2014年8月5日火曜日

日本のお金の流れについて

■日本経済

  • 仕組みがいびつなために破たんした経済を元の状態に戻そうとすることは、不安定な場所にあったがゆえに落ちた花瓶を、再び同じ場所に置こうとするようなもの。
  • 2002年の格付け会社の日本国債の格下げに対して、財務官が送った説明を求めるための書簡。(ま、リーマンショックで格付けが意味をなしていないことはわかっていますが。。)
    1. 日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。
    2. 格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。
      • マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国。
      • その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている。
      • 日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備高も世界最高。
    3. 各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。
      • 1人当たりのGDPが日本の3分の1でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
      • 1976年のポンド危機とIMF借り入れのわずか2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
      • 日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。
  • 日本国で経済活動を営んでいるのは、5つの経済主体となる。それは①政府、②家計、③金融機関、④非金融法人(一般企業)、⑤民間非営利団体(NPO)。
  • 日本の場合は政府が借金をしている側で、国民がその貸し手である。それにもかかわらず、国民の借金としている点で報道はおかしい。政府が踏み倒さない限り、国民にとって資金の貸し出しは資産である。
  • 企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常によりよくならなければならない。

■金利とローンについて

  • 住宅ローンを借りる場合、今後長期的には不動産価格は下落していく可能性が高いことを理解した上で、日本の金利はどんどん上がっていかざるを得ない。変動金利型のリスクをしっかりと考えておくこと。
  • 日本は世界最大の債権国だ。成長はできなくなったが、蓄積はある。これは成熟経済の当たり前の姿であり、自然なものだ。若者には成長力がある。大人には成長の果実がある。

■お金の循環

  • アメリカ自体は貿易赤字で財政赤字。カネがないんです。国債をほかの国に売って、資金を集めて援助資金を出しています。その国債を日本が買っているのですから、「私たちのお金が使われている」ということです。
  • 具体的には、私たちの郵便貯金や銀行などから政府の発行する短期国債が買われ、その資金で政府は米国債を買っている。アメリカはそれで得た資金で、軍事援助をしている。つまり、パレスチナへの爆撃も私たちのお金のおかげで実行できたという構造になっているのです。これが、私たちのお金が引き起こしている現実です。
  • 私たちが六ヶ所村再処理工場に反対しているとします。一方でお金を郵便貯金に預けていたとする。そうすると、預けたお金は意志とは関係なく工場に投じられてしまうんです。反対をしているのに、貯金という形で資金を与えることになるわけです。資金が止まらなければ、もし六ヶ所村の工場を止めさせることができたとしても、別の場所に新たな工場が建ってしまいかねない。そこにお金がある限り、永遠のもぐらたたきゲームをやらされることになります。再処理工場を本当に止めさせるためには、郵便貯金を止めるしかありません。歴史をたどると、もっとすごいことがわかってきます。
