2014年8月5日火曜日

マスメディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)

■世論の使い方

▼世論にできること
  • 法律というものは使い方による。時限爆弾法が本当に破裂するかどうかという問題は、つまるところ世論によります。その法律を作るかどうか、承認するかどうかは議会、ことに議会の多数派が握っている。その法律を政府がどう使うか使わないかというのは、それは政府も真空の中でやっているわけではないから、世論の大きな影響を受けます。世論が圧倒的に反対だったら、その法律をやたらに使うことはできない。だから世論が大事。一般市民の立場からいえば、法律が議会を通ってしまっても抵抗することはできる。時限爆弾を抱えながらこれから先それを使わせないようにする、爆発させないようにする世論を起こすことが重要です。
  • とにかく大切なことは、一般市民の人たちがばらばらになっていないで、手をつなぐことです。老いも若きも男も女も、あらゆる人々が支持してくれるような、そんな運動にしていくことが今一番大事じゃないかな?これまでのような、反対や抗議ばかりを繰り返す運動では、ますます対立の壁を高くしていくばかり、解決の糸口は得られませんよ…
  • 住民運動を成功させるためには、純粋の、無党派のあるいは超党派の運動でなければならない。
▼少数派の尊重
  • 民主主義の根底は仮に多数派によって行動することであると同時に、常に少数派意見を大事にするということ。全会一致団体というのは、いい目標を選んだときはみんなが一致協力するから効率的に働くが、選んだ目標がまずくて方向を変える必要があるときには、方向転換能力が欠如しているので「玉砕」する。それを避けるためには、方向を変えるべき時に、同じ人が後悔して新しい道を発見するのではなくて、
  • 初めから別の方向について考え、それを望み研究してきた人たちと選手交代すればいい。そうすると、方向を変えやすい。
▼中身がなければ、結局は人気投票
  • 漫才で人気のあることと、府知事としての政治家の能力とはなんら関係がないのに圧倒的な多数票で勝った。今日ではメディアから自由な大衆というものは存在しない。テレビの人気投票と府知事の選挙とは違うはずで、実は違わなかった。
  • 日本の政府とメディアは言葉をうまく使ってごまかしていると思う。不快な事実、あるいは隠したい事実がはっきりと見えないように、それをごまかすようにユーフェミズム(遠回しの言い方)が作用している。政府側が使う場合には、それは大衆操作の道具になる。敗戦を「終戦」、占領軍を「進駐軍」というのはその極端な例。日米関係といえばいいところを国際関係という。不快なこと、悪いこと、嫌なことを大体隠す。あるいは和らげるように使っている。そして全体として、日本国にあまり悪いことはないという印象がつくり出されるようになっている。
  • 過去の大勢が今の大勢に変わるので、将来また変わるかもしれない。大勢に順応するという大勢は、つねに現在の大勢です。その今の大勢と過去の大勢との関係、それから未来の大勢との予想される関係というのは原則として問題にならない。ところがもし自ら大勢を作るのなら、それは考えないといけない。過去の大勢を批判し継承しながら、現在の大勢を作る。現在の大勢の弱点と強い点、あるいは利点とマイナス面とを分析して、未来の大勢を作ろうとしなければなりません。ところがそうではなくて、与えられた大勢に従うわけですから、その場合には過去に何があったかというのは必要なくなる。
  • 現在の状態は現在の状態としてそのまま受け取るということですから、過去および未来から切り離された現在の状態としてそのまま受け取るということだと思います。市場が理解できなくても、市場や時代の向かう方向が正しい方向になる。逆行させることができない以上、何か理由があるはずなのでそれを掴んで自分に活かすことが大事。
  • 日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚を抱くようになった。
  • 民主主義の本質は主権在民。主権在民とは「世論が全て」。そして国民の判断材料はマスコミだけだから、事実上、世論とはマスコミ。言い方を変えれば、マスコミが第一権力になる、ということ。
  • 民主主義は「国民が成熟した判断ができる」という大前提に基づいている。そして、国民が成熟することは永遠にないので、民主主義は成り立たない。
  • マスメディアにはヒエラルキーがある。その階層構造は取り扱われる情報の種類によって異なるが、飲食店関連の情報は基本的に「雑誌」が源。まず雑誌が飲食店の情報を掲載し、その情報を見てテレビ、ラジオ、新聞といった各メディアが取り上げ、記事や番組にしていくパターンが多い。
  • 雑誌の現場の記者や編集者を味方につけた方が記事になりやすい。雑誌の命は、「ネタ」の良さにつきる。すなわち取材対象の内容の良さ(鮮度、衝撃など)が勝負どころ。「情報が新しい」「内容が新鮮」「今の時流の先端」であればあるほど、ページ上で大きく扱われる。
  • 「いい店をつくったのに、全然雑誌が注目してくれない」。こういったお店は、雑誌編集者が注目するような「切り口」が欠落しているケースが多い。実際に、お店の工事に着工する前に、まず店の「切り口」をどう定めるかに知恵を注がねばならない。
  • メディアとの付き合いの極意は「付かず離れず、本気にせず、でも親切に、ていねいに」
  • 日本の場合には、メディアが、テレビ・ラジオ・新聞が同じ系列で動くという形になっている。これは諸外国では情報を制限してしまうことになるので禁止されていたりするんですが、日本では、テレビ・ラジオ・新聞が同じ資本でやっていて、そこの最大の広告宣伝費のオーナーになっているのが電力会社、そのおかげでまともな情報が流れない。日本の中でメディアを握ってしまっているのは、はっきり言ってエネルギー産業、しかも電力会社という構図になってしまっている。
  • 経過の全体を思い出して、昨日の会議のやりとりを判断することができることも必要。私たちは事実を新聞によって知る。しかしその事実の意味づけを新聞だけによってすることはできない。新聞から与えられる事実を、なんらかの方法で記憶する 工夫を編み出すことは、新聞を読みながら、そこで報道されている事実に意味を与えるために、 世の中の出来事に対して自分の意見をつくるために、どうしても必要なこと。

