2010年9月9日木曜日

人に優しく

■小さな愛から大きな愛へ

  • 家族を愛することが郷土への愛を育み、郷土への愛を通して祖国への愛情も湧いてくる。そして祖国を愛する気持ちを理解していくことは人類への愛情につながっていく。始まりは小さな愛で良いし、それがなければ始まらない。家族や郷土を愛していればいるほど、人間として魅力的で信用もできるのかなと思います。
  • 他の人たち、特に配偶者や親密なパートナーとの関係を当たり前だと思わないように。人間関係を自分の都合で利用するのではなく、もっと愛情深い人間に成長するために向き合うんだ。
  • 愛情あふれる人間関係を築くためのステップを踏み出すにあたって、他の人々と集い、支えを得ること。定期的に集まり、その都度、次に集まるまでの間に各自がどのようなステップを踏むかを話し合おう。あなたが直面した困難や成功した経験を集まりの場で話そう。
  • 小さなことに楽しみを感じよう。多ければ多いほどいいという神話を拒否しよう。謙虚の力を嬉しく思おう。小さいことは美しいのだ。
  • あなたが日常で行うささやかで単純なことが、この世界に光をもたらすことを忘れないように。
  • 自分の命と健康に、この美しい地球に感謝しよう。
  • この地上で最後の日に重要なのは、あなたがどれだけ多くを持っているかではなく、どれだけ多くを与えたかであり、どれだけ勝ったかではなく、どれだけ愛したかであることを覚えていよう。
  • どうしてもその相手でなけりゃだめで、その人に心からの愛情や慈しみを感じて、その人のことを考えると今自分が生きてることに感謝したくなるなら、それがつまり『愛している』ってことじゃない?
  • 自分の身ぐらいは自分で守れるし、多分、君のことも守ってあげられると思う。もちろん、守ってもらわなくて結構と言われればそれまでだけど。
  • 自分が原因で、目の前の愛する女が幸せを感じている。この事実を思うと、目がくらみそうに楽しい。幸福にしたい人間を幸福にしている。
  • 私の長年の経験からするならば、女房について悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりする男は、間違いなく愛妻家なのである。
  • 「母と子の絆に道理はいらない」

