2009年6月6日土曜日

本「こころの処方箋」

<本の紹介>
あなたが世の理不尽に拳を振りあげたくなったとき、人間関係のしがらみに泣きたくなったとき、本書に綴られた55章が、真剣に悩むこころの声の微かな震えを聴き取り、トラブルに立ち向かう秘策を与えてくれるだろう。

ちょっと仕事で体制変更があったりした時期で人間関係の機微に敏感になってたとこだったんで、「いつか全部読んでやる本リスト」にリストアップされてたこの本を読んでみました。

人間関係は確かにストレスになることもあるけど、これからも0にできない以上は自分で対処できる強さを身につける必要がある。俺は自分で言うのもなんだけど、一匹狼タイプよか周りとコミュニケーション取りながら仕事を進めていくタイプ(理想は阿吽レベルまで高めたひ)なんで、相手のケアについても勉強しておく必要があるし、自分も何度か倒れてるんで、まだまだ試行錯誤しながら仕事のやり方については日々トライ&エラーしてる感じです。

で、この本はそういった部分でいくつか良い視点をもらえた本になりました。

「イライラは自分の見通しのなさを示す」
イライラは、自分の何か-多くの場合、何らかの欠点に関わること-を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出てくることが多い。イライラしてきたら「何か見通してないぞ」とゆっくり構えると、有益な発見が生じてくることがある。

「100点以外はダメなときがある」
常に80点の努力を続けてきた人は平均値としては非常に高いが、100点以外はダメなときも80点を取っていては結局ダメ。が、常に100点を狙うと人間関係が攻撃的になる人もいる。100点は時々で良い。

「やりたいことはやってみること」
やりたいことを我慢してやるべきことをやっているときは概して効率は上がらない。しかも、次の日も上がらなかったりする。逆に、やるべきことをしないでやりたいことをした人は次の日すっきりして案外効率が上がったりする。やりたいことをしたのだから、と仕事もちゃんと終わらせようとする。エネルギーも、やりたいことをしてるときはほとんど疲れないので、全体の消費量は特に変わるわけでもない。やりたいことは我慢せずにやった方が良い。

「ものごとは努力によって解決しない」
「自分の努力が足りない」とか「頑張ってるのに報われない」とか言う人がいるが、逆に「努力すればうまくいく」なんてことがあるのか。人間が自分の努力によってなんでも解決できると考える方がおかしくないか。解決するはずのない努力を免罪符にしていないか。

「自立は依存によって裏付けられている」
自立と依存は反対ではない。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれてくるもの。人間は誰かに依存せずに生きてゆくことなどできない。自立は依存を排除することでなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではないか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立でなく孤立になってしまう。

「強いものだけが感謝することができる」
他人に心から感謝する、ということは大変なこと。自分が他人から何らかの援助や恩義を受けた事実を認めねばならない。正面から取り組んで事に当たるとき、人間のエネルギーは不思議に開発される

他にも、「あ、そういう視点も確かにあるな」って思うことが多くて、自分の視野の狭さや考えの偏ってたことに気づけたことが一番良かったことかも。。。
人との付き合いを苦手にしている人もいるけど、てんぱっちゃう人もいるけど、それでも隠居しないで自分の力で働いて生きていこうと思ってるなら、うまくストレスを逃がしながら前向いてやっていくことが必要で、その方法についてもうまいこと書いてるんで読んでみて損はないと思います。

よかったらどうぞ。

2009年6月2日火曜日

本「江戸の繁盛しぐさ」

<本の紹介>
互いの傘を外側に傾けてすれ違う「傘かしげ」、あとから乗ってくる客のためにこぶしひとつ分の幅を詰めて空間をつくる「こぶし腰浮かせ」など、江戸の商人たちが築き上げた「気持ちよく生きるための知恵」満載!