■スポンサー第一

  • 最大スポンサーである電力会社の圧力は、おそらくメディアにとって非常に怖いものに違いない。その結果、電力会社にとって不都合なことは伝えないというような状況になっている。それが日本を「情報鎖国」にしている。これを解決するには、電力会社にこのような情報支配のための広告宣伝費を出させない仕組みが必要。電力会社が持っている巨大な資金源と、パブリックアクセプタンスと呼ばれるような勝手な情報操作を断つ必要がある。
  • 日本中の新聞、ラジオ、テレビといったマスメディアは電力会社に遠慮して本当のことは伝えないもの。2007年の東京電力の広報宣伝費は286億。日本全体で18位、その前年は16位。日本の電力会社は10社あり、それぞれが広告を出している。東京電力は日本全体の1/3の電力を供給しているので、3倍としても1000億弱。電気事業者団体も広告宣伝費を持っているため、テレビ、ラジオ、新聞の最大のスポンサーであるトヨタを電力会社全体では超えることになる。

■広告宣伝について

  • 雑誌や新聞等での一般のパブリシティ展開は非常に重要。専門のパブリシティ会社に委託し、積極的に各編集部に働きかけることで好意的な記事を書いてもらうのです。こういう場合、今までの実績がモノをいいます。特に、第一線の記者・編集者たちは子どものころから宮崎や高畑のアニメーションに親しんできた人が多く、好意的にジブリ作品をとらえてくれるのが強みです。活字媒体での一歩踏み込んだ記事展開は強力な援護になります。
  • 新聞は中高年のオジサンとオバサンしか見ない。テレビもそうなっている。雑誌は総倒れ状態。若い人たちはどこで情報を手に入れるかというと、ひとつはコンビニ。7000~8000店あるローソンを例にとっても、来ているのは若い連中で、そこにフリーペーパーが置いてある。100万部ですよね。それにCDショップが出しているフリーペーパーもある。極論を言うと、テレビも見ない、新聞も雑誌も読まない、インターネットも見なくなった若い連中は、コンビニとレコード屋さんでしか情報を手に入れない。あまりに押し寄せる情報に対してノー。俺たちはこれだけでいいって思っている。
  • マスコミはインディーズを話題にしますけど、当たっているのは1年に1作くらいで、あとは死屍累々。過大評価しすぎ。ほとんどは3000から多くて5000枚。だから普遍化もできないし、どうってことはない。
  • 単に新聞の立場ばかりではなく、その影響力についてもおよその見当を持っていた方がよい。

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