今日は七夕だね、みんな何して過ごすつもりなんかな?
バイト?デート?俺らん中にはゼミとか研究でそれどころじゃないって人も多いと思う。
てっか一番多いのがそんな奴らなんかもね。
んでもってそんな中俺の予定は・・・なし、です。悲しいことに。∑(゚□゚;ハウッ
いや学校には行くんすけど。
最近暇なんだよなぁ~、まぁ新たにバイトでもすりゃいいのかもしんないけど、これから夏休みでダチと旅行行く機会も増えるだろうってトキにわざわざバイトを始めることもないかなって思って今は静観してまっす。
もしかすっと後期になってもやんないかもだけどね。
来年からいやでも働くわけだから。
んで七夕っていう節句がちょうどあったんで、これから入社まで俺はどうしていきたいのかをちょっと考えた。
別に節句じゃなくても常に考えてはいるんだけど、時間もあったからね。
まず基本方針として、無駄な時間として過ごさないってのがあるわな。
何してもいいけど、入社するときに今の俺を振りかえって、“あんだ全然変わんなかったんだな”って思いたくはないね。
とりあえず今考えてるのは、卒研・資格等の勉学面で手抜きをしないってことと自分の経験値を高めていくことの2つを平行させていくこと。
勉学面に関しては、幸い俺の今いる研究室は他の研究室に比べてそんなにキツクない。
まぁ、それを事前に調査した上で入ってるわけだから当たり前なんだけど。
なんでそんな研究室に入ったのか。理由は簡単。
自分の時間が欲しかったから。卒研に1年間を費やすつもりはさらさらなかったから。
俺は大学院に行かない。研究は長くやっても1年間だ。後期から卒研を始める研究室が多いので、学部で卒業するほとんどの学生は半年間しか研究をしない。そんな腰を据えて研究する時間のない中で、しかも俺らのいる分野(ってか他んとこもそうなのかもだけど)ってのは、研究施設によって研究内容が絞られたりする。果たしてどんだけの研究ができるんだろ?って考えてたトキ、先輩からあるアドバイスをもらった。「本当に研究をしたら、俺ら中大じゃ施設で国立大とか企業にはかなわないよ。半年間やってもほとんど成果をあげることなんかできやしない。ならお前は楽なとこでいいから研究してたらできなかったことをいろいろやればいんじゃない?」俺はホントその通りだと思った。
「理系の大学生やってんだから、親にお金出してもらってんだから、勉強頑張んなきゃ顔向けできないっしょ。」なんて言う人もいるかもしんないけど、ほんとにそうなんかな?んじゃ勉強さえやってりゃ親が喜ぶの?成果上がってないのに?極端な話言っちゃえば半年間勉強は頑張ったけど、知識として多少増えただけで勉強以外がなんにも伸びなかったとしても、それでもいいんかな?
俺はそう思わないんだよね。ならその時間使って自分のしたいことであったり、これからの自分に必要になるようなことを勉強するってのもありだと思う。資格取ろうとすんのもありだし、土地や日本の文化についても勉強してみたいと思う。他にも学ぼうと思えばいくらでも学ぶことはできるよ、時間さえあればね。時間をかけて読書するってのもわるくないことなんじゃない?
つまり俺が言いたいのは、研究に全ての時間を費やすつもりはないけど、何も勉強しないでこれからの時間を過ごすつもりもないってこと。随分甘いことを言ってんなって思うかもしんないけど、俺はこうしていきたいと思う。
んでもう一つの経験値を高めていくってこと。これは主に旅行、イベント、人とのつながりの3つだな。
旅行することで経験値が高まるってのは、一人旅とか、旅行に意味を持たせる人はわかるかもしんない。旅行することで、自分の国や他の国、その土地の人の暮らし、どんな色を持った人たちがいるのか、俺との違い、その人たちの良さはどこにあるのか、そういう暮らしになる気候、土地的な条件があるのか、どんな料理があるのか、観光で収入を得てるのか、それとも農業や他の仕事で収入を得ている人たちが多いのか、本当にいろんなことがわかる。その中で自分がどうするか、初めての土地でまずどこに行くか、何をすべきか、どんな人なら自分は話しやすいか、何を感じるのか。相手のことや世界のことを知るのと同時に自分についての理解ってのも深まるんだよね。そんな旅行をいろいろとする中で、自分ってものを確かめながら、いろんなところでの出会いを大切に成長していきたいと思ってる。ここは自分のコアになってると思えるところだし、よっぽど旅行に行ってる人と比べない限り、今の時点でもかなりの開きがあると思う。これは俺が生まれた星の下がよかったっつうか、両親とかダチ、いろんな環境に恵まれたからなんだけど、もっともっと伸ばしていきたいね。
お次はイベント。就活を終えて、先輩と話したとき受けたアドバイスに「学生にはできて社会に出たらできなくなることってなんすか?」「うーん・・・失敗かな」って言われたことがあって、“なるほどな”って思ったんだよね。だから、いっぱい失敗しとこうと思った。いやまぁはじめから失敗する気でやるんじゃないよ?成功するか失敗するかはわかんないけどとりあえずやってみっか的なスタンスになったってことなんだ。
これは自分でやってる何ヶ月かに1回のパーティー企画もそうだし、他の人がやるイベントへの参加であったり俺の参加する団体でのイベントの企画側としてもそう。
参加者として参加するのは、ほんと気が楽だよね、誰か知ってるダチが一人でもいるイベントなら。自分では何も準備しなくていいし。でも講演会とかだと自分じゃ思いつきもしない考え方に気づかされたり、プレゼンも勉強になるし、サッカー観に行くのだっていろいろと得るところはあるよね。話題性ってのもあるし。楽しい中でも周りにいる人から吸収したりできる。
来週(もう今週か)に迫った富士登山や元気会での企画は自分は真ん中で動くことはあんまないけど、企画側として何人もで一つのものを作り上げたり、一つのことを達成したりする達成感なんかいいもんだし、もっとどんどんやって行きたいと思ってる。
あとは自分の飲み会かな。これは自分のって言っても俺一人でやってるわけじゃなくて、ゆうにははじめ随分助けてもらったし、大和にもいっつも力を借りてる。あとは虎も俺が呼べばよっぽどのことがない限り来てくれるって安心感があるから、ぶっちゃけ誰も参加者がいなくてもこいつらさえ集まれば俺としては楽しい飲みになるから、躊躇なくイベント開催に踏み切れる。でもはじめは何やりゃいいのかわかんなかったし、かなりぎこちなく店の手配、参加人数の把握、値段交渉等やってたんだけど、今じゃやっぱ何度もやって慣れてきたとこがかなりあんね。慣れたもんだよ。俺ここやるから、そっちよろしく、みたいな。できれば卒業してからも、このメンツとはこういう関係であり続けたいと思うし、この企画も続けていけたらって思ってる。次回開催は8月、日程決めなきゃね。それよりまずは電電飲みだわ。
んで、最後は人とのつながり。やっぱ自分が成長するのに、一人で成長できることって俺に限って言えば少ないね。これは、俺が俺一人だと弱いってのもあんだと思うけど、他の人を見てそこからいいところを盗むことができるってのも大きいんじゃないかって思う。俺から盗めるところは他の人にもどんどん盗んでいって欲しいしね。上の旅行・イベントって二つは比較的新しい人、刺激、自分の知らなかった世界を求めるものなんだけど、最後はやっぱ今あるもの、この4年かけて自分が手に入れたものであったり、趣味であったり、ネットワークってものを大事にしていきたいな、と。別れもあれば出会いある、それはわかってっけど、今までに知り合ったダチとも仲良くやっていきたいから、そのためにできることがあんならしていきたいな、と。まぁ具体的にこれやるってのはここに関してはわかんないんだけど。強いて言えば会えなくてもメールはしてみたり、できるだけ連絡を取るようにしてみる、こっちからいくスタンスを大事にするって感じかな。
この3つを大事にしながら入社までの期間を過ごしていきたいと思ってまっす。今んとこ。
てな感じで、長くなっちゃったね。
最後まで読んでくれてありがとさん。バイ!
立川食べ歩き隊の隊長、そして立川観光コンベンション協会のプロデューサーをしている僕の個人的な見聞録です。 立川の耳寄り情報や、イベントや企画の裏話、いろいろお出かけしてみた報告とかも。
2003年7月6日日曜日
2003年7月4日金曜日
Flame
おいっす、月日の経つのは早いもんでもう7月だね。
こっからの季節俺は好きだなぁ。
やっぱ開放感あんもんね!
んでそんな季節も到来した今日7月4日、ほんとは俺は横浜にいるはずだったんだ。
まぁ延期んなっちゃった企画だったんだけど。
なにをやろうとしてたかっていうと・・・船上ビアガーデンパーティー!
横浜の山下公園に泊まってる氷川丸(←知ってる?)の船上でビアガーデンしようと思ってたんだよね。
おもろそうっしょ!?
あそこは定番のデートコースって言われるだけあってすっげぇおしゃれなとこだし、船の上で飲んだことなんてないっしょ?
ビアガーデンに行ったことないって人もいるかもしんない。
んで船は動かないから船酔いの心配もないし、夜はあの公園がライトアップされっから外でおいしいお酒を飲みながらの夜景ってのも格別だろぉって。
いいべぇ~。帰りには中華街にも寄れるしね。
5月にもやったけど、俺の思いつきで企画するパーティーの7月バージョンさ。
でも・・・延期した。
まぁ準備期間が短かったってのもあるけど一番の理由は・・・早稲田のイベサ「スフリ(superfree)」の問題。
知ってるよね?有名な話だから。
2chもあんときは祭んなってたし、情報は今いくらでも入ってくるでしょ。
俺のダチも何人かあそこのイベント行ったことある奴いたし、俺と同じ世代の結構知られてる大学行っててサークル活動とかしてる奴はほぼ一回くらいは聞いたことあんじゃないかって思う。
超有名サークルだったかんね。
ちなみに俺んとこの入学式にもビラ配りに来てたわな。
んでもってあいつら俺の企画したイベントに来たこともあったんでちょっと喋ったことあったんだけど、あんなことしてたなんて知らなかったなぁ。
知らなかった、じゃすまないけど。あいつら呼んだのは俺のミスだった。
あれはいかんぜ、まじ。
まぁ全員が全員やってたわけじゃないとは思うけど。
でもさ、あいつらのおかげで早稲田がすっげぇ今叩かれてっけど、なんかそれもどうなんだろね?
