今年も1年、よろしくお願いします。
今日から2020年代の10年に入ることになるので、
1年単位の振り返りに加えて10年てスパンで見てみるとどうだったかな、と振り返ってみることにします。そんな直近10年を踏まえて、これからの10年はどうしよかなとか。
■仕事の変遷について
10年前、新卒で入社した大手独立系ITの会社を退社してから転職エージェント、ユーザ系IT、EC物流、まちづくりのデザイン事務所と自分の興味の変遷に合わせて仕事を変え、今は地域の中小独立系のIT会社に勤めて5年目になる。6社目。
キャリアを転々としたそれぞれに理由はあったし、行ってみてよかったと思ってはいるけど、一番実感したことは「お金がなくなると、自由が制限されていく」ことでした。これは働く業界を変えたタイミングは特に。その業界については未経験なのだから当然、給料も底辺になる。だからこそ必死で技術を身に着けていくわけだけど、その間はキツかったなぁ。。
そこで考えたのは、「お金にも働いてもらう」こと。ただこれも、いろいろと試してみて、毎日金額が変動するものは気になって自分自身の仕事のパフォーマンスに影響するので一定期間預けるタイプのものを探すことになった。そして、利率の一番いいものを選ぶとリスクも合わせてついてきて何度かは失敗。。総資産の8割ロストなんて手痛い経験もしたけど、そのおかげで今は利率を追うことよりダメージを受けづらくすることを大切にするようになった。
大きなケガはしにくい、ある程度安定した運用基盤はできていると思う。(●成果①)
■仕事と趣味の両立について
ここも、10年前は「経験してきたITと、これから見直されるべき自転車のどちらも兼ねられる仕事ができないか」を模索しようとしていた。そこでいろいろ情報収集をしてみたけど、なかなか自転車単体で稼ぎにしていくのは難しそうな印象だった。
そんな折に、瀬戸内や山里で自転車ツアーガイドとして動いている人たちがいることを知り、奥多摩で縁あって知り合えたトレックリングでの日帰りサイクリングツアーもやってみた。これはかなり好評だったし自分も気持ちよくやれていたけど、天候悪いと中止、夏や冬は厳しい時期の制約、それと平日の稼ぎや人数上限の問題もあって難しかった。ただ、おかげでだいぶ奥多摩~青梅間は詳しくなったので、趣味で案内することはしていきたいと思っている。(●成果②)
そんな中、ユーザ系IT、そしてEC物流と担当していた全国規模の会社で埼玉での大仕事が一区切りしたタイミングで、九州もしくは四国に転勤の打診が。トレックリングを通して地域に根づく楽しみを実感していたこともあり、何年かごとに転勤を強いられる規模の会社は自分は方向性が違うなと退職。そのタイミングで地域に根づくことに関わる仕事をしていたまちづくりのデザイン事務所に声をかけてもらえたので、「これも縁」と入ってみた。
ここでわかったのは、まちづくりの仕事で収益化するのはマーケットがそもそも小さいのと地元の理解を得る相手が多いことで(BtoBで一発話をまとめればドカンというのに比べてという意味で)、時間がかかること。その収益化までの時間が稼げずに疲弊していくパターンが1つあることを知った。ただITの浸透度や習熟度もとても低いので、ここはサポートしてあげたいし、それが地域には必要なんだとも思った時期でした。
そこで選んだのは、改めてのIT。なにせITの経験値は持っていたし、収入は働く業界で決まる面がある。その意味でITは拘束時間は長い傾向にあるけど稼ぎは安定している社会基盤。そして個人的にも好き。ただし、全国規模の企業ではなく、地域から転勤がない地元の中小企業かつ地域のサポートに前向きな企業。こういう方向性があるなら、自分の考えてきた環境に近いはずと中途採用に応募して、そんな環境を活かして仕事をして今に至る、と。(●成果③)
並行して、まちづくりは興味のある分野&経験値もある分野なので仕事の空いている時間には関わるようにしている。(●成果④)
■自分のまちを探して
10年前は港区に住んでいた。そこから、国分寺→十三@大阪→立川と住む場所を変えてきたわけだけど、まず、10年前に港区に住んでみたことはメリットがたくさんあった。若いうちに都心に住み、機動力をあげていろんな場所に出向いたりイベントに参加してみたりするのは必ずプラスになる。自分もそれが大いに学びにもなったし、今も生きたつながりになっている友人も多い。
ただ、自分の場合はタワーマンションを買って住んでいたので、ローンは収入が減るといきなり重荷に化けた。ローンが終わるまで踏ん張ってそこで一生暮らすのか?、ということを考えていたタイミングで、東日本大震災発生。浦安あたりはマンション価値がゼロになった例も目の当たりにして、売れるうちに売ることにした。次は、必ず地盤の固くて、水害の危険もないところへ。
そして家族にも近い国分寺に住むことにした。港区から通えていた23区内で仕事をしていたので国分寺からの通勤は大変だったけれど、生活はとても気楽になった。ローンからの解放。生活水準支払額の低減。せっかく住み始めたし、多摩地区のことを知ろうと片っ端から地域の本を読んでみると、多摩地域には2つの暮らしがあることがわかった。1つは、ベッドタウンとしての暮らし。もう1つは、職住近接型。暮らしの充実度がはっきり高いのは、職住近接型とのこと。次にやることは、仕事を23区から多摩に移してくることだ。で、声をかけてもらえたデザイン事務所に入ることにしたのでした。
