2011年10月29日土曜日

本「官僚の責任」

最初の数ページを読んだ感想は「この人レベル低…」でした。その時点で読むのやめようとも思ったけど、読んでいくとなんとなくその感覚がレベルの違いじゃなく底にある考え方の違いにあるような気がしてきました。
確かに、官僚の人たちの考え方がよくわかる1冊でした。
税金を使って利権を増やすだけ。本来必要なことかどうかは問わない。国益よりも省益を優先するような考え方、是非も問われるところかもしれない。でもどんな企業にもこういう面はあるなぁと感じて、人の組織の難しさや限界面を考えさせられました。人のことばっか言ってられないなと。
自分がこの国の国民であり税金を払っている以上、その税金を有意義に使ってほしいという思いもある。そのお金でポストを作って、そのポストではほっとんど仕事らしい仕事をしない人が給料として税金をもらう。その人たちの裏には、どれだけの人たちのどれだけの我慢があるんだろう。決して本音では話してはくれないかもしれないけれど、官僚の人たちがどういう意識で仕事してるのか、聞いてみたいと思いました。
ただ、これだけ自分でこきおろしてる経産省に残って、閑職で著者は何やってんだろうとも思いました。
仕事が与えられないなら、辞めればいいじゃん。うまくいくかはわからないけど、ゼロにリセットして新しいこと始めればいいじゃん。と。それができないのに、こういう本を書いているっていう立ち位置の中途半端さがなんとなく気持ち悪い感じがしました。
そのまま閑職でもそこにいればいい給料もらって食べていける。その地位を捨てることができないのかな。
あえて捨ててまでやりたいことは特にないのかな。

本「日本人の誇り」【11年19冊目】

<本の紹介>
危機に立たされた日本は、今こそ「自立」と「誇り」を回復するために何をすべきなのか? 『国家の品格』の著者による渾身の提言。

<メモ>

  • 現在、30歳女性で出産したことのない人が50%を超えています。ここ5年間の出生率は1.34程度で、人口維持に必要なのは2.08ですから、ある時から急激な人口減少が始まることになります。
  • 国立社会保障・人口問題研究所は生涯未婚率を算出しています。現在60歳の人では5%に過ぎませんが、現在30歳の人々だと23%、現在20歳の女性だと40%と予測しているのです。
  • ケータイ病におかされた子供たちは今や、世界でもっとも勉強をしない子供たちとさえ言われています。中学校で数学教師をしている私の教え子が言っていました。昼休みに勉強や読書をしたり校庭で元気よく遊ぶような子はまず見当たらず、おしゃべりをする子も少なく、ほとんどは黙々とケータイを手にしているそうです。
  • 学校にはBMWを乗り回しながら給食費を払わないモンスターペアレンツ、病院には治療結果が思わしくないとすぐに病院や医師を訴えるモンスターペイシャンツと、不満が少しでもあれば大げさに騒ぎ立てる人々が多くなりました。人権をはじめとして自らの権利をやたらに振りかざすような行為は、かつては「さもしい」と言われたものですが。
  • 和をもって尊しとなす。
  • アメリカの原爆投下命令は、ポツダム宣言の発表以前に下されていた。原爆は「ポツダム宣言を拒否したから」投下されたわけではない。
  • 「"正義は力なり"を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」という記事を1945年9月15日に載せた朝日新聞は発刊停止となった。(言論・表現の自由を米国の作った憲法に明記されているけれど。。。)
  • 日本の軍人達は、戦場で涙ながらに老いた父母を思い、自分の死後に残される新妻や赤子の幸せを祈り、恋人からの手紙を胸に秘め、学問への断ち難い情熱を断ち、祖国に平和の訪れることを願いつつ祖国防衛のために雄々しく闘いました。それが今、地獄さながらの戦闘で散華した者は犬死にと嘲られ、かろうじて生き残った者は人殺しのごとく難詰されるという、理解を絶する国となってしまったのです。祖国のために命を捧げた人に対し感謝の念をこめ手を合わせて拝むべきものであるのに、戦争の罪を一身に背負わせているのです。
  • 1945年3月10日の東京大空襲では、下町を中心に一夜で10万人以上が死亡しました。一夜としては史上最大の大虐殺です。あらかじめ関東大震災時における被害状況を調べ、下町に木造住宅が密集していることをつきとめた上で、木と紙でできた日本家屋を最も効果的に焼きつくすために新たに開発されたE46という集束焼夷弾を落としました。だから被害地域が関東大震災の時と似ています。浅草などではまず円で囲うように周囲に焼夷弾を落とし、逃げ出せないようにしてから徐々に内側へ落として行って人々を追いつめました。ビルに逃げ込んだ人も、吹き込む火炎流で焼死あるいは窒息死し、隅田川は川面が溺死体で埋まりました。残忍な皆殺し計画でした。
     東京はその後も何度か爆撃されました。上空の強風を避けるため2000mほどの低空飛行から投下したので、爆撃は極めて精確でした。爆破でもしたら国民の底深い怨恨を買うであろう皇居は目標から外されました。ロシア正教のニコライ堂、ロックフェラー財団の寄付で建てられた東大図書館、米国聖公会の寄付で作られた聖路加国際病院や立教大学、占領後に自分たちが利用とした銀座の服部時計店(米軍PXとなった)、第一生命ビル(GHQ本部となった)なども外されたから無傷でした。
  • 東京裁判では、「広島、長崎への原爆投下という空前の残虐を犯した国の人間に、この法廷の被告を『人道に対する罪』で裁く資格があるのか」は詭弁により斥けられました。触れてはいけない大地雷に触れたこの爆弾発言は、発言とほぼ同時に日本語への同時通訳が中止させられたため、日本人の耳にも届かずマスコミにも流れませんでした。欺瞞に満ちたこの裁判を破砕するものだったからです。
  • 人間というものは、他人を攻撃する際に自分が言われるともっとも痛い言葉を用いる、という心理的傾向があるのです。国も同じです。
  • もし現代の定義を適用して日本を侵略国というのなら、英米仏独伊露など列強はすべて侵略国です。ヨーロッパ近代史とはアジア・アフリカ侵略史となりますし、アメリカ史とは北米大陸太平洋侵略史となります。清国も侵略国です。ただしこれらの侵略国家が倫理的に邪悪な国ということにはなりません。この2世紀を彩った帝国主義とは、弱肉強食を合法化するシステムだったからです。
  • 日中が手を携えるというのは白人にとって悪夢中の悪夢だったのです。これは現在に続いています。この2つは対立させる、というのは今も欧米の基本戦略です。
  • 日本は敗北したとはいえ、白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業を成し遂げたのです。日本人の誰もそんなことを夢想だにしていませんでしたが、結果的には世界史の大きな転機をもたらしたという点で、何百年に一度の世界史的快挙をやってのけたと言えるでしょう。

本「為替占領」【11年18冊目】

<本の紹介>
3.11後に、なぜ円高にふれたのか?誰もが、日本売りで円安になると思ったのに、急激な円高!その後の協調介入はなぜあれほど素早く行われたのか!?全ての疑問がこの本を読むと解明されます。為替を通してみると世界の動きと、日本の位置がはっきりと分かってきます。1971年8.15のニクソン・ショックから始まった苦難の円高、借金棒引きシステムを余す所なく暴きます。なぜ、為替介入が行われ、その米ドルは換金できないのか?しかも、ディーリングで見ていると、必ず先行してプライスアクションが起こるというリアル。全ての経済予測はこの本を抜きにしては語れなくなる。為替は実はゼロ・サムゲームなのです。

<メモ>

  • 90年代のアジア通貨危機、ロシア通貨危機、昨今のアイスランドも広義の意味での通貨危機と捉えれば、為替政策の脆弱性が結局は政権や国家の経済システムを崩壊させることに繋がってしまうということは今も昔も変わらない。歴史の中の類似性は偶然の域ではあるまい。であるからこそ、我々が今後の処方箋として歴史のアナロジーを生かす余地は大いにあろう。
  • 世界の投資資金は、いわゆる平時であればより収益の上がりそうな場所を求めて動いている。スイスも日本円同様に、他国に比べ相対的に低金利であるがゆえに、通常は低金利のスイスを売って、高金利の他通貨を買う、というスイスキャリーが発生しやすい。しかし、一度金融危機などが発生すると、危険な場所を避け安全な場所に戻るという性質が資金にはある。地政学的に経済的にあまり関係のない、あくまでも中立国の立場を取るスイスは緊急避難先なのである。世界の富裕層の資金がスイスに集まり、平時はそこから海外へと投資資金が出ていくのなら、緊急時にはスイスに戻ると考えれば納得がいくのではないだろうか。あるいは、円キャリーやスイスキャリーは危機が発生するという情報が伝わった瞬間に、もともとの資金の出所である円やスイスに戻っていくという方がむしろ説明が付くかもしれない。平時と皆が思っているときに、実は情報をいち早く仕入れている一部の投資家は、一足先に危険な市場から撤収を始めているのである。それが、為替取引においてスイス。フランだけに見られる異常な買いとなって表れる。
  • 為替と株式市場を中心に季節要因のサイクルをまとめると、、、
    • ▼1月:欧米企業の会計年度がスタートするために変動が大きい。日本人がお正月気分でいる間に仕掛けられることも。ボーナス資金が市場に入ってくるため、前年11月終盤から日本が正月休みの3日目まで米国は株高。それにつられてドル高。よって円は独自の理由からというよりも、ドル高のため円安に。
    • ▼2月:以前はシンガポール、香港などアジアの相場参加者が旧正月に入るため閑散。中国も旧正月を祝う文化圏であるので、世界一のプレーヤーとなりつつある中国の存在を考えれば今後も2月は相場の動きは鈍くなるというのが順当だが、敢えてその隙を狙って政策金利の変更を行う等、相場参加者の裏を読む行動を中国通貨当局は取る。
    • ▼3月:日本の会計年度が終了するために、下旬には日本の投資家の外貨資産の処分で一時的に円高に振れる場合がある。特に3月31日と4月1日ではがらりと相場の雰囲気が変わるので要注意の日。
    • ▼4月:前半は欧米がイースター休暇のため欧米からの参加者は少なめ。日本の会計年度スタートで本邦からの海外投資が活発化し、円売り、他通貨が買いとなりやすい。4月末には日本はゴールデン・ウィークに突入することから、以前は海外旅行による需要などで基本的には円安と言われてきたが、日本人が休み気分でいる中を2010年に見られたようにユーロ危機を演出するなど、狙い撃ちされやすい。ゴールデン・ウィーク前に市場が売り・買い一方方向に偏っている場合は、その動きの加速、あるいは逆の動きもあり要注意。2011年は年初来急騰していた銀相場がターゲットとなった。
    • ▼5月:ゴールデン・ウィーク前の雰囲気が変わっていることもあるが、夏に向け米株高となる場合が多いため、ドル高が定石。本邦の年金など新規投資を始める時期でもあるので、円売り。但し2011年は震災直後ということで本邦から海外への資金流出は手控えられるであろう。
    • ▼6月:1年の折り返し地点ということで、相場も一服。
    • ▼7月:6月に続き大きなイベントはなく、ここまでのドル高、株高の流れを継承しやすい。
    • ▼8月:海外は夏休みシーズンに入り、日本もお盆となるが、このお盆の時期にLTCM、サブプライムなどの経済危機が発生することも多く、ドル安のスタート地点となることが多い。
    • ▼9月:8月にスタートしたドル安の流れを引き継ぎやすい。株価もピーク、あるいは高値から下落を始める時期。米国のデフォルトあるいは新通貨制度の発表などがあるとすれば、8月―9月の可能性が高いと個人的には考えている。
    • ▼10月:ヘッジ・ファンドなどの中で、早めに1年のポジション(持ち高)を調整し始めるプレーヤーが出てくる。ドル安・株安継続。
    • ▼11月:米国はサンクス・ギビング・デー(感謝祭)が後半に控えているため、ポジション調整の動きが加速。以後クリスマスまで長期休暇。
    • ▼12月:中期以降は特に閑散。海外は休暇モードでクリスマス前後の取引はほとんどない。基本的には11月にドル売りが加速し、12月には一服。欧米企業の自国向け利益送金もあって、特にドルは底堅い展開に。12月28日より取引は活発化するので、年末年始は要注意。
    • 端的には春に向け円安(ドル高)、秋口から円高(ドル安)というパターンとなりやすい。
  • 日本国で経済活動を営んでいるのは、5つの経済主体となる。それは①政府、②家計、③金融機関、④非金融法人(一般企業)、⑤民間非営利団体(NPO)。日本の場合は政府が借金をしている側で、国民がその貸し手である。それにもかかわらず、国民の借金としている点で報道はおかしい。政府が踏み倒さない限り、国民にとって資金の貸し出しは資産である。
  • 2002年の格付け会社の日本国債の格下げに対して、財務官が送った説明を求めるための書簡。(ま、リーマンショックで格付けが意味をなしていないことはわかっていますが。。)
    • (1)日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
    • (2)格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
      • マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国。
      • その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている。
      • 日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備高も世界最高。
    • (3)各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。
      • 1人当たりのGDPが日本の3分の1でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
      • 1976年のポンド危機とIMF借り入れのわずか2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
      • 日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。