なんかあれに乗じて早稲田潰しにかかってる奴らがいるような気がしないでもないって感じるな、俺は。
だってさ、捕まってる中に早稲田じゃない人間もいるんだよ?
なのにそいつの大学はあんま叩かれてないじゃん。
あそこに所属してた奴の出身大学なんてほんといっぱいあるはずなのにさ。
それに俺が見たビラにはスフリは早稲田のサークルとは書いてなかったような気がする。
俺が受験するときは最難関レベルが早慶上智って言われてたけど、大学に入ってみて人数の多さじゃ上智は一歩遅れをとってる感がある。
んで早稲田と慶応の2大勢力になるわけだけど、今回のことで早稲田が落ちるとしたら慶応の一人勝ちじゃん?
もしかこの早稲田叩きやってんのは慶応の連中か・・・!?
なんて、ちょっとそうなっちゃうのも俺は嫌だなぁ~なんて感じるね。
ま、どうでもいい話かもしんないけどさ。
んでもってスフリだけが悪いかって言うと、俺はそうでもないと思う。いや悪いのは間違いねんだけど。
よく「これは氷山の一角に過ぎない」ってテレビとか雑誌が言ってるけどさ、ホントそうでしょ。
今回は運悪くスフリが捕まったね。まぁやってること派手で目立ってたってのもあると思うけど。
でも、こんなことやってるサークルなんてのはホント星の数程あんじゃねぇの?
言っておくけど、俺はやってねぇかんね。
でも、いろんな人からやっぱ話聞くとそういう風に噂されてるいわゆるヤリサーなんていっぱいあるよ。
どこの大学にもあるんじゃん?もちろん俺の大学にだってあると思う。
2年前くらいにそんな噂聞いたことあったもん、確か。
それにサークルなんてもんは非公認だから、聞いた話じゃ新歓の時期だけ嘘のサークルつくってビラ女子大にだけ配りに行って新歓コンパっつって女の子呼んで当日来た子には「今日サークルの人みんな来れないんだってぇ~。」とか適当なこと言って合コンみたくしちゃう奴らもいるって言うしさ。
ぶっちゃけなんでもありなわけさ。
今回スフリの捕まんなかった奴だってまたいくらでもそんな組織はつくれるわけだし、大学生だけじゃなくて社会人だってこんなんは全然あるんじゃん?
だって大学生はいずれ社会人になるんだからさ。
だから、一網打尽にしようったってそれは無理ってもんだ。
んじゃ、どーすりゃいいのか?
決まってるべ、自分で決めるしかないっしょ。
そーなんのが嫌ならそーいう場に行かなきゃいいし、飲みたいなら信頼できる奴らと行けばいい。
でもしそーいう盛り上がる場に行きたいなら自分の責任の下行けばいいけど、行くにしてもそこが大丈夫なとこかわかんないまま行くのは危険。
なら調べてから行く、とか行ったことある人から聞いてから行くとか人数集めるとかするべきだべ。
なんも考えないで一人でビラだけもらって行くってのはあまりに安易な気がする。
まぁ大学に入りたての新入生にそこまで調べて動けってのはちょっと無理な話ではあるんだけどね。
それにそーいう場に行けば友達もできるし、普段は聞けないような話が聞けちゃうこともあるし、彼氏彼女ができちゃう場合だってあるってことを考えればでっかい飲み会に行きたくなる気持ちもわかる。
事実俺も飲み会は好きだし、自分でも企画したりするし。
俺が1年の新歓の時期は、やっぱ飲み会でできた友達と他の飲み会に行ったりしてどんどん友達作ってったかんね、だからこそ今すっげぇ楽しい学生生活を送れてるし、学科なんてほぼ知り合いって状態になってる。
まじこんな仲良い学科も珍しいんじゃん?って感じだもん。最高だよ。
でもそうなるかああなっちゃうかは一見しただけじゃ見分けつかないもんなぁ。
男は別にいいとしても女の子には飲み会行きまくって友達作れってのは絶対におすすめできないよね。
まぁもうちょい気をつけようぜ、としか言えないかな。
でも今回の件がみんなの警戒心を高めたのは間違いないね。
その点については個人的にはよかったんじゃないかって思う。
名乗りをあげた女の子にはなんて声をかけてあげたらいいのかちょっとわかんないけど。
ごめん、でもないし、ありがとう、も違うし、頑張って、てのも変だし・・・
てことで、ちょっと俺の思ったことをずらずら書いてきたわけだけど、 ここで俺からもう一つ言いたいことが。
俺は、この事件がきっかけで社会人から「今の大学生はダメだ!」「勉強だけしてろ!」とか言われんのは心外だね。
あいつらは空の会社買い取ってパー券で運営してたとかって話を聞いたけど、その影響で他の人たちまで影響を受けるのはナンセンスだと思う。
実際俺の知ってる人ん中にも、学生団体みたいな形で空の会社の名義で動いてる人がいるけど、そーいう人たちは本当に自分の夢に向かって生きてたりすんだもん。
「石垣島のパイナップルを関東のみんなに広めるんだ!」って言って農業インターンやってる奴とこの前話したんだけど、金はないけどその会社を共同出資って形で持たしてもらって、「いずれは俺らのつくったパイナップルで稼ぐんだ!」って俺に熱く石垣島のパイナップルと沖縄本島のパイナップルの味の違いがどうやって出来るのか語ってくれた。パイナップルの甘さは気温で決まる、とか沖縄本島と石垣島は東京と大阪くらい離れてることとか、ほんといろんなことをすっげぇ楽しそうに話してくれた。
思わず俺が石垣島でパイナップルつくりたくなっちゃったよ。
そんな奴らだっているし、すっげぇマジメに勉強に取り組んでる奴もいれば、自分の好きなことを極めようと頑張ってる奴もいる。
そういう奴らが、「あのスフリと同じ今の大学生は・・・」ていう観点で見られるのは、勘弁ならねぇな。
就活中、面接官に「大学時代に頑張ってきたことを教えて下さい。」って言われて、
「イベントサークルで4年間頑張ってきました。3年次には幹部としてみんなをまとめ、笑われ役として場を盛り上げていました。自分が企画したイベントが成功したときの達成感は今でも忘れられません。」とか答える人がいたとして、今までだったらそこから統率力だとかコミュニケーション能力だとかのプラス評価につながってたのが、そのイベントのことについてはイベントサークルってだけで聞かれなくなって「勉強の方はどうでした?」とか聞かれるようになってっちゃうとしたら、本当に頑張っててもそういう風に見られなくなったらちょっと悲しいなぁ、なんて。
まだ俺の友達には就活中の奴もいるし、早稲田の奴なんかはさらにキツクなるんじゃないかって思う。
ただ“同じ早稲田”ってだけで「あの早稲田か・・・」って。
いろいろと考えることの多い出来事だった。
つながりがゼロじゃないだけに。
んで本題に戻るけど、その俺主催のパーティー、まぁ趣向は変わるかもしんないけど来月あたり(今月は大学はテスト期間なのさ)にやろうかと思ってるんで楽しみにしてて!
今回は前回就活で来れなくて待ちわびてる人もいると思うし、頑張んないとなぁ!!!な、大和?
ではでは、またね。ちゃお~。
こっからの季節俺は好きだなぁ。
やっぱ開放感あんもんね!
んでそんな季節も到来した今日7月4日、ほんとは俺は横浜にいるはずだったんだ。
まぁ延期んなっちゃった企画だったんだけど。
なにをやろうとしてたかっていうと・・・船上ビアガーデンパーティー!
横浜の山下公園に泊まってる氷川丸(←知ってる?)の船上でビアガーデンしようと思ってたんだよね。
おもろそうっしょ!?
あそこは定番のデートコースって言われるだけあってすっげぇおしゃれなとこだし、船の上で飲んだことなんてないっしょ?
ビアガーデンに行ったことないって人もいるかもしんない。
んで船は動かないから船酔いの心配もないし、夜はあの公園がライトアップされっから外でおいしいお酒を飲みながらの夜景ってのも格別だろぉって。
いいべぇ~。帰りには中華街にも寄れるしね。
5月にもやったけど、俺の思いつきで企画するパーティーの7月バージョンさ。
でも・・・延期した。
まぁ準備期間が短かったってのもあるけど一番の理由は・・・早稲田のイベサ「スフリ(superfree)」の問題。
知ってるよね?有名な話だから。
2chもあんときは祭んなってたし、情報は今いくらでも入ってくるでしょ。
俺のダチも何人かあそこのイベント行ったことある奴いたし、俺と同じ世代の結構知られてる大学行っててサークル活動とかしてる奴はほぼ一回くらいは聞いたことあんじゃないかって思う。
超有名サークルだったかんね。
ちなみに俺んとこの入学式にもビラ配りに来てたわな。
んでもってあいつら俺の企画したイベントに来たこともあったんでちょっと喋ったことあったんだけど、あんなことしてたなんて知らなかったなぁ。
知らなかった、じゃすまないけど。あいつら呼んだのは俺のミスだった。
あれはいかんぜ、まじ。
まぁ全員が全員やってたわけじゃないとは思うけど。
でもさ、あいつらのおかげで早稲田がすっげぇ今叩かれてっけど、なんかそれもどうなんだろね?
なんかあれに乗じて早稲田潰しにかかってる奴らがいるような気がしないでもないって感じるな、俺は。
だってさ、捕まってる中に早稲田じゃない人間もいるんだよ?
なのにそいつの大学はあんま叩かれてないじゃん。
あそこに所属してた奴の出身大学なんてほんといっぱいあるはずなのにさ。
それに俺が見たビラにはスフリは早稲田のサークルとは書いてなかったような気がする。
俺が受験するときは最難関レベルが早慶上智って言われてたけど、大学に入ってみて人数の多さじゃ上智は一歩遅れをとってる感がある。
んで早稲田と慶応の2大勢力になるわけだけど、今回のことで早稲田が落ちるとしたら慶応の一人勝ちじゃん?