■感謝は直接伝えよう

  • 必要なときに助けてくれた人を思い起こすこと。その人に手紙か口頭で、感謝の気持ちを伝えよう。あなたの家族や隣人で並々ならぬ貢献をしてくれる人をしっかり評価してみよう。
  • 大切な気持ちを伝えたいときには、電子メールではなく直に会うか、電話で話をしよう。あるいは手紙を書いて、郵送か手渡しでもいいかもしれない。 今は何か特別なものを手紙で受け取ることが珍しくなっているから、人は手紙を喜んでくれる。
  • マッサージの技術を学ぼう。そうすれば、両手を使い、癒しと尊敬の気持ちを込めて、他の人に触れることができる。
  • 友人や家族に贈り物を買うよりも、経験を送ろう。首や肩をマッサージしてあげよう。あなたがどれほど感謝し、愛しているかを詩や手紙に書いて渡そう。彼らを散歩に連れて行ったり、彼らの家を掃除したり、夕食を作ったり、子守をしたり、春の庭に草木を植えたり、ピクニックや遠出を計画したり、郊外に行って田舎の道を散策したり、夜に芝居を観に行ったりするなど、あなたの愛情と思いやりを表現する創造的な方法を見つけよう。少しの時間があれば、彼らに電話をして、あなたが彼らを思っていることを留守電に残そう。
  • あなたの大好きな本を家族や友人に読んで聞かそう。その本をプレゼントしてもいい。そのことがあなたにとって、どれだけ重要であるかを話してみよう。
  • すばらしい関係には愛情が必要だが、すばらしい関係は単純に愛しているだけでは生まれない。それには、たくさんの努力が必要なのだ。
  • あなたがわが子以外の子供を大切に思っていることを示そう。自分の子供と一緒に、近所の子供を図書館に連れて行く。話を聞いてもらうことがどんなに大きな意味を持っていたかを思いだし、体によい軽食を子供に与え、彼らの言うことに耳を傾けよう。
  • 他の人の長所をその人にじかに伝える。友人には、特別な存在として大事に思っていることを伝えよう。友人があなたとの友情を忘れないようにカードや手紙を書こう。
  • 親しい人に自分が経験した大病のことを話してみる。病気になることで学んだ、自分自身や生き方についての洞察を尊重しよう。
  • 誕生日と同じように、亡くなった日を祝おう。愛する人の亡くなった日には、彼らを思いだし、彼らの精神があなたの中で息づいていることを称えよう。祭壇を設けて、写真や手紙、思い出の品を飾ろう。
  • 感謝の言葉を忘れたものは、幸せとは縁遠いことを忘れないように。
  • 年金暮らしの両親と食事に行き、親の方が食事代を支払おうとした場合、どうしても払いたいというのであれば、その場は甘えて支払ってもらうと親としては「子供にご馳走してあげた」という満足感を覚える。それは「この子にとって、私は必要な存在だ」というつながりを実感することであり、逆に子供側からいえば「あなたは私にとって必要な存在です」と承認を与えていることになる。
  • 家族や身内の場合、相手がいちばん欲しいものは、つながり感。今さら面と向かって家族をほめるのは照れくさいという人も多いものですが、言葉にして伝えられないときは、相手がつながり感を感じられるようなことをしてあげるのもよいでしょう。その意味では、誕生日や母の日、父の日などにプレゼントを贈ったり、旅行に行ったときにおみやげを買ってくることも、承認をあらわす身近ないい方法。
  • 礼状が届いた。文面は印刷だったが、宛先と日付と自分の名前だけは、手書きだった。一文字ずつ武骨に書かれていて、その人柄が重なった。
  • 「強いものだけが感謝することができる」他人に心から感謝する、ということは大変なこと。自分が他人から何らかの援助や恩義を受けた事実を認めねばならない。正面から取り組んで事に当たるとき、人間のエネルギーは不思議に開発される
  • 身近にいる一番大事な人を喜ばせる。人間ちゅうのは不思議な生き物でな。自分にとってどうでもええ人には気い遣いよるくせに、一番お世話になった人や一番自分を好きでいてくれる人、つまり、自分にとって一番大事な人を一番ぞんざいに扱うんや。たとえば…親や。
  • プレゼントをして驚かせる。お客さんの一番喜ぶんはな、『期待以上だった時』やねん。お客さんいうのは『だいたいこれくらいのことしてくれんのやろな』って無意識のうちに予想してるもんやねん。で、その予想を超えたるねん。ええ意味で裏切んねん。サプライズすんねん。そうしたらそのお客さんめっちゃ喜んでまた来てくれるんやで。
  • 毎日、感謝する。自分の中に足りんと感じてることがあって、そこを何かで埋めようとするんやのうて、自分は充分に満たされている、自分は幸せやから、他人の中に足りないことを見つけ、そこに愛を注いでやる。この状態になってこそ、自分が欲しいと思ってた、お金や名声、それらのすべてが自然な形で手に入るんや。だってそやろ?自分らは、お金も、名声も、地位も、名誉も、自分で手に入れる思てるかも分からんけど、ちゃうで。むしろ逆やで。お金は他人がお前にくれるもんやろ。名声は、他人がお前を認めたからくれるもんやろ。全部、他人がお前に与えてくれるもんなんや。
  • 「人に気づかれないようにするのが本当の優しさ、本当の親切」
▼声をかけてもらえたことへの感謝の示し方
  • 予定が重なったりで不参加になる返事ほど早く出すこと。
  • 不参加でも、誘ってくれたことへの感謝を込めて返事を必ず返すこと。
  • 参加する場合、なるべく早く近くに着くようにすること。主催者は、参加者の姿をその目で見るまで不安なものだから。
  • 参加したイベントについてのフィードバックは必ずすること。
  • 応援したいイベントであれば、ブログなりtwitterなりで自身からのイベント参加レポートを書くことで、応援している意思を示すこと。(主催者はこれを本当に喜んでくれる。)
  • もし自分がこのイベントを手伝って盛り上げるとしたら、どんな貢献ができるかを考えておくこと。
  • 相手ばっかりが声をかける形にならないように、次は自分が声をかけるようにすること。
■巡り巡って

