- 私たちのような、以前からフラッシュメモリを開発していたメンバーは、会社のなかではまだ若手でした。スキルや過去の実績などを考慮せずに、年功序列の人事制度をそのまま適用した結果、DRAMから移ってきた人たちが、フラッシュメモリの専門家よりも上の役職につくという人事になりました。事業に失敗した人たちが、成功しつつある事業に吸収され、組織のなかで、成功の立役者の上に立つ、というのは欧米企業ではあり得ません。ところが、日本の年功序列の人事制度では当たり前のように、このようなことが起こります。
- 労働基準法の8時間労働。労働者の疲労度は8時間制を制定した時の何倍になっているんだろ。その前提条件が変わっているなら労働時間も見直されるべきなんじゃないか。
- 組合ってどうあるべきなのか。1年交代だと、「クビをかけてまでやろう」という人がでない。
- 国はもともと、政治と経済と軍事から成り立っている。それらが不安定になると、人民は動揺するし、何もできないまま時の経過を見守り、佇むしかなくなる。今の日本がまさしくそれだ。ひとつの会社でも同じことが起きる。社長の度重なる「朝令暮改」により全社員が右往左往し、仕事が手につかないでいる会社が各方面で報告されている―。
- 企業あるいは国の財政再建もそうですが、ひとつの組織の収益体質を改善しようとするとき、最も陥りやすい誤りは、手っ取り早い「変動費の削減」ばかりを追いかけて、現場や外部に負担を押し付けることです。自分の都合ばかりを押し付ける傲慢な企業に、部品メーカーはついてきてくれるでしょうか。それよりも組織にどっかりと覆いかぶさり、活力を損ねる「固定費」にこそメスを入れるべきです。
- 日本の行政コストも固定費と変動費とに分けずに議論されているため、予算がカットされたとき、その大半が変動コストにしわ寄せされます。変動コストのほうがカットしやすいからです。しかし、変動費が削られると困るのは現場です。少ない経費で、これまで通りの(あるいは、これまで以上の)パフォーマンスが求められるからです。
- 最近、注目されている事業仕分けも、固定費と変動費を分けずに進められています。固定費である間接部門の人件費、すなわち雇用をどうするかという一番肝心な問題点を避けて予算削減を指示するので、それに関わっている人たちが新たに別の仕事をつくりだしてしまうのは当然です。固定費にメスを入れないと、予算削減とともに、どんどん現場の余裕がなくなっていく。国民は、この悲惨な状況に気づくべきです。
- 95年5月に発表された日経連報告『新時代の「日本的経営」』の内容は、言い換えれば、これからは企業側の都合次第で労働者をいつ馘首するかもわからない。けれども、労働者の忠誠心だけは従来通り維持したいという、きわめて虫のいい話。
- 「あなたは業績を上げていないからと、いきなり2割、3割の収入源を強いられる。やがて社内イジメ、リストラと続いて、つまり年棒制や成果給は、そのための入口に使われているんですね。もはやリストラ症候群という感じで、企業にとって実際に合理化が必要かどうかにかかわらず、日常的に人減らしをしていないと経営者の気が済まなくなってしまっている。会社側の都合で首を切ると退職金を上積みしなければならないが、自己都合の退職だと、逆に60~80%程度の支払いで済ませられるから、陰湿なイジメが横行していく。
- 大企業は、まだしも職務の持ち分とテリトリーが明確なだけ救われる。中小企業では1人の社員が何もかもやる形が多いわけだし、賃金体系もしっかり作れないのに、流行みたいに年俸制などやるものだから、単なる好き嫌いや主観がますます幅を利かせるようになってきます。
- 従業員の減少は、従業員の職場適応を下げ、無気力を助長し、身体の不調感を増し、精神の安定を欠くことと相関が見られた。人的資源がこのような状態に陥っては、今後の日本企業の再生はあり得ないであろう。
- 正社員が一番偉くて、次に契約社員、パートタイマー、アルバイト、派遣って身分制度がいつの間にかできていて、会社の外にまで広がってきているみたい。特に外資系企業でそういう傾向が強いような気がする。
- 仕事にミスはつきものである。企業の商品コストには、そのリスク分も織り込まれている。そうでなければ、労働者はミスを出すたびに損害賠償をしなければならず、ミス怖さに何もできなくなってしまう。部下のミスを探して、あたかも鬼の首をとったように責めるのは、労務管理のあり方としてもいかがなものか。
- 朝礼で「顧客第一主義」を掲げながら、その後の営業会議で「予算必達」を声高に叫んでいる。「社員の尊重」をモットーとしながら、職場での「サービス残業」を改善しない。そして「会社のため」と連呼しながら、裏では「保身と自己利益」に走る幹部たち。透明性の時代、このような言動の不一致は、企業にとって大きなリスクとなりはじめた。
- 経営層からトップダウンで眺める企業像と、現場からボトムアップで見上げる企業像は、同じ実態であってもその見え方が全く異なっている。経営幹部にとって自社組織とは秩序立った経営資源であり、コントロールすべき精密な道具に見える。一方、現場社員にとって自社組織とは得たいの知れない管理者の集合体であり、現場で起こる問題を先送りする融通の利かない連中だ。
■うつ病と社会復帰
▼うつ病と製薬会社
- 日本人の場合、うつ病の生涯罹患率は6.3%であった。一生に一度でもうつ病にかかる人は日本人全体の約6.3%ということである。また過去1年間にうつ病にかかった人の割合は2.1%であった。
- 薬価の高いSSRIが市場導入されると、どの国でも必ずうつ病の啓発活動が盛んになる。国や学会によるうつ病キャンペーンが始まり、やがてうつ病患者が数倍に増加していく。
- 啓発活動に関わる関係者は、善意の主ではあるが、ジグソーパズルのピースのような存在である。ピースが揃ったとき、どんな絵現れるかまでは予想できていない。それをあらかじめリアルにイメージできていたのは、欧米でSSRI現象をプロデュースしてきた製薬会社のマーケティング担当者だけなのだ。
- うつ病は治療開始後3ヶ月以内に5割の人が回復しており、6ヶ月後には8割近くが回復している。しかし一方で、一年経っても回復しない患者も15%程度いる。一年経っても回復しない患者の大部分は、二年経っても回復していない。
- 一般人口から抽出したうつ病患者の23年間の長期経過を調べると、「50%の患者は一生に一度だけうつ病になり、その後は再発しなかった。残り35%は数年に1回ぐらいの頻度でうつ病を繰り返す。そして残りの15%はうつ病が毎年のように繰り返されるか、あるいは慢性的に持続する。」
- 一番理解して欲しいのは、うつ病の経過は多様であるということ。ある種のうつ病は病院を受診しなくても自然に治るし、一生再発もしない。また、ある種のうつ病は治療を受けてもなかなか治りにくいし再発する可能性も高い。これで同じ病名でよいのかと思うぐらいうつ病の経過は多様である。二番目に理解して欲しいのは、未受診のうつ病というのは、病院で治療を受けているうつ病患者よりも経過がよいうつ病が多いということである。この事実は、うつ病の啓発活動を積極的に進める製薬会社にとっては「不都合な真実」なのかもしれない。
- 元々健康な職業集団に対して、毎年繰り返しうつ病エピソードがあるかどうかを確認しながら、15年の長期にわたって追跡したところ、大半の参加者がうつ病の診断を満たしてしまったという報告もある。
