごちゃごちゃしてるんだけど、歴史のある建物(万里の長城や紫禁城、頤和園とか)はスケールが日本とまるっきり違うってこと。まじ、これでもかってくらいでかい。これって大陸だからってのもあるのかな?ボストン行ったときにもMITでもハーバードでもでかさに驚いたもんなぁ~(それでも、アメリカの大学ん中じゃでかい方じゃないらしいけどね。)。
で、清華大ってのは総合大学だからそんな広い敷地の中に2万人くらいの学生が住んでて、それぞれがいろんな専門について勉強してるんだそうな。まぁ一言で“勉強してる”っつっても、日本の大学生の勉強量とは全然ケタが違って、朝起きてから夜寝るまで、カリキュラムをこなすだけで毎日8時間くらいの自習が必要なんだとさ。俺からすっと「うへぇ~」て感じだけどねぇ。まじすげぇ勉強量だよね。こっちでそんな勉強してるのは受験生くらいのもんじゃないの?それがずっと続くなんて、考えたくもないけど実際にそれを清華の学生はやってるってんだからどんだけの学力が身につくのか想像するだけでもやばいよね。
んで日本の大学と違う点は、まず全寮制。大学の敷地内に寮があって、そこから通うんで余分な通学時間はなし。んでその寮は、中国人と外国人は別になってるらしいんだよね。これは特別扱いになるのかはちとわかんないけど。だから清華に行った日本人は寮も一緒だし固まることが多いんだとさ。んでその寮も8畳くらいの部屋に6人が共同生活ってのが結構普通らしい。俺なんて6畳の部屋に1人で住んでるってのに・・・。8畳に6人、しかも割り振られたところで変更はできないってんだから、そこ卒業する頃には相当タフになってるし、その同じ釜のメシを食った人たちの結束ってのはめちゃめちゃ固いんだってさ。「俺らに子供ができたらその子同士結婚させよう」とか。笑。
教育制度にも違う点が結構あって、試験主義、暗記ってのはやっぱり中国でもあるんだそうだけど、日本って“弱点をなくそう”って教育が重点置かれてるじゃん?数字がダメだから文系に行くって人もいるけど、文系理系に分かれない高校まではどの教科もできる生徒が優秀で、理科は得意でも国語が苦手って奴はそれだけじゃダメじゃん。国語が苦手だからやんねーとって。どの教科もまんべんなくできる人材を育てたいならそれはそれでありだと思うんよ。でも、中国は違うんだよね。そいつの持ってる優れた部分をどんどん伸ばす方向で教育されるんだって。だからその教科だけ飛び級ってのも珍しくないらしいよ。中には飛び級じゃ間に合わないような天才向けの“天才制度”ってのもあって、これはもう他の生徒たちからは隔離だと。でもこの天才制度はやっぱ教育にかたよって人間関係とかを学べなくなるから、最近はあんまり使われなくなってきてるらしい。でも、そーやってそいつの持ってるすごい所をどんどん伸ばしていく、そんで1人1人が朝から晩まで必死で勉強してるんだろ?ほんと末恐ろしいっつーかなんつーか・・・。そんな奴らと戦って勝てるわけねーじゃんか。
それに、世界一の人口を持つ中国は母体数も違うからね、ざっと考えて人口が日本の10倍いんだから天才の数も10倍、しかもそいつらはそんな厳しい教育制度の中やってきてる。それに比べて俺らはのほほんと、“ここまでできればいいよ”的な教育しか受けてない。

この事実だけでも、これからの世の中がどーなってくかがわかるよね。実際、世界で一番留学生が多いのは中国で、世界各地に学生を送り込んでるし(世界の留学生の4分の1は中国人)、シリコンバレーにあるほとんどのIT企業の副社長は中国人だしね。

じゃぁ、なんで中国人はそんなに勉強するのか?これは、南米のサッカー事情と同じかも知れないね。“ハングリー精神”って奴。南米では自分の国が重きを置いているサッカーで成功して、早く親に楽させてあげたいって考えの下みんな必死になってサッカーをしてる。それが、中国の場合は昔から“科挙”っつってその試験に合格すれば一生安泰、みたいな試験があった。いわば、世界一長い歴史を誇る学歴社会を持つ国。だから、一生懸命勉強する風土が国全体に広がってるし、国民13億人の中の8億人くらいは農村育ちであって、やっぱり早く親に楽をさせたいからこそ勉強をする。てーか、大学生が必死に勉強するのは当たり前でしょ、くらいの勢いらしいね。いやぁ~、俺ってダメだね。なんか自分が恥ずかしくなるよ。

んーじゃ、そんな情勢の中俺らはどうしていくべきだと思う?
俺は、ぶっちゃけやっても敵わないならそいつを上手く使って俺は違うところで頑張ればいいと思う。そーいうスタンスで生きてきたんでね、そのままなんだけど(変わってねーじゃんw)。俺がいまさらガムシャラに勉強したって同じ世代で同じようにそっちで勉強してきた奴には追いつけないだろうし、同じ土俵に上がる必要はないべ。これは俺が感じることなんだけど、アメリカ人も漢民族もさ、自分が一番的なとこがあんじゃん。他の奴らをあんま認めようとしないっつーか。それだけ固執するから強いのかもしんないし、それはそれでいいと思うんだけど、なんとなくガキっぽくない?んで、日本人てのはそれとはちっと違うよね。手先は器用だってのは認めるとして、弱ぇ。体格的にも性格的にも。力で手に入れようと思ったら確実につぶれるのはこっちでしょ。んで、言い争っても向こうの言い分聞いちゃうし、言いたいことをはっきり言わない。言葉の裏にいろんな思いやメッセージを乗せるんだよね。だから争いごとには向かないなぁ、と。
なんつーか、俺はそんな日本人が好きなんだけど、やっぱ日本人って平和な民族なんだなぁと思う。陽気、とは言えない、どっちかっつーとちっと暗いよね。ねちねちしたとこあるし。それでも争いを好まないからこそそーいうまわりくどい言い方をするわけだし、自分が一番だと思ってないからこそ他の人の考え方や文化を割りとすんなり受け入れられる。
そーいう強みを活かして、無理に相手と張り合うことなく相手のすごいところは素直に評価して、吸収すりゃいいし、俺らの強みである応用力とかっていうところを伸ばしてきゃいーんじゃないかな。個人的には、今は日本人って海外行くと金持ちってイメージしかないみたいだけど、そこに住み込めば誰とでも仲良くなれるような良さがあると思うんで、どんどん外に出て行くようになったらおもしろいかな、と思う。そーいう才能は中国人よりもあんじゃん?なんて。

まぁとりあえず、世界には俺らとタメでもそーいう大学生もいるってことを認識することからだよね。
題名にもしたけど、先に知ってればそれなりの対処はできるし、動き出すこともできる。でも、知らなきゃそれがどんなに価値のあることでも知らない限り価値はゼロ。ダイヤの原石をダイヤの原石と認識できるか、ただの石としてしか見れないのかってのは俺はすごく重要だと思う。
そんで、それを知るのが若ければ若いほど、早ければ早いほど、いいと思う。
講演者の2人もそう思ったからこそ、俺らにこーいう話をしてくれたんだろうからね。俺らと同じ年の頃、これを教えてくれる人がいればもっとおもしろくできたのに・・・てさ。

これからもどんどんいろんな知識を吸収して、自分の“知財”増やしていかねーとな。

2003年12月4日木曜日

世代、交代

今年のJリーグも終わって、あとは天皇杯を目指すのみ。

この時期、どこのチームでもそうだけど、リストラの嵐が吹き荒れてんね。
まずは降格した京都サンガ(黒部とかは移籍すんだろな)とベガルタ仙台(小村、森保はじめ9選手だっけ)。

J1に残留したチームも、優勝したマリノスはまだ聞いてないけどアントラーズは秋田、相馬に戦力外。磐田も監督辞任。ジェフは中西戦力外。ヴィッセルは三浦泰。ガンバのアルセも退団だっつーし、レッズはオフト監督が辞めてブッフバルト監督就任&エンゲルスがヘッドコーチとか言われてっし。

来年はすっげぇ世代交代されたチーム同士が対戦してくことんなんだろね。
もう全然違うチームになってたり、選手の大半が入れ替わるチームが出てきたり。
それが楽しみでもあり・・・Jリーグ元年から(よりも前から)見てた1サッカーファンとしては少し寂しくもあるかな。

自分達と同年代の奴らが試合に出てればそれはそれで“自分も頑張んなきゃ”とか思うけど、それよりもずっと見てきた選手がまだ現役でやってるってのを見る方が俺としては元気もらえてたかんね。

浦和ゴールデンエイジとかさ、最近試合に出始めてんじゃん。んでそーいう人たちが頑張って、今年のナビスコはレッズが優勝。
これって世代交代のすごく顕著な例じゃない?
去年のナビスコもレッズvsアントラーズだった。んでそのときのレッズにはまだ井原と福田がいた。試合の結果はみんなも知っての通り、アントラーズ優勝。
今年のナビスコは同じカードでも去年の井原、福田はいなかったけど、レッズの完勝。

去年のレッズフロント陣が、“もっと強くなるために”、“この先のレッズを考えて”チームを世代交代させたのがすごく上手くいったんだと思う。

でも、俺はアントラーズのファンとして、秋田と相馬の解雇ってのは残念だった。特に秋田の解雇はね。

中学時代から、俺が一番好きな選手が秋田だったから。
思えばJリーグチップスが発売されて一番初めに出たカードが秋田だった。
アントラーズユースにダチがいたこともあってJリーグ元年からアントラーズの応援をしてた。
はじめはスタメンじゃなくて大野とかとポジションを争ってたけど、持ち前の闘志を前面に出したプレーに惹かれて、すぐファンになった。
アルシンドやサントス、ジーコ、ジョルジーニョ、レオナルド、ビスマルク、アウグスト、ファビアーノ、エウベル、フェルナンド、ベベットが来たこともあったな。

その間ずっとアントラーズを見続けていた秋田。

まだ1枚目のカードのときは結婚してなかったんじゃないかな、2枚目か3枚目のカードが出たときにそんなことが書いてあったような気がする。
中学時代、“好きな選手は?”ってダチといろいろ言い合ってたとき、俺が「秋田」っつっても誰も知らない、知ってても名前ぐらいだった。
それがだいぶ認知度も高まって、日本代表にまで選ばれるようになってくれて、あんときはすげぇ嬉しかった。
いつでも謙虚だけど、すごくファンを大事にしてくれてるってのが伝わってきてた。
W杯んとき、トルシエはずっと代表に召集してなかった秋田を代表に召集した。
結局試合には出なかったけど、それでも俺は選ばれてよかったなって思った。
そんときの背番号は、「2」。一番売れてないとか言われたけど、そんなんはどーでもよかった。

相馬にだって、俺は個人としてすごく思い入れがある。
だからヴェルディに行ったときもヴェルディはあんま好きじゃないけど、相馬だけはずっと応援してた。
日本代表の左サイドと言ったら今でもアレックスじゃなくて(都並でもなくて)相馬の名前が出てくるし、俺が昔ホテルで働いてた頃、そのホテルにサッカー日本代表が泊まったり。
んで、相馬が使ってた部屋に置いてあったパソコンの本持って帰ったり。

サッカーだって慈善事業ではできないし、ビジネスなんだからどっかで世代交代をしなくちゃいけないってのはわかってるけど、秋田が言ってたようにポジションを実力で奪い取れる奴らが出てきてからじゃ遅かったのかって思った。
んで、これからのアントラーズがどうなるかちゃんと見てこう、と。

もしできるなら、ナビスコの決勝をもう1年同じカードで、今度は世代交代に成功したアントラーズとレッズでやって欲しいかなぁ。
結果がどうあれ、ね。

そして、秋田と相馬にも違うチームでもいいからまだまだ現役で頑張って欲しいっす。

2003年12月3日水曜日

神様になれたら・・・

「もし一週間だけ神様になれるとしたら、君は何をしたい?」

ちっとこの質問をみんなに聞いてみたいね。

俺は結構考えちったなぁ、欲しいものは金も車も家も女も地位も名誉もスキルもなんでも全部手に入れて、自分の人生を簡単にすることはできるけど、そしたらそしたでつまんないと思っちゃうだろうと思って。
できなかったことをあれこれ苦労したり悩んだりして、その先の夢や理想を思い描きながらやってくのが楽しいんだもんなぁ。
できることやってもつまんないっしょ。

あ、ドラゴンボールつくるくらいはしてみたいカモ。笑

でも、多分飽きるまで、それがどういうことかわかるまではやっぱわがままに生きるかな。口ではなんだかんだ言いながら。
だって今は後先考えないで動けないってのがあるもん、バイトとか仕事してないしみんなよりはそーいう制約は少ないと思うけど少なからずはね。

自分がこう動いたらどうなるかとか、こうなるためにはこうしなきゃ、こう言ったら相手はどう思うだろうなとか、やっぱみんないろいろ考えてるべ。

だからその制約がなくなったら、俺は自由になった自分を止めらんなくなりそうな気がする。

・・・すっげぇ嫌な奴になりそうでやだな。俺に逆らう奴はくたばれ、みたいな。
自己中心的で欲張りで自己顕示欲が強くて偉そうで・・・そのくせその神の力取ったら一人じゃなんもできないような。仲間一人つくれないような。

んで一通り自分の欲を満たしてから、次はダチかなぁ。
まぁ一生自分一人、いや自分の周りの幸せまでは確保できるとは思う。

他の全世界に生きてる人たちまで幸せにってのは、わりぃけど俺にはムリ。ムリは、承知?いやムリ。
そんな人たちのことまで面倒見て過ごそうとは思わないし、思えないな。
まぁ、そんな俺だから神様は俺を神にしなかったんだろうけどね。笑

争いの起こらない世界にしたい、とか、みんなが健康な生活を送れるような毎日を、とか、もっと世のため人のためになることを言おうと思えばいくらでも言えちゃうけど、本気でそんなこと言える人がいるとしたら、やっぱそいつが神になるべきなんだろな。

俺は俺なりに俺らしく、今の生活と、そしてこんな俺でも相手をしてくれるダチを大事に生きますよっと。
別に俺神じゃなくてもいーし。

んで、このダチらと同じ時代を生きれることをラッキーだと思って、1歩1歩暮らしていきたいっすね。
なんせ、江戸時代の将軍がどんなに望んだってできなかったことなんだからよ☆

2003年11月30日日曜日

ガソリン切れた・・・

はぁ~、今日はほんっと疲れたわぁ。
なんかひさびさにこんな体力使ったなって感じ。

普段の生活で昼夜完全に逆転してっから寝たの朝5時で、7時に起きて9時に多摩校舎集合。
どしゃ降りの雨ん中みんな遅れてくんだろなって思ってたら予想通りの展開で10時過ぎにスタート。

この時点で俺はこの駅伝を中止にすんのも英断だなって感じてはいたんだけど、章さんがあとには引けない感じで絶対やるって言ってたんで、正直眠いしめんどかったけどついてった。
なにか起きてからじゃ遅いんだけどねぇ~・・・。ま、責任者俺じゃねぇしってことで。俺が責任者なら迷わず中止してただろうな。

雨ん中の運転、しかも走ってる人を気にしながらちょこちょこ止まったり連絡取り合って。
天気が雨の土曜ってこともあって車の数がすごく多かったし、ただの参加者とかはあーでもないこーでもないってやっぱいろいろ言うからよっぽど段取りを練ってないとちと厳しいっしょ。

まぁそんな心配をよそにみんな結構余裕で走ってたけどね。俺も含め。
俺は6区、味の素スタジアムから調布の駅までを走った。
ちょうど今日ここでJリーグ最終戦、ヴェルディのホームゲームが行われてたんで人がめっちゃいる中、タスキかけて味の素持って(笑)走ってたさ。軽く罰ゲームだった。あ~はずかったよ。

んっでタスキを渡して、俺の出番は終了。
その後は走ってる奴を応援しながら、今日初めて会ったカマ、ヤマちゃんなんかと話したりしてた。
3年生だったんだけど、やっぱこの時期の3年生は就活にとっても興味がおありのようで。ww

んでしばらくして一段落したとこで俺は抜けて、一路神谷町へ。
就職イベントの方に顔出しに行って来た。結構体力的にふらふらだったんだけどねぇ~。電車ん中で寝ちゃって降りはぐったし。(^^;

で、就職イベント自体には直接参加してないけど裏の方で動いてた。
それでもすごく勉強になったわ~、やっぱ来たかいあったなって感じだった。
アンケートの結果が書き方次第で左右できることとか、公認会計士の仕事のこととか、あとはタイやオーストラリアのこと聞いたり上司のこと聞いたり、3年生の相談に個人的にのったり。まぁそんな感じかね。
俺が呼んだ今年就活する奴らもちゃんと参加してるみたいだったし。
人数の制限を設けてたからドタキャンはなるたけ避けたかったからね、その意味ではちゃんと来てくれててよかったよ。
得るものもあったみたいだったしね。

んでその会が終了して、懇親会に移るときに俺はさすがにフラフラだったんで抜けさせてもらって帰ってきた。
みなさんおつかれっしたぁ~☆今日はゆっくり休んでくれぃ。俺も休ませてもらいますわ。

ま、そんなこんなで充実した1日になりました、とさ。(^_^)/~~バイバーイ!

2003年11月29日土曜日

いよいよ今日

はろ。
なんか明日は雨らしいね、せっかく俺が参加してるイベントが2コもあるってのに・・・
ったく、巡り合わせわりぃなぁ。誰よ雨男は?

あ、Friendsも今日は活動日みたいやね。
スポーツ最近参加してないけど、みんな楽しんでおくれぇ~。
雨だとサイゼ行くことんなっかもね。マスミの話じゃ中大の下の方にあるサイゼでユースケ働いてるらしいじゃん?
これまで何度も鉢合わせてんだろうなぁ・・・俺が行かないからどぉせ誰もわかりゃしねんだけどさ。

ま、\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ

せっかくだからこの2つの企画についてちょろっと紹介がてらお話しとこーかね。

まずは、元気会&Breakers共催のChuo Cross Ekiden。

これは、中大の後楽園校舎と多摩校舎を駅伝してつなげて、それを通してお互いの交流もしようよ!って企画なんだけど・・・聞いた感じどうよ?
普通のサークルとかじゃやんないと思うし、結構俺的にはおもしろいなって感じたんだけど。

これね、すっげぇ昔に中大にいた先輩に聞いた話なんだけど、もともとかつての中大にはお互いの校舎を結ぶナイトハイクがあったんだって。
どっかのサークルが学祭企画かなんかで始めたらしくて、1年目はすごく小さくやってたんだけど(このときはお互いの校舎を結ぶものじゃなくて、途中にあるチェックポイントくらいまで歩いて終わりだったんだってさ)、2年目3年目になるにつれて何千人て参加するイベントに一気に膨れ上がったらしい。
なんで今ないかっつーと、なんか規模がでかくなりすぎて苦情が来たとか、(▼▼メ)な感じの人に文句言われたとか・・・ま、そんな感じでなくなっちゃってんだって。交通量が増えたってのも一つの原因みたいね。

んで、それをあわよくば復活させようってのが今回の俺らの企画なんだな。
今年は雨だしもしかしたら全然盛り上がんないかもしんないけど(俺はHPの管理だけであんま運営の方手伝ってないんで内情知らないんさ。)、それは昔の奴らと一緒。逆に伝説を復活させんなら今回はそこまで大掛かりんなんなくてもいいんじゃないか、とまで俺は思ってる。(運営してる人、読んで気ぃわるくしないでね。(^^; )

もちろん、俺は来年中大にいないけど、そんな伝説の始まりになる企画に参加するのはすごく楽しみだし、ぜひとも成功させたいとこ。
中大陸上部の監督で、よく箱根駅伝とかでもテレビに出て来る木下監督も陰ながら応援してくれてるし、他にもたくさんの中大関係者が興味を持ってくれてるらしい。
そーいうのは嬉しい限りだね。

さてさてどーなることやら。

んで、お次はPlumberが中心になってる第6回就職座談会。

これは3年生もしくはM1の今年就活をする人向けに、俺ら就活を終えた人間がなんかしてやろうよって感じでやってるもんなんだ。
ま、ここだけの話この企画の代表の小川君は院進学を選んだんで来年就活するんだけどね。

いろんな業界の社会人・内定者を集めて、これから就活する人が現時点での自分の志望業界の話を聞いたり、他の業界の話を聞いて新たな発見をしたり、就活についてとかこれからの動き方、対策について知識を得たり、自分と社会人の考え方の違いだとか意識の違いを感じてもらったり、そんな場をつくることによって、いろんなことを得て欲しいなぁと。

もちろん俺らの方もこーいう会をやることによって自分とまったく関係ない業界の人と交流することもできるし、これからの人たちを見て初心を思い出したり忘れていた感覚とか、新たな発見ができるだろうことを期待してやってんだけどね。

俺も去年はこの座談会(去年は勉強会って名前だったような・・・)に参加して、やっぱりすごく得ることが大きかったんだよね。
この話をくれた大志さんには今でもありがたかったって思ってっし。
だから自分と近い関係にある3年生には声をかけさせてもらったし、てーかそもそも自分のかわいがってるそーいう奴らにこそ、俺じゃなきゃ与えらんないことをしてやりたいと思ってこーいう企画をやることにしたってのもあんだよな。
ま、もともとこーいうのやんのは嫌いじゃないしね。まるっきりボランティアだけど。
一緒にやろうよって声かけてくれた笠崎さんにはこの場を借りてお礼をさせてもらいます。ありがとうっす。

てーことで、明日はなかなか大変な1日になりそうだけど、いろんな人が少しでも得るもの得てくれっとうれしーっすね。

ま、そんな感じで明日会う人はよろしく頼むわぁ、僕意外とシャイボーイなんで(笑)。

2003年11月28日金曜日

男ならよ

おっす、もう11月も終わりだねぇ~、学祭に始まった今月も振り返りゃあっという間だったな。
ま、でも少しずつ自分としての成長を感じれてるからよしとしますかね。

あんね、今週号のマガジンに、俺すげぇ気に入ったセリフがあった。
「男が“夢”取り上げられてもうたら一生なにして暮らすねん、生まれたイミないわ」

俺は今自分の叶えたい夢って奴を持ってて、そいつを叶えるために生きてる。
それがすごく、楽しくてさ。

夢の内容は言わないけど、これ読んでくれてる人たちはみんな俺の夢に関係してる、とだけは言っとこうかね。笑

やっぱ俺ぁ男だから。
男ならよ、夢追っかけて生きたいっしょ。
「見果てることなく夢はでかく!」だろ。

・・・高校くらいかな、自分はこうしたいとかこうなりたい、どう生きてどう死にたいって考えるようになったのって。
hideのこと、竹之内のことがあって、やっぱその時期すごくいろんなことを考えた気がする。

んで自分には何が足りなくて、それはどーすりゃ手に入れられてとか考えて・・・人とのコミュニケーション力とかも俺は後付けだよ。
もともと、人と話すのなんか苦手だったんだ。気ぃつかうし、伝えるのめんどーだし・・・てね。
初対面だと、“俺からは絶対話しかけねぇ”なんて変な意地張ってたり。笑
こわいってのもあったと思う。

