2014年8月5日火曜日

資料作成のメモ書き

■心掛け

  • 説明資料は「読みやすい」ことも観点として必要なので、漢字とひらがなのバランスを取るべき。漢字3割、ひらがな7割くらいがベスト。
  • 英語の場合は、「~tion」とかの長い言葉は漢字と同様の意味づけになる。使うときに気をつけること。
  • 手順書やドキュメントは、誰かに見てもらうことなしに「完了」としないこと。
  • 日報はA4二枚で収める。だらだらと書かずに、相手に読んでもらうことを前提にシンプルに書くこと。

■構成

▼稟議進達資料の構成
  • 目的
  • 要件・規模感
  • 構成
  • 見積(標準/値引率)
  • スケジュール
  • 体制
  • 課題

■索引

  • 地図に限らないが、漢字国・日本の地図索引には、誤読した人を助ける機能が絶対に必要だ。例えば「六合村」の場合なら、「ろくごうむら」という見出し語も設定しておき、矢印で「→くにむら」としておけばいいのだ。さらに掲載ページ数や位置を記しても行数は増えないだろうから、改めて「くにむら」を引かなくてもその場で位置がわかる、そんな温かみを持った索引が欲しい。
  • A社の地図は何と言っても表紙が索引図になっているという思いきった機能本位の地図帳作りで他の追随を許さない。道路地図を必要とする場面は必ずしも机の上ではなく、むしろ信号待ちの短い時間に見ることが多いのではないだろうか。A社のこの道路地図は「とにかく迅速に引ける」機能を重視しているためもあってか、美術的に洗練されたデザインとは言い難いが、使う人が一刻を争う状況であることをよく理解した「良いデザイン」と言うことができるだろう。

■図形の使い分け

▼長方形、正方形
  • ブロックの基本であり、あらゆる要素を囲む図形として、幅広く使える。安定感のある形なので、特に事実や揺るがない存在、確立した用語など、確実性の高い内容を示すときに使うと良い。また、数の多い要素を整然と並べるとき、大きな集合体を示すときにも使う。

■Illustrator

▼タテ書き
  • 文字入力でShiftを押しながら入力すればOK
▼文字ツメの逆
  • Alt+←か→で調整できる
▼PDFファイルの裁ち落としデフォルト設定
  • .aiファイルをPDFにするときに3mmずつ両端を含んでしまうため、A4サイズではなくなってしまっている

■Word

▼テキストボックスの垂直方向の中央揃え
  • .docでは、垂直方向の中央揃えはできない。.docxファイルを互換保存してしまうと、中央揃え設定が無効になってしまう。
▼プリントパックへの注文
  • プリントパックでの入稿時にWord 2010までしか選択肢としては選べないが、Word 2013でも入稿はできる。詳細に「2013で制作した」旨を記載して入稿すればOK。

■Excel

▼0を表示しない表示形式
  1. 無条件に0を非表示
    • 無条件に、ワークシート上の全ての 0 を非表示にしたければ、[オプション]ダイアログボックスの[表示]タブを開いて「ウィンドウオプション」の[ゼロ値]チェックボックスをオフ。ただこのオプションは計算式の結果だけでなく、数値として入力した 0 も非表示にするので注意が必要。
  2. 特定セルのみ 0 を非表示
    • セルごとに 0 の表示/非表示を切り替えたければ、セルの表示形式を設定する。
    • 【手順】
      1. 0 を非表示にしたいセルを選択して[セルの書式設定]ダイアログボックスを開く。
      2. [表示形式]タブを開き、[分類]リストで「ユーザー定義」を選択。
      3. [種類]ボックスに「G/標準;G/標準;」と入力して[OK]ボタンをクリック。
    • ※ユーザー定義書式では「プラスの数値」「マイナスの数値」「0」「文字列」の4種類の表示形式を「;(セミコロン)」で区切って指定するので、今回のケースでは「プラスとマイナスの数値は標準形式で。0 は非表示で」という書式を設定する。
▼空白以外(件数とか)をカウント
  • counta(範囲)関数で可能

■PowerPoint

▼パワポにページ数を表示する
  1. [表示] メニューの [マスタ] をポイントして、[スライドマスタ] をクリック。
  2. 「数字領域」にカーソルを合わせ、[挿入] メニューの [スライド番号] をクリックします。
  3. [スライド番号] チェック ボックスをオンにして、[すべてに適用] ボタンをクリックします。
  4. 表紙のスライドマスタで、「数字領域」の<#>を削除します。(表紙にページ数があるのはかっこ悪いから)
▼スライドショー
  • F5:スライドショー開始
  • Shift+F5:現在のページからスライドショー開始

■Photoshop

▼人物のみ型抜き写真
  • 型取りしてカット>新規(背景を透明にする)>貼付>Web用に保存>GIF形式で保存

■画像データ

▼画像から16進数のカラーコードを取得
  • 画像をペイントで開く
  • 取得したい色をスポイトでパレットに入れる
  • 色の編集で表示されたダイアログで「R:xxx G:xxx B:xxx」で表示されている色情報を、以下のサイトで16進数に変換 http://iroempitsu.net/zukan/tl-hexdec.htm

■本を書くには

  • ある問題についての本を書くには、その問題に関係した話題を約100集めればよい。1冊あたりの原稿用紙の数約300枚を約100で割ると、1つの話題あたりの原稿用紙の枚数は約3枚になる。これはまた新聞の連載小説1回(1日分)の原稿量でもある。

医療のリスク

■医療について

  • どんな病気でも経過のよい患者は、医療機関を受診しない傾向があることは広く知られている。
  • よく「医療が発達しているから日本人は世界一長寿」と言われるが、もっと大きな原因がある。第2次世界大戦までは日本人の死因の多くは胃腸炎、肺炎、結核などの感染症。戦後、栄養・衛生状態がよくなって、寿命がどんどん延びた。今の日本に、薬に頼らないと治らない病気はほとんどない。耐性菌に殺されないためにも、「クスリ漬け」から足を洗うこと。
  • 2010年度の医療費は36兆6000億円、2007年度の医療費は34兆1360億円だから、およそ1兆円近い額が毎年増えている。
  • 多くの伝染病を治すには、どれほどきたえられた精神よりも、抗生物質の注射の方がはるかに有効。
  • 受診率とは、特定の病気にかかった人の中で、実際に医療機関を受診する人の割合のことである。受診率は病気によって異なる。例えば現在の日本で、腕を骨折した場合、患者の受診率は100%に近い。痛みや機能障害が激しく、放置すると明らかな不利益を受ける場合、ほとんどの人は病院を受診する。一方、自覚症状が少ない病気や自然回復する病気の場合、受診率は低い。高血圧のように自覚症状が少ない病気は、受診率が低い。
▼大病院に行ってはいけない3つの理由
  • 患者の数が多い有名な病院になるほど、ひとりひとりの患者に対しては、扱いがどうもぞんざいになるし、流れ作業的になる。
  • 大きい病院ほど実験的なことに力を注ぐようになっている。新薬の実験をし、製薬会社からお金が入ってくると、病院の経営上も都合がいい。
  • 病院のランクが高いほど、メンツにかけて病気を見逃すわけにいかない。行ったら最後、徹底的に検査される。8割が「病気」「異常」になる。

■医者について

  • 一つの病気の専門医が、その病気を体験していないということには、問題がある。患者の苦痛を頭の中では理解できても、実感として分からないというのが、その問題点である。
  • 一度に3種類以上の薬を出す医者を信用しないように。5種類以上を一度に飲むような行為は極めて危険。薬は毒物。全てに副作用のリスクがある。習慣化すると、副作用が確実に現れる。そして短期でも、少量でも、服用する人の健康状態にも関係なく、薬が毒物である以上、いつ副作用となって現れるかはまったく予測がつかない。
  • 一般消費財なら、消費者のニーズを満たした商品が売れる。携帯電話やデジタルカメラが売れるかどうかはマーケットの好みである。しかし処方薬の場合、売り上げを決めるのは医師の判断である。そして医師の判断は、製薬会社のプロモーションの影響を非常に受けやすい。製薬会社のMRからの情報を頼りにする医師もいれば、有名医師の意見を取り入れる医師もいる。しかし、そういった有名医師の判断もまた製薬会社からの影響を受けやすいのが実情である。

■薬について

▼国と医療費
  • 最近日本国の財政が悪化していることもあり、効果の低い公共事業に関する世間の目は厳しくなってきている。しかし有効性の乏しい薬に関しては、手つかずと言ってよい。国の歳出に占める公共事業費よりも、医療費の方が圧倒的に大きいことを考えると、そういった見直しも必要と思う。しかし、薬の見直しは、公共事業費の見直しより、はるかに難しいだろう。実際、有効性のなさが問題となって発売中止となった薬は、脳循環代謝改善薬以外ほとんどない。
▼学会と製薬会社
  • 小難しことを言う研究者は製薬会社から敬遠される。学会のランチョンセミナーに講師で呼ばれることはまずない。製薬会社が欲しいのは、TCA vs SSRIというわかりやすい対立軸であり、SSRIの優位性を伝えてくれる話し上手な精神科医だった。
  • 学会の有力者ともなれば、学会や研究会を開催したり、研究者を招待したり、研究費を獲得したりしなければならない。何かと製薬会社の支援が必要となる。医学系の学会で製薬会社の寄付なしで開催している学会はほとんどない。
  • 製薬会社寄りの風潮に、違和感を持つ研究者も当然いる。しかし、学会の有力者が応援している新薬を、「従来薬と比べて大差ない」と言うには、それなりの覚悟も必要である。人の和を大切にする研究者なら、心の中にしまっておくだろう。
▼製薬会社と啓発活動
  • 一般商品のマーケットでは、製品の価格が数倍になれば、需要が落ちる。高価格の新商品が期待したほど売れないこともある。しかし処方薬の場合は薬価が高いほど売れる。処方薬は健康保険制度や助成制度があるため自己負担が少ないし、人命にかかわるものなので、価格競争力はそれほど影響ない。むしろ製薬会社は薬価の高い新薬を積極的に営業し、販売活動費をつぎ込むので、高い薬の方がよく売れるのである。
  • 製薬業界は病気の啓発活動を行うことによって、世間の病気への認識を高め、処方薬の売り上げを伸ばそうとする。これは基本的に自由な商行為だと思う。しかし病気の啓発活動があまりに行きすぎると、批判も生まれる。disease mongering(製薬会社が豊富な資金を背景に、病気の啓発活動を上に行うことによって、必要以上に薬の売り上げを伸ばしているという批判)という言葉は日本人にとってはまだなじみがない言葉だが、最近欧米ではかなり深刻な社会問題となってきている。
  • 製薬会社は研究開発型の企業と言うイメージが強い。しかし実際は営業活動に最もお金をかけている。例えば日本の製薬会社の研究員は、全社全て合わせても約2万人だが、MR(製薬会社の営業社員)は約6万人いる。ちなみに日本の医師数は約30万人である。つまり日本では医師5人につき、1人のMRがいるということになる。なお、日本は医者あたりのMR数が、世界で最も多い国である。
  • もちろん「営業宣伝がわが社の生命線だ」と公言するような製薬会社のトップはいない。どの経営者も口を揃えて、「わが社の命運は研究開発であり、創薬に力を注ぐ」と言う。しかし画期的な新薬などそう簡単には見つからない。
  • 先行した新薬と作用機序は同じなのだが、特許逃れのために化学式を少し変えただけの薬が大半なのである。本当の新薬を開発することは非常に難しい。研究開発費に数百億円投資したからといって簡単に見つかるものでもない。真の特効薬を見つけようと莫大な研究費を投資するよりも、二番煎じの新薬をあたかも革新的な特効薬であるかのように営業宣伝する方が、ビジネスモデルとしては優れているのである。
  • 脳循環代謝改善薬のエピソードは、効果がない薬でも、営業活動さえしっかり行えば処方薬は売れるということを教えてくれる。「高齢者の脳機能が改善する」という魅力的な宣伝文句と、適当な権威付けがあれば、処方薬は売れるのである。
  • 抗うつ薬を売るには、医師へのプロモーション活動だけでは駄目なのである。一般社会に働きかけることが何より大切なのだ。患者が病院を受診しなければ何も始まらない。そのためにはうつ病の啓発活動を推し進め、社会全体にうつ病は薬で治るということを認識させることが重要なのである。
  • うつ病患者への受診を勧めるシンプルなメッセージである。
    1. うつ病は誰でもかかりうる病気である。
    2. うつ病は適切な治療で治る病気である。
    3. うつ病は早期の受診による治療が重要である。
  • 病気の啓発活動というのはわかりやすく、受診につながることが大切である。1「誰でもかかりうる病気」で軽い不安を感じさせ、2「治る病気」で希望を与え、3「早期の受診が重要」で具体的な行動を取るように勧める。
  • 多国籍企業である外資系製薬会社は、欧米での経験から、うつ病における啓発活動の威力を十分知っていた。そして日本市場においても積極的に啓発活動を行い成功した。しかし、うつ病の啓発活動の関係者は、「啓発活動の影響で、うつ病受診者が増えている」とは決して口にしない。むしろ「社会のストレス増加のため、日本ではうつ病が増えている」と説明する。そして「うつ病患者を救うには、社会がうつ病を理解することが必要である」と訴える。その結果、さらなるうつ病の啓発活動が行われ、うつ病患者が増えることになる。
  • SSRIが市場導入されると、うつ病患者やメンタル休職者が爆発的に増加するという現象は、日本以外の先進国で繰り返されてきた社会現象なのである。他の先進国よりSSRI導入が約10年遅れた日本で、今同じ現象が起きている、と伝えたいだけなのである。SSRIの発売は、どの先進国においても、うつ病患者の急激な増加を引き起こすのである。
  • 実際、ほとんどの日本人は、うつ病患者やメンタル休職者が増加したため、その対応策としてうつ病の啓発活動が行われるようになったと信じている。うつ病の啓発活動が始まったため、うつ病受診者やメンタル休職者が増加したとは思っていない。原因と結果を取り違えている。
  • 現代人は、生まれたときから広告宣伝のシャワーに晒されながら生活している。企業の発信する広告宣伝の中から自分に役立つ情報だけを取捨選択することには慣れている。啓発活動の資金の出所がしっかり明示されていれば、病気の啓発活動の情報をいまよりも上手に利用できるのではないだろうか。すでに欧米では製薬会社からの資金に関して、透明性を高める方向に進みつつある。
  • 病気の啓発活動の影響力を知るためには、薬の販売量のデータを公表することが望ましい。薬の販売量が公表されれば、病気の啓発活動の影響力を推測することができる。
  • 処方薬の販売量を公表することは、薬害の早期発見にも役立つ。スモンやサリドマイドは最初に患者が報告されてから販売中止になるまで、十数年を費やしている。その間、原因のわからない患者は、次々と増えていった。結局、原因不明の病気の患者数とスモンやサリドマイドの売り上げが強く相関していることが報告され、原因究明の大きな手がかりとなったのだ。もし薬の販売量が公表されていれば、もっと早く薬害に気がついていたのではと唱える研究者は多い。またこれは、睡眠薬やリタリン等の乱用防止にも役立つはずだ。

