2009年1月18日日曜日

えーすずらいぶ@表参道

ひさびさに、留学仲間のAからライブのお誘いが。

ボストンにいるときは、部屋で聞いた。川沿いのベンチで聞いた。
ただ、日本に帰ってからは、なかなかそんな機会もなく、、、だった。

久々に聞きいくか、って感じで行って来ました。

最初会場に着くまでにすげぇ迷ったけど、アコギ1本のライブを後輩と入れ替わりながらやってて、手作り感あってAらしいライブでした。

相変わらず英語なら同じ日本人とは思えない程うまいのに、日本語はしゃべれなかったねぇ。笑
でも、テンパッてるMCでも、普段を知ってる俺らからしたら「いつも通り」だったしそんなのもAらしさだからいいのかなと。人前でしゃべるのは苦手なくせに、ライブはしたいってんだからそんだけ演奏するのは好きなんだよな、とちょっとうらやましく思ったりもしてました。

そんなAがカバーしてた「ハナミズキ」。
曲の紹介で「9.11のことを歌った曲」って言ってて、初めて知って「へぇ」って思ってちょっと調べてみてました。で、一青窈のインタビューを見つけました。

「そもそもこの詩を書いたのは、911のテロの事件を受けてでした。
何かもっと人と人はやさしさを交換できないものかなぁ、と。
つらつらつら、と自分の周りにある平和を思ってみたらそこかしこに転がってました。
例えば下校の時に友と時間を潰した二子玉川のドッグウッド(花水木)プラザ。

明治45年当時の東京市長だった尾崎行雄、がアメリカに桜を贈った返礼として贈られらたのが花水木。ワシントンのポトマック湖畔は桜で彩られ、日本の家庭や校庭には花水木が花をつけている。尾崎の目指した日米親交は十分すぎる程図られた、といえます。

何年もかかってお互いの思いがいまだカタチとして目に見え花として実を結んでいるというのが美しいなぁと、

「ハナミズキ」は自分の大切なひと、とその人の好きな人がせめて 100年続けばいい そういう願いを込めて創りました。」

以上、英語タウン インタビューより
http://www.eigotown.com/culture/interview/hitoto/interview_p1.shtml

いい話だな、と思いました。そうやってできた歌を、一緒にNY行ってグランドゼロを見てたAが演奏して、Kと俺が聞いてる。これも何かの縁なのかもな、なんて。

留学してたとき、911の話になった途端に普段温厚なリッチーが顔真っ赤にして怒ってた。アメリカ人にとっては、それだけでかい思いのこもった事件だったんだって昔、彼を見て思った。そんなことを思い出してました。

俺たちの物語は、そのときも今も続いてる。
あの留学も、それから先それぞれが綴ってきた短編も、無駄な時間や無駄な言葉は何一つなくて。全ては自分で選んできたことで、今も俺たちはこの先の1ページを自分たちで書く自由をまだ持ってる。

Aの後輩くんオリジナルの「短編集」と同じ視点で書いてみました。
こんな風に考えてみると、次の展開が楽しみにもなりますね。

と同時に、みんなの短編集も聞いてみたくなりましたとさ。
たまには、こんなライブもわるかないっすね☆

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