中学時代、俺はガッコの授業&部活と家の往復しかしてなかった。
出不精で、ダチだってそんな多い方じゃなかった。自分の部活とクラスの人以外は知らない、みたいなさ。
んで、夢なんて持ってなくて、てーかなんも考えてなくて、なんでも「行かされてる」「やらされてる」、今思うといわゆる指示待ち族って奴だったんじゃん?「言われたことはできるけど言われたことしかできない」ってそーいや親にも言われてたような・・・。
遊ぶってときもダチに合わせて、サッカーしたり釣りしたり。
そんなんだったからやっぱ思い出ってのもそこまでたくさんはないんだわ。
すっげぇ楽しかった瞬間の記憶は思い出せても、それがうまくつながんないというか、3年間とびとびでちょこちょこある感じ。

んでやっぱ高校時代の一件(詳しくは一番初めのKiji's mail参照)があって・・・そこから、自分でも変化をすごく感じるようになった。
んで、どっかに旅行に行ったり、ライブに行ったり、新たにダチができたり、勉強もそうだったんかもな。
なにか一つする度に自分に自信がついたり経験値があがったり。
それを実感できなかった頃とできるようになってからじゃ見えてる世界が随分と違った。

んで見える世界が広く、でかくなればなるほどこれからの自分の伸びしろが感じられる気がして、“もっと上へ”っていう欲が出てきて・・・飛べるとこまで飛んでみたいっつー表現はおかしいんかもしんないけどさ。そんな感じ。

俺がしてることはお金に換算できないこと(てーかマイナスなこと)ばっか(このHPも、凪もFriendsも、学科他もろもろのML管理&飲み開催も、元気会もBreakersもPlumberも、旅行も勉強も飲みも音楽もバスケもサッカーも一人暮らしも)かもしんないけど、バイトしてる方が買いたいもん買えるし自分の生活は豊かになんのかもしんないけど、俺はもうちっとこのまま続けたいかな、この先が見てみたい。

他の人から見たら、「バイトもしないで自分の時間無駄にして、なーにやってんだか。やれやれだぜ┐(´∇`)┌」って映るのかもしんないけど、そんな目を気にして他の人と同じことをしてても俺自身こうは楽しく生きれないんだろうなって思ってっから、自分のやってること、やってきたことに後悔はないっすね。

何年先になるかわかんないけど、今自分のしてることに必ず意味を持たせられると思ってっから。
そんときまで、願わくば俺と君との関係が続いてっといーよね☆
これからもよろしく頼んまっせぇ。

2003年11月19日水曜日

生涯悪友

ヘイバッドボーイズ、調子はどうよ?笑

なぁんか今日はすっげぇ楽しい1日だったわ~。
今もう日付変わって2時だけど、まだ余韻に浸ってる感じだよ。

やばいっす、こいつは。
欲を言えば、もっと近くであのセクシーなねーちゃん達見たかったかなってくらいで。笑

・・・わりぃ、余韻に浸りすぎててボーっとしてるわ。今日はこれ以上書けないっす。..._〆(゚▽゚*)

2003年11月14日金曜日

精霊流し

今日はいい天気だったっすねぇ~、こーいう日の洗濯は気持ちいいや(俺んち日当たりないけど)。

んで今日ね、「精霊流し」の試写会に行って来た。
あのさだまさしの有名な曲もある、亡くなった人を弔うために船作って流す長崎の伝統行事をテーマにした作品だったんだけど、すっげぇ~良かったよ!
ぜひともみんなに見て欲しいと思った。

俺は個人的に、親近感感じたなぁ~。
だからかもしんないけど、ひさびさに泣いちった。

親父の出身が長崎で親類が結構長崎に住んでたり、俺も今年長崎は2回行ってっからそんとき行ったとこが映画に出てたり(オランダ坂や東山手洋風住宅群、眼鏡橋とか・・・)、そーいうのあっとこの映画を他人だと思えないっつーか・・・まぁそんな感じでちと自分と重ねて見たりしてた。

んで、この映画見て思ったのは、“俺も親が生きてるうちに孝行してあげたいな”、“もっと感謝して生きないとな”ってこと。

今の俺は自分のことだけ考えて生きてんなって感じた。
酒飲んで、旅行行って、サッカーやって・・・好きなことしてばっか。
俺の親だって自分のしたいことがあっただろうに、今は俺とか俺の下に続く弟、妹のために自分のしたいこと我慢して一生懸命働いたりメシつくってくれたり、俺らのことをなんも言わないで支えてくれてたって事実。
それに対して俺はなんて配慮のないこと言ったりしてたんだろ、て。

俺がこんなこと親に言ったって「親として当たり前」とかって一蹴されっかもしんない。
けど、それができない親だって世の中にはたくさんいるんだし、子供にとって一番大事なことがなんなのか、それを大事にしてくれていたからこそ今の俺があるんだよね。
他のみんながどういう環境にいるんだかわかんないけど、俺はそう思ったんだ。
そこをはき違えて、「俺はあんたの子供なんだからメシ食わしてもらうのが当たり前だ」「俺のやることにいちいち口出すな」なんて言語道断だし、そーいう奴はマジ身の程知らずもいいとこだよね。
今までも、一人暮らし始めてから親のありがたみが身に染みてわかったなと思ってたけど、感謝しながらも自分にとってのメリットしか考えてなくて、気づくべきとこに今更気づくなんて・・・てまだまだ未熟者だなって感じた。
自分の恵まれた環境に感謝したいと思った。

親の心子知らず。
20年以上も生きてきて、今まで一度も考えもしなかったんだもんなぁ。
でも、親がいなくなっちゃう前に気づけて良かった、とも思った。

これからは、俺が親の夢ややりたかったことを代行することはできないけど、親に感謝しつつ、自分のしたいことをどんどんやってこうと思った。
それが親の楽しみになるかな、て思うんで。酒もどんどん飲んでやろうと思った。笑

んで、もう少し顔見せに実家に帰ろっかな。

2003年11月12日水曜日

健康的な生活を。

おっす、今日も寒いね。{{ (>_<) }}
体調管理気をつけなよぉ~、こーいう時期って風邪ひきやすいみたいだから。←すげー他人ごと。笑
俺もさすがに外出るのに2枚じゃさみぃなぁ、と感じる今日この頃ですわ。

てーことで、今日は健康志向でいきたいと思いまっす。

ちょっとここんとこ、読書したりしてた。
本の題名は「健康は『呼吸』で決まる~口呼吸が病気をつくり鼻呼吸が病気を治す~」って本。西原克成著。
知ってる知識ばっかかなと思ったけど、親父に薦められたんで読んでみた。
で、読み終わっての感想。これは読める人は是非読んで欲しいと思う。すごくためになる本だから。

特に、これから子育てをする女の子には絶対だね。
なんで子供がアレルギーんなっちゃうのかとか、赤ちゃんを窒息死させないためにはどーすりゃいいのかとか、進化の過程と人類の構造を踏まえながらすごくわかりやすく書いてあるんで、お暇な方は読んでおくれ。
自分のためと、赤ちゃんのためにね。
多分これ読んだら育児競争とかバカらしく思えてくると思うよぉ。

あとは調子のわるくなりやすい人たちかね。
「なんで俺だけいっつも風邪引くんだろ?きじの方が明らかに不摂生なのに・・・」なんて思ってる人もいるべ。笑

でも、違うんだなぁ~。
俺は確かに食ったり食わなかったり、オールもしょっちゅうしてたり、酒だって大学生ん中じゃ飲んでる方だと思う。
でもここに書いてあることは何年も前から多少知ってることで、自分の免疫力を高めるにはどうしたらいいか、自分の体調を維持するには何をすればいいのかわかってんのさ。
だからってわけじゃないけど、俺はタバコもやんないし、マリファナもやんない(当たり前か)。笑
俺のことよく知ってる何人かには話したことあるべ?
みんなと楽しもう!ってときに風邪とか引いてんのもったいないじゃん。頭痛いっつって外に出れない時間もさ。
なら、風邪を引かないようにするにはどうするべきなのか、ちゃんと考えるべきだよね?

みんながなんのために生きてんのかわかんないけど、やっぱ健康あってこそっしょ。
健康じゃねーとなんもできねんだから。

・・・うん、たまには読書もいいもんだわ。

2003年11月10日月曜日

初選挙

どーも、おひさしぶりっす。
書こう書こうと思いつつ、筆不精だなぁ、と確認する俺がいたりして。

昨日選挙行って来たよ。俺の人生で初!
あんたもう22だろ!この2年間選挙行ってなかったんかYO!って言う人もいっかもしんないけど、興味ねーし。

住民票も実家のままだから、実家帰んねーと投票できなかったんよね。
結構そーいう大学生って多いと思う。

だから、初めてだったんだわ。いやぁ~微妙に緊張してったのに、簡単すぎて拍子抜けだったね。
名前書いて箱に入れるだけじゃん。
なんかお菓子とかついてくんのかと思ってた。笑

政策とかをしっかり読んでないし、今政治がどうやって行われてんのか、問題点はどこなのかとか全然わかんないまま投票したけど、なんとなく政治が身近に感じられたよ。
今まではほんと対岸の火事っつーかなんつーか・・・どーでもいーじゃん的な見方だったかんね。

でも身近に感じて思ったのが、「政治家って難しいなぁ」と。

俺さ、総理大臣になってみたい(なれるなれないは別として)んだけど、なる方法をちっと考えてみた。

今までは漠然と「選挙で選ばれればなれんじゃねーの?」って思ってたんだけど、総理大臣って一番多い議席を持ってる党の中から出んだってね。その党ん中でまた選挙して。
てーことは、でっかい党に入んなきゃ総理大臣にはなれなくて、んで党に入ってる限りその党の考えを尊重して動かなきゃいけないんだべ?党の考えと違うことしたら外されちゃうんでしょ?
そしたら自分の思ったこと言えない総理大臣になっちゃうじゃん。

えらくなんないと思ってること言えないって構図んなるよね。
自分がえらくなるためにはえらい人にへこへこしたりして気に入られないとダメだし、そうなると自分にもっと日本良くする考えがあっても他の考えに従わなくちゃなんない。

一族が強いってのもなんとなく納得できた。コネとか自分でつくんなくても持ってんだからね。
なんか平氏とか藤原氏とかじゃねーけど、今の日本も昔の日本もやってること変わんねーんじゃん?とかって思った。

ま、この選挙の結果これからがどうなっかわかんないけど、自分のことばっか考えてないでくれよ、当選した人たち。
よろ。

んっで、話変わるけど、選挙に行ったのがさ、自分の通ってた小学校なんだ。
すげぇ廃れちゃってんなぁもう。やっぱ少子化の影響なんかね。

俺が通ってた当時は1学年に6クラスあったってのに今は1クラスんなってんだって。
なんか6年間も同じクラスで過ごすのかぁ~って思うとちっとかわいそうだね。
クラス変えの楽しみとかも味わえないんでしょ?隣のクラスと対抗でなんかやるとかってのもないし。

グランドも雑草が生えまくっちゃってて、なんか一面緑んなってた。
もう草むしりとかもしないんだろね・・・俺らのいた頃はみんなグランド走り回ってたから草が出る暇なんかなかったってのに。

なんかこのままなくなっちゃうんかなって思うともったいない気もした。

体育館ん中は変わってなかったけどね。
もちろん、すっげぇちっちゃいよ。大学のバスケ大会したばっかだしリングがすげぇ低く感じた。

中学んときさぁ~、部活ないときとかよく仲間集めてこの体育館来てバスケしたもんなぁ。
小学校んときは届かなかったリングに届くようになって、てーかダンクできるようになってて。
中学のリングじゃできねぇからこっち来てダンクしまくり。笑

ママさんバレーやってる隣でママさんの連れてきたちびっ子とか、小学校でバスケしてる奴らとかと一緒んなって遊んでたんだよね。
あんときは投票がある度に体育館が使えなくなってすっげぇ迷惑してた。笑
「また投票かよ。」「ちゃんと元に戻すんだから使わせてくれたっていいじゃんかよ。」「まぁいいべ、サッカーしよっか。」とかってね。

今はそういう迷惑してるちびっ子っていんのかなぁ。
わりぃなぁ、投票もお前らの将来に結構大事みたいだぜ?

っとまぁ、そんな感じでいろいろ考えることの多かった初投票でした。チャンチャン♪

2003年10月21日火曜日

晴れて自由の身

やーっと終わったぜ、基本情報処理技術者試験。

俺SEとして就職すっからさ、やっぱこの資格は必要なもんらしくて。
資格持ってる人と持ってない人比べてどっちが信頼できるか?って考えりゃ必要な理由はわかるよね。

んなわけで、この資格を取るために夏休みからTACに閉じ込められたりして勉強してたんすよ。
まぁ、今回の試験は“取れたら”でよかったらしいんだけど。

俺らだって卒研とかいろいろあるしねぇ~。それにまだ入社してねーんだしさ。
春の試験は入社した後だし、かなり必死こいてやんねーといけないらしい(もちろん俺だってやるつもり)んだけど、今回は社員の人も甘めに言ってたんだと思う。
ちなみに言うと、この「夏から秋の資格試験に向けて勉強させる」ってのは去年までなかったらしいんだ。それもあってあんまきつく言えなかったんだろね。

てーことで、さすがにテスト前は飲み会断ったりして勉強したけど、それ以外はほっとんどしなかったし、夏は夏で日本中旅行しまくってたりしてたのは知っての通りなわけでして。
でも旅行中もこの資格の勉強のことが頭ん中にずっとあったし、なんとなーく監視されてるような(考え過ぎ?)印象受けてたんだ。

んでもって、それがやっとなくなった。
結果はどうあれ、ね。

結果の方は、まぁ予想通りって感じだったんで、受け入れますよ。

んで終わって、渋谷に集まって飲んで、そっから仲いい連中(念のため言っとくけど呼ばなかったから仲わるいってわけじゃないかんね、俺んちそんな広くないの)で俺んちに移動してたこ焼きパーティー。
いやぁ~、なんかすっげぇ楽しかった。いい開放感味わったわ。

これで当分は自由に動けるかな。どう動くかは神のみぞ知るって奴だけどね。
てーことで、かなり時間に余裕できたんでお暇な方いましたらかまってくださいな、よろ~。

2003年10月8日水曜日

大掃除

昨日、俺んちに親が来て大掃除した。
俺としては、自分の部屋を“この3年弱割ときれいに使ってたかなぁ”って思ってたんだけど、全っ然ダメだね。

母さんの手にかかっと、どんどんゴミが出てくるし部屋がキレイになってく。
おかげで、俺んちは今までにないほどキレイになっちった。俺んちじゃないみてぇ。
せっかくキレイになったんだから、これからはもうちっとマシな部屋を保てるように努力しなくちゃな・・・と思った1日だった。

あとそれに加えて、身の回りの世話をしてくれる人がいるとこんな違うんだなぁってことを思った1日でもあった。
やっぱ、自分1人でなんでもかんでもやんのは無理だわ。

全てを親とか彼女に任せて自分じゃなんもできないってのはどーしょもねーと思うし、一通りなんでも自分でできるようになることは必要だと思うけど、助け合って生きてくような相棒がいんのもわるかねーなぁ、なんて。

まぁ、まだまだ先の話ってことでいいっすけど。
人生まだまだ宵の口、ってね。まだまだ俺ぁ遊び足りねぇっすわ♪

2003年10月1日水曜日

内定式

もう10月だねぇ~、残暑なんて言ってらんねぇ季節になってきちったな。
もうあと半年もすりゃ俺も社会人かぁ~、まったく月日の経つのは早いこと。やれやれだぜ。

んで、そんな俺は29日、内定してる会社の内定式に行って来た。
多分今日(10月1日)やる会社が多いだろうから、一足お先にって感じだったんだけど。

すっげぇいい天気でさ、ひさびさのスーツ。
普段から汗っかきな俺にはちょいときつかったよ。あっちぃあっちぃ。

でも会社ん中入っちまえば涼しいし、そこまで大変でもなかったかな。
ひさびさに着るスーツは新鮮なもんがあった。多分、まだスーツに着られてるようにうつるだろうな。
んで、式が始まるとまぁみんな多少緊張してたんかなぁ~、スーツ着てっからかな?
普段ばかばっかなのに(笑)、ちっとビシッてしてるように見えた。

んでいろいろ心構えだなんだって話を聞いたり、会社の組織のこと聞いたりしたけど、ぶっちゃけ始めは良かったんだ。
けどだんだん眠くなってきちゃって・・・、最後は眠気と腹の減り具合との戦いだった。

でもまぁこれで晴れて正式に内定通知ももらえて、とりあえず卒業するまでは一段落って感じ。
やっぱほっとした部分あったなぁ~。

一生に1回しかない式だから、もうちっとちゃんとしたもんを想像してたんだけど、なんてこたぁなかったね。
すっげぇ事務的にこなしたって感じだった。

入社式ってのもこんなもんなのかな?
まぁ盛大にやられてもひくって話もなくはないけどさ。

そうそう去年は内定式のこの時期台風だったんだよねぇ~。
1個上の先輩って俺結構いんだけど、「スーツびしょびしょんなっちゃうし大変だったよぉ。」ってよく言われたのを覚えてる。

んでもって俺らが一段落したってことは、次は1個下の代が就活する番だね。
やっぱ不安に思ってたりする人も多いみたいで、Friends代交代式行ったときもちょこちょこ就活のこと聞かれたけど、後輩のみんな頑張れな。
俺で良けりゃかわいい後輩のためだ、いつでも力んなんぜ。

なんか就職課(キャリアセンター)がやってる就活サポーターって奴にも俺入ってるんで、いろいろ資料だとか人だとか紹介できると思うぜぃ。

あれから一年がこんだけ早かったんだ、あと半年しかない学生でいられる時間もあっという間なんだろね。
大事にしてかねーとなぁ。

そうそう、今日からJ-PHONEはvodafoneに変わったんだってね。
これがいいことかわるいことかは知らんけど、マンU好きなんで俺の携帯vodafoneにいずれ変えるのも悪くないかなぁ、なんて思ったり。
当分はないと思うけどねぇ~、自分のメアド気に入ってるし、みんなに教えるのもかーなりめんどいし。

てことで、道央がさっき帰ってウイイレやめて今6時。そろそろ寝まーす。おやすみぃ。

2003年9月29日月曜日

決めつけはよくないね

おっす、みなさんおひさしぶり。
最近何してんの?暇してんならたまにはメールくれたりしちゃうと嬉しかったり。

それにしてもさぁ、最近俺忙しんだよ、いや、厳密に言うと俺の“忙しい”は別にやめようと思えばやめれちゃう忙しさではあるんだけどねぇ・・・(^^;
断りゃ断れるし、行かなくてもいいことなんだもん。

でもそれに行って後悔なんかしてないんよ・・・なんつーか最近は自分のパフォーマンスが落ちてきてるっつぅか、へこむことが多かったり体が疲れやすくなったりってのを自分で感じるんだよねぇ~。一発どっかで休んで全快させないとだなぁって。
そーいうときってあるべ。

まぁ、倒れたらよろしく頼むわ。Yoshikiと一緒で俺あんま出し惜しみとかできない人なんで(わかる人なんかいねーかも)。

んでね、一昨日、陰陽師Ⅱを試写会行って観てきたんだけど、ちっとこれは忘れないうちに書いておきたいなぁ~と思ったんで、書いておくことにした。
俺ね、映画ってもんを大分勘違いしてたかも。

映画ってさ、ほんとはすげぇ自由なもんなんだなってのが今回わかった。
俺の中では、映画って歴史の一部分であったり、漫画や小説なんかを役者とか監督がその話に忠実につくってるもんだと思ってたんだ。
だから映画でやってることってのは大体が間違ってねぇんだろうなぁって。

でも、そうじゃなかった。いや、そうじゃなかったっていうか、そうなんだけどそうじゃない道もあった。
道が1本しか見えてなかった、てのが正確な表現になんのかな。
陰陽師Ⅱ観て、俺が今まで観た映画ではそのことに気づいてなかっただけだったんだってことがわかった。

まぁ全部が全部そうだ、とは言わないけどね。

歴史には色んな解釈があって、その解釈ってのは人が違えば違うわけじゃん?
例えば人によっちゃ信長はすごい奴だった、とか言ってる人もいりゃぁ、あいつは悪魔だみたいに言ってる人もいたりさ。

んで、その二つに分かれる人たちが同じ信長の映画を作ったら、どっちも同じ史実から映画を作ってるはずなのに印象は大分変わるよね。
そーいうのを自由に自分の想像で考えられたりすんなら、監督や脚本家ってのはすごくおもしろい職業だなぁって思った。

映画を作ってる人たちってのは、同じ出来事についていろんな見方がある中で、その一つとして「こーいう見方もあるんじゃないの?」みたいなことを言ってるだけなんだなぁって。
気づいてみれば当たり前だし簡単なことだよね。コロンブスの卵って奴。
だからみんな知ってることなんかもしんないけど、俺にとっては大きな一歩だったんだわ~。

映画が映像の芸術作品でありながら娯楽として扱われることに、大いに納得できた。
“泣ける”映画ってあんじゃん。それとかすげぇ重い映画とか。観ててあんま楽しくなんないのになんでそれが娯楽って言われんの?ってちっとひっかかるとこがあったんだよねぇ~、んでわかんないまま俺ん中でひねり出してた結論が「1シーンでも笑えるとこがあんなら、それは娯楽として扱える」っていうジャンル分けだった。笑
まぁ、こじつけだわな。

でも、なんか今回のことで多分これからほんとに映画を“娯楽”として観れるかなって思った。
なんかスッキリしたよ、肩の力抜けたっつうか。

「みんながおもしろいって言ってるから」観る。「流行ってっから」観る。「この役者が好きだから」観る。「彼女とデートできるならなんでもいいからとりあえず」観る。
色んな人がいていいと思う。娯楽としてみんな観てるんだから。

陰陽師Ⅱ観る前に、出雲大社行って、おろちって酒買ってきて、天岩戸神社行ってて良かった~。
やっぱなにかしらつながるもんがあんだねぇ~。俺って運もいいけど縁もいいんだな。

らっきー。感謝感謝だわ

2003年9月13日土曜日

6年目にして

おいっす、こんばんちゃぁ。
聞いて。俺ね、昨日やっと念願叶ったことが一つあったんだ!

「BRAHMAN生で見ること。」

やーっと生で見れたよぉ~、BRAHMANと出会って6年目にして初めてだった。
もうなんつーの?まぢすっげぇよかった!!!最高っす!!!感無量っす!!!

