2023年8月20日日曜日

Noのコレクション

先日の飲み会で「私は自分から声をかけて断られたら少なからずガッカリもするし、また断られたらと思うとだんだんその人を誘えなくなる」って言う人がいて、「そういう感覚の人もいるのか」と新鮮な反応をしたら「普通はみんなそうだよ」と言われてしまった。


でも、そこでいちいち意気消沈していたら、話は全然前に進まない。

企画自体が面白くなかったかもしれないし、たまたま興味のある分野じゃなかったかもしれない。興味のある分野で面白そうな企画だと思ってもらえたとしても、それがその人の空いてるスケジュールではなかったかもしれない。

仮に空いていたって、最優先は自分の家族や仕事のこと。その優先順位がある中で、その息抜きの時間や他の友だちとの予定がないときで、場所的にも行ける距離。費用もまぁ割高には感じない。そんなときだけ、だいたいの人はOKをしてくれる。


自分の企画の魅力をあげることも必要だけど、自分が働きかけられる範囲を超えた、不可抗力ともいえる要素がたくさんあるのが当たり前。どちらかといえば、Noと言われるほうが確率が高くて、全滅の可能性だってあるのが企画をするということだと思う。

それでも、だからこそいい企画ができることは価値があるのだし、来てくれた人は自分の誘いに応えてくれた、というのが企画した側としてはとても嬉しく感謝もするし、考え方として確率論を頭にいれながら考えていかないといけない。

要は成功率の法則。

「より多くの人に会えば、より多くのYesに会える」ということ。


最近、企画をたくさんしすぎて、結局声をかける回数も増え、それに比例して断られることも多々ある。でも全然めげる気はしない。断られる中でも、「その日は行けないけど、どっかで飲みたいとは思ってたから別途行こうよ」「こういうの好きそうな人がいるから、今度紹介させてよ」なんて新しいつながりや機会がNoの中からも生まれてくる。(こともある)

だったら、YesでもNoでも、やらないよりはやった方が、声をかけないよりはかけた方が意味がある。少なくとも、自分が来てほしい、連絡を取れたらいいなと思っている人には。


そんな風に考えて自分は企画をしているし、だから断られること自体はYesを増やすためのNoだしまったく気にならない。むしろそれがないとYesは増えないから、ありがたいと思っているところもあるくらい。

そんな考え方でやっているよと伝えたら、珍しがられた、という話でした。


でも、僕はこれでいいと思うんですけどね。

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