■病気について

▼風邪について
  • 風邪のウイルスに作用して治せる風邪薬は、まだ発見されていない。
▼インフルエンザについて
  • インフルエンザをワクチンで防げるとか、リレンザなどの治療薬で治せるという医学的な証拠はなく、せいぜい「効果が期待されている」レベル。一方、風邪薬やインフルエンザワクチンの副作用で亡くなる人は、大勢いる。インフルエンザ、はしか、日本脳炎なども含むすべての予防ワクチンには、脳症や急死を含む、重い副作用のリスクが伴う。
  • 60歳以上になると、ワクチンを打った群で急死する人が明らかに多く、表向きは「心筋梗塞のせい」とされているが、これはどう見ても、ほぼワクチンの副作用。
▼高血圧、高コレステロール、血糖値について
  • 「このぐらいから治療した方がいいよ」という高血圧の基準が、大した根拠もなくどんどん下がっている。長い間、最高血圧の基準は160mmHgだったのが、2000年に140に、2008年のメタボ検診ではついに、130にまで引き下げられている。50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値だから、たいてい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる。
  • 総コレステロール値も、日本人は高い方が長生きだと10年以上前からわかっているのに、基準値はなかなか上がらない。そして問題は、血圧やコレステロールを薬で下げると、数値は改善しても早死にするリスクが高くなること。
  • 高血圧、高コレステロールなど、年とともに出てくる症状には意味があり、老いに立ち向かうために必要な変化。不用意に薬で抑えてはいけない。年をとると血管が硬くなるので、血圧はやや高めの方が、血液がきちんと体や脳のすみずみに届く。体にいい血圧を保つには、よく歩くこと。血液が下半身に滞留しないで、スムーズに体を巡る。またコレステロールは細胞を丈夫にするので「減らさない」ことが大事。日本人は、コレステロールが高い人ほど長生き。
  • 手も足も口も脳もまめに動かして、体をさびつかせないこと。喜怒哀楽を豊かにして、五感を活性化し続けること。「よどまない」ことが、何よりの健康法。
  • 高血圧の原因は、9割以上不明。また日本人の血圧を下げることによって死亡率が下がる、心臓病や脳卒中などが減ると実証されたデータは見当たらない。
  • フィンランドでは80歳以上のグループでは、最高血圧が180以上の人たちの生存率が最も高く、最高血圧140を切った人たちの生存率はガクンと下がってくる。
  • 血糖降下薬は、合併症の予防や延命には何の効果もないのに副作用が大きく、過敏症状、下痢、頭痛、耳鳴り、倦怠感、体温低下、眠気、むくみ、視力障害、腸閉そく、肝機能障害などに悩まされやすくなる。薬で血糖コントロールしていて「いつもだるい」「イライラしてキレやすい」「足元がふらつく」「認知症が出てきた」などの症状があったら、薬害を疑うこと。
  • 糖尿病はこわい病気だが、「予備軍2000万人」はオーバー。日本糖尿病学会は1999年に診断基準の空腹時血糖値を、それまでの140から126に変更している。血糖値は「歩く、自転車、水泳、ストレッチ」などの有酸素運動を心がけると下がる人が多いことが、運動療法のデータからわかっている。「血糖値が高め」と言われたら、よく歩くようにしてみること。
  • 薬やインスリン注射で血糖値を厳格にコントロールして、延命につながったというデータは皆無。命を縮めたというデータはある。
  • 日本の高血圧患者は約4000万人(子どもまで入れて、日本人のほぼ3人に1人!)で、このうち受診者数は781万人しかいないという。つまり高血圧患者の受診率は約20%しかないということである。病気という認識がない場合も受診率は低い。製薬会社の資料によれば、男性の性機能不全(インポテンツ)の場合、受診率はわずか5%しかないそうである。
▼がんについて
  • 日本人のがんの9割は、治療するより放っておいた方が、元気に長生きできる。
  • 抗がん剤は猛毒。抗がん剤が効くというのは、「がんのしこりを一時的に小さくする」だけで、がんを治したり、延命に役立ったりするわけではない。日本人のがんのほとんどを占める、胃がん、乳がんなどかたまりを作る固形がんには、抗がん剤はまったく無意味。つらい副作用と寿命を縮める作用しかない。
  • がん検診は有効という証拠がひとつもない。がんをいくら「早期発見・早期治療」しても、1960年代から、がんで死ぬ人の割合は下がっていない。症状がなくて検査で見つかったがんはほぼ、命を奪わない「がんもどき」。本物のがんならすでに転移しているので、切除手術や抗がん剤治療は無意味。
  • 最近予防医学が全盛だが、その実態は「"患者を呼ぼう"医学」。がんで苦しみ抜いて死ななければならないのは、がんのせいではなく、「がんの治療のせい」。基本的に、自覚症状がなくてごはんもおいしいなら、医者にあちこち悪いと言われたり、がんが見つかっても、忘れるのが一番。治療を焦ると、寿命を縮める。
  • 日本では1989年に「がん検診をやめた村」、信州の泰阜村で明らかにがん死が減りました。胃がんなどの集団検診をやめたら、その前の6年間は胃がんの死亡率が村民死亡者数の6%、89年からの6年間は2.2%と半分以下に激減している。検診を受けると不要な治療をされて、手術の後遺症、抗がん剤の副作用、精神的なストレスなどで早死にする人が多くなる、と考えられる。
  • 余命診断があてにならない理由
    1. がんの成長速度が人によってまったく違うから。
    2. がん病巣が人の命を奪うまで育つには、意外と時間がかかるから。多くのがんは、直径10cmぐらいにならないと人を殺せない。がん細胞が2倍になるのに、平均2ヶ月以上かかる。1cmのがんが10cmになるには20ヶ月以上かかるが、そんな先のことは誰にも予言できない。
    3. がんが大きくなるにつれて、成長スピードがスローダウンすることが多いから。これは進行がんだけでなく早期がんにも起こり、発見されたとき以上に大きくならない早期がんは珍しくない。
  • 「切るとがんが暴れる」と言われる。メスが入って正常組織のバリアーが崩れたところに、隠れていたがん細胞が入りこんで増殖しやすくなる。
  • 骨転移で痛む場所が1ヵ所の場合は、放射線照射で劇的に痛みを軽くすることができる。放射線は体の一部にしか照射しないので、副作用も少ない。抗がん剤をダラダラと使うと、がんが進行して骨が溶けたり折れたりすることがあり、また薬剤が全身に分布するので諸臓器にダメージが及び、大きな副作用が出る。転移があちこちにある場合は、放射線でいちいち叩くことはできないが、骨転移の痛みに放射線治療はいいことずくめで、料金も10回の照射で14万円程度、自己負担分はその3割程度。痛みが完全に消えた人たちはモルヒネから解放され、痛みが軽減した人はモルヒネを減量できるので、試してみる価値は大。
  • 乳管内のがんが縮小・消失したケースは世間で乳管内がんとされているが、女性ホルモンに対する反応がある人に強く出た「乳腺症」。マンモグラフィでしか発見できないがんは99%以上が「がんもどき」。しかしどの病院の外科でも手術で乳房を全部切り取られる可能性が高い。手術を受けたとしても寿命が延びることはないし、治療を受けなかったとしても、寿命が縮むわけではない。
  • 「がんを治せる」と称する医師たちの有効という根拠のエピソードは、がんの診断に欠かせない「病変の一部を取り、顕微鏡で細胞を調べる」ことすらしていない、ずさんなエピソードが多い。がんの誤診率は非常に高く、海外では「良性腫瘍」とされるのを日本では「がん」と呼んでいるものも多い。また無症状で見つかるのはほぼ、大きくならない「潜在がん」や転移しない「がんもどき」で、よく自然に消える。
▼医療被ばくについて
  • 健康な人がまず避けるべきは放射線検査。放射線は、細胞の中のDNAを必ず傷つけます。浴びた量によって1歩か100歩かの違いはあるものの、発がんに向かって必ず歩を進める。国や医療機関は、医療被ばくの危険などほとんどないような偽りの説明を繰り返している。原発を推進するために、国や電力会社が「原発は安全。放射線に危険はない。」と言い続けてきた反省がまったく見られない。
  • 医者たちも、高価な機器のもとをとるためや、問診や聴診よりも手っ取り早く儲かるので、患者に「とりあえず」「念のために」と安易にCT検査をすすめている。
  • 日本のCT装置の台数は断然世界一で、全世界の設置台数の3分の1以上。放射線検査による国民被ばく線量も、検査によって起きる発がん死亡率も、世界ワースト。
  • イギリスの研究によると「日本人のがん死亡の3.2%は医療被ばくが原因」「世界15ヵ国で、日本が最もCT検査回数が多い」「発がんへの影響は英国の5倍」という医療被ばく大国ぶり。
  • CT検査では、360度全方向から体にX線を当てて、検出結果をコンピュータで計算し、人体の輪切り映像を見て診断する。被ばく線量はX線撮影の200-300倍。これはたった1回のCT撮影でも、発がん死亡のリスクが生まれる被ばく線量。具体的には、45歳の人の場合、全身CTを1回受けただけで1万人中8人(0.08%)、30年間毎年同じ検査をすると、1万人中190人(1.9%)が「被ばくにより発がん死亡する」と推定されている。
  • 原発事故のあと国が避難の目安にした「年間」の被ばく線量は20ミリシーベルト。胸部CT検査は1回でその半分、10ミリシーベルト前後に達する。しかも一般的に「造影CT」といって、1回撮影したあと、造影剤を静脈に注射しながらもう一度撮影するので、2回で20ミリシーベルト。腹部・骨盤CTはさらに被ばく量が多く、1回で20ミリシーベルト。造影CTまでやればその倍になる。しかも日本で行われているCT検査の8-9割は必要のないもの。
  • レントゲン検査は、会社や地域の検診を検診車で受ける場合は要注意。検診車のレントゲン装置は間接撮影装置なので、病院などに設置されている直接撮影装置に比べて、被ばく線量が3-10倍多くなると言われている。アメリカで取りやめられた間接撮影装置を、日本は今も使っている。
  • 海草を食べることで吸収できるはずのヨウ素を、医師関係の団体は否定して「ヨウ素剤」という薬品以外はダメだと伝えた。しかしヨウ素剤は届かず、人々は自衛すらできなかった。
▼点滴について
  • 家で看取る場合、注意しなければならないのは点滴。毎日針を差し替えるのは痛いし、医者の側も面倒なので大抵は体のどこかの静脈に管を留めて四六時中点滴をすることになる。するとどうしても点滴の量がオーバーして、体が水ぶくれしてむくむ。そのむくみが肺に及ぶと、肺は水浸しになるのでプールでおぼれた時のようにハアハアゼイゼイし、大変な苦しみとなる。結論から言うと、点滴をしないで枯れ木のように死んでいくのが一番楽。
▼脳ドックについて
  • 脳ドックで見つかる1cm未満の動脈瘤の年間破裂率は、0.05%…20年たってようやく1%。
▼出産について
  • アメリカでは、男子75%、女子70%の割合で産み分けが可能。
  • 70年代に5%に満たなかった帝王切開は、87年時点で25%にも増加した。帝王切開は予測可能性が高い。そこで死産などという悲劇から多くの母親が救われた一方、それは普通「医師たちが夕食に間に合うように帰宅できるために、17:30までに行われる」という。
  • 優秀な頭脳と肉体を売りにする男たちが、精子を提供する精子バンクは、すでに日本にも存在しているが、アメリカではなんと美貌と抜群のスタイルを半分だけ保証するインターネットによる美人モデルの卵子オークションまで登場している。

