2008年2月9日土曜日

本「ポートレートの向こう側」

今日読み終わった一冊。

浅井慎平って著者のことはまるっきり記憶にはありませんでした。
でも図書館で見つけて、なぜかわからないけど気になったんで借りてきた。
写真が好きなんで、写真家・浅井慎平の仕事をどこかで見かけてたのかもしれない。

正直、はじめは「なんだ自慢話の本か」ってガッカリした。
でも、読み進めてくうちになんかわかる部分が多くなってきて、マルチに動く才能ってこういう感性の人のことを言うのかなって思いました。

なんていうか、深入りしない。
客観的に全体像が見えて、その中で何をする、今はこれ。そんな感じの意識が伝わってきました。だから、この本も全体の中の一つの仕事で、その時点では最高のものであっても今後も最高かはわからない。そんな自然体で瞬間の自分を大事にしている人なんだろなって思いました。

今、書いていて「そっか」ってはっきり感じたこと。
話ちょっとそれるけど自慢話について。

言ってる本人、書いてる本人には「自慢しよう」なんて意識がなくても、「それって自慢じゃん」って感じることって何度も経験があった。でも、これってきっと自慢じゃない。
その人にとっては普通のことを喋ってるだけでも、相手がその価値観についていけない場合に、こういう事態に陥るんじゃないかなと思いました。
自分にもどっちにもなった経験があるけど、「自慢話っぽくなっちゃったな」って思うときは大体自分の持ってるもの、自分は理解できていることを相手に話すときが多いのかな、逆に自分が全然持ってないような生活レベルだったりコネクションだったりがある人と話してるときに、そう思うことが多いかも。ただ、俺はそれをあんまりイヤに思わないのかもしれない。自分の知識やレベルを引き上げるにあたり、そういう世界を知ってる人が目の前にいるのに拒否するなんてもったいないと思うし。

読み手のレベルを考えて文章を書くこと、聞き手の反応を見ながら話をすることは読み手や聞き手のレベルによっては必要なスキルだけど、できてる側の人がそこまでレベルを落とす必要はないと思う。相手がそこまで登っていかないと。逆に、その価値観についていくようにしないと、きっとその先は見えてこないだろうと思います。

まだまだ上には上がいるんですよね、何やっても。はぁ。
体壊したくないんで、マイペースで頑張ります。

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