昨日は新木場studio coastでBRAHMAN単独ライブ。ツアー最終日。
ほんとはEGO-WRAPPIN'がゲスト出演する予定だったんだけど、メンバーの体調不良のため急遽キャンセル。
まぁ見れるんなら見たかったけどしょうがないよね。早く良くなってくださいな。

TOSHI-LOWさんなんも喋んなかったけど、かーなり満足させてもらっちったよ。
新曲もやってたし、DEEPもSEE OFFもBOXもBEYOND THE MOUNTAIN、TONGFARR、THAT'S ALL、TOKI NO KANE、BASIS、FOR ONE'S LIFE、PLASTIC SMILE・・・他にもめちゃめちゃいろんな曲やってて、さながらBRAHMAN BESTみたいな感じのライブだった。
聞いてみたいと思ってた曲がほとんど聞けたんで、めちゃめちゃうれしかったわ。
アンコール2回もやってくれちゃってw

俺にとってのBRAHMANって言えば、俺の高校時代って言えるくらい高校時代はしょっちゅう聞いてたし、高校んときのダチとのいろんな思い出の詰まってるバンドだかんねぇ。SOBUTとBRAHMANのコピーしかやんないバンド、SOBAHMANとか。笑
なんか昨日はそれ思い出したりして、すっげぇいい気分だった。
中学時代からhideに心酔してて、そいつが高校でいきなり死んじゃって、この先どうすりゃいいんだろ?みたいに思ってたときにこいつらと出会えてほんとよかった。
なにげに歌詞もほっとんど全部わかっしね(-_☆)V、もう何万回って聞いてきてますから。

BRAHMANさいっこぉ!!!これから何日かはBRAHMAN漬けんなりそぉ。

2003年9月11日木曜日

ナインイレブン

今日はナインイレブンだね。
はいこれ見た人は黙祷の一つでもしてやってくださいな。

知り合いなんかいなかったもんって人も。
もしかしてこの先知り合いんなってたかもしんないんだしさ。

それにしても、あれからもう2年か。
月日の経つのって、ほんと早いよね。

2003年9月9日火曜日

延期・・・

ちゃお、どうよ最近?
結構みんな忙しそうだねぇ~、俺も負けずに忙しくしてんぞ。笑

あんね、みんなに悲しい(人によっちゃラッキーな?)お知らせがあります。
9/11に企画してたパーティー、延期することにした。

人数があまりにも集まんなくて。
平日ってことで社会人な人たちはほとんど来れなくて、学生も夏休み真っ只中ってことで旅行行ってたりバイト抜けらんなかったり研究に忙しかったりして。
特に、普通の大学生はこの時期に旅行に行くんだもんね。
中高生は夏休み終わって授業始まってっしいわゆる“夏休み”ってシーズンも終わってっから安いもんねぇ~。みんなが行くのもわかるわ。
まぁ18切符が10日で期限切れちゃうくらい?不便なとこって言えば。
俺はそれが残ってたんでこの前仙台行って18切符使いきってきたんだけど。

んでその旅行に行く~って人たちがすっげぇ多かったんだよね、実際。実家に帰ってる人も含めて。
「どこどこ行ってるからごめん~」とか「その日から旅行なんだよね~」とかって人がやたら多かった。
まぁ俺らは4年で学生最後の夏休みだもんねぇ。満喫したいって気持ちもわかるさ。
てーか、そーいう人にはどんどん旅行に行って欲しいと思う。こんな飲み会なんかこれからいくらでもやってやっし。

でもやっぱ集まんなかったのはショックだったなぁ~、「俺ってこんな人望ねーんかよぉ。」って軽くへこんだよ。
前回やったときは90人弱くらい来てくれて、今回もそんくらいの規模でやりたかったんだけど、半分も集まるめどが立たなかったかんね。
300人くらい(下手すりゃもっと)声かけてんのに・・・まぁしょうがないわな。いまさらそんなこと言ってもしゃーないし。

ここで一つ。
「なんで9月11日じゃなきゃダメだったか?」
これには理由があって、多分こうやって言われると気づく人もいると思うんだけど、9月11日が何の日かわかる?
そう、同時多発テロあった日なんだ。
これで気づく人ってのはさ、忘れてたってことだべ?そーなんだよ、忘れてる人が多いんだ。

俺はアメリカのまわし者じゃねーけどさ、やっぱそーいう大事な日を忘れて欲しくないっつーか「そーいう日を忘れないことによって今生きているってことをもっと大事にして欲しい」って思うんだ。

あの日、何万って人が死んだ。
それを日本では繰り返し繰り返しテレビで流してた。
俺は実際にそのときその近くにいた知り合いに「日本はこの出来事をゲームみたいに感じてるの?こっちじゃ悲惨すぎてテレビで映像なんか絶対流さないのに」って言われて、やばいやばいと言いながらどっかで他人事に思ってたんかなって思った。

でも、最近(の何ヶ月かかけてやっと)わかったんだけど、やっぱ行ったことないとこ、自分の目で見たことないとこってのは実感沸かないよ。
「NYはこんな街で~」とかって思ってだけいる人と実際に生活してる人じゃNYに関しての認識は異なるよ、多分。
俺も行く前と行ったあとじゃ全っ然違うもん。分度器で言うと120度くらいは変わってんじゃないかな。

昨日(になるんだろな、日付上は)、黒磯でタイヤ工場が火事んなってた。
もう鎮火したんかな?わかんないけど。
ちっと聞いてみたいんだけど、黒磯ってどこかわかる?どの電車に乗れば行けるかわかる?俺はわかんない人はやっぱ実感わかないんじゃないかって思う。
俺はと言うと・・・なんと3日前に通ったばっかだったんだよね、仙台からの帰りに。降りてはいないけど、乗り換えたから駅は覚えてた。
だからニュース見たときに「オイオイオイ!なんだよこれ!この前行ったばっかだぞ!」って思わず言っちったよ。

んでね、俺が言いたいのはそこに行ったことないのが悪いってことじゃなくて、俺ら(俺は別)はNYなんか行ったことないしそのことを忘れやすくなってっけど、こーいうイベントすることで思い出してくれる人が何人かでもいいからいて、その人達がこれから1週間、いや3日でもいいから、いつもよりちょっとだけ毎日を大事に生きてくれるといいなぁってこと。

9月11日自体をボーっと過ごさないで欲しいってのもあるけど、大事なのはそこよりもその先なんだ。
んでそーいう意味を持たせられる1年の中でも特別な日なわけじゃん?ナインイレブンって。

俺らはテロとかから程遠い平和な国で生きてる。
でもだからこそ、その平和な世の中を楽しもうよ。自分の殻に閉じこもらないように。
いろんなとこでいろんなことしてる人たちがいる。そんな人たちとこのパーティー来て直接会って話して、自分の知らなかった世界を知ったり、新たな考え方吸収して自分の新しい可能性見い出したり、新たな目標見つけたりして欲しかったんだ。
交流会っていうおっきなコンセプトもこの点に集約されんのかもしんない。
こっからなんか動きが起こったりしたら俺もうれしいし、ぜひ参加させてもらいたいし。

もちろんイケメン探しとか彼女探しに来たからってとがめるつもりもねーよ、それがなきゃ他のことできない奴を俺は知ってるし。
常識を超えない範囲ならね、それ超えるんは許さないけど。

ま、そんなことを考えながら強行するか延期するか悩んだんすけど・・・やるからにはちゃんとしたものにしたい、お金払って来てもらうわけだから、みんなが満足して帰れるようなパーティーにしたいって判断で、結局延期にしたよ。

来てくれるって言ってくれてた人、ごめん!バイト空けてもらったり変わってもらったりしてたってのに・・・俺の力不足だわ。ほんとにすまん。
この借りは次回やるときに必ず返すんで、そんときを楽しみにしててくださいな☆

てことで、パーティー延期かぁ、さぁていつやろっかねぇ?

2003年9月4日木曜日

試写会

今日は「バリスティック」っていう映画の試写会に行ってきたよ。
まぁ映画の内容はしゃべっちゃうと見たいって思ってる人に悪いんで、やめとく。笑

アクション好きなら楽しめるよ、きっと。

んでもってなんで俺がこんなに試写会に行けちゃうかといいますと・・・それは俺がVIPだからとか芸能人だからとかじゃなくて、普通に応募したのが当たってるだけなんだよね。
俺は7月から試写会行きまくってるダチに聞いて応募し始めたんだけど、これがまたちょこちょこ当たるんだよなぁ~。
今日ので何度目だろ?
「ドラゴンヘッド」「HERO」「くたばれ!ハリウッド」「釣りバカ日誌14」「バリスティック」の5本試写会で見たんか。
「ゲロッパ」も当たってたんだよね、かぶってて行かなかったけど。
結構当たってるっしょ?映画好きな人はもっと映画観に行くんかもしんないけど、俺ん中ではかなりのペースだよ。

試写会っていいよねぇ~、なんせただで公開前に見れちゃうんだから。
芸能人なんかと一緒に見れちゃったりすることもあるし、舞台挨拶があることもあるし。

もし暇してる人がいんなら、試しに応募してみたら?
んでもって当たったら、ぜひぜひ誘ってくださいな。

試写会場ってのもいろんなホールとかで、普通の映画館とかじゃないのもなんかいいよ。
“この日のために用意した”みたいな雰囲気があるし。
いろんなナレーションが流れたり。

今日は九段会館ってとこでやったんだけど、初めて行ったなぁ~。
九段下で降りたのも初。

んで今日は時間も少しあったんで、その辺散策してきたら、思わぬ発見があったりした。
俺毎年靖国神社で花見してんだよね、んで市ヶ谷駅から歩いてばっか行ってたんだけど、あんだよ九段下の方が近いんじゃん。
それに九段下からの方が靖国神社の正面からだし。市ヶ谷からだと拝殿の方から見ることになっちゃうってこと初めて知ったよ。

んでもってその靖国神社下の坂が九段坂っていうことも初めて知ったし、靖国の道路挟んで向かい側が武道館になってんのも知らなかった。
なんか今日は映画以上にそこの位置関係がゆっくり歩いててわかったのが大きい気がする。
武道館は倉木のコンサートに行って以来だったんかな?あんときは「ここが噂に聞く武道館かぁ~。ここにMR.BIGやらビートルズやらが来たりしたんだなぁ。」なんて思ったりしたもんだけど、なんだよその向かいの靖国に俺毎年来てたんじゃんか。全然気づかなかったな。
いやぁ~世間って狭いねぇ!なんか今日ここがわかっただけで、東京って何気に狭いんじゃん?って思った。
んで、俺って東京の地理全然知らないんじゃん、て。こんなの知らないのって俺だけなんかな?

いろいろ行く前に、東京散策でもしてみよっかな。まぁそれは後期始まってからでもいっか。試写会当たったときでもいっか。

・・・にしても、靖国って人がいないときに来るとなんかすごくでっかく感じたなぁ~。
立派な観光名所だぜ。出雲大社と似てて、行ったときのこと思い出したりした。

んでもってその靖国を歩いてるときに思い出したことがあったんでそれを一つ。
なんか小泉総理の靖国参拝問題とかっていろいろ言われてんじゃん?俺ら一般ピープルはこうやって自由に来てるけど、小泉さんが来るとなるとみんな大騒ぎ。
あれに関しては俺はどうでもいいとか思ってんだけど、やっぱ気になる人はなるみたいだね。

でもさ、小泉さんがただの一般ピープルの1人だったらそんなことにはなんないっしょ?国の代表って立場があるからそんなになるんでしょ?
そんなことを考えてたら、自分が中学時代に怒られたときのことを思い出した。

中学時代、まぁおもしろ半分とかこわいものみたさみたいな感じで俺も万引きしたりカツアゲしたりタバコ吸ったりしたさ。
それに関しては今になって思うと“やんちゃだなぁ~”とか“やれやれだぜ”とかって思うけど、そんときはそれがかっこいいっつうかそれができないようじゃ仲間じゃない、みたいなとこもあったんかなって思う。はっきりは覚えてないけどね。
んでそれがばれて(すっげぇ勢いでばれたんだよ、バスケ部半分とか。)、怒られたときに言われたことをこんとき急に思い出した。全然忘れてたのになぁ~。
「お前1人の問題じゃねーんだよ!」
「お前1人がやるだけでお前の所属している組織全体がそう見られんだよ!家族も!バスケ部も!クラスも!中学も!」
「お前1人がやっただけで「あそこはこうだ」って言われんだぞ!おいわかってんのか!くそバカ!」
「そーいう奴をボケナスっつーんだよ!このアホンダラァ・・・」
バキッ!ドカッ!ガッシャーン!!!

・・・うーん、そっかぁ、小泉さんはこういう風に見られちゃうのかぁ、参拝一つでいろいろ大変だねぇ。でも、そーいうのを意識しないで好きにやっちゃうのはやっぱよくないんかなって思う。もちろん俺らにも言えることだけどね。

じゃないとLike a スーパーフリーになっちゃいかねねぇもんなぁ。みんなもあとでバツのわるいことするときは気をつけようねぇ。
よかったちゃんとまとまった。なんか脱線しまくりだったな、今日。笑

2003年9月3日水曜日

旅人の気持ち

なんか1日で2コ書くのもなんだなぁ、なんて思いつつ今日はとっても書きたいことがあったんで書いちゃおっと。

みんなは道迷ってる人に聞かれたことってある?
俺はなんでかしんないけどよく聞かれるんだよね。まぁなんつーの?俺って好青年だからねぇ~(反論は一切受け付けない)。

んで今日も聞かれたんだわ。

えーっと5時までガッコの図書館で勉強して閉まっちったんで帰ることにして、大学出た門のとこでのこと。
いきなり片言の日本語で「すいません・・・」って声が。外人だった。
まぁなんか売りつけたり勧誘したりする奴の関連かな、なんて一瞬思ったよ、ここ東京ドーム近いからダフ屋なんかそこら中にいるし。

んでもってちらっと見てシカトして行こうとしたんだけど、手に持ってた本が見えちゃったんだよね。
旅行ガイドみたいなのがさ。

(あ、旅人か、迷ってんのかな?)
んで話を聞いてみた。どうやら後楽園(日本庭園、ここの地名の由来になってるとこ、東京ドームの隣)に行きたいみたいだった。

ここでかっこよく英語が喋れりゃいんだけど、俺にはそんな語学力はないんだなぁこれが。ボストン行ってたくせに。
んでとりあえず後楽園の方角指して「OVERTHERE!」って言って軽く「こう行ってこう行って・・・」みたいなことを英語と日本語交えてしゃべって、なんとかなりそうだったんで、そこで終わり、かと思いきや、そっちの方角って俺の行く駅と一緒なんだよね。

んで一緒に行くのも気まずいんで、ゆっくりその旅人のあとつかず離れず歩いてった。
そしたら・・・坂降りて駅に行く公園とこでまた迷ってる。

やれやれだぜ。┐(´д`)┌

・・・しゃーねーな、これも何かの縁だ、ってわけで「HEY. HEY YOU!」ってその外人さん呼んで連れてってあげることにした。
まぁ駅の向こう側に行きゃ見えるし歩くのちょっとだからね。

んで一緒に歩きながら俺の片言の英語で話してた。向こうも英語が自分の国の言葉じゃないみたいで、ゆっくり話してくれて楽しい時間だったな。
どうやらフランス(ドルシェ(?)みたいな発音の街)から来たんだって。んで京都に友達がいて、そこから来たらしかった。
京都見て、後楽園か。悪くないコースだな、いい趣味してるよこの外人さん。

んで連れてってあげて、そこでバイバイ。「HAVE A NICE TRIP!」って別れた。

ん~、へへへ。なんかいいことしたかも。気持ち良かったな。

やっぱ俺も旅先で道わかんなくなったとき親切に教えてもらったりするとすげぇうれしいし、「人にされてうれしかったことは、自分もしてあげよう」みたいなこと親に教わってんべ?まさにそれだよ。
自分が旅が好きだから、その外人さんの気持ちがすごくよくわかった。俺が冷たくあしらって、日本のこと嫌いになられちったらやだもんね。
俺のことなんか旅先の思い出にはなんないかもしんないけど、こんなんでもその旅先が好きになることってあんだよ。
あの人がそうなってくれるといいな、日本ってすごくいいとこだよって印象を持ってくれたとしたら、すげぇうれしいなって思った。

少しボストンに行ってたときのことを思い出した。
んでそれから俺は英語を全く勉強してないことに気づいて・・・ちゃんと会話できるくらいの語学力は保っておこうと思いましたとさ。

いやぁそれにしてもいい気分だわ。

濃い時間

あーあ、もう9月か。
「暑さ寒さも彼岸まで」とか言うけど、今年は夏!って感じのことあんましなかったなぁ。

最近思うんだわ。
大学生ってだらだらと時間を使ってっけど、「俺ってこのままでいいのかな?」って。

バイトしてるから俺は忙しいぞ!って反論ももちろんあると思う。
でもそれでいいの?自分の1時間を¥1000で売るってことでしょ?
いや1時間どころじゃないね、準備やその他もろもろ、シフト制なら自分の未来をも売ってるわけだから。
そこで何が起こるかわかんない、言ってみれば可能性が無限にあるとこを縛りつけちゃってんだべ?
「明日もバイトかよぉ~めんでぇ~」とかって思ったりするのも換算できるとしたらいったい何時間バイトに売ってんだろ?
俺らの世代の1時間と50才や60才になってからの1時間じゃ価値が全然違う気がすんのに。

楽しんでやってんだから・・・て自分の趣味に直結してる人はそれはそれで俺はいいと思う。てかうらやましくさえある。
遊んでりゃいいってわけでもないし、自分の趣味でお金を稼げるってことは少ないんかなって思うから。
社会人で自分の好きなことを仕事にできてる人ってすごく少ないって聞いたことがあるからね。
まぁなったことないからほんとんとこは知んないけど。

俺は今、来年から社会人のいわゆる社会人予備軍って奴で仕事をしてるわけじゃない。
加えてバイトもしてない。

した方がいいのか、しない方がいいのか正直わかんないんだ。
幸い奨学金のおかげで今の生活は問題ない。社会人になった瞬間でっかい借金ができちゃうけど。
もともと食欲も物欲もあんまりないから、高いものを食べるわけでもないし、毎日3食食べるわけでもない。
車はいつか欲しいと思うけど、かかる金を考えると今はいらないし、“ブランド物を身につけよう”とか“あり得ない値段だけどこの服が着たい”とかってのもない。だいたいがみんなで同じバッグ持ってどーすんだよ?マネマネじゃん、とかって。
ま、価値観は人それぞれだしそれはそれでいいのかもしんないんすけど。

みんなはどーいう考えを持ってバイトをしてんだろ?
学費を自分で稼いでる奴らとかはそりゃ尊敬するよ、少しでも親にお金を返していくって考えもいいと思う。俺はそーいう考えでバイトはしないけど。なんか欲しいもんがあるから?それとも暇でやることがないからとりあえずバイトして稼いでるだけ?夢を叶えるのに金が必要だから?そのバイト上に自分の夢があるから?出会いを求めて?

俺はこのまま順調に何も起こらなければ来年から確実に働くし、今自分が必要としてるのは金じゃない。
それなのに今バイトして時間を削って小遣いを稼ぐことに俺は意味を見出せない。
親に「ごろごろしてんなら働きなさい」って言われたから働くってんじゃ、あまりにも情けないべ。なにしたいの、お前?って感じ。
結局どんだけ頑張ってバイトしたって、全部使っちゃうだろうし、親にあげんのはちょっと。自己満にしかなんないべ。
いくら稼いでも一緒なんじゃん?って感じることもある。

「俺今月何万稼いだぜ!」って自慢されても、俺にはその金の使い道が旅行とつるむことしかないし、あんまうらやましくない。
ってか、その額稼ぐためにお前どんだけ働いたの?どんだけ自分の時間売ったの?もったいねぇなぁ~とかって思っちゃう。
そんだけの時間が取られたからその額を稼げてるんだからね。

てことで、俺は多分来年までバイトしないで今できることを自由にやろうと思う。
自己責任、自己管理の下で自分の時間をこんなに多く持てることってこれからないかなって思うし。
就活が終わってから、いろんな社会人に学生じゃなきゃできないことをしなって言われた。
んでそこで聞いてみる。「学生にしかできないことってなんですか?」ってね。
だいたい答えは一緒で、長期の旅行ってのが一番多かった。あとは・・・「失敗」っていうのにはかなり考えさせられたね。

で、その“長期の旅行”って答え。これって社会人になるとやっぱ自分の時間がすごく減るってことなのかなって思う。
俺は旅行好きだけど長期の旅行はそうでもないから、行く機会が社会人になってなくなっても全然構わない。
だから学生時代にも長期の旅行は行かないと思う、行くとしたら卒業旅行で行くくらいかな?

それ以外の答えってのはあんまなくて、たいていのことは社会人になってからでもできるみたいだった。
スノボなんかも行けちゃうみたいだしね。
かえって社会人になった方が稼いでるからいろいろできることは増えるって言う人もいた。俺はその通りだと思う。

ならその学生にしかない自由に使える長い時間を、どう使うか?
バイトすんのか、ずーっと彼女と一緒にいんのか、研究に費やすか。
まぁ何をするにしても、だらだら過ごさないでしっかり過ごすってのが大事なんじゃん?