ものづくりの醍醐味

■大切なのは節操

  • 素材が育つのに要した過去と自分の現在の技量、そして造ったモノが一人歩きする未来に対して造り手は関わることになる。
  • ものづくりは人間性の投影。数百年の歳月をかけて育った木を切り倒し、一旦生命が断たれた木にもう一度、数百年の命を吹き込むことができるかどうか。魔法や奇跡に頼るのではなく、人間の能力で再び命を与え得るかどうか試されている。造り手が、それに対して全身全霊を打ち込まなければ、成功はあり得ない。夢中になって努力する日々がないと、重みは増すばかり。でもだからこそ、ものづくりの喜びは大きく広がるとも言える。
  • ものづくりは一言で言えば節操。間違いなくものの良し悪しを判断できる人はほとんどいないし、造り手がそのものの良し悪しを判断しうる人と出会うのは非常にまれとなる。そうなると、いかにいい材でいい仕事をするか、悪い材で悪い仕事をするかは造り手の節操次第となる。⇒これはどこの仕事でも一緒かも。
  • 焼き物の世界で、今、国宝級といわれるものの多くは作者不詳です。そういうもののよさは作った人が人にほめられるようなものを作ろうとか、芸術を作ろうとか、そういうことを考えていないということです。無心に作っている。できあがったものを誰かが使って、そのうちに壊れてまた土に帰るんだろうなというぐらいの自然体で作っている。肩の力が抜けきっているんです。
  • ボウリング場のシートと同じグラスファイバが、ロケット弾の翼に使われている。花火大会と爆撃は、ほぼ同じ物理現象だ。自分が直接手渡さなくても、お金は社会を循環して、どこかで兵器の取引に使われる。人を殺すための製品も部品も、必ずしも人の死を望む人たちが作っているわけではない。
  • ジョブズが天才的なキュレーターであるのは、単にテクノロジーだけでなく、新しい価値を生み出すため、人間を中心に置くリベラルアーツの軸を忘れないから。
  • テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立つアップルに対し、ソニーはテクノロジーで対抗しようとした。アップルがコトのイノベーションを起こしたのに対し、ソニーはモノの性能の次元でしか考えず、何と何を結び付ければソニーらしいコトづくりができるかという発想を持てなかった。モノとコトはどう違うのか。それは、そこに人間がかかわっているかどうかです。
  • つまり、コトとはモノとユーザーの関係性の中で生まれる文脈であり、物語であると言えます。体験と言ってもいいでしょう。その物語や体験に共感するとき、ユーザーは手を伸ばす。だから、テクノロジーの軸だけでなく、人間を中心に置くリベラルアーツの軸が必要なのです。
  • プロパーに評価される商品が悪いというわけではない。それは業界で確かに必要なものだろう。しかし、それとは別に新しい客を連れてくる商品を冷遇するような業界は、決して社会のメインストリームにはなれない。分かりやすいものを軽視する風潮には、商業的に成立するために不可欠な一般客への侮蔑がある。自分の気に入った商品がバカにされるような業界に一体誰が金を落としたいものか。

■モノを造れぬデザイナー

  • 学校教育制度のなかでの工芸の分野は、生きた知識の欠落から、モノを造ることに対する認識が固定化してしまった。「○○学」「△△論」でくくられる知識は、鉋の刃を満足に研ぐことさえできないでいる自分になんの反省もない。
  • そこで多くのものはいわゆる「デザイン」に逃げ込んでいき、最近は「まったくモノを造れぬデザイナー」が多く生まれている。しかも、それがあたかも当然のことのように思われている情況である。悲しいことだ。
  • 「音楽をコンテンツという人は音楽を聴いてない人。私はものすごく抵抗がある。そんなこと考えたこともない。」「映画をコンテンツと言って取材に来た人にはいつも頭にきて、言う。僕らがやっているのは<作品>だ。<商品>とも言わないでくれ、と。」
  • 「僕らは、まず、自分が欲しいものは何かを把握する。そして、同じものを多くの人も欲しがるかどうか、きちんと考えることがアップルは得意なのだと僕は思う。僕らはそのプロなんだ。だから、次にブレークするのは何だと思う?って社外の人に訪ねたりしない。」

■技能五輪

  • 普通は銀色のアルミ製なのに対して技能五輪大会支給のものは茶褐色だった。そこで、競技が始まるとすぐに持参のリベットを支給品と一緒にバーナーで焼いて黒く色をつけてしまう。こうすると支給品と区別がつかなくなる。支給品をなくしても気にしないで作業ができるというのである。

■自分たちのウリを考える

  • ゲームに熱狂するファンがいる一方で、実は声を出さずに静かに立ち去った人たちも多くいたのではないか。かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、ギャラリーも一緒に楽しんだのに、コントローラーはどんどん複雑化して、差し出すと後ずさりするようになった。ギャラリーも消え、1人暗い部屋にこもって遊ぶようなイメージになってしまった。
  • 「任天堂は重厚長大なものばかりつくっていてはダメだ。軽薄短小でお客を満足させることを考えろ。」「任天堂は力のケンカなどするな。よそと違うから価値がある。」
  • 「貴社が潰れてしまったら、ウチは大打撃を被る。わが社が最先端を走れているのは、貴社の優秀な製品があってこそ。正当なものであれば、どんどん儲けてくれ。その利益でもっと優れた製品を開発してくれればいい。」
  • 技術経営(MOT)「これまで日本をつくってきたのはものづくりだ。そしてこれからも、ものづくりが日本を支えなければならない。」
  • モノを作るには工場が必要。でも、これは製造業の難しさで、工場を建ててしまうと、投下した資本を回収するためにその設備に依存することになり、身動きが取れなくなってしまう。だから私たちは、工場を持たない「ファブレス」のメーカーとして、 あくまでソフトウェアで勝負しようと考えた。
  • きちんと連携して動作する部品を自分のサプライヤーネットワークから調達することよりも、安くて性能のよい部品をなるべく多方面から調達することの方が、性能の向上やコストの削減につながりやすい場合がある。 「垂直統合」の系列会社を持つことよりも、「水平連携」できるサプライヤーと広く協力することの方が 強みになる時代がくるかもしれない。
  • 特許権などの知的財産権を取得することによって、企業は参入障壁を築くことができます。保護期間は、特許権が出願日から20年、実用新案権が出願日から6年、意匠権は登録日から15年。

■個人でつくれる場所も増えている

  • Makers' Base http://makers-base.com/
  • FabLab http://fablabjapan.org/

地域づくりについて

■地域づくりができる人

  • 大事なのは、地域を興せる人とダメにする人の特徴を理解することだ。町をダメにする人は、その町を見て何がないかを考える人だ。「この町には新幹線がない、高速道路がない、空港がない、ゲートボール場がない」と、「ないもの」を探す人だ。結果として地域の特徴を失わせて魅力のない町にし、公共事業で町の財政を破綻させる。町を復活させられる人は、必ずその地域に「あるもの」を見つけることができる人だ。「この地域には光が射す、風が吹く、森がある」と。その地域の中に使える資源を見いだせる人だけが、町を興せる人になる。
  • E=MC2というのは、一般的にはエネルギーは質量×光の速度の2乗とされています。このうちCを、私は光の速度ではなくコンシャス=意識と解釈します。Mは質量ですから、意識をもつ人の数だと思えばいいでしょう。
  • 農山漁村の人口減少を食い止めるために効果的な移住施策
▼注目団体