  • 殺したほうはいい気持ちで殺したかもしれないが、殺されたほうはけっして満足して死んじゃいない。それをお前は罪だと思わないか。それが結局、一切合財の遠因となって今まさに、お前はそういう病にかかっているということに、強い反省を心に持たなきゃだめだ。その反省がやがてお前をよりもっと幸福なものにしてくれる原動力になるだろう。
  • 人に対する自分の感情を変えたいと思ったら、その人への接し方を変えてみるといいかもしれない。
  • ときおり一歩下がって、自分の行動を客観的に見てみること。自分にとって大切な人が身構えているとしたら、あなたが原因でそういう態度を取っているのかどうか、勇気を出して尋ねてみよう。
  • 怒りに反応する前に、まず耳を傾けること。全ての人のためになる解決策を探そう。
  • 小さな字が読めなくなった年長者に物語を読んであげよう。いつでも聴けるように、あなたの朗読をテープに録音しよう。窓ふきや雪かき、ペンキ塗りなど、年配のご近所さんにはきつい作業を手伝ってあげよう。
  • 身近に若い世代がいない場合は、近くの託児所に行って、朗読をするか、他の手伝いをやってみるといい。地元の病院で赤ちゃんをあやすボランティアもできる。近所の子供たちを自然観察に連れて行ったり、学校の送り迎えをしたりしよう。
  • 夏至や冬至、春分や秋分を祝おう。それぞれの季節が与えてくれる特別な恵みや美しさに気づこう。
  • たとえば自分のことをするときには誠心誠意して、他人のことにはいい加減な気持ちでするという悪い癖が、悪い癖だと思わないでやっている、そこに欠点があるのですから。
  • ミスチルの櫻井さんは「僕は人並みには努力したと思うし、人並みには苦労したと思う。でも、人並み外れたお金を稼ぐようになってしまった。こんなことを続けていたら、いずれ罰が当たる」と。その矢先に脳の病気になったので、「そら見たことか、やっぱり罰が当たったんだ」と感じたそうです。音楽が大好きでミュージシャンになったのに、彼はお金が儲かり過ぎることに罪悪感を感じて、音楽をやることが嫌になりかけていたのです。彼は「ギフト」という言葉に特別な思い入れを持っています。世間では、よく「ギブアンドテイク」と言います。日本語に訳すと「やるからよこせ」ですね。でも同じことなのに、逆の方法もあるんです。「あなたに差し上げたい、どうか受け取ってほしい」と、「ありがとう、あなたの思いを受けとめます」という関係です。いうならば「ギフト・アンド・レシーブ」です。その循環に入れば、きっと彼のように良循環の中で生きていくこともできるのだと思うのです。
  • お参りに行く。ええか?成功したいて心から思とるやつはな。何でもやってみんねん。少しでも可能性があることやったら何でも実行してみんねん。つまりやな、『バカバカしい』とか『意味がない』とか言うてやらずじまいなやつらは、結局そこまでして成功したくないっちゅうことやねん。
  • やっぱ一人一人にそれぞれ1人しかいない親って特別な存在だよなって思いました。男だからかもしれないけど、やっぱり父親のしてきたことに興味あるし、どんなこと考えてたのか、どんな仕事をしてたのか、何に貢献してたのか、子供にどう生きて欲しいと思ってるのか、何も知らされずに育つのと知って育つのじゃ生き方変わるくらい違うのは間違いないと思います。
  • 夫の不機嫌というものがしばしば家庭の構造の一部である以上、妻は自然にそれを無視できるが、夫がそれに積極的に快感を覚えるようになると妻を傷つける。