本「この国の権力中枢を握る者は誰か」【11年17冊目】

<本の紹介>
日本はなぜチェルニッポンにさせられたのか。大震災・原発事故の国難につけこむ外国勢力に対応できない日本政府の政治無策を問う

<メモ>

  • 福島原発の事故がいちばん危機的だった3月17日に横須賀に行ってみたら、アメリカの艦隊は一隻もいなくなっていました。ちょうど3月11日に港に入って、1ヶ月の予定で修理にかかるはずだった原子力空母ジョージ・ワシントン以下、機動艦隊が影も形もありません。アメリカは海軍。海兵隊共同で「トモダチ作戦」と称する被災地救援オペレーションを行うといっていたので、東北沖にでも向かったのかと思ったのですが、何のことはない、全部出航してフィリピン沖まで逃げてしまったのです。米韓合同演習のために来ていた空母ロナルド・レーガンが東北沖に姿を見せましたが、これも福島原発から125海里(230キロ)以内の海域には決して入りませんでした。これが日米同盟の実態です。
  • 核爆弾も核弾頭も必要ない。核物質があって、それを普通の爆弾に積んで爆発させれば放射能はそこかしこに飛び散る。それだけで世界は恐慌をきたす。テロの手段としてこれほど有効なものはない。今度の福島原発の事故で改めて、そういうことを世界の誰もが認識したのです。
  • 誰もが放射能の恐怖に怯えているという事態の深刻さを、アメリカ自身が最も強烈に認識したはずです。なぜならアメリカは世界で唯一原爆を投下した国であり、核爆発と放射能の悲惨さをよく知っているからです。9.11を持ち出すまでもなく、自分たちこそがいちばん「報復の女神」のターゲットになりうるということもわかっている。
  • アメリカは日本の役人に対して硬軟両面からいろいろなことを仕掛けてきました。その一例が、研修と称するアメリカ留学です。もちろん研修の費用は全部アメリカ側の負担です。選ばれた各省庁のエリートたちは嬉々としてアメリカに行って、帰ってきたらみんな親米、アメリカのお先棒をかつぐようになっている。最近は、今までアメリカと縁のなかった検察庁の若手検事や裁判官までが研修に行くようになっています。これから指導的人物になるだろうと目される各界の人材を選んでアメリカに留学させ、親米派の知識人を養成するという戦略的な留学制度です。
  • 復興財源として日本がアメリカ国債に手をつけるのをアメリカが恐れている。日本政府が持っているアメリカ国債は8000億ドル前後で推移していると思われます。これは一兆ドルを超える中国に次いで世界2番目の保有高で、もし日本がこれを売りにかかったら、それでなくともデフォルト寸前の状態にあるアメリカ国債は窮地に追い込まれる。だからアメリカは日本の財務省に圧力をかけて、売らせないように画策しているのです。復興税や消費税増税の話の裏側にはこうした事情があることを忘れてはなりません。
  • インドの綿花種子市場はいまやモンサントが独占しています。綿花の場合は種が取れるのですが、モンサントは自社が開発した綿花のバイオ種子の特許権を制定していて、自社のバイオ種子から収穫された綿花の種を翌年使用するのは知的財産権の侵害にあたるとして禁じています。これを侵害すれば巨額の賠償金を請求される。だからインドの綿花業者は毎年モンサントから高額な種を買わされ続けているのです。

本「個人でつくる電子図書館」【11年16冊目】

<本の紹介>
電子図書館運営の先達であった館主・内転儀久が、この10年の経験を集約。ネット万能時代の読書・資料収集・公開について手の内を公開する。

<メモ>

  • 個人で電子図書館をつくる時代が到来した。
  • 郷里を離れて都会や別の地方都市に暮らす人が、郷里の図書情報を提供することもできる。自分が郷里に住んでいなくても郷里の土地勘があるし、幼友達もいるだろう。そうであれば、郷里の図書情報を提供することによって、懐かしい友達に出会えるかもしれない。電子図書館をつくって「ふるさと貢献」するのもよいだろう。
  • ローカルな図書情報であっても、特定地域の図書情報を集積していけば、地理的な地域の隔たりを越えて多くの人から特定地域の図書情報を提供してもらえるという電子図書館の利用法。
  • お気に入りに登録されたサイトが自分のマイ電子図書館であり、マイ情報センターになる。
  • 紹介する情報のうち、政治・宗教・販売の情報、プライベートな記事、また個人情報や誹謗中傷するような情報は取り上げない。ただし、テレビ番組の中で芸能人が、まちの「うまい店」として紹介した店は名前を出している。芸能人に紹介されるような店は「地域の文化」だと思っている。
  • サイト内検索だけでなく時代別・領域別のデータベース化作業を続けようと考えている。何かを考えるヒントは、系統的に整理された情報の集積から生まれる。
  • 満開佐倉文庫情報大賞であるが、一年間、当文庫に寄せられた情報を整理し、その中から佐倉の再発見となるような情報、インパクトのあった情報、その年の情報として記録しておきたい情報を十点近く選び、情報大賞の候補とする。その中から電子司書さんと相談して、情報大賞を選んでいる。
  • 地域の歴史・自然・文化(それを風土といってもよい)に興味を持つことである。家の外に出て地域の風を頬に感じ、地域の史跡を訪ね、地域の食を味わい、地域の文化人と交流することである。そうすることによって、地域の図書は自ずと集まってくる。
  • 本に限らず情報紙、CD、DVD、記念資料、パンフレット、ポスターなどの資料があり、これらを含めて地域資料と捉えている。しかしこれらの資料は特定の人が特定の人に配るために作成したり、有料であったりして集めづらい。集められればいいですねというところである。
  • 読書をしながら自分の住んでいる地域が出てくる本に出会うと、思わず嬉しくなる。その本は、知らず知らずに印象に残るものである。どこかにそれを収納する箱をつくり、みんなで読書をしながら地域本を探していくのである。
  • 地域が小説に描かれたり、映画のロケ地に使われることはその地域に魅力があるからであると考えている。だからその魅力を多くの人に伝えたいと思う。その情報発信の手段が当文庫である。さらに、地域が描かれた作品はそのまま国語教材として、市内にある学校の国語教育にも使えるのではないかと考える。
  • 当文庫では、過去の書物を集めることよりも、地域の「今」を集めている。「今」は自分が生きている時代の図書情報であるから集めやすい。地域の「今」を集め、「今」を整理し、「今」を次の時代に伝えたい。「今」は、やがて歴史の一ページになる。
  • Googleマイマップを使って、全国にある「佐倉」という地名情報、名称、公共施設名などを提供する。
  • ウェブサイトに掲載された図書情報は、私と情報提供者が見るだけでなく、世界中の人が見ているのである。私の読書レベルが白日のもとにさらされる厳しさがあるが、それも勉強である。むしろ、「私はここまでわかりましたが、さらに詳しい本を知っている方がおられたら教えてください」という情報発信であり、受付姿勢の表明である。
  • くにたち図書館では、くにたち地域資料ボランティアの方々が資料の収集、現地の調査、聞き取りなどを行い、そして議論を重ねて、レファレンスシートを作成している。
  • 不採用になった情報も何件かありますが、その際の館主さんの判断とその明解な解説連絡を戴くことの方が採用と同じくらい嬉しいですね。「一喜一憂」としないで「嬉々」とした次第です。

本「武蔵野の民話と伝説〈下巻〉」【11年16冊目】

<メモ>

  • 多摩川溝ノ口築堤(1703年)の際には、水神の怒りを鎮め、洪水を未然に防ぐよすがとして2人の「人柱」が埋められた。
  • 真言宗関東三山:金剛山金乗院平間寺(川崎大師)、高尾山薬王院、成田山新勝寺。

2011年10月23日日曜日

本「武蔵野の民話と伝説〈中巻〉」【11年15冊目】

<メモ>

  • 平将門の遺体は、それぞれゆかりの深い各地に分けて葬られているということだが、わかっているのは、
    • 神田明神の首
    • 湯島鳥越明神の胴
    • それから、恩方力石のまさかさまの男根
      と、この3つである。あとの手や足も、どこかに祀られているものと思われる。
  • 八王子から横浜に通じるシルクロード(絹の道)という繭や生糸を輸送する街道があって、蚕には縁の深い地帯である。
  • 武蔵野の秋月―見渡す限りの萱や芒の原。ところどころにある村落と雑木林。秋から冬にかけての風物が、最も武蔵野らしい姿を見せる、とは昔の文人の言葉だが、秋の冴え渡った月光の下の、このあたりの風情は詩歌などにもいろいろと採り上げられている。
  • 国分寺地内で、最も古くから人が住みついたのは「恋ヶ窪」あたりだといわれている。近くには約一万年前に人類が生活していたことの証左である黒曜石の打製石器などが発掘されている。
  • 「昔話」をしてくれる老人が、いまは極めて珍しい。たとえ話してくれる人があっても、それを聞く側―若い世代(子供も含めて)が、それをしんから耳を傾けて聞いてくれるか、どうかだ。炉端や日向の縁で、爺さまや婆さまから「お話」を聞いた時代の子供たちとは、いまは、その受け取り方も感動のしかたも、まるで違うのである。語り手の方でも、話す興味も熱意も、あらかた喪失してしまっている人が多いようだ。

本「マンガとミュージアムが出会うとき」【11年14冊目】

<本の紹介>
国立メディア芸術総合センター(仮称)構想にみられるように、マンガ・アニメに関する施設の設立が相次いでいる。いっぽうで、どのように展示すればよいか?という方法論は、いまだ模索の段階にある。本書は、マンガをミュージアム空間に置きなおすことで浮き彫りとなるメディアとしてのマンガの性質や、マンガを取り入れることで拓かれるミュージアムの可能性について、現場での取り組みや、ミュゼオロジーの視点をもとに考察する。