■土地の歴史を活かして

▼利活用
  • 今ではお金と職(雇用)が、電話線とインターネットで越境して入ってくる。港から入ってくるものの価値は下がっている。だから港湾を24時間型の職住一体化したIT・金融センターに、というのは実は世界的な傾向。
▼文化圏
  • 行政でなく地勢、生活圏で考えていく方が共有できるものは多い。
  • 山とか川で文化圏は分かれるが、真ん中で分断されてるケースもある。行政の区切った境界を気にする必要はない。
  • 歌や踊りは残っている可能性がある。制度によって、生活の全ての余剰、瓦屋根も、よい衣装も、文字さえも禁じられても、無形の歌と踊りだけは許される。
  • 豪雪地帯で自然にマンモスがいるように動物園かなんかに作って、雪がそこに積もるのをながめるとかいいかも。
  • 1700市町村のうち、人口5万人以下の自治体は1200を超える。ほとんど。でも0人じゃない。無力じゃない。市民の力は小さなものです。ですが無力ではなく「微力」なのです。
  • 大きな建造物を建てるとなると、どうしても郊外にもっていかなければいけない。つまり駐車場を有した大きな美術館をつくるというためには相当な敷地が必要になってくる。盛岡のど真ん中にそれを得られるところはない。そうすると、そういうものは、もう都心の活性化にはつながらない。それよりも中津川という装置をふんだんに使って、中津川の清流、橋、岸辺、これを廊下や背景や壁面に見立て、空を天井に見立てて、天候や気候を照明に、風や雪や雲や雨を空調に見立てた、その美しい一つのまとまりの中津川の、上の橋から下の橋という景観の中に立てられる一つ一つの「小さな美術館」をそれぞれの部屋、つまり展示室として位置づけることを発想したらどうだろうか、という考えです。
  • 繁華街を社会の鏡として認識する。
▼アプローチ
  • 大切な資源は金ではない。村人が生活向上に一体となって動く団結と、自ら選ぶ貧困対策施行に必要な知識こそが大切。政治が悪くても、武力以外に貧困解消への道はある。
  • 「近さ」を軸に地域でつながる活動。点にフォーカス。
  • 風土(動く側と、迎える側)の関係で地域と地域をつなげる活動。線にフォーカス。趣味や興味といった軸でつなげる活動。地域にこだわらず、面全体に分散アプローチ。
  • 一面を緑にしたいと考えたとき、例えば法律で上から強制するみたいに一気に緑のペンキで塗ってしまえと考える人もいます。しかし、小さな緑の点をたくさん増やすことでも、一面を緑にすることができる。
  • 時代を軸に世代間をつなぐ。同世代だけに偏らずに付き合っていくこと。次の世代が自分達よりも充実した人生を送れるように、そんな取り組みを。
  • 大好きなやつのいる街を訪ねたときには、その街の何気ないものでも何となく好きになってきれいだなぁーと思ったり、美しいなぁーと思ったりすることがあります。というと、この街が美しい街であるためには、やっぱり大好きないいやつが、いい人が、いい市民がいっぱいいるということが前提になってくるでしょう。
  • 子どもたちは、未来の街をつくる。でも、未来の街づくりは未来にやればいいってことじゃない。この街で、こんなふうに子どもたちに生きてほしい、こんな街をつくってほしいと願うならば、いま僕たちがその姿を子どもたちに見せなければいけない。いま必要なんです。未来をこんな街にしたいと思うならば、僕たちは今それを自分たちの姿でつくらなければいけない。僕は盛岡でそれを全力で取り組んでいます。
  • 苦しい訓練、本当にきつい訓練や激しい手術を耐えている。頑張ってそれを耐えさせているものは、きっと来るいい日のため。この子たちがこんなに強く願って、そして、帰っていく「きっといい日」の古里は、どんなだろうか。僕たちが迎えるんです。この子たちが、そんなに願って帰った古里が、働く場所もない、学ぶ保障もされていない、寂しい家の中に閉じこもっただけの、友達のいない古里であっていいものか。僕たちは、この子たちがそんな思いをして帰ってくる古里をつくるんだ。
  • 自分が外部に対して直接影響を及ぼす経験をしなければ、いくら頭がよくても、自分でもやればできるという自信を持つことが難しい。自分の住む地域のことを考え、草むしりやゴミ掃除や植林などに参加して、社会への関わりについて 興味を持つことが、今、必要なのではないでしょうか。
  • 必要なのはその地域で売れている地域外の商品を地域化することだ。良い商品を作ってもダメだ、売れる商品を良くすることが重要なのだ。地域の資源を使うことで、もっと価格を下げられないか。地域外から販売されるものならば、地域内の生産物で代えられないか。その視点で考えていくことが大事なのだ。
▼島いとこ
  • 島の道路が未整備で、自動車も普及していなかったころの屋久島には、"島いとこ"という風習があったということです。当時は、小船が交通手段でした。しかし、目的地に着く前に日暮れてしまうことも多く、こんなときは下船して、"島いとこ"の所にお世話になったということです。逆に島いとこがやって来たときには、自宅に泊まらせてあげたということです。島いとこには親戚関係はありません。こうした互助関係を結ぶ間柄をいうということです。
▼信仰
  • 神は自分のまわりにみちみちている。静寂の中にほとばしる清冽な生命の、その流れの中に共にある。あるいは、いま踏んで行く靴の下に、いるかもしれない。
  • 決して好ましい客でないが、凶悪に対し彼らは無防備。卑しめたり、粗末に扱えばタタリがひどいだろう。なだめすかして、なるべくおとなしく引き取ってもらわなければならない。恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖視された。"凶なる神聖"。それは"幸いなる神聖"と表裏となる。
▼風土の民
  • 風の民と土の民。
  • 土着とはその土の上に住むことではなく、土の中に根を下ろすこと。
  • ヨソモノに対して
    • 田舎に都会からのヨソモノが入るとき覚えておかなければいけない、受け入れる側が抱く感情。自分のテリトリーを侵されるのではないかという動物的本能からくる排他性。
    • どうしても超え難い人間の形成過程の違いからくる違和感。
    • この2つは簡単に溶けあえるものではない。ゆっくりゆっくり村人とつきあうこと。そして着実に互いの利害の一致点を見いだすようにすること。「郷に入れば郷に従え」は最低限のエチケット。何百年も先祖代々その土地に生きてきた人々の間に入って認められるには、新しく入った人間が、間違いなくその土地のためになり、その土地の将来に寄与するという実感が確実なものでなければいけない。いつ出てくかわからないとか、どうも得体が知れないという不安が残る限り、絶対に田舎では受け入れてくれない。
  • 観光旅行者に対して
    • ブルゴーニュのある生産者に、別の生産者をどう思うかと尋ねる。すると"いいね、最高だよ"という返事が返ってきた。別の農家でも同じだ。"最高だよ。ベストだね"そうして4-5軒の農家で同じ質問をしてみたが、どこでも同じような答えが返ってきた。ところが、ランゲで返ってくる返事といえば"ああ、いい人だよ。ただ、ワインはいただけないね"とか、下手をすると"ありゃひどいね、ここだけの話、あいつは砂糖を混ぜてるんだよ"といった調子だ。今も年配の生産者にはそういうところがある。僕は、観光客がそれを耳にしたら、どんな印象を受けるだろうかと想像して、ぞっとしたんだ。ブルゴーニュ地方では国が生産者を支えるほどに制度も熟していたが、それだけじゃない。自分たちの土地を支える人間のメンタリティーもまるで違っていた。

■企業と地域

▼企業城下町の失敗例
  • ひとつの企業の都合によって工場が作られ、その周りに社宅と寮が作られ、生協の売店が置かれる。そこの労働者は柵で囲まれた社宅から、やはり柵で囲まれた工場の中への往復を繰り返し、彼の妻は必需品のほとんどを、すぐそばの生協で購入する。豊田市の中に、このような閉鎖地帯が点在する。企業の発展もその点を散らすだけ。よその土地から来て工場で働くものと、古くから住む人たちとは、ともに語りあうこともない。
  • トヨタ自動車は豊田市を作った、といわれる。がしかし、トヨタは何も作らなかった。ただ、養蚕地帯の中心地であり、繭の集散地だった挙母町に乗り込み、豊田佐吉の名前で町を塗り替えただけだった。
  • 今、日本は土地がいっぱい余っている。「不良債権がらみの土地」「だめになったテーマ・パーク」「旧国鉄の跡地」「埋め立ての土地」などなど。企業が開発はしたが軌道に載せられなかった土地たち。
▼地域企業のお金の流通の見える化
  • LEDIX
    • LEDIX(Local Economy Driver Index)は、帝国データバンクが算出する、地域経済における企業のパフォーマンスを測るための指標。