話が飛ぶけど、戦争とかテロとかで、5分後の命の保障されない中で生活してる人もいる。
そんな中、日本人で“5分後に死ぬかも”なんて考えて生活してる人はいないべ、俺らって随分平和ボケしてんなぁ。
でもそーいうことを意識する機会ってあんまないけど、そーいうことを考えて生活していったら今より密度の濃い時間を過ごせる気がする。
ダラダラしてるわけにはいかないべ、そーいう一瞬一瞬を積み重ねていったら、もっと楽しくなるかなぁって。

とりあえず俺は今やってることを頑張るわ。社会人になって時間取られたらできないことばっかだから。
これをきっちりやって結果出して、あとは終わったあとにみんなでビールをかーって流し込んで、いい時間を過ごしていきたいね(^^)/▽☆▽\(^^)

まぁ、【なんもしない時間ってのはもったいないぜ、人生まだまだ、もっともっと楽しんでくべ!】ってことだよ!(結局最後はそれかよ。笑)

2003年8月28日木曜日

がん疲れ

うっす、昨日まで凪の合宿に行ってきたよ。
みんなで旅行に行ったのは俺は一年半振りだったんかな。

2泊3日で伊豆に。

俺のこの夏の旅行としては3回目。
でも今回のは“合宿”であっていつも俺がしてる“観光”とは違った。

宿でのんびりして、飲んで、サッカーして海行って、また飲んで、帰る。
そんだけなんだけど、俺的には結構うれしいもんがあった。

学校の奴らと会うことがすっげぇ少なくなってたから、そいつらと一緒に騒ぐ楽しさを思い出してたね。
“やっぱここがホームだな”って。こいつらと同じ時間を一緒に過ごすのって楽しいと思った。

死んだけど。飲みすぎて。でもそれが“凪飲み”の激しさなんだろね。
次の日の昼まで調子戻んなくて、メシもちょっと食べただけで吐いちゃうような状態になるなんてここ以外じゃちょっと考えらんないもんね。
俺がだよ?普通に飲んだんじゃなかなかつぶれないのに。
おかげでサッカーできなかったよ・・・。

でも、星空の下、夜の海で酒酌み交わしながらまったり語ったり(←何語ったかは覚えてないw)、海に浴衣脱いで裸んなってみんなで入っておお騒ぎしたり、すげぇ楽しかった。

最近は凪じゃなくて他の連中と会ってばっかだったから(いや旅行してたから誰とも会ってないってのが正解かもしんない)随分ひさしぶりの感覚だった。

みんなが社会人になっても、この場所は残るといいなと思いました。

2003年8月9日土曜日

バスケ大会に向けて

おいっす、ひさびさ。
なんか最近ここに書くこと減ってるよね・・・やばやば。

なぁんか今日はテレビで一日台風のニュースばっか流してたけど、みんなんとこはどうだった?
俺んちは幸い雨もそこまでひどくなかったんで別に台風なんか関係なかったけど。なんも予定なかったし家にずっといただけ。

なんかせっかくの一日なのにすっげぇもったいない時間の使い方してるなぁ、なんて自分でも思うけど自分でどうかしようって動かなかったな。
このまま夏休み終わっちゃうのかなぁ・・・

っとまぁ最近夏バテかなんか知らないけど疲れ気味のきじです。こんちは。

俺ね、今度の白門祭でバスケ大会の運営することになっちった。
まぁ元気会のミーティングやってるときに「白実委の方からバスケ大会誰かやんないかってよ。」ってこっしーが言ったから、「んじゃ固め打ちの時期だし、俺やるよ。」って感じで即決定だったから半分ノリでやる感じだけどさ。

まぁ学祭の時期ってなんもない人はめっちゃ暇だしね、俺みたいにバイトしてない人間はなおさらだよ。暇つぶしに学祭に行くって感じだもん。

あぁ、ちなみに俺が大学4年になってこれまでに得た経験からうちの大学の学祭を語らしてもらうと、とりあえず文系の多摩校舎は人手がめちゃめちゃあって、理工の後楽園校舎は全然。
まぁ理工なんか男ばっかの男子校みたいなもんだし、普通の人の理工学部のイメージってやっぱメガネかけた暗い学生ばっかって感じだろうしなぁ、しゃーないかなってのが本音。俺もここ3年間で理工校舎の学祭は常にフットサル大会のためにしか来てないもん。

フットサル大会は毎年学祭の時期と新歓祭の時期の2回あって、我らがフットサルサークル凪は1年の新歓祭以外は全部出場してんじゃん?まぁめちゃめちゃ弱いけど、みんなでわいわいやってるよ。今年の新歓祭はついにベスト4進出も達成(俺は出れませんでした)!部活みたいにしょっちゅう練習してるわけじゃなくて、楽しくやってて、俺らの代しかいないけど、こーいうサークルとしちゃ理想系なのかなって思うこともある。別に大学に自分達の作ったサークルを残そうとか思ってないし、社会人になっても俺らが集まれば凪として活動は続けられる。てか多分続いてくと思う。

んで俺らが1年と2年のとき、そのフットサル大会ともう一つ、バスケ大会ってのがあった。俺は残念ながら出てないんだけど、「一緒に出ようぜ」とか勧誘はされたなぁ、確か。行ってないから盛り上がりはわかんないけど、おそらくは学祭の目玉の一つになってたんじゃないかって思う。でもね、それが去年はなかった。なんでなくなっちゃったんかは知らない。運営してた人が卒業しちゃったとか、準備が間に合わなかったとかいろいろと原因は探せばあると思うけど。

その他の学祭での催し物で俺が知ってんのは・・・まぁ遊び系ならマージャン大会、ライブ、あとはミスターレディ(女装)コンテストとかかなぁ。ミスターレディはすげぇウケルね。去年ちょっと見たけど俺はずっと苦笑してた。半分罰ゲームだよありゃ。んでマジメなもんとしては理工学部らしく研究室開放してたり、○○研究会とかそーいう系のサークルが研究成果発表してたりって感じかな。出店とかもちょっとあったりするけど、ぶっちゃけた話学祭としての活気は全然ない。みんな自分のしたいことをしてるだけ。マージャンしたい奴はマージャンしてるし、俺らみたいにサッカーやるために来るって奴もいるし。んでそれ以外の人たちは旅行に行ってたりバイトしてたり、他の学祭に行ってたり。多摩のサークルに入ってる奴はそっちに言ってることがすごく多い。まぁそっちの方が楽しいかんね。

んで多摩校舎の方は・・・俺はあんま詳しい数字は知らないけど、天気が良けりゃ連日何万人って人出があるくらい人で溢れかえってる。まぁそのほとんどがサークルの人間だったりすんだけどね。俺も多摩のサークルに1つ入ってっから1年の頃からフットサル以外の日はこっちにいることが多かった。いろんなサークルが店出してっから全然飽きないし、もちろん俺らのサークルも店出してっからサークルの奴らと世間話してるだけでも結構楽しいし。店の手伝いはほとんどしてなかったけどね。あとずっとステージではライブやってっからそれ見てるだけでも飽きないね、音楽好きな俺としては。こーいうときの曲目ってのは大衆受けするもんが多いから、ほぼ知ってる曲ばっかだし。そういやリンプやってる奴らんときはやばかったね、まじ乱入しようかと思った。普段は前の方はそのサークルの人達とかで混んじゃっててある種異様な雰囲気のときもあんだけどさ。

他の大学の人たちもかなり来てるらしいんだよね、ここの学祭って。多摩の方にある大学の学祭で一番盛り上がるから、自分の大学の学祭行かないでこっちに来るんだそうな。まぁめっちゃ広いし、学食有名だし、わからなくもない。てか俺も似たようなもんだし。

まぁそんな感じかなぁ、学祭の紹介としては。でっかいサークルになると、1日で10万とか稼いじゃうらしいよ。
でもさすがにもう4年、多摩のサークルにどっぷりってわけにも行かないし(ぶっちゃけ1年生全然覚えてないし夏旅行も今回断ったから気まずい。)、なんも考えないで4日間過ごして学祭期間終わらしたくない。だったら自分にとっても挑戦的な要素含むこーいうのの運営やってみんのもわるくないかなぁって。俺は幸い他の人と違って自由に使える時間を持ってるからね。全部をこれに当てるってのはやだけど、まぁやるだけやってみっかなって思ってる。参加者としてフットサル大会にも参加するだろうし、もちろんバスケだって運営だけじゃなくて参加もする。優勝目指すぜ。
自分がバスケしたいからやるってのも理由の一つだったしね。ほんと言うともっとでかいこと、この理工学部内でいろんなとこに声かけて前期全部使うようなバスケのリーグ作ってみたいっての思ってたんだよね。前期になる前、3年の終わりに。さすがに俺も就活しなきゃだったんで流れてたんだけど。それに加えて俺のまわりには幸いにもバスケしたいって奴が多かった。元気会の中にもそうだし、学科の奴らもね。体育のバスケとかすっげぇ燃えてたもんね。履修し忘れて単位んなんないのに用意持ってきて混ざってやってる奴とかいたし。そんなわけで、どうなるかはわかんないけどいい機会ってことは間違いないな、と。周りのみんなが助けてくれたら案外簡単にできちゃうのかもしんないって気はしてる。まぁ周りばっかあてにしててもしょうがないんで、とりあえず俺からバンバン動こうとは思うけど。

とりあえず学祭の実行委員長とこの前話したんだけど、ある程度の枠はやっぱあるけど比較的自由にやらせてくれるみたいで安心した。なんか歯車みたいに動くだけだったらどうしようと思ってたから。そんな使われるだけってのはやだかんね。

まぁこっからが俺の腕の見せどころって奴だよ、楽しみにしてな☆
とりあえず手伝ってくれる人募集中、参加者も募集中。気軽に声かけてくれぃ、他大だろうが社会人だろうがそんな枠は作んないつもりだから。

2003年7月24日木曜日

今更だけど・・・

おいっす、ひさびさ。
それにしてもなっげぇ~梅雨だね。もう高校生までは夏休みだってのに。
なんか最近は異常気象ってのが普通だよね、逆に通常な方が少ないんじゃん?

あ、でもそういや今年の花見はいい時期だったっけ。
普通のことってあんま覚えてないんだよなぁ~。

っとまぁそれはいいとして、なんかかなり遅くなっちゃったんだけど・・・
今月の9日に中大を元気にする会って団体(通称元気会)で「院か就職か!?」ってイベントをやったんだ。
それはFootstepの方にも書いてあるんで知ってる人もいるかと思うんだけど。

んでね、そんときの講演してくれてる人の話の中にいろいろといい話っつーか普段自分じゃ考えないこと、それを体験した人じゃないと話せないこととかいろんなためになることがあったんで、ちょこっとメモしとこうかと思います。

俺なりに考えたことなんかを加えながらね。
あ、これが遅くなったのにはワケがあって、俺らはその会んとき運営やってっから全部の話を聞いてらんなかったんだよね。
それだけで覚えてるうちに書いても良かったんだけど、この会でやったイベント(特に講演会)ってのはログを残してあんだ。
ホームページ見てみ?
話した内容とかそんときの写真とか、企画書やビラ、アンケート結果などなど・・・
んでそれをみんなで今回も手分けしてつくったわけさ。
ちなみに俺は今回講演会やってるときは記録係(写真撮るだけ)、終わってからは集計(アンケートまとめる役)やった。
んでみんなのがやっと出来上がってきたんで、いろんなデータを参照したりしながら書けるんで今更になっちゃったけど書こうかなって思ったんだ。

まずはこーいう講演会に出ることの意味。
俺は自分なりにはわかってるつもり。ていうか自分なりの意味を持って出てるんならどんな風に考えててもありだと思う。
他の人の考えなんか時間割いてまで聞く必要ないじゃんって言う人もいるかもしんないけど、俺はそうは思わない。
ってのは、まぁ暇だからと言えばそれまでなんだけど、こーいう講演を聞くことによってちゃんと聞いてれば絶対自分に残るもんがあんだよね。
講演する人にもよると思うけど。
でも下手くそな講演をしてるからって得るもんがないことはないよね?
「あーやっちゃダメなんだ。」とか「俺ならこーすんのに。」とか思うだけでも俺には意味がある。
もしも聞かなかったらそんなこと考えもしなかったわけだからさ。
プレゼンって程ちゃんとした形でなくとも人の前に出て話すってことは誰でもあるんだから、いい勉強になるはずなんじゃない?
しかも、今回ただだし。

ぶっちゃけちゃうと俺もはじめは院か就職かなんて決めちゃってたからあんま俺には関係ねぇなぁ、なんて思ってたんだけど、「講演会かぁ・・・しかも去年やってすげぇ評判良かったらしいしな・・・ただで聞けるいい機会だしいっちょやるかぁ」的なのりで俺もやってた。


んで、心に残ったというか大事だと思った1つ目。
院に行くにしろ就職するにしろ、30才んなった時の自分がどうありたいかイメージして、それに必要な方を選ぶべきだってこと。
これは就活中にもよく言われたことではあった。
だから初めて聞いたわけでもなんでもなかったけど、これから進路を決める人は絶対考えた方がいいと思う。

例えば俺なら、学部で大学を卒業して就職することにしたわけだ。
なんでこーしたのか?

まず、俺はぶっちゃけ一人で黙々と勉強していくようなことは苦手なんだ。
それは昔からわかってはいたんだけど、大学入ってから再確認した。
一人でやってくタイプだとしたら、俺はこうはなってなかったろうな。だから、院に行って研究とかは向いてないと思った。
親のお金かけてやるわけだからね、頑張ろうって思ってないなら行くべきじゃないっしょ。
んで、自分の30んときにどうなってたいかってのも、研究をしてある程度の成果をあげるとかそーいうんじゃなくて、ITの技術屋としていろんなことに精通してたいと思った。
これからまだまだ伸びる可能性のあるこのITって分野で、時代を創るってのができる奴になりたいと思った。
漠然としてるけどね。まぁ見果てることなく夢はでかぁく!って感じっす。
そのためには、院に行って研究を続けるよりも早く社会に出て、同じ2年を使うんでも将来につながる2年にしたいと思ったから学部卒を選んだ。

俺のマネする必要はないけど、これ考えると自然と自分の道が見つかるんじゃないか、て思う。


2つ目。
根っこに一つしっかりしたものを持っていれば、枝葉はあとからいくらでもつけられる。

これは、俺もそう思う。
なんかさ、中学んときとか頭もすごく良くてスポーツ万能で何をやってもすごい奴っていなかった?
確かにその人に才能があったからってのもあると思うんだけど、そーいう人ってのは何事もしっかり取り組んでっから他の人より頭一つ抜けてたっていうのも言えるべ。
逆に「こんなんできなくたって困んねーよ」とか「俺はこんなもんっしょ」とか言ってる人は何やってもそう。
全員が全員そうってわけじゃないけどさ、思い当たるフシのある人っていると思う。
ちなみに俺は後者かな、途中まで頑張るけどある程度のレベルまで行くと手ぇ抜く。これ一番わかってんのはみんなの親かもね。
それってさ、根っこんとこは同じだと思うんだ。
だからね、根っこを強くしなきゃ、しっかりしたもんにしないとどんだけいろんなことやってもどうしても薄くなっちゃうかなって。
だから根っこに一つ自分の自信になるようなことをすること。
これがすごく大事になってくるんじゃん?
意外といろんなことの根本は同じかな、と。調べ方とか、練習したり、成果をどうやってみんなにアピールするか、とかさ。

俺なら、今の自分の学科をまとめてみんながすごく仲良くなれるようにできたことはすげぇ自分の自信になってる。
こんなのは、ほんとなんでもいいと思うけどね。
でも、自分が頑張ってやったことってのはすごく自信になると思うよ。
あ、そうだなにもないなって思う人は富士山登ってみるといいかも。
Breakersの企画にも参加してみ?いちいち自信になるから☆


3つ目。俺らは20年前、30年前のことを学んでる。

これは意外な盲点だった。
俺らの学科だけじゃないと思うんだけど、大学ってのは過去レポあって当たり前のとこだ。
実験のレポートもそうだし、もちろんテストだって過去問がある。
中には、昭和50年代の奴とかもあるんだよね。
もう平成も10年代になってるってのに、未だにそんなレポートが普通に使われてる。
てことは・・・考えたことなかったけどそんな時代の人たちと同じこと勉強してるってことなんだよね。
ありえね~。技術大国日本ってどうなってんだよ。
いちお日本で上位5%に入ってるって大学がこんなことでいいんかよ?やれやれだぜ。
そりゃ企業も1から育てるわけだよね。
世界じゃ大学で最先端学んで卒業した人材が一番技術を持ってる人になってんのに・・・。
って勉強してない俺が言えることじゃないけどさ・・・


他にもいろいろとあるんだけど・・・今回は疲れたんでまた今度。
みんなの参考になる話になってるといいけど。
もっと聞きたいって人は飲みにでも行こうぜ、朝までコースでも全然おっけーなんで☆

2003年7月8日火曜日

この道を行けば

今日は、起きたら小雨がぱらついてたのもあって、家にいたよ。
んで、レンタルビデオ店行ってビデオを何本か借りてきて、家で見た。

う~ん、いつ振りだろ?レンタルビデオを鑑賞すんのって。
多分去年まで遡んないとダメな気がする。

しかも、そんとき借りたのは「ストロベリーオンザショートケーキ」ってのと「夢のカリフォルニア」だったかな?
あんまドラマって見ないから題名があってんのかわかんないんだけど、ダチに「俺が出てるから見てみ?」って言われて見たんだよね。
そんなもんだから、見ても話なんか全然飛ばしてそいつの出てるとこだけ見てウケてた。笑
だから、しっかり見ようと思って借りたのはほんとにひさびさだったなぁ。

んで、今日見たのは「ブラックホール」ってのと「エボリューション」って2本。
まぁどっちも系統は似てるっちゃ似てるかな。

まぁそこんとこは俺の趣味だからあんま気にしないで。
やっぱスカッとしたいかんね!
ガキっぽい?うっせうっせ~。

で、俺の見た感想書いていきまっす。

まずは「ブラックホール」。

はっきり言って、あんまおもしろくなかった。
★☆☆☆☆ってとこかなぁ。
なんか俺的にはそのブラックホールが出来ちゃったあとのどーにもなんない映像を見たくて借りてきたんだけど、そんなシーンは少しで、前振りってかその実験がされるまでのやろうとする側、食い止める側の争いみたいなところに重点が置かれちゃっててちょっと俺は拍子抜けを喰らった気分だった。まぁそこの映像も少しは見れたから良かったけど。
あとは、ちょっと難しいかもね。普通の人が見たら。俺はまぁ理系の人間だし物理多少かじってるから映画の中で言ってることは大体わかったけど、初めての人が見ても多分わかんないかなって思った。素粒子論とか電子を加速させるって言ってもわかんないっしょ?でも、俺は受験勉強でもろそこやってんだよね。

まぁそれだからこの映画に興味を持ったって言えなくもないんだけど。

ブラックホールってさ、ほんと特別なもんじゃん?特異点って。質量の重くなったもんがその重さ故にどんどん核の方にに凝縮されていって、ある密度を超えると爆発するorブラックホールになるってのが俺の記憶してるブラックホールのでき方なんだけど。合ってるかな?
んでね、こっからは俺の受験時代の記憶の話だから、どこまで合ってるかはわかんないって断っておくけど・・・みんなは知らないかもしんないけど、地球にもそうなる可能性ってあるんだよ?一般的に言われるモノってのは、質量の重いものになりたがる性質があんだ。多分俺ら人間もそう。ずぅっと時間が経つと、一番重い鉛になる。なんでだっけな・・・o(-_-?)oここんとこがはっきり言えないと、全然説得力ないよね。(^^;
たしか、一番安定した元素だからとかなんとか・・・とにかく、そうなんだ。そこんとこは、また興味出てきたからなんかの機会に調べておくよ。
んで俺らも鉛に向かうけど、それは地球にも言えることで、質量の重いものは重力で一番早く核の方に行くから、第一段階として地球の核が鉛になって、それからだんだんその鉛の塊が大きくなって、いずれは地球全体にまで及ぶ。そうなると、あとは凝縮されていくだけで、最後には凝縮されたときの熱で爆発するか、さっきも言った通りブラックホールか、てわけ。

ま、俺らが死んだずぅーーーっとあとの話なんだけどさ。

それにしても、ブラックホールって不思議だよね。今も宇宙にあんだから、どんどんいろんなものが吸い込まれちゃってもおかしくないのに、俺らは今も生きてる。ま、だんだんそのときに近づいてんのかもしんないんだけどさ。これは、宇宙が膨張を続けていて、その早さが非常に早いからだって話を聞いたことがある。どんどん星と星が離れてくのが早すぎて、ブラックホールも宇宙の核になった場所からは遠ざかってっかんね。あ、宇宙のはじまりについて今(まぁ5年は昔の話だけど)言われてる理由って知ってる?普通は知らないかもね。でもこの分野って俺は好きで、結構自分でも調べたり勉強したりしたんだよね。
まぁその宇宙の始まりについては今度話すことにするよ。

んでこの映画では、石油資源の枯渇に伴う代替資源の模索に関して、ブラックホールという高密度な場所からエネルギー資源を取り出すというものだったけど、実際現実に起こらない、とは言い切れない部分もあると思う。
確かに石油資源はなくなるものだし、外国の資源だからこの前の戦争んときみたくなっちゃうとどーにも資源のない日本って国は不利だよね。どんなに技術大国日本って言っても、その材料がなきゃ宝の持ち腐れ、なんもできないって言われてもしょうがないんだから。
今研究がどうなってっかは知んないけど、核爆発を新たな資源にするってのが原子力発電じゃん?あれはあまりに危険だよね、俺は反対とまではいかないが、できれば他から発電できればいいなと思ってる。プルトニウムの半減期(放射能が半分になるまでにかかる時間)って何年だっけ?2万4000年とかだっけ?あり得なくない?2万4000年経って、やっと放射能が半分になるんだよ?そんなのつくり続けたらどぉなんだよ。かと言って、風力や太陽光なんかじゃ変換率が悪すぎるし、天候にも左右されっしね。てことで、核融合。これは俺が高校んときに授業受けんのすっげぇ好きだった予備校の先生が言ってた話なんだけど、核爆発だと、プルトニウムってのが出るけど、核融合だとそれはないんだって。しかも、核爆発と比べっと桁違いのエネルギーを手に入れることができて、しかも地表の70%を占める海から材料となる水(!)を取ってこれるって話。これなら水だし危険はないし、他で電力を補う必要もなくなる。ただそれはわかってても、その核融合をするためには特別な環境をつくる必要があって、その環境がつくれないからまだ実用化は全然先になるだろうって言ってた。なんでも、ものすごい高熱の下にやんないと、核融合って現象は起こらないんだってさ。あれから4年経ったけど、まだそんな情報が一般の人まで降りてこないってことは、無理だって諦められたか、もしくはどっかで国家機密でやってたりしてね?
はやく実現するといいなぁ~。って俺が言ってもしょうがないか。

そんなこんなで、おもしろくはなかったけどいろいろと昔のことを思い出させてくれる1本になりましたとさ。

お次は、「エボリューション」。

これは俺好きだなぁ~。おもしろかった!★★★★★!
映画としてもおもしろいし、題材も俺は好きだし、挿入されてる音楽のセンスなんかもよかったと思う。

映画館でやってるときもおもしろそうだなぁって思ってはいたんだけどね、なんで行かなかったんだろ?
きっと行く相手が見つかんなかったんだろうなぁ。
まじ映画館って一人じゃ行けないし、見たいもんによっちゃ女と行くもんじゃなかったり、逆に男同士でこれはねぇだろってのもあるし、ちびっ子と一緒に見るのもな・・・って思ってやめちゃうこともある。
難儀な場所だぜ。

でもこの映画はひさびさにおもしろいなぁって思ったなぁ。金もかかってるだろうけど、そんだけのもんはあった。
てか、こーいうの見せられるとまた映画つくるの参加せてみたいって思うよね、別にその映画に出なくてもいいから、技術的なとこ、例えば音楽や照明、CGとかでもいい。ちょっと参加するだけで、あとで“自分がこれに参加してたんだ”って絶対達成感ってか満足感得られると思うんだよね。今はまだ何もできないけど、いつかそんなこともできるといいなぁ。

これもさ、今んとこは多分ない話なんだけど、まぁ簡単に言うと
隕石が落ちてきて、その隕石が急速に進化していく話。

俺はこれ見るまで、地球の歴史って漠然とその流れは知ってたよ。
隕石が落ちて・・・月と地球が分かれて・・・地球が丸くなって・・・火山が爆発して・・・雨が降って・・・海ができる。
海ん中で単細胞生物が生まれ・・・その中から植物が育ち・・・陸に進出して・・・大気に酸素が満ちる、だろ?
んで環境が整った時点で生物の進化が始まるんじゃん?まずは海から。魚、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類。んで人間が生まれ、今に至る。
こんな感じじゃなかったっけ?

でも、その流れが早いもんなのか、遅いのか、それを考えたことは今までなかった。
宇宙のどっかの星では、俺らより文明の進んだ国があるかもしんないっていうけど、ほんとかな?
なんか比べるもんがないから、進化のはやさがどうだってのはわかんないけど、もしこの映画みたいなことが起こったら大変だなぁって思う。

人間なんて頭使わなきゃあまりにも無力だもんね。
武器持たなきゃ勝てない動物なんかいっぱいいるっしょ。
ほんとに戦ったら犬にだって勝てないし、猫にだって、ねずみにだってやられると思う。

でも、だからこそ人間の武器である頭をもっと使うべきだし、俺ももっと自分の力を伸ばしていきたいと思ってる。
そして、無力だけど他の動物にはできないことを俺らはできる。「豊かに生きる」ってことをね。
人生を楽しむことができるってのは、俺らに与えられた特権だよね。

なら、俺はそれをめいっぱい使って生きたいっすね。
仲間と一緒に。

なんか映画の感想のはずが違う方向に飛んじゃったような気がするけど・・・まぁいっか。
てことで、俺がこの日にこの作品を見て思ったのはそんなとこでしたぁ。
またいつかこれを見たトキに、俺が何を思うのか楽しみだな。

んじゃ、そんな感じで、まったに~。
アディオスアミーゴォ☆

2003年7月7日月曜日

千夜一夜

せっかくの七夕の夜だったってのに、あいにくの天気んなっちゃったね。
星見をしようと外に出ても雲しか見えないし霧雨降ってっし。

でも、ものは言いよう考えようってね。

雲の上はるか彼方じゃ織姫と彦星が一年に一回の逢瀬をしてる。
そんな2人にとって特別の時間を、神様は地上の人間には見せたくなかったのかもしんないよ?
「まぁまぁせっかく会ってんだからさ、野次馬なんて野暮なことすんなよ」なんてね。
まったく神様って奴ぁ、粋な演出してくれるもんだぜ。

この雨も今日だけは天の川の水かもしんないって思えたら、霧雨ってのもちょっと神聖な感じじゃん?
なんか水のカーテンみたいでさ。

昔の人は七夕のとき何してたんだろ?
今の俺と同じように星見を楽しみにしてたんかな?

