「あの頃未来は輝いていて、友は永遠だと思っていた・・・」byスリーパーズの最後のナレーション
去年のクリスマス直前、地元のダチから連絡があった。
ダチ「Yが事故にあって、ダメかもしれない。お前には連絡しておこうと思って。」
自分「え・・・」
さすがにこれは、想定してなかった。自分が挑戦をはじめようとしている矢先で自分のことに100%集中していて、こんなことが起こるなんて思いもしてなかった。「もっと周りも見ろよ」って頭ガーンて殴られたというか水ぶっかけられた気分でした。
昔から連絡しても返信なんかほとんど来ない奴だったから、ここ何年か連絡も疎遠になってたけど、そのまま一生の別れを迎えてしまうなんて。動揺してる自分を隠すことはできなかった。
それで、連絡をくれたダチも自分も地元を出て暮らしていて、すぐに会ったりはできなかったから正月の帰省に合わせて時間を作って、旧交をあたためながらそんな話もしたりして。
Yとは、中学が一緒で、塾も一緒で、高校の頃はよくYだったりダチの家でつるんでた。年越しもYの家で親御さんにお世話になったり、一緒に成田山に初詣に行ったり年越しカラオケしたり、スノボも何度か行ったっけ。映画とかマンガが好きな奴で、今思えば自分が映画を観るようになったのは彼らの影響が大きいなと思う。
「まだ、どうなるかわからないのにこういう話をするのはよくないけども、最悪の場合すぐに動けるようにしておく必要はあるよね。」
心配もあったけど、周りに伝え始めて余計な混乱を招くのも避けたくて俺らの中での話にしていた。そしたら、翌日(1/2)それを待っていたかのように訃報が届いた。
正月に「あけおメール」をしたばかりのみんなに、改めて連絡をしていく。涙は出なかったけど、さすがに動揺していたみたいで読み返すとわけのわからんメールを送ってた。反応は様々だった。それでも、その一通のメールで最後にYに会わせることができる人もいるかもしれないと思うと、俺にできることは全部してあげたかった。
そして、お通夜に出席してきました。正月に乗ったばかりのローカル線に乗って、斎場まで行くと知らない人だらけ。中学高校の何年かしかつるんでなかったんだから当然といえば当然なんだけど、それがまた「こんなにもあいつを慕ってる仲間が集まって来てくれたんだ」って思うと少し嬉しかった。何人か中学のときの友達も見かけたけど、この時はあんまり話さなかった。自分が部活やクラスメイトとしてのつながりではなかったから、少し距離を置いてしまったのかもしれない。単純に余裕がなかっただけかもしれない。「おー久しぶり!」とかって空気でないのも重々承知してたけど、Yはどう思ったろう。
で、焼香させてもらって、そこに来てた同世代の人たちと同じテーブルで食事をご一緒させてもらいながら、いろいろYの話をさせてもらった。大学の頃のバイト仲間だそうで、その中ではYが「すごく責任感持って取り組んでた」「仕事をきっちりこなしてくれてて、安心して任せられる奴だった」「ほとんど全ての業務を経験してたのはあいつしかいなかった」とかって驚くほど慕われてて、「俺らはつるまなくなったけど、あいつはあいつで充実した学生生活を送ってたんだな」っていうのが垣間見れて、新鮮だったし、なんかうらやましかったです。ただ、Yに婚約者がいたことを知ったときはさすがにどう言ったらいいのかわからなかった。Yが事故にあってから彼女は、どれだけ思い悩んだろう。どれだけ涙を流したろう。そんなことを考えると、何も声をかけてあげられなかった自分が情けなかったけど、何も言えませんでした。
で、俺は俺で彼らにYの中学時代や高校時代のエピソードを話したりなんかして、「わかるわかる」「そういうとこ頑固なんだよね」とか結局変わってないんじゃんって。話が盛り上がって、東京までの帰り道もずっと電車でご一緒させてもらいながら仕事や人生観みたいな話まで語り合って帰ってきました。Yを通してだから、やっぱり価値観的な共通点は多かった。
Yのおかげでできた縁。またどこかで会えたらいいなぁと思います。
Yへ。
また会えると思ってたからこんなことになってしまって残念でならないけど、ご冥福をお祈りします。君とつるんでた高校時代は確実に自分の大学時代に受け継がれ、今の自分にもこれからの自分にもずっと生き続けることになると思います。だから、君と出会えたことに感謝もしているし、君の分まで僕は自分の人生を精一杯、大事に生きていくことを誓います。
だから、「あいつまたバカ始めたよ」とか言いながら天国から見守っててもらえると嬉しいです。今まで、本当にありがとう。
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