もしかこの早稲田叩きやってんのは慶応の連中か・・・!?
なんて、ちょっとそうなっちゃうのも俺は嫌だなぁ~なんて感じるね。
ま、どうでもいい話かもしんないけどさ。
んでもってスフリだけが悪いかって言うと、俺はそうでもないと思う。いや悪いのは間違いねんだけど。
よく「これは氷山の一角に過ぎない」ってテレビとか雑誌が言ってるけどさ、ホントそうでしょ。
今回は運悪くスフリが捕まったね。まぁやってること派手で目立ってたってのもあると思うけど。
でも、こんなことやってるサークルなんてのはホント星の数程あんじゃねぇの?
言っておくけど、俺はやってねぇかんね。
でも、いろんな人からやっぱ話聞くとそういう風に噂されてるいわゆるヤリサーなんていっぱいあるよ。
どこの大学にもあるんじゃん?もちろん俺の大学にだってあると思う。
2年前くらいにそんな噂聞いたことあったもん、確か。
それにサークルなんてもんは非公認だから、聞いた話じゃ新歓の時期だけ嘘のサークルつくってビラ女子大にだけ配りに行って新歓コンパっつって女の子呼んで当日来た子には「今日サークルの人みんな来れないんだってぇ~。」とか適当なこと言って合コンみたくしちゃう奴らもいるって言うしさ。
ぶっちゃけなんでもありなわけさ。
今回スフリの捕まんなかった奴だってまたいくらでもそんな組織はつくれるわけだし、大学生だけじゃなくて社会人だってこんなんは全然あるんじゃん?
だって大学生はいずれ社会人になるんだからさ。
だから、一網打尽にしようったってそれは無理ってもんだ。
んじゃ、どーすりゃいいのか?
決まってるべ、自分で決めるしかないっしょ。
そーなんのが嫌ならそーいう場に行かなきゃいいし、飲みたいなら信頼できる奴らと行けばいい。
でもしそーいう盛り上がる場に行きたいなら自分の責任の下行けばいいけど、行くにしてもそこが大丈夫なとこかわかんないまま行くのは危険。
なら調べてから行く、とか行ったことある人から聞いてから行くとか人数集めるとかするべきだべ。
なんも考えないで一人でビラだけもらって行くってのはあまりに安易な気がする。
まぁ大学に入りたての新入生にそこまで調べて動けってのはちょっと無理な話ではあるんだけどね。
それにそーいう場に行けば友達もできるし、普段は聞けないような話が聞けちゃうこともあるし、彼氏彼女ができちゃう場合だってあるってことを考えればでっかい飲み会に行きたくなる気持ちもわかる。
事実俺も飲み会は好きだし、自分でも企画したりするし。
俺が1年の新歓の時期は、やっぱ飲み会でできた友達と他の飲み会に行ったりしてどんどん友達作ってったかんね、だからこそ今すっげぇ楽しい学生生活を送れてるし、学科なんてほぼ知り合いって状態になってる。
まじこんな仲良い学科も珍しいんじゃん?って感じだもん。最高だよ。
でもそうなるかああなっちゃうかは一見しただけじゃ見分けつかないもんなぁ。
男は別にいいとしても女の子には飲み会行きまくって友達作れってのは絶対におすすめできないよね。
まぁもうちょい気をつけようぜ、としか言えないかな。
でも今回の件がみんなの警戒心を高めたのは間違いないね。
その点については個人的にはよかったんじゃないかって思う。
名乗りをあげた女の子にはなんて声をかけてあげたらいいのかちょっとわかんないけど。
ごめん、でもないし、ありがとう、も違うし、頑張って、てのも変だし・・・
てことで、ちょっと俺の思ったことをずらずら書いてきたわけだけど、 ここで俺からもう一つ言いたいことが。
俺は、この事件がきっかけで社会人から「今の大学生はダメだ!」「勉強だけしてろ!」とか言われんのは心外だね。
あいつらは空の会社買い取ってパー券で運営してたとかって話を聞いたけど、その影響で他の人たちまで影響を受けるのはナンセンスだと思う。
実際俺の知ってる人ん中にも、学生団体みたいな形で空の会社の名義で動いてる人がいるけど、そーいう人たちは本当に自分の夢に向かって生きてたりすんだもん。
「石垣島のパイナップルを関東のみんなに広めるんだ!」って言って農業インターンやってる奴とこの前話したんだけど、金はないけどその会社を共同出資って形で持たしてもらって、「いずれは俺らのつくったパイナップルで稼ぐんだ!」って俺に熱く石垣島のパイナップルと沖縄本島のパイナップルの味の違いがどうやって出来るのか語ってくれた。パイナップルの甘さは気温で決まる、とか沖縄本島と石垣島は東京と大阪くらい離れてることとか、ほんといろんなことをすっげぇ楽しそうに話してくれた。
思わず俺が石垣島でパイナップルつくりたくなっちゃったよ。
そんな奴らだっているし、すっげぇマジメに勉強に取り組んでる奴もいれば、自分の好きなことを極めようと頑張ってる奴もいる。
そういう奴らが、「あのスフリと同じ今の大学生は・・・」ていう観点で見られるのは、勘弁ならねぇな。
就活中、面接官に「大学時代に頑張ってきたことを教えて下さい。」って言われて、
「イベントサークルで4年間頑張ってきました。3年次には幹部としてみんなをまとめ、笑われ役として場を盛り上げていました。自分が企画したイベントが成功したときの達成感は今でも忘れられません。」とか答える人がいたとして、今までだったらそこから統率力だとかコミュニケーション能力だとかのプラス評価につながってたのが、そのイベントのことについてはイベントサークルってだけで聞かれなくなって「勉強の方はどうでした?」とか聞かれるようになってっちゃうとしたら、本当に頑張っててもそういう風に見られなくなったらちょっと悲しいなぁ、なんて。
まだ俺の友達には就活中の奴もいるし、早稲田の奴なんかはさらにキツクなるんじゃないかって思う。
ただ“同じ早稲田”ってだけで「あの早稲田か・・・」って。
いろいろと考えることの多い出来事だった。
つながりがゼロじゃないだけに。
んで本題に戻るけど、その俺主催のパーティー、まぁ趣向は変わるかもしんないけど来月あたり(今月は大学はテスト期間なのさ)にやろうかと思ってるんで楽しみにしてて!
今回は前回就活で来れなくて待ちわびてる人もいると思うし、頑張んないとなぁ!!!な、大和?
ではでは、またね。ちゃお~。
2003年6月28日土曜日
土地への縁
おいっす、みんなひさびさっすね。
元気にやってんのかな?
なんか最近天気もよく変わるけど(おかげで洗濯物がびしょびしょ・・・)、季節の変わり目みたいだから体調には気をつけてね。
風邪引いてる人が多いみたいだから。
さてさて、俺が最近ここに書かなかったのは、なんででしょう?
待ってる人がいる(かもしんない)のに。
・・・ちょっとパソコンから離れようと思ったんだ。
ウェブサイトを持ってる人はわかると思うけど、これってちゃんと更新しようと思うとかなり生活に割り込んでくるよね。
んでそこから離れた生活をここ一ヶ月思い出してました。
まぁ、そんなとこです。
実際はパソコンから離れらんなかったんだけどね。苦笑
これからはちょこちょこ書くつもり(あくまでつもり)。
あ、文章だけど、先月ちょっと変わった感じにしたけど、やっぱ無理です、戻します。笑
こっちの方がやっぱ俺は書きやすいや。
あれはトモダチに影響されてなんだけど、そいつの文章は誰かの文章真似てるとかで、物語風になっててさ。
“俺もこんな文章が書けるようになりたい”と思って練習したんだけど・・・ダメだわ、やっぱ。笑
てことで自分の一番書きやすい言葉で書いていこうと思います。
で、今日は“土地への縁”ってことについて書いてみようと思う。
俺ね、旅行好きなんだ。
高校の頃からトモダチと旅行に行ったりするようになって・・・大学でもトモダチと行ったり、サークルで行ったり、一人旅もした。
つるんでる奴らはよく知ってると思う。
んでさ、思うのが“一度行ったところって、縁ができるなぁ”ってこと。
なかなかわかりづらいかもしんないけど、例えばすっげぇちっちゃい頃に行ったことがあるとこって自分に記憶はないかもしんないけど、親がそこについて話してんのを聞いたり、写真で見たりしてるよね。
そーなると、次にそこが出てきたとき親しみ感じたりするじゃん。
そこに行ったことのある人がいると、いきなり仲良くなったような気分になったり。
俺はそーいうのを結構大事にするタチだと自分でも思うんだけど、そう信じさせるような出来事が最近いくつかあったんで紹介すんね。
まずは先月俺が京都に行ったときのこと。
俺がここに行った理由ってのも“修学旅行で行ったあそこにまた行ってみよう”ってものだったんだけど、そこから帰ってきて数日後、ある会社の最終面接(この会社は最終がグループディスカッションなんだけど)、同じグループになった人の中に京都から来てる人がいて、その人につい先日京都にいたこと話したらそこからすげぇ仲良くなってそのグループディスカッションも楽しくできたんだよね(まぁ、結果は落ちちゃったんだけど)。
んでこの前長崎に行ったときのこと。
親父の生まれ故郷で、親父方の親族はいまだにここにいる人もいるんだけど、そんな長崎に俺はこれまた修学旅行以来に行ってきた。こんだけでもかなり縁があんだけど、観光したとこも自分が修学旅行で行ったとこ、ダチが行ってきたって言ってたとこ、そこをまわる途中で現地の人と話す中で教えてもらったとこ、だった。んで帰ってきて数日後、俺が来年から勤めることになる会社の内定者同士の飲み会でのこと。なんと、長崎出身の人が。まぁ言うまでもなく一気に仲良くなれちゃった。
俺ってやっぱ恵まれてんのかもね。こんな続くなんて普通あり得ないもんな。
でも、行ったことによって縁ができたってことは間違いないんだよね。
行ったことがあるってだけでそんときはなにもつながらなくても、あとからつながることがあるっていいなぁと思う。
飲み会の場とかでもそうじゃん。
「どこどこ出身」「実家どこで、今どこに住んでるよ」「学校どこどこだよぉ」「昔そこ住んでた」とか、そん中にちょっとでも共通点あったりするとそれだけでうれしくなったり、世間って狭いなぁなんて感じたりしちゃう。
普段みんなはあんま意識しないことなのかもしんないけど、俺はそんな“縁”を大事にしていこう、と思うんだわ。
これからもずっと。
てことで、みんなの地元に行ったときはよろしく頼むわぁ。
元気にやってんのかな?
