2006年8月13日日曜日

先輩として

この夏、FES三昧な夏を決め込んで、いろんなアーティストに生で触れて、わかったことが1つあった。

先輩ってのは、どーあるべきかってこと。

自分が得た、伝えたいことをうまく言葉にできるかわかんないんだけど、俺は今まで、先輩ってのがどーあるべきかを勘違いしていたように思った。いや、そーいうことを考えてなくて、やっとわかったって方が正しいかな。

一口に先輩と言っても、「ただ、後輩よりも少し早く生まれたってだけだから、普通に付き合ってくれていいよ。」って先輩もいれば、「俺は先輩なんだから、お前ら気ぃ使えよ。」って先輩もいる。
いろんな先輩がいるのはどこの世界でも一緒で、それが苦痛になる後輩もいれば別に当たり前のもんとして受け止める後輩もいる。後輩の方が先輩っぽい関係も全然あるよね。
人と人との付き合い方なんて、一概に「こう」なんて言えるもんじゃない。

で、今まで俺は「親しき仲にも礼儀あり」を知ってれば、あとはあんま壁を感じないでつるんでいける後輩とはすごくいい関係を築けてたように思う。先輩に対してもそうかな。
「俺は先輩/後輩だから」っていうことより先に、人として「俺はこうだから」ってのをわかってくれる人とはすごく楽に話せた、かも。

でも、今回わかったのは、先輩と後輩は違うってこと。
先輩ってのは後輩に少なからず、なにかしらの夢を見せてあげれる存在なんじゃないかなってこと。

レッチリ見て、俺は「レッチリになりたい」って言った。
矢沢見て、俺は「あんな風に生きたい」って言った。
リンキンパーク見て、俺は「こんな風にスタジアムを埋められたら気持ちいいだろな」って思った。

こんなこと、今まで何度もあったし、言ってることはなんらちびっ子と変わんない。
なんてガキっぽい大人なんだって自分でも思ったりもする。笑

でも、この夏で、俺はそう思わせてくれる先輩がいるのってすごく大事なことなんじゃないかって感じた。

「俺も頑張ればこーなれるのかな」「こーなりたいから、俺は今夢に向かって頑張ってるんだった」そー思った後輩が、実際に頑張って、夢叶えて、ステージに立つ。それを見た後輩が、またそのステージに立ってる先輩に憧れて、頑張って、自分の夢を叶えていく。。。。それをずっと続けてきたのが、こーいうフェスであって、これからもそんなことが続いていくんだろーなって思うと、すっげぇ嬉しくなった。
フジロックで、「ここには演奏しに来るより、見に来たことの方が多いんですけど」って言ってたゴッチ(アジカンのVo)の言葉はすごく印象に残ってる。

どんだけの思いが、このフェスに詰まってるんだろ。
どんだけの夢が、このフェスから叶えられていくんだろ。

考えるだけでワクワクするし、日本中からあの日、あそこに集まってきたみんなに負けないように、俺も頑張ろって思う。

もし高校生のときにこのライブ見てたら、俺バンドに命かけてたかもしれない。

レッチリのライブを見てたとき、なんかわかんないけど「お前らもこうなりたいのか?」「頑張ってやってれば、いつか俺達と一緒にやれるかもな。」「今度はお前の番だぜ。」って言われてる気がして、英語がわかんないとかそういうレベルの話じゃなくて、ズシンって自分の魂にメッセージを直接送り込まれたような感じがして、震えが止まらなかった。

こーいう体験を、仕事の場や自分の人生の中で表現できるかはわかんないけど、俺はそーいう先輩になりたい。
自分にできた後輩に、自分ができる完璧な仕事を見せて、「こんくれぇならおめぇにもいつかできるかもな」って言ってやりたい。後輩に「この先輩は怒らないから」とか「この先輩といると楽だから」とか、そんなことでつるまれんのはいやだ。
単純に「この人すげぇ。」「この人みたいになりてぇ。」って憧れてもらえる、そういう先輩になりたい。
俺に子供でもできたときに、「俺、父さんみてぇになりてぇ。」って言われるような生き方をしてたい。そいつが、自分の子供じゃなくたっていい。近所のちびっ子でもいいし、若い学生とか夢見て生きてる奴らのためになると思う。

だから、そんな思いを込めて、最近の俺の口癖は「俺、レッチリになるわ。」です。

「夢かもしれない。。。でも、その夢を見てるのは君一人じゃない。」by忌野清志郎(ジョンレノン(ビートルズ)のimagineの歌詞の和訳)

うっし、頑張んなくちゃな。

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