昨日、立川の成り立ちをまとめた本を読んでいて、立川は一時代が変わるたびに新しい人種が「追加」されてきたまちなのだ、と書かれていて「それは確かに」とか考えていて、一夜明け。
1人の人も、新しい面を「追加」しながら暮らしているよな、とか思いました。
・両親の息子、祖父母の孫としての自分。
・弟、妹ができれば、兄としての自分。
・学校に入れば、生徒として、誰かのクラスメイトとしての自分。
・また他校との間には、どこどこ校の生徒という自分。
そういった半ば強制的なものから、自分で選んでいく部活や、文理の選択、趣味でのグループ、職場、新しい取り組み、住んでいる地域やまち、そして誰かの夫であったり、子どもができれば親としてという一面も持つことになったり。
その中には、一生その相手とは立場が変わらないものもあるし、数年間という縛りで自動的に「元」がつくような立場もある。今はそれでなくても、そこにいたことは消えはしない。また、職業なんかはステージが分かれていて、「何年経験しないと(=このくらいの経験値がないと)次のステージには上がれない」なんて性格のものもある。
そのそれぞれにベストを尽くしたくても、持ち時間の100%をそれぞれに費やすことはできなくて、その中ではそれぞれの人が100%をどう分けるか、時間の配分を考えながら暮らしている。今の自分が大切にしている立場や役割、求められていることって何なのか。
そして、その配分は適度なバランスを見つけても、この先、新しいものがまた追加されてバランスを取ることを続けなければいけないのだろうし、それは今していることの時間を奪うこともあるかもしれない。
元気なうちに経験できることはしてみたいと思ったりするけど、思いとは裏腹に使える時間は仕事に大半を費やされ、年齢を重ねていくと体力も衰え、健康でなければできることは限られ、使える短い時間の中での同じ期間でもできることは減っていく。
では、どうするか。
まずは、「持ち時間を減らさない」という意味で健康で過ごせる時間を1秒でも伸ばすこと。そして何からしていこうか(逆に何はしないか)を考えるプランニングと、ひとつひとつに取り組むスピードをあげること、この3つなのかな。
あともうひとつ。周りの人の力や知恵を借りたりすることを考えるのも、とても大切か。同じ時代に暮らしている仲間たちとの情報交換は、自分個人のやりたい何かを実現することをより楽しくしてくれたり、早めてくれるかもしれない。そして、逆に自分が、そういう相手の何かの助けになるかもしれない。一緒に取り組むチームを組んでいるなら、相手と同じ意識で同じ方向を見て進めていけるかっていうところも大切にしたいところ。
そういう意味でも、いろんな人たちとコミュニケーションを取りながら持ちつ持たれつ、暮らしていきたいと思う。
そんな暮らしをしながら、次はどんな新しい一面が追加されていくことになるのか、お互い楽しんでいければいいですな。
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