■地域づくりのアイデア

▼スポーツチーム
  • 地域密着のスポーツチームがあると、チームに夢を託して「○○!」と叫ぶ。そんな仲間が増え回数が増えれば、チームだけでなく、その街にも愛着がわいてくる。
▼親子で参加
  • 子供の声を取り込めないか。絵画コンテストや写真コンテストのギャラリーなんかにしてみてもいいかも。
▼地域通貨
  • 地域の中でお金がまわる仕組みを考えることはとても大切です。なぜなら地域経済が活性化しているときは、必ずモノやサービスが回転しています。そのときには必ず逆方向にお金が回るのです。地域経済の活性化の程度は、「地域の資金量×回転数」で決まるのです。しかも「円」と「共通商品券」があったら、人々はまず先に「共通商品券」から使いますね。他の地域では使えませんから。そうすると回転数が高まります。不安定な通貨は回転数を高めるのです。
  • 短くても、しっかり足元が固まっている諸通貨がひしめき合いながら、共存している。そしてその上に、円やドルといった国内向けの通貨があり、さらにその上に「共通通貨」が存在している。そんな、がっしりした短足通貨に支えられた集合体として、グローバルな通貨秩序ができあがる。通貨体制の三元構図だ。いわば、「3D」型のグローバル通貨秩序である。21世紀的な通貨のあり方として、そのような姿をイメージしてもいいのではないか。
  • 通貨の足と経済の腰がしっかりした地域共同体。それらが寄り集まって形成された地球共同体は、土台がしっかりしているから、そう簡単には崩壊したりしないだろう。バランスがとれた小宇宙群によって構成された大宇宙は、いくら大きくてもバランスが崩れないはずだ。それに対して、小宇宙のバランスをないがしろにした大宇宙は、それこそ足腰が弱いから不安定に泣く。
  • 足立区では、区内のお年寄りに支給していた「敬老祝い金」を、区内商店街の共通商品券に換えた。しかも支給額を割り増しして。この額、年間に4億円だ。地域内に4億円が循環するのだから、当然地域経済は活性化する。
  • 地域で資金が回れば経済は活性化する。地域内に貯蓄を残し、地域内で消費をし、地域内で稼げれば、地域は活性化する。とにかくまず、地域のおカネを流出させないことが大事だ。しかし考えてみてほしい。それが東京に流れるのなら、東京を豊かにするだけで済むが、海外に流れ出てしまった分は日本の富にすらならなくなってしまうのだ。その問題を防ぐには、自給率で見るのがいい。自給できていないものは、その分の富が海外に流出していってしまっている。
  • 地域の人が、どこからモノを買って、どこに売っているかを矢印で表示してみよう。地図を仕上げてみると、地域内でとどまる矢印と、たとえば東京まで伸びていく矢印が記される。この中の、地域内だけで循環できる矢印は、その部分を「代替通貨」に変えることができる。すると面白い現象が起こるはずだ。財布には2種類の札が並ぶことになる。地域でしか使えない「地域札」と「円札」だ。円なら全国で通用するのだから、どちらから先に使うかといえば地域でしか使えない不安定な「地域札」となる。回転数が上がる。経済は活性化する。
  • 家庭のエネルギーの最大のものは「熱」である。その熱を得るのに、今は海外からの石油などに頼っている。しかし地域に熱源はたくさんある。たとえば森や草木、生ごみを発酵させたバイオガスなどだ。石油を購入するのでは、地域のお金が都会を経由して海外に逃げていく。それを地域に戻せば地域経済は活性化する。
▼洋服ポスト
  • 古くて捨てるのがもったいない服を、フリマでもなく、途上国の貢献に使うことができる。そんな場所が、地域の交流点になるっていうのはありかも。
▼挨拶で体調を知る
  • インディオの青年は、故郷の村に暮らしているときには一度も飢えたことがなかった。貧乏な村ではあったけど、その村でもし彼がお腹を減らしていれば誰かに「こんにちは」と挨拶をすれば相手はその声を聞いて「お前はお腹を減らしているようだな、うちにおいで」と言ってご飯を食べさせてもらえた。言葉の響きひとつで、空腹や体調がわかってもらえた。そんな言葉の響きを理解し合えるくらい日常的に挨拶を交わす間柄になれたらいいな。
  • 「野なかの一軒家じゃなし、近所だって黙って見ちゃいないからね、決して心配おしでないよ」こんな風に困ったときに声をかけ合える地域を作っていきたい。
  • ソーシャルSNSもいいけど、近所づきあいのあったかさを感じられる、見せてあげられるようにしたい。
▼資源は何?
  • アイスランドの人たち曰く「この国は火山と氷河に覆われた、世界でもっとも厳しい地形と気候に"恵まれ"ている。」この覚悟はすごい。厳しさに恵まれている、というのは、日本の漁師や農民に、いや日本人全てに贈りたい言葉。
  • 土地を耕し、自分たちの家を造り、生活用品を試作し、エネルギーを獲得する。どれだけの自給が可能かをベンチマークしていくべき。
  • 「黒川温泉一旅館」という、顧客の視点からの再定義を何より大切にする。定義が明確であるほど、何をキュレートすべきかがわかる。そして、売り上げよりも優先すべきことがはっきりしている組織は真の強さを発揮することを黒川温泉は物語っています。
  • 日本一大きなオニギリや日本一長い滑り台、日本一高いヤグラ、日本一長い駅名を作って若い者は戻ってきただろうか。日本一の座をあっという間に奪われた「やながわ希望の森公園前」駅は今頃どうしているだろう。ムラおこしのためにヤラセのハリボテを着せられた格好になったこの駅は、今やその長すぎる駅名を持て余しているかもしれない。何しろ寿限無みたいに不便だから、そのうちこっそり「公園前」か何かに改称されるのだろうか。
  • 北国では非生産的な融雪・雪落としに時間と費用とエネルギーを奪われる。しかしこれを「雪室」として、野菜や米の冷蔵に使った人がいる。雪の湿度の高い冷蔵のおかげで、鮮度を高く維持して市場価格の高い産物を作った。雪を溶かすのに石油を海外から買うぐらいなら、地域の木質ペレットで融雪すればいい。外の人たちに雪おろしを頼むぐらいなら、地域商店街の共通商品券でやってくれる近所の若者に頼んだ方がいい。こうして、地域産の資源を見つけることが大事だと思う。
▼ごみ処理
  • 都市の耐用年数は、処理処分場があと何年分しかない、ということでも表現できるのではないかと考えます。「都市の寿命」をごみから考えるということです。あと何年分ごみを処分する空間が、その都市にあるか、という視点で都市をランク付けすることもできるわけであります。
  • NPOふうどが進めたバイオガスのプラントがあります。まず、地域の団地から生ごみを集め、それを空気に触れない形で微生物に分解させます。空気に触れないところで微生物が分解すると、メタンガス発酵します。メタンガスは別名「都市ガス」、燃えるガスが取れます。これをバイオガスと呼んでいます。残った生ごみ由来の液体は、すっかり臭くなくなって液体状の堆肥、つまり「液肥」になります。これを地域の有機農家に販売しています。そこから作られたコメや大豆を「液肥米」「液肥豆腐」として、ブランドづけして販売しています。ここがバイオガスプラントを作ろうとしたときに、ap bankが融資したのです。福岡県大木町は、以前は海に捨てていたし尿や生ごみを回収しバイオガスに入れたところ、ごみの量が実に44%も減ったのです。
  • 近年の都市におけるごみ問題は、盛岡でも深刻になってきていましたが、福祉バンクの活動はこの分野でも高く評価され、ごみ減量運動のモデルとして市民も大きな期待を寄せて回収のたびに「ご苦労さん」と声をかけてくれます。
  • 日本からの視察団が、スイスのチューリッヒ湖を見学したときのことです。湖があまりにもきれいだったので、「どうして、こんなにゴミ一つないんですか」と、案内をしてくれたスイス人に思わず聞いたそうです。すると、その人は困ったような顔をして、どうしてそのようなことを聞くのですか」と反対に質問されてしまったそうです。
  • 街角に空き缶がたくさん落ちている。それを自治体職員の怠慢だと言って拾わせたとする。もし自治体職員が拾い続けたとしたら、莫大な資金がかかる上に結局拾いきることはできない。でももし、たった5円でいいからその缶を店に持っていくと返してもらえるおカネをつけたら、1週間たたない間にもうどこに行っても空き缶を見つけることはできなくなる。このどちらが効率的か。
▼地域の本収集
  • 読書をしながら自分の住んでいる地域が出てくる本に出会うと、思わず嬉しくなる。その本は、知らず知らずに印象に残るものである。どこかにそれを収納する箱をつくり、みんなで読書をしながら地域本を探していくのである。
  • 地域が小説に描かれたり、映画のロケ地に使われることはその地域に魅力があるからであると考えている。だからその魅力を多くの人に伝えたいと思う。その情報発信の手段が当文庫である。さらに、地域が描かれた作品はそのまま国語教材として、市内にある学校の国語教育にも使えるのではないかと考える。
  • 当文庫では、過去の書物を集めることよりも、地域の「今」を集めている。「今」は自分が生きている時代の図書情報であるから集めやすい。地域の「今」を集め、「今」を整理し、「今」を次の時代に伝えたい。「今」は、やがて歴史の一ページになる。
  • 地域の歴史・自然・文化(それを風土といってもよい)に興味を持つことである。家の外に出て地域の風を頬に感じ、地域の史跡を訪ね、地域の食を味わい、地域の文化人と交流することである。そうすることによって、地域の図書は自ずと集まってくる。
  • 本に限らず情報紙、CD、DVD、記念資料、パンフレット、ポスターなどの資料があり、これらを含めて地域資料と捉えている。しかしこれらの資料は特定の人が特定の人に配るために作成したり、有料であったりして集めづらい。集められればいいですねというところである。
  • ローカルな図書情報であっても、特定地域の図書情報を集積していけば、地理的な地域の隔たりを越えて多くの人から特定地域の図書情報を提供してもらえるという電子図書館の利用法。
  • 郷里を離れて都会や別の地方都市に暮らす人が、郷里の図書情報を提供することもできる。自分が郷里に住んでいなくても郷里の土地勘があるし、幼友達もいるだろう。そうであれば、郷里の図書情報を提供することによって、懐かしい友達に出会えるかもしれない。電子図書館をつくって「ふるさと貢献」するのもよいだろう。
▼花や植樹
  • 大島椿のさかりは1月から3月だが、4月になっても花が咲いている。2月から3月にかけては旅行はシーズン・オフである。そこのところが大島はうまい。他の観光地がシーズン・オフのときが一番の観光シーズンとなる。大島に椿を植えた人は先見の明があった。
  • もっと市民が身近に植えて、いくらでも増やしていける花があるんじゃないかな。いずれそれが変えられないとするならば「第2盛岡の木」とか「第2盛岡の花」とかを決めて、市民の手で増やして、その季節が来たならもう本当に素晴らしい花祭りができるような、そんな街になりたい、と思うのであります。
  • 地域のシンボルのケヤキをどうしても切らなければならないことになりました。その代わりに、市役所はとても味なことをやりました。周辺の世帯に、庭を持っているお宅に100本のケヤキの苗を配りました。100年のケヤキを切る代わりに100本の小さなケヤキの苗木を地域に配ったのです。「大ケヤキの代わりに地域で100本のケヤキをみんなで育ててください」ということです。住民たちも納得をして、ケヤキの苗木をそれぞれの家の庭に植えたのです。
  • 岩手国体の年にきれいな街づくり運動という中で、中津川の岸辺を緑の川岸にして迎えようということになった。ばかなことをやったんですが、手っ取り早く緑にすることができるオーチャードグラスという成長の早い牧草の種を一斉に川岸全体に撒いたのです。あっという間に茂って見事に緑色の川岸になったんですが、結果として小さな忘れな草やミヤコグサなどの、たくさんの在来の中津川に本来あった小さな草花が、日影になって死に絶えてしまった。まさにアメリカの牧草畑と同じになってしまったのです。
  • いろんな色があるあじさいだが、これは、土の成分が原因となっていることが多い。一般的には酸性の時は青系の色に、そして中性からアルカリ性の時はピンク系になることがわかっている。ただ土壌だけが要因なのではなく、あじさい自体に含まれる助色素と呼ばれる遺伝的な要素も色に影響している。ちなみに毒があるので、お腹がすいたからって食べちゃダメだぞ。
  • 日本全土を覆っているソメイヨシノだが、大変な問題を抱えている。それは、この桜が一本のソメイヨシノから始まった「クローン」だということ。みんな同じDNAを持っているのだ。言い換えると、日本全土のソメイヨシノは、自然に増えることがない。完全に人間がコントロールしている状態なのだ。 ソメイヨシノがクローンであるため、なんらかの病気が流行ると、一気に全滅する恐れがある。また、自然に増えないから、ちゃんと新しい桜を植え続けないと、一気に寿命がきて、日本の桜のほとんどが消滅する恐れもある。
▼アート・景観づくり
  • 脈絡もなく膨大なコレクションを並べたてる中で鑑賞の「感動」が「疲労」になってしまう。美術や芸術鑑賞は、自分の好きな作家や作品にじっくりと浸りたいというのが本当だと思うのです。テーマをはっきり絞った小規模な、個人美術館を志向していくことの方が大事なのではないでしょうか。
  • マンハッタンでは給水塔に杉の樽を使うなど工夫している
▼学術機関
  • 今の時代、地方都市にあっては大学誘致に対する熱烈ラブコールが盛んである。大学が立地することによって、なんといっても若い人たちが街を徘徊することになり、街に活気が得られる。大学は知的産業の雄だから、地域の研究開発の能力が上がる。地域の産業との交流を通して、産学共同の実が挙げられる―といった長所を期待してのことだ。
  • 地域の中で英会話をやって儲けている企業があって、どんどん東京にお金を持っていっているとしよう。それなら地域の中で英会話をやればいい。英会話を教えられる人がいないほど人の少ない地域なら、空き家があるだろうからそれを活用しよう。インターネットを通じて、「ここで週2回英会話を教えてくれれば家賃はタダにします。高速インターネット接続済み」と広告してみよう。家賃10万円を毎月払っている都会の人なら、タダにつられて来てくれるかもしれない。それでタダで英会話を始めれば、他社より安い英会話教室を提供できる。

日本のお金の流れについて

■日本経済

  • 仕組みがいびつなために破たんした経済を元の状態に戻そうとすることは、不安定な場所にあったがゆえに落ちた花瓶を、再び同じ場所に置こうとするようなもの。
  • 2002年の格付け会社の日本国債の格下げに対して、財務官が送った説明を求めるための書簡。(ま、リーマンショックで格付けが意味をなしていないことはわかっていますが。。)
    1. 日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
    2. 格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
      • マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国。
      • その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている。
      • 日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備高も世界最高。
    3. 各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。
      • 1人当たりのGDPが日本の3分の1でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
      • 1976年のポンド危機とIMF借り入れのわずか2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
      • 日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。
  • 日本国で経済活動を営んでいるのは、5つの経済主体となる。それは①政府、②家計、③金融機関、④非金融法人(一般企業)、⑤民間非営利団体(NPO)。
  • 日本の場合は政府が借金をしている側で、国民がその貸し手である。それにもかかわらず、国民の借金としている点で報道はおかしい。政府が踏み倒さない限り、国民にとって資金の貸し出しは資産である。
  • 企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常によりよくならなければならない。

■金利とローンについて

  • 住宅ローンを借りる場合、今後長期的には不動産価格は下落していく可能性が高いことを理解した上で、日本の金利はどんどん上がっていかざるを得ない。変動金利型のリスクをしっかりと考えておくこと。
  • 日本は世界最大の債権国だ。成長はできなくなったが、蓄積はある。これは成熟経済の当たり前の姿であり、自然なものだ。若者には成長力がある。大人には成長の果実がある。