■ありのままを

  • 気持ちの安らぐ友情を育もう。友情を維持するのに膨大なエネルギーとストレスを必要とするなら、それは改善をはかっていこう。
  • 他の人が演じている役割ではなく、その人のありのままを尊重しよう。
  • 子供の努力に気づき、「よくやったね」と褒めてあげられるコーチや友人、先生になろう。あなたが年長の友人なら、行動に表れる以上の能力が子供に備わっていることに気づき、礼儀や親切心、責任ある行動などを彼らが示せるように助けることで、子供の潜在能力を引き出してあげよう。家族の一員なら、子供に誠実に接し、そうすることでその子に誠実さを思い起こさせよう。先生なら、子供にとって重要な話題について、子供の考えや意見に耳を傾け、子供の内面生活の正当性を認めてあげよう。変わり者の親戚なら、子供にありのままの自分で大丈夫だと伝えてみよう。
  • 自分とは違う人から学ぶこと。違いがどれだけあろうと、あなたは無理に相手に合わせる必要がないことを心にとどめ、本心から関心を持ってその人を迎え入れよう。意見の違いが仲たがいの原因にならないように気をつけよう。
  • あなたにとって大切なことについて話す。声が震えようとも、真実を話そう。
  • 移り変わりを祝福する。人生の新しいステージごとに何を経験し、どう楽しみたいかを確認してみよう。
  • 自然を前にあなたが謙虚な気持ちになったり、慰められたり、畏敬の念を起こしたりしたときのことを、家族や友人に話すか、日記に記そう。
  • 自然の中に座って、耳をすましてみる。すべての命を敬おう。
  • 死にかけている人のそばにいてあげよう。彼らのために黙想し、祈り、歌を歌い、本を読んであげよう。ご近所の家族や配偶者が死にかけているときは、助けてあげよう。食べ物を差し入れたり、使い走りをしたり、掃除をしたり、肩をもんであげたりしよう。
  • 深刻な健康上の問題に直面したならば、できる限りの医学的手当てを受けよう。それから、体と同じくらい、心や精神を尊重し、面倒を見る時間をとろう。その危機を、乗り越えるべき障害と見るだけでなく、人生でもっとも大切なものを見つける機会だと考える。あなたが恐怖を覚えるもの、苦しくて無視したいものを、生まれたばかりの赤ん坊を抱くように優しく、愛情を持って抱きしめよう。あなたは幸せになり、愛されるために、何かをする必要はないし、何者かになる必要はない。
  • 大切な人を失って苦しんでいるのならば、その悲しみを日記に残そう。自己探求や表現練習のときのように、思ったことをなんでも書きとめるのだ。怒りでも絶望でも、わき上がった感情も含めて、経験したことを記そう。
  • 幸せは、手に入れるものじゃなく、ただ感じるもの。その時その時に感じるだけで十分。無理につかもうとすれば逃げていくよ。
  • 感謝に値するものがないのではない。感謝に値するものを、気がつかないでいるのだ。
  • 外へ出たがっている感情を無理に封じ込めれば、いずれ魂をむしばむだけ。泣きたいときは泣けばいい。涙は自分自身を癒すための薬みたいなものなんだから。
  • 汗を流している人がいたら冷たいおしぼりや水を一杯出すとか、健康状態は見ればわかるのに「お元気ですか」なんて言わない。見て分かることは口に出さずに実行する。
  • 彼はありのままを受け入れた。どこまでも寛容になることで、理不尽なものをはねのける壮大なエネルギーを手に入れることができた。
  • 友人とは君がその傍で偽りのない姿でいられる人物だ。