そんなことを考えながら、七夕を過ごした俺でした。

2003年7月6日日曜日

七夕ということで

今日は七夕だね、みんな何して過ごすつもりなんかな?

バイト?デート?俺らん中にはゼミとか研究でそれどころじゃないって人も多いと思う。
てっか一番多いのがそんな奴らなんかもね。

んでもってそんな中俺の予定は・・・なし、です。悲しいことに。∑(゚□゚;ハウッ
いや学校には行くんすけど。
最近暇なんだよなぁ~、まぁ新たにバイトでもすりゃいいのかもしんないけど、これから夏休みでダチと旅行行く機会も増えるだろうってトキにわざわざバイトを始めることもないかなって思って今は静観してまっす。
もしかすっと後期になってもやんないかもだけどね。
来年からいやでも働くわけだから。

んで七夕っていう節句がちょうどあったんで、これから入社まで俺はどうしていきたいのかをちょっと考えた。
別に節句じゃなくても常に考えてはいるんだけど、時間もあったからね。

まず基本方針として、無駄な時間として過ごさないってのがあるわな。
何してもいいけど、入社するときに今の俺を振りかえって、“あんだ全然変わんなかったんだな”って思いたくはないね。

とりあえず今考えてるのは、卒研・資格等の勉学面で手抜きをしないってことと自分の経験値を高めていくことの2つを平行させていくこと。

勉学面に関しては、幸い俺の今いる研究室は他の研究室に比べてそんなにキツクない。
まぁ、それを事前に調査した上で入ってるわけだから当たり前なんだけど。
なんでそんな研究室に入ったのか。理由は簡単。

自分の時間が欲しかったから。卒研に1年間を費やすつもりはさらさらなかったから。

俺は大学院に行かない。研究は長くやっても1年間だ。後期から卒研を始める研究室が多いので、学部で卒業するほとんどの学生は半年間しか研究をしない。そんな腰を据えて研究する時間のない中で、しかも俺らのいる分野(ってか他んとこもそうなのかもだけど)ってのは、研究施設によって研究内容が絞られたりする。果たしてどんだけの研究ができるんだろ?って考えてたトキ、先輩からあるアドバイスをもらった。「本当に研究をしたら、俺ら中大じゃ施設で国立大とか企業にはかなわないよ。半年間やってもほとんど成果をあげることなんかできやしない。ならお前は楽なとこでいいから研究してたらできなかったことをいろいろやればいんじゃない?」俺はホントその通りだと思った。
「理系の大学生やってんだから、親にお金出してもらってんだから、勉強頑張んなきゃ顔向けできないっしょ。」なんて言う人もいるかもしんないけど、ほんとにそうなんかな?んじゃ勉強さえやってりゃ親が喜ぶの?成果上がってないのに?極端な話言っちゃえば半年間勉強は頑張ったけど、知識として多少増えただけで勉強以外がなんにも伸びなかったとしても、それでもいいんかな?
俺はそう思わないんだよね。ならその時間使って自分のしたいことであったり、これからの自分に必要になるようなことを勉強するってのもありだと思う。資格取ろうとすんのもありだし、土地や日本の文化についても勉強してみたいと思う。他にも学ぼうと思えばいくらでも学ぶことはできるよ、時間さえあればね。時間をかけて読書するってのもわるくないことなんじゃない?
つまり俺が言いたいのは、研究に全ての時間を費やすつもりはないけど、何も勉強しないでこれからの時間を過ごすつもりもないってこと。随分甘いことを言ってんなって思うかもしんないけど、俺はこうしていきたいと思う。

んでもう一つの経験値を高めていくってこと。これは主に旅行、イベント、人とのつながりの3つだな。

旅行することで経験値が高まるってのは、一人旅とか、旅行に意味を持たせる人はわかるかもしんない。旅行することで、自分の国や他の国、その土地の人の暮らし、どんな色を持った人たちがいるのか、俺との違い、その人たちの良さはどこにあるのか、そういう暮らしになる気候、土地的な条件があるのか、どんな料理があるのか、観光で収入を得てるのか、それとも農業や他の仕事で収入を得ている人たちが多いのか、本当にいろんなことがわかる。その中で自分がどうするか、初めての土地でまずどこに行くか、何をすべきか、どんな人なら自分は話しやすいか、何を感じるのか。相手のことや世界のことを知るのと同時に自分についての理解ってのも深まるんだよね。そんな旅行をいろいろとする中で、自分ってものを確かめながら、いろんなところでの出会いを大切に成長していきたいと思ってる。ここは自分のコアになってると思えるところだし、よっぽど旅行に行ってる人と比べない限り、今の時点でもかなりの開きがあると思う。これは俺が生まれた星の下がよかったっつうか、両親とかダチ、いろんな環境に恵まれたからなんだけど、もっともっと伸ばしていきたいね。

お次はイベント。就活を終えて、先輩と話したとき受けたアドバイスに「学生にはできて社会に出たらできなくなることってなんすか?」「うーん・・・失敗かな」って言われたことがあって、“なるほどな”って思ったんだよね。だから、いっぱい失敗しとこうと思った。いやまぁはじめから失敗する気でやるんじゃないよ?成功するか失敗するかはわかんないけどとりあえずやってみっか的なスタンスになったってことなんだ。
これは自分でやってる何ヶ月かに1回のパーティー企画もそうだし、他の人がやるイベントへの参加であったり俺の参加する団体でのイベントの企画側としてもそう。
参加者として参加するのは、ほんと気が楽だよね、誰か知ってるダチが一人でもいるイベントなら。自分では何も準備しなくていいし。でも講演会とかだと自分じゃ思いつきもしない考え方に気づかされたり、プレゼンも勉強になるし、サッカー観に行くのだっていろいろと得るところはあるよね。話題性ってのもあるし。楽しい中でも周りにいる人から吸収したりできる。
来週(もう今週か)に迫った富士登山や元気会での企画は自分は真ん中で動くことはあんまないけど、企画側として何人もで一つのものを作り上げたり、一つのことを達成したりする達成感なんかいいもんだし、もっとどんどんやって行きたいと思ってる。
あとは自分の飲み会かな。これは自分のって言っても俺一人でやってるわけじゃなくて、ゆうにははじめ随分助けてもらったし、大和にもいっつも力を借りてる。あとは虎も俺が呼べばよっぽどのことがない限り来てくれるって安心感があるから、ぶっちゃけ誰も参加者がいなくてもこいつらさえ集まれば俺としては楽しい飲みになるから、躊躇なくイベント開催に踏み切れる。でもはじめは何やりゃいいのかわかんなかったし、かなりぎこちなく店の手配、参加人数の把握、値段交渉等やってたんだけど、今じゃやっぱ何度もやって慣れてきたとこがかなりあんね。慣れたもんだよ。俺ここやるから、そっちよろしく、みたいな。できれば卒業してからも、このメンツとはこういう関係であり続けたいと思うし、この企画も続けていけたらって思ってる。次回開催は8月、日程決めなきゃね。それよりまずは電電飲みだわ。

んで、最後は人とのつながり。やっぱ自分が成長するのに、一人で成長できることって俺に限って言えば少ないね。これは、俺が俺一人だと弱いってのもあんだと思うけど、他の人を見てそこからいいところを盗むことができるってのも大きいんじゃないかって思う。俺から盗めるところは他の人にもどんどん盗んでいって欲しいしね。上の旅行・イベントって二つは比較的新しい人、刺激、自分の知らなかった世界を求めるものなんだけど、最後はやっぱ今あるもの、この4年かけて自分が手に入れたものであったり、趣味であったり、ネットワークってものを大事にしていきたいな、と。別れもあれば出会いある、それはわかってっけど、今までに知り合ったダチとも仲良くやっていきたいから、そのためにできることがあんならしていきたいな、と。まぁ具体的にこれやるってのはここに関してはわかんないんだけど。強いて言えば会えなくてもメールはしてみたり、できるだけ連絡を取るようにしてみる、こっちからいくスタンスを大事にするって感じかな。

この3つを大事にしながら入社までの期間を過ごしていきたいと思ってまっす。今んとこ。
てな感じで、長くなっちゃったね。

最後まで読んでくれてありがとさん。バイ!

2003年7月4日金曜日

Flame

おいっす、月日の経つのは早いもんでもう7月だね。

こっからの季節俺は好きだなぁ。
やっぱ開放感あんもんね!

んでそんな季節も到来した今日7月4日、ほんとは俺は横浜にいるはずだったんだ。
まぁ延期んなっちゃった企画だったんだけど。

なにをやろうとしてたかっていうと・・・船上ビアガーデンパーティー!
横浜の山下公園に泊まってる氷川丸(←知ってる?)の船上でビアガーデンしようと思ってたんだよね。
おもろそうっしょ!?

あそこは定番のデートコースって言われるだけあってすっげぇおしゃれなとこだし、船の上で飲んだことなんてないっしょ?
ビアガーデンに行ったことないって人もいるかもしんない。
んで船は動かないから船酔いの心配もないし、夜はあの公園がライトアップされっから外でおいしいお酒を飲みながらの夜景ってのも格別だろぉって。
いいべぇ~。帰りには中華街にも寄れるしね。

5月にもやったけど、俺の思いつきで企画するパーティーの7月バージョンさ。

でも・・・延期した。

まぁ準備期間が短かったってのもあるけど一番の理由は・・・早稲田のイベサ「スフリ(superfree)」の問題。
知ってるよね?有名な話だから。
2chもあんときは祭んなってたし、情報は今いくらでも入ってくるでしょ。
俺のダチも何人かあそこのイベント行ったことある奴いたし、俺と同じ世代の結構知られてる大学行っててサークル活動とかしてる奴はほぼ一回くらいは聞いたことあんじゃないかって思う。
超有名サークルだったかんね。
ちなみに俺んとこの入学式にもビラ配りに来てたわな。

んでもってあいつら俺の企画したイベントに来たこともあったんでちょっと喋ったことあったんだけど、あんなことしてたなんて知らなかったなぁ。
知らなかった、じゃすまないけど。あいつら呼んだのは俺のミスだった。
あれはいかんぜ、まじ。
まぁ全員が全員やってたわけじゃないとは思うけど。

でもさ、あいつらのおかげで早稲田がすっげぇ今叩かれてっけど、なんかそれもどうなんだろね?
なんかあれに乗じて早稲田潰しにかかってる奴らがいるような気がしないでもないって感じるな、俺は。
だってさ、捕まってる中に早稲田じゃない人間もいるんだよ?
なのにそいつの大学はあんま叩かれてないじゃん。
あそこに所属してた奴の出身大学なんてほんといっぱいあるはずなのにさ。
それに俺が見たビラにはスフリは早稲田のサークルとは書いてなかったような気がする。

俺が受験するときは最難関レベルが早慶上智って言われてたけど、大学に入ってみて人数の多さじゃ上智は一歩遅れをとってる感がある。
んで早稲田と慶応の2大勢力になるわけだけど、今回のことで早稲田が落ちるとしたら慶応の一人勝ちじゃん?
もしかこの早稲田叩きやってんのは慶応の連中か・・・!?
なんて、ちょっとそうなっちゃうのも俺は嫌だなぁ~なんて感じるね。
ま、どうでもいい話かもしんないけどさ。

んでもってスフリだけが悪いかって言うと、俺はそうでもないと思う。いや悪いのは間違いねんだけど。
よく「これは氷山の一角に過ぎない」ってテレビとか雑誌が言ってるけどさ、ホントそうでしょ。
今回は運悪くスフリが捕まったね。まぁやってること派手で目立ってたってのもあると思うけど。
でも、こんなことやってるサークルなんてのはホント星の数程あんじゃねぇの?

言っておくけど、俺はやってねぇかんね。

でも、いろんな人からやっぱ話聞くとそういう風に噂されてるいわゆるヤリサーなんていっぱいあるよ。
どこの大学にもあるんじゃん?もちろん俺の大学にだってあると思う。
2年前くらいにそんな噂聞いたことあったもん、確か。
それにサークルなんてもんは非公認だから、聞いた話じゃ新歓の時期だけ嘘のサークルつくってビラ女子大にだけ配りに行って新歓コンパっつって女の子呼んで当日来た子には「今日サークルの人みんな来れないんだってぇ~。」とか適当なこと言って合コンみたくしちゃう奴らもいるって言うしさ。
ぶっちゃけなんでもありなわけさ。

今回スフリの捕まんなかった奴だってまたいくらでもそんな組織はつくれるわけだし、大学生だけじゃなくて社会人だってこんなんは全然あるんじゃん?
だって大学生はいずれ社会人になるんだからさ。

だから、一網打尽にしようったってそれは無理ってもんだ。

んじゃ、どーすりゃいいのか?
決まってるべ、自分で決めるしかないっしょ。

そーなんのが嫌ならそーいう場に行かなきゃいいし、飲みたいなら信頼できる奴らと行けばいい。
でもしそーいう盛り上がる場に行きたいなら自分の責任の下行けばいいけど、行くにしてもそこが大丈夫なとこかわかんないまま行くのは危険。
なら調べてから行く、とか行ったことある人から聞いてから行くとか人数集めるとかするべきだべ。

なんも考えないで一人でビラだけもらって行くってのはあまりに安易な気がする。
まぁ大学に入りたての新入生にそこまで調べて動けってのはちょっと無理な話ではあるんだけどね。

それにそーいう場に行けば友達もできるし、普段は聞けないような話が聞けちゃうこともあるし、彼氏彼女ができちゃう場合だってあるってことを考えればでっかい飲み会に行きたくなる気持ちもわかる。

事実俺も飲み会は好きだし、自分でも企画したりするし。
俺が1年の新歓の時期は、やっぱ飲み会でできた友達と他の飲み会に行ったりしてどんどん友達作ってったかんね、だからこそ今すっげぇ楽しい学生生活を送れてるし、学科なんてほぼ知り合いって状態になってる。
まじこんな仲良い学科も珍しいんじゃん?って感じだもん。最高だよ。

でもそうなるかああなっちゃうかは一見しただけじゃ見分けつかないもんなぁ。
男は別にいいとしても女の子には飲み会行きまくって友達作れってのは絶対におすすめできないよね。
まぁもうちょい気をつけようぜ、としか言えないかな。

でも今回の件がみんなの警戒心を高めたのは間違いないね。
その点については個人的にはよかったんじゃないかって思う。

名乗りをあげた女の子にはなんて声をかけてあげたらいいのかちょっとわかんないけど。
ごめん、でもないし、ありがとう、も違うし、頑張って、てのも変だし・・・

てことで、ちょっと俺の思ったことをずらずら書いてきたわけだけど、 ここで俺からもう一つ言いたいことが。

俺は、この事件がきっかけで社会人から「今の大学生はダメだ!」「勉強だけしてろ!」とか言われんのは心外だね。

あいつらは空の会社買い取ってパー券で運営してたとかって話を聞いたけど、その影響で他の人たちまで影響を受けるのはナンセンスだと思う。
実際俺の知ってる人ん中にも、学生団体みたいな形で空の会社の名義で動いてる人がいるけど、そーいう人たちは本当に自分の夢に向かって生きてたりすんだもん。
「石垣島のパイナップルを関東のみんなに広めるんだ!」って言って農業インターンやってる奴とこの前話したんだけど、金はないけどその会社を共同出資って形で持たしてもらって、「いずれは俺らのつくったパイナップルで稼ぐんだ!」って俺に熱く石垣島のパイナップルと沖縄本島のパイナップルの味の違いがどうやって出来るのか語ってくれた。パイナップルの甘さは気温で決まる、とか沖縄本島と石垣島は東京と大阪くらい離れてることとか、ほんといろんなことをすっげぇ楽しそうに話してくれた。
思わず俺が石垣島でパイナップルつくりたくなっちゃったよ。

そんな奴らだっているし、すっげぇマジメに勉強に取り組んでる奴もいれば、自分の好きなことを極めようと頑張ってる奴もいる。
そういう奴らが、「あのスフリと同じ今の大学生は・・・」ていう観点で見られるのは、勘弁ならねぇな。

就活中、面接官に「大学時代に頑張ってきたことを教えて下さい。」って言われて、
「イベントサークルで4年間頑張ってきました。3年次には幹部としてみんなをまとめ、笑われ役として場を盛り上げていました。自分が企画したイベントが成功したときの達成感は今でも忘れられません。」とか答える人がいたとして、今までだったらそこから統率力だとかコミュニケーション能力だとかのプラス評価につながってたのが、そのイベントのことについてはイベントサークルってだけで聞かれなくなって「勉強の方はどうでした?」とか聞かれるようになってっちゃうとしたら、本当に頑張っててもそういう風に見られなくなったらちょっと悲しいなぁ、なんて。
まだ俺の友達には就活中の奴もいるし、早稲田の奴なんかはさらにキツクなるんじゃないかって思う。
ただ“同じ早稲田”ってだけで「あの早稲田か・・・」って。

いろいろと考えることの多い出来事だった。
つながりがゼロじゃないだけに。

んで本題に戻るけど、その俺主催のパーティー、まぁ趣向は変わるかもしんないけど来月あたり(今月は大学はテスト期間なのさ)にやろうかと思ってるんで楽しみにしてて!
今回は前回就活で来れなくて待ちわびてる人もいると思うし、頑張んないとなぁ!!!な、大和?

ではでは、またね。ちゃお~。

2003年6月28日土曜日

土地への縁

おいっす、みんなひさびさっすね。
元気にやってんのかな?
なんか最近天気もよく変わるけど(おかげで洗濯物がびしょびしょ・・・)、季節の変わり目みたいだから体調には気をつけてね。
風邪引いてる人が多いみたいだから。

さてさて、俺が最近ここに書かなかったのは、なんででしょう?
待ってる人がいる(かもしんない)のに。

・・・ちょっとパソコンから離れようと思ったんだ。
ウェブサイトを持ってる人はわかると思うけど、これってちゃんと更新しようと思うとかなり生活に割り込んでくるよね。
んでそこから離れた生活をここ一ヶ月思い出してました。

まぁ、そんなとこです。
実際はパソコンから離れらんなかったんだけどね。苦笑
これからはちょこちょこ書くつもり(あくまでつもり)。

あ、文章だけど、先月ちょっと変わった感じにしたけど、やっぱ無理です、戻します。笑
こっちの方がやっぱ俺は書きやすいや。
あれはトモダチに影響されてなんだけど、そいつの文章は誰かの文章真似てるとかで、物語風になっててさ。
“俺もこんな文章が書けるようになりたい”と思って練習したんだけど・・・ダメだわ、やっぱ。笑
てことで自分の一番書きやすい言葉で書いていこうと思います。

で、今日は“土地への縁”ってことについて書いてみようと思う。

俺ね、旅行好きなんだ。
高校の頃からトモダチと旅行に行ったりするようになって・・・大学でもトモダチと行ったり、サークルで行ったり、一人旅もした。
つるんでる奴らはよく知ってると思う。

んでさ、思うのが“一度行ったところって、縁ができるなぁ”ってこと。
なかなかわかりづらいかもしんないけど、例えばすっげぇちっちゃい頃に行ったことがあるとこって自分に記憶はないかもしんないけど、親がそこについて話してんのを聞いたり、写真で見たりしてるよね。
そーなると、次にそこが出てきたとき親しみ感じたりするじゃん。

そこに行ったことのある人がいると、いきなり仲良くなったような気分になったり。

俺はそーいうのを結構大事にするタチだと自分でも思うんだけど、そう信じさせるような出来事が最近いくつかあったんで紹介すんね。

まずは先月俺が京都に行ったときのこと。
俺がここに行った理由ってのも“修学旅行で行ったあそこにまた行ってみよう”ってものだったんだけど、そこから帰ってきて数日後、ある会社の最終面接(この会社は最終がグループディスカッションなんだけど)、同じグループになった人の中に京都から来てる人がいて、その人につい先日京都にいたこと話したらそこからすげぇ仲良くなってそのグループディスカッションも楽しくできたんだよね(まぁ、結果は落ちちゃったんだけど)。

んでこの前長崎に行ったときのこと。
親父の生まれ故郷で、親父方の親族はいまだにここにいる人もいるんだけど、そんな長崎に俺はこれまた修学旅行以来に行ってきた。こんだけでもかなり縁があんだけど、観光したとこも自分が修学旅行で行ったとこ、ダチが行ってきたって言ってたとこ、そこをまわる途中で現地の人と話す中で教えてもらったとこ、だった。んで帰ってきて数日後、俺が来年から勤めることになる会社の内定者同士の飲み会でのこと。なんと、長崎出身の人が。まぁ言うまでもなく一気に仲良くなれちゃった。

俺ってやっぱ恵まれてんのかもね。こんな続くなんて普通あり得ないもんな。
でも、行ったことによって縁ができたってことは間違いないんだよね。

行ったことがあるってだけでそんときはなにもつながらなくても、あとからつながることがあるっていいなぁと思う。

飲み会の場とかでもそうじゃん。
「どこどこ出身」「実家どこで、今どこに住んでるよ」「学校どこどこだよぉ」「昔そこ住んでた」とか、そん中にちょっとでも共通点あったりするとそれだけでうれしくなったり、世間って狭いなぁなんて感じたりしちゃう。

普段みんなはあんま意識しないことなのかもしんないけど、俺はそんな“縁”を大事にしていこう、と思うんだわ。
これからもずっと。

てことで、みんなの地元に行ったときはよろしく頼むわぁ。

2003年5月29日木曜日

もう一つの視点

つい先日、世界の中の東京、という新たな視点を手に入れた僕。
だが、なんとなく納得いかないことがいくつかあったのでその疑問をいつか解消したいと思っていた。

そして、少し時間に余裕をつくり、銀行に行って話を聞いてきた。
餅は餅屋、蛇の道は蛇。何事も知っている人に聞くのが一番の近道だ、と思っている。
もちろん一人に聞いてそれをそのまま信じるのは危険なので、何人かの意見を総合しなくてはいけないが。

そこでわかったことがある。
どんなに日本がダメだ、と言っても、僕の生活圏は日本。
海外に行くことはあるだろうが、いつかは日本に帰ってくるつもりだ。

ならばわざわざ世界という視野を持つ必要はない、ということ。
為替の変動に左右される、どちらかと言えばリスクの方が目につく外貨預金には、少し自分に資産ができて、そこから余裕を出せるようになってからでも遅くはない、と。
もちろん金利は日本円で預金するよりいいかもしれないが、外貨にするのに手数料がかかり、もちろん戻すのにも手数料がかかるので、メインバンクにするのはただ自分の資産を減らすだけになってしまう危険もある。
日本の銀行では破綻しようが個人の資産はなんとか保険というのがあるため、確実に守られるから安全だという話を聞いたことがある。
そしてそれは外貨預金には適用されないらしい。

この前話を聞いた人は、生活圏がアメリカの人だった。
だから、$ドルで預金することを基本に考えていたし、今日本にいると言ってもいずれは向こうに帰るという前提があった。
僕はそれをそっくりそのまま自分に当てはめていたが、そういう問題ではないことがわかった。
いろいろな要素があって、その自分のおかれた状況で自分に合うものを選ばなければいけない。
僕は何も知らなかったんだな、と少し反省した。

それに加え、東京にもリスクはあるが、それを言うならNYにはテロ、中国近辺にはSARSの危険もある。
他の人の話では今の日本には1ドル150円くらいの価値しかないからいずれそうなるよ、という人もいるし、アメリカのブッシュ政権はどうやら円高ドル安の状態の方が輸出には好都合だからそっちの方向で動きそうだ、と言う人もいる。
そういういろいろなことがあり、だから先が読めない。
そしてそこがリスクであり、おもしろいと感じる人もいるのだろう。

なかなか僕には難しい問題である。
これからじっくり考えようと思った。

2003年5月26日月曜日

世界の中の東京

今日、僕は世界の中の東京、ということを感じた気がした。
と言うとよくわからないかもしれないが、確かにそうなんだ。

時刻はすでに18時をまわっていた。
ここは上智大の中。
この前来た時と違い、授業の終わった学生で溢れた構内は騒がしかった。

そんな中、僕は去年の夏に初めて出会った友達と花見以来の再会を果たした。
そして、その場を離れ、共に夕食を食べにある店に来ていた。

そこで聞いた話が、非常に興味深い話であったので、少し紹介したいと思う。

僕はすでに就職活動を終えた身であったが、もしこの場に就職活動中であり、そして志望業界が銀行・生保などの金融系の人がいたならば、僕なんかよりもっと参考になったのではないか。

みなさんは東京に住む、ということをどう考えているだろうか?