なんか最近天気もよく変わるけど(おかげで洗濯物がびしょびしょ・・・)、季節の変わり目みたいだから体調には気をつけてね。
風邪引いてる人が多いみたいだから。
さてさて、俺が最近ここに書かなかったのは、なんででしょう?
待ってる人がいる(かもしんない)のに。
・・・ちょっとパソコンから離れようと思ったんだ。
ウェブサイトを持ってる人はわかると思うけど、これってちゃんと更新しようと思うとかなり生活に割り込んでくるよね。
んでそこから離れた生活をここ一ヶ月思い出してました。
まぁ、そんなとこです。
実際はパソコンから離れらんなかったんだけどね。苦笑
これからはちょこちょこ書くつもり(あくまでつもり)。
あ、文章だけど、先月ちょっと変わった感じにしたけど、やっぱ無理です、戻します。笑
こっちの方がやっぱ俺は書きやすいや。
あれはトモダチに影響されてなんだけど、そいつの文章は誰かの文章真似てるとかで、物語風になっててさ。
“俺もこんな文章が書けるようになりたい”と思って練習したんだけど・・・ダメだわ、やっぱ。笑
てことで自分の一番書きやすい言葉で書いていこうと思います。
で、今日は“土地への縁”ってことについて書いてみようと思う。
俺ね、旅行好きなんだ。
高校の頃からトモダチと旅行に行ったりするようになって・・・大学でもトモダチと行ったり、サークルで行ったり、一人旅もした。
つるんでる奴らはよく知ってると思う。
んでさ、思うのが“一度行ったところって、縁ができるなぁ”ってこと。
なかなかわかりづらいかもしんないけど、例えばすっげぇちっちゃい頃に行ったことがあるとこって自分に記憶はないかもしんないけど、親がそこについて話してんのを聞いたり、写真で見たりしてるよね。
そーなると、次にそこが出てきたとき親しみ感じたりするじゃん。
そこに行ったことのある人がいると、いきなり仲良くなったような気分になったり。
俺はそーいうのを結構大事にするタチだと自分でも思うんだけど、そう信じさせるような出来事が最近いくつかあったんで紹介すんね。
まずは先月俺が京都に行ったときのこと。
俺がここに行った理由ってのも“修学旅行で行ったあそこにまた行ってみよう”ってものだったんだけど、そこから帰ってきて数日後、ある会社の最終面接(この会社は最終がグループディスカッションなんだけど)、同じグループになった人の中に京都から来てる人がいて、その人につい先日京都にいたこと話したらそこからすげぇ仲良くなってそのグループディスカッションも楽しくできたんだよね(まぁ、結果は落ちちゃったんだけど)。
んでこの前長崎に行ったときのこと。
親父の生まれ故郷で、親父方の親族はいまだにここにいる人もいるんだけど、そんな長崎に俺はこれまた修学旅行以来に行ってきた。こんだけでもかなり縁があんだけど、観光したとこも自分が修学旅行で行ったとこ、ダチが行ってきたって言ってたとこ、そこをまわる途中で現地の人と話す中で教えてもらったとこ、だった。んで帰ってきて数日後、俺が来年から勤めることになる会社の内定者同士の飲み会でのこと。なんと、長崎出身の人が。まぁ言うまでもなく一気に仲良くなれちゃった。
俺ってやっぱ恵まれてんのかもね。こんな続くなんて普通あり得ないもんな。
でも、行ったことによって縁ができたってことは間違いないんだよね。
行ったことがあるってだけでそんときはなにもつながらなくても、あとからつながることがあるっていいなぁと思う。
飲み会の場とかでもそうじゃん。
「どこどこ出身」「実家どこで、今どこに住んでるよ」「学校どこどこだよぉ」「昔そこ住んでた」とか、そん中にちょっとでも共通点あったりするとそれだけでうれしくなったり、世間って狭いなぁなんて感じたりしちゃう。
普段みんなはあんま意識しないことなのかもしんないけど、俺はそんな“縁”を大事にしていこう、と思うんだわ。
これからもずっと。
てことで、みんなの地元に行ったときはよろしく頼むわぁ。
2003年5月29日木曜日
もう一つの視点
つい先日、世界の中の東京、という新たな視点を手に入れた僕。
だが、なんとなく納得いかないことがいくつかあったのでその疑問をいつか解消したいと思っていた。
そして、少し時間に余裕をつくり、銀行に行って話を聞いてきた。
餅は餅屋、蛇の道は蛇。何事も知っている人に聞くのが一番の近道だ、と思っている。
もちろん一人に聞いてそれをそのまま信じるのは危険なので、何人かの意見を総合しなくてはいけないが。
そこでわかったことがある。
どんなに日本がダメだ、と言っても、僕の生活圏は日本。
海外に行くことはあるだろうが、いつかは日本に帰ってくるつもりだ。
ならばわざわざ世界という視野を持つ必要はない、ということ。
為替の変動に左右される、どちらかと言えばリスクの方が目につく外貨預金には、少し自分に資産ができて、そこから余裕を出せるようになってからでも遅くはない、と。
もちろん金利は日本円で預金するよりいいかもしれないが、外貨にするのに手数料がかかり、もちろん戻すのにも手数料がかかるので、メインバンクにするのはただ自分の資産を減らすだけになってしまう危険もある。
日本の銀行では破綻しようが個人の資産はなんとか保険というのがあるため、確実に守られるから安全だという話を聞いたことがある。
そしてそれは外貨預金には適用されないらしい。
この前話を聞いた人は、生活圏がアメリカの人だった。
だから、$ドルで預金することを基本に考えていたし、今日本にいると言ってもいずれは向こうに帰るという前提があった。
僕はそれをそっくりそのまま自分に当てはめていたが、そういう問題ではないことがわかった。
いろいろな要素があって、その自分のおかれた状況で自分に合うものを選ばなければいけない。
僕は何も知らなかったんだな、と少し反省した。
それに加え、東京にもリスクはあるが、それを言うならNYにはテロ、中国近辺にはSARSの危険もある。
他の人の話では今の日本には1ドル150円くらいの価値しかないからいずれそうなるよ、という人もいるし、アメリカのブッシュ政権はどうやら円高ドル安の状態の方が輸出には好都合だからそっちの方向で動きそうだ、と言う人もいる。
そういういろいろなことがあり、だから先が読めない。
そしてそこがリスクであり、おもしろいと感じる人もいるのだろう。
なかなか僕には難しい問題である。
これからじっくり考えようと思った。
だが、なんとなく納得いかないことがいくつかあったのでその疑問をいつか解消したいと思っていた。
そして、少し時間に余裕をつくり、銀行に行って話を聞いてきた。
餅は餅屋、蛇の道は蛇。何事も知っている人に聞くのが一番の近道だ、と思っている。
もちろん一人に聞いてそれをそのまま信じるのは危険なので、何人かの意見を総合しなくてはいけないが。
そこでわかったことがある。
どんなに日本がダメだ、と言っても、僕の生活圏は日本。
海外に行くことはあるだろうが、いつかは日本に帰ってくるつもりだ。
ならばわざわざ世界という視野を持つ必要はない、ということ。
為替の変動に左右される、どちらかと言えばリスクの方が目につく外貨預金には、少し自分に資産ができて、そこから余裕を出せるようになってからでも遅くはない、と。
もちろん金利は日本円で預金するよりいいかもしれないが、外貨にするのに手数料がかかり、もちろん戻すのにも手数料がかかるので、メインバンクにするのはただ自分の資産を減らすだけになってしまう危険もある。
日本の銀行では破綻しようが個人の資産はなんとか保険というのがあるため、確実に守られるから安全だという話を聞いたことがある。
そしてそれは外貨預金には適用されないらしい。
この前話を聞いた人は、生活圏がアメリカの人だった。
だから、$ドルで預金することを基本に考えていたし、今日本にいると言ってもいずれは向こうに帰るという前提があった。
僕はそれをそっくりそのまま自分に当てはめていたが、そういう問題ではないことがわかった。
いろいろな要素があって、その自分のおかれた状況で自分に合うものを選ばなければいけない。
僕は何も知らなかったんだな、と少し反省した。
それに加え、東京にもリスクはあるが、それを言うならNYにはテロ、中国近辺にはSARSの危険もある。
他の人の話では今の日本には1ドル150円くらいの価値しかないからいずれそうなるよ、という人もいるし、アメリカのブッシュ政権はどうやら円高ドル安の状態の方が輸出には好都合だからそっちの方向で動きそうだ、と言う人もいる。
そういういろいろなことがあり、だから先が読めない。
そしてそこがリスクであり、おもしろいと感じる人もいるのだろう。
なかなか僕には難しい問題である。
これからじっくり考えようと思った。
2003年5月26日月曜日
世界の中の東京
今日、僕は世界の中の東京、ということを感じた気がした。
と言うとよくわからないかもしれないが、確かにそうなんだ。
時刻はすでに18時をまわっていた。
ここは上智大の中。
この前来た時と違い、授業の終わった学生で溢れた構内は騒がしかった。
そんな中、僕は去年の夏に初めて出会った友達と花見以来の再会を果たした。
そして、その場を離れ、共に夕食を食べにある店に来ていた。
そこで聞いた話が、非常に興味深い話であったので、少し紹介したいと思う。
僕はすでに就職活動を終えた身であったが、もしこの場に就職活動中であり、そして志望業界が銀行・生保などの金融系の人がいたならば、僕なんかよりもっと参考になったのではないか。
みなさんは東京に住む、ということをどう考えているだろうか?