- 友人や家族と話をしたり、自分で頭の中で問題点を整理したり、選択可能な手段を考えたりしながら、気持ちの整理は進んでいく。現実と本人の気持ちとの間でバランスを取りながら、次第に折り合いを見つけていく。気持ちの整理の先にあるものは、前向きな気持ちかもしれないし、ある種の諦めかもしれない。しかしいずれにせよ、気持ちの整理が進むとともに、抑うつは改善していく。
- しかしそこで、自分はうつ病であり、病気のためこのような状況に陥っているという認識が強すぎると、おかしな方向に流れていく人々がいる。気持ちの整理は進まず、むしろ不満だけが蓄積しているうつ病患者が増えている。自分が病気の影響下にあるという意識には、バランスが必要なのだ。重い病気になっているのに、病気であることを認めないのもよくないが、行動や症状を必要以上に病気の影響下にあると考えることも、心の健康にとって望ましいことではない。
- 臨床試験の結果を論文として公表するかどうかは、製薬会社の判断次第なのである。製薬会社はよい結果を示した臨床試験だけは論文として公表し、悪い結果を示した臨床試験は隠しているのではという疑問は、昔から存在していた。いわゆる「出版バイアス」の問題である。医師は公表された論文の情報のみで薬の効果を判断する。したがって出版バイアスがあると薬の効果が水増しされて伝わってしまう。
- 欧米の主要メディアはキルシュ教授らの論文を衝撃的なニュースとして取り上げた。それは主に二つの理由からである。一つは長年服用しているSSRIが、実は弱い効果しかないと報じられたからである。そしてもう一つの理由は、、製薬会社は不都合な臨床データを公表していなかったからである。
▼抗うつ薬
- うつ病に罹患している人々には何が必要かという質問に、抗うつ薬が必要と答えた人は、キャンペーンの前後で約50%増加している。面白いのは、人々のうつ病への意識は変化しているのに、キャンペーンの存在自体はほとんど意識されないことである。「うつ病撲滅キャンペーン」の名前を聞いたことがある人は、95年で5%、1997年では2%しか存在しない。社会のうつ病への意識は確実に変わってきているが、うつ病の啓発活動が組織的に行われていることに気が付いている人は非常に少ない。
- FDAのデータにおいて抗うつ薬がプラセボよりも優勢だった臨床試験は、ほぼ全てが論文となっていたが、抗うつ薬がプラセボより優勢でなかった場合、大半が論文となっていなかった。公表された論文では94%の試験で抗うつ薬の優勢が認められたが、FDAが保有していた試験では51%の試験しか抗うつ薬の優勢が認められなかった(約半分の試験では抗うつ薬はプラセボへの優位性を示すことができなかったということである)。
- 抗うつ薬の効果はそれほど強いものでもない、と理解した方が、世界のうつ病診療の現状を理解しやすいのかもしれない。抗うつ薬の効果が強ければ、抗うつ薬の急激な普及に伴って、うつ病の年間罹病率やメンタル休職者数は減っていくはずだ。しかし現実は逆のことが起きている。
- これだけいろいろな団体が熱心にうつ病の啓発活動を行い、うつ病の知識の普及を行っているのだが、英米の代表的なうつ病の治療方針を紹介することはあまりない。むしろ、どんなうつ病も抗うつ薬を服用しないと治らないかのように説明していることが多い。
- 今まで世界中で公表された論文を検討すると、抗うつ薬の再発予防効果ははっきりしている。急性期の臨床試験と違い、再発予防試験でプラセボと有意差を認めないような論文はほとんどない。
- 日本のうつ病の薬物療法の改善すべき点はやはり多剤併用療法の問題だろう。抗うつ薬を処方するにしても複数の抗うつ薬が処方されることが多い。しかも抗うつ薬だけでなく、抗不安薬、睡眠薬、抗精神病薬、気分安定薬と多岐にわたって、それぞれ複数処方されるケースが多い。抗うつ薬1種類、睡眠薬1種類のシンプルな処方をする精神科医は少数派だ。
▼休職と復職
- 会社員のうつ病は、統合失調症や重症うつ病よりも診療が楽ということでは決してない。精神医療を知らない一般の人は、統合失調症の診察は大変で、会社員のうつ病は手がかからないと思うらしいが、実際はそんな単純なものではない。もし会社員のうつ病患者中心の外来と、統合失調症患者中心の外来の代診を頼まれるとしたら、ほとんどの精神科医は、前者の方が手間も時間も圧倒的にかかると予想するのではないかと思う。
- 文部科学省は、教員のメンタル休職が増えたのは、教育現場の忙しさと理不尽な親が増えたのではないかと疑っている。旧郵政公社の職員は、郵政民営化の影響でメンタル休職が増えたのではないかと疑っている。官公庁は、省庁再編やマスメディアによる公務員バッシングの影響ではないかと感じているだろう。民間企業は、グローバル競争や派遣請負導入に伴う正社員の負担増加のためと考えている。
- しかし、公立学校教員、旧郵政公社職員、地方公務員、国家公務員、民間企業社員、皆同じタイミングで、かつ同じようなペースでメンタル休職が増えているのだ。冷静に考えれば、それぞれの職場特有の問題よりも、日本社会全体に共通する「何か」が影響していると考えた方が、合理的ではないだろうか。
- うつ病で休職する人は増えている。2006年の統計から推計すると、公務員で年間二万人以上、民間企業でも年間十万人以上の人が心の病で休職していることになる。
- 会社が復職(あるいは慣らし勤務)を許容できるレベルに達しない状況で復職可能の診断書が提出されるケースが多く、その場合には産業医による在宅リハビリ指導を行う。リハビリは定刻の起床から始め、体力や集中力の回復の度合いをみながら運動、積極的な外出、読書感想文などを課する。
- リハビリの大切さを強調すると、冒頭で述べた「休養が大切」というアドバイスと矛盾すると考える人もいるかもしれない。急性期には「しっかり休む」ということは確かに大切である。しかし回復してきたら、あまり休みすぎるのもよくないということである。休めば休むほど復職がうまくいくのなら、長期に休むことを勧めたい。しかし現実は、長期に休んだ人ほど復職がうまくいかないことが多い。中には、もし長期休職しなかったらここまで病状が複雑化しなかったのではないかと思うような例もある。むやみに長く休むのもよくない。
▼ストレスについて
- 心因反応。聞きなれない病名である。これはいわゆる機能的、あるいは器質性の両精神病とは異なる。ストレスなど狭い意味での心の原因によって起こり、急激に激しい症状として現れる。その症状とは、全身の異常な汗、震え、めまい、手足のしびれ、興奮状態などで、この日の上野の様子はその典型的なものである。
▼リワーク
- 現在のうつ病診療において、一番求められているインフラ整備はリワーク施設であろう。リワーク施設とは、休職中の会社員が復職するためのリハビリテーションを行う場所である。うつ病には休養と同じくらいリハビリも大切なのだ。メンタル休職者が急増している現状を考えると、リワーク施設の需要は今後も増えるだろう。実際首都圏ではリワーク施設は予約待ちの状態である。リワーク施設を増やしてメンタル休職の再発や長期化を防ぐことは、時代の要望なのだ。
- リワークの最もよい点は、自分と同じような立場の人を知るということだろう。同じ立場の人に会い、話すことが、復職へのモチベーションや安心感につながることが多い。疎外感や不安感も解消される。どんな専門家のアドバイスより有効なこともある。またリワークの仲間が復職していくのを見ると、自分も復職したくなってくる。仕事、受験勉強、趣味、何をやるにしても仲間がいる方が効果的であるように、リハビリテーションも仲間をつくった方がよい効果を生むのだと思う。