■生活を少し変えてみる

  • どれだけあれば十分かを知ろう。喜びに満ちた人間関係や充実した仕事のために、自分の夢に生きる時間を持つために、生活のペースを落とすことを望もう。自分が単純に生きれば、他の人も単純に生きられるのだ。
  • あなたの生活を乱すものを全て捨てよう。役に立つか、美しいもの以外は家に置かないようにするのもいいものだ。
  • 余命半年と告げられたとして、何をしたいか考えてみよう。そのしたいことを、これからの2年間でどれだけできるかを考えてみる。
  • 人生のどのステージにいても、目標を立てて、それを確認するか、イメージしてみよう。一日に2回、朝起きたときと夜寝るときに、目標の確認かイメージを頭の中で繰り返して、目標を現実にするために想像力を働かせてみよう。
  • 十分な睡眠をとる。夢を覚えておいて、人に話す。見た夢を記録しよう。繰り返し現れるイメージやテーマに注目する。そこからわかることがあるかもしれない。
  • 瞑想したり、詩を書いたり、日記をつけたりする時間を持つ。
  • あなたがそのようになりたいと思う祖先や歴史的人物を見つけよう。彼らの精神に敬意を表することを何かしよう。
  • もちろん、経験も学問も手腕も必要なものには違いないけれども、まず第一番に「自分というものが誰にも憎まれない」、「誰からも好かれる人」にならなければダメなんです。
  • 幸福というものの価値をお金や効率ではかるのではなく、共に汗して働いて本物の暮らしの糧を探る自給農業生産共同体をこの盛岡につくってみよう。片方を否定するのではなく、二つの価値観が併存し、自在に交流し、人々は自分でそれを選べるような、そんな状況をつくり出すことを「いきいき牧場」建設の夢として考えてきた。
  • 当時は、大きなお鍋におでんを作って、ワイワイガヤガヤとみんなで一緒に食事をしました。仕事の話なんかしなくてもいい。くだらない話、仕事とは関係のない下世話な話で盛り上がることが、明日の仕事にとても有効でした。そんな機会が増えれば増えるほど、お互いの信頼関係が築かれていくのです。

■自分を信じること

  • あなたがどんな人間になるか、あるいはどんな人間になれるかを評価するときに、自分になれないものがあるという事実に妨害されないようにしよう。
  • 自分にできることに関する自分の見方を信じて、違いを生み出す自らの力を過小評価しちゃいけない。
  • あなたがこの世に生まれてきた特権を恥ずかしがる必要はない。あなたが授かった贈り物を恥ずかしく思う必要はない。それらを、多くの人のために活用しよう。
  • あなたの個性を祝福しよう。この世界に、あなたの才能と目と心臓、指紋や夢を持つ者は一人しかいないのだ。
  • あなたはどこまでも健康で、幸福で、平和になってもよい。
  • 結局、人生といっても、それを決定するものは、心なんです。昔から言っているでしょう、「心ひとつの置きどころ」と。
  • 金や食べ物と違って愛情とか思いやりってのは、本人が十分にもらって満たされていない限り、誰かに分けてやりたいと思っても無理なんだそうだ。
  • 和をもって尊しとなす。

■年長者へのリスペクト

  • 長生きをしている人はそれだけで価値がある。
  • 長生きな人が多い文化では食事は重要だけど、それ以上にその人と一緒に過ごす時間の方が重要で強調される。「夕食を食べに来て下さい」ではなく「うちでもてなさせて下さい」。
  • 人間にして、爵の尊さを知って徳の尊さを知らないものは、その愚かなこと言うまでもないが、しかし徳の尊さを知って齢の尊ぶべきを知らないものは、未だ真の人物とは言いがたい。
  • 「昔話」をしてくれる老人が、いまは極めて珍しい。たとえ話してくれる人があっても、それを聞く側―若い世代(子供も含めて)が、それをしんから耳を傾けて聞いてくれるか、どうかだ。炉端や日向の縁で、爺さまや婆さまから「お話」を聞いた時代の子供たちとは、いまは、その受け取り方も感動のしかたも、まるで違うのである。語り手の方でも、話す興味も熱意も、あらかた喪失してしまっている人が多いようだ。
  • じいさんとかばあさんの役割って、ぼんやり日向ぼっこして暮らすことじゃない。自分の経験を誰かに伝えること。それが将来、自分の子孫の何かの役に立つんだったら、こんなに嬉しいことはない。
  • 明日のごはんの心配よりも、ばあちゃんと一緒に暮らすことが、心の金持ちになるって知ってたんだ。

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