<メモ>

  • ルーブル美術館やメトロポリタン美術館が美術の「殿堂」足り得るのは、そこにしかない貴重な美術品が、きちんと系統だてて収蔵され、展示されているからにほかならない。実物がそこでしか見られないということもさることながら、人類が生み出してきた「美」の歴史的系譜の上に個々の作品が位置づけられ、目の前の作品がどんな「美」をふまえて生み出されたのか、また、ここからどんな新たな「美」が生まれたのか、展示された作品の向こう側に壮大な時間・空間を感じさせてくれるのは、そこが古今の「美」を集約した「殿堂」であるからにほかならない。
  • 膨大な量と多彩な内容、町中どこででもマンガにふれることができ、およそマンガに描かれていないテーマやモチーフはないと思えるほど、老若男女ありとあらゆる年代・性別や趣味嗜好に対応したマンガが生み出されているこの圧倒的なボリュームこそが、マンガの特性なのではないだろうか。
  • 銀行へ行けば、キャッシュディスペンサーの画面で女子行員のマンガがおじぎをする。小学校の図工の時間で生徒に絵を描かせると、人物の額に汗を描いたり吹き出しでセリフを書いたり「絵画」でなく「マンガ」を描いてしまう…。
  • 服を体に合わせるのではなく、体を服に合わせていただいた。
  • 現在は美術館に単体で展示され、鑑賞されている美術品が、かつてある建物の一室を飾る装飾品であり、その部屋の内装と合わせてこそ美を発揮していたものであったこと。さらには、その部屋で来客をあまり儀式張らずにもてなしたいと建物の持ち主が望み、その美術品を作家に発注する際にもその意向が反映されたこと。そういった事柄が、作品のそれ自身の純粋な美や、作家の内的な動機のみを追求していると見えなくなっていく。
  • ドラえもんの4つの魅力。
    • ドラえもんのパーソナリティ…ドラえもんの豊かな表情
    • ひみつ道具…ドラえもんの人気を不動のものにした数々のアイデア
    • ひみつ道具が作り出す不思議な空間…ドラえもんのSF的側面
    • 登場人物たちのドラマ…人間ドラマとしての「ドラえもん」
  • ミュージアムとは、作品の「アウラ」を強調し、強化する空間である。そこでは芸術は、その一回性―たったひとつのオリジナルであり、複製不可能であること―によってこそ、価値を与えられている。作品をガラスケースにいれ、触ることを禁じ、そこにだけ証明を当て、そして作品と作者を賞賛する、ミュージアムとはそのような場所だ。当然、訪れる来館者も無意識のうちに、この「アウラ」に対する信奉を持っている。そしてたとえばある絵が唯一無二のオリジナルでなかったり、なんらかの複製だったりすることを知って、がっかりするのである。このように「アウラ」はミュージアムに長らく棲み続けておりおり、この空間に足を踏み入れる人は「アウラ」の幽霊にいつのまにか心を奪われる。
  • 来館者がジブリを知っており、かつ好きであり、自分で物語を想像できることを前提とした展示。
  • 世論は、一方では「日本が誇る」マンガ文化を賞賛しつつ、他方ではマンガの読みすぎであの首相は漢字が読めないだとか、アニメの見すぎが性犯罪を引き起こす、などという。
  • 子供向け原寸サイズにすると、子供たちははしゃいで遊びまわり、それを見ている大人は勉強できる、という二重構造ができあがる。空間を使う展示は展示室で必要なスペースや予算との対費用効果を考慮する必要はあるが、いちばん迫力がある。

本「アマゾン・ドット・コムの光と影」【11年13冊目】

さて、更新していこう。

著者 : 横田増生
情報センター出版局
発売日 : 2005-04-19
<本の紹介>
出版業界のタブーをものともせず、急成長した要因は何か。徹底した秘密主義の裏側では何が行われているのか。元・物流業界紙編集長が覗いたネットビジネス、その裏側に広がるのは…。

<メモ>

  • 「アマゾンは今後、現状の取次在庫に依存するやり方から脱却して、買い取りによる自社在庫を増やしていく。つまり、取次を中抜きすることで利益率を上げることが、書籍販売におけるアマゾンの目指す完成形だ。」本を売るという小売業から出発したアマゾンジャパンは今後、川上である出版社やメーカーへの影響力を強めていこうとしている。
  • 物流を見ればその企業の全景が見えてくる。
  • アマゾンは、顧客が重視しているのは「品揃え」「利便性」「価格」の三つであることを突き止め、それを強化していくことに全力を挙げるようになる。
  • アマゾンドットコムでは、本が擦れ合う音を聞いたり本の匂いを嗅いだりできないし、おいしいカフェラッテを飲むことも柔らかいソファに座ることもできません。ただ、そういうものとはまったく違うサービスを提供することで、訪れる人を感動させ、体験を魅力的で楽しいものにすることは可能です。
  • 直接人を介さないネット書店において、人のぬくもりが感じられるような書店を作る。
  • ピッキング「1分で3冊」検品「1分で4冊」棚入れ「1分で5冊」手梱包「1分で1個」。ノルマとコンピュータによる監視の組み合わせこそが、アルバイトを働きアリへと駆り立てるムチの役割を果たしている。
  • 「今回のスピード ○.○冊/分」が毎回出る仕組み。数字を自身で確認できることが、落としたらマズイという心理を植え付けていく。
  • アルバイトが考えなくていいということは、それだけ単純なミスが減るということ。
  • 一番大切なことは、間違った商品を送ってはいけないということ。ネットユーザーの間では、悪いウワサが信じられないくらいのスピードで広がるもの。
  • 書店が帯なしで本を売ったとしても法的な問題はない。アマゾンが平気で帯を捨てるのはなぜだろう。サイトからは消費者に帯のあるなしがわからないからなのか。帯がないくらいでは返品にならないと踏んでいるからなのか。それとも、アメリカの本には帯がないので、帯などは無用の長物とでも思っているのだろうか。些細なことにも思えるのだが、この帯をないがしろにするところにアマゾンという企業の一端が表れているような気がした。
  • もしかしたらアマゾンに本好きはいないのかもしれない。本好きというより、コンピュータおたくの集団というのが、アマゾンという企業のある一面をあらわしているのではないかと思い始めた。
  • 日通は業界紙を総会屋とほぼ同列にみなし、一定の距離を保ちながらも付かず離れずの関係を続けていた。懇親会は懇親会ではなく、にらみを利かせることが目的だった。
  • これまでの日本は、教育や雇用の機会が平等に与えられ、その結果として個々に差がつくという"機会平等、結果不平等"の社会であった。しかし今、その平等な機会さえも与えられなくなってきており、はじめから優劣の結果がついた"機会不平等"の社会になりつつある。 機会不平等
  • 永遠に続くように思える単純作業に身を沈めていると、緊張感や集中力はすり減って、惰性に取って代わられる。同じ労働であっても、業界紙で働いていたときと比べると全く質が異なる。センターでの作業に自己実現や達成感を見出すことは難しかった。どんなに頑張っても、将来につながるものが見えてこない。
  • 鈍い痛みを持つ右手首。筋張った右手の指。細かい鉄片が突き刺さった掌。疲れの溜まった背の筋肉。胸やけする胃。これが僕に残されたものだ。 自動車絶望工場
  • アマゾンの場合、どれだけ長く働こうとも時給は900円のままである。アマゾンには長く働きたいと思うインセンティブが欠けている。というより、誰でもできる単純作業なので、アルバイトに長く働いてもらう必要はない、とアマゾンが考えていることのあらわれなのだろう。
  • 90年代以前のオールドエコノミーと呼ばれる経済成長期の大量生産・大量消費の時代において、企業には労働力を正社員として囲い込み、一生涯戦力として養っていくだけの体力とその必要性があった。しかし90年代半ばからIT企業を中心としたニューエコノミーが台頭してくると、魅力ある商品を安く提供しなければならないという市場のプレッシャーから、企業が正社員として大切にするのはごくわずかな有能な人材だけとなった。代用可能な労働力は、いつでも切り捨てることができるアルバイト、ないし派遣社員を使う。言い換えれば、単純労働者の処遇を気にかけているようでは、国際競争に勝ち残れない時代となってきたのだった。アマゾンはそんなニューエコノミーの典型的企業といえた。
  • 「自動車絶望工場」を買っているのは、毎年トヨタに絶望して辞めていく労働者たちではないのか。洪水のように出版される"トヨタ礼賛本"では決して取り上げられることのない労働者の悲痛な叫びの詰まったこの本を読んで、つらいのは自分だけではないんだと知る。疲れ果て敗北感にまみれた彼らの心を癒すセラピスト代わりをつとめるのがこの本であり、それが20年もの間売れ続けてきた理由ではないのか。
  • 日本の書籍流通は、約400社の出版社を出発点にして、およそ100社の取次を経由して、20000軒を超す書店に流れていく。
  • 新品よりも安い中古商品を同じサイトに載せることは、自らの商売を邪魔しているようにも見える。しかし実は、自ら商品を仕入れ顧客に届けた後で手元に残るわずかな利益よりも、第三者が顧客のもとに届けてくれて、手にする手数料の方が割がいいという計算。
  • このマーケットプレイスのような手数料ビジネスに力を入れ始めたことで、アマゾンはようやく利益が上がる経営体質になったという。送料無料によってアマゾンの本業である通販の利益率が若干下がることがあっても、サイトの利用者数が増えれば、副業ながら利益率の高い第三者委託が増えるので、全体としてはプラスとなっている、というのだ。
  • 能力給とか成果主義といえば、頑張った人がその分報われ、能力次第で収入も増えるような給与体系のようにも聞こえる。しかし、実は働く人間の競争心を煽るだけ煽って、結局は支払い給与の総額を引き下げるための都合のいい口実にすぎないことを、すでに日本中が気づいている。
  • 通常、書店の取り分は本体価格の22%。直取引であれば35%程度。
  • ニューエコノミーの下では、専門的能力を必要とされる職種と、マニュアル通りに働くだけで能力の向上原則不要の職種に2極化していく。前者に属する人は、若い頃から選別され専門能力をつけるよう働きかけられ、後者に属する人は、仕事能力向上の機会がないまま一生単純労働に従事するように運命づけられることになる。前者は、企業から引き留め圧力が働き、収入は高くなり、転職にも有利な条件が示される。一方、後者は、一生低賃金を強いられ、解雇・失業リスクも高くなる。 希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

2011年8月16日火曜日

多摩の本

ジブリの宮崎さんのロングインタビュー。インタビュアーはROCK IN JAPANの渋谷さん。そんな僕にとっての夢の組み合わせでナウシカ、紅の豚、トトロ、もののけ姫、千と千尋を語り尽くした一冊。数ページで収まる雑誌のインタビューなんかと違って、深くて濃い~ところまでいってます。そして渋谷さんらしくわかりにくい例えとか強引な話の持っていき方をひょうひょうとかわす宮崎さん、字面だけを追えばかみ合ってないなと思うところもあったけど、2人は楽しんでたろうなと思えたインタビューを読ませてもらいました。自分だけで語ってたら表現しきれないことをインタビュー形式であれば表現できる、そういうことってあるなぁっていう点でも参考になった一冊でした。ジブリ作品をもっかい見返したくなりました。

先日青梅にあるバカボンのパパ、赤塚不二夫の記念館に寄った際に買ってきた一冊。バカボンやおそ松くんを地で行く生涯は記念館の中でもいろんな写真で見せてもらってたけど、いろんなエピソードがおもしろおかしく書いてあって、特に母親への尊敬とか関係については、作品の中でも確かにそうかもなぁと思うところがありました。この本もいいけど、記念館も併せて楽しむともっと楽しめると思う一冊です。

紅虎餃子房や万豚記なんかの際コーポレーションは、福生から始まっていた。ということで興味を持って読んでみた一冊。代表の中島さんのビジネス哲学なんてものはほとんど書かれておらず(あるんだろうけど)、行き当たりばったり体でぶつかってなんとかしていくエピソード満載で好感を持ちました。今度福生に行ったときにはぜひ元祖・韮菜万頭に寄ってみたいと思います。

ついに読みだした、世界最長の大河小説。もともとはジブリの鈴木プロデューサーの本に、彼のおもしろかった作品として紹介されていて興味を持ったんですが、最近よく行く青梅近辺が舞台になっていることもあって楽しく読めました。なんか主人公が主人公らしくないというか、変わってますね。これからどんな風に物語が進んでいくのか、楽しみです。そして僕に読み切れるかどうかも。

続いて2巻。っといきなり目が。。剣士の話なのに、それでいいの?っていう展開に俄然興味を注がれました。文章は読みやすくて、登場人物それぞれに特徴がある分覚えやすくて、たくさんの人に読まれてきたのがよくわかりますね。そして青梅から伊勢の方へ、そして東海道へ、次々に話の舞台が変わっていくことでもなんだか日本中を旅行してるような気分にもなったりします。
長いことを活かした書き方というか、こんな小説もあったんだって思いました。

この巻は主人公の話はほとんど出てこなく、草の根の庶民の話、特に女子供の暮らしを中心とした前半と、殿さまの話の後半。庶民の悩みの種はなんだかんだでお金であって、助けられるのは人のつながりであることも多いことなんかは、今と変わらないなぁと感じました。なんとなくですが、著者の中里介山自体にも今後の展開は全てはわかっておらず、日々の生活の中で得たヒントを作品に織り込んでいくのを楽しみながら書いていたんじゃないかな、とか感じて読んでました。