■お金の循環

  • アメリカ自体は貿易赤字で財政赤字。カネがないんです。国債をほかの国に売って、資金を集めて援助資金を出しています。その国債を日本が買っているのですから、「私たちのお金が使われている」ということです。
  • 具体的には、私たちの郵便貯金や銀行などから政府の発行する短期国債が買われ、その資金で政府は米国債を買っている。アメリカはそれで得た資金で、軍事援助をしている。つまり、パレスチナへの爆撃も私たちのお金のおかげで実行できたという構造になっているのです。これが、私たちのお金が引き起こしている現実です。
  • 私たちが六ヶ所村再処理工場に反対しているとします。一方でお金を郵便貯金に預けていたとする。そうすると、預けたお金は意志とは関係なく工場に投じられてしまうんです。反対をしているのに、貯金という形で資金を与えることになるわけです。資金が止まらなければ、もし六ヶ所村の工場を止めさせることができたとしても、別の場所に新たな工場が建ってしまいかねない。そこにお金がある限り、永遠のもぐらたたきゲームをやらされることになります。再処理工場を本当に止めさせるためには、郵便貯金を止めるしかありません。歴史をたどると、もっとすごいことがわかってきます。
  • 日本がアジアへの侵略戦争をしたときの戦争資金のうち、8分の1は税金から、残りの8分の7はなんと郵便貯金を使いました。私たちが口で言ったり、祈ったりしたことは現実にはなりません。未来は、お金をどこに預けたか、どう使ったか、どう稼いだかによって決まるものなのです。
  • 金利を2桁も取るような銀行から借りていてはダメです。現時点で経済成長率はたった1%ですから、その事業が2桁も成長するんだなんてあり得ません。そんな無理をしなくても社会を成り立たせられる仕組みを、自分たちで作ればいいのです。地域は今、国から公共事業をもらうことばかりに躍起になっている。そうやって国に頼ってばかりではなく、自分たちの経済を自分たちでつくる地域のモデルが、どんどんできればいいと思っています。
  • お金は、「時間差」を作り出すことができるんです。その時間差が、すべての問題を引き起こしているのではないでしょうか。現在、ヤシから取れる油を使ってバイオディーゼルを作っている企業は、優良企業と呼ばれています。ヤシを取るためには、山の熱帯林を全て丸裸にし、ガソリンをつけてあたり一面燃やし尽くしています。トウモロコシや大豆からバイオ燃料が作られ、人々の食べる分を失わせてまでクルマを走らせる。しかしそれらの作物は、過去数百万年かけて貯まった水を使って作られ、間もなく砂漠に戻ることになる。そうやって将来世代をだめにしながら金儲けをしている企業が、「優良」とされているのが今の世界なんです。
  • 家庭内の光熱水費で最大なのは電気料金です。しかもその電気は、四天王だけで3分の2を消費しています。その四天王は、「エアコン、冷蔵庫、照明器具、テレビ」です。この4つだけで家庭の3分の2の電気を消費します。
  • 「リバース・モーゲージ」というのですが、その人が死ぬまではその住宅に住んでいたいが、死んでからは手放してもいいと考えていたなら、その人の住宅と土地の価値分を、年金として死ぬまで先払いする仕組みも可能です。亡くなったときには天然住宅がその土地と家を取得します。
  • 日本を代表するような大企業が莫大な利益をあげられるのは、本来は下請けが得るべき利益まで吸い上げて独り占めしている結果と言ってもいいのだ。「われわれについてくれば、あなたも儲かります」ではない。「中国人のように、お前たちも死ぬほど働け」そう言っているに等しいのである。
  • 中小企業の支援も、もともと優秀な企業で放っておいても成功したはずの企業に補助金を出して支援をしても意味がない。官僚のアリバイづくりになっている。
  • 生保業界が恐れるのは、"逆選択"と呼ばれる行為。本人が自主的に遺伝子検査を受けて、高い確率で特定の病気に罹る可能性を承知した上で加入してくるケース。がん保険など対象とする疾病を細分化させた今日の商品構成で そうした被保険者が増えると支払い保険金の額が膨らんで保険料を値上げせざるを得なくなり、場合によっては保険が成立しなくなるかもしれない。
  • 資金を市民の手に取り戻すことができれば、世界経済や金融に巻き込まれなくてすむ暮らしができる。それは人々を各地で経済的に分離・独立させる仕組みになっていくはずだ。
  • 私たちの貯蓄は、私たちの望む未来のために使われていない。私たちが気付かぬうちに、私たちの貯金は環境破壊や戦争、人権侵害に使われてしまっていた。そうなると、私たちのしている環境活動も虚しいものになる。現実の未来は、自分たちが預けた金融機関の使い方ひとつで決まってしまうことになる。
  • イスラム教は、そもそも兵器に融資できません。そんな中、全く制限がないのが日本。その結果、日本の三大メガバンクが、クラスター爆弾を作っている企業に世界で一番融資していました。「将来の暮らしを守る」つもりで預けたお金が、知らぬ間に世界中の子どもを攻撃することにつながっていたのです。

■資源が豊かでも、欲しがる人がいなければ

  • 沖縄の小さな島は、海に囲まれていながらほとんど漁村がない。いくら魚をとっても買ってくれる相手がいなければ漁業なんて成り立たない。島の中では野良仕事の帰りにちょっと浜へ出れば、貝でもタコでも伊勢海老でもすぐとれる。
  • 石垣市のインテリ青年は「この島にいると頭も身体も鈍くなります。誰もあんまり働かない。働きすぎると困るんです。すぐ生産過剰になってしまうから」と自嘲的に語っていた。裸足で歩き、あばら家に住み、貧しい生活をしていて生産過剰もないものだと思うが、そういう最低限の生活をまかなう素朴な農耕と原始的な採集生活の段階以上に出られない、島ちゃび(離島苦)の人々である。

■稼ぎと労働と

  • 単純反復不熟練労働は、それに従事する労働者を企業から離れがたくさせる。一定の年齢に達し、一定の生活内容を作りそれを支える一定の賃金を受け取ると、もう彼は今の企業から出れなくなる。その労働がどんなに退屈極まりないものであっても、今の企業にいるからこそ通用するのであって、他の企業ではもう通用しない。若く、さまざまな可能性を持っている1人の人間が、ひとつの器官だけを激しく使う労働に囲い込まれ、人為的に未発達な人間にされてしまう。何も特徴のない、代替可能な、従順な労働力でいる限り、彼には一定の報酬が一応保障される。彼は閉鎖社会の中で飼い殺しになる。工程を細分化し再構成した合理化は、人間の能力を細分化させ、人格さえ企業に都合のよいように再構成する。それはロボトミーの手術にも匹敵する。
  • トヨタの職工 顔見りゃわかる 痩せて 青くて 眼が赤い。そんなことも言われている。車だけでなく、死人と病人も作ってると。今もそうなのか?
  • 鈍い痛みを持つ右手首。筋張った右手の指。細かい鉄片が突き刺さった掌。疲れの溜まった背の筋肉。胸やけする胃。これが苦しい労働のすえに僕に残されたもの。
  • 労働者が職制に出世するためには、休まない、文句をいわない、変なグループ活動はしない。そして、提案をどんどん提出することが必要。企業の外での集会やグループ活動に顔を出すと、たいてい保安係にチェックされる。労働者はいつも監視されている。
  • トヨタのすべての労働者は、養成工、臨時工、自衛隊、高卒、大卒など、その出身階層別に組織され、ここで働く間は、一生その集団に属し、他の集団には決して移動できることはない、極めて厳格な身分制に縛られている。
  • ニューエコノミーの下では、専門的能力を必要とされる職種と、マニュアル通りに働くだけで能力の向上原則不要の職種に2極化していく。前者に属する人は、若い頃から選別され専門能力をつけるよう働きかけられ、後者に属する人は、仕事能力向上の機会がないまま一生単純労働に従事するように運命づけられることになる。前者は、企業から引き留め圧力が働き、収入は高くなり、転職にも有利な条件が示される。一方、後者は、一生低賃金を強いられ、解雇・失業リスクも高くなる。
  • 「自動車絶望工場」を買っているのは、毎年トヨタに絶望して辞めていく労働者たちではないのか。洪水のように出版される"トヨタ礼賛本"では決して取り上げられることのない労働者の悲痛な叫びの詰まったこの本を読んで、つらいのは自分だけではないんだと知る。疲れ果て敗北感にまみれた彼らの心を癒すセラピスト代わりをつとめるのがこの本であり、それが20年もの間売れ続けてきた理由ではないのか。
  • 代用可能な労働力は、いつでも切り捨てることができるアルバイト、ないし派遣社員を使う。言い換えれば、単純労働者の処遇を気にかけているようでは、国際競争に勝ち残れない時代となってきたのだった。アマゾンはそんなニューエコノミーの典型的企業といえた。
  • 90年代以前のオールドエコノミーと呼ばれる経済成長期の大量生産・大量消費の時代において、企業には労働力を正社員として囲い込み、一生涯戦力として養っていくだけの体力とその必要性があった。しかし90年代半ばからIT企業を中心としたニューエコノミーが台頭してくると、魅力ある商品を安く提供しなければならないという市場のプレッシャーから、企業が正社員として大切にするのはごくわずかな有能な人材だけとなった。
  • アマゾンの場合、どれだけ長く働こうとも時給は900円のままである。アマゾンには長く働きたいと思うインセンティブが欠けている。というより、誰でもできる単純作業なので、アルバイトに長く働いてもらう必要はない、とアマゾンが考えていることのあらわれなのだろう。
  • 永遠に続くように思える単純作業に身を沈めていると、緊張感や集中力はすり減って、惰性に取って代わられる。同じ労働であっても、業界紙で働いていたときと比べると全く質が異なる。センターでの作業に自己実現や達成感を見出すことは難しかった。どんなに頑張っても、将来につながるものが見えてこない。
  • これまでの日本は、教育や雇用の機会が平等に与えられ、その結果として個々に差がつくという"機会平等、結果不平等"の社会であった。しかし今、その平等な機会さえも与えられなくなってきており、はじめから優劣の結果がついた"機会不平等"の社会になりつつある。
  • 日通は業界紙を総会屋とほぼ同列にみなし、一定の距離を保ちながらも付かず離れずの関係を続けていた。懇親会は懇親会ではなく、にらみを利かせることが目的だった。
  • アルバイトが考えなくていいということは、それだけ単純なミスが減るということ。
  • 炭素税にドイツの経済界は大反対した。しかしドイツが賢いのは、経済界がやってきたときにこう言ったことだ。「炭素税で得たお金は、現在企業が負担している年金の半額部分に助成金として出すつもりだ」と。取られるだけと思っていた企業は、自分が受け取れると聞いて文句が言えなくなった。しかし「従業員の年金の半額部分への助成金」はアルバイトを雇っていてももらえない。正社員にするとその助成金を受け取れる。その結果、アルバイトがどんどん正社員に切り替えられ、25万人の正規雇用者を増やした。ドイツは政策ひとつで、トヨタグループ3つ分の雇用を生み出したのだ。

マスメディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)