僕のような若者にとって、東京で一人暮らしをすることは一度はしてみたい夢であり、ステータスにもなりうると思う。
そして、老後になるまでは東京にいたい、というのが僕の考え方だった。
さっきまでの僕ならば。
それを悪く言う気はさらさらないが、僕が今日再認識した事実をみなさんが聞いた上で、どう思うか決めても遅くはないのではないかと思う。
今日、震度6という大きな地震があった。
僕は外に出ていたのでほとんど影響を受けなかったのだが、電車に乗っていた友達は電車が止まってしまって身動きがとれなくなったりしていたらしい。
みなさんの知っているとおり、日本は地震の多い国である。
常に大地震に襲われる可能性がありながら、僕達は十分な対応策を持たずに日々を過ごしている気がする。
日ごろの行いの良い僕(反論は一切受け付けない)などは、”大地震が起こったところで自分だけは生き残れる”という妙な自信を持っていたりもする。
では、実際にそんな大地震が起こったらどうなるか?
最近建築された建物は倒れないかもしれない。
というのも、六本木ヒルズなどは森ビルの社長である森さんの、「大地震が起きたとき逃げ出す街ではなく、逃げ込む街をつくりたい」というコンセプトに基づき設計をしているからである。
しかし、まず間違いなく、僕の今住んでるアパートはつぶれてしまうか、火事で燃え尽きてしまうだろう。
台風が来ただけでもぐらぐら揺れている築○十年のこのボロアパートが、とても大地震に耐えうるとは僕には考えられない。
そして、火事。
これは僕のボロアパートを含む木造の家に住んでいる人たちには避けては通れない災害となるであろう。
そして、その火事が引き起こすのが、爆発。
東京に大地震が起こったとき、その爆発の火種として非常に数も多く、危険なものは何か。
車である。
普段は便利かもしれないが、そんな大災害が起こったとき、車は大きな爆弾となる。
車がそこかしこで爆発をしだすと、もう僕達にはどうにもならない状況になってしまう気がする。
今なにげなく吸っている空気もこのままなはずがなく、火事や爆発などで熱せられ非常に高温になった空気の中で、僕達に何ができると言うのだろうか。
ただここまでの話は単なる過程の話であって、実際に起こったときにそうなるかはわからないし、第一大地震が起こらなければ別に僕達にはなにも関係のないこと、と言ってしまえるのかもしれない。
それでは、最近は地震が多いが、大地震の起こる確率はどのぐらいあるのだろう?
ある資料によると、大地震というのは70年を1サイクルとして起こっているらしい。
それでは、前回の大地震はいつになるのか?
みなさん知っての通り、1923年の関東大震災となる。
もしその資料があっているとしたら、すでに70年を超え80年目に入っている今、大地震が起こらない、ということはできるだろうか。
残念ながら、僕には断言することはできない。
むしろ近いうちに大地震が起こってしまうのではないか、この先20年、30年と東京はあり続けるのか、と不安になってしまう。
この予想が杞憂に終わることを祈るばかりであるが、ではそんな東京の現状を把握した上で、東京に住み続けること、メインバンクを日本の銀行にしておくことについて考えてみたい。
私見ではあるが世界の中の日本、世界の中の東京、という観点から見て、これほど先の見えない都市も少ないのではないだろうか。
いつ大地震が起こるかわからない世界でも稀に見る地震地帯に位置し、政治も混乱を極め、銀行はメガバンクと言われる4銀行全てが赤字。
政財界に癒着がはびこり景気の良くなる兆しもないまま、それでも人々はブランドバックを買いあさり、勉強すること、知性を磨くことを避けて通ろうとする。
全ての人たちがそうだ、とは言わないが世界の人たちから日本人がバカにされるのもわからなくもない気がしてくる。
海外の都市を見渡せば、地震などほとんど起こらず、東京と同じような生活のできるところはごろごろあるのではないだろうか。
もともと僕は政治や経済に興味はないが、それでも今の日本があまり良くないことくらいわかる。
それが全てとは言わないが、僕は今の日本に、というか東京には家を持つ必要はないのではないか、と感じた。
家を持つなら家族のためにも地震があっても大丈夫な場所に。
まぁそれは1大学生の僕にはまだかなり先の話になるだろうが。
そして、メインバンクを日本の銀行にしておくこと、これはどうなのだろう?
僕の場合、よく考えもしないで大学にもあって便利な郵便局を使っているのだが、メインバンクを日本の銀行にしている人も少なくないと思う。
というか、ほとんどの人がそうかもしれない。
例えば今預金している銀行が赤字を出している。
僕達に直接の影響はないかもしれない。
それでも、あまりいい気分はしない。
そんな銀行の利率が1%、そして一方世界で通用する外貨を扱う銀行の利率が5%だとする。
みなさんはどちらを選ぶのだろうか?
もちろん外貨で預金をすることには僕も多少の抵抗はある。
安定を求めるなら、無難に日本の銀行の方がいいのだろうか?
ついそう考えてしまう。
ただ、この安定という言葉、少しひっかかる。
¥エンと$ドル、果たしてどちらが安定していると言えるのだろうか?
僕は必ずしも¥が安定しているとは言えないような気がする。
こんな不安定な情勢の中で、世界的な基準がどちらか、という点から言って僕は$に1票入れたいと思う。
もしかしたら反論したい方もいるかもしれない。
そんな人はどうぞ教えてください。メールお待ちしています。
いつ大地震の起こるかわからない日本でのみ使われている¥がどこまで安定していると言えるのか?
もしそのようなことが起きた場合、¥の価値というものはどれ程下がってしまうものなのか?
今まですごく価値のあった札束が、わずか2,3秒で紙切れ同然になったりすることは考えられるのか?
僕はみなさんに少し考えた方がいいのではないか、と言っておきたい。
世界は広く、可能性は無限。
東京に固執して自分の人生を捨てるようなことになったら、それはすごく悲しいことだと思う。
さて、そろそろ時間もなくなってきたので僕は自分の仕事に戻るけど、みなさんはどうする?
願わくば、この先の人生を自分がどう過ごすか少し考えて欲しい。
そして、一度しかない人生を共に楽しもう。
じゃ、また。
と言うとよくわからないかもしれないが、確かにそうなんだ。
時刻はすでに18時をまわっていた。
ここは上智大の中。
この前来た時と違い、授業の終わった学生で溢れた構内は騒がしかった。
そんな中、僕は去年の夏に初めて出会った友達と花見以来の再会を果たした。
そして、その場を離れ、共に夕食を食べにある店に来ていた。
そこで聞いた話が、非常に興味深い話であったので、少し紹介したいと思う。
僕はすでに就職活動を終えた身であったが、もしこの場に就職活動中であり、そして志望業界が銀行・生保などの金融系の人がいたならば、僕なんかよりもっと参考になったのではないか。
みなさんは東京に住む、ということをどう考えているだろうか?
僕のような若者にとって、東京で一人暮らしをすることは一度はしてみたい夢であり、ステータスにもなりうると思う。
そして、老後になるまでは東京にいたい、というのが僕の考え方だった。
さっきまでの僕ならば。
それを悪く言う気はさらさらないが、僕が今日再認識した事実をみなさんが聞いた上で、どう思うか決めても遅くはないのではないかと思う。
今日、震度6という大きな地震があった。
僕は外に出ていたのでほとんど影響を受けなかったのだが、電車に乗っていた友達は電車が止まってしまって身動きがとれなくなったりしていたらしい。
みなさんの知っているとおり、日本は地震の多い国である。
常に大地震に襲われる可能性がありながら、僕達は十分な対応策を持たずに日々を過ごしている気がする。
日ごろの行いの良い僕(反論は一切受け付けない)などは、”大地震が起こったところで自分だけは生き残れる”という妙な自信を持っていたりもする。
では、実際にそんな大地震が起こったらどうなるか?
最近建築された建物は倒れないかもしれない。
というのも、六本木ヒルズなどは森ビルの社長である森さんの、「大地震が起きたとき逃げ出す街ではなく、逃げ込む街をつくりたい」というコンセプトに基づき設計をしているからである。
しかし、まず間違いなく、僕の今住んでるアパートはつぶれてしまうか、火事で燃え尽きてしまうだろう。
台風が来ただけでもぐらぐら揺れている築○十年のこのボロアパートが、とても大地震に耐えうるとは僕には考えられない。
そして、火事。
これは僕のボロアパートを含む木造の家に住んでいる人たちには避けては通れない災害となるであろう。
そして、その火事が引き起こすのが、爆発。
東京に大地震が起こったとき、その爆発の火種として非常に数も多く、危険なものは何か。
車である。
普段は便利かもしれないが、そんな大災害が起こったとき、車は大きな爆弾となる。
車がそこかしこで爆発をしだすと、もう僕達にはどうにもならない状況になってしまう気がする。
今なにげなく吸っている空気もこのままなはずがなく、火事や爆発などで熱せられ非常に高温になった空気の中で、僕達に何ができると言うのだろうか。
ただここまでの話は単なる過程の話であって、実際に起こったときにそうなるかはわからないし、第一大地震が起こらなければ別に僕達にはなにも関係のないこと、と言ってしまえるのかもしれない。
それでは、最近は地震が多いが、大地震の起こる確率はどのぐらいあるのだろう?
ある資料によると、大地震というのは70年を1サイクルとして起こっているらしい。
それでは、前回の大地震はいつになるのか?