■貢献の仕方を考える
- 自分の時間を使って、自分の好きなことをする。それは個人の自由だと思うし、自分以外の誰かが自分の全く興味のないことに情熱を燃やしていても、それに対して自分がどうこう言うつもりはない。僕もそういう日々を過ごしていた。ただ、それを続ける中で僕は、自分の時間を使ってすることが、他の誰かを喜ばせることになる方が楽しいし、次につながっていくと思うようになった。それは、キレイに言えば社会貢献の活動だったり、地域への貢献活動だったりするのかもしれない。もっと小さいものでもいいんだ。剣心みたいに、見える範囲の人を守るくらいで全然いい。
- そのために何をするかというと、これをすればいいっていう正解はないと思うけど、自分のよりやりたい方向を模索することとか、誰かにより喜んでもらうためにはとか、もっと自分の力を発揮できるようにするにはとか、もっとたくさんのことができるようになりたいとか、そういうことを考えだすとキリがない。と同時に、自分の生活も維持できなきゃしょうがない。いや、維持じゃダメだ。より潤ったり、より豊かになれる方向でなければいずれ自分が力尽きてしまう。だから、自分の生活も守りながらこういったことができるようになる方法を考えたいと思う。
- 今の社会人は、会社の方向性や将来性に対する不満や不安を感じながらも、会社を辞めることには慎重であるということ、一方で厳しい経済環境にある企業は従業員に対する教育投資を削減せざるを得ず、これまで以上に個々人で成長の機会を社外に見つけるべき状況にあること、さらに、企業は従来以上に社会の多様な主体との関わりを意識することが求められるようになってきた中で、社会人は自身の視野を広げるべきことが時代の要請となりつつあること、こうしたさまざまな背景が、社会人をして「ソーシャル」にむかわしめる要因ではないだろうか。
■ボランティア
- ボランティアを募集する側には、一度関わったボランティアには、いつまでも関わり続けて欲しいという気持ちがある。ところが、「一度関わったらずっと関わって欲しい」という期待の重さが、ボランティアに興味を持つ人に二の足を踏ませてしまいかねないこともある。むしろ、ボランティアとして関わる期限を明示したり、関わり方の範囲を明確に区切ったりすることは、ボランティアを潜在的に希望する人の最も強いニーズの1つに応えることにつながるのではないか。
- NPOの実務運営上、ボランティアの最大の課題は「計算ができない」ということ、そして、ボランティアの力をしっかりと引き出すには、ボランティアにやってもらうこととそうでないこととの切り分けなど、十分に周到な準備が必要だ。特に、ボランティアとの間で、単発的ではない、継続的な関係を築こうとするならば、相互の共通理解は不可欠である。
- 社会貢献活動を行う上で、複数のボランティアの手法を組み合わせることは、支援を受ける側にとって大きなメリットを提供するものとなる。図書館建設の全ての工程において多様なボランティアのサポートを受けることで、費用の発生を大幅におさえ、数々のノウハウや知恵を生かしながら、図書館にとって最も重要な図書の購入により多くの至近を活用できるようになる。プロボノを含む多様な社会貢献手法を効果的に組み合わせることで、最小のコストで最大の効果を生み出すことができる可能性があるのだ。
- しばしば、NPOを運営する側に立つ人たちの間では、ボランティアについて、次のように言うのを耳にする。「参加はするが、運営はしない」。これは、単発的なイベントや、お膳立てがしっかりなされた活動にはボランティアが集まるが、継続的な参加を必要とする活動だったり、事前準備や事後のフォローなどを含めた運営管理業務にはボランティアを集めるのは難しい、ということを意味するものだ。だが、NPOにとって喉から手が出るほど欲しいのは、運営に関わって、しかも、成果を生み出せる人材なのだ。ないものねだりかもしれないが、NPOには、やりたいことや期待されることは山ほどある。だが、実際にやり切れることが少ないのがNPOの現実でもある。
- 日影の状況は、緯度、経度によって異なるので、一回計算しておけばそれですべてOKというわけではない。だから、そのたびに問い合わせが来る。始めは気軽に計算し、答えていても、回数が重なるとだんだん気が重くなる。本来会社がするべき仕事の下請けを、無料で天文台が引き受けているように思えるからである。一つの民間会社の営業活動に、国家機関である国立天文台がどこまで付き合っていいか、そういう問題である。情報を出し惜しみする気はないが、その会社の人が勉強して、自分のところで処理できるようになってくれればいい。そのためにはどんな勉強をすればいいか、その参考書、既存のパソコンソフトなどをお知らせするのなら、いくらでも協力できる。
■プロボノ
- プロボノは、日頃仕事にいそしむ社会人が、自らの知恵とスキルと少しの時間をつかってできる、社会貢献の新しい選択肢だ。いわゆる従来のボランティアでも、寄付でもない、プロボノ。
- 日頃仕事にいそしむ社会人が、自らの知恵とスキルと少しの時間をつかってできる、社会貢献の新しい選択肢。いわゆる従来のボランティアでも、寄付でもないプロボノは、手に職を持つ人たちにとってとても力を発揮しやすい働き方だと思う。
- プロボノの価値を評価するためには、提供されたサービスの市場価値と、そのサービスを受けたことによってNPOに起きた成長や変化の状況把握、さらに、そこに関わるプロボノワーカーの成長など、複数の視点を組み合わせた評価が必要だ。こうした、多角的な評価があって初めて、プロボノの価値を正当に評価することができると言えよう。
- プロボノに参加する個人の動機については、利益追求にひた走ったビジネスの先にある不幸な結末を目の当たりにした人の中には、ビジネスと社会貢献とを両立させた社会起業家のコンセプトに共感し、興味を抱く人が少なくなかったのではないだろうか。終身雇用と年功序列という日本型の雇用慣行が少しずつ薄れていく中で、給与の安定的な上昇も期待しづらくなっている。だとすれば、人の役に立つことを実感できる新事業を立ち上げるのも悪くはないのではないか…。とはいえ、現実に立ち返れば、どんな時代においても、起業するということはたやすいことではない。ましてや社会起業家になるというのは、簡単なことではなさそうだ。雇用環境も不安定な中、無理して今勤めている会社を辞めるのではなく、自分の空いた時間と日頃のビジネスの経験やスキルをつかって非営利活動に関わるプロボノは、自身の働き方や、これからのビジネスのあり方を考えるきっかけを提供してくれるかもしれない。社会起業家が開いた現代の社会人の「ソーシャル」に対する関心に応える一歩目の入り口として、プロボノはきわめて現実的な方法であり、実践可能な選択肢と映ったのではないだろうか。
- プロボノの拡大要因として挙げざるを得ないことは、失業率の増加である。経済恐慌は、あらゆる領域の労働者に対して、雇用環境の悪化を意味した。都市の中心部で、スーツを着て颯爽と街を歩く人物が、実は失業者だったというエピソードなども珍しくない状況となった。知的労働者といわれる人たちも大量失職する状況の中で、彼らは日頃のビジネススキルを維持し、働き口があればビジネスにいつでも戻れる状態を整えておきたいという動機から、プロボノに参加する人も少なくなかった。
■NPO