■世論の使い方

▼世論にできること
  • 法律というものは使い方による。時限爆弾法が本当に破裂するかどうかという問題は、つまるところ世論によります。その法律を作るかどうか、承認するかどうかは議会、ことに議会の多数派が握っている。その法律を政府がどう使うか使わないかというのは、それは政府も真空の中でやっているわけではないから、世論の大きな影響を受けます。世論が圧倒的に反対だったら、その法律をやたらに使うことはできない。だから世論が大事。一般市民の立場からいえば、法律が議会を通ってしまっても抵抗することはできる。時限爆弾を抱えながらこれから先それを使わせないようにする、爆発させないようにする世論を起こすことが重要です。
  • とにかく大切なことは、一般市民の人たちがばらばらになっていないで、手をつなぐことです。老いも若きも男も女も、あらゆる人々が支持してくれるような、そんな運動にしていくことが今一番大事じゃないかな?これまでのような、反対や抗議ばかりを繰り返す運動では、ますます対立の壁を高くしていくばかり、解決の糸口は得られませんよ…
  • 住民運動を成功させるためには、純粋の、無党派のあるいは超党派の運動でなければならない。
▼少数派の尊重
  • 民主主義の根底は仮に多数派によって行動することであると同時に、常に少数派意見を大事にするということ。全会一致団体というのは、いい目標を選んだときはみんなが一致協力するから効率的に働くが、選んだ目標がまずくて方向を変える必要があるときには、方向転換能力が欠如しているので「玉砕」する。それを避けるためには、方向を変えるべき時に、同じ人が後悔して新しい道を発見するのではなくて、
  • 初めから別の方向について考え、それを望み研究してきた人たちと選手交代すればいい。そうすると、方向を変えやすい。
▼中身がなければ、結局は人気投票
  • 漫才で人気のあることと、府知事としての政治家の能力とはなんら関係がないのに圧倒的な多数票で勝った。今日ではメディアから自由な大衆というものは存在しない。テレビの人気投票と府知事の選挙とは違うはずで、実は違わなかった。
  • 日本の政府とメディアは言葉をうまく使ってごまかしていると思う。不快な事実、あるいは隠したい事実がはっきりと見えないように、それをごまかすようにユーフェミズム(遠回しの言い方)が作用している。政府側が使う場合には、それは大衆操作の道具になる。敗戦を「終戦」、占領軍を「進駐軍」というのはその極端な例。日米関係といえばいいところを国際関係という。不快なこと、悪いこと、嫌なことを大体隠す。あるいは和らげるように使っている。そして全体として、日本国にあまり悪いことはないという印象がつくり出されるようになっている。
  • 過去の大勢が今の大勢に変わるので、将来また変わるかもしれない。大勢に順応するという大勢は、つねに現在の大勢です。その今の大勢と過去の大勢との関係、それから未来の大勢との予想される関係というのは原則として問題にならない。ところがもし自ら大勢を作るのなら、それは考えないといけない。過去の大勢を批判し継承しながら、現在の大勢を作る。現在の大勢の弱点と強い点、あるいは利点とマイナス面とを分析して、未来の大勢を作ろうとしなければなりません。ところがそうではなくて、与えられた大勢に従うわけですから、その場合には過去に何があったかというのは必要なくなる。
  • 現在の状態は現在の状態としてそのまま受け取るということですから、過去および未来から切り離された現在の状態としてそのまま受け取るということだと思います。市場が理解できなくても、市場や時代の向かう方向が正しい方向になる。逆行させることができない以上、何か理由があるはずなのでそれを掴んで自分に活かすことが大事。
  • 日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚を抱くようになった。
  • 民主主義の本質は主権在民。主権在民とは「世論が全て」。そして国民の判断材料はマスコミだけだから、事実上、世論とはマスコミ。言い方を変えれば、マスコミが第一権力になる、ということ。
  • 民主主義は「国民が成熟した判断ができる」という大前提に基づいている。そして、国民が成熟することは永遠にないので、民主主義は成り立たない。
  • マスメディアにはヒエラルキーがある。その階層構造は取り扱われる情報の種類によって異なるが、飲食店関連の情報は基本的に「雑誌」が源。まず雑誌が飲食店の情報を掲載し、その情報を見てテレビ、ラジオ、新聞といった各メディアが取り上げ、記事や番組にしていくパターンが多い。
  • 雑誌の現場の記者や編集者を味方につけた方が記事になりやすい。雑誌の命は、「ネタ」の良さにつきる。すなわち取材対象の内容の良さ(鮮度、衝撃など)が勝負どころ。「情報が新しい」「内容が新鮮」「今の時流の先端」であればあるほど、ページ上で大きく扱われる。
  • 「いい店をつくったのに、全然雑誌が注目してくれない」。こういったお店は、雑誌編集者が注目するような「切り口」が欠落しているケースが多い。実際に、お店の工事に着工する前に、まず店の「切り口」をどう定めるかに知恵を注がねばならない。
  • メディアとの付き合いの極意は「付かず離れず、本気にせず、でも親切に、ていねいに」
  • 日本の場合には、メディアが、テレビ・ラジオ・新聞が同じ系列で動くという形になっている。これは諸外国では情報を制限してしまうことになるので禁止されていたりするんですが、日本では、テレビ・ラジオ・新聞が同じ資本でやっていて、そこの最大の広告宣伝費のオーナーになっているのが電力会社、そのおかげでまともな情報が流れない。日本の中でメディアを握ってしまっているのは、はっきり言ってエネルギー産業、しかも電力会社という構図になってしまっている。
  • 経過の全体を思い出して、昨日の会議のやりとりを判断することができることも必要。私たちは事実を新聞によって知る。しかしその事実の意味づけを新聞だけによってすることはできない。新聞から与えられる事実を、なんらかの方法で記憶する 工夫を編み出すことは、新聞を読みながら、そこで報道されている事実に意味を与えるために、 世の中の出来事に対して自分の意見をつくるために、どうしても必要なこと。

■スポンサー第一

  • 最大スポンサーである電力会社の圧力は、おそらくメディアにとって非常に怖いものに違いない。その結果、電力会社にとって不都合なことは伝えないというような状況になっている。それが日本を「情報鎖国」にしている。これを解決するには、電力会社にこのような情報支配のための広告宣伝費を出させない仕組みが必要。電力会社が持っている巨大な資金源と、パブリックアクセプタンスと呼ばれるような勝手な情報操作を断つ必要がある。
  • 日本中の新聞、ラジオ、テレビといったマスメディアは電力会社に遠慮して本当のことは伝えないもの。2007年の東京電力の広報宣伝費は286億。日本全体で18位、その前年は16位。日本の電力会社は10社あり、それぞれが広告を出している。東京電力は日本全体の1/3の電力を供給しているので、3倍としても1000億弱。電気事業者団体も広告宣伝費を持っているため、テレビ、ラジオ、新聞の最大のスポンサーであるトヨタを電力会社全体では超えることになる。

■広告宣伝について

  • 雑誌や新聞等での一般のパブリシティ展開は非常に重要。専門のパブリシティ会社に委託し、積極的に各編集部に働きかけることで好意的な記事を書いてもらうのです。こういう場合、今までの実績がモノをいいます。特に、第一線の記者・編集者たちは子どものころから宮崎や高畑のアニメーションに親しんできた人が多く、好意的にジブリ作品をとらえてくれるのが強みです。活字媒体での一歩踏み込んだ記事展開は強力な援護になります。
  • 新聞は中高年のオジサンとオバサンしか見ない。テレビもそうなっている。雑誌は総倒れ状態。若い人たちはどこで情報を手に入れるかというと、ひとつはコンビニ。7000~8000店あるローソンを例にとっても、来ているのは若い連中で、そこにフリーペーパーが置いてある。100万部ですよね。それにCDショップが出しているフリーペーパーもある。極論を言うと、テレビも見ない、新聞も雑誌も読まない、インターネットも見なくなった若い連中は、コンビニとレコード屋さんでしか情報を手に入れない。あまりに押し寄せる情報に対してノー。俺たちはこれだけでいいって思っている。
  • マスコミはインディーズを話題にしますけど、当たっているのは1年に1作くらいで、あとは死屍累々。過大評価しすぎ。ほとんどは3000から多くて5000枚。だから普遍化もできないし、どうってことはない。
  • 単に新聞の立場ばかりではなく、その影響力についてもおよその見当を持っていた方がよい。

自分のマネジメント

■どんな人生にしたいか

  • 僕たちにとって大事なことは、僕たち自身がどんな青年として生きるかってこと。そんな中でたくさんの出会いが始まる。
  • 誰かのために泣いたり、誰かの喜びで笑ったり、そして僕たちはその大切な人を、1人、2人、3人と増やしながら、自分の幸せっていうものを限りなく大きくしていく。成長っていうのはAからBへ、BからCへと移るんじゃない。AからABへ、ABからABCへって、段々と広がっていくんだと思う。
  • 自分にとって大切な人たちが、世界中の人たちを大切に思い、愛してしまった人にとっては、世界中のどこかに悲しみの人が1人でもいれば、その人をおいて自分だけが幸せになることができない。僕たち、どれだけ大切な人を持っていますか。それがとっても大事なことだって気がする。誰も大切な人のいない人は、自分だけの幸せで生きていける、わずらわされないで。でも、寂しいことだね。
  • あの子たちに将来、何が必要なのか、ということを僕たちは何も考えていなかったんじゃないのか。今僕たちの力で、あの子たちの将来に役に立つものだけを自分の中から選んで持っていこうよ。
  • みんなが自分のことを大切に思っている。だとすれば、どうして他人のことを傷つけられるだろうか。みんながいろいろな悩みを抱えている。だとすれば、どうして、「私たちがあなたを救ってあげます」と言い切って、他人の襟首を掴んで引きずりまわすようなことができるのだろうか。
  • 豊かさは、人が持っている金の量ではなく、その人が維持している人間関係の質や数によってはかられる。多額の銀行預金や広い土地や多くの物を持っている人を成功者とは呼ばない。家庭や祖父母を含む大家族、地域社会において、忠実で献身的な人々から成る大きく活発な人的ネットワークを持っている人が、成功者とみなされる。気前の良さや分かち合うことが最高に評価される。人が人をどのように扱うかが何より重要な文化で、人は充実した人生を送り長く健康に生きる傾向がある。
  • 夢を楽しく想像する。誰に言われるまでもなく、勝手に想像してワクワクしてしまうようなんが夢やねん。考えはじめたら楽しゅうて止まらんようになるんが夢やねん。
  • 夢は、口にして初めて実現する。「100万回口にした夢は実現する」とか言うけど、やっぱり口ぐせにする程言ってるってことはいつもその夢のこと考えてるってことで、そしたらどんなチャンスにも体や脳が勝手に反応するようになっていく。だから、「○○したい。」「○○になりたい。」ってのはどんどん口にした方がいいんだ。
  • 諸君らには、過去20年という人生の空費が、うっかりすると試験の成績とか、さらには運動競技で負けた口惜しさほどにも、心に響いていないではないかと思われる。このことは、諸君らの若さとしては、一応無理からぬことではあります。それというのも、われわれ人間は、普通のままに放っておかれれば、自分の生命に対して愛惜の念を起こすようになるのは、まず人生の半ばを過ぎかけてからのことであって、普通にはまず40歳前後からと言ってもよい。
  • 勝ち負けにこだわって、頑張りすぎると息切れする。どんな険しい坂道も長い道のりも、いつかは着くだろうと、ゆるい気持ちで走ることが大切だ。これは、人生にもいえること。いくら頑張っても、世間の評価とかはそう簡単にはついてこない。そんな経験を僕なんかずっとしてきたから、そういう価値観にしばられたくない。なによりも大事なことは、自己満足。自分の走りに納得できれば、それでいい。
  • 「たぶん、人間の幸福な生活とは、こういう単調にさえも見える、隔絶されている世界にあるのかもしれない」ほかの人、ほかの人生を見ればきりがない。欲にもきりがない。自分のいる場所、身のまわりのこと、自分の立場、それらを愛することができるかどうか。それが人の人生を左右するんじゃないだろうか。番台のおばあさんの話を聞きながら、そんなことをぼんやり考えていた。
  • 教養のある人間とは自分の生き方を常に問いかけている人である。
  • 生んでくれた親を大事にして、家族を大事にして、美味いものを食べて、神様が与えてくれた時間を自分の好きな人たちと一緒に楽しく過ごす。それだけ。そこにサッカーがあれば、もう何もいらない。金持ちも貧乏人も、そのことは同じです。
  • 「やれたはずなんだけど」とは決して言わない。それはやらなかったことだからだ。
  • 思い通りになる人生なんかあったら、おもろない。
  • この歳三は、おそらく生涯、恋など持てぬ男だろう。しかし剣がある。新撰組がある。これへの実意は誰にもおとらない。近藤がいる。沖田がいる。彼らへの友情は、誰にもおとらない。それでいい。それだけで、十分、手ごたえのある生涯が送れるのではないか。
  • 機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。世間でふつうにいう機会は前者である。しかし真の機会は、時勢に応じ理にかなって我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、機会は我々が作り出さなければならない。
  • 「数多くの涙なくして人生はなし」
  • 幸運は、向こうからやってくるものじゃない。自分で探して追いかけるものだ。