みなさん知っての通り、1923年の関東大震災となる。
もしその資料があっているとしたら、すでに70年を超え80年目に入っている今、大地震が起こらない、ということはできるだろうか。
残念ながら、僕には断言することはできない。
むしろ近いうちに大地震が起こってしまうのではないか、この先20年、30年と東京はあり続けるのか、と不安になってしまう。
この予想が杞憂に終わることを祈るばかりであるが、ではそんな東京の現状を把握した上で、東京に住み続けること、メインバンクを日本の銀行にしておくことについて考えてみたい。
私見ではあるが世界の中の日本、世界の中の東京、という観点から見て、これほど先の見えない都市も少ないのではないだろうか。
いつ大地震が起こるかわからない世界でも稀に見る地震地帯に位置し、政治も混乱を極め、銀行はメガバンクと言われる4銀行全てが赤字。
政財界に癒着がはびこり景気の良くなる兆しもないまま、それでも人々はブランドバックを買いあさり、勉強すること、知性を磨くことを避けて通ろうとする。
全ての人たちがそうだ、とは言わないが世界の人たちから日本人がバカにされるのもわからなくもない気がしてくる。
海外の都市を見渡せば、地震などほとんど起こらず、東京と同じような生活のできるところはごろごろあるのではないだろうか。
もともと僕は政治や経済に興味はないが、それでも今の日本があまり良くないことくらいわかる。
それが全てとは言わないが、僕は今の日本に、というか東京には家を持つ必要はないのではないか、と感じた。
家を持つなら家族のためにも地震があっても大丈夫な場所に。
まぁそれは1大学生の僕にはまだかなり先の話になるだろうが。
そして、メインバンクを日本の銀行にしておくこと、これはどうなのだろう?
僕の場合、よく考えもしないで大学にもあって便利な郵便局を使っているのだが、メインバンクを日本の銀行にしている人も少なくないと思う。
というか、ほとんどの人がそうかもしれない。
例えば今預金している銀行が赤字を出している。
僕達に直接の影響はないかもしれない。
それでも、あまりいい気分はしない。
そんな銀行の利率が1%、そして一方世界で通用する外貨を扱う銀行の利率が5%だとする。
みなさんはどちらを選ぶのだろうか?
もちろん外貨で預金をすることには僕も多少の抵抗はある。
安定を求めるなら、無難に日本の銀行の方がいいのだろうか?
ついそう考えてしまう。
ただ、この安定という言葉、少しひっかかる。
¥エンと$ドル、果たしてどちらが安定していると言えるのだろうか?
僕は必ずしも¥が安定しているとは言えないような気がする。
こんな不安定な情勢の中で、世界的な基準がどちらか、という点から言って僕は$に1票入れたいと思う。
もしかしたら反論したい方もいるかもしれない。
そんな人はどうぞ教えてください。メールお待ちしています。
いつ大地震の起こるかわからない日本でのみ使われている¥がどこまで安定していると言えるのか?
もしそのようなことが起きた場合、¥の価値というものはどれ程下がってしまうものなのか?
今まですごく価値のあった札束が、わずか2,3秒で紙切れ同然になったりすることは考えられるのか?
僕はみなさんに少し考えた方がいいのではないか、と言っておきたい。
世界は広く、可能性は無限。
東京に固執して自分の人生を捨てるようなことになったら、それはすごく悲しいことだと思う。
さて、そろそろ時間もなくなってきたので僕は自分の仕事に戻るけど、みなさんはどうする?
願わくば、この先の人生を自分がどう過ごすか少し考えて欲しい。
そして、一度しかない人生を共に楽しもう。
じゃ、また。
2003年5月23日金曜日
誕生日
なんかひさびさだね、メールすんの。すいません!
なんかまとまった時間がなくて、ついつい「今度でいっか」ってなっちゃってたんだよね。
ここんとこ天気の良くない日が続いてるけど、みんなはいかがお過ごしかな?
SARS日本上陸か、なんてことも言われだしてるけどまぁまだまだ大丈夫でしょ。もしも感染したりしたら、もしか感染源俺かもしんないから、そこんとこよろしくぅ。ちょうど俺が京都行ってるときに京都にいたらしいじゃん?感染源。まぁ大丈夫だとは思うけど・・・。
んでそんなこんなで、ここんとこいろいろありすぎてバタバタしてたんで軽く話していこうと思います(てっかこれ話すのって誰のためって俺のためが一番なんだけどね。記録として残しておきたいってのがもともとの始まりだからv(^o^ ))。
まず9日。就活もまわるのは終えて、あとは結果待って自分がお世話になる会社決めるだけって状態んなった。手ごたえ的には「ぜってぇ内定だわ(-_☆)V」てわけじゃなかったけど、「こりゃダメだ(+。+)」てわけでもなかった。ま、運が良けりゃ内定なんじゃねぇの?くらいな感じで。
んで10日。この日は待ちに待った(かなりプレッシャー他に苦しめられたけど)パーティー。
「中大を元気にする会」のイベントの一つとしてやったんだけど、ぶっちゃけた話幹事の俺とYの二人でやったようなもんだったね。
当日は(男多かったけど)80~90くらいの人数が集まったんだよね。
社会人から、大学院生、もちろん大学生も専門生なんかもいたんじゃないかな?
俺的には同じ高校のダチ呼んでて、そいつらと何年か振りに会えたのが懐かしかった。
あとは、俺の呼びかけに応えてくれた先輩方も普段はあんまり会う機会がないからいい再会の場になったよね。よかよか。
ほんとは色んな人に声かけてたし、もっと人数集めたかったんだけど、まぁ俺とタメな奴らはみんな就活中だったりで忙しいみたいで。
でも、そーいう人たちが「今回は残念ながら行けないけど、またやるときはぜひ誘ってよ!」って言ってくれるのはうれしかった。
社交辞令かもしんなかったけどね。
このパーティーの理想は合同同窓会なんだ。
地元の奴らから、同じ中学、高校、大学の奴らまで、大学の中でも同じ学科であったりサークルであったりってそれぞれが持ついろんなコミュニティーを一気にかき集めて同窓会やっちまえ!みたいなさ。
なかなか揃って集まれる機会も少ないんだし、そういう機会がただ「懐かしいね~」っていうだけで終わっちゃうのもなんか寂しいかなって。
どーせなら色んな人と交流する中で旧交を温めたりだとか、交流のない分野の人から話を聞いて新たに自分の世界広げるだとかってのが一気にできたらって思ったんだよね。
んでそんときに間に入って紹介できる人がいれば仲良くもなりやすいっしょ。酒の勢いも追い風になってくれるだろうしさ。
俺と同じ中学の奴らと同じ高校の奴らがここで仲良くなって、普通に一緒につるむようになったら、この飲み会やって良かったなって自分でも感じれるんじゃないかなって思う。
ただ・・・開催すんのすっげぇ疲れるんで、半年に1回くらいんなっちゃうかなぁ。
ま、またどっかでやろうとは思ってるよ。
詳しくは写真館見てくださいな。
続いて16日は誕生日でした。
つっても何もしてないんすけど・・・┐(´ー`)┌免許の更新したくらいかな。
いやぁ、しけた誕生日だったわ。
あ、そうそう自分のお世話になる会社を決定して、他の内定もらってる会社の辞退が完了したのもこの日だったね。
大げさかもだけど、「自分の一生を決定した誕生日」ってことになんのかな。
んで17日はROWのコンサート見に行ってきた。
ROW(Rondalla On Wheels)ってのは、フィリピンの車椅子楽団のことなんだけど、知ってる?
知らないよね?てか知ってるわけないんだけど、だから俺がここで紹介しておきたいと思う。
すごくいいことしてると思うから、ぜひみんなにも知って欲しいんだ。
Rondalla(ロンダリア)ってのは、フィリピン特有の弦楽合奏団を意味するらしい。
19世紀後半、フィリピンではスペイン統治時代末期に、植民地の効果的統合目的で始まったんだけど、同時に娯楽や社会的交流手段としても、フィリピンの社会に普及していったんだってさ。んでアメリカ植民地時代に入ると急速に広まり、フィリピン独特の音楽形態の一つとなるに至ったそうな。
んでここで演奏されている楽器が主に2つあって、それがBANDURIA(バンドゥリア)とOCTAVINA(オクタヴィーナ)。
バンドゥリアはハートを逆さにしたような形で、フィンガーボードとチューニングボードがついた14弦楽器だそうだ。14本の弦は6つのグループに分かれてて、この弦をプレクトラム(ツメ)で弾く楽器。
オクタヴィーナはギターのような形をした14弦楽器で、弦のグループはバンドゥリアに似てるけど、バンドゥリアよりも1オクターブ低く調弦されてっから幅広い音が出んだってさ。
まぁ、アコギみたいの想像してもらえれば問題ないね。
で、on Wheelsってのは分かるかな?直訳すると「車椅子の」ってことなんだけど、身体障害を持つ貧困家庭の子供による活動ってことなんだ。
俺がこれを知ったのは、「ふれんどしっぷASIA」っていうNGOでROWの受け入れみたいなことやってる先輩Kがいて、その人に誘われたのがきっかけだった。
「Kiji、俺の団体で今度コンサートやるから見に来てよ。」って。
まぁ予定もなかったしちょっと興味あったから行ってみたってのが正直なとこかな。
んで演奏聞いてみたら、すごくよかった。
これは実際に聞かせてあげらんないのが残念だけど、聞いた人にしかわかんないと思うからあえて言葉にはしないでおくよ。
「本当に障害持った人たちなの?」って思った。
あとはね、曲目がちょっと気になったね。
多分わざとだと思うけど、自然ってのを意識したものばっかだった。
日本の歌はさ、(これは俺の思い込みかもしんないけど)恋愛ものとかって多いじゃん?
でもさ、ここで演奏されていた曲は、”田植え歌”、”夜明け”、”グリーンスリーブズ”とか、日本の曲だと”花”、”浜辺の歌”みたいなものだったんだ。
これが俺の印象に強く残った。
”大地と共に生きる”っていうことが、すごく大事にされてるっていうか。
「自分は地球っていう星で生きているみんなの中の一人なんだ」っていうことを認識させられた。
あと印象に残ったのは、その一人が言ってた言葉の中に、
「僕たちをあわれまないで下さい。普通に接して下さい。」
ていうものがあったこと。社会ん中でしっかり生きていこうっていう意思を感じた。
んで俺は、正直強いなって思った。
俺と年もあんま変わんないのに。障害持ってんのに。今まですごく傷ついたこともあったろうに、そしてこれからもそういう風に接してくる人もいるだろうと思うのに、なんだってこの人たちはこんなに前向きに生きてんだろう!って。
演奏だってすばらしいものがあるし、なにより精神的に俺なんか歯が立たないんじゃないかって。
もし俺がその立場にいたら「もういいよぉ・・・」って人生投げ出しちゃうかもしんないと思うと、なおさらだった。
~大切なのは「何ができないか」ではなく、「何ができるか」である~
四ツ谷にある上智の聖イグナチオ教会ってとこでやったんだけど、結構人来てたなぁ~。
キャパ300くらいって言ってたから200弱くらい来てたんじゃない?
