2003年3月5日水曜日

慰霊の園

なんかもう春一番なんだってね~。
昨日は本当風強くて、コート着ないで外出たの失敗だったかな、なんて思ったよ。
こーいう時期って体調崩しやすいから気をつけないとね。
俺ら風邪引いてる場合じゃねーしさ。

っとまぁ挨拶はこのくらいにしてそろそろ本題に入ろうか。
□\(-o-\) (/-o-)/□

今ね、なんでかわかんないけどすっげぇ気になったことがあってずーっと調べてたんだ。
そんで調べてくうちにすごく考えさせられた。

何調べてたか率直に言っちゃうと”日航機墜落事故”のことなんだけど・・・。
みんなちょっとくらいは聞いたことあるよね?

これが起きたのが1985/8/12だそうだからもう17年も前のことなんだ。
俺が4歳。もちろんそんときの記憶なんか全然ないよ。

なんで気になったんだろ?
最近空港でシステムダウンがあったってNEWSが流れたからかな。
んで一回思い出しちゃうと頭から離れなくなっちゃって・・・逆に思い出すこともあったんだよね。

俺車の免許取った年の夏休みに親父と二人で旅行に行ったんだけど、そんときにこれに関係する慰霊碑みたいなとこに行ったんだ。
場所は全然覚えてなかったんだけど。
そんでそんときに聞かされて初めて知ったことが多かったんだよね。

・・・言っていいのかな?

場所は群馬県上野村、慰霊の園。
これを探し出すのもかなり時間かかったよ。
何県かもわかんないし、慰霊に関するところってことしかわかんなかったからさ。

んでそこで親父に聞かされたことってのはその慰霊碑が合掌の形をかたどったものであること。
その犠牲者の中に俺と遊んでた子ってかその家族がいたこと。
特にそれを聞いたときは軽くショックだったのを覚えてる。
「俺は今までそんなことも知らないで生きてきたのか。」とか「こんな身近な事件だったんだ。」とか。
ショック、というか驚きが多くて、でもそれ聞いて本当にその事故、そして今そこにいることをすごく自分のこととして捉えられた。
今まで対岸の火事だったものが急に現実味を帯びて見えたんだよね。

んで今思うと、それからかもしれない。
犠牲者に対しての思いやりというか、大事にしようって気持ちを持ったのって。
阪神大震災も、ぶっちゃけ俺にとっては他人事っぽいとこがあったんだ。
もちろん無事だといいな、とか義援金いっぱいあげて少しでも力になればってのは思ったよ。
神社行ったり。
でもどっか他人事だった。
自分の知り合いがいなくなったとかってのがなかったからだと思う。
自分の一番好きな人を亡くした人とか家族を亡くした人たちから見たらすごい失礼だよね。
ごめんなさい。

んでそんなことも思い出しながら調べてたんだ。
そしたらさ、結構出てくるんだよね、いろんな人の思いが。
俺ってこんなにも知らなかったんだ、て改めて今日思った。
17年前の出来事なのに、いまだにそれについての掲示板とかもあっていろいろ議論が交わされてる。
実際はこうだったんじゃないか、とかこれには裏があったんじゃないのか、とか。
遺族の人のHPや、そこに慰霊の思いを捧げるような思いを綴った文章とかも出てきて。
慰霊登山の日記も、もちろん事故についての本の紹介のHPも。
その本の種類の多さにも驚いたけど、なによりHPの多さに驚いた。
あの事故一つでこんなにも多くの人にこんだけの思いを持たせることになってるのかって考えると、やっぱり真剣に受け止めないとなって。

遺族の人の思いなんかは、俺ほんとにインターネットで見れるってすごいなって思った。
絶対に会うことのない人の感じた気持ちだとかがすごく伝わってきて、改めて事故の衝撃の大きさってものを感じた。

普段はあんまり耳を傾けないようなことなのかもしんないけど、そればっかじゃダメだよね。
阪神大震災やテロに実際にあった人の思いってのはどんだけのもんなのか俺には想像つかないけど、そういうことがあったってことは忘れないでいたい、というか忘れちゃいけないと思ったよ。

なんでこんなこと書いたかって?
俺がここに書くことによって少しでもそーいうこと考えるっていうか思い出してくれる人がいたらいいなって思って、てのが一番の理由かな。

最近というか、ここ数年で今まで貯めてきた記憶の断片がつながってきてるんだ。
・・・俺が成長してきたから、つながり始めてるんだったらうれしいな。

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