青梅から江戸、伊勢から東海道と舞台を変えてきた物語の登場人物が、はからずも同時に甲府に集まり、新たな交流は意外なところでその登場人物をつなげていく。メンツ争いに執心するダメ支配ってのはこういう平和な時代だから出てきたのかなとか、資産家ってのはいつの時代も悪巧みに巻き込まれるもんかなとか、今に通じるというか、僕はこの物語を通して今を読んでるようにも思えてきました。

舞台は甲府から江戸に戻る。読みながら、「ペンは剣よりも強し」というか、僕はこの著者が本当は声を大にして言いたい(そして庶民はみんな共感してくれるだろう)ことを、物語の場面として描いているなと思いました。それがこの作品が多くの人たちに支持された理由なんだろう、と。偉大な人だ、と思って、中里介山のお墓が羽村にあることを知って、墓参りに行ったのもこの頃でした。

一つの場所から始まった物語は、新たに房総と高尾山にも舞台を広げていく。僕らの人生も一緒ですかね、両親、家族、幼稚園、小学校、、と出会ってく人たちが広がって、旅行なんかもして、それぞれが違うとこに住みだしたりして、同じ日本地図もそれぞれの目からは違って見えていて。同じ場所のことを違う視点で見させてもらえることは、新鮮ですね。そして舞台の変化よりもおもしろいのはやっぱ人の変化だなと思います。

ようやく7巻まで来ました。。^^;これまでに読んだ一番長かったのはきっと三国志とか坂の上の雲あたりだろうけど、それならもう終わりに近づいてる巻だってのにまだまだ新しく舞台は信州にも飛び火していく。読みながら旅行しているような気分にさせてもらえるのはいいですね。なんだろう、会話の調子がいいのかな、こういうとこへ配慮してそれぞれの登場人物が話すであろう言葉を丁寧に齟齬の内容に積み重ねていくって簡単なことじゃないだろうに、それをこの量でできてしまうのは本当にすごい、の一言です。

国立に住んでいた山口瞳さんの旅日記的な一冊。自然、国立や青梅の話も多く、親しみを持ちながら読むことができました。 「鰻は脳溢血で死んだんでしょう。鰻は全身アブラですからね。どうしても血管に悪く作用する。」そんななんでもない酔っぱらったような会話が溢れてて、旅行にお酒は欠かせない、という人は楽しく読めると思います。あぁ、どこかでお会いしてみたかった。

今年の年始に高幡不動に初詣に行った際にご挨拶してきた多摩の喧嘩師、土方さんの生涯を描いた作品ということで、読んでみました。女の人から見たらどう見えるかはわからないけど、男ばっかりでつるんできた自分から見るとすごく共感する部分の多い作品ではありました。セリフもいちいちかっこいいな~と思いました。
偶然にも運命にも出会えた、やりたいことをやれる仲間と、共に時代を生きていく。そんな人生を自分も多摩で、歩いていけたらいいなと思わせてもらえる一冊でした。

あんまりミステリーって読まなかったんですが、国分寺の恋ヶ窪が舞台の作品ということで読んでみました。読み進めながら「なるほどなぁ」と思うコトも多かったんですが、だんだん慣れてくるというか、、型ができてしまっているなぁと感じました。条件設定や人物配置なんかが計算され尽くしていて、逆に裏をかかれないというか、想像の範囲は超えないというか。。
文章のテンポはとても良くて、読みやすいのは間違いなかったです。何度も何度も著者は自分で読み返しながら一冊を作っていったのはよく伝わってきました。

国分寺が舞台の本だったので、読んでみました。おもしろいか、と言われると正直普通の文学作品という感じでしたが、自分の住んでる場所の話はおもしろく読めますね。親近感もあるし、すれ違う人の中に登場人物みたいな人がいると、「もしかして」なんて思ったりして。
土地柄もあるのか、確かにこんな人いそうだなとか思ったりもしました。僕が今見ている景色、歩いている道をかつては作者も歩いたかもしれない。そんなことを考えながら、あえて昔の雰囲気を残す建物に出かけて読んだりすると風情もあってとてもいい時間が過ごせることと思います。^^

企業という組織の中での民主主義と、世間一般で考えられている民主主義は全然別物で、普通に考えたらおかしいと思うことであっても、塀の中に入ればその塀の中の民主主義に従うのが賢い生き方なんだと頭ではわかっていながら、そういう生き方に矛盾を感じている人たちにはぜひ読んで欲しい一冊。
なんだか、大きい組織になればなるほど細胞の一部というか歯車の一部というか、1人ひとりが頭を持つんではなくてトップ(いやもはや人間ではなく大企業という名の恐竜かも)の頭を全員が体の一部となって実現するような企業体質をまざまざと見せつけられる一冊でした。こんな矛盾を抱えながら生きている人は僕も含め多いだろうなと思いましたね。
そして、ソーシャルにシフトしだしてHERO = Highly Empowered and Resourceful Operatives「大きな力を与えられ、臨機応変に行動できる社員」が注目されてきている今、企業はそして僕たちはどう変わっていくべきなのかを考える一冊にもなり得る力を持った本だと思いました。







東京市町村自治調査会
発売日:1989-10

不動産の売買について

売る場合

  • 僕の経験から行くと、U楽、M井、Pリンセスは高く査定して専任媒介契約を取ることを目的にしている気がしました。結局お願いしたものの反響が低く、価格をどんどん下げざるを得なく、売れる時期を先延ばししただけになってしまいました。
  • 結局S友林業にお願いしたところ、スピード感がとても早く対応していただけ、値引きも最小限で売却まで至ることができ、とても好感を持っています。

システムのマネジメント

バックアップについて

  • オンラインバックアップか、オフラインバックアップか。
  • オンラインバックアップの場合、データベースのコミットされたデータだけならできそうだけど、負荷との兼ね合いで考える必要があるかな。。バックアップ領域にどうオンラインで渡すか。変更されていた場合の挙動とリストアのやり方。

2011年8月15日月曜日

本「東京科学散歩」【11年32冊目】

<本の紹介>
巷では、いま散歩がブーム。東京も、改めて見ると新旧名所から名もない路地まで見所はたくさんあります。でも、ぶらぶらと街を歩きながら、ふと疑問を感じることはないでしょうか?最近、桜の花の色が白くなってきたのはなぜか?パワースポットといわれる神社の「パワーの源」は何か?東京スカイツリーは、大きな地震がきても大丈夫なのか?そうした疑問に竹内薫が答えます!身近な風景から入る科学入門。ちょっと知的で面白い、一味違う東京散歩のはじまりです。

<メモ>

  • 東京の桜が白くなってきている大きな要因がある。それは、「寿命」。人間や動物は、歳を取ってくると、白髪が増えてくることが多い。これは、色素のメラニンの生成が、歳をとるごとに減ってくるからである。ということは、桜にも同じことが考えられるのではないだろうか?ソメイヨシノの寿命は、60年とも70年ともいわれている。中には、100年を超える物もあり一概には言えないが、明治以降に植えられたソメイヨシノは、すでにその寿命に達している。ということは、加齢によって樹の勢いが弱くなっているのではないだろうか?
  • 日本全土を覆っているソメイヨシノだが、大変な問題を抱えている。それは、この桜が一本のソメイヨシノから始まった「クローン」だということ。みんな同じDNAを持っているのだ。言い換えると、日本全土のソメイヨシノは、自然に増えることがない。完全に人間がコントロールしている状態なのだ。ソメイヨシノがクローンであるため、なんらかの病気が流行ると、一気に全滅する恐れがある。また、自然に増えないから、ちゃんと新しい桜を植え続けないと、一気に寿命がきて、日本の桜のほとんどが消滅する恐れもある。ソメイヨシノは、よくもわるくも鑑賞用の桜なのです。
  • 「築地」という地名は、そもそも、「埋め立て地」という意味なんですが、その名のとおり、この場所は、江戸時代に造られた、人口の埋め立て地なんです。なぜ、この場所が埋め立てられたのかといいますと、1657年の明暦の大火の時に浅草の本願寺が燃えてしまったため、その移転先として選ばれ、今の築地が創られたのです。新しい場所で再興した本願寺。しかし、関東大震災が、またも、本願寺を襲います。これによって崩壊してしまった本願寺は、昭和9年、現在のようなインド様式の石造りの寺院として生まれ変わりました。
  • お台場海浜公園の砂浜だが、お台場そのものが埋め立て地だから、もちろんこの海岸も人工的に造られたものだ。この白い砂、実は、伊豆七島のひとつである、神津島の多幸湾から運ばれてきているものなのである。
  • 由緒ある街、国分寺の駅前で、その歴史の一部を体感することができます。それは、駅の南口にある、東京都立殿ヶ谷戸庭園。庭園の名前は、昔この地が国分寺村殿ヶ谷戸という地名であったことに由来します。「回遊式林泉庭園」と呼ばれるこの庭園は、崖と谷が多い、武蔵野の自然の地形をうまく利用して作られています。崖の上に明るい芝生の庭園と、崖下の池を中心とした壮麗な庭園というように、まったく異なった雰囲気を楽しめる、独特の作りになっています。
  • お鷹の道を、上流に向かって歩いていくと、朱塗りの鳥居が見えてきます。ここを入っていくと現れるのが「真姿の池」。真姿の池の名の由来は、その昔、不治の病に苦しんだ玉造小町という女性が、国分寺を21回お参りしたところ、1人の童子が現れ、玉造小町をこの池に案内し、池の水で身を清めるようにと言って姿を消したのでそのとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った、という伝説から来ているそうです。
  • 目黒不動、目白不動に続き、「目赤不動」。これは、文京区本駒込にある、「南谷寺」というお寺。元々は、その成り立ちから「赤目不動」と呼ばれていたんですが、ここで、目白の名付け親、徳川家光がまたまた登場。鷹狩りの時に立ち寄ったついでに、「目黒不動、目白不動にちなんで、目赤不動と呼ぶように!」との命が下り、改名することになったそうです。次の色は青、「目青不動」です。こちらは、若者に人気の街、世田谷区の三軒茶屋にある、「最勝寺(教学院)」という天台宗のお寺です。三茶のランドマーク、キャロットタワーのすぐ裏手にひっそりと佇む経学院には、元々、現在の六本木にあったお不動様が安置されています。次は「目黄不動」なんですが、これが1ヶ所ではないんです。まず江戸川区平井、荒川のすぐ近くにある住宅街の中にある、「最勝寺」。もうひとつは台東区三ノ輪にある、「永久寺」この2つの寺が、現在、「目黄不動」として有名です。
  • 現在サファリパークなどで当たり前となった、ライオンバスを、世界で初めて導入したのが、ここ、多摩動物公園なんです。
  • 高幡不動の正式な名前は、高幡山明王院金剛寺です。千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の雨降山大山寺とともに「関東三大不動」として親しまれています。
  • いろんな色があるあじさいだが、これは、土の成分が原因となっていることが多い。一般的には酸性の時は青系の色に、そして中性からアルカリ性の時はピンク系になることがわかっている。ただ土壌だけが要因なのではなく、あじさい自体に含まれる助色素と呼ばれる遺伝的な要素も色に影響している。ちなみに毒があるので、お腹がすいたからって食べちゃダメだぞ。
  • 気象特異日というものがある。気象特異日とは、一年のうち、ある特定の日に、その前後と比べて、偶然とは思えないほど多く、ある特定の気象現象が現れる傾向が強い日のことをいう。例えば、1/16や3/14、6/1などは晴れの特異日、反対に、3/30、6/28は雨の特異日。
  • スギ林の面積は、全国の森林の20%弱。日本の国土でいうと、なんと12%がスギ林なのだ。なんでこんなにスギ林が多いのか?その理由は、第二次大戦中にまで遡る。戦時中の日本では、武器や道具を作るため、たくさんの樹木が伐採され、いたる所、禿げ山だらけになってしまった。そのせいで、大雨や台風が来るたびに、山崩れや洪水などの被害が起こるようになったため、対応策として、成長の早いスギの木が大量に植林されることになったのだ。スギは、樹齢30年ぐらいから花粉の量が増えてくるとされていて、70年代に入ると、花粉がどんどん飛ぶようになった。
  • 月の大きさを確かめるとき、よく例に出されるのが、五円玉。五円玉を両手で持って、いっぱいに腕を伸ばしたとき、満月がその五円玉の真ん中の穴にすっぽり入ってしまうぐらいの大きさなんだ。これは、地平線近くにあるときも、空高くに上った時でも同じ。ということは、地平線近くで月が大きく見えるのは、目の錯覚なんだな。この月の大きさが、場所によって違って見える現象は「月の錯視」といって、なんと、2000年以上も昔から、議論が続いている現象なんだ。
  • 東京メトロ銀座線新橋駅の虎ノ門寄りの改札口近く。8番出口に向かう通路に、その謎の駅への入り口はある。「関係者以外立ち入り禁止」という扉を開くと、そこには、とても狭いが、ちゃんとホームと線路がある。壁には、横書きで、右から「新橋」の文字が。実はここは、1939年に、たった8ヶ月だけ使われた、東京高速鉄道の新橋駅なのだ。
  • 都営地下鉄三田線の春日駅近くにある、「春日自転車駐車場」では、ルイガノやビアンキといった、オシャレなヨーロッパの自転車をはじめ、なんと、電動アシスト付きの自転車まで借りられます。しかも、1日で500円という安さ。