俺らが知らないとこにもすげぇ奴らっていっぱいいるんだぜ?俺らも負けてらんねぇな。
んでその後、新宿でBreakersの先輩達と飲んだ。
俺誕生日ってことでプレゼントもらっちゃった~☆どぉもありがとね!
19日、学科のダチが俺ら(5月生まれ)の誕生会を開いてくれた。
まぁ俺らはつるんでる人数も多いし毎月やってることなんだけどね。
それでも、自分が祝ってもらう立場で参加するときはうれしいもんだよね、改めてみんなありがとう!
それにしてもこの日は飲んだなぁ~、あれがいけねんだよ!ウイスキーが!
あれで完全にスイッチ入らしてもらったもんな。
ごめん途中でトイレ行って。
無理だった。けどちっと自分にショックだった。
まぁ、帰ってきて全部空けたんだから結果オーライってことで。
これからもよろしくやってこうぜ!!!
てめぇら自分の誕生日んときは覚悟しとけYO!ぜってぇツブします♪
っとまぁかいつまむとこんな感じで過ごしてました。
誕生日を祝ってくれた人たち、ほんとにありがとう!これからもよろしくお願いします。
ほんとはもっといろいろあるんだけどこれ以上長くなると読むのメンドイだろうし・・・
てことで今回はこの辺で、GOD BLESS THE FREAKS!!!
なんかまとまった時間がなくて、ついつい「今度でいっか」ってなっちゃってたんだよね。
ここんとこ天気の良くない日が続いてるけど、みんなはいかがお過ごしかな?
SARS日本上陸か、なんてことも言われだしてるけどまぁまだまだ大丈夫でしょ。もしも感染したりしたら、もしか感染源俺かもしんないから、そこんとこよろしくぅ。ちょうど俺が京都行ってるときに京都にいたらしいじゃん?感染源。まぁ大丈夫だとは思うけど・・・。
んでそんなこんなで、ここんとこいろいろありすぎてバタバタしてたんで軽く話していこうと思います(てっかこれ話すのって誰のためって俺のためが一番なんだけどね。記録として残しておきたいってのがもともとの始まりだからv(^o^ ))。
まず9日。就活もまわるのは終えて、あとは結果待って自分がお世話になる会社決めるだけって状態んなった。手ごたえ的には「ぜってぇ内定だわ(-_☆)V」てわけじゃなかったけど、「こりゃダメだ(+。+)」てわけでもなかった。ま、運が良けりゃ内定なんじゃねぇの?くらいな感じで。
んで10日。この日は待ちに待った(かなりプレッシャー他に苦しめられたけど)パーティー。
「中大を元気にする会」のイベントの一つとしてやったんだけど、ぶっちゃけた話幹事の俺とYの二人でやったようなもんだったね。
当日は(男多かったけど)80~90くらいの人数が集まったんだよね。
社会人から、大学院生、もちろん大学生も専門生なんかもいたんじゃないかな?
俺的には同じ高校のダチ呼んでて、そいつらと何年か振りに会えたのが懐かしかった。
あとは、俺の呼びかけに応えてくれた先輩方も普段はあんまり会う機会がないからいい再会の場になったよね。よかよか。
ほんとは色んな人に声かけてたし、もっと人数集めたかったんだけど、まぁ俺とタメな奴らはみんな就活中だったりで忙しいみたいで。
でも、そーいう人たちが「今回は残念ながら行けないけど、またやるときはぜひ誘ってよ!」って言ってくれるのはうれしかった。
社交辞令かもしんなかったけどね。
このパーティーの理想は合同同窓会なんだ。
地元の奴らから、同じ中学、高校、大学の奴らまで、大学の中でも同じ学科であったりサークルであったりってそれぞれが持ついろんなコミュニティーを一気にかき集めて同窓会やっちまえ!みたいなさ。
なかなか揃って集まれる機会も少ないんだし、そういう機会がただ「懐かしいね~」っていうだけで終わっちゃうのもなんか寂しいかなって。
どーせなら色んな人と交流する中で旧交を温めたりだとか、交流のない分野の人から話を聞いて新たに自分の世界広げるだとかってのが一気にできたらって思ったんだよね。
んでそんときに間に入って紹介できる人がいれば仲良くもなりやすいっしょ。酒の勢いも追い風になってくれるだろうしさ。
俺と同じ中学の奴らと同じ高校の奴らがここで仲良くなって、普通に一緒につるむようになったら、この飲み会やって良かったなって自分でも感じれるんじゃないかなって思う。
ただ・・・開催すんのすっげぇ疲れるんで、半年に1回くらいんなっちゃうかなぁ。
ま、またどっかでやろうとは思ってるよ。
詳しくは写真館見てくださいな。
続いて16日は誕生日でした。
つっても何もしてないんすけど・・・┐(´ー`)┌免許の更新したくらいかな。
いやぁ、しけた誕生日だったわ。
あ、そうそう自分のお世話になる会社を決定して、他の内定もらってる会社の辞退が完了したのもこの日だったね。
大げさかもだけど、「自分の一生を決定した誕生日」ってことになんのかな。
んで17日はROWのコンサート見に行ってきた。
ROW(Rondalla On Wheels)ってのは、フィリピンの車椅子楽団のことなんだけど、知ってる?
知らないよね?てか知ってるわけないんだけど、だから俺がここで紹介しておきたいと思う。
すごくいいことしてると思うから、ぜひみんなにも知って欲しいんだ。
Rondalla(ロンダリア)ってのは、フィリピン特有の弦楽合奏団を意味するらしい。
19世紀後半、フィリピンではスペイン統治時代末期に、植民地の効果的統合目的で始まったんだけど、同時に娯楽や社会的交流手段としても、フィリピンの社会に普及していったんだってさ。んでアメリカ植民地時代に入ると急速に広まり、フィリピン独特の音楽形態の一つとなるに至ったそうな。
んでここで演奏されている楽器が主に2つあって、それがBANDURIA(バンドゥリア)とOCTAVINA(オクタヴィーナ)。
バンドゥリアはハートを逆さにしたような形で、フィンガーボードとチューニングボードがついた14弦楽器だそうだ。14本の弦は6つのグループに分かれてて、この弦をプレクトラム(ツメ)で弾く楽器。
オクタヴィーナはギターのような形をした14弦楽器で、弦のグループはバンドゥリアに似てるけど、バンドゥリアよりも1オクターブ低く調弦されてっから幅広い音が出んだってさ。
まぁ、アコギみたいの想像してもらえれば問題ないね。
で、on Wheelsってのは分かるかな?直訳すると「車椅子の」ってことなんだけど、身体障害を持つ貧困家庭の子供による活動ってことなんだ。
俺がこれを知ったのは、「ふれんどしっぷASIA」っていうNGOでROWの受け入れみたいなことやってる先輩Kがいて、その人に誘われたのがきっかけだった。
「Kiji、俺の団体で今度コンサートやるから見に来てよ。」って。
まぁ予定もなかったしちょっと興味あったから行ってみたってのが正直なとこかな。
んで演奏聞いてみたら、すごくよかった。
これは実際に聞かせてあげらんないのが残念だけど、聞いた人にしかわかんないと思うからあえて言葉にはしないでおくよ。
「本当に障害持った人たちなの?」って思った。
あとはね、曲目がちょっと気になったね。
多分わざとだと思うけど、自然ってのを意識したものばっかだった。
日本の歌はさ、(これは俺の思い込みかもしんないけど)恋愛ものとかって多いじゃん?
でもさ、ここで演奏されていた曲は、”田植え歌”、”夜明け”、”グリーンスリーブズ”とか、日本の曲だと”花”、”浜辺の歌”みたいなものだったんだ。
これが俺の印象に強く残った。
”大地と共に生きる”っていうことが、すごく大事にされてるっていうか。
「自分は地球っていう星で生きているみんなの中の一人なんだ」っていうことを認識させられた。
あと印象に残ったのは、その一人が言ってた言葉の中に、
「僕たちをあわれまないで下さい。普通に接して下さい。」
ていうものがあったこと。社会ん中でしっかり生きていこうっていう意思を感じた。
んで俺は、正直強いなって思った。
俺と年もあんま変わんないのに。障害持ってんのに。今まですごく傷ついたこともあったろうに、そしてこれからもそういう風に接してくる人もいるだろうと思うのに、なんだってこの人たちはこんなに前向きに生きてんだろう!って。
演奏だってすばらしいものがあるし、なにより精神的に俺なんか歯が立たないんじゃないかって。
もし俺がその立場にいたら「もういいよぉ・・・」って人生投げ出しちゃうかもしんないと思うと、なおさらだった。
~大切なのは「何ができないか」ではなく、「何ができるか」である~
四ツ谷にある上智の聖イグナチオ教会ってとこでやったんだけど、結構人来てたなぁ~。
キャパ300くらいって言ってたから200弱くらい来てたんじゃない?
俺らが知らないとこにもすげぇ奴らっていっぱいいるんだぜ?俺らも負けてらんねぇな。
んでその後、新宿でBreakersの先輩達と飲んだ。
俺誕生日ってことでプレゼントもらっちゃった~☆どぉもありがとね!
19日、学科のダチが俺ら(5月生まれ)の誕生会を開いてくれた。
まぁ俺らはつるんでる人数も多いし毎月やってることなんだけどね。
それでも、自分が祝ってもらう立場で参加するときはうれしいもんだよね、改めてみんなありがとう!
それにしてもこの日は飲んだなぁ~、あれがいけねんだよ!ウイスキーが!
あれで完全にスイッチ入らしてもらったもんな。
ごめん途中でトイレ行って。
無理だった。けどちっと自分にショックだった。
まぁ、帰ってきて全部空けたんだから結果オーライってことで。
これからもよろしくやってこうぜ!!!