僕のような若者にとって、東京で一人暮らしをすることは一度はしてみたい夢であり、ステータスにもなりうると思う。
そして、老後になるまでは東京にいたい、というのが僕の考え方だった。

さっきまでの僕ならば。

それを悪く言う気はさらさらないが、僕が今日再認識した事実をみなさんが聞いた上で、どう思うか決めても遅くはないのではないかと思う。

今日、震度6という大きな地震があった。
僕は外に出ていたのでほとんど影響を受けなかったのだが、電車に乗っていた友達は電車が止まってしまって身動きがとれなくなったりしていたらしい。

みなさんの知っているとおり、日本は地震の多い国である。
常に大地震に襲われる可能性がありながら、僕達は十分な対応策を持たずに日々を過ごしている気がする。
日ごろの行いの良い僕(反論は一切受け付けない)などは、”大地震が起こったところで自分だけは生き残れる”という妙な自信を持っていたりもする。

では、実際にそんな大地震が起こったらどうなるか?

最近建築された建物は倒れないかもしれない。
というのも、六本木ヒルズなどは森ビルの社長である森さんの、「大地震が起きたとき逃げ出す街ではなく、逃げ込む街をつくりたい」というコンセプトに基づき設計をしているからである。

しかし、まず間違いなく、僕の今住んでるアパートはつぶれてしまうか、火事で燃え尽きてしまうだろう。
台風が来ただけでもぐらぐら揺れている築○十年のこのボロアパートが、とても大地震に耐えうるとは僕には考えられない。

そして、火事。
これは僕のボロアパートを含む木造の家に住んでいる人たちには避けては通れない災害となるであろう。
そして、その火事が引き起こすのが、爆発。
東京に大地震が起こったとき、その爆発の火種として非常に数も多く、危険なものは何か。
車である。
普段は便利かもしれないが、そんな大災害が起こったとき、車は大きな爆弾となる。
車がそこかしこで爆発をしだすと、もう僕達にはどうにもならない状況になってしまう気がする。
今なにげなく吸っている空気もこのままなはずがなく、火事や爆発などで熱せられ非常に高温になった空気の中で、僕達に何ができると言うのだろうか。

ただここまでの話は単なる過程の話であって、実際に起こったときにそうなるかはわからないし、第一大地震が起こらなければ別に僕達にはなにも関係のないこと、と言ってしまえるのかもしれない。

それでは、最近は地震が多いが、大地震の起こる確率はどのぐらいあるのだろう?

ある資料によると、大地震というのは70年を1サイクルとして起こっているらしい。
それでは、前回の大地震はいつになるのか?
みなさん知っての通り、1923年の関東大震災となる。

もしその資料があっているとしたら、すでに70年を超え80年目に入っている今、大地震が起こらない、ということはできるだろうか。
残念ながら、僕には断言することはできない。
むしろ近いうちに大地震が起こってしまうのではないか、この先20年、30年と東京はあり続けるのか、と不安になってしまう。

この予想が杞憂に終わることを祈るばかりであるが、ではそんな東京の現状を把握した上で、東京に住み続けること、メインバンクを日本の銀行にしておくことについて考えてみたい。

私見ではあるが世界の中の日本、世界の中の東京、という観点から見て、これほど先の見えない都市も少ないのではないだろうか。
いつ大地震が起こるかわからない世界でも稀に見る地震地帯に位置し、政治も混乱を極め、銀行はメガバンクと言われる4銀行全てが赤字。
政財界に癒着がはびこり景気の良くなる兆しもないまま、それでも人々はブランドバックを買いあさり、勉強すること、知性を磨くことを避けて通ろうとする。
全ての人たちがそうだ、とは言わないが世界の人たちから日本人がバカにされるのもわからなくもない気がしてくる。

海外の都市を見渡せば、地震などほとんど起こらず、東京と同じような生活のできるところはごろごろあるのではないだろうか。
もともと僕は政治や経済に興味はないが、それでも今の日本があまり良くないことくらいわかる。
それが全てとは言わないが、僕は今の日本に、というか東京には家を持つ必要はないのではないか、と感じた。

家を持つなら家族のためにも地震があっても大丈夫な場所に。
まぁそれは1大学生の僕にはまだかなり先の話になるだろうが。

そして、メインバンクを日本の銀行にしておくこと、これはどうなのだろう?
僕の場合、よく考えもしないで大学にもあって便利な郵便局を使っているのだが、メインバンクを日本の銀行にしている人も少なくないと思う。
というか、ほとんどの人がそうかもしれない。

例えば今預金している銀行が赤字を出している。
僕達に直接の影響はないかもしれない。
それでも、あまりいい気分はしない。

そんな銀行の利率が1%、そして一方世界で通用する外貨を扱う銀行の利率が5%だとする。
みなさんはどちらを選ぶのだろうか?
もちろん外貨で預金をすることには僕も多少の抵抗はある。
安定を求めるなら、無難に日本の銀行の方がいいのだろうか?
ついそう考えてしまう。

ただ、この安定という言葉、少しひっかかる。
¥エンと$ドル、果たしてどちらが安定していると言えるのだろうか?
僕は必ずしも¥が安定しているとは言えないような気がする。
こんな不安定な情勢の中で、世界的な基準がどちらか、という点から言って僕は$に1票入れたいと思う。
もしかしたら反論したい方もいるかもしれない。
そんな人はどうぞ教えてください。メールお待ちしています。

いつ大地震の起こるかわからない日本でのみ使われている¥がどこまで安定していると言えるのか?
もしそのようなことが起きた場合、¥の価値というものはどれ程下がってしまうものなのか?
今まですごく価値のあった札束が、わずか2,3秒で紙切れ同然になったりすることは考えられるのか?

僕はみなさんに少し考えた方がいいのではないか、と言っておきたい。
世界は広く、可能性は無限。
東京に固執して自分の人生を捨てるようなことになったら、それはすごく悲しいことだと思う。

さて、そろそろ時間もなくなってきたので僕は自分の仕事に戻るけど、みなさんはどうする?
願わくば、この先の人生を自分がどう過ごすか少し考えて欲しい。
そして、一度しかない人生を共に楽しもう。

じゃ、また。

2003年5月23日金曜日

誕生日

なんかひさびさだね、メールすんの。すいません!
なんかまとまった時間がなくて、ついつい「今度でいっか」ってなっちゃってたんだよね。

ここんとこ天気の良くない日が続いてるけど、みんなはいかがお過ごしかな?
SARS日本上陸か、なんてことも言われだしてるけどまぁまだまだ大丈夫でしょ。もしも感染したりしたら、もしか感染源俺かもしんないから、そこんとこよろしくぅ。ちょうど俺が京都行ってるときに京都にいたらしいじゃん?感染源。まぁ大丈夫だとは思うけど・・・。

んでそんなこんなで、ここんとこいろいろありすぎてバタバタしてたんで軽く話していこうと思います(てっかこれ話すのって誰のためって俺のためが一番なんだけどね。記録として残しておきたいってのがもともとの始まりだからv(^o^ ))。

まず9日。就活もまわるのは終えて、あとは結果待って自分がお世話になる会社決めるだけって状態んなった。手ごたえ的には「ぜってぇ内定だわ(-_☆)V」てわけじゃなかったけど、「こりゃダメだ(+。+)」てわけでもなかった。ま、運が良けりゃ内定なんじゃねぇの?くらいな感じで。

んで10日。この日は待ちに待った(かなりプレッシャー他に苦しめられたけど)パーティー。
「中大を元気にする会」のイベントの一つとしてやったんだけど、ぶっちゃけた話幹事の俺とYの二人でやったようなもんだったね。
当日は(男多かったけど)80~90くらいの人数が集まったんだよね。
社会人から、大学院生、もちろん大学生も専門生なんかもいたんじゃないかな?
俺的には同じ高校のダチ呼んでて、そいつらと何年か振りに会えたのが懐かしかった。
あとは、俺の呼びかけに応えてくれた先輩方も普段はあんまり会う機会がないからいい再会の場になったよね。よかよか。
ほんとは色んな人に声かけてたし、もっと人数集めたかったんだけど、まぁ俺とタメな奴らはみんな就活中だったりで忙しいみたいで。
でも、そーいう人たちが「今回は残念ながら行けないけど、またやるときはぜひ誘ってよ!」って言ってくれるのはうれしかった。
社交辞令かもしんなかったけどね。

このパーティーの理想は合同同窓会なんだ。
地元の奴らから、同じ中学、高校、大学の奴らまで、大学の中でも同じ学科であったりサークルであったりってそれぞれが持ついろんなコミュニティーを一気にかき集めて同窓会やっちまえ!みたいなさ。
なかなか揃って集まれる機会も少ないんだし、そういう機会がただ「懐かしいね~」っていうだけで終わっちゃうのもなんか寂しいかなって。
どーせなら色んな人と交流する中で旧交を温めたりだとか、交流のない分野の人から話を聞いて新たに自分の世界広げるだとかってのが一気にできたらって思ったんだよね。
んでそんときに間に入って紹介できる人がいれば仲良くもなりやすいっしょ。酒の勢いも追い風になってくれるだろうしさ。
俺と同じ中学の奴らと同じ高校の奴らがここで仲良くなって、普通に一緒につるむようになったら、この飲み会やって良かったなって自分でも感じれるんじゃないかなって思う。
ただ・・・開催すんのすっげぇ疲れるんで、半年に1回くらいんなっちゃうかなぁ。
ま、またどっかでやろうとは思ってるよ。
詳しくは写真館見てくださいな。

続いて16日は誕生日でした。
つっても何もしてないんすけど・・・┐(´ー`)┌免許の更新したくらいかな。
いやぁ、しけた誕生日だったわ。
あ、そうそう自分のお世話になる会社を決定して、他の内定もらってる会社の辞退が完了したのもこの日だったね。
大げさかもだけど、「自分の一生を決定した誕生日」ってことになんのかな。

んで17日はROWのコンサート見に行ってきた。
ROW(Rondalla On Wheels)ってのは、フィリピンの車椅子楽団のことなんだけど、知ってる?
知らないよね?てか知ってるわけないんだけど、だから俺がここで紹介しておきたいと思う。
すごくいいことしてると思うから、ぜひみんなにも知って欲しいんだ。

Rondalla(ロンダリア)ってのは、フィリピン特有の弦楽合奏団を意味するらしい。
19世紀後半、フィリピンではスペイン統治時代末期に、植民地の効果的統合目的で始まったんだけど、同時に娯楽や社会的交流手段としても、フィリピンの社会に普及していったんだってさ。んでアメリカ植民地時代に入ると急速に広まり、フィリピン独特の音楽形態の一つとなるに至ったそうな。
んでここで演奏されている楽器が主に2つあって、それがBANDURIA(バンドゥリア)とOCTAVINA(オクタヴィーナ)。
バンドゥリアはハートを逆さにしたような形で、フィンガーボードとチューニングボードがついた14弦楽器だそうだ。14本の弦は6つのグループに分かれてて、この弦をプレクトラム(ツメ)で弾く楽器。
オクタヴィーナはギターのような形をした14弦楽器で、弦のグループはバンドゥリアに似てるけど、バンドゥリアよりも1オクターブ低く調弦されてっから幅広い音が出んだってさ。
まぁ、アコギみたいの想像してもらえれば問題ないね。

で、on Wheelsってのは分かるかな?直訳すると「車椅子の」ってことなんだけど、身体障害を持つ貧困家庭の子供による活動ってことなんだ。

俺がこれを知ったのは、「ふれんどしっぷASIA」っていうNGOでROWの受け入れみたいなことやってる先輩Kがいて、その人に誘われたのがきっかけだった。
「Kiji、俺の団体で今度コンサートやるから見に来てよ。」って。
まぁ予定もなかったしちょっと興味あったから行ってみたってのが正直なとこかな。

んで演奏聞いてみたら、すごくよかった。
これは実際に聞かせてあげらんないのが残念だけど、聞いた人にしかわかんないと思うからあえて言葉にはしないでおくよ。
「本当に障害持った人たちなの?」って思った。

あとはね、曲目がちょっと気になったね。
多分わざとだと思うけど、自然ってのを意識したものばっかだった。
日本の歌はさ、(これは俺の思い込みかもしんないけど)恋愛ものとかって多いじゃん?
でもさ、ここで演奏されていた曲は、”田植え歌”、”夜明け”、”グリーンスリーブズ”とか、日本の曲だと”花”、”浜辺の歌”みたいなものだったんだ。
これが俺の印象に強く残った。
”大地と共に生きる”っていうことが、すごく大事にされてるっていうか。
「自分は地球っていう星で生きているみんなの中の一人なんだ」っていうことを認識させられた。

あと印象に残ったのは、その一人が言ってた言葉の中に、
「僕たちをあわれまないで下さい。普通に接して下さい。」
ていうものがあったこと。社会ん中でしっかり生きていこうっていう意思を感じた。
んで俺は、正直強いなって思った。
俺と年もあんま変わんないのに。障害持ってんのに。今まですごく傷ついたこともあったろうに、そしてこれからもそういう風に接してくる人もいるだろうと思うのに、なんだってこの人たちはこんなに前向きに生きてんだろう!って。
演奏だってすばらしいものがあるし、なにより精神的に俺なんか歯が立たないんじゃないかって。
もし俺がその立場にいたら「もういいよぉ・・・」って人生投げ出しちゃうかもしんないと思うと、なおさらだった。

~大切なのは「何ができないか」ではなく、「何ができるか」である~

四ツ谷にある上智の聖イグナチオ教会ってとこでやったんだけど、結構人来てたなぁ~。
キャパ300くらいって言ってたから200弱くらい来てたんじゃない?
俺らが知らないとこにもすげぇ奴らっていっぱいいるんだぜ?俺らも負けてらんねぇな。

んでその後、新宿でBreakersの先輩達と飲んだ。
俺誕生日ってことでプレゼントもらっちゃった~☆どぉもありがとね!

19日、学科のダチが俺ら(5月生まれ)の誕生会を開いてくれた。
まぁ俺らはつるんでる人数も多いし毎月やってることなんだけどね。
それでも、自分が祝ってもらう立場で参加するときはうれしいもんだよね、改めてみんなありがとう!

それにしてもこの日は飲んだなぁ~、あれがいけねんだよ!ウイスキーが!
あれで完全にスイッチ入らしてもらったもんな。
ごめん途中でトイレ行って。
無理だった。けどちっと自分にショックだった。
まぁ、帰ってきて全部空けたんだから結果オーライってことで。
これからもよろしくやってこうぜ!!!
てめぇら自分の誕生日んときは覚悟しとけYO!ぜってぇツブします♪

っとまぁかいつまむとこんな感じで過ごしてました。
誕生日を祝ってくれた人たち、ほんとにありがとう!これからもよろしくお願いします。
ほんとはもっといろいろあるんだけどこれ以上長くなると読むのメンドイだろうし・・・
てことで今回はこの辺で、GOD BLESS THE FREAKS!!!

2003年5月9日金曜日

新浦安

今日で就活もとりあえず終わりかな。
あとは結果待って自分のお世話になるとこを決めるだけ、て感じ。

んで、とりあえず一段落したってことで就活の帰りに新浦安(東京ディズニーランドのある舞浜って駅の隣駅)に寄ってきた。
なんで寄ったかっていうと、まぁ「なんとなく」なんだけど。

昔、もう14年も前になるけど、ここに住んでたんだよね。
もう記憶あいまいになってっけど。

ザミーが自分のサイトでちょっと前に言ってたけど、引越す前と引っ越した後ってのは空間的なつながりがない。
そこで遊んでた奴らとも連絡も取らなくなっちゃうことが多いから、本当に昔俺はそこに住んでたのか疑問に感じることもあるんだよね。

まぁ俺の場合はそこまで違う世界みたいに感じることも少ないんだけど・・・でも今日は久々に街歩いてて嬉しくなった。
こういう感じって今まであんま味わったことなかったな。
なんか新しい街を歩くときのワクワク感とはちょっと違って、思い出にふけりながら、
そこを歩いてる人たちと同じ道を歩いてんだけど、流れてる時間は俺だけ違う、みたいな。
わかるかな?
俺の周り、俺の見てる景色はそこにあるそのままじゃなくて、やっぱり「昔はこうだったけど、今はこうなってんだぁ」みたいんなってんだよね。

でもすげぇなぁ、ほんと。
京都に行ったときも感じたんだけど、記憶って頭に残るもんってのも確かにあるもんだけど、場所に宿るんだなぁってはっきり思った。

14年も前に住んでた場所でも、駅からの道は覚えてた(そんなに駅に行った記憶はなかったんだけど)。
その当時あったコンビ二を見つけたとき、一気に記憶がよみがえってきた。
「そういやここでビックリマンとかガンダムとか買ってたんだよなぁ~。」「あの頃はよく集めてたよなぁ。」「んじゃこの奥がマリーナイースト21か。」「変わってねぇ~。」「公園とかあったよなぁ。」「サッカー初めてやったのもここだったっけ。」「窓ガラスに囲まれたホールみたいのが・・・あぁ~そうそうこれこれ!」「この辺にチャリ停めてたっけ。」「確かこのマンションに誰か住んでたよな。」「この道も全然変わってねぇなぁ。」「こっちは開発されてなかったんだよなぁ。」「あ、ここ俺が怪我した場所だ。」

なんて思いながら、そこから昔の俺んちのあるマンション(社宅)に向かった。
「あ~そうそうこんな道だった!」「そうだ近くにバス停あったかも。」「駐車場の前の・・・あそこかな?俺の住んでたとこって。」「このマンションも14年経っても変わんねんだなぁ。」「そうそうこんな公園だった!」「ここに動物の奴が・・・やっぱあったぁ!」「この坂こんなちっちゃかったっけ。もっと大きかった気がしたんだけどなぁ~。」「このテニスコートは・・・あったかも。使わなかったからわかんないや。」「そうそうこれこれ、これに乗って遊んでたなぁ。」「あの頃は新しかったんだけどなぁ・・・」「この道はこんな感じだったね。」「あそこにあいつが住んでたんだよ。」「こっちは開発されてなかったんだけどなぁ。」「この道はここまではできてたな。」「いや~あんときのまんまじゃん。」「テトラポッドみたいな遊具あったなぁ、見るまで思い出せなかったけど」「木登りして枝折ったっけ。」「ミニ四駆とかもつくったよなぁ。」「ここ超えてこっちは空き地だったんだけどなぁ、んでちょっと行くと海が・・・」「あれ?海なくなってんじゃん。」「しかも私有地・・・入れない。」「カエルとかも取ったよなぁ。」「道は昔のままなんだな。」「あ、中学校が出来てら。」「小学校はどうなってっかな。」「あった~!」「うわ懐かし~。」「我が母校!」「こっちにはプール・・・お、あったあった。」「ここにでっかいネットあったんだけどなぁ。」「あの小山はなかったっぽいな。」「へ~あんときは小さい小学校だったのになぁ。」「あそこでドッジボールとかしてたんだよなぁ。」「あ、この玄関なつかし~。」「そういや雪降ったときとかあったよなぁ。」「この2階のこの教室でガリバー作ったんだよね。」「もう知ってる先生とかいないんだろうなぁ。」「ここの1期生ですって職員室行ってみよっかな。」「あ、この校門はあんときのままだ。」「こっちの階段はあんま使わなかったんだよなぁ。」「裏にうさぎ小屋があったっけ。」「んであっちに幼稚園・・・と。」「へ~この道もあんときのままかぁ。」

なんてすっげぇ思い出にふけりながら歩いてた。一緒に遊んでた友達の名前ももう思い出せなくなってたのに、ここに来たらどんどん出てきて、なんかここにいたら会えるんじゃないか、なんて考えちゃったよ。

いや~、絶対また来よ!
多分今住んでる場所も、地元もこうやって思い出になっていくのかな。

2003年4月29日火曜日

新たなる伝説

久々に飲み会で伝説が生まれた。
またまたやってくれたねぇ、K。┐(´ー`)┌

昨日は大学の友達Oの誕生会だったんだよね。(^0^)∠※PAN!:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆
ちなみに俺はお酒飲むの5連ちゃんでした。
やれやれだぜ。

んでみんなは5時半池袋東口集合で笑笑行って飲み始めたんだよ。
俺はというと・・・池袋に住んでるくせに集合時間に間に合わなくて(ちょっと他の仕事してたもんで)30分ちょい遅れてったんだ。

プレゼントなんか用意しないとなって考えてはいたんだけど思いつかなくて、
てか近いうちに旅行に行く予定だったからそんときにおみやげ買ってってあげた方がいいかなって思って持ってかなかった。
飲まされるのは覚悟の上。
てかあげてもあげなくてもどーせ飲まされるし。

んで笑笑着いて入ってみると案の定いつものノリでできあがってたね。
いきなりビン1本渡されるし。
なんも食べてなかったから空きっ腹できつかったなぁ。
あ、でも俺の分料理取っといてくれたのはありがたかった。
さんくすH。

あいかーらずみんなのペースの早いこと早いこと。
来た酒が5分持たないからね。
全種類人数分って頼み方も頼み方だよな、もうなんでもありだった。
ずっとコールかかってるし。
ここコール禁止なのに。
まぁ個室だったからある程度は多めに見てくれてたみたいだったけど。

でもみんな酔ってきて頼んだ酒が一瞬で空くから酒の飲めない時間がすごく多くなってきて・・・
だんだんKの頼み方も荒くなってったね。
まぁみんなの不満が全部幹事のKに向かうからしょうがないんだけどね。
「おい!」「酒が来ねぇぞ!」「幹事何やってんだ!」「酒が足んねぇぞ!」「飲めねぇぞ!」
んでそれを幹事のKは
「酒が全然来ないんですけど」「さっきから頼んでるんですけど」「遅いですよ」「次のも頼んでおきます」「お願いしますよ」
って言うわけさ。

んで何度言ってもコールかけて飲んでっからだんだん店の方も注意がきつくなってきて・・・
聞いた話だと追い出される寸前までいってたらしいね。
なんとか謝って時間いっぱいいさせてもらってたって話だけど。

で、この1次会でみんなは何回吐いたんだろ?
もちろん俺も吐いたさ、食ったもん全部腹に残ってなかったよ。
多分全員そうだったんじゃないかな?