本「大東京ぐるぐる自転車」【11年28冊目】

著者 : 伊藤礼
東海教育研究所
発売日 : 2011-04-01
<本の紹介>
喜寿でもハシル自転車。マウンテンバイク、折りたたみ自転車、買い物自転車、7台の自転車総動員。「銀輪の翁」伊藤礼老の大東京巡察記。世相、民情、歴史に目を光らせて今日もハシル痛快・極上のユーモア自転車エッセイ。

<メモ>

  • 自転車は自由気ままに細い道、一方通行路、階段、山道、砂浜、どこへでも進み、止まることができる。家の中に持ち込むことさえできる。そこが図体の大きい自転車と違う。二本の足で歩いている人より速く移動できるし、荷物も運んでくれる。
  • 映画「大脱走」でスティーブン・マックイーンはオートバイで逃げる。ジェイムズ・コバーンは自転車で逃げる。逃げおおせたのはコバーンである。そんなことも自転車の優位性を思わせる。
  • 後楽園の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という精神。
  • 植物園は広大だった。小石川後楽園の場合もそうだったが、こういう広大な施設では中心部に向かって歩を進める最初に、一瞬であるが、右に行くべきか左に行くべきか心に迷いが生じる。そのときわれわれは気づくのである。その迷いに対応するかのごとくたいてい「順路」と書いた札が立っているのである。だが、わたくしは順路という札を好まない。いんちき宗教のように、こちらの心の迷いにつけこんでくるからである。親切顔をしているからである。親切顔をしながら指図しているからである。信用せよと言わんばかりの顔つきをしているからである。皆さんはたいていこの指示に従っていますよ、と言わんばかりの顔をしているからである。相手が考えるべきことにまで踏み込んでいるからである。
  • つじつまを合わせるというのが人生の目的ではないのである。サイクリングにだって、なにか人間の精神を高揚させるような要素があってもいい。ここが問題なのだ。
  • 町田市を含む昔の南多摩郡という地域は、明治政府の初期、強烈な自由民権運動があった場所だった。ここを訪れることはそのまま明治時代のこの地の青年たちの精神性に触れることになる。その青年たちの中には「楚囚之詩」の北村透谷もふくまれる。北村透谷は強烈な精神性の持ち主で、ついに耐えきれず25歳で命を絶ったぐらいだ。なんということだ。
  • 当地は、鶴見川の最源流部・町田市上小山田田中谷戸に位置し、一日約1300トンの地下水を湧出する「鶴見川源流の泉」です。この安定した清流は、源流の生き物たちの賑わいを支え、水田の用水としても大切に利用されつつ、中、下流の街にむけて、多摩丘陵をかけおります。
  • 二百、三百と数えながらこいでいるうちに、ぼーっとなって、いくつまで数えたか分からなくなり、また一から数え始める。それを繰り返しているうちに頭が完全に空っぽになる。これをかれは「馬鹿になることによる神化」と言っている。このあたりの理屈は精密である。

本「多摩 幻の鉄道―廃線跡を行く」【11年31冊目】

<本の紹介>
多摩に鉄道が誕生して既に110年。高尾駅の国産最古のレールや、幻の国鉄スワローズ球場専用の武蔵野競技場線等、多摩には鉄道遺跡が多い。廃線跡、橋梁や煉瓦構造物、古レール、ユニークな駅舎等を紹介。

<メモ>

  • 水道局砂利運搬「軽便鉄道」跡。狭山湖堤にある"何か"を利用した不思議な滑り台。
  • 武蔵野市北部の武蔵野市役所の近くに「グリーンパーク」という名の商店街がある。住居表示にも緑町があり、このあたりを歩くと「グリーン」や「みどり」といった文字が氾濫しているのに気がつく。しかし、現在、どこを探しても「グリーンパーク」という名の公園や施設を見つけることはできない。実は、戦後の一時期、この地にプロ野球の公式戦を行う本格的な野球場があった。その名を「グリーンパーク球場」といった。そして、その観客輸送のための鉄道まで存在し、武蔵野競技場前という駅があったのである。この鉄道の始発駅、三鷹駅から武蔵野競技場前駅に至る線路敷後は、大半が遊歩道として整備されて残っており、現在でもその後をほぼ完全にたどることができる。
  • グリーンパーク緑道の畑と緑道との境に立てられているコンクリート製の境界標柱には、国鉄を示す「工」のマークが刻まれていて、この道が鉄道の跡であることを物語っている。
  • 米軍住宅の跡地が現在の都立武蔵野中央公園である。
  • 下河原線の廃線跡がはっきり残っているのは、国道20号(甲州街道)以南である。下河原緑道という名の遊歩道として美しく整備され、線路跡を完全にたどることができる。スポットパーク下河原線。番場片町北裏通りとの交差部にはレールが埋め込まれている。
  • 五日市鉄道が武蔵岩井まで開通すると、勝峯山の石灰石は同鉄道により搬出され、浅野セメントの川崎工場へと送られた。拝島から先は、青梅鉄道(現・JR青梅線)、国鉄中央本線、山手線、東海道線を経由するというルートであった。しかし、1929(昭和4)年12月11日の南部鉄道(現・南部線)全通により、立川から同鉄道経由で直接川崎へ輸送することが可能となった。南部鉄道は、砂利輸送を目的としてスタートした鉄道であったが、後には五日市鉄道同様、浅野セメントの傘下に入った。
  • 御陵線の南浅川に架かっていた鉄橋の橋台や橋脚は、すべて撤去されてしまい、何も残っていないが、がっかりするのは早い。横山橋を渡り、北岸を上流方向へ川沿いにすすむと、右側に遠藤工務店という看板を掲げた家がある。ちょうどその前が御陵線の渡河地点にあたるところだが、その遠藤工務店の裏の、普通の庭先に1本、隣家との境にもう1本、高さ5mほどのコンクリート製橋脚が立っているのだ。これほど完全な姿で残っているものは他にはなく、御陵線最大の遺構といってよいだろう。
  • 奥多摩駅から、日原鍾乳洞や本仁田山、川苔山などへハイキングに向かう人々が不思議に思うのが、日原川に架かる巨大なコンクリートアーチ橋である。道路とは無関係なところにあり、鉄道橋のように見えるが、橋の上には雑草が生い茂り、使われている様子はない。その正体は、JRの奥多摩駅と小河内ダム直下の水根積卸場を結ぶ、全長6.7kmの奥多摩工業専用鉄道の橋梁なのである。
  • 小金井公園にある「江戸東京たてもの園」のビジターセンター(旧武蔵野郷土館)は、紀元2600年記念式典の会場として皇居前広場につくられた建物を移築したものである。
  • メルヘンの世界だった終点の「ユネスコ村」はすでに無く、駅跡地には、UFOのような遊技施設が鎮座していて、駅であったことをしのばせるものは何も残っていない。幸いなことに、台湾からきた527号機関車と井笠鉄道からきたダブルルーフ客車4両だけは、西武遊園地内で、「レストランぽっぽ」として再利用されており、現在もみることができる。
  • 高尾駅下り線の煉瓦アーチ橋。南浅川から取水した用水路に架かる。
  • 高尾駅の駅舎は社寺風建築で、駅舎正面の屋根の張り出した部分は車寄せであった。
  • 国立は、ドイツの学園都市ゲッチンゲンをモデルにした。国立とは、国分寺と立川の中間であることから、双方の1字ずつをとったものと考えられているが、単にそれだけではなく、自称名付け親の堤康次郎によれば、「新しい日本という国が、ここから生まれるという意気込みで名をつけた」ということである。

本「道の先まで行ってやれ!―自転車で、飲んで笑って、涙する旅」【11年30冊目】

<本の紹介>
踏み出せば、空気が変わる。世界が広がる。
世界87ヵ国を走った『行かずに死ねるか!』の著者が、3年半ぶりに、今度は日本各地のチャリンコ旅へ。クマに怯え、いい感じのお姉さんと踊り、行き当たりばったりで入った店で店主と飲みあかす──。出会いに満ちたロードムービーがてんこもり!

<メモ>

  • いちめんに黒い海が広がり、そのすぐ上に、赤い月が浮かんでいる。黒い幕にナイフをすっと走らせたような、細い、赤い月だ。窓をあけた瞬間にそれが目に飛び込んできたので、なんだかひどく劇的な感じがした。静かな波音が、ずっと下のほうから聞こえてきた。
  • どうも、あらかじめ決めて行った店をまわるような旅だと、人との出会いが極端に減るような気がする。たまたまだったのかもしれないが、結果として、そうなった。
  • 照葉樹林が広がる地域は世界でも限られ、その地域には共通した生活習慣―焼畑、絹、漆、味噌や納豆の発酵食品、餅食などが見られるという。それを「照葉樹林文化」と呼ぶのだそうだ。
  • 唐突に話しかけてきた。まるで以前から互いによく知っているような間柄みたいだ。ああ、沖縄だな、と思う。人同士の距離の近さは北海道でもよく感じるが、こっちはまた違う。人と人とのあいだには最初から壁なんか存在しないのだ、とでも思いたくなるような自然な雰囲気があった。
  • ぼくは自転車旅行に、修行の要素をあまり求めてはいない。だから坂を好んで攻めることもしないし、雨の日などはまったく走る気がしない。ぼくにとって自転車旅行は、自由という点、自然により近付ける点、エンジン音がない点、そして走った後のメシとビールがうまい点などがいいわけで、求めているのは、ただひたすら悦楽。晴天のなかを気持ちよく走りたい、それである。雨の日は本を読んでいるほうがいい。
  • 「たぶん、人間の幸福な生活とは、こういう単調にさえも見える、隔絶されている世界にあるのかもしれない」ほかの人、ほかの人生を見ればきりがない。欲にもきりがない。自分のいる場所、身のまわりのこと、自分の立場、それらを愛することができるかどうか。それが人の人生を左右するんじゃないだろうか。番台のおばあさんの話を聞きながら、そんなことをぼんやり考えていた。

本「多摩のものづくり22社」【11年29冊目】

著者 : 山本明文
ダイヤモンド社
発売日 : 2011-04-08
<本の紹介>
大田区ばかりが中小企業の街ではない。ハイテク地帯の多摩地区で独自の技術を培いつつ、着実に成長を続けている技術先行型優良中小企業を発掘。初めて公開される、オリジナリティあふれる技術と経営者の人となり。10年後の大企業はここから生まれる。