この本は、Aちゃんが紹介してくれたんだけど、「日本人のいいとこってもっとあると思うんだ」って話をしてたとき教えてもらった本。
早速読んでみました。

結構大事なこと言ってるなって感じた。
そして、江戸時代ってすごいじゃん、とも感じた。

単に安穏と過ごしてたから平和な400年だったわけじゃない。
一日一日をもっと良くしていこう、お互いに気持ちよく過ごしていけるようになろう、そうした努力を積み重ねてきた400年だったんだってことが、よくわかりました。時代を治めていくのは確かにお上だったかもしれない。でも、お上だけじゃ世の中は治まらない。
やっぱり庶民一人一人の意識や生活レベルによる部分も非常に大きかったんじゃないかなと思いました。今、希薄だなと自分が感じている部分。
今の時代にこの時代の人たちがいたら、仕事めっちゃできる人たちだったんだろな~と思います。自分もそうだけど、なかなか相手への気遣いってのができてなかったりするときもある。
そんな余裕なかったりして。で、後から後悔・・・orz

「この人と会うのは自分の人生で今の一度きりかもしれない。だから今日の付き合いを美しく、大切で楽しいものにしていこう。」
「汗を流している人がいたら冷たいおしぼりや水を一杯出すとか、健康状態は見ればわかるのに「お元気ですか」なんて言わない。見て分かることは口に出さずに実行する。」
「意見の不一致を歓迎すること。2人の人間がいて、いつも意見が一致するならそのうちの1人はいなくてもいい。改善を求めるなら、違いがあることを大事にすべき。」
「うまくいっている勉強会はメンバーが良いのはむろんだが、縁の下の力持ちとして幹事が実にきめ細かく気配り、手配りをしている。何かおもしろそうだ、自分の得になりそうだと、目先の計算で動く人が増えているだけに、幹事役がきわめて貴重な存在になってくる。最終的には縁なき衆生は去っていくにしても、幹事があってこそ人の輪ができる。」
「言葉は「言の端」ではなく、事(行為、行動)と同じ意味を持つ。言葉の乱れは生活の乱れ、逆に、生活の乱れは言葉の乱れ。」

こういったことが当たり前にできなきゃ、「江戸の人」としては笑われた。
あと、心に残ったのは相手を見て、相手に合わせて自分の振る舞いを変えることが当然と思われていたこと。相手が乱暴な言葉遣いなら、こちらもそうする。相手が心のこもった応対をしてくれるなら、こちらもそうする。

なんとなく、そうなってるし、それでいいんだろうな、って思いました。
だからこそ、自分がその人と気持ちいい付き合いをしていきたかったら、自分が相手にどれだけ気持ちよく思ってもらえているかが大事になる。
お金の問題とか、自分さえよければ良いとか、そういうことでなく。

先人に学ぶことってまだまだいっぱいありそうすね。

2009年5月28日木曜日

本「おいしさをつくる「熱」の科学」

結構前にY一郎に「kijiみたいな考え方をするなら、この本読んでみるといいよ」って貸してくれてちょこちょこ読んでたこの本、やっと読み終わった。
Y一郎ありがとね。

<本の紹介>
本書は、さまざまな調理現象のうち、特に加熱にかかわる現象に焦点をあて、実際の調理現場から出てきた疑問に答える形をとっています。

この本、めっちゃ勉強になりました。
自分でも買おうかなと思ったくらい。

料理を始めてみて、やっぱフライパン使ってるときが楽しい。
なんか料理してる感じで。

でも、すぐこげたりなかなか思い通りにいかないことが多くて、、、苦戦してたとこにこの本登場。対流熱、伝導熱、輻射熱。
料理についての熱の考え方とか、イメージがめちゃくちゃしやすくなった。