- 「私がNPOに二の足を踏むのは、お金の流れも不明確だし、毎年の事業計画もあいまいだからです。それが株式会社ならわかりやすい。監査がどうやっているのか公表しますからね。NPOにも規約はありますが、お金がないからできませんでした、という言い訳が通用する世界です。」「お金が足りないから活動できなかったなんて報告、これ一般企業がダメでしょう?そうなったらなんのために組織があるのかという根本のところが問題になる。取り組むべき問題が先送りされていってしまう。だから私が自分の会社を変えるならNGOにしたい」
- NPOの側にも、プロボノが機能するような「依頼の仕方」や「受け入れ体制」が必要だ。例えば、あるNPOがプロボノとして参加するデザイナーに対して、その団体のパンフレットの制作を依頼したとする。だが、その頼み方がデザイナーの頭を抱えさせることがある。例えば、「インパクトがあるものを」「ひと目見て団体の活動が分かるものを」といった抽象的な要望だけを伝えたり、あるいは「センスに任せます」と、いわゆる丸投げに近いような形で依頼をしてしまうようなことも往々にして起こるのだ。抽象的なかたちで依頼をしたり、相手の「センス」に依存してしまうと、結果的には、よほどのラッキーな場合を除いて、NPOが望む成果物と、デザイナーが提案する成果物との間には食い違いが生じてしまう。そのとき初めて、それまでの議論が不十分だったことに気づき、またゼロから振り出しに戻るか、そのまま作業が暗礁に乗り上げてしまうか、どちらかが大幅に妥協するなどしてなんとか決着をつけるか、といった解決策に進むことが想定されるが、いずれの場合にせよ、当初思い描いた成果への道筋は、思った以上に簡単ではないと気づかされる。
- 日本における個人と法人を合わせた寄付総額、つまり日本の”寄付市場”は1兆395億円という推計値が出ている。この金額は米国のおよそ30分の1程度であり、米国と日本とでは、NPOを取り巻く”市場環境”が大きく異なっているといえよう。
- NPOの成果は人の変化。状況の改善を願うニーズを持つ個人に対して、その人が現在の状況を乗り越えられるような変化を提供することこそが、NPOの役目ということだ。NPOの評価指標が、主に人の変化という意味での「成果」であるとして、ここで問題となることは、その成果を測る尺度が一元的でないことにある。
- NPOにとって、事業を実施するかどうかの判断の境界線は、お金を払う人がいるか、ということではなく、ニーズが存在するか、ということである。NPOが”儲かる”ということが約束されているとは限らないのは、こうしたゆえんである。
- 経済的に厳しく可処分所得が少ない人こそ、本当のニーズを抱えている可能性もあり、だからこそNPOが立ち上がらなければならない状況があるのだ。例えば、ひとり親の家庭は、両親がいる家庭と比較すると圧倒的に所得が低いという現実がある。だが、ひとり親家庭のほうが、親にかかる子どもの養育の負担は重くなる傾向にあることは言うまでもない。所得は低いがニーズは大きいこうした人たちをどうサポートするか。社会全体にとっての大きな課題だ。
- NPOは、自分にとって表向きは「支援の対象」かもしれないが、実際には、NPOと関われば関わるほど、自分自身が知らなかったことを教えてもらい、それから先の人生において生かしていけるエッセンスを凝縮した形で持っている人たちなのだ、と気づかされる。もちろん、こうした学びを提供してくれるのは、NPOだけに限った話ではないだろう。だが、少なくとも、普通に会社に勤めているだけの生活を送るよりは、何らかの形であれ、NPOに関わった方が、人は充実した生活を送ることができる。NPOが持つ数々の深い知見の多くは、まだ残念ながら、「知る人ぞ知る」という状況だ。
- 訪問したNPOは、4つの財源を几帳面なほどバランスよく整えている。寄付金、会費、助成金、そして、年に一度大きなイベントを開いており、その参加費による事業収入。それらがほぼ4分の1ずつ収入源を構成している。日本のNPOは、行政からの補助金や委託事業が大半を占めるといわれるが、それとは大きく異なる、成熟したNPOの運営モデルの典型といえるものだった。
■共済組合
- 共済組合は、政治家の票集めに狙われやすい。彼らはそのために見返りを約束する。共済組合の自助自立精神を犯す結果になりかねない。事実、そういう例が出始めている。このリスクを管理している共済組合組織が、世界のどこかにあるはずだ。政治リスク管理の方法を導入する夢。手伝ってくれないか。
■組織は小さい方がいい
- いいものを作るには小さい会社のほうがいいに決まっている。会社を小さくしつつ自分の好きなものを作る。それが真の映画人だと思う。ピクサーの最大の間違いは、上場してしまったこと。収益をあげて株主たちに還元しなければならず、それだけの責任を負ってしまう。ビッグは、僕にとってはナッシング。ビッグになるために自分の魂を売ってしまったら、いくらビッグになったってなんの意味もない。
- 「いくら儲けても、株主が喜ぶだけだ。意味のある人生を送りたかった。」
- 膨大な製作費を費やす映画のビジネスからは、いまこそ退却すべきだ、と考えている。テレビで映画と同様の映像を作り上げてStar Warsをテレビドラマとしてやりたいと思っている。テレビの方がコストパフォーマンスがはるかにいいし、映画ではできないキャラクター重視や、もっとダークで辛辣なものもできる。そのためにデジタルで撮影、編集し、世界中で上映できるシステムを作ろうとしている。実現すればテレビドラマをそのままデジタル配信でき、1億ドルかかっていた映画が200万ドルでできてしまう。フィルムはお金がかかりすぎる。このシステムが成り立ってはじめて、真の意味で才能を持っている映画の作り手側にパワーが戻ってくると思っている。それが映画の未来像だと、信じています。
- 罪あるは斬る。怯懦(きょうだ)なるは斬る。隊法を乱すものは斬る。隊の名を汚す者は斬る。これ以外に、新撰組を富岳(富士山)の重きにおく法はない。
- 新撰組って人を斬ることに長けた人間が集まった、日本で最初にして最後の機能集団だったと思うんです。でもその機能集団・新撰組はどうなっていったか。周りの人には恐怖を与え、組の内部から離反者を出す最低の集団になってしまう。つまり機能だけでは、集団を維持できない。
- 命令して人を動かすようなことじゃなく、ボトムアップ/トップダウンという考え方でもない。それぞれキャラクターが違うからできることも違う。一見バラバラな人たち同士で、どうやったらいい塩梅の関係が育まれるか。ナナメの関係という言葉もあるが、家族にも同僚にも相談できないことを本音で言えるような場所、もちろんしっかりとした信頼が前提ですが、ゆるくて気軽な関係ってほっとする。コミュニティって目標がなくてもいいのかも。
- 「残念ながら才能がある(才あって徳なし)」という人がいたりすると、困ってしまう場合も。
- 小さな、同族ばかりで続いているような村落で、礼儀を失ったら収拾がつかなくなる。彼らは実に礼儀正しく、それが生活を守る知恵となる。
- 物理的に同じ部屋で、事業部が、生産ラインを作ったりいろんなことを考える人たちと一緒にいることで、互いの意思疎通がしやすくなる。単純に距離と言うけれども、距離の壁は100メートルでも1キロでも、実はすごい壁になる。同じ部屋だと、距離がなくなるんですね。
- 全体の雇用者数では恐竜企業よりも、小さな事業者が各地にあった方が多くなる。しかもコストは安くなる。