てめぇら自分の誕生日んときは覚悟しとけYO!ぜってぇツブします♪
っとまぁかいつまむとこんな感じで過ごしてました。
誕生日を祝ってくれた人たち、ほんとにありがとう!これからもよろしくお願いします。
ほんとはもっといろいろあるんだけどこれ以上長くなると読むのメンドイだろうし・・・
てことで今回はこの辺で、GOD BLESS THE FREAKS!!!
2003年5月9日金曜日
新浦安
今日で就活もとりあえず終わりかな。
あとは結果待って自分のお世話になるとこを決めるだけ、て感じ。
んで、とりあえず一段落したってことで就活の帰りに新浦安(東京ディズニーランドのある舞浜って駅の隣駅)に寄ってきた。
なんで寄ったかっていうと、まぁ「なんとなく」なんだけど。
昔、もう14年も前になるけど、ここに住んでたんだよね。
もう記憶あいまいになってっけど。
ザミーが自分のサイトでちょっと前に言ってたけど、引越す前と引っ越した後ってのは空間的なつながりがない。
そこで遊んでた奴らとも連絡も取らなくなっちゃうことが多いから、本当に昔俺はそこに住んでたのか疑問に感じることもあるんだよね。
まぁ俺の場合はそこまで違う世界みたいに感じることも少ないんだけど・・・でも今日は久々に街歩いてて嬉しくなった。
こういう感じって今まであんま味わったことなかったな。
なんか新しい街を歩くときのワクワク感とはちょっと違って、思い出にふけりながら、
そこを歩いてる人たちと同じ道を歩いてんだけど、流れてる時間は俺だけ違う、みたいな。
わかるかな?
俺の周り、俺の見てる景色はそこにあるそのままじゃなくて、やっぱり「昔はこうだったけど、今はこうなってんだぁ」みたいんなってんだよね。
でもすげぇなぁ、ほんと。
京都に行ったときも感じたんだけど、記憶って頭に残るもんってのも確かにあるもんだけど、場所に宿るんだなぁってはっきり思った。
14年も前に住んでた場所でも、駅からの道は覚えてた(そんなに駅に行った記憶はなかったんだけど)。
その当時あったコンビ二を見つけたとき、一気に記憶がよみがえってきた。
「そういやここでビックリマンとかガンダムとか買ってたんだよなぁ~。」「あの頃はよく集めてたよなぁ。」「んじゃこの奥がマリーナイースト21か。」「変わってねぇ~。」「公園とかあったよなぁ。」「サッカー初めてやったのもここだったっけ。」「窓ガラスに囲まれたホールみたいのが・・・あぁ~そうそうこれこれ!」「この辺にチャリ停めてたっけ。」「確かこのマンションに誰か住んでたよな。」「この道も全然変わってねぇなぁ。」「こっちは開発されてなかったんだよなぁ。」「あ、ここ俺が怪我した場所だ。」
なんて思いながら、そこから昔の俺んちのあるマンション(社宅)に向かった。
「あ~そうそうこんな道だった!」「そうだ近くにバス停あったかも。」「駐車場の前の・・・あそこかな?俺の住んでたとこって。」「このマンションも14年経っても変わんねんだなぁ。」「そうそうこんな公園だった!」「ここに動物の奴が・・・やっぱあったぁ!」「この坂こんなちっちゃかったっけ。もっと大きかった気がしたんだけどなぁ~。」「このテニスコートは・・・あったかも。使わなかったからわかんないや。」「そうそうこれこれ、これに乗って遊んでたなぁ。」「あの頃は新しかったんだけどなぁ・・・」「この道はこんな感じだったね。」「あそこにあいつが住んでたんだよ。」「こっちは開発されてなかったんだけどなぁ。」「この道はここまではできてたな。」「いや~あんときのまんまじゃん。」「テトラポッドみたいな遊具あったなぁ、見るまで思い出せなかったけど」「木登りして枝折ったっけ。」「ミニ四駆とかもつくったよなぁ。」「ここ超えてこっちは空き地だったんだけどなぁ、んでちょっと行くと海が・・・」「あれ?海なくなってんじゃん。」「しかも私有地・・・入れない。」「カエルとかも取ったよなぁ。」「道は昔のままなんだな。」「あ、中学校が出来てら。」「小学校はどうなってっかな。」「あった~!」「うわ懐かし~。」「我が母校!」「こっちにはプール・・・お、あったあった。」「ここにでっかいネットあったんだけどなぁ。」「あの小山はなかったっぽいな。」「へ~あんときは小さい小学校だったのになぁ。」「あそこでドッジボールとかしてたんだよなぁ。」「あ、この玄関なつかし~。」「そういや雪降ったときとかあったよなぁ。」「この2階のこの教室でガリバー作ったんだよね。」「もう知ってる先生とかいないんだろうなぁ。」「ここの1期生ですって職員室行ってみよっかな。」「あ、この校門はあんときのままだ。」「こっちの階段はあんま使わなかったんだよなぁ。」「裏にうさぎ小屋があったっけ。」「んであっちに幼稚園・・・と。」「へ~この道もあんときのままかぁ。」
なんてすっげぇ思い出にふけりながら歩いてた。一緒に遊んでた友達の名前ももう思い出せなくなってたのに、ここに来たらどんどん出てきて、なんかここにいたら会えるんじゃないか、なんて考えちゃったよ。
いや~、絶対また来よ!
多分今住んでる場所も、地元もこうやって思い出になっていくのかな。
あとは結果待って自分のお世話になるとこを決めるだけ、て感じ。
んで、とりあえず一段落したってことで就活の帰りに新浦安(東京ディズニーランドのある舞浜って駅の隣駅)に寄ってきた。
なんで寄ったかっていうと、まぁ「なんとなく」なんだけど。
昔、もう14年も前になるけど、ここに住んでたんだよね。
もう記憶あいまいになってっけど。
ザミーが自分のサイトでちょっと前に言ってたけど、引越す前と引っ越した後ってのは空間的なつながりがない。
そこで遊んでた奴らとも連絡も取らなくなっちゃうことが多いから、本当に昔俺はそこに住んでたのか疑問に感じることもあるんだよね。
まぁ俺の場合はそこまで違う世界みたいに感じることも少ないんだけど・・・でも今日は久々に街歩いてて嬉しくなった。
こういう感じって今まであんま味わったことなかったな。
なんか新しい街を歩くときのワクワク感とはちょっと違って、思い出にふけりながら、
そこを歩いてる人たちと同じ道を歩いてんだけど、流れてる時間は俺だけ違う、みたいな。
わかるかな?
俺の周り、俺の見てる景色はそこにあるそのままじゃなくて、やっぱり「昔はこうだったけど、今はこうなってんだぁ」みたいんなってんだよね。
でもすげぇなぁ、ほんと。
京都に行ったときも感じたんだけど、記憶って頭に残るもんってのも確かにあるもんだけど、場所に宿るんだなぁってはっきり思った。
14年も前に住んでた場所でも、駅からの道は覚えてた(そんなに駅に行った記憶はなかったんだけど)。
その当時あったコンビ二を見つけたとき、一気に記憶がよみがえってきた。
「そういやここでビックリマンとかガンダムとか買ってたんだよなぁ~。」「あの頃はよく集めてたよなぁ。」「んじゃこの奥がマリーナイースト21か。」「変わってねぇ~。」「公園とかあったよなぁ。」「サッカー初めてやったのもここだったっけ。」「窓ガラスに囲まれたホールみたいのが・・・あぁ~そうそうこれこれ!」「この辺にチャリ停めてたっけ。」「確かこのマンションに誰か住んでたよな。」「この道も全然変わってねぇなぁ。」「こっちは開発されてなかったんだよなぁ。」「あ、ここ俺が怪我した場所だ。」
なんて思いながら、そこから昔の俺んちのあるマンション(社宅)に向かった。
「あ~そうそうこんな道だった!」「そうだ近くにバス停あったかも。」「駐車場の前の・・・あそこかな?俺の住んでたとこって。」「このマンションも14年経っても変わんねんだなぁ。」「そうそうこんな公園だった!」「ここに動物の奴が・・・やっぱあったぁ!」「この坂こんなちっちゃかったっけ。もっと大きかった気がしたんだけどなぁ~。」「このテニスコートは・・・あったかも。使わなかったからわかんないや。」「そうそうこれこれ、これに乗って遊んでたなぁ。」「あの頃は新しかったんだけどなぁ・・・」「この道はこんな感じだったね。」「あそこにあいつが住んでたんだよ。」「こっちは開発されてなかったんだけどなぁ。」「この道はここまではできてたな。」「いや~あんときのまんまじゃん。」「テトラポッドみたいな遊具あったなぁ、見るまで思い出せなかったけど」「木登りして枝折ったっけ。」「ミニ四駆とかもつくったよなぁ。」「ここ超えてこっちは空き地だったんだけどなぁ、んでちょっと行くと海が・・・」「あれ?海なくなってんじゃん。」「しかも私有地・・・入れない。」「カエルとかも取ったよなぁ。」「道は昔のままなんだな。」「あ、中学校が出来てら。」「小学校はどうなってっかな。」「あった~!」「うわ懐かし~。」「我が母校!」「こっちにはプール・・・お、あったあった。」「ここにでっかいネットあったんだけどなぁ。」「あの小山はなかったっぽいな。」「へ~あんときは小さい小学校だったのになぁ。」「あそこでドッジボールとかしてたんだよなぁ。」「あ、この玄関なつかし~。」「そういや雪降ったときとかあったよなぁ。」「この2階のこの教室でガリバー作ったんだよね。」「もう知ってる先生とかいないんだろうなぁ。」「ここの1期生ですって職員室行ってみよっかな。」「あ、この校門はあんときのままだ。」「こっちの階段はあんま使わなかったんだよなぁ。」「裏にうさぎ小屋があったっけ。」「んであっちに幼稚園・・・と。」「へ~この道もあんときのままかぁ。」
なんてすっげぇ思い出にふけりながら歩いてた。一緒に遊んでた友達の名前ももう思い出せなくなってたのに、ここに来たらどんどん出てきて、なんかここにいたら会えるんじゃないか、なんて考えちゃったよ。
いや~、絶対また来よ!
多分今住んでる場所も、地元もこうやって思い出になっていくのかな。
登録:
投稿 (Atom)