<メモ>

  • 東西に広がる東京都の中で23区を除く西側の多摩地域には、古くは航空機産業が発展して、多くの「もの作り企業」が生まれてきました。
  • 現在はIT、エレクトロニクス、バイオをはじめ、航空機産業は宇宙産業へと発展し、計測機器、光学機器、食品、印刷にいたる実に多様な製造業が存在します。また、多摩には、大学や企業の研究機関が多く立地しているのも大きな特徴で、その利点を生かして盛んに産学連携が行われてきました。
  • 多摩地域が生み出す工業製品出荷額は、東京都全体の8兆236億円のうちの半分以上、53%になり(工業統計、2009年調査)、埼玉県の南部と神奈川県の北部東部を加えた、いわゆる広域多摩まで範囲を広げると、11兆1465億円(2008年度)に及びます。
  • 社団法人首都圏産業活性化協会は、広域多摩をTAMA--Technology Advanced Metroporitan Area:技術先進首都圏地域と名付け、自らも準正式名としてTAMA産業活性化協会と名乗りながら、この地域を世界有数の新規産業創造の地として発展させようとしています。
  • 2世紀に創建されたという大国魂神社。明治神宮や靖国神社と並んで特に格式の高い「東京五社」のひとつだが、1900年のひときわ長い歴史から、別格な存在といえる。毎年4月末から5月にかけて行われるのが「くらやみ祭」だ。1週間にわたって行事が続くが、なかでも24台の山車の巡礼と8基の神輿による神輿渡御は最大の見所で、毎年70万人の観光客が訪れる。「くらやみ祭」とは何やら想像をかきたてる名前だが、実際、かつては若い男女が集まり歌の掛け合いをする歌垣が行われていたという。
  • もの作りではスピードよりコストが優先され、工場もどんどん海外へ行ってしまいます。しかし、サービスビジネスはコストよりもスピードが優先される。
  • 東京商工会議所の「勇気ある経営大賞」、「東京ベンチャー技術大賞」、サービス産業生産性協議会の「ハイ・サービス日本300選」、多摩ブルー・グリーン賞、まちだ経営革新大賞、元気なモノ作り中小企業300社、東京トライアル発注認定制度・認定、優秀経営者顕彰
  • [交通システム電機]立川市の東、多摩モノレールの泉体育館駅近くの住宅地に踏切警報灯を備えた会社がある。交通システム電機の立川事務所だ。といってもそこに鉄道が走っているわけではない。24時間365日、信号を点灯し続けて耐久性を試験しているのだ。「夏休み親子工場見学会」もやっており、道路交通信号や待ち時間表示付きの歩行者用信号など、会社の主要製品の製造現場に親子を案内し、会社の環境への取り組みもていねいに説明した。「学校の先生や親から聞くのと、普段は会わない会社の社長さんから話を聞くのとでは、子どもたちにとっても違った体験だったようです。その後は会えば挨拶してくれますし、地域の方と知り合うことはつくづく大事だなと感じました」。
  • [田倉繃帯工業]こだわったのが自社による一貫生産だ。撚った特殊な糸を作るところから始めて、生地として織り、その後も、裁断して縫製、パッケージに入れるところまで自社工場で行った。他のメーカーは、糸、生地、その後の縫製で分業化が進む中で、製造の主導権を失い、海外とのコスト競争に敗れていった。高い技術を持ちながらも、分断された製造体制の中では、それを製品の付加価値として形作ることができなかったのだ。
  • [千代田第一工業]狛江市の本社前には、色とりどりの花々で囲まれた小さなスペースがある。真ん中には木製のテーブルとベンチも置かれ、ドリンクの自動販売機も据えられている。ミニ公園だ。「この街にはお年寄りが多く、狛江駅まで歩いていくには途中で休める場所が欲しいんじゃないか。そう思って作りました。ここの自動販売機の収益金は全額狛江市に寄付しています。」「みんなが近所の商店で買い物をするようになればいい。そうしなければ街全体が寂れてしまいます。便利さだけを追求する傾向には反省が必要なのでは。」
  • 高い技術が求められるのにも関わらず、急な依頼にも応じ特別に料金を上乗せすることはない。得意先満足を第一にしているからだ。「納期を守る。急な依頼でも特急料金を取らない。いずれも、以前からずっと取り組んできたことですが、このようなことを実現しようとすれば、会社全体の仕組みを変えなければならない。これはある種のイノベーションです。たとえばウチには、営業の社員が外出している時でも、会社に電話がかかってくれば、自動的に転送して取り次ぐ仕組みがあります。営業マンは外出先でも時間を無駄にせずにスケジュールを進めることができます。情報はオープンにされるので、その時、お客様と納期の約束をすれば、翌日には社員全員が知るところとなります。営業マンの約束は、会社の約束。そうなれば全員で守ろうということになります。誰かに命令されたから仕事をするのではなく、自分が約束を守るために働く。そんな自覚が社員に生まれ、それが得意先満足を高める一番の理由になっています。」会長が地域活動としてもうひとつ取り組んだのが、「狛江古代カップ多摩川いかだレース」だ。多摩川を舞台に手作りのいかだで約1.3kmのコースを競う。2010年の第20回大会で実行委員長を務めた。狛江市のほか、多摩川流域の調布市、稲城市、世田谷区、川崎市など多くの地域から、毎年90前後のチームが集結する。
  • [東洋システム]マラソン計測システムでは、タイムは瞬時に出て、テレビ放映されました。開発には1年半がかかり、もちろん相当なお金も使いました。大会当日も社員が20人ほど出て対応はしましたが、こちらも赤字です。ボランティアみたいなものでしたが、一度作れば、あとは仕事ができるたびに回収することができます。日本では3000人以上が出場する市民マラソンが年間3000大会あると言われています。年間100大会でもこのシステムが使われるようになれば、大きなビジネスになります。「研修で何を学んできたのか。教えようとすれば自分でも整理しなければなりません。みんなの前でしゃべれば、自分の耳にも入って、再度、勉強することになります。私もセミナーでお話する機会をいただいていますが、相手の人のためというよりは、自分のためですね。」社長自身、過去にはたくさんの試行錯誤を繰り返してきたという。「失敗も山ほどありました。しかし、苦労しただけ安全地帯は広がります。」とあくまで前向きだ。
  • [野村産業]「損得も大事だけれど、損得じゃないものが世の中には必要ですよね。」
  • 日本古来の終身雇用制もいいね。昔から、十できる人と七しかできない人では当然給料の差がありました。差がついても、お互いわかっているから文句は出ない。数字がよい人は、悪い人を引っ張り上げて、お互い協力するのが日本古来のよいところで、それが"むら社会"なんです。それを、成果主義導入なんていって収益だけで人間を評価しようとするから、世の中全体がギスギスしちゃう。このごろは、リストラといって従業員の首を切っている。おかしい。立ちいかなくなったらまず社長の首を切るべきでしょう。
  • [前田金属工業]前田金属工業のすぐ横を走るのは多摩モノレールである。柴崎体育館駅と甲州街道駅、どちらの駅から向かっても目に止まるのが同社の屋根だ。ちょうどモノレールの高架から見下ろすことができる位置に、黒地に白い格子模様の太陽光発電のソーラーパネルがびっしりと並んでいる。ちょとした近未来の風景に、何をしている企業なのか、興味を惹かれる人も多いに違いない。夜になると工場の壁面に12星座が浮かび上がる。紫外線で発行するルミナイトで描かれており、暗闇に幻想的に光る。

2011年8月14日日曜日

本「TAMAもうひとつの東京―多摩白書」【11年33冊目】

著者 :
東京市町村自治調査会
発売日 :
<本の紹介>
東京論が盛んだが、東京派もアンチ東京派も、もうひとつの東京=多摩を知らずして、東京を語れるはずがない。いま、あなたには、多摩の熱い息使いが聞こえるか。