ただレシピ通りに作るだけなら、多分なくても大丈夫。
でも、「なんでこのとき弱火なの?」とか「なんで電子レンジじゃできないの?」とか「こうやったらどうなっちゃうの?」とか、他の料理に応用したりするにはもう少し根っこの知識が必要で、そういった知識欲を満たしてくれる、いや期待以上のことを教えてくれる一冊でした。
この本読んだだけで料理のレベル上がると思う。

肉のうまみを閉じ込める焼き方とか、「なるほど」と思える部分が多かったです。
まだ全然できないけど。苦笑

料理に興味のある人は、もし良かったら読んでみてくださいな~。

本「共依存症」

<本の紹介>
頼まれなくても他人の世話に明け暮れる。相手を喜ばせようといつも自分は後回し。そして、思いどおりにならないといって腹を立てる―この本は、自分の人生を他人に捧げてしまった「共依存症者」への処方箋である。なぜいつも自分が犠牲になるのか。なぜうまくいかない人間関係にしがみつき、相手をコントロールしようとして結局振りまわされるのか。「愛しているだけ」で相手を変えることができるのか。本当に、あなたがいなければ彼は駄目になるのか。こんな疑問に自らも共依存症に苦しんだ著者が明快にアドバイス。自分が変われば「他人に振りまわされない人生」が手に入る。

この「共依存症」って言葉を見たとき、ドキッとした。
周りを振り回す人はわかりやすい。そして、振り回される側に立ってみると、たまったもんじゃない。けど、その振り回す人を自分が変えるのはかなり大変。。。
でも、学校だったり職場だったり何かの団体だったり、そういった人が集まる場所にはそういう「振り回す人」が自分の周りにいることもあるもんで、自分もそうだし、転職相談なんかに乗ってるとそういう類の相談を受けたりして。
そんな時、「どうしたもんかな・・・」と思ってました。

最も賢明な判断は、「近づかないこと」だと思う。
それができれば、他の生活にも支障が出るなんてことはなくすことはできる。
人から逃げてばかりいるようじゃダメなんだけど、どうしても合わない人と一生一緒にいなきゃいけないなんてことはないと思う。それで他の生活にも支障をきたすようなら、失うものは大きいし、守りたいと思うのが普通だと思う。

ただ、それができない人もいる。
夫婦とか、親子とか、社会的な制約とか。

そうなった場合にやっぱり振り回されることになってしまうけど、一概に振り回す側だけが全て悪い、だとちょっと人によってバラつきがありすぎる気がして。それだけの問題なのかなと。

振り回される側の人が、「自分はダメな人間だから、そんな自分につきあってくれる人なんてこの人くらいしかいない」とか諦めちゃってたり、「こんなひどいことをする人だけど、自分じゃ何もできないから私が面倒みてあげなきゃいけない」とか思い込みすぎちゃってたり、なんだかんだで相手に依存して自分が今の生活を望んではいないのに納得してたら、多分結局変われない。

自分は相手に依存するのではなく、自分自身にのみ依存する。相手は関係ない(全く0だとは言わないけど)。
相手を最優先にせずに、自分を優先させることはそんなに恥ずかしいことじゃないと思います。そう思えるようにならなきゃ、自分の望んだ人生なんて運任せでしかない。
運に任せることを自分で選んでおいて、うまくいかないことを嘆いちゃいけない。

自分が八方塞がりになって、閉じ込められていると感じていても、外に出る唯一の方法は通り抜けること。これしかない。怖くても、壁にぶつかってみるしかない。

そんな状況に陥っている人がいたら、もしかしたら出口が示されている本になるかもしれないです。

俺は自分の価値観を大事にしているし、やりたいことは自分がどう思うかだけで判断しちゃうことがよくあるんで、それで周りを振り回すことも多々ある気がします。苦笑
ごめんなさい。「B型ぽい」ってよく言われます。
でも、それで誰かを攻撃しようって思いはないし、もし一緒にできるなら俺が一緒にやりたい人だから声をかけさせてもらってる。別にそこで一緒にできなくても、断られるのも慣れてるし相手の価値観で話してもらうようにしてます。

要は、相手のことを考えて、声をかけられるかどうかなのかな~。
この辺の按配って難しいですね。

あ、それと読んでて嬉しい単語が出てきました。

シグニフィカント・アザーズ。
ある人の周囲にいて、その人の人格形成に重要な意味を持つ人。

Limp Bizkitの2ndアルバムのタイトル。
全米で700万枚以上のセールスを出したモンスターアルバムのタイトルの意味がずっとわかんなかったけど、こんなとこでわかるようになりました。
そう言われると確かに、俺の人格形成に意味を持ったアルバムの1枚です。納得。

2009年5月23日土曜日

本「もったいない主義」

<本の紹介>
少しデザインを変えるだけでグンと便利になる日常品。人を喜ばせるチャンスをみすみす逃しているお金の使い道。次に生かされないまま忘れられていく失敗。世の中の至るところで、引き出されないまま眠っているモノやコトの価値。それらに気づき、「惜しい」「自分だったら」と思うことこそ、アイデアを生む最大の原動力だ―オールラウンドのクリエイターとして活躍する著者が、自らの「もったいないセンサー」を開陳。無尽蔵に広がる発想と創作の秘密を明らかにする。

この本を紹介してくれたのは読書家Wたるさん。
「kijiに合いそうだから」って、いつもいろんな本を教えてくれる。
ありがとです。

自分で本を選ぶことも大事だけど、自分で選ばない本を紹介してもらって読んでみると、意外とおもしろい発見があったり、いい刺激になってます。
ってか、この本は自分でもいつか辿りついてたと思います。おもしろいもん。
この本を読まないなんて、「もったいない」。

最近、多分小山さんと俺は似てる感覚なんだろなと思ってきました。
まるで一貫性のないことをしているようで、それが相互につながるように考えてるとことか、「やったことないからやらない」じゃなく「やったことないからこそおもしろい」と思って、「できなくてもいいや」くらいの感じでやってみちゃうところ。
もちろん自分とは比較にならない程大きなことをしてると思うし、プレッシャーもすごくあると思うんだけど、それでも根っこは似てると思います。

いつか、一緒になんかできたらいいなぁ。
こないだメールしたんだけど、相手にされなかった。
でも、また機会のあるごとに連絡してみよっかな。

幸せに思える瞬間って、自分で作り出すこともできたりする。
東京タワーは24時ちょうどに消灯するんだって。
タイミングを合わせて指をならすだけで、俺でも魔法が使えちゃうかもね。

2009年5月22日金曜日

中大教授刺殺事件

ついに、犯人が逮捕されましたね。
夜中の2時頃知り合いからメールが来て、「犯人捕まったみたいよ。でもこれ、kijiの代じゃね?」「眠いから明日明日・・・」

で、朝起きてニュース見て。
犯人は中大理工電電2004年卒・・・って、俺と一緒じゃん!マヂで!?
もしか知り合いなわけ???

名前に心当たりはないものの、一緒に飲んだりはどっかでしてたかもしれない。
で、すぐ卒アル開いて名前を探したり、マスコミ系の就職をした奴から連絡が来たりバタバタしてました。

入学が一つ上ってことで、上の代の先輩らとも連絡取って。
俺は研究室も違ったし、その後でまわしてもらった顔写真見ても全然覚えてなかった。周りに聞いてもみんなびっくりしてて。そりゃそうだよな~、同じ授業受けてたってことでしょ。自分が授業受けてた知ってる教授が殺されたってだけでもびっくりなのに、その犯人は自分と同じ代で授業受けてた側にいたなんて。

犯人が捕まってよかったって思う気持ちよりも、自分のすぐ近くで起きた殺人事件ってとこに怖さや切なさを感じました。世の中をこんだけ騒がせて、これから「あぁ例の殺人事件の」って言われるようになんだろな。。。