そのデザイン事務所では多摩地域で暮らす前段で、大阪のヘッドオフィスで半年仕事のやり方を覚えてほしいとのこと。戻ってこれるなら半年くらいは問題ないかと、大阪に引越した。仮住まいなので事務所に近くて安いならどこでもよく、十三にそんな部屋を見つけてそこへ。ただ、大阪は個人的にはノリツッコミ的な会話に慣れてなかったり、すぐに帰るつもりだったのもあり、あんまり積極的に交友範囲を広げたわけではなかったすな。。でも大阪に行かなければ話せなかった人たちの話がたくさん聞けて、スキルや経験値としても得たものはとても大きく、事務所の引越しも手伝わせてもらったりしたので大阪のいろんな物件を見に行くことができた。
それと、この先の自分に影響の大きかったこととして、西日本の各地域でまちづくりを「自分のまちの問題」として本気で取り組む人たちに会ったことがある。これは大いに刺激になった。そこにサポートに行く自分との思い入れの量の違いからくる熱量の違いは実感せざるをえなく、そういう「自分の地域のために頑張る人たち」をうらやましいと思い「自分もそんな風に思えるまちでやるぞ」と思った場面も何度もあった。そんな大阪暮らしも当初の約束期間満了で、東京に戻ってきた。
元々多摩に仕事を移すことが目的で入ったそのデザイン事務所は東京では立川を拠点にしていたので立川に引っ越す。やっぱり、多摩は水が合うというか、住んでて気持ちいいと改めて思ったのがこの時期でした。「ここだ」と。今は、この山や自然に近く都心へのアクセスもいい立川が自分にとって見つけたかった「熱量を注げるまち」になりましたね。(●成果⑤)
立川は基本的に地盤が固く、水害の危険性も多摩川沿いを除けば低い。そんな立川の中でもさらに砂川の方に引越しをして、危険性をさらに下げた暮らしをはじめたのが今ですかね。先日の超大型台風クラスがいつかまたきて多摩川が氾濫したとしても影響はなさそうで、静かだし、とても気に入ってます。(●成果⑥)
■立川のまちづくりとの関わりについて
最初は、立川に戻ってきてからのデザイン事務所のメンバーとして旧市役所である子ども未来センターの運営スタッフとなったところから。そこでの仕事自体が「地域の市民活動団体の支援」だったので、自然と立川の市民活動団体で活躍している方や行政職員との接点は増えていった。みんな立川が好きで、自分のできることで立川を盛り上げたいと思っていて、接していて楽しい仕事でした。(●成果⑦)
ただ、ITエンジニアだった自分からすると、それぞれの活動も環境もITでサポートできる余地はとても大きいと感じ、自分はITで地域やまちづくりをサポートしようとデザイン事務所は離れることにした。そして、地域のIT企業に転職をし、ITで地域をサポートする枠組はまだできていないものの、地域のIT企業との情報交換ができる体制は整え、自分自身も最先端のIT事情が入ってくる立場にはなっている。(●成果⑧)そこからのサポートは今後考えたいテーマのひとつ。
さらに、立川市の市民委員として声をかけてもらい、「総合戦略検討委員(2015)」「観光振興計画検討委員(2019)」と市の計画づくりにも参画をしている。今後の方向性を市の計画としてどう考えるか、いいヒントになるコメントができるよう自分も勉強しながら関わっている。(●成果⑨)
また、子ども未来センターで働いていた頃のつながりを継続し、さらに総合戦略検討時に得られた知見なども盛り込んで「立川食べ歩き隊」を結成。10人程度ではじめたグループは、今1,000人を越え、行政側からも「無視できないグループ」と評価をされ、実際にこのグループに入って立川に引越してきた人や転勤を決めた人も生まれている。立川の多種多様なプレイヤーが一堂に会すまちのプラットフォームになりつつある。(●成果⑩)
ざっと振り返ると、10年間はこんな感じで過ぎていきました。
次の10年の課題は、フラフラしながらも固めてきたまちでの地盤とITの経験値を活かしながら、今後想定される世の中の変化をどう乗りこなすか。チャンスに変えていくか、かなと。
今後想定できる変化点やテーマは、こんな感じになるのかな。
▼世の中の変化
働き方改革 / 2020東京オリンピック開催 / 5G / 2025年の崖 / SDGs / 人手不足 / 少子化 / 高齢化 / 地球高温化 / AI / RPA / 脱原発 / 消滅可能性都市増 / 外国人労働者増 / 自動運転 / スマート農業 / 大地震
▼立川(多摩)の変化
人口微増から人口減への転換 / 大きな建築投資の終了(ハードからソフトへ) / 公共施設の統廃合 / 大学の都心回帰 / 大工場の移転
どれも重要なテーマで、「あとはやるだけ」なものはない。だからこそ、「今こんな状況」「こんな事例がある」なんて情報を地域の中で共有していくことが必要になる。それも、別の地域だって同じようなテーマを持って取り組むのだから、企業や行政のみで考えているテーマではなく、むしろ地域や経済圏対抗の様相を呈していくことが予想される。
スピード感を持ってフィードバックループを早く回していくことがより重要視されていく、というか、人口減の流れの中でなので、一度遅れを取ると逆転はしにくいかもしれない。そんな10年になるんだろう。
そういった意味では、立川食べ歩き隊みたいなまちのいろんな立場の人がすでに1,000人単位で集まっているグループは貴重かもしれない。これへの注力は自分も楽しめているし、より意味のある形を模索しながら進めていきたいなと思っています。そこに、最先端のIT事情を自分も織り込んでいけると意味も出てくるように感じる。
2010年代に経験できたことを無駄にせず、2020年代も関わってくれる人たちとの情報交換を大事にしながら暮らしていけるといいすな。
それと家族との時間をこれまで同様つくることと、健康でいることと。(目指せ標準体重!)
どうぞよろしくお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