<メモ>

  • 多摩は紛れもなく東京である。れっきとした東京都の構成員であり、都全体の面積のおよそ2分の1、人口の3分の1を占める一大圏域をなしている。にも関わらず、かつて神奈川県から東京府へ移管したという歴史的経緯も作用して、いわゆる23区とは異なる位置づけがなされてきた。
  • 「金妻シリーズ」は、ホームドラマのお定まりのパターンを打ち破った。登場するのは、30代から40代の核家族である。中には子供のいないDINKSもいる。これらの数組の夫婦は、単なる隣近所のつき合いというわけではなく、妻や夫の友達という関係でつながっている。地縁というよりも、知縁社会の人間関係だ。
  • なんらかの地域活動に関わっている妻の率が高い。先ほどの多摩ニュータウンの調査でも、無職の妻の平日の社会的文化的時間は、平均5時間13分あるという結果が出ている。この地域活動の代表的なものが、生協活動である。それまで培ってきた人生観や価値観を発散する場として、生協を見出したといったケースが多い。
  • 生活時間調査でいえば、通勤時間の短い職住近接の夫は、家族と一緒に過ごす時間や、地域活動に割く時間が平均より長い。もっともこれは当たり前のことだが。だから、長時間通勤というスタイルが変えられれば、夫たちも"会社の仕事"とは別の時間を持つことができるのだといえる。これは別の言い方をすれば、会社を第一義に考えていない夫たちが、職住近接を選んでいるということを意味するのかもしれない。
  • "子供のため"は、多摩の家族の金科玉条である。長い通勤時間も、子供のために我慢を強いられているのである。しかしこれが先の生活時間にも触れたように、父親が家族と接触できる時間が縮められ、母子で過ごす時間が長くなり、母親の子供への関心をますます肥大化させるという結果にもつながるのである。
  • 自然があっても、使いにくい仕組みになっていれば、ないのと変わりがない。特に国が整備する都市公園は使いにくいという声も多い。施設整備は、量や面積よりも、使い勝手を基準に置く時代になってきているということだ。
  • すかいらーくでは車の保有率が高く、子育て中心の専業主婦が多い。しかも大学の進出が予想される。そういう所では、気軽な値段で食事が楽しめるアメリカンスタイルの郊外型レストランが必要だ。郊外型レストランの成否を問うのは、多摩が一番と昭和45年に国立に第一号店を作り、その試みは成功している。
  • 多摩のライフスタイルを左右する3つの軸がある。
    一つは、時間軸であり、どういう生活時間の使い方をするかという点だ。これは基本的に、職場と住居の距離に規定される。多摩地域内で職住近接の条件をどれくらい実現できるかによって、ライフスタイルは大きく変わることは、いうまでもない。
    二つ目は、空間軸だ。車型社会に適応し、しかも自然にアクセスしやすい空間を、どう整備できるかという点である。
    三番目は、価値軸の問題で、これは前の二つの問題をも含む大きな要因である。経済から生活の質へ―という転回点にありそうだが、それがどういうものかは、いまだ獏としている。
  • 自由民権の運動が隆起した背景には、時代の最先端都市横浜と直結していたという多摩地域の経済的・地理的位置づけが大きい。多摩地域には、それだけ独自の歴史的・文化的基盤があったということだろう。以来、多摩地域にはさまざまな地域活動が展開されている。自由民権の運動が形を変えて花開いたともいわれる大正デモクラシー時代の草の根民衆運動。あるいは幅広い社会活動となった農民運動。そして東京府への行政移管や軍事基地をめぐる運動など時代時代の課題によって特徴ある地域活動が活発に行われている。
  • 住民はハコものを要求し、行政はその建設をもって、地域行政の良し悪しが問われる時代であったといえる。施設建設の中でも多摩で充実していたのは、図書館と公民館である。図書館は、1人当たりの蔵書数という点では日本一のレベルである。数だけでなく、ソフトも充実している。
  • 「川というのは、実におもしろいテーマなんです。一本の川が上流から下流まで流れていて、その流れの速さも周辺の環境も変化する。そこに生息している生物も変化する。また季節によっても変わるし、一日のうちでもどんどん変わる。都市人の身近にあるダイナミックな自然なんですね。これを上流から、途中河原でキャンプしながら下がってくると、いろんな発見をするし、自然とのつき合い方みたいなものがわかってくる。これが一日や二日じゃダメなんですね。子供たちはあまりにも便利な生活にどっぷりとつかっているから、それくらいだとただボーっとしてて、何もできない。でも三日目あたりから、野生みたいな本能が目覚めてきて、四日目あたりになると、自分でどんどん工夫して、イカダをあやつったり、生き生きと活動を始める。子供を自然に返すには、川が一番と思ってます。」
  • このようなビジネスとボランティアの中間領域の仕事を、ビジランティアと呼ぶ場合もある。あるいは、第三の働き方ともいう。パートも含めて企業に雇用されるというのでもなく、完全な自由業というのでもない。集団で、いつも仕事の中身や範囲を探りつつ、比較的自由で自主的なネットワークスタイルの中で、仕事をこなしていく。このような働き方は、特に多摩らしい働き方だと女性のワークスタイルやネットワークの調査をしている渡辺まゆみさんは言う。「多摩では専業主婦が多くて、比較的高学歴で、知識も情報も持っている。もう少し収入を増やしたいと思っても、フルタイムで企業に高速されるのは、やりきれない。自分の興味を生かせて、おもしろみがあって、しかも収入があることを、仲間でやってみたい。また、今の世の中は、そうした要求にあてはまるようなスキマの仕事がある。しかも男の人が気がつかないし、まさかそんなことが仕事になるのかと思っているようなことでも、女性のいわば向こうみずと愛嬌で、意外と新領域を切り拓いてしまう。そういう第三の働き方が、多摩ではいろいろ出てくるチャンスが多いでしょうね。」
  • やり方が紳士的でこちらに恥をかかせない。しかも業者としてやったんじゃない。子供の親としてかかわったまでだ。そこで親として最高のレベルの知識や情報を教えましょうというわけです。これはかなり特殊な例かもしれません。しかし、多摩には大学の先生、企業のトップやエリートなど、相当なレベルの方がいらっしゃる。そういう住民の成熟度みたいな話に、まだ、行政は十分に気が付いていないのじゃないか。いつまでも地域ボスや問題を起こす住民としか接触がないと、どこかズレてきてしまうんじゃないかと思いましたね。
  • 昭和40年代から50年代にかけて、施設建設の時代があっとたお触れたが、こうした施設は一律の基準で設置されやすい。たとえば、人口何万人に、かくかくしかじかの施設が一つ、あるいは半径何百メートルに公園を一つといった目安である。これを機械的に実施していけば、そこに住んでいる人が子供が多かろうと、老人が多かろうと、あるいはどんな職業の人が多いといった人々の特性も考えずに、とにかく施設をワンセット取り揃えるということになる。もちろんそのような馬鹿げたことはないはずだが、そうなりやすい。特に規模や機能に関しては、一律の効率主義、補助金の仕様書どおりで融通がきかない。これは、建設者本位の行政で、ユーザー本位の施設ではないので、当然使い勝手が悪い。東京では土地の所有が難しいということもあるが、使いにくい場所に使いにくい施設ができてしまうケースがままある。使い手の便利さに考慮が払われていない。こうした施設はいくらお金がかかっていても、"貧しい"といわねばならない。
  • 今の時代、地方都市にあっては大学誘致に対する熱烈ラブコールが盛んである。大学が立地することによって、なんといっても若い人たちが街を徘徊することになり、街に活気が得られる。大学は知的産業の雄だから、地域の研究開発の能力が上がる。地域の産業との交流を通して、産学共同の実が挙げられる―といった長所を期待してのことだ。
  • お互いを知ろうという気運が芽生えてきた。そこに大きな役割を果たしたのが、多摩川流域テクノルネサンス研究会である。「私たちは、多摩の中に大学を建て、学生たちに教え、研究活動をしている。それが、大学という塀の中だけに閉じこもってちゃいかんですね。開かれた大学を目指そうと考えています。多摩というところは、開かれた大学活動をするには、非常に魅力あるところですよ。まず、掘ればいろいろ出土してくるように、歴史的に重要な土地柄だった。そして先端的な企業がゴロゴロある。こうした多摩の魅力を大学人も企業人もそろって掘りだして、協力しよう。そして人のネットワークを作ろう。そこから新しいことを生み出していこうというわけです。
  • 大学の地域化には熱心だ。講座を開設したり、地域のカルチャーセンターとしての機能を、地元の人々に享受してもらおうという試みを多くしている。特に年に数回、音楽コンサートを大学ホールで開催している。「実は、こういう素晴らしい演奏会をやってくれて…と地元からも感謝されるだけでなく、演奏家の方々からも感謝されるんですよ。切符を申し込むのは子供さんを連れた家族づれが大変老い。そこで最初演奏家の皆さんはびっくりする。こんなに子供が多くてうるさい会場ではとても演奏ができないと怒って帰ろうとする人たちもいる。日本では子供たちがピアノやバイオリンを習っているし、決してうるさい観衆ではない。始まれば静かになると説得して、30分も遅れて始めたこともあります。実際に始まってみると、静かだし、熱心だし、音楽をよくわかっている。信じられないほどいい聴衆だと、最後には感動して帰る。つまり、多摩の観客というのは質が高いんですよ。
  • 東京西部に工場群が増えたのは、一つは国策だったといえる。戦時中に、戦災を避けるために、京浜地区から大工場が移転してきた。いわゆる日野五社といわれる日野自動車、小西六、オリエント時計、富士電機、神鋼電機である。このうちの神鋼電機以外は現在でも操業している。それ以外に大きな役割を果たしたのが戦前から武蔵野市を中心に立地していた中島飛行機である。これは荻窪に航空部隊があったためにここに工場を建てたのだが、三鷹に技術研究所、立川に分工場があった。航空機の技術レベルは他産業よりも精密で高い。この中島飛行機の技術者が三鷹周辺に居住し、戦後は独立したり、他企業に就職したりするなど、技術者の蓄積がこの周辺に生まれた。そうした技術基盤があったことが、高度成長期になって、工場を引き寄せた要因ともなっている。
  • 「多摩が今の東京を創造した」と言ったら誰もが驚くであろう。しかしかつて多摩には、武蔵の国の国府が置かれ、八王子城が築かれ、新撰組の近藤勇や土方歳三が生まれ、まさに政治、経済、文化の中心が多摩であった。
  • 武蔵野武士団というと有名なのが武蔵七党である。武蔵七党の数え方にも諸説があるが、野与、村山、横山、猪俣、児玉、丹、西の七つが一般的である。特に西党は多摩川、浅川、秋川流域に集中していた。西党の一門は平山、小川、小宮、河口、二宮、由比、由木、長沼、立河、狛江、中野など今でも地名を残している。
  • 多摩川の水を堰入れ、江戸まで堀を通そうという玉川上水の開さくは、江戸の水不足を一挙に解決するための一大事業であった。幕府は上水工事を羽村の富農、加藤庄右衛門、清右衛門兄弟に委託する。その折、支給された普請入用金が金6000両という。羽村から大木戸まで、距離にして43km、比高およそ100mの大工事を、この二人は提灯測量でやってのけた。しかし兄弟は、大きな障害に突き当たった。幕府から支給された工事費が、下高井戸までの工事で尽きてしまったのだ。幕府に増額を求め出ても認められず、やむなく兄弟は自分の田畑や家屋敷を売ってその費用に当てた。兄弟は、この工事の完成によって玉川上水役に取りたてられ、名字帯刀を許された。
  • 社倉政策は農民にとって増税以外の何物でもなかった。門訴を決行した12村の新田とは現在の武蔵野、保谷、小平、小金井、国分寺、東久留米の6市にまたがる地域である。もともと水利が悪く江戸末期でも食うや食わずの生活だった。農民たちが期待をかけた「御一新」も彼らの飢えを満たすことなく、その上の増税政策である。もはや門訴にすがる以外に道はなかった。深夜であった。門内に入っては強訴になってしまう。続々と県庁に到着した農民たちは門外で切々と慈悲を訴えた。と、そのとき堅く閉ざされた門がさっと開かれ、抜刀した兵士が切りかかり、大砲までが持ち出された。多数の農民が傷つき、50人以上が召し捕えられた。この御門訴事件の恨みが、北多摩一部の農民を反政府的な自由民権運動へと駆り立てることになった。
  • 明治20年頃大問題となった甲武鉄道(JR中央線)の計画が持ち上がったときには、地元民は反発した。当時の田無町では鉄道開通によって、煤煙が養蚕に影響を与えるとか、石炭の燃え殻を機関車から投げるため、火事が起きるといった反対の声も多かった。農業を中心に生活している田無町にとっては、都心へ通勤通学することもなく、列車の必要性がなかったのである。また、一度鉄道が敷かれてしまうと、従来の生活は様変わりしていく。武蔵野鉄道が開通した久留米村の場合、村から運び出す物は、農作物が中心であり、一方、鉄道を通じてこの村に入ってくるものは、日用雑貨、農機具、化学肥料などの都市的物資や農業の合理化を図るもので、村の自給自足的な経済のあり方が大きく崩れ、現金で物を売買する商品経済へと変化を余儀なくされた。鉄道が敷かれたことによって、東久留米は東京のベッドタウンへと大きく性格を変えていくことになる。

2011年8月13日土曜日

多摩全域の話

■多摩地域

  • 東京区内の23区に対し、多摩地域の市町村は30市町村。
  • 東京都、多摩に無料テレワーク拠点
    • 東京都は2020年度に多摩地域でテレワーク拠点を設け企業に無料で開放し、気軽にテレワークを試せるようにする。東京五輪・パラリンピック期間中に都心の交通混雑の緩和へ、テレワーク導入を検討する企業は多いが、都内の民間テレワーク拠点は都心に集中し、多摩地域は少ない。都の19年7月の調査では都内企業のテレワーク導入率は25.1%。
    • 20年度予算に関連の事業費として3億円を計上する方針を固めた。登録した企業が社員のテレワークを試せる「おためしサテライト」の拠点を多摩地域の主要駅周辺3カ所に設ける。企業の登録も社員の利用も無料とし、自宅近くでテレワークをしたいという需要を開拓する呼び水となるか。
▼歴史・原風景
  • 武蔵野の秋月―見渡す限りの萱や芒の原。ところどころにある村落と雑木林。秋から冬にかけての風物が、最も武蔵野らしい姿を見せる、とは昔の文人の言葉だが、秋の冴え渡った月光の下の、このあたりの風情は詩歌などにもいろいろと採り上げられている。
▼技術・研究の地として
  • 社団法人首都圏産業活性化協会は、広域多摩をTAMA--Technology Advanced Metroporitan Area:技術先進首都圏地域と名付け、自らも準正式名としてTAMA産業活性化協会と名乗りながら、この地域を世界有数の新規産業創造の地として発展させようとしています。
  • まず、掘ればいろいろ出土してくるように、歴史的に重要な土地柄だった。そして先端的な企業がゴロゴロある。こうした多摩の魅力を大学人も企業人もそろって掘りだして、協力しよう。そして人のネットワークを作ろう。そこから新しいことを生み出していこうというわけです。
  • お互いを知ろうという気運が芽生えてきた。そこに大きな役割を果たしたのが、多摩川流域テクノルネサンス研究会である。「私たちは、多摩の中に大学を建て、学生たちに教え、研究活動をしている。それが、大学という塀の中だけに閉じこもってちゃいかんですね。開かれた大学を目指そうと考えています。多摩というところは、開かれた大学活動をするには、非常に魅力あるところですよ。
▼ライフスタイル
  • 多摩のライフスタイルを左右する3つの軸がある。
    1. 一つは、時間軸であり、どういう生活時間の使い方をするかという点だ。これは基本的に、職場と住居の距離に規定される。多摩地域内で職住近接の条件をどれくらい実現できるかによって、ライフスタイルは大きく変わることは、いうまでもない。
    2. 二つ目は、空間軸だ。車型社会に適応し、しかも自然にアクセスしやすい空間を、どう整備できるかという点である。
    3. 三番目は、価値軸の問題で、これは前の二つの問題をも含む大きな要因である。経済から生活の質へ―という転回点にありそうだが、それがどういうものかは、いまだ獏としている。

