2003年5月26日月曜日

世界の中の東京

今日、僕は世界の中の東京、ということを感じた気がした。
と言うとよくわからないかもしれないが、確かにそうなんだ。

時刻はすでに18時をまわっていた。
ここは上智大の中。
この前来た時と違い、授業の終わった学生で溢れた構内は騒がしかった。

そんな中、僕は去年の夏に初めて出会った友達と花見以来の再会を果たした。
そして、その場を離れ、共に夕食を食べにある店に来ていた。

そこで聞いた話が、非常に興味深い話であったので、少し紹介したいと思う。

僕はすでに就職活動を終えた身であったが、もしこの場に就職活動中であり、そして志望業界が銀行・生保などの金融系の人がいたならば、僕なんかよりもっと参考になったのではないか。

みなさんは東京に住む、ということをどう考えているだろうか?

僕のような若者にとって、東京で一人暮らしをすることは一度はしてみたい夢であり、ステータスにもなりうると思う。
そして、老後になるまでは東京にいたい、というのが僕の考え方だった。

さっきまでの僕ならば。

それを悪く言う気はさらさらないが、僕が今日再認識した事実をみなさんが聞いた上で、どう思うか決めても遅くはないのではないかと思う。

今日、震度6という大きな地震があった。
僕は外に出ていたのでほとんど影響を受けなかったのだが、電車に乗っていた友達は電車が止まってしまって身動きがとれなくなったりしていたらしい。

みなさんの知っているとおり、日本は地震の多い国である。
常に大地震に襲われる可能性がありながら、僕達は十分な対応策を持たずに日々を過ごしている気がする。
日ごろの行いの良い僕(反論は一切受け付けない)などは、”大地震が起こったところで自分だけは生き残れる”という妙な自信を持っていたりもする。

では、実際にそんな大地震が起こったらどうなるか?

最近建築された建物は倒れないかもしれない。
というのも、六本木ヒルズなどは森ビルの社長である森さんの、「大地震が起きたとき逃げ出す街ではなく、逃げ込む街をつくりたい」というコンセプトに基づき設計をしているからである。

しかし、まず間違いなく、僕の今住んでるアパートはつぶれてしまうか、火事で燃え尽きてしまうだろう。
台風が来ただけでもぐらぐら揺れている築○十年のこのボロアパートが、とても大地震に耐えうるとは僕には考えられない。

そして、火事。
これは僕のボロアパートを含む木造の家に住んでいる人たちには避けては通れない災害となるであろう。
そして、その火事が引き起こすのが、爆発。
東京に大地震が起こったとき、その爆発の火種として非常に数も多く、危険なものは何か。
車である。
普段は便利かもしれないが、そんな大災害が起こったとき、車は大きな爆弾となる。
車がそこかしこで爆発をしだすと、もう僕達にはどうにもならない状況になってしまう気がする。
今なにげなく吸っている空気もこのままなはずがなく、火事や爆発などで熱せられ非常に高温になった空気の中で、僕達に何ができると言うのだろうか。

ただここまでの話は単なる過程の話であって、実際に起こったときにそうなるかはわからないし、第一大地震が起こらなければ別に僕達にはなにも関係のないこと、と言ってしまえるのかもしれない。

それでは、最近は地震が多いが、大地震の起こる確率はどのぐらいあるのだろう?

ある資料によると、大地震というのは70年を1サイクルとして起こっているらしい。
それでは、前回の大地震はいつになるのか?
みなさん知っての通り、1923年の関東大震災となる。

もしその資料があっているとしたら、すでに70年を超え80年目に入っている今、大地震が起こらない、ということはできるだろうか。
残念ながら、僕には断言することはできない。
むしろ近いうちに大地震が起こってしまうのではないか、この先20年、30年と東京はあり続けるのか、と不安になってしまう。

この予想が杞憂に終わることを祈るばかりであるが、ではそんな東京の現状を把握した上で、東京に住み続けること、メインバンクを日本の銀行にしておくことについて考えてみたい。

私見ではあるが世界の中の日本、世界の中の東京、という観点から見て、これほど先の見えない都市も少ないのではないだろうか。
いつ大地震が起こるかわからない世界でも稀に見る地震地帯に位置し、政治も混乱を極め、銀行はメガバンクと言われる4銀行全てが赤字。
政財界に癒着がはびこり景気の良くなる兆しもないまま、それでも人々はブランドバックを買いあさり、勉強すること、知性を磨くことを避けて通ろうとする。
全ての人たちがそうだ、とは言わないが世界の人たちから日本人がバカにされるのもわからなくもない気がしてくる。

海外の都市を見渡せば、地震などほとんど起こらず、東京と同じような生活のできるところはごろごろあるのではないだろうか。
もともと僕は政治や経済に興味はないが、それでも今の日本があまり良くないことくらいわかる。
それが全てとは言わないが、僕は今の日本に、というか東京には家を持つ必要はないのではないか、と感じた。

家を持つなら家族のためにも地震があっても大丈夫な場所に。
まぁそれは1大学生の僕にはまだかなり先の話になるだろうが。

そして、メインバンクを日本の銀行にしておくこと、これはどうなのだろう?
僕の場合、よく考えもしないで大学にもあって便利な郵便局を使っているのだが、メインバンクを日本の銀行にしている人も少なくないと思う。
というか、ほとんどの人がそうかもしれない。

例えば今預金している銀行が赤字を出している。
僕達に直接の影響はないかもしれない。
それでも、あまりいい気分はしない。

そんな銀行の利率が1%、そして一方世界で通用する外貨を扱う銀行の利率が5%だとする。
みなさんはどちらを選ぶのだろうか?
もちろん外貨で預金をすることには僕も多少の抵抗はある。
安定を求めるなら、無難に日本の銀行の方がいいのだろうか?
ついそう考えてしまう。

ただ、この安定という言葉、少しひっかかる。
¥エンと$ドル、果たしてどちらが安定していると言えるのだろうか?
僕は必ずしも¥が安定しているとは言えないような気がする。
こんな不安定な情勢の中で、世界的な基準がどちらか、という点から言って僕は$に1票入れたいと思う。
もしかしたら反論したい方もいるかもしれない。
そんな人はどうぞ教えてください。メールお待ちしています。

いつ大地震の起こるかわからない日本でのみ使われている¥がどこまで安定していると言えるのか?
もしそのようなことが起きた場合、¥の価値というものはどれ程下がってしまうものなのか?
今まですごく価値のあった札束が、わずか2,3秒で紙切れ同然になったりすることは考えられるのか?

僕はみなさんに少し考えた方がいいのではないか、と言っておきたい。
世界は広く、可能性は無限。
東京に固執して自分の人生を捨てるようなことになったら、それはすごく悲しいことだと思う。

さて、そろそろ時間もなくなってきたので僕は自分の仕事に戻るけど、みなさんはどうする?
願わくば、この先の人生を自分がどう過ごすか少し考えて欲しい。
そして、一度しかない人生を共に楽しもう。

じゃ、また。

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