■考える軸について

  • 人生を6本の軸で時系列を引いて考えてみると、バランスがいいかもしれない。
    • 仕事 / 家庭 / 教養 / 財産 / 趣味 / 健康
  • それぞれの軸に対して「定量的なチェックができるかどうか」を意識して目標を作ってみるとあとで検証しやすいです。星取表みたいに、今の自分に足りていないとこまで書いてみちゃってもいいかもしれないですね。
  • それぞれに波があって、優先度もその時その時で変わってしまっても全然アリ。でも、どれかだけのことを考えて動いていかないように。
  • 世界に偶然はない。ただ必然があるのみである。兆候や要因を見逃してしまうからこそ、偶然として捉えることになってしまう。理由のない出来事は存在しない。
  • 大事なことは、自分の経験していくことが体系化され一つの大きな集合知を形成していく、ということを意識すること。一つ一つの活動はそれぞれ個々のノウハウになるだけでなく、全ての活動にフィードバックされ活かされて、ブラッシュアップされていく。何をやってもレベルアップしていく形になっているといい。
  • 「何でもしてもらえる」「自分でやらない」ことが天国ってわけではない。やりたいと思ったことが何一つやらせてもらえないなら、それは地獄と言ってもいい。困難はあっても、自分でなんでも挑戦できることも自由の一つと受け止めていくのが前向きでいいんじゃないかなと、そう思います。
  • 10年前の自分も10年後の自分も今の自分も「いいじゃんお前」って言ってくれるかどうか。
  • うんうん、て聞いてくれる人と一緒にいる幸せ。そんなものを感じてもらえる人になる。
  • 「ものごとは努力によって解決しない」「自分の努力が足りない」とか「頑張ってるのに報われない」とか言う人がいるが、逆に「努力すればうまくいく」なんてことがあるのか。人間が自分の努力によってなんでも解決できると考える方がおかしくないか。解決するはずのない努力を免罪符にしていないか。
  • 4つのスケジュールを作る。まずは現場の仕事のスケジュール、次は、自分が職業人として身につけていくべきスキルを習得する為のスケジュール、次は、家族とのスケジュール、「子供を守る、育てる」最後に、老後の人生の為のスケジュール。会社とは無関係に、死ぬまで生き甲斐を持てる仕事を今から作るべき
  • 「結論から」「全体から」「単純に」考えること。
  • ビッグピクチャーシンキング。
  • 「はじめ」からでなく「終わり」から、「手段」からでなく「目的」から、「できること」からでなく「やるべきこと」から、「自分」からでなく「相手」から。
  • 「夢は抽象的に大きく持つこと。」例えば「豪邸を持つ」という夢があったとして、それを「その為に1億貯める」に落としちゃいけない、ということ。そうすると1億の家しか買えなくなる。もっと大きい家が手に入るかもしれないのに。抽象的で良いか悪いかは別として、夢は大きく持たなきゃいけないってのは大学の頃から教えられて、そうしてきた。同じこと言われた気がしました。いろんな人に同じことを言われる。これってやっぱ同じような体験をしてるんだろなって思えるし、信憑性も増していくかなーって思います。
  • 自分のやりたいことはすぐにやる。つまり自分が本当にしたいと思ったことは、何物を投げ打ってもただちにそれをやる。そしてもう一つは、夢中になるということ。夢中になることのできない人間は、どうも駄目なようですね。それからもう一つは、最後までやり抜くということです。人間が偉いか偉くないかは、これでわかれるのです。大体物事というものは、7割か7割5分辺までいくと、辛くなるものです。富士登山でいえば、胸突き八丁です。そこをしゃにむにやり通すか否かによって、人間の別が生じるんです。
  • 「苦しみに遭って自暴自棄に陥るとき、人間は必ず内面的に堕落する。…同時に、その苦しみに堪えて、これを打ち越えたとき、その苦しみは必ずその人を大成せしめる。」
  • 人生の意義は、青少年の時におけるその人の志の立て方のいかんに比例すると言ってもよいわけです。すなわち人間の価値は、その人がこの人生の無限なる意味を、どれだけ深く自覚し、またそれをどれほど早くから、気づくか否かによって定まるとも言えましょう。1人の農夫、1人の職工に至るまでが、それぞれ民族の使命を自覚して、自分のなすところが、いかなる意味において、国家の大使命に貢献し得るかを自覚するに至ってその国家は、初めて真正な国家となると言えましょう。梯子段を上へ登ることばかり考えて、そのどこかに踏みとどまって鉱石を掘ることに着手しない限り、一番上の段階まで登って、たとえそれが金鉱のある場所だとしても、その人は一塊の金鉱すらわが手には入らない。お互い人間として最も大切なことは、単に梯子段を一段でも上に登るということにあるのではなくて、そのどこか一ヶ所に踏みとどまって、己が力の限りハンマーをふるって、現実の人生そのものの中に埋もれている無量の鉱石を、発掘することでなくてはならぬ。さらにまた面白いことには、かように内へ内へと無限に坑道を掘っていきますと、始めのうちは鉄鉱ばかりが出ていたのに、坑道がしだいに大きくなるにつれて、そのうちには銅鉱も出て、さらには金銀鉱さえ掘りだされるというような場合も、現実には大いにあり得るということです。高等師範などは、4年経てば業は終わるのです。ところが、岩壁を掘って、一つの坑道を切り開くということになりますと、それはまさに終生の事業と言ってよいでしょう。が同時にまたかように、1人の人間がその生涯をかけて切り開いた道というものは、単にその人1人にとどまることなく、後からくる幾多の人々がその恩恵に浴するのであります。
  • 必要なのは、予算よりも、時間よりも、理解。理解ほど、貴重で入手が困難なものはない。
  • 他人の意見をなるほどと思うコトが悪いのではない。しかしそのためには、その他人が誰であるかがはっきりしていなければならないし、また相手方の意見が明瞭で、こちらが賛成する理由もまた明瞭でなくてはならない。 誰だかわからない影の人物の意見を無意識のうちに自分の意見の内容としているということほど危険なことはない。
  • 一面的でないどんな深い思想もなかった。肌触りがよく、誰にも便利な石鹸というものはありますが、円満で誰にも便利な思想というものは、今までにもなかったし、今でもないし、また将来もない。それが石鹸と思想の違い。
  • どうなる、というのは漢の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。
  • 古いものがすべて悪いものではなく、新しいものが必ずしもすべて良いものでも完全なものでもないと言うにすぎない。新しいものには、まだ改良される余地があり、古いものには、まだ再活用される要素があるのである。
  • なすべきことは、結果を問わずなされなくてはならない
  • 「正しいとか正しくないは所詮人が決めたこと」
  • 未来を変えていく活動には3つの方向がある。ひとつはタテの動き。自分が政治家になるなり、政治家に影響を及ぼすなどして社会を下から上、上から下に変えていこうとする動き。もう一つはヨコ。多くの人たちに伝えることで、ムーブメントを起こし、それによって社会を変えていこうとするのがヨコの動き。もう一つがナナメ。全く別な仕組みを考え、現実に新たなやり方をやってみせる。社会を変えるには、その全てをやっていくことが必要だと思う。
  • 客観的に見ていくと、私たちが口で言ったり祈ったりしたことは、何一つ現実にはならない。私たちの未来を作るのは、私たちのカネだ。おカネをどう使ったか、どう貯めたのか、どう稼いだのかが私たちの未来を作る。ならばおカネを考えなければ、問題解決の糸口すらつかめない。
  • 世の中には、てめえのことを差し置いて他人の心配ばかりする人間が多すぎるんだ。てめえのケツも拭けねえやつが、どうして社会のためだとか公共のためだとかに走りまわるの。それぞれがしっかりしていりゃ、世の中良くなるに決まってるじゃねえか。かく言う俺だって、人並みの苦労はしてきたよ。だが悪い時分には、誰も助けちゃくれなかった。どだい社会正義なんてのはその程度のものさ。
▼ミッションステートメント
  • 何度も見直し、磨き上げる必要がある
  • 体裁にこだわらず、とにかく作成する
  • 書き上げる過程が完成と同じくらい重要
  • 強力なミッション・ステートメントの共通点
    1. 心の中の最深、最良のものを表している
    2. 独自の才能を発揮できるようになっている
    3. 自らの利害関係を超え、「貢献」に結びついている
    4. 人間の肉体的、社会的、知的、精神的ニーズに結びついている
    5. 質の高い生活を生み出す原則に基づいている
    6. ビジョン、原則に基づいた価値観の双方に関わっている。
    7. 人生の重要な役割全てに関わっている
    8. 他人に印象付けるためではなく、自分を振い立たせるものである
  • 目的を持って始める最も簡単で大きな効果があるのはミッション・ステートメントを纏めること

■知らないことは失うこと

  • 無知なものは、罪を犯す時まではそんなに大それたことと思わないでいて、犯した時に至って初めて、その罪の大きかったのに仰天する。
  • 奴隷は、自分が奴隷であることがわかりません。
  • 異常現象というものは、何かを探している人が見ないと、それが起きても気が付かないものです。海面から出てくるUFOを見ても、単細胞の頭脳の科学者なら、大きな鯨が跳ねているくらいにしか見えないでしょう。
  • 知識は良い人生を築く力だということ、忘れてはいけませんよ。
  • 人間、自分のことが一番わからない。人のことはよくわかるけれど、自分では自分のいいところしか見えていないもんだ。

■モチベーションについて

  • 厳しいところで結果を出せれば、他のとこでも絶対出せる。
  • 何もなかったとこをできるようにするからこそ、伝説になる。
  • 自分は設定した数字で物語を作れるか、数値目標と方法論が明確かどうか
  • 挑戦してる人を見るだけで元気になる。共鳴ってある。会うだけで、周りにいるだけで元気になれる人になろう。相手に勇気を与えるには、勇気を見せることが必要。
  • 「やる気にさせる」と「楽にさせる」は違う。楽にさせたら、わがままになるだけ。ダメにしちゃう。人を育てるのであれば、「楽にさせる」ではない。
  • 計画は100%達成でなければ意味がない。物事は連続している以上、99%でも繰り返しの掛け算の中でどんどん陳腐化してしまう。ミスはまったく許されるべきではない。
  • 良い採算制度があるから採算が上がるのではなく、現場の人たちが採算を上げようと思うから上がる。
  • 成長の為には、ある程度のオーバーローディングは必要。処理できない程の量を前にして、人は改善や抽象化をはかるようになっていく。
  • 諦めないでいられるカードを残す。学校全体で取り組んでるところもある。
  • 揺らがず、捉われず。心を揺るがし、捉われを生み出すのは「環境」「経験」「他人」に対するマイナスの認知・解釈。
  • 「正しい」は基準となる「一」にピッタリ「止」まるからこそ、正しいとなる。はじめに「一」を確認する、基準を作ることが大事になる。基準があるから頑張れる。達成できれば喜べる。自分のタクトタイム(仕事の標準時間)を把握していくことも大事。
  • 決めたことを続けるための環境を作る。「本気で変わろ思たら、意識を変えようとしたらあかん。意識やのうて『具体的な何か』を変えなあかん。具体的な、何かをな」
  • やる気はわかりやすい形で見せること。やる気があるなら、口にしてるだけじゃなくて形にしなきゃダメ。
  • トルシエをして、「試合に出さないとぶっ殺すというオーラが彼にはある」と言わしめた負けん気が、男を強くした。不器用な闘争で壁をぶち破るたび、彼は力が湧くのを感じたと言う。
  • 「最近、熱くなるものが自分の中になくて。口では、"死ぬ気でやるぞ"と言っても、どこかに冷めた自分がいる。自分は感情量の多い選手で、落ちるときは落ちる。調子に乗っているときはいいけど、落ちるとどうにもならない。もちろん、それは甘えで、弱さだと思うよ。だからそんなことをぐちぐちと考え、言い訳を探している自分はサイテー。俺は俺をぶん殴ってやりたい」
  • 技の差ではない。度胸の差。

■リスクを管理する

▼明日の準備をする
  • 一流の人間はどんな状況でも常に結果出すから一流なんや。常に結果出すにはな、普通に考えられてるよりずっと綿密な準備がいるねん。ええか?ワシは明日の富士急ハイランドのスケジューリングを通してそのことを自分に教えたってんねや。
  • 偶然は準備のある心の持ち主に微笑む
  • 準備完全
▼危機感
  • 「危機感」を持つということは一種の「才能」であり、ビジネスにおける「天才」と呼ばれる人々は、例外なく、まさに野性的といえるほどの鋭敏な「リスク感覚」を持っているが、この「リスク感覚」は使わないと「退化」していく。「リスク感覚」を喪失するということが、実は「最大のリスク」である。