2007年11月4日日曜日

日本のジェネレーションY

今日、おもしろいことを書いてる記事を見つけて、今まで持ってた疑問が少し解消された。

Y世代(ジェネレーションY)。

日本におけるY世代は、1976年生まれ以降のポストバブル世代(ポスト団塊ジュニアとも言われている世代)にあたります。アメリカのY世代同様、大半が両親とも戦後生まれであることや、15歳~25歳の青年時代にバブル経済を体験していないこと、インターネットの普及やポケベル、PHS、携帯電話を青年時代からコミュニケーションツールとして活用していることなどから、団塊ジュニア以前の世代(アメリカのX世代)とは、大きく異なる特徴を持っています。

10歳くらい上の人たちと、自分達の価値観が全然違ったりしてて、それがただの経験不足によるものとは思えなくて、でも、なんでなんだろ~って思ってたけどこれって世代として俺らが特殊だからなんですね。

イノセンスって言葉がある。

みんな赤ん坊として生まれたときには、自分の考え方を持っているわけじゃなく、世の中も知らない。好き嫌いややっていいこととわるいことの判断はできない。それは普通だよね。
そのイノセンスな子供は、自分の親の価値観や周りの大人達のしていることを見て、学校行って同年代と交わるようになればそこからも距離感や必要とされる社会性を経験しながら、その間ずっと世の中の風潮に左右されながら、それを吸収して咀嚼して、自分の価値観として認識するようになる。
結局、それは育った環境によって作られた価値観をいつか自分の価値観として認識するようになるってことで、例えば人の悪口ばっか言ってる親を「正しい」と認識すればそいつは人の悪口を平気で言うようになるだろうし、法治国家としてのルールは守らない(歩きタバコ、赤信号でも横断歩道を渡るとか)けど自分には優しい人を「かっこいい」と認識すれば、その人の真似をするようになる。

そりゃ、親とか家族とは話が合うはずだよね。
おんなじものを長い間見て、おんなじ価値観で話をずっとしてきてんだから。
でも、それを「自分をわかってくれるのは家族だけだ。」なんて認識したら、段違いの勘違い。むしろ、「わかってないのはお前だけ。」って話になってくる。

世代間での差があるのは、そういう価値観が築かれる年代での時代の風潮が違ったりしたからだと思う。
そういう中で、同じ価値観で物事を話すことは難しいかもしれないけど、そこを踏まえた上で相手の価値観を認めて話ができればいいんじゃないかなと思います。
じゃなきゃ、話は前に進まない。

ただ、俺は自分の価値観が全てとは思ってないし、間違ってると感じたら直したい方なんで、俺の話の中でおかしいと思ったとこがあれば「自分はこう思う」ってのは先輩、後輩関わらずぶつけて欲しいなと思います。

相手への指摘があればその場でするのが友達にも、仕事仲間にも相手への誠実な対応のハズで、コトが済んでからじゃ遅い。お互いの足を引っ張り合う為に出会ったわけじゃない。
もちろん、ホントに言わないほうがいいこともあるし、タイミングや相手のレベルによっては全く話にならない場合もある。それに公の場で言うか言わないかって話もあって、一概に気づいたときに全部言うなんてのは絶対しちゃいけない判断だと思うけど、自分はそういう価値観を持って他の人と話してるつもりです。

世代が一緒の人も、違う人も、せっかく出会ったんだからそれ大事にして一緒に生きていけたらいいと思ってるし、今はまだ赤ちゃんかもしれないチビ助達がいい若者になってくれるよう、見られてる自分らもがんばんないとですね。

オーバーライド・ジェネレーション。

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