  • 日本がアジアへの侵略戦争をしたときの戦争資金のうち、8分の1は税金から、残りの8分の7はなんと郵便貯金を使いました。私たちが口で言ったり、祈ったりしたことは現実にはなりません。未来は、お金をどこに預けたか、どう使ったか、どう稼いだかによって決まるものなのです。
  • 金利を2桁も取るような銀行から借りていてはダメです。現時点で経済成長率はたった1%ですから、その事業が2桁も成長するんだなんてあり得ません。そんな無理をしなくても社会を成り立たせられる仕組みを、自分たちで作ればいいのです。地域は今、国から公共事業をもらうことばかりに躍起になっている。そうやって国に頼ってばかりではなく、自分たちの経済を自分たちでつくる地域のモデルが、どんどんできればいいと思っています。
  • お金は、「時間差」を作り出すことができるんです。その時間差が、すべての問題を引き起こしているのではないでしょうか。現在、ヤシから取れる油を使ってバイオディーゼルを作っている企業は、優良企業と呼ばれています。ヤシを取るためには、山の熱帯林を全て丸裸にし、ガソリンをつけてあたり一面燃やし尽くしています。トウモロコシや大豆からバイオ燃料が作られ、人々の食べる分を失わせてまでクルマを走らせる。しかしそれらの作物は、過去数百万年かけて貯まった水を使って作られ、間もなく砂漠に戻ることになる。そうやって将来世代をだめにしながら金儲けをしている企業が、「優良」とされているのが今の世界なんです。
  • 家庭内の光熱水費で最大なのは電気料金です。しかもその電気は、四天王だけで3分の2を消費しています。その四天王は、「エアコン、冷蔵庫、照明器具、テレビ」です。この4つだけで家庭の3分の2の電気を消費します。
  • 「リバース・モーゲージ」というのですが、その人が死ぬまではその住宅に住んでいたいが、死んでからは手放してもいいと考えていたなら、その人の住宅と土地の価値分を、年金として死ぬまで先払いする仕組みも可能です。亡くなったときには天然住宅がその土地と家を取得します。
  • 日本を代表するような大企業が莫大な利益をあげられるのは、本来は下請けが得るべき利益まで吸い上げて独り占めしている結果と言ってもいいのだ。「われわれについてくれば、あなたも儲かります」ではない。「中国人のように、お前たちも死ぬほど働け」そう言っているに等しいのである。
  • 中小企業の支援も、もともと優秀な企業で放っておいても成功したはずの企業に補助金を出して支援をしても意味がない。官僚のアリバイづくりになっている。
  • 生保業界が恐れるのは、"逆選択"と呼ばれる行為。本人が自主的に遺伝子検査を受けて、高い確率で特定の病気に罹る可能性を承知した上で加入してくるケース。がん保険など対象とする疾病を細分化させた今日の商品構成で そうした被保険者が増えると支払い保険金の額が膨らんで保険料を値上げせざるを得なくなり、場合によっては保険が成立しなくなるかもしれない。
  • 資金を市民の手に取り戻すことができれば、世界経済や金融に巻き込まれなくてすむ暮らしができる。それは人々を各地で経済的に分離・独立させる仕組みになっていくはずだ。
  • 私たちの貯蓄は、私たちの望む未来のために使われていない。私たちが気付かぬうちに、私たちの貯金は環境破壊や戦争、人権侵害に使われてしまっていた。そうなると、私たちのしている環境活動も虚しいものになる。現実の未来は、自分たちが預けた金融機関の使い方ひとつで決まってしまうことになる。
  • イスラム教は、そもそも兵器に融資できません。そんな中、全く制限がないのが日本。その結果、日本の三大メガバンクが、クラスター爆弾を作っている企業に世界で一番融資していました。「将来の暮らしを守る」つもりで預けたお金が、知らぬ間に世界中の子どもを攻撃することにつながっていたのです。

