2010年1月6日水曜日

本「蒼穹の昴(2)」

次巻もはまって読みました。

<本の紹介>
官吏となり政治の中枢へと進んだ文秀。一方の春児は、宦官として後宮へ仕官する機会を待ちながら、鍛錬の日々を過ごしていた。この時、大清国に君臨していた西太后は、観劇と飽食とに明けくれながらも、人知れず国の行く末を憂えていた。権力を巡る人々の思いは、やがて紫禁城内に守旧派と改革派の対立を呼ぶ。
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よくある話といえばそれまでなんですが、旧体制を牛耳る奴らが出てきて、その体制の中で"使える"人たちが活きなくなってくると体制の維持ができなくなる。「良禽は木を選ぶ」。頭のいい人達ほど、組織に本当に必要になる人達ほどその組織が腐る前にどこかに飛んでってしまうもんだ。そして、一番初めにそんなしわ寄せの被害を受けるのは、いつだって一番弱い立場にいる最下層に位置づけられる人たち。そんな人たちをなんとかするために、そんな体制をなんとかしようと新体制擁立派が出てくる。
でも、志はあるものの、実際百戦錬磨の旧体制から権力を奪うのは"徐々に"じゃなかなか難しい部分もある。草の根活動は地道に続けるけど、それだけじゃダメだ。ただ仲間を増やしていく際にそのたくらみがバレても元も子もない。そうなると、どこでどうつながってるかわからない昔から組織にいる人達に改革を手伝ってもらうことは難しい。だからこそ、そんなつながりのない新しくその組織に入ってくる人たちをどれだけ自分たちの体制に組み入れられるかがそういった新しいことを始める人達にはキーになる。逆に言えば、そこさえ押さえておけば改革派ってのはなかなか力を持つことはない。
ん?なんかどこかのエアラインの話みたいになってきた。

でも、歴史は繰り返すというか、いつも同じ構図があるものなんだろなと思います。
そして、同じミスが繰り返されるってことは根本原因に手が打たれていないってことと同義。今までに原因と考えられて、その原因の対策として打ってきた手よりも深いとこに原因があったら、そこに手を打たない限りはその事象が終わることはない。風邪薬を飲んでも風邪を引かなくなるわけじゃないってのと同じだ。

それぞれの立場で守るものがあるのはわかるけど、頑張れば頑張るほど、評価されればされるほど、それが大きくなっていくのもわかるけど、弱い立場にいる人たちのことを見なくなった時点でその人の魅力ってのはあんまりなくなっちゃう気もします。

自分のことだけじゃなく、相手を見よう。世界を見よう。どこの会社でもいいし、どんな職責でもいいけど、今自分が埋めているポストは自分がついているために他の人がつけなくなっている。そのポストに求められている価値を自分は出せているのか。出せていないと感じるなら、もっと頑張る必要がある。頑張るつもりがないなら、降りた方がいい。その判断すらできないようなら、その人はきっとそこにいない方がいい。

今していることに意義を感じて、魂込めて取り組めているかどうか。
なんとなく、そういうことを考えるべきなんじゃないかって感じました。

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