2008年9月19日金曜日

映画「300 <スリーハンドレッド>」

著者 :
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日 :
完全多勢に無勢な300人vs100万人。
「どっちが勝つと思う?」なんて聞くだけ野暮な感じですが、実際にあった話らしいです。
ペルシア戦争のテルモピュライの戦いってのがモデルだそうで。

この映画を観て、「命は奪えても、心までは奪えないよ。」、どっかで聞いたそんなセリフを思い出しました。

そう言って負けるとわかっている戦いに命を差し出すことを美徳と捉えるか、それとも"その場はうまく"切り抜けて再起を伺うか、それは個人の価値観の問題なんでどっちだって非難されるべきものじゃないと思うけど、「譲れないもんは譲れない。これだけは譲らない。」っていう自分の魂にあたる部分は俺も持ってたいなと思います。

ただ、映画の伝えたいこととは違うのかもしれないけど、俺はこの主人公の王は本当に正しい判断をしたのか、少し疑問に思いました。

「守りたい人を守る為なら、自らの命と部下の命を投げ出してでも頑張ります。」
権限を持った人が、そう考えて職場で結果を出す為に部下を死ぬ気で働かせて、ついに死に至る人が出た。今の世の中でそれをやったら間違いなく訴えられる。平和な世の中になったもんだって話がしたいわけじゃなくて、本当に守りたかったのは何だったのかな、とか。

例えばだけど、相手は自分たちを攻めるつもりはなくて自分たちの領土の先にいるもっと大国を相手にするつもりだったのなら変にこだわる必要はなかったんじゃないか?とか、国の民を守りたかったんなら王だけが犠牲になれば国を挙げての闘いにはならなかったんじゃない?とか、他にも王があまりにも保守的な人間で「今までの自分達の生活を守ることが自分にできる最高の成果であり、国民を幸せにできる唯一の方法」としか考えられない人で、実際は他国の文化を取り入れてた方が国民の生活は豊かに幸せになってたんじゃないかとか、あんまり意地でも戦わなきゃいけない理由が見えませんでした。一番守りたかったのが「王としての自分の生活」とか言われたら、そいつは王にふさわしくない。そんな王はいらないしそんな王が治める国は潰れるに決まってる。

権限と責任は一緒に渡されるべきもので、それはどちらかが大きくなればそれに比例して大きくなっていくものだけど、大きい権限や責任にはそれに耐えうる器が必要で、そこまで一緒に見抜けるようになんなきゃな、自分もまだまだ器がちっちゃいんで頑張んなきゃなって思いました。

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