■資源が豊かでも、欲しがる人がいなければ

  • 沖縄の小さな島は、海に囲まれていながらほとんど漁村がない。いくら魚をとっても買ってくれる相手がいなければ漁業なんて成り立たない。島の中では野良仕事の帰りにちょっと浜へ出れば、貝でもタコでも伊勢海老でもすぐとれる。
  • 石垣市のインテリ青年は「この島にいると頭も身体も鈍くなります。誰もあんまり働かない。働きすぎると困るんです。すぐ生産過剰になってしまうから」と自嘲的に語っていた。裸足で歩き、あばら家に住み、貧しい生活をしていて生産過剰もないものだと思うが、そういう最低限の生活をまかなう素朴な農耕と原始的な採集生活の段階以上に出られない、島ちゃび(離島苦)の人々である。

■稼ぎと労働と

  • 単純反復不熟練労働は、それに従事する労働者を企業から離れがたくさせる。一定の年齢に達し、一定の生活内容を作りそれを支える一定の賃金を受け取ると、もう彼は今の企業から出れなくなる。その労働がどんなに退屈極まりないものであっても、今の企業にいるからこそ通用するのであって、他の企業ではもう通用しない。若く、さまざまな可能性を持っている1人の人間が、ひとつの器官だけを激しく使う労働に囲い込まれ、人為的に未発達な人間にされてしまう。何も特徴のない、代替可能な、従順な労働力でいる限り、彼には一定の報酬が一応保障される。彼は閉鎖社会の中で飼い殺しになる。工程を細分化し再構成した合理化は、人間の能力を細分化させ、人格さえ企業に都合のよいように再構成する。それはロボトミーの手術にも匹敵する。
  • トヨタの職工 顔見りゃわかる 痩せて 青くて 眼が赤い。そんなことも言われている。車だけでなく、死人と病人も作ってると。今もそうなのか?
  • 鈍い痛みを持つ右手首。筋張った右手の指。細かい鉄片が突き刺さった掌。疲れの溜まった背の筋肉。胸やけする胃。これが苦しい労働のすえに僕に残されたもの。
  • 労働者が職制に出世するためには、休まない、文句をいわない、変なグループ活動はしない。そして、提案をどんどん提出することが必要。企業の外での集会やグループ活動に顔を出すと、たいてい保安係にチェックされる。労働者はいつも監視されている。
  • トヨタのすべての労働者は、養成工、臨時工、自衛隊、高卒、大卒など、その出身階層別に組織され、ここで働く間は、一生その集団に属し、他の集団には決して移動できることはない、極めて厳格な身分制に縛られている。
  • ニューエコノミーの下では、専門的能力を必要とされる職種と、マニュアル通りに働くだけで能力の向上原則不要の職種に2極化していく。前者に属する人は、若い頃から選別され専門能力をつけるよう働きかけられ、後者に属する人は、仕事能力向上の機会がないまま一生単純労働に従事するように運命づけられることになる。前者は、企業から引き留め圧力が働き、収入は高くなり、転職にも有利な条件が示される。一方、後者は、一生低賃金を強いられ、解雇・失業リスクも高くなる。
  • 「自動車絶望工場」を買っているのは、毎年トヨタに絶望して辞めていく労働者たちではないのか。洪水のように出版される"トヨタ礼賛本"では決して取り上げられることのない労働者の悲痛な叫びの詰まったこの本を読んで、つらいのは自分だけではないんだと知る。疲れ果て敗北感にまみれた彼らの心を癒すセラピスト代わりをつとめるのがこの本であり、それが20年もの間売れ続けてきた理由ではないのか。
  • 代用可能な労働力は、いつでも切り捨てることができるアルバイト、ないし派遣社員を使う。言い換えれば、単純労働者の処遇を気にかけているようでは、国際競争に勝ち残れない時代となってきたのだった。アマゾンはそんなニューエコノミーの典型的企業といえた。
  • 90年代以前のオールドエコノミーと呼ばれる経済成長期の大量生産・大量消費の時代において、企業には労働力を正社員として囲い込み、一生涯戦力として養っていくだけの体力とその必要性があった。しかし90年代半ばからIT企業を中心としたニューエコノミーが台頭してくると、魅力ある商品を安く提供しなければならないという市場のプレッシャーから、企業が正社員として大切にするのはごくわずかな有能な人材だけとなった。
  • アマゾンの場合、どれだけ長く働こうとも時給は900円のままである。アマゾンには長く働きたいと思うインセンティブが欠けている。というより、誰でもできる単純作業なので、アルバイトに長く働いてもらう必要はない、とアマゾンが考えていることのあらわれなのだろう。
  • 永遠に続くように思える単純作業に身を沈めていると、緊張感や集中力はすり減って、惰性に取って代わられる。同じ労働であっても、業界紙で働いていたときと比べると全く質が異なる。センターでの作業に自己実現や達成感を見出すことは難しかった。どんなに頑張っても、将来につながるものが見えてこない。
  • これまでの日本は、教育や雇用の機会が平等に与えられ、その結果として個々に差がつくという"機会平等、結果不平等"の社会であった。しかし今、その平等な機会さえも与えられなくなってきており、はじめから優劣の結果がついた"機会不平等"の社会になりつつある。
  • 日通は業界紙を総会屋とほぼ同列にみなし、一定の距離を保ちながらも付かず離れずの関係を続けていた。懇親会は懇親会ではなく、にらみを利かせることが目的だった。
  • アルバイトが考えなくていいということは、それだけ単純なミスが減るということ。
  • 炭素税にドイツの経済界は大反対した。しかしドイツが賢いのは、経済界がやってきたときにこう言ったことだ。「炭素税で得たお金は、現在企業が負担している年金の半額部分に助成金として出すつもりだ」と。取られるだけと思っていた企業は、自分が受け取れると聞いて文句が言えなくなった。しかし「従業員の年金の半額部分への助成金」はアルバイトを雇っていてももらえない。正社員にするとその助成金を受け取れる。その結果、アルバイトがどんどん正社員に切り替えられ、25万人の正規雇用者を増やした。ドイツは政策ひとつで、トヨタグループ3つ分の雇用を生み出したのだ。

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