- せめて巨大企業を規制すれば生き延びられるのに、誰もができないものと思いこんでいる。人類史上、最大の信仰なのかもしれない。実際には他の選び得る方法があるのに、人類は巨大恐竜につきあって滅びようとしているのだから。
- 人類が絶滅するとき、巨大企業という恐竜も消え去る。それは私たちの「恐竜企業がなければ生きられない」という思い込みが、単なる幻想だったからこそ、ヒトが滅びれば「巨大企業」という恐竜も消え去る。
- この図式は、いわば恐竜と人類の戦いだ。恐竜を代表するのも同じヒトの姿をしているために、ヒトとヒトの対立のように思いこんでしまうが、それは違う。恐竜の代理人をしているヒトは、恐竜の代理に話し、代理人として主張しているだけなのだから。そのヒトも、家に帰ればホモ・サピエンスの子どもがいたりする。しかし彼はホモ・サピエンスの子どもを守り育てるためには恐竜が必要なのだと思いこんでしまっている。
■組織を束ねる
- 集団の行動は、その集団に属する個人の行動を全部合わせたものではない。集団は1つのまとまりであり、それ自体が独自の行動をもつ。この時、1人ひとりの人間の個性は、集団に対する<水平的な一体化>と指導者に対する<垂直的な一体化>の2つの方向で解消される。
- 同僚同士の間のモラルハラスメントは、直接の上司に管理能力がないために激しくなることが多い。もともと下級管理職の多くは、人をまとめる力を買われて、その地位についたのではなく、仕事の能力が優れていたためにその地位を与えられており、それと部下たちの人間関係を調節するのは別のことであり、また人間関係の問題を解決するのが自分の職務に含まれているという自覚すら持っていない。同僚からのモラルハラスメントでまず助けになってもらえるのは一緒に働いている上司のはずだが、ここが安心して相談できるような雰囲気が作られていないのであれば、どうすることもできない。これは管理能力がないと考えられるべきものである。
- ある集団に冗談ばかりいっている人がいるとすると、その人は決してその集団のリーダーにはなれない。集団のメンバーの信頼をかち得るには、適量のユーモアやジョークを交えて、まじめな話ができなければならない。笑いの中にある「弛緩」の要素が信用の失墜、信頼感の喪失につながっていく。
- うまくいく上司と部下の関係は、はためで見るよりはるかに同等だ。
- 私達はみんな管理職だ。好き嫌いに関わらず、誰もが組織の一員であり、ある結果を出すには管理術が必要だ。責任はどこにでもついてまわり、状況に応じて様々な道具を使いこなさなければならない。だが、私達は管理職であると同時にサポートスタッフでもある。この2面性は大切な意味を持っている。どちらもそれぞれの役割から、そして互いにうまく相手をサポートしたり管理することから、力と成功を引き出す。こういった協力体制は、全ての組織のあらゆるレベルで行われている。
- マネージアップの使命とポイント
- 私達はみんな上司であり、部下だ。リーダーは自ら腕まくりして塹壕に入ること。
- 優れたリーダーは「原因と結果」を真剣に考える。
- 周りで何が起きているか気づくだけでは足りない。「なぜそうなったか」を知らなければならない。
- 会社の目標達成の役に立っていないとすれば、邪魔をしているのだ。
- こう自問をすること。「今日の私の仕事は目標達成の一助となったか?」
- 人事部の利点の一つは、同じことの繰り返しではなく、無数の違う分野と関われること。いい人事部は福利厚生のパンフレットを配るだけではなく、社員のキャリア開発を成功させる運転手の役目を果たす。
- 信頼されるには、まず相手を信頼すること。
- この格言は、与え手と受け手の関係を示すのではなく、二人とも与える側にいる。そうでなければ二人とも受け手にはなれない。信頼をダムの貯水池のように貯めるだけで放流しなかったら、たちまち職場の協調体制にひびが入る。
- 問題を解決するのは社員ひとりひとり-上司ではない。
- 「上司優先」は実に貴重な「常識」だ。異論もあるだろうが、ほとんどの企業はピラミッド型の階級組織で、民主主義よりは封建制度に近い構造となっている。この事実をすっぱり認め、自分の部下が自分を優先してくれるのと同じように、自分の上司を優先することによって、サービス、リーダーシップ、責任の流れが形成され、そのメリットも上下方向に流れていく。上司優先だからといって、個人の意志や能力が抑制されるわけではない。
- 全ての社員を平等に扱うことは、スター社員にとっては不公平。差別化ができないような管理職は、足手まとい。
- リーダーには、備えておかなくてはならない2つの重要な能力がある。1つ目はビジネスの現実を具体的に定義できること。もう1つは、「ありがとう」と言えること。
- 何を指して「ベスト」というのか、ボスによる定義を知らずに自分のベストを尽くすことができるだろうか?
- 今日頑張った仕事が朝令暮改で骨折り損になる可能性はあるか?
- 人に気づかれず、関心をもたれない仕事に対しても、個人的な犠牲を払う価値があると思えるか?
- 交流を持つことは結構だが、それがどんなメリットをもたらすのか考えた方がいい。一時的に仕事を交換するとか、クロス・トレーニングをするとかいうほうが、生産性の向上に結びつくだろう。
- 好奇心はビジネスシンクの原動力であり、柔軟な頭脳があって初めて育つ。画期的なソリューションには新鮮な思考が必要であり、好奇心は未知のものへの探求をうながす。今知っていることが、未知のものや意外なソリューションの探求を妨げないとも限らない。職場に好奇心を育てられれば、疑問をもつ人間が働きやすく、疑問を持たない人間が働きにくくなる文化を創造できる。
- 利益は、身体にとっての酸素、食物、水、血液のようなものだ。このために生きているのではないが、これがなければ生きられない。
- その組織に個人が所属する理由、関わる理由はそれぞれ違っててもいい。意味づけや想いは、違ってたっていい。でも、それは他の人の想いを知らなくていいということではない。それぞれが、周りの人たちが何を求めてそこに参加しているのかを知る必要は、絶対にある。
- 会社なんて矛盾だらけのところで、矛盾がないことなんかありえない
- 権限で人を動かさないこと。人徳で動かす。困難に自分が立ち向かっていく姿を見せること。
- オフィスの中では、効率を求めるよりは秩序を優先した方がよりよい結果を生むことが多い。直属上司以外の別の誰かを頼りにする場合、それを本人に決して知られてはいけない。
- 自分から見て有能な人が転職する場合は、その理由を聞き出すこと。その組織にいた場合、いずれ自分も同じ理由にぶち当たるかもしれないことを想定しておくべき。
- 社内で一番最初にチェックすることは、昇進した人がどんな行動を取ったか、昇進を望む人たちはどのように行動しているかを知ること。自分にないどんな能力を持っている人が同じ土俵にいるかを知ること。
- 会社は、あることに非常に精通していても他のことにはまるっきり知識がない人間よりも、そこそこにいろいろな仕事に通じている人間の方が重宝と考える。だから、いろいろな部署を異動する人材は、それだけ会社にとって重要な存在ということ。同じ組織で塩漬けにされている場合、昇進は難しいと考えるべき。
- ビジネスの社会では、学歴があっても実務経験のないものは役立たずだが、逆に実務経験があっても学歴のない人は最初から相手にされない。必要以上にたくさんの仕事をこなしたら、仕事の相対的評価は下がってしまう(←どんなに頑張っても、給料はさほど変わらない)!