■多摩地域の人口

  • 多摩地区の人口は1960年に100万人、71年に200万人、81年には300万人を突破している。ほぼ10年ごとに100万人という恐ろしいほどの人口増加のスピードであった。
  • 東京都の人口の約3分の1にあたる400万人が暮らす多摩地域。
  • 約50万人が都心に通勤しているベッドタウンとしての一面もある。
  • 多摩地域の人口は2015年~2018年をピークに減少傾向となると言われている。この地域でも生産年齢人口は減少し、高齢者の割合が確実に増え、東京都内とはいえ地方と同様の傾向になっていく。
  • そのうち人口が1番多いのは八王子市。21の大学があり、約55万人が暮らす多摩地域の中核都市となっています。
    • 八王子市 約55万人
    • 町田市 約42万人
▼人となり
  • 大学の地域化には熱心だ。講座を開設したり、地域のカルチャーセンターとしての機能を、地元の人々に享受してもらおうという試みを多くしている。特に年に数回、音楽コンサートを大学ホールで開催している。「実は、こういう素晴らしい演奏会をやってくれて…と地元からも感謝されるだけでなく、演奏家の方々からも感謝されるんですよ。切符を申し込むのは子供さんを連れた家族づれが大変多い。そこで最初演奏家の皆さんはびっくりする。こんなに子供が多くてうるさい会場ではとても演奏ができないと怒って帰ろうとする人たちもいる。日本では子供たちがピアノやバイオリンを習っているし、決してうるさい観衆ではない。始まれば静かになると説得して、30分も遅れて始めたこともあります。実際に始まってみると、静かだし、熱心だし、音楽をよくわかっている。信じられないほどいい聴衆だと、最後には感動して帰る。つまり、多摩の観客というのは質が高いんですよ。
  • やり方が紳士的でこちらに恥をかかせない。しかも業者としてやったんじゃない。子供の親としてかかわったまでだ。そこで親として最高のレベルの知識や情報を教えましょうというわけです。これはかなり特殊な例かもしれません。しかし、多摩には大学の先生、企業のトップやエリートなど、相当なレベルの方がいらっしゃる。そういう住民の成熟度みたいな話に、まだ、行政は十分に気が付いていないのじゃないか。いつまでも地域ボスや問題を起こす住民としか接触がないと、どこかズレてきてしまうんじゃないかと思いましたね。
  • このようなビジネスとボランティアの中間領域の仕事を、ビジランティアと呼ぶ場合もある。あるいは、第三の働き方ともいう。パートも含めて企業に雇用されるというのでもなく、完全な自由業というのでもない。集団で、いつも仕事の中身や範囲を探りつつ、比較的自由で自主的なネットワークスタイルの中で、仕事をこなしていく。 このような働き方は、特に多摩らしい働き方だと女性のワークスタイルやネットワークの調査をしている渡辺まゆみさんは言う。
  • 多摩では専業主婦が多くて、比較的高学歴で、知識も情報も持っている。もう少し収入を増やしたいと思っても、フルタイムで企業に拘束されるのは、やりきれない。自分の興味を生かせて、おもしろみがあって、しかも収入があることを、仲間でやってみたい。また、今の世の中は、そうした要求にあてはまるようなスキマの仕事がある。しかも男の人が気がつかないし、まさかそんなことが仕事になるのかと思っているようなことでも、女性のいわば向こうみずと愛嬌で、意外と新領域を切り拓いてしまう。そういう第三の働き方。
  • 「金妻シリーズ」は、ホームドラマのお定まりのパターンを打ち破った。登場するのは、30代から40代の核家族である。中には子供のいないDINKSもいる。これらの数組の夫婦は、単なる隣近所のつき合いというわけではなく、妻や夫の友達という関係でつながっている。地縁というよりも、知縁社会の人間関係だ。
  • なんらかの地域活動に関わっている妻の率が高い。先ほどの多摩ニュータウンの調査でも、無職の妻の平日の社会的文化的時間は、平均5時間13分あるという結果が出ている。この地域活動の代表的なものが、生協活動である。それまで培ってきた人生観や価値観を発散する場として、生協を見出したといったケースが多い。
  • 生活時間調査でいえば、通勤時間の短い職住近接の夫は、家族と一緒に過ごす時間や、地域活動に割く時間が平均より長い。もっともこれは当たり前のことだが。だから、長時間通勤というスタイルが変えられれば、夫たちも"会社の仕事"とは別の時間を持つことができるのだといえる。これは別の言い方をすれば、会社を第一義に考えていない夫たちが、職住近接を選んでいるということを意味するのかもしれない。
  • "子供のため"は、多摩の家族の金科玉条である。長い通勤時間も、子供のために我慢を強いられているのである。しかしこれが先の生活時間にも触れたように、父親が家族と接触できる時間が縮められ、母子で過ごす時間が長くなり、母親の子供への関心をますます肥大化させるという結果にもつながるのである。
▼方言
  • 五日市の山の奥まで行ってきたんです。なんじゃもんじゃというのは黒文字のことです。爪楊枝をつくる木です。いい匂いがします。日かげでも成長します。このへんでは黒文字のことを、なんじゃもんじゃというのです。

■多摩地域の情報発信


■多摩地域の地勢

▼面積
  • 多摩地域で一番面積の広い自治体は「奥多摩町」で東京都の10分の1に当たる225.63平方kmです。
    1. 奥多摩町 225.63平方km
    2. 八王子市 186.31平方km
    3. 檜原村 105.42平方km
    4. 青梅市
▼標高
  • 多摩地域の役所標高
    1. 奥多摩町 328m
    2. 檜原村 254m
▼武蔵野台地
  • 関東地方はたくさんの火山に囲まれた地形です。その中でも関東ローム層に覆われる武蔵野台地は、主に富士山と箱根山の火山灰が蓄積しています。
▼日本一の巨樹地帯
  • 2001年に環境省が行った全国巨樹調査で891本の巨樹(地上から130cmの位置で幹周が300cm以上)が確認されています。

■多摩地域の行政

▼市政
  • 最も早くに市になったのは八王子市で1917年。最も新しい市は2001年で西東京市です。
  • ハコもの
    • 住民はハコものを要求し、行政はその建設をもって、地域行政の良し悪しが問われる時代であったといえる。施設建設の中でも多摩で充実していたのは、図書館と公民館である。図書館は、1人当たりの蔵書数という点では日本一のレベルである。数だけでなく、ソフトも充実している。
▼多摩のエネルギー活用

■多摩地域の歴史

▼東京は多摩から
  • 「多摩が今の東京を創造した」と言ったら誰もが驚くであろう。しかしかつて多摩には、武蔵の国の国府が置かれ、八王子城が築かれ、新撰組の近藤勇や土方歳三が生まれ、まさに政治、経済、文化の中心が多摩であった。
▼武蔵野武士団
  • 武蔵野武士団というと有名なのが武蔵七党である。武蔵七党の数え方にも諸説があるが、野与、村山、横山、猪俣、児玉、丹、西の七つが一般的である。特に西党は多摩川、浅川、秋川流域に集中していた。西党の一門は平山、小川、小宮、河口、二宮、由比、由木、長沼、立河、狛江、中野など今でも地名を残している。
▼自由民権運動
  • 社倉政策は農民にとって増税以外の何物でもなかった。門訴を決行した12村の新田とは現在の武蔵野、保谷、小平、小金井、国分寺、東久留米の6市にまたがる地域である。もともと水利が悪く江戸末期でも食うや食わずの生活だった。農民たちが期待をかけた「御一新」も彼らの飢えを満たすことなく、その上の増税政策である。もはや門訴にすがる以外に道はなかった。
  • 深夜であった。門内に入っては強訴になってしまう。続々と県庁に到着した農民たちは門外で切々と慈悲を訴えた。と、そのとき堅く閉ざされた門がさっと開かれ、抜刀した兵士が切りかかり、大砲までが持ち出された。多数の農民が傷つき、50人以上が召し捕えられた。この御門訴事件の恨みが、北多摩一部の農民を反政府的な自由民権運動へと駆り立てることになった。
  • 自由民権の運動が隆起した背景には、時代の最先端都市横浜と直結していたという多摩地域の経済的・地理的位置づけが大きい。多摩地域には、それだけ独自の歴史的・文化的基盤があったということだろう。以来、多摩地域にはさまざまな地域活動が展開されている。自由民権の運動が形を変えて花開いたともいわれる大正デモクラシー時代の草の根民衆運動。あるいは幅広い社会活動となった農民運動。そして東京府への行政移管や軍事基地をめぐる運動など時代時代の課題によって特徴ある地域活動が活発に行われている。
▼神奈川から東京へ
  • 多摩は紛れもなく東京である。れっきとした東京都の構成員であり、都全体の面積のおよそ2分の1、人口の3分の1を占める一大圏域をなしている。にも関わらず、かつて神奈川県から東京府へ移管したという歴史的経緯も作用して、いわゆる23区とは異なる位置づけがなされてきた。
▼米軍基地
  • 福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがる横田基地はアメリカの空軍基地となっており、在日米軍司令部が置かれています。
  • なお、立川基地は1977(昭和52)年に日本に全面返還されました。
▼航空産業から製造業へ
  • 東西に広がる東京都の中で23区を除く西側の多摩地域には、古くは航空機産業が発展して、多くの「もの作り企業」が生まれてきました。
  • 東京西部に工場群が増えたのは、一つは国策だったといえる。戦時中に、戦災を避けるために、京浜地区から大工場が移転してきた。いわゆる日野五社といわれる日野自動車、小西六、オリエント時計、富士電機、神鋼電機である。このうちの神鋼電機以外は現在でも操業している。それ以外に大きな役割を果たしたのが戦前から武蔵野市を中心に立地していた中島飛行機である。これは荻窪に航空部隊があったためにここに工場を建てたのだが、三鷹に技術研究所、立川に分工場があった。
  • 航空機の技術レベルは他産業よりも精密で高い。この中島飛行機の技術者が三鷹周辺に居住し、戦後は独立したり、他企業に就職したりするなど、技術者の蓄積がこの周辺に生まれた。そうした技術基盤があったことが、高度成長期になって、工場を引き寄せた要因ともなっている。
  • 現在はIT、エレクトロニクス、バイオをはじめ、航空機産業は宇宙産業へと発展し、計測機器、光学機器、食品、印刷にいたる実に多様な製造業が存在します。また、多摩には、大学や企業の研究機関が多く立地しているのも大きな特徴で、その利点を生かして盛んに産学連携が行われてきました。
  • 多摩地域が生み出す工業製品出荷額は、東京都全体の8兆236億円のうちの半分以上、53%になり(工業統計、2009年調査)、埼玉県の南部と神奈川県の北部東部を加えた、いわゆる広域多摩まで範囲を広げると、11兆1465億円(2008年度)に及びます。
▼遊園地

■多摩地域の文化

▼多摩だるま

  • 多摩の伝統工芸品で青梅市や立川市、瑞穂町で作られている縁起物は江戸だるま、東京だるまとも呼ばれる「多摩だるま」。
  • 高幡不動尊では1月末に、深大寺では3月頭にだるま市が開催されます。特に調布市深大寺のだるま市は日本の三大だるま市として数えられ、だるまの“七転び八起き”と糸を出すときに起き上がる蚕の姿をかけた養蚕農家が、縁起を担いで繁栄を祈願したお祭りが、だるま市のルーツと言われています。
▼天然理心流
  • 幕末、後に新選組の局長となる近藤勇や、副長となる土方歳三が修めた武術の流派で、ペリー来航による沿岸防備や治安の悪化などに備えて多摩地域では天然理心流を習うことが農民の間に広まりました。

■多摩地域の教育

▼多摩地域の大学
▼タマケン -多摩・武蔵野検定-

  • 多摩・武蔵野地域は首都東京のベットタウンという印象が強いですが、大学の立地数は東京圏の20%を占め、世界に冠たる先端企業が多く立地するなど、優秀な人材を有するユニークなエリアです。
  • 多摩・武蔵野検定は、そんな人材の宝庫である多摩、武蔵野の未来を切り開きます。検定を通じて多摩・武蔵野を知り、地域に対する愛情と誇りを醸成していくことで地域活性化につながる「多摩・武蔵野が大好き」といえる人間を一人でも多く育てる『地域づくり・人材づくり』を目標とした検定試験です。
▼多摩地域の学びの場