でもぐでんぐでんになった奴はいなかったよね。
さすがにみんな飲み慣れてるからなぁ。
そうそう今回はピッチャーもなかったからイッキに飲む量も限られてたからね。

んで店出て2次会(当たり前だけど飲み)に移動。
この移動もかなり大変なんだよね。俺らの場合。

笑笑から出たとこ(サンシャイン通り)でたむろしてた、てか座り込んで立てない奴がいるからしょうがなかったって話もあるけど。
多分店の人にしたらかなり迷惑だよね、何度注意されても俺らどかないしさ。
んでゆーっくり、ほんと50mくらいの距離を2,30分かけて移動して広場みたいんなってるとこまでいった。

俺はちょっと電話したりではぐれてたから後から連絡取って行ったんだけどKの世話大変だったみたいだね。
主賓のOが結局世話してたみたいで愚痴られた。すまん、O。

ここでも時間かかったね、まず2次会の場所探しに行く奴がどっか行って、
んでみんな1次会で吐いてっから腹減ってるみたいでマックとかで買ってきて食って騒いで待ってた。
Kはすでに地べたに寝転んだりしてたよね。通行人がめっちゃ迷惑してたぞ、コラ!

んで2次会会場(近くの魚民)に移動した。
俺ら10人くらいだったのに20人は余裕で入るとこが与えられて寝てたりカラオケしてたりしたよね。
俺久々にBOOWY歌いまくってた。

ここは結構休憩みたいんなってたよね。
俺はほぼなんも飲まないで横んなって休んでたよ。
みんなもあんま飲まなかったし普通のカラオケボックスの広いとこみたいな感じだったかも。
この時のKはと言うと・・・さすがに疲れたのか前半はずっと横になってたよね。
後半は写真取ったりで結構回復してきてたみたいだったけど。

んで2次会終わって今日帰る組は帰って、残る奴は投票で俺んちに泊まることになった。
カラオケオールでも良かったんだけど、疲れてたし2次会で歌ったしってことで。

この移動がさ~Kの独壇場だったね、道路(駅でも)ごろごろ転がり出すし、声でけぇしその辺歩いてる人にからみまくってっし。
覚えてんのかな?ほんと手がつけらんなかった。なんでもかんでも蹴るし何言っても聞いてないし。
今までよく無事だったよな(あ、無事じゃねぇかw)。

んで先に俺は家帰って部屋片して、みんなはメシ食ってきたりで遅れてきた。
でそっからちょっと金出して酒買ってきて3次会~。(^^)/▽☆▽\(^^)
俺んとこにみんなが来たのは・・・半年振りくらい?かーなりご無沙汰だったね。
いやぁ~Kが飛ばす飛ばす。
世界は俺を中心にまわってるって言わんばかりの勢いで仕切ってたね。誰も逆らえねぇし。
8人いたんだけど、7vs1になっても1の方が強かったからね。(^^;

あぁちなみにあいつまた携帯壊してやんの。
ここに来る途中で道路で転がってたからじゃないかって言ってたけど・・・
まだ新しい携帯にして一週間も経ってなかったのにねぇ。
ま、これがハイテンションになってた理由の一つかもね。

恒例んなってっけどおでこにNGワード貼ってそれ言ったら飲む(ほぼ焼酎ストレートの濃いぃ奴)って感じでいろいろ喋ってた。
今回はあんまペース早くなかったはずだけど遅れてきたMとかかなり飲まされてたよね。
でも一番飲んでたのはKかな、やっぱ。んですぐ寝ちまいやがんの。
こんなすやすや寝てるKを見んのは久々だったかもしんない。
まぁ俺の方がいつも早く寝てたからってのもあんだけど。

んで始発が動き出す頃、帰る奴は帰って残る奴(俺とKとS)は寝た。
んで起きて、昼前になってKとSも起きた。
てか昨日の勢いはどこへやら、Kがかなり弱ってた。

しょっちゅうトイレに吐きに行ってっし、庭にも吐いたって言ってっし、「きもいきもい」って。
足も怪我してっし、頭もガンガンするらしくてなんかわけわかんなくなってた。震えてっし。)゚O゚( ヒィィィ
熱もあるみたいだった(おでこが熱かった)。でも飲んだ後って風邪薬は飲まない方がいいって言うからやめさせた。

んでとりあえずSと自分ち帰るって言うから別れたんだ。「ばいばーい」って。

そしたら30分くらい経ってからSからの一通のメールが。
「結局病院に来てます」
んで気になったから電話しようとしたんだけど・・・電波ないらしくつながんないからほっておいた。
したらまたちょっとして電話が鳴って・・・「なんか入院することになったらしいよ」って。
「はぁ?」っていちお金だけ持って(金ないっぽかったから)その病院行ってSに大体の話聞いた。
なんか帰る途中でやっぱ体調がやばいってことで病院行くことにしたらしい。

なんかあんまよくわかんなかったけどどっか悪かったらしく、検査入院かもだけど入院は入院、てことになったらしい。
ま、あの状態じゃしょうがないかもしれなかったけどね。
それにしてもビックリしたなぁ、昨日の夜「ここで俺らが飲むと必ず誰かになんか起こるんだよな!」って言ってた張本人が事件起こしやがって。
とりあえず今頃は病院のベッドの上かね。
禁飲食!って言われてたけどどーなったんだろ?
なんかよぼよぼのじーちゃんみたいになってて、一日でこうも変わるもんなんだなって思った。

ま、この報告は次回にでもしますわ。お楽しみに・・・。

2003年4月12日土曜日

新歓イベント報告記

いやぁ、4月、新年度だね。
ここんとこ忙しかったなぁ、とりあえず一段落したんでぼちぼち更新しようかな、と。
この季節、花粉症の人にはつらいもんがあっかもしんないけど、それとかけ離れたとこにいる俺はやっぱ春って好きなんだよね。

旅立ちの空桜色♪

ってわけで、卒業してった先輩、新しく入ってくる新入生、もちろん俺らも学年を一つ積み重ねるわけだけど、
新生活の始まりの合図だね。

てことで、今年度の俺の始まりの合図を報告しておきまっす。

まず、4月1日。
この日が何の日かってのは知らない人はいないと思う(忘れてた人は多かったけど。笑)。
エイプリルフールだよね。
てことで、もう俺のまわりにいる奴らには毎年恒例行事なんだけど、今年も送ったね(-_☆)V
「ほんとっぽくてうそっぽいメール」
いやぁ今年は悩んだなぁ(こんなとこで悩んでどーすんだ)。
あ、ちなみに去年は「前から付き合ってたOLの子と結婚することになりました」みたいな奴だったんだよ?
覚えてる人もいるべ、特にひっかかった人はね♪
今年のは前の晩から「何送ろっかな~」って考えてたもん。
「就活をしてきましたが、院に行くことになりました」とかじゃ全然インパクトないし、
あからさまに嘘ってわかるメール送ってもつまんないし(ひっかかってくれる人がいないと送っても全然おもろくないの)、
新年度のしょっぱなから「死にます」みたいな暗いのじゃ俺もやだしみんなもやだろうし。

てことで今年は・・・こんなとこで言わない!笑
けどかなり現状とマッチしたもので、すっげぇひっかかった人が多かった!!!
(≧▽≦)ブハァッハッハハッハ!!

笑いの止まらない1日になりましたとさ。
今日んなってもひっかかってる人がいた。

やっぱしょっぱなはこれだなぁ。

で、みんなは今年花見した?
この時期がくると俺は毎年必ず靖国神社で花見をしてるんだけど・・・
まぁ定番中の定番なんだろね。
靖国もしくは千鳥が淵行って桜の下で花見をすることって。

去年はさ、3月の終わり頃にもう桜咲いてたんだよね。
北海道にスノボ行って帰ってきたらもう散ってやがってさ、不完全燃焼で終わっちゃったんだよ。
で今年はいい時期に咲いてたね、入学式とかの頃合いでさ。

ことしは満開のときと葉桜になりかけ(まだ枝見ではなかったね)の2回だったけど、
どっちにも良さがあって満喫できたなぁ。
やっぱ日本人だなぁって、日本に生まれて良かったなぁって感じた。
でもいつも思うんだけど、日本の文化って流れる時間がゆったりしてるよね。
日本の建物、庭園みたいな空間に入ると、急に時間の流れが遅くなるように感じる。
大河じゃないけど、余裕があるっつーかさ。

それとともに、この2回の花見で感じたのは1回1回の時間はゆっくりに感じても、時間は確実に流れてるってこと。
ついこの前までは人が大勢来てめちゃめちゃ混んでたのに、4,5日経って葉桜になってくるともう閑散としてる。
あの時間はまた一年後になるんだなって考えると、はやいなぁって思うよ。

また来年、今度は働き始めてるのかな。
どんな気持ちでこの桜を見ることになるのか、ちょっと楽しみだね。

んでもって、そんな中俺は何をしてたかっていうと・・・

もちろん就活もしてたんだけど、それと同時進行でやった企画が2つあったんだ。
「中大を元気にする会」の運営委員としてね。

それが【合同サークル説明会】と【データで見る中大、話で聞く中大】っていうイベント。
どっちも新入生向けにやったイベントで、「俺らが1年の頃こんなんがあったらよかったのに」っていう気持ちから開催することにしたんだ。

俺は主に【合同サークル説明会】の方で動いてたんだ。
いちお企画担当者ってか言い出しっぺだったかんね。
これ俺の思いつきでやることにしたからさ。

就活中に合同会社説明会ってのがあって、会社についてなんも知らない俺としては会社を知る取っ掛かりとしてすごく良かったんだよね。
ブースごとになってて自分の聞きたい会社のとこに行って話聞けるし、知らない会社ばっかだから自分の世界(視野)も広がるし。

で、合同会社説明会は就活をはじめるに当たって色んな企業を知るために設けられたもの。
ならこのブースがサークルだったら、新入生んとき色んなサークルを知るきっかけになるイベントになったろうなぁって。

んで俺の知ってるサークルと、俺のダチがやってたりつながってたりするサークルを呼んでみた。
なかなか反応は返ってこなかったけど、どっちにもメリットのあることをやろうとしてるってことはわかってもらえたみたいだった。

サークル側のメリットは、新入生に自分のサークルのことを知ってもらえることと、そういう場に顔を出してるってことで学校ん中である程度認められた存在だってことをサークル内外に示すことができること、入学式後の拉致合戦みたいなことをしなくても新入生の勧誘ができること。
新入生側のメリットは、入学式後の拉致合戦じゃ一部のサークルのことしかわかんないけどこれなら色んなサークルの中から自分の興味あるとこの説明が聞けること、主体的に動けること、どんなサークルがあるのか他のサークルと比べてみることができること。

だけど、問題があった。

宣伝日数が足んない(サークルに対しても、1年生に対しても)。
春休みじゃ学校行ってもサークルの人たちはいない。
1年生が確実に学校に来るときにやらないと集客に不安が残る。

他の全てのこと(教室の確保、ビラ作り等)はできてても、肝心の人数が揃わなきゃやる意味がない。
でも時間がなかったんだよね。
それで開催日として、健康診断の日を選んだ。
これなら1年生も学校に来てるし、俺らもどーせ行くことになるからってことで勧誘しやすいし。

入学式から健康診断の日までは、3日。
その間にどれだけのサークルを参加させることができるかがとりあえずの問題だった。
サークルの数がある程度揃わなきゃ、1年生にも興味を持ってもらえないからね。
だから俺らは入学式で1年生にビラを配る部隊と別に、サークルを対象として勧誘活動をしたんだ。

なかなか話を聞いてもらえなかったけど、頑張ったかいもあってなんとか10サークルくらいは参加してもらえることになった。
ちなみに理工の入学式で勧誘に来てたサークルは60強。
いかに相手にされなかったかはわかるかな?

んでその日は連絡先となるビラをもらって終わり。
家に帰ってそのビラを見てメルアドの載ってるサークルにはこのイベントの勧誘メールを送って寝た。

次の日、いやぁ結構反応良かったんだよね。
色んなサークルから是非参加したいって返信が来てて、いろいろ質問なんかに答えながら手を尽くして当日まで勧誘活動したさ。

んで当日。
ドタキャンしたとこもあったけど(まぁ計算通り)20くらいのサークルが集まった。
入学式にビラ配りに来てたサークルが60だから・・・3分の1は参加させることが出来たってわけ。
我ながら(就活しながら)3日でよくこんだけ集めたもんだ、と思った。

誤算は1年生の反応の悪さ。
まぁ無理もないかなって感じだった。
会ったこともない人に「合同サークル説明会やってるんで見てってください~!」って言われても
普通に怪しいって思って帰っちゃったりする人が多かった。

1年生の数が全部で900人。
この日来るだろう1年生も700くらいいたはずなんだけど結局来た人は200いたかな?って感じ。

俺の今年の企画一発目だっただけにもっと盛り上げたかったなぁ。
ま、最低ラインは超えたからいっか。

・・・なんか長くなっちゃったね。
【データで見る中大、話で聞く中大】の方はいいや。
いろいろ書きたいこともあんだけど。
来年に残す記録としても。

そのうち書こうと思いまっす。
じゃね、ちゃお~。

2003年3月30日日曜日

飲み会

もう春休み終わっちまうよ、やれやれだぜ。

結局就活を通して今まで知らなかったいろんなとこに行けたことは行けたけど、旅行みたいのはゼロだったな。
残念・・・。

ま、こんなトキもあるさ。

でもって今回書こうと思ったのは、飲み会のことについて。
俺はぶっちゃけこの春休み飲み会取ったらほんとに就活しか残んなかったかな。

んでもっていつもは楽しく飲んでるわけだけど、この前(あくまで俺ん中で)全然楽しめなかった飲み会があったんだよね。
で、それがすっげぇひさびさでちょっと考えてたんだ。
今飲み会(しかも今までやったことないようなでかい規模の奴)企画してる身でもあるからさ、
「どうしたらみんなが楽しめる飲み会になったんだろ?」
「今回の俺みたいに感じる人が出ないようにするにはどうしたらいいんだろ?」
って考えて。
こっからは俺の個人的な意見。
飲み会ってのも5,6人で飲むような内輪のもんじゃなくて20人から多い方は青天井(つまりどこまでも)って場合のことを言ってることをはじめに言っておきます。

んで出た結論が、開催すんなら開催する側として楽しむこと、参加者として楽しんでる普段の飲み会と同じようには楽しめないってことをやる前にわかっておかなくちゃいけないと思った。
楽しんじゃいけないってことじゃなくてさ。

参加者が楽しめることを一番に考えて動く。
自分らがその人たちを呼んでるんだから、呼んで金払ってもらったら終わり、じゃダメだと思った。
呼んで大きなお金を出してもらってるわけだからね。
そんなんじゃ次にもしやろうとしても来てくれるわけない。
その人と一緒に飲んで、ちょっと席空けてでも誰かが一人でいるようならこっちから話しに行くとか、知り合いじゃない人同士の間に入って仲良くなりやすいようにするとかしてかないと。

もちろんそういう人がいないで楽しめるようならそれでいいと思うけど、初対面の人が多いような飲み会とか、いろんな人が来てる規模の大きい飲み会でそんなことってあんまないよね。
仲いい人で飲んでるときと勝手が違って当然。

んでもって楽しみ方ってのも人それぞれ違うよね?
大勢でコールかけあって飲むのが楽しいって人もいれば、2人とか3人とかの小人数で語りながら飲む方が好きだって人もいるし、女の子とじゃないと飲みたくないって人もいる。
2,3杯で酔っちゃう人はそんな飲ませたら危ないし、お酒の量が少なくても楽しむ楽しみ方ってのがあると思う。
ビールはダメだけどサワーならって人も、日本酒か焼酎がいいって人もいる。
お酒が好きならこだわって当然だし、自分にとっておいしいお酒を飲むことは飲み会を楽しむことにもつながっていく。

それを「僕らはこう飲むから、それに合わせて飲んでください」って言われても楽しめないでしょ。
団体としてのまとまりは出るのかもしんないけど、それじゃ偏った人が残っていくだけになっちゃうと思う。
飲める人だけとか、あんまり飲まない人だけとか。

飲み会の中でなんかイベントやるにしてもそう。
それをやって楽しむのは誰?
ここで自分がやりたいから、とかこれ見て欲しいからとかの理由でイベントすんならどーかと思う。
もちろん場が盛り上がってなくて、ここらで一発盛り上げたいとかそーいうときには有効だと思うけど、場が盛り上がってて会話が弾んでるようならあえてやる必要もないんじゃないかなって思う。
別にそれをやることが飲み会の目標なわけじゃないんならね。
そのイベントをすることが目標ならぜひやるべきだけど。

もう一つ、場所と値段について。

まず場所ね。
俺が一番大事だと思うのは、移動のしやすさ。
おしゃれなとこの方がいいに決まってるし、雰囲気のいいとこの方がいいとは思う。

でもそれよりも席が移動しやすい、例えば立食形式や座敷ってのはいろんな人と話す機会が増えるから好き。
まぁ立食で何時間も立ちっぱなしってのは疲れちゃうからちょっとあれだけど。
でも椅子席より確実に会話の機会は増えるし、みんなで固まりたいとこに固まることもできるしいいと思う。
人数のばらつきにも対応できるってのも開催する側からしたら安心できるっしょ。
飲み会はドタキャンの出るものだからね。

椅子のメリットは・・・人数が把握しやすいこと?座りやすいこと?
まぁ小人数で飲むときとかはそっちの方がいいよね、多分。
これは好き好きでしょ。

で、値段について。
安い方がいいに決まってる。
そんなん言わなくてもわかるよね。
赤字の出ないように考えて出してもらうわけだけど、相場(学生なら¥3000だべ)を超えるようだとやっぱり引いちゃう人が出てくるのは当たり前。

ならそのお金を出した人にどんだけ楽しんでもらえたか、店にどんだけのもんを用意してもらえたか、でみんなが納得してお金出してもらえるようなら俺はそれでいいと思う。

楽しませるのは俺らだから、まぁおいといて、店側に求めるもんとしてはやっぱ料理の品数、量、あとは酒がおいしいか、飲み放題になってるお酒の数(基本は飲み放題)、みたいなとこが満足いくようにするってのが大事でしょ。
飲めない人には料理で満足してもらわなきゃなわけだし。
そこで不満が出るようだといかんね。

あとは・・・そうだな、開催する側の人が喋ろうとしても参加者ははじめの挨拶くらいしか聞かないと思うんだよね。
だから途中でなんか言おうってときはそれに他の運営側がどんだけ協力できるかでみんなが聞くか聞かないかってのは決まんじゃないかなって思う。
そいつらが「もう言うこと知ってるから」って他の人と話してちゃ話になんないっしょ。
やっぱそいつらが聞く姿勢見せないと。

そんなとこかな。
なんか気になるとことかダメなとこがあったら気軽に教えてね、俺らはこうしてるよみたいなことでもいいから。
こういうのってやっぱ経験積んでかないとわかんないことが多いと思うんで。

ふぃ~、まただらだら書いちまったい。

2003年3月20日木曜日

NO WAR!

ついに今日、開戦だってね。

俺は戦争を経験したことないから、知識としてバーちゃん達に聞いた話とか本で読んだことしか知らない。

だから実感ないねぇ。
「きじ何言ってんだ?バカなこと言ってんじゃねぇぞ!」
って思う人がいたらそれはどんなことでもいいから教えて欲しい。

もちろん俺の立場は【戦争反対】。
何が起きてて、どれがどーなってどーいう経緯で戦争になったんかは俺は詳しく知らない。
メディアだってどこまで信じればいいんだかわかんないしね。
でも、戦争は起こさないで欲しかったな。
もう言っても遅いけど。

てことでこれからは「はやく終わって欲しい」って言うしかないんだろうね。
俺にできることってなんだろ?
結局無力だなぁ、一人の力って。
それなりに自分では成長してきたつもりなんだけど。

一人でできることってので思い出したんだけど、サッカー選手。
試合でゴール決めたあとって決めた選手一番注目されんじゃん、カメラ寄ってって。
それが大きな大会、大きな試合になればなる程注目度は高くなる。

んで、もう5年くらい前(あいまい)になんのかな?
98年W杯でさ、俺ら日本は初めて出場したじゃん。
そんとき当たったクロアチア、確か試合前とか大きく取り上げられてたなぁって。
国の歴史、地域の歴史、選手の境遇なんかがすごく細かく紹介されてたよね。
んでそんときにあっちが紛争みたいになってて、なんか試合で点決めた奴がすげぇ「NO WAR!」ってアピールしてたような気がする。
かーなり曖昧な記憶で、本当にそうだったかちょっと怪しいけど、俺は確かに東欧のどっかの国の奴が(もしかしたらピクシーだったのかも知れない)「これ見ろ!!!これ!!!」みたいにユニフォームの下に着てるアンダーシャツに「NO WAR!」って書いた文字(自分で書いたような文字だったって記憶してるけど)ブンブン見せびらかしてるのがあったなぁって。
そんときは「あっちは大変なのかなぁ」くらいにしか思わなかったけど、その選手の必死に訴えてる姿ってのは俺の心の中にすごく残ったんだよね。
で、今。
俺にはそういう機会を通して多くの人に反戦を訴えることはできないけど、そんな選手の思いを今更ながらに理解できて、こーいうことができるのってスポーツ選手の特権なんだなぁって思った。
自分がスポーツを頑張ることを通して被害者や見てる人に勇気を与えたり、何かを訴えることができるのっていいなぁって。
W杯で日本と対戦するっていうだけで例え点決めてなくても俺みたいな対戦国の国民に自分の国のことを、自分のことを知ってもらうことができるんだなぁって。
これもスポーツの力だとしたら、それってすごくいいなぁって思った。

それにしても、戦争って昔の戦争のイメージと大分違ってるみたいだね。
戦車が「ゴゴゴゴゴゴゴ・・・」ってどっかの映画にあったみたいなイメージを勝手に持ってたんだけど、今はすっげぇ離れたとこからミサイルで「チュドーン」って感じじゃん。
人が死ぬってのは不変でも、やっぱ時代と共にやり方ってのは変わるんだねってのが理系人間だからかな、俺の正直な感想。
こんなとこでも確実に技術の進歩を見てとれるんだなって。

ステルスでレーダーに映らないように飛んでって、空爆。
ピンポイントでミサイル発射。
迎撃も対空ミサイルであったり、迎撃ミサイルであったりが軌道解析して飛んでいく。

そのうちボタン一つで全自動戦争みたいな時代になっちゃうのかなって思った。
ゲームみたいな感覚でね。
ゲームと違う点は、実際に人が死ぬっていうとこだけ。

なんか間違った方向にどんどん進んでる気がしてならないね。
世の中を便利にしたい、快適な生活が送れるようにしたいって思って技術者達が開発してきた技術が、一気に殺戮兵器に利用される。
やっぱ技術は使う人次第だなってのを改めて考えさせられるよね。
アフォな奴らに技術持たしたらやっぱ危ないし。
権力も、なんでも同じことだと思うけど。
結局それを使うのは人なんだから、人がよくねぇといい方向には活きないんだよね。

俺にできることがあった。
自分にいつか子供が出来たら、そいつをいい奴に育てること。
ま、いつんなっかわかんないけどね、当分先、いやもしかしたらそんなん来ないのかもしんないけど。笑

最後に、1冊本を紹介して今日は終わりにしようと思う。

「残酷史」中内富太郎・著 文芸社

これは俺のサークル友達の爺ちゃんが書いた本なんだけど、実際に戦争に参加した日本人兵がどんな思いで戦争の日々を過ごしていたか、すごくよくわかる本だと思う。もちろん今の戦争とは何もかも違うっていうのはわかってるけど、こんな時期だからこそ時間のある人には歴史を振り返って欲しい。軍隊の中でのしごきとか、今の社会に形を変え組織を変え受け継がれている部分もすごく多くて、50年経って日本人ってどう変わったのか、変わってないのか考えるにはいい1冊だと思う。あと、戦争が起きたってことは最終的にはこの戦争にも決着がつくわけだけど、それで負けた方はどうなるか、どういう扱いを日本の場合受けたのかっていうのはやっぱ知られていないところが多いでしょ。だからその辺は俺的には是非読んでみて欲しいです。

それじゃ、また。

2003年3月15日土曜日

ちゃお、もう春休みも4分の3が終わっちゃったね。
あと半月もすりゃ新学期かぁ、ほんとに月日の経つのは早いもんだわ。

ところでさ、昨日ダチと話してて思ったんだけど・・・
みんなはどんな景色が好きなんだろって。
どーすか?