- 職場に子どもを連れてくる場合などは、退社の直前にすること。周りへの負担が少ない形を選択すべき。
- 管理職になったら、自分自身がどうであるということよりも、周囲の状況に通じていることが何よりも大切。
- 「要は何?」ってキツク聞くのと、「えっと、一言で言うと?」ってやわらかく聞くのは、同じことを聞いてるんだけど返ってくる答えは全然違う。聞き方も、その人のスキル。欲しい答えが返ってこないのは、自分のせいでもある。
- 教育者として学生を育て、マネージャーとして組織のメンバーのパフォーマンスを上げていくには、その人にとって何がモチベーションとなるのかを探るしかないのでしょう。
- 「マネジメント」という言葉は、しばしば「管理」と訳されるが、ことボランティアに関しては特に、ただ「管理」するだけのマネジメントでは機能しない。実際、マネジメントという言葉には「なんとかうまくやっていく」「帳尻を合わせる」といった豊かなニュアンスが含まれている。特にボランティアマネジメントにおいては、あの手この手のさまざまな工夫をしながらボランティアの期待に応え、自発性を引き出し、能力を高め、成果を生み出せるような接し方をすることによって、ようやく求める動き方をボランティアがしてくれるようになる、ということを意味するのだと思う。
- それぞれのステークホルダーに、まったく同じ言葉で、同じ調子で語りかけていくことは得策ではない。だが、関係するすべてのステークホルダーから、一定程度の理解を得られなければ、活動が実現せず、成果を生み出せないという結果に終わってしまう。
- その人が動いてはいるんだけれど、大きく見るとほとんど同じところを回っていると見えるときは、その人の能力がもう限界にきている。
- 必要悪が組織を滅ぼすことまで考えているのか、というのが僕の言いたいことですね。
- 戦略とは、決して「楽をする」為のものではない。「楽ができる戦線」を探す為のものではなく、「苦労すべき戦線」を選ぶ為のもの。ビジネスは、それがビジネスである限り、必ずきわめて現実的な苦労や困難に直面する。問題は、どの苦労を選ぶか。
- 組織を適切に運用するためのルールは大切だが、必ずしも非常時には当てはまらない。「Do the right thing」正しいことをするのが一番だ。従属的なルール遵守は、時として誤った行動を促してしまう。目的より手段を優先させることになるからだ。"The end jastifies the means"結果は手段を正当化するという英語のことわざだ。非常時には各人が共通の目的に向かい、自律的に判断して行動することの重要性が増してくる。
■グループで成果を出すために
▼グループの資産
- 戦略的提携を結んだ初期段階では相手がもたらす補完的資産が重要であるが、段階が進むにつれて、連携によって新たに構築された資産が重要になってくる。
- 企業が連携先とともに作りだすことのできる特殊な資産とは、場所の特殊性、物理的資産の特殊性、人的資産の特殊性の3つを言う。場所の特殊性によって在庫コストや輸送コスト、調整活動コストなどを抑えることができる。また物理的資産の特殊性によって、製品の差別化やコスト削減が可能になる。そして人的資産の特殊性によりコミュニケーションギャップがなくなり、品質向上や納期の短縮を実現することができる。
▼チームワークについて
- 大げさに考えないこと。その人にしかできない仕事なんてめったにない。
- 「人の助けを必要とするのは、しっかり仕事をしていないからだ」は全くのデタラメ。チームワークの方がはるかに優れている。
- 「自分は何をしたいか」と同じくらい、「自分には何ができるか」も大事。
▼大将を守りたいと思えるか
- 魂がきれいだった美濃部さんは、仕事のために、言葉を換えれば都民のために命まで投げ出していた。何度、展開する都政の課題に対して、美濃部さんは命を狙われたかわからない。僕たちの仕事は、美濃部さんの生命を守る仕事もした。
- しかし、決してそのことに不満をもったり、後悔することはなかった。何かあったときは、この人の前で死のうという、弁慶のような気持ちがあった。考えてみれば、そういう経験ができただけでも人間として幸福だったと思う。生命の燃焼感が感じられる日々が送れたからだ。
▼グループを理解する
- チームの共通目標
- チームの目標設定は何なのか?
- 心からそのことを理解しているか?
- 目標達成によって得られるものが何なのかイメージできているか?
- 目標達成の為にすべきこと、その過程において予想される困難を心底から理解しているか?
- メンバー全員が開発の全体についての情報と意識を共有する。議論のプロセスがあるからこそ、その共有が可能になる。その共有があるからこそ、相互に助け合うこともできるし、自分の担当としてやるべきことは何かもはっきりする。一体感に包まれた安心感もあるだろう。
- 企業は顧客からお金をいただくことで存続しているにもかかわらず、社員はいつの間にか給与額を決定する経営サイドに顔を向けるようになっていく。その結果、顧客の問題を解決することに割く時間より、社内報告や調整にあてる時間の方が増え、さらに管理者を管理する仕事まで増殖していく。
- チームの理念(活動指針)
- 「集合時間に遅れない」のは罰があるからでなく、仲間に迷惑をかけないという理念
- また、決められた約束は全員が守る、という理念
- そういった理念の中では、個人個人は自由に活動してOK
▼グループを育てる方法
- 根のないところに借りものの文化を移植してもうまくいかない。組織の中に既にあるものの中から、好ましい考え方、姿勢、振る舞いの根っこを見つけて、それらに集中的に水をやり、伸ばしていく努力が必要。
- 単なる「ゴー」ではなく、「レッツゴー」にした方が皆でやりやすい。
- チームリーダとしてあなたが最優先すべきことは自己管理能力
- 時間、スケジュール、そして仕事の量を管理する。
- 知識の蓄積を優先課題にする。自社、チーム、顧客基盤、市場、製品などについて、幅広い知識を得る。
- 常にスキルの構築とシステムの改善に努める。
- 健康や体調に気を配ってストレスレベルをできるだけ下げる。
▼グループあるある
- 組織に入れば個性を失う、とは一概に言い切れない。幾つかの組織に所属し、多様な役割を遂行すれば、所属する組織が多くなるほど個性的になるとも言える。
- 一旦、役割や手続きが決まるとメンバーはそれを遵守し、その役割や手続きに慣れ、変更や再設定を厭うようになる。グループには、決められたことを決められたように安定的に進めようとする慣性が働く。
- あるグループの「目的」は、より大きな集団から見れば「手段」となる。
- 往々にしてグループは、それ自体の存続を自己目的化し、より大きな目的を見失う。結成当初の目的を達成しても解散しなかったり、新たな目的を四苦八苦して探したりするのは、グループの存続自体を目的とするからであり、結束の固いグループほどこの傾向は強くなる。
