MoN Takanawaからはじまった今回のお出かけトリップ、ラストはこちらへ。
「『チ。 ―地球の運動について―』×東京シティビュー」
「チ。」のファンなので、この展示がある間に、行けるときに行っておこうと。
会場は六本木ヒルズの東京シティビュー。空を見上げるにはうってつけのスポット。
「チ。」で印象に残っていることといえば、僕はやはり「文字」のチカラ。
「 文字は、まるで奇蹟ですよ。」
「本当に文字はスゴいんです。アレが使えると、時間と場所を超越できる。200年前の情報に涙が流れることも、1000年前の噂話で笑うこともある。そんなの信じられますか?私たちの人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。だけど、文字を読む時だけはかつていた偉人たちが私に向かって口を開いてくれる。その一瞬、この時代から抜け出せる。文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。そんなの、まるで、奇蹟じゃないですか。」
本当にそう。
文字で、文章として残してくれていたおかげで、僕は今直接話を聞けなくなってしまった人たちの考えや見つけたことを知ることができる。それを次に活かしていける。
その「文字のチカラ」で時間軸を越えていくこのマンガは、本当に読む価値のあるマンガだと思う。
自分の好きなものを好きな人が、この国にたくさんいる。
展示のコメントメッセージってそういう部分を可視化してくれるから、とてもいいコーナーだと思う。
自分は何を信じ、何を実現したいのか。
それが大きなものになるほど1人では成し遂げられないし、一生をかけても叶わないかもしれない。でも、その思いは書き残すことができ、次の時代に託すこともできる。
伝えていくことがすぐに形にならなくても、いつか仲間を増やし、どこかで形になるかもしれない。
それができなかった時代もあったことを思うと、今誰かに自分の思いを伝えられることは幸せなことだと思うし、このありがたさを忘れてはいけないなと。
とてもいい展示でした。
最後に、僕が「チ。」の中で心を動かされたセリフを、上で書いた「言葉」について以外もつらつら書いておこうと思います。興味を持ってこのマンガを読み始めてくれる人がいたらいいなと。
「俺が言いたいのは、ピャスト伯の態度こそが、「自らが間違ってる可能性」を肯定する姿勢が、学術とか研究には大切なんじゃないかってことです。第三者による反論が許されないなら、それは信仰だ。」
「俺はずっとそれが不思議だった。「託す」とか「任せる」とか一見聞こえはいいですけど、実際、他人が自分の思い通りに受け継ぐかなんてわからない。それどころか思いもよらない反論をされる可能性もあるわけで、だから託すなんて不安でとても希望とは思えない。でも、実は、寧ろ反論や訂正をされることが託すことの本質というか、自分の思い通りいかない誤解とか事故とか予想外の存在とか、それこそ、教徒にとって異端者が。天動説にとって、地動説が。そういう他者が引き起こす捩れ(ねじれ)が、現状を前に向かわせる希望かもしれない。って思ったんです、ここ最近で。」
「どんな雄弁も語りを止めれば声は消える。どんな支柱も時が経てばいつか朽ちる。皆、死ぬ。万物は流転する。だが我々は方法を知った。信念を固定化し、思想を可視化し、瞬間を永遠に移し、"今"を遠い場所へ、遥かな未来へ、または誰かの所へ、届くようにする方法を。この方法は強烈だ。既存秩序を破壊し、階級を解体する力を持つ。我々はそれを実行する。これより出版活動を開始する。」
「確かに、僕らは敵対した関係でしたね。この世には様々な人がいる。正直者も、嘘吐きも、情けない奴も、勇敢な奴も。さらに驚きなのが、1人の人間にそのすべての要素が入ってることもざらにあるし、それが日々変化したりする。こんなに大勢いるのに誰1人、同じ人はいない。そりゃ争いは絶えないでしょう。でも、だけどです。過去や未来、長い時間を隔てた後の彼らから見れば、今いる僕らは所詮、皆押しなべて"15世紀の人"だ。僕らは気付いたらこの時代にいた。別の時代でもよかったのにこの時代だった。それはただの偶然で無意味で適当なことで、つまり奇蹟的で運命的なことだ。僕は同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることのほうがよっぽど近いと思う。だから、絶対そんな訳ないと思いつつも、感情と理屈に拒絶されようとも、こう信じたい。今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする。」