例えばそのダチは育った環境が都会だったっていうのもあって
大自然の中で暮らせたら、雄大な自然の中で生きていけたらって思うんだって。
だからジブリ作品でも「となりのトトロ」みたいな大自然の中で起こることを描いてるのが好きだって言ってた。

その気持ちすごくよくわかる。
俺が旅行好きなのもその辺に理由があるのかもな、って思ったんだ。
俺は山派、海派に分かれるとしたら、どっちか選べって言われたら山派なんだ。
海の近くに住んだことがなかったからってのもあるんだけど、

冬はもちろんスノボ大好きだし、山に行くよね。
あの景色ってそんときしか見れないし、その景色を見るために行ってるってのも間違いなくあるんだ。
毎回、そんときそんときの山の景色見て、「今年も来たな」ってワクワクするのがすげぇ好きだったりする。

んで夏も結構キャンプだ合宿だって山に行くことが好きなんだよね。
別にどこの山が好きだってのがあるわけじゃないんだけど、山っていうそのものが好きなのかな。
山道、峠を運転すんのが好きとかそーいうんじゃないんだ、そばに山があるっていうだけで結構満足しちゃう。

霊山って知ってる?
「○○富士」って富士の名前を冠してる山が全国にいっぱいあると思うんだけど、それ以外にもずっとその地域で崇められてきた山ってのがあんじゃん。
そーいう山ってのは、ほんと見ればわかる(俺だけなのかもしんないけど)んだ、「あ、この山・・・」って。
なんか特別なオーラをまとってるんだよね。
んでそーいう山って見てるだけで結構元気になってくる。
いつかこんな山のふもとで暮らしていけたら、てのは俺にもやっぱあるんだよね。
今そこで暮らすかって言われたら今はまだ東京にいたいって答えると思うけどね。
ま、それでも今年の俺みたいに就活とかがない限り毎年場所は違っても見に行こうとは思ってる。

結構旅行が好きだって人とかには賛同してもらえると思うんだけど。

知ってる?
こんだけ発展してる国で森が、というか自然がここまで残されている国っていうのはそう多くないんだよ?
日本はまだ7,8割(言いすぎかもしんないけど)は自然が残ってるべ。
これっていうのは日本人特有の信仰があったからっていう話もあるんだ。
トトロにも出てくるけど、大きな木や岩には神様が住んでたり宿ってたりするってよく聞く話じゃん、日本に住んでたらさ。
森の神様、火の神様、精霊・・・なんにでもそーいうのがあって色んなところでそれ大事にしてきたんじゃん?
だから、日本にはそーいうゆかりの場所も数多くあるし、自然をすごく大事にして生きてきたからこそ、今こんだけの自然が残ってる。
花鳥風月なんてキレイな言葉もあるしね。

それって都会に住んでたらちょっと忘れがちになっちゃうけど、やっぱ俺は大事にしていきたいと思う。
旅行に出れば、そーいうもんに数多く出会えて、充電できんだよね。
これは世界のどこを旅しようが日本じゃなきゃ味わえないんじゃないか、なんて思ってるんだけど。
だから俺は山が好きだし、これからもまだまだ旅行に行き続けたい。

んで、こっからは俺の好きな景色について(これまでも結構自分の意見なんですが(^^; )。

俺は、「天」ってか空を見上げるのが好きだったりする。
空ってさ、いろんな表情があんじゃん。
色にしても、雲の位置や種類、鳥・飛行機なんかの飛び方にしてもさ。
「同じ波は2度と来ない」っていうわけじゃないけど、そんときしか見れないだろっていうようなものすごくいい夕焼けとかもあれば、本当に雲一つない透き通った青空、一瞬しか見れない雷、満点の星空、流れ星とかいろいろ考えればあるよね。
そんな風にころころ変わる表情ん中でキレイだなって思える景色を見上げるとやっぱ元気出てくるんだよなぁ。

んでさ、その空もいいんだけど、みんながそれぞれ色んな空を色んなとこで見てるわけじゃん。
それはそれで全然いいんだけど、夜んなって月が出ると、真っ暗な中に月が一つあるとさ、やっぱみんな月を見るよね。
全国、いや異国で空を見上げてる人たちも同じ景色を見てんだなって考えると、これってすごいことじゃない?
北海道にいようが東京にいようが、どこにいても同じ月を、同じ景色を見てるって俺はなんかすごくうれしいんだよね。
そんなん考えて見てる人なんていないのかもしんないけど。
ご来光とかもそうじゃん、全国の何百万、何千万って人たちが同じ太陽を見てるんだぜ?
すごいことだと思うし、そういうのがあるっていいなぁって思うんだ。

んでもって今俺が見てる月は俺だけが見てた月じゃないよね?
結構自信持って言えるんだけど、今まで生きてきて月見たことない人っていないと思うんだ。
んでそれはさ、時代が違っても一緒だと思うんだよね。
時代、国が違っても全ての国の全ての人が見てるものが月であり、太陽であり、天。

歴史上の人物だって、歴史に出てこないような人たちだって遡れば縄文時代のさらに昔から俺達は同じものをずっと見て生きてきたんだなって。

星の輝きもさ、俺は天文学の知識なんかないから詳しくはわかんないけど俺が生まれるずっと前にその星が輝いた光が何百年、何千年ってかけて今見れてんだなって思うとなんか不思議な感じがすろよね。
その星が輝いてるとこにはもうその星はなくなってるかもしんないんだよ、今はまだ光が届かないけど。

そーいうの考えるとさ、時間軸を超えたもんとして空って本当に魅力があるっていうか、惹かれるもんがある。
それで悩みが解決するわけじゃないけど、見てるとなんか元気が出てくんだ。

ま、こんなこと考えるのって俺だけなのかもしんないけど。
でもそう思って空を見ると、違うもんが見えてくると思う。

ちなみにそんなんもあって、俺はジブリん中じゃ空の神秘を描くラピュタが好きです。
奇しくもすごい偶然なんだけど、テレビで今日ラピュタがやってたね。
妙な縁を感じたさ、んでそれを見れなかったのがちょっと悔しかった。

長くなっちゃってゴメン、でも最後まで読んでくれてありがとう。

2003年3月5日水曜日

慰霊の園

なんかもう春一番なんだってね~。
昨日は本当風強くて、コート着ないで外出たの失敗だったかな、なんて思ったよ。
こーいう時期って体調崩しやすいから気をつけないとね。
俺ら風邪引いてる場合じゃねーしさ。

っとまぁ挨拶はこのくらいにしてそろそろ本題に入ろうか。
□\(-o-\) (/-o-)/□

今ね、なんでかわかんないけどすっげぇ気になったことがあってずーっと調べてたんだ。
そんで調べてくうちにすごく考えさせられた。

何調べてたか率直に言っちゃうと”日航機墜落事故”のことなんだけど・・・。
みんなちょっとくらいは聞いたことあるよね?

これが起きたのが1985/8/12だそうだからもう17年も前のことなんだ。
俺が4歳。もちろんそんときの記憶なんか全然ないよ。

なんで気になったんだろ?
最近空港でシステムダウンがあったってNEWSが流れたからかな。
んで一回思い出しちゃうと頭から離れなくなっちゃって・・・逆に思い出すこともあったんだよね。

俺車の免許取った年の夏休みに親父と二人で旅行に行ったんだけど、そんときにこれに関係する慰霊碑みたいなとこに行ったんだ。
場所は全然覚えてなかったんだけど。
そんでそんときに聞かされて初めて知ったことが多かったんだよね。

・・・言っていいのかな?

場所は群馬県上野村、慰霊の園。
これを探し出すのもかなり時間かかったよ。
何県かもわかんないし、慰霊に関するところってことしかわかんなかったからさ。

んでそこで親父に聞かされたことってのはその慰霊碑が合掌の形をかたどったものであること。
その犠牲者の中に俺と遊んでた子ってかその家族がいたこと。
特にそれを聞いたときは軽くショックだったのを覚えてる。
「俺は今までそんなことも知らないで生きてきたのか。」とか「こんな身近な事件だったんだ。」とか。
ショック、というか驚きが多くて、でもそれ聞いて本当にその事故、そして今そこにいることをすごく自分のこととして捉えられた。
今まで対岸の火事だったものが急に現実味を帯びて見えたんだよね。

んで今思うと、それからかもしれない。
犠牲者に対しての思いやりというか、大事にしようって気持ちを持ったのって。
阪神大震災も、ぶっちゃけ俺にとっては他人事っぽいとこがあったんだ。
もちろん無事だといいな、とか義援金いっぱいあげて少しでも力になればってのは思ったよ。
神社行ったり。
でもどっか他人事だった。
自分の知り合いがいなくなったとかってのがなかったからだと思う。
自分の一番好きな人を亡くした人とか家族を亡くした人たちから見たらすごい失礼だよね。
ごめんなさい。

んでそんなことも思い出しながら調べてたんだ。
そしたらさ、結構出てくるんだよね、いろんな人の思いが。
俺ってこんなにも知らなかったんだ、て改めて今日思った。
17年前の出来事なのに、いまだにそれについての掲示板とかもあっていろいろ議論が交わされてる。
実際はこうだったんじゃないか、とかこれには裏があったんじゃないのか、とか。
遺族の人のHPや、そこに慰霊の思いを捧げるような思いを綴った文章とかも出てきて。
慰霊登山の日記も、もちろん事故についての本の紹介のHPも。
その本の種類の多さにも驚いたけど、なによりHPの多さに驚いた。
あの事故一つでこんなにも多くの人にこんだけの思いを持たせることになってるのかって考えると、やっぱり真剣に受け止めないとなって。

遺族の人の思いなんかは、俺ほんとにインターネットで見れるってすごいなって思った。
絶対に会うことのない人の感じた気持ちだとかがすごく伝わってきて、改めて事故の衝撃の大きさってものを感じた。

普段はあんまり耳を傾けないようなことなのかもしんないけど、そればっかじゃダメだよね。
阪神大震災やテロに実際にあった人の思いってのはどんだけのもんなのか俺には想像つかないけど、そういうことがあったってことは忘れないでいたい、というか忘れちゃいけないと思ったよ。

なんでこんなこと書いたかって?
俺がここに書くことによって少しでもそーいうこと考えるっていうか思い出してくれる人がいたらいいなって思って、てのが一番の理由かな。

最近というか、ここ数年で今まで貯めてきた記憶の断片がつながってきてるんだ。
・・・俺が成長してきたから、つながり始めてるんだったらうれしいな。

2003年3月2日日曜日

久々の休みのはずが・・・

ちゃお。
この前春休みんなったと思ったら、あっという間にもう3月だね。
月日の経つのは早いなぁ。

もう春休みも半分終わっちゃったと思うと、なんもしてない自分がちょっと寂しかったり。
もちろんなんもしてないわけじゃないんだけどね、就活してるしてる。

でも普段ならこの時期は・・・「どこどこに行ってきたよ!」とか「だれだれが何やらかしたぞ!」とか「これからまたどっか行って来ます!」とかそんな感じなのに、今回はそーいうのゼロだもんなぁ。

なんか”あいつは就活があるから”とかって遠慮されてるように感じることもあるし。
これって被害妄想なんすかね。

なんか就活って堅苦しい。
いついつまでに何を持ってこいとか何を提出しろとか説明会に行かないと次の選考に進めませんとかって手続きが多すぎるし、それでいて友達同士が微妙に競争相手みたいになってて情報勝負だってわかってんのに情報まわさないで受けるだけの人になりたがったりだし。
もちろん俺も多少そうなっちゃいるんだけど。
このHPにもほんとは俺がどこ受けてそこは雰囲気どうだったとか書いてもいい(てかほんとは書きたい、そんでいろんな人のそこに対する意見とか思い入れとか聞いてみたい)んだけど、このHPを企業の人に見られたときちょっと気まずいかなって思ってさ。
企業の人も俺がそこだけじゃなくていろんなとこ受けてたりすんのここ見てわかったりしたら嫌でしょ、多分。
内定あげたのにまだ就活してる・・・第一希望って言ってたのに・・・とか。
自分のとこがボロクソ言われてたらそれも気分悪いと思うし(ま、そうなった時点で即落ちだろうけどね)。
面接とかでも礼儀正しくして、自分の普段使ってる言葉じゃない使い慣れてない堅い言葉(敬語ともちょっと違うって感じてんだけど)を使わなくちゃいけないし、自分の普段を見てもらうってのじゃ面接でされる質問に対してしっかり答えられないからって面接の前にされる質問に対しての答えを練って行ったり。そんなんでわかんのかね?
普段めっちゃ使えない奴でもそれなりに用意してけばなんとかなっちゃうってか下手すりゃ使える奴よりそーいうときだけはちゃんとできたりしちゃうわけじゃん。
なんか就活ってやってる方もやられる方もおかしいよね。なんかが抜けてる気がする、しっくりこないっていうか。

今日も久々のオフのはずだったんだけど・・・結局就活関連のことしてるし。
今までできなかった(いやホントはできたのかもしんないけど)エントリーシート書いたり、説明会でもらった資料読んだり、これまでの就活の進行状況振り返って把握したりで。
あぁ~はやく落ち着きたい。

でも昨日感じて今日もちょっと考えてたんだけどさ、今年は俺たちだけど、社会に出てる人(これから出る人含む)はみんなそれを経験してんだよね。
それのウェイトがどうだってのは別にして。
だからやっぱさ、これから出る社会の人たちはみんなこれをやってきたんだから俺も逃げてちゃ勝負んなんないよな。
逃げ出したい気持ちもあるんだけどさ、正直。

院に行くっていう手もないわけじゃないじゃん、俺ら理系なんだからさ。
院に行った人と行かなかった人の生涯賃金は2億違うって話も聞いたことあるし。
それに追い風になってるのが今年の院志望者の少なさプラス大学側の新しい制度の導入。
もし俺が院志望に切り替えたら多分7,8割方行けると思う。
研究をやりたいかどうかは別にして。

ほんとそっちに切り替えたら今めっちゃ遊べると思うと・・・正直そっちの方が楽だしいいんじゃないの?なんて思っちゃうよ。

・・・

でも!!!
それじゃダメさね。
俺は俺を通す。
院には行かないって決めたんだから、就活して就職するって決めたんだから途中で棄権はしない。
これが終わればもうスノボに行けない年なんてない(おそらく)んだから、先に延ばしてる場合じゃねーもんなぁ。

なんかね、これまでつらかった体験ってなんだろ?って思ったとき、今って相当キツイよなぁって思ったんだ。
今まではそんな人生決まるようなプレッシャー賭けてつらい(精神的にクル)体験ってしたことなかったからさ。
全て自由の名の下に自分で選んでやってきた体験だったから。
どっかに行ったってのもそうだし、しごかれたりすんのもそうだし、受験勉強とかもそうかな。
つらいってのは確かにあったけど、それだけじゃなくて楽しいってのが確かにあったんだよね。
あ、言っておくけどしごかれるのが楽しいって言ってんじゃなくてバスケとかサッカーがって意味だからね。

例えばさ、登山とかしてるときって確かにつらいけど、その先に見える景色を見るのが楽しくて、達成感味わいたくてやるわけじゃん。
バスケでしごかれるのもそれ自体は確かにつらいけど、友達を完ぺきにドリブルで抜けたり気持ち良くシュート入ったりしたら気持ちいいじゃん。
受験勉強も勉強自体は全然興味ないもんだったりすんだけど(人によっちゃ違う人もいるみたいだけど)、他の人と順位競ったりさ、同じ問題一緒に解きだして勝ったりするとそれはそれでうれしいじゃん。

てっか俺って結構こうやって思ってること書いてると前向きになってくるのかもしんないなって思った。
んじゃ就職活動は?って聞かれるとさ・・・何が楽しいかな?

就活って一発勝負の面があるからまだその先にある(であろう)解放感ってのは味わってないからわかんないんだけど、やっててうれしかったのは友だちができたこと、昔の友だちに会ったりできたこと、知らなかったかっこいい建物ん中に入れたこと&見れたこととかかな。
かわいい女の子と喋れたりすんのもそれなりに楽しいよね。

その楽しいことの方を考えてやってきゃいいのかな、なんて思った。
難しいかもだけど。企業のことと全く関係ないし。

2003年2月23日日曜日

遊学働の融合

ちゃお、おひさしぶり。
もう2週間もなんも書いてなかったんだなぁ・・・なかなか忙しいと書く気が起きなくて。

インフルエンザなんかになってない?
この時期インフルエンザになると結構キツイみたいだね、やっぱり。
俺には「気をつけてね」とか「お大事に」とかしか言えないけどやっぱり体調は崩さないでほしい。

俺の方はだんだん業界に対する理解(一つだけじゃなくて、業界相関図みたいな)がいろんな業界のセミナーに参加したりしてるおかげでちょっとずつできてきて、やっと「木を見て森を見ず」っていうところから抜け出せてきたかなって感じ。
全体像をつかまないで、自分の志向とか関係なしで片っ端から足使って行動してきたけど、ようやく点が線になりはじめたよ。
まだまだだけど。

別にいらないことなのかもしれないけどね。
自分の行きたい道はもう決まってるし。

今日ね、俺の”やりがいを感じてるとき”をどう言葉で表現すればいいのかわかった。
ある会社のセミナーで社長さんが話してたことだったんだ。
題名がそれなんだけど。
遊びながら、学びながら、働く。

楽しみながら、自分の実力(スキル)を高めながら、社会や誰かに貢献してお金をもらう。
お金っていうのは”感謝”に置き換えてもいいかな。

あぁ、これが一番いいし、俺はこのスタイルを目指してきてたんだな、てのがわかった。
どんな組織に属しているときもそこを無意識にでも意識してた、と思い当たることがいくつもあって。
あいつが喜ぶから・・・とか、みんなにとってはこっちの方がいいかな・・・とか。
今まではなんて言っていいのかわかんないけど俺のやりたいことはこうで、本来そーいうもんだろ、みたいな感じで(筋とか粋とかって言葉で表現してたかな)やってきてたことにちょっと確信を持てたっていうか、そういう考えの下に動いている社長さんがいることが嬉しかった。
社長さんだったから、じゃなくて、肩書き関係なしでその人個人としてそう思って生きている人がいることがすごい嬉しかった。

てことで、遊学働の融合を目指していきたいと思った日曜日でした。

2003年2月8日土曜日

やる気がだんだん・・・

やっぱり俺はこっちの方が(左に寄ってる方が)自然でいいかな。

ここ最近就活も一息ついて、中休み。
ちょっと昨日今日と予定がない日が続いてる。
ま、昨日はほんとはあったんだけど(メンドくなって)空けたって方が正しいかな。
まぁ予定はなくともやんなくちゃいけないことはあるんですけど・・・。

ただ何か追われてる感があって自由にどっかに行ったりってのはあんまりする気にならない。
はぁ~。ダメだね、こんなんじゃ。

一発パーッとどっか行ってきちゃおうかな。
無計画に。

今日やったことと言えば・・・

ダチと就活の情報交換して、メシ食って、本買うのと就活用の写真撮ってくれるとこ探しいって、帰って洗濯物取り込んで、寝て。
んで今に至ってます。
まぁ今日はゆっくりしようと思ってたからそれで別にいいんだけどさ。

・・・なんか最近頭の方が疲れ気味かも。
久々に回転しまくってっかんなぁ。
それに就活関連でしか誰とも会わないし。

みんな、俺と遊んで俺に元気を分けてくれ!!!

とそれはいいんだけど、今日確かFriends冬旅行行った人たちは帰ってきたんだよね。
おつかれさん!!!無事でなによりだよ。
今度一緒に飲んだときにでも”やっちまった話”とか聞かしてくれなぁ。

俺も行きたかったなぁ~。
ケインかーなり熱心に誘ってくれてたし、最近顔出してなかったし。
なによりスノボだし。

ここまで全部のFriends旅行に参加してきた俺としては、途切れちゃったのはさすがにちょっと悲しいね。
ここで載せてたFriends写真も途切れちゃうわけだし。
旅行の写真をこのHPに載せといてみんなに見てもらって、みんなが喜んでくれるのって俺的にかなりうれしかったんだよね。
旅行んときの楽しかった思い出をそんとき単発で終わらせてほしくなかったから、誰もがいつでも思い出せるようにしようと思ってつくってたからさ。
俺だけが楽しむためなら別に載せる必要はないじゃん?
ぶっちゃけかなりメンドイ作業だし。

あぁ、でもみんなの写真で「これも載せて!」ってのがあるならやるよ。
自分のじゃない写真だから載せちゃいけないなんて思ってないし。
メンドイってのは時間がやたらかかるから疲れるっていうだけでやりたくないってわけじゃないんだ。
それで楽しむ人が増えたり、もっと楽しめるようになるなら全然やるよん。

ま、旅行に限らずFriendsに限らず全ての写真にそれは言えるんだけどね。
どれも俺には大事な思い出で、それがなければ今の俺はなかったかもしれない。
だから・・・今回のFriends冬旅行の写真は残念ながらないけど、Friendsのみんなも他のみんなも写真館見て楽しんでってくださいな、と。

でも・・・行ったらすっげ楽しかったろうにな~。
ま、俺が決めたことだし、それはそれ。言いっ子なしだよね。
記録はまたつくればいいさ。
もし行ってたら出れなくなってた説明会とかあったんだからしょうがない話だもん。

ほんと参加したみんな、それと幹部、特にケイン、おつかれ!!!
今日はゆっくり休んでくれぃ。
また会おうや。