- 良質な情報を持つ良質なグループとの接触は、自分のグループの欠点を浮き彫りにし、相対比較による不満を誘発する。
- どんな組織も人間関係が限定されて閉鎖的になると、川の水が澱むように緊張がなくなり能力を発揮できなくなる。だから、統合・合併で新しい環境にさらされると、人は緊張し、外部に向かってアイデアを出したり真摯なコミュニケイトを図らざるを得なくなる。それが会社の活力となる。人間には大きな可能性がある。だがその可能性が実質的に実を結ぶためには、人材が外部とのコミュニケーションによって鍛えられる必要がある。仲間内での仕事には批評性が少ないから。
- 非常にうまくいくプロジェクトを調べてみたら、すべての血液型が揃っていたということもあります。O型の人というのは、けっこうリーダーシップを発揮しやすいですね。B型は本当にゴーイングマイウェイでしょう。自己中心だけどいいアイデアをパッパッと出すんですね。それらを取りまとめるのがやはりA型です。見ると、おもしろいなと思って。
- 役割はそれを務めようという気がある者にしか自覚されないものである。
▼求められるグループ像
- メンバー自身の考えを公にすることが奨励されている。
- グループ内の他者の仕事に対する協力、援助、疑問の提示、アドバイスなどが奨励されている。
- 異なる意見や視点が受け入れられ、考えを発展させるための援助がある。
- リスクへの挑戦が奨励され、抵抗を取り除くための努力が払われていること。
- メンバー自身が努力するための時間を獲得できる。
- メンバー自身に、学習と成長の機会が与えられている。
- グループ外の人々との接触が奨励されている。
- グループ内および他のグループとの建設的な競争が奨励されている。
- メンバー個々に対する信頼感が表明されている。
- 一緒にランチを食べる。週末にやったこと、面白かったテレビ番組、最近見聞きしたこととか、勤務時間中にはなかなできないムダ話こそが貴重な情報交換であり、アイデア創出の源泉、そしてチームの澗滑油。
- ルールをきちんと決めた上での上下のない知的決闘、というのが肝要なのだろう。しかも、分岐点に来たらリーダーは独断でどちらかを選ばなければならない。それを強いられることで、実はリーダーの教育にもなる、というのは極めて納得できる。
- 顧客を大切にすることと社員を大切にすることは、比較できない最重要課題として位置づけられているケースがほとんどだ。現場社員がハッピーで、会社を愛し、自らの判断で自律的に動けることこそがお客様にハッピーを届ける最大の動力源となる。
- 例えばザッポスはオープンなだけではない。「人に任せる」ことは徹底されている。チーム・ビルディングのために就業時間中に映画に行ってもいいし、映画代は部門の予算から出る。ピクニックや遊園地などでもよい。部門の判断に任され、承認も要らない。
▼グループの協働が成り立ちやすい環境
- 内部対立より影響の強い危機や対立が外部にあるとき
- グループそのものの存在を壊滅しかねない危機が外部にある。
- 他グループとの競争に負けそう。
- 協働のメリットが精神的苦痛や肉体的労苦より大きいとき
- 外部からの大きな注目。仕事の社会的な認知。
- 多大な経営資源の利用。地位の昇格や多くの報酬の獲得。
- メンバー個々の成長の体感。
- 課題決定までに検討した代案や他の選択肢よりも明らかに選択している方向が妥当と明示できるとき。
- メンバー全員が夢中になれる仕事であるとき
- 新たな技術開発の芽をつかんだとき。
- 新商品を共同で開発するとき。
- 会社や社会に大きな影響を与える仕事であるとき。
- 勝ち負けのはっきりするゲーム性のある(売上競争、シェア獲得競争、商品力競争など何らかの対抗意識を鼓舞できる)仕事であるとき
- グループに揺さぶりや刺激が与えられたとき
- これまでとは違う目標や方針の提示
- 新たなメンバーの投入
- 他社の新戦略
- お客様からの反応
- 社内ソーシャルの場を簡単に活性化する奥の手がある。社内でクローズされた空間に、生活者や顧客の声を取り入れることだ。顧客の声がクローズ空間に入ったとたん、否応なくその場には緊張が走ることとなる。そして、それが共通の目的、大義名分となり、行動を促していく。
- 適切なリーダーシップにより、グループが方向づけられているとき
■階層ごとの役割
▼経営層
- トップの評価は結果しかない。
- 日本古来の終身雇用制もいいね。昔から、十できる人と七しかできない人では当然給料の差がありました。差がついても、お互いわかっているから文句は出ない。数字がよい人は、悪い人を引っ張り上げて、お互い協力するのが日本古来のよいところで、それが"むら社会"なんです。それを、成果主義導入なんていって収益だけで人間を評価しようとするから、世の中全体がギスギスしちゃう。このごろは、リストラといって従業員の首を切っている。おかしい。立ちいかなくなったらまず社長の首を切るべきでしょう。
- 「このままいけば日本人はみな、今の中国人と同じレベルまで生活を切り下げるしかありませんね。」いくら高い技術力と勤勉な労働力があろうと、経営者に経営能力が欠けていれば宝の持ち腐れになるということである。
- ヤマトホールディングスは、役員が例えば10人いれば1位から10位までのランクをつける。そして10位になった役員は、たとえ絶対評価が悪くなくても自動的に翌年は降格され、代わりに下から一人が役員に昇格する。こうしたシステムが役員以下、管理職のすべてに適用されており、1割が毎年、自動的に入れ替わる。むろん、降格されても翌年、上位1割に入ればまた昇格できる。結果を出さなければ身分も給料も下がってしまうのだから、緊張感が生まれ、仕事に真摯に取り組むようになるだけでなく、本人の努力次第で昇格のチャンスが高まり、モチベーションも上がる。何より、強制的にポストに空きが出るので、そこに有能な人材を、外部や若手からの登用も含めて投入できる。
- 王様が偉大すぎるのさ。だから家来たちはみんな、王様のご機嫌を伺うことだけが仕事になっちまった。何事も人任せにできない王様も王様だが、おかげで貴族たちは腐っちまった。
- 社長のお客様への想いを社員全員が見られることは、非常に大きなメリット。
▼管理職
- 管理職になったら、自分自身がどうであるということよりも、周囲の状況に通じていることが何よりも大切。
- 権限で人を動かさないこと。人徳で動かす。困難に自分が立ち向かっていく姿を見せること。リーダーには、備えておかなくてはならない2つの重要な能力がある。1つ目はビジネスの現実を具体的に定義できること。もう1つは、「ありがとう」と言えること。
- 何を指して「ベスト」というのか、ボスによる定義を知らずに自分のベストを尽くすことができるだろうか?
- 今日頑張った仕事が朝令暮改で骨折り損になる可能性はあるか?
- 人に気づかれず、関心をもたれない仕事に対しても、個人的な犠牲を払う価値があると思えるか?