っとそうこうしてるうちに、フ○テレビが間違えて流した犯人の写真が自分の知り合いだったりして、仲間内で「おいあいつが犯人になってんぞ、なにこれ間違ってんじゃん」って仲間経由で連絡取ったりホントに仕事どころじゃなかった。マヂで他人事じゃない。もしかしたら俺だって、犯人画像として写真を流された可能性もあるわけだし。。。そしたらどうなってたんだ。こういうことってするかね、普通。

マスコミの相手の立場や気持ちを考えてない、リスクを考えてない対応がちょっと頭に来ました。なんか普段あんま考えたことなかったけど、報道についてすごく考えさせられた。

他の局よりも詳しい情報を押さえたいってのは、なんでなんでしょうね。こういったリスクがあるのに顔写真にそんなにこだわるのは、それだけの理由があるから?今回本当にいろんな局とかから問い合わせがあったけど、そこまでして全ての人脈フル活用して、どんなにお金をかけてでもコンタクトを取ろうとすることって本当に必要なことなの?世の中の人たちは、顔写真がないと報道にリアリティを持たないんだろうか。その事件について、知ってる人のコメントがなければ、どうなるんだろうか。それを話したところで事件はなかったことにはならない。ありのままの情報を報道したところで、その先にどれだけ活きるんだろうか。何に活かして欲しいから、その情報を一般向けに流すんだろうか。俺たちは報道を見て、何を思うべきなんだろうか。

「こんなことをするのはこんな大学の人だから、あの大学には行かない方がいいわよ」
「この学科にはこんな人がいるのよ」
「だから理系なんて何考えてるかわからないのよ」
「あの年代の人って何しでかすかわからない人が多いのよね」
「そういえば私の周りにもいるわ、殺人鬼と同じ大学の人が。近寄らない方がいいわね」
「ああいう顔の人って、○○なのよね」

そんなことを話してもらう為に、報道をしてるのかな。

もう二度とこういうことを起こさないようにするにはどうしたらいいか、みたいなとこはどこまで考えられているんだろう。何が悪かったんだろう。人間が小さかったのかな。教授が嫌な奴だったのかな。制度におかしい部分があったのかな。それは、国の教育方針?大学?学部?学科?研究室?そうじゃなくて、家庭の問題?金銭的な問題?友人間のトラブル?例えば何か少しだけでも、それまでの経緯が変わっていたらこんな事件は起きなかったのかな。

自分たちに気をつけられるポイントって何だろう。
変えたほうがいい認識とかってあるのかな。

なんか、分析されていない事実や統計なんていくらあったって改善活動につながらないし、そういう活動で満足しちゃってる感じがもしマスコミにあるなら、そしてそれを見た人たちがその報道を鵜呑みにしているとしたら、情報に対して何も感じない、考えられない人が「報道を見た=自分は知ってる」とかって考えているとしたら、非常に危険じゃないかなと思いました。
そんなんじゃ、きっとまた同じような事件は起こるし、それをどう起こさないようにしていくべきか、事件に巻き込まれた経験がある1人として考えていくべきなんだろなと思いました。

2009年5月21日木曜日

1200日

今日で、この楽天blogを開設して「1200日」だそうです。

長かったような、あっという間だったような。
2006年頃の日記を読んで「浅いな~」とか思って、これでもちょっとずつ成長してきたのかな、とか思いました。

いろんな人に会って、いろんなとこを旅して、いろんな本を読んで、少しずつ見えてきたものがある。考えが深くなってきてるのを感じる。

ただやるだけじゃなく、そこにコンセプトって芯を通して、目指しているものへの距離感を感じながら動いてる自分を感じられる。

これが2000日くらいになったら、自分はどうなってるかな。
願わくば、そのときも周りには仲間がいて、笑いがあって、そんな時間を過ごしていられたらいいなぁと思います。

みんなのおかげで1200日になりました☆
ありがとうございます☆