2009年9月21日月曜日

自由であるべきコトが制限されたコトに対する怒り

たまたま、mixiのニュースを見てたら気になる記事があって。
飛んでったら、横山健さんのコラムに行き着きました。
http://www.pizzaofdeath.com/staff/column/ken-column.html

以前参戦直後のRIJ参戦日記にも書いた(コチラ)けど、「これでこそ横山健さん」と思いました。
こういう人だから、支持もしたくなる。

個人的には、例えば03年の初参戦のとき、やっぱ右も左もわからなくって、知ってるバンドは近くで見たくって、「うぉー」っつって最前列まで何人いようが一歩でも前に騒ぎに行って、上から足が降ってきたり頭がぶつかったりしてたけど関係なく楽しんでた。痛かったけど。メガネ壊れたりしてたけど。^^;
それから2年くらい経って一通りのバンドを前で聞き終えた頃から、モッシュピットに入る責任を考えるようになった。「自分たちが盛り上げるんだって自覚を持つこと」「モッシュ&クラウドサーフは覚悟すること」「どうなってもいいこと」「なにより、そのバンドを心から好きな奴なこと」・・・で、少し後ろで聞くようになった。年取ったから?(苦笑)、いやいや、汗と吐息と密着がテーマ(笑)の場所を離れて、ちゃんと音楽として聞きたかったからデス。そうなると、少し周りが見えてきて、少しデカめな俺は「後ろの人見えないかもな・・・」とか考えるようになった。それでも、それ以上は下がらなかったけど。後ろにいて見えないのは、俺より後ろにいる奴が悪い。見たかったら前に出るべきだっていう論理で自分を納得させてはいた。

今は前に行くことすら本当に少なくなってるけど、それで楽しんでる。自分は、楽しみ方が変わった。
でも、FESのルールが「ラブ&ピース、そしてフリーダム」を謳ってる中で、「モッシュ&ダイブ禁止」ってのは聞いてなんだか、少し寂しかった。もちろん、こういったFESが多くの人に開かれている性質上、そのバンドのことを「何も知らない」「時間があるから寄ってみた」って人たちもたくさんそのバンドの音楽を聞いてる。それがFESの良いところだと思うし、好きなところでもある。おかげで、自分も音楽の幅や見識はだいぶ広がったと思ってる。でも、そういった初めて見るって人に合わせて、聞いてる人の表現方法をルールで縛る必要はあるんだろうか。

もちろん、モッシュやダイブが危険行為だってことはわかってはいる。その行為で後遺症が残ってしまった人がいて、その人が「暗黙の諒解でなくルールとして対応して欲しい」っていうなら、そこに運営側が真摯に対応をしなきゃいけないってのもわかるし、当然の判断だと思う。
でも、正直な話、何年か前の自分だったら、「それは個人の責任範囲の問題でしょ、なんで俺らがそれに合わせなきゃなんないのかわかんない」って言いそうです。「お金を払ってんのはこっちであって、盛り上がり方を決めるのは運営じゃない、俺たちだ」って言いそうです。
「じゃ、RIJには来るなよ」って言われちゃうと、すごく困ると思うケド。
「それは嫌」デス。

ただ、毎年参加してて、仲間との思い出もたくさんあって、少なからず自分たちも一緒に育ててきたFESって実感があって、そういうFESで去年みたくRSRとのバッティングを避ける為にRIJには出ないようにってアーティストが制限をされたり、今年はモッシュ・ダイブ禁止って観客側が制限をされたり、なんか利権とかいろんなコトにこれからも対応してく為に変えざるを得ない部分が出てきて、長くやってることによる良さと足かせみたいな難しさがここ数年たくさん出てきてるのかなって思います。
こういうの、あんま気持ちよくないな。

健さんも言ってるけど、どうすべきかみんなで考えていかなきゃいけない部分なんだと思います。

何年経っても気持ちいいFESであって欲しいから。このFESを通して自分たちの仲間が増えて、いつか奥さんや子供なんかも出来ちゃったりして、BBQセットなんか持ち込んじゃったりして、今一緒に行ってるみんなが相変わらずファミリーで参加してたりしてビッグなテントはっちゃったりして、大家族でステージから流れてくる音楽に耳を傾けながら、5歳になったチビ助に「え、ドラゴンアッシュの新譜まだ聞いてねーの?ったく、やれやれだぜ。」とか言われちゃったりして。

そんな週末がずっと続くといいなと思うから、自分の意見を書いてみました。

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