- 全ての社員を平等に扱うことは、スター社員にとっては不公平。差別化ができないような管理職は、足手まとい。
- マネジメントすべき人の発信が遅いことによる現場の突発タスクの発生を防ぐには、マネジメント側は何を把握してどう下に落としていくべきか。マネージャのすべきことの中で、マネージャにしかできないことは何か。逆に、部下は何から引き取っていくべきなのかを考えておくこと。
- プロセスをどう改善していくかを設計するのは管理職、マネージャの仕事。ただ、純粋な仕事のスキルではなく人間そのものを管理している組織は、組織力もパフォーマンスも低くなる。
- 課長が部下の仕事を指導するのを見て、「俺ならこうやる」とつい手を出してしまう部長。それをやると、自分より時間単価の給料が低い課長の仕事をやったことになる。部長は課長にできない仕事だけをやって初めて課長より高い時間単価の給料をもらう意味がある。
- 部下のやるべき仕事に手を出す「オレオレ上司」がいる職場では、仕事が重複し、時間がうまく回らなくなる。上に立つ者は、「その仕事は自分しかできないことか」を徹底的に自問し、部下と同じことをやらないことが、もう一段上の仕事に時間を使えるかどうかの分かれ目になる。
- 部下の仕事を「ほんの少し」よくするために、その仕事に部下が使ったのと同じような時間をかけているのは部下の仕事を奪って組織の効率を下げる「時間泥棒」。本来は9割が部下ができないことをやり、いざというときにだけ現場で腕をまくれる人がプレーイングマネージャと呼ばれるべき人。
- 上司がプレーヤだと、上司頼みの「依存型」か、どうせ上司には勝てないと諦める「向上心喪失型」の部下しか育たないので、部門としてのアウトプットが質量ともに下がってくる。
- 競争に勝った上司に「俺のほうができるだろう」と言われたら、部下は「やってられん」と思う。「部下が育たない」「部下に向上心がない」と言う上司は、「部下と同じ仕事をしていないか」と自問すべき。
- 上司は社内知恵マップのようなものを頭の中に持ち、神経細胞の結節点のように仕事をつないでいくのが役割。それがうまくできれば、組織はどんどん賢くなっていく。
- 上司は部下の言いたいことを部下に言われる前に言わなきゃ、世の中が言いたいことを言ってあげる。これが距離感を縮める。
- 今日のマネージャには2重の職責が求められている。
- 日々の事業を滞りなく進めると同時に、それを改善していくこと。いわば、飛行機を飛ばしながら、飛行中に機体を改造することが要求される。
- ディープスマートは、疑問を差し挟むことを許さない文化の中では育たない。そういう組織では、トップマネージャだけが関連する経験を持っているとみなされる。「真実」と考えられるのは、トップマネージャの信念だけだ。しかし、現実にそんなはずがない。マネージャの重要なスキルの1つは、自分自身の思い込みも含めて隠れた固定観念を見つけ出し、それに疑問を投げかける能力。
- 同僚同士の間のモラルハラスメントは、直接の上司に管理能力がないために激しくなることが多い。もともと下級管理職の多くは、人をまとめる力を買われて、その地位についたのではなく、仕事の能力が優れていたためにその地位を与えられており、それと部下たちの人間関係を調節するのは別のことであり、また人間関係の問題を解決するのが自分の職務に含まれているという自覚すら持っていない。同僚からのモラルハラスメントでまず助けになってもらえるのは一緒に働いている上司のはずだが、ここが安心して相談できるような雰囲気が作られていないのであれば、どうすることもできない。これは管理能力がないと考えられるべきものである。
- 「今まで一生懸命与えられた仕事をやってきました」それをいくら積み重ねても管理職としては何の役にも立たない。第一、言われた仕事をすること自体、管理職にあるまじき行為である。管理職とは本来、何をすべきかを考え、人にそれをやらしめる仕事だ。
- いい上司の条件のひとつに「青は藍より出でて藍より青し」という「出藍の誉れ」を心得ていることが挙げられます。部下を自分より下の存在だと見下すことなく、自分を越えていく部下を育てていくのが素晴らしい上司の条件だという考え方。
- 部下は思いのほか上司の言動をチェックしている。周囲に目もくれず、誰のこともほめなければ「自分の業績や成績ばかり考えているエゴイスティックな上司」と見られ、誰かをほめている場面に出くわせば「部下のことをよく見てくれている上司」と評価してくれるもの。
- 「肩書きなんて、働かせるためのもの。会社で大事なことは1に要領、2に要領。」
- 「会社がこういう状況になったのは、経営陣の責任が一番重い。しかし、皆さんも悪かった。それぞれが「何かできるはずだ」と考えるように意識を変えて欲しい。」
- 「バッドニュース」(不祥事)をフラッシュレポートの一番上に書かせることにし、その次に市場で発生した主な品質問題などについて報告させ、最後に業績についてレポートさせます。「トップが何を重視しているか」をこういうかたちで「見える化」することで、コンプライアンスの精神が徐々に組織全体に根付いていくのだろうと思います。
▼現場
- 課題は下からボトムアップでエスカレーションするもの。一番現場が見えている人間が一番発見しやすいのは間違いないのだから、「現場にいる」責任をしっかり果たす必要がある。
- 上からの指示があって動くということではなくて、今、自分が働いてる職務としてやってもらわないと困る。
- こうしたい、こうしたらもっとよくなるだろうという強い意志を持ち、課題意識を明確にすることが現場担当者の役割。現場で毎日やっていて、そのことに最も詳しいはずの担当者から改善案や課題意識が出てこないのは、自分からもっと前向きに踏み込もうとしないから。
- 生活者の進化したニーズに応え、企業の価値を高められるのは、会議室からマイクロマネジメントを試みる管理職ではない。顧客接点の最前線で、会社に高い忠誠心を持つ人たち。時に理不尽な統制と闘いながらも、顧客に貢献しようと必死に努力を続けている現場の社員たちだ。
- 経営者の立場は営業のことも、開発のことも、財務もなにもかも同じレベルで心配し、それについて勉強している。しかし担当者は朝から晩まで担当のことばかりやっているわけだから、本当はそのことについては経営者よりエキスパートである必要がある。バランサーの意見に個々の専門家が感心してもらっては困る。
- どんな組織でも、上からの指示を想定してあらかじめ準備しておくのは当然。
▼階層に無関係な役割
- マネージアップの使命とポイント
- 私達はみんな上司であり、部下だ。リーダーは自ら腕まくりして塹壕に入ること。
- 優れたリーダーは「原因と結果」を真剣に考える。
- 周りで何が起きているか気づくだけでは足りない。「なぜそうなったか」を知らなければならない。
- 会社の目標達成の役に立っていないとすれば、邪魔をしているのだ。
- こう自問をすること。「今日の私の仕事は目標達成の一助となったか?」
- 私達はみんな管理職だ。好き嫌いに関わらず、誰もが組織の一員であり、ある結果を出すには管理術が必要だ。責任はどこにでもついてまわり、状況に応じて様々な道具を使いこなさなければならない。だが、私達は管理職であると同時にサポートスタッフでもある。この2面性は大切な意味を持っている。どちらもそれぞれの役割から、そして互いにうまく相手をサポートしたり管理することから、力と成功を引き出す。こういった協力体制は、全ての組織のあらゆるレベルで行われている。
■統制
- 命令を質問の形に変えると、気持ちよく受け入れられるばかりか、相手に創造性を発揮させることもある。
- 命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、誰でもその命令を守る気になる。
- 相手に美点を発揮させたければ、彼がその美点を備えていることにして公然とそのように扱ってやるが良い。
- 良い評判を立ててやると、その人間はあなたの期待を裏切らないように努めるだろう。
- 相手に肩書きや権力を与えることも有効。
- 権威は努力によって磨かれるもので、安易に手に入れることが出来ないもの。権力はあっけなく奪われるが、権威はいつ誰によっても奪われることはない。
▼部下の忠誠心を維持するテクニック
- 上司を正す
- 態度が冷たく思いやりがない場合には、チームメンバは自信がなく大切にされていないと感じて辞めるかもしれない。冷淡で、柔軟性のない態度はランクの低い社員には我慢できないし、ランクの高い社員についても容認されるべきではない。否定的で気難しい上司が部下たちに与える影響を決して過小評価してはならない。上司に問題があれば、即座に対処する必要がある。
- 明確なミッションを持つ
- 「やらされ感」ではなく、共通の目的をきちんと理解して仕事をしているときには、スタッフが生き生きと働く。
- 意向や状況を繰り返し伝える
- 会社からのメッセージや目標をスタッフに繰り返し伝える。例えば、「我々はNo.1企業である」「顧客サービスを最優先する」あるいは「我々は他社の追随を許さない品質を提供する」など。このようなメッセージは仕事に従事するときの心の拠り所となる。
- あなたの会社を最高の職場にする
- 最高の職場が最高の業績